書籍詳細
妖精王と麗しの花嫁
ISBNコード | 978-4-86669-259-3 |
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サイズ | 文庫本 |
定価 | 754円(税込) |
発売日 | 2020/01/18 |
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電子配信書店
内容紹介
人物紹介
葵蒼史(あおい そうし)
魔導師のエリート養成学校の落ちこぼれの魔導教師。幻獣・金翅鳥の契約者。
エウシェン(エウシェン)
森の泉に倒れていた、記憶喪失で身元不明の青年。
立ち読み
ラパヌイは、周囲約九キロ、断崖絶壁に囲まれた絶海の孤島だ。そこに魔導師のエリート養成学校がある。全国から選りすぐりの、優秀な魔導師の卵たちが集められていた。しかし中には、エリートと呼ぶには少々眉を顰めるような問題児も交じっている。
ラパヌイで教師をしている葵蒼史(二十七歳)に人が倒れていると知らせてきたのは、そんな問題児三人組だ。ともに十四歳の生き生きとした瞳を持つ少年たち。どうやら授業をさぼって森で冒険もどきをしていたらしい。
「また君たちは……」
彼らの担任である蒼史は、嘆息しながら立ち上がった。魔導師の正装である黒いローブを翻しながら歩き出す。センスのいい同僚は、下に着るシャツを柄物にしたり、レースで装飾したりして、違うデザインを楽しんでいるが、できるだけ目立ちたくない蒼史は、シンプルな白いシャツにズボンも黒と毎日代わり映えのしない格好で過ごしていた。
よく見れば繊細に整った美貌も、長い前髪で隠されている。なかなか見ることができないので、生徒たちの間では、密かに『新月の君』と呼ばれているらしい。蒼史の耳に入ることは金輪際ないだろうが。
「オードリーとオランが見てます」
小柄な璃音は、蒼史と同じ東方王国の出身だ。黒い髪と黒い瞳は同じだが、地味で目立たないことを心がけている蒼史と違い、愛らしい顔立ちを前面に出している。自分の可愛さをよく知っていて、何かのときは躊躇なく利用するあざとさがあった。
蒼史は処世術を持っていることを悪いとは思わないが、自らが影響されることはなく、いいことはいい悪いことは悪いと対処している。
どんな悪さをしていても怒りが半減してしまうと嘆く教師たちと違うので、璃音自身は蒼史を苦手にしているようだ。
しかし今、璃音は敢えて蒼史のところにやってきた。担任ということもあるだろうが、蒼史ならなんとかしてくれるという信頼もあるように思う。
そして彼がもたらした知らせは、大変深刻な事態を招きかねない。
なにしろラパヌイは絶海の孤島。結界も張られているので、許可を受けた魔導師が魔導で行き来する以外は往来できないはずなのだ。三人組の見つけた侵入者は、いったいどうやってこの島にやって来たのか、やって来ることができたのか。
結界が破られていれば警報が鳴るはずだがそれもない。つまり考えられる限りの異常事態ということだ。
ただしそれが彼らの狂言でなければ。
頭から信じるには彼らの過去が邪魔をする。それだけの悪戯を、彼らがしてきているからだ。だから蒼史はほかの教師に話す前に、まず自らの目で確かめようと考えた。
「案内して」
短く言って蒼史は璃音と一緒にその場から姿を消す。
フラグが立っていたので、場所はすぐにわかった。学校からそれほど離れていない、森の中にある泉の畔だ。その辺りは清浄な空気に包まれていて、神秘的な佇まいをみせる泉が妖精の住む世界と繋がっているのではないかと、昔からの言い伝えがある。
キラキラと零れ落ちる光が泉に反射して、まるで妖精たちが踊っているように見えるからだ。さらに泉の水はとても澄んでいて清らかで、常に滾々と湧き出ている。しかもとても美味しい。
普通絶海の孤島なら真水の確保に苦労するのに、ラパヌイは泉のおかげでその心配はなく恵まれていた。
蒼史と璃音が現れると、目印にしていたフラグはすぐに消えた。魔導で出したものなので、用が済んだから待っていた二人のどちらかが消したのだろう。
「先生……」
悪戯を疑っていた蒼史も、その頼りない縋るような声を聞くと、疑惑をきっぱり捨てて駆け寄った。
呼びかけたのは、オランだ。いつも先頭に立って悪戯をする少年で、終わりよければすべてよし、目的のためなら何をしてもいいという考えの持ち主で、間違ってもこんな途方に暮れた声は出さない。
傍らにいるのがオードリー。怜悧な印象の少年で、将来の美貌の片鱗を窺わせる危うい魅力の持ち主だ。大人をやり込めることができるほど弁が立ち、理詰めで物事を進める性格は、教師たちから煙たがられている。三人の中の軍師格だ。
しかしこちらも今は、青ざめて立ち尽くしている。
彼らの足許には、確かに人が倒れていた。泉に半分浸かったような格好で俯せており、息をしているようには見えない。額の辺りに僅かに血が滲んでいる。
さすがの悪戯三人組も、これまで死者を見たことはないはずだ。怯えるのも無理はない。
蒼史は倒れている人間を魔導で宙に浮かせ、水辺から乾いた場所に移し水気を飛ばした。そして、仰向けにしたその顔を見た途端目を奪われる。それほど端整な容貌の青年だったのだ。
整った顔はうっとりするほど美麗で、シルバーブロンドの髪が豊かに波打って縁取っている様は天使もかくやと思わせる。年齢は自分と同じかやや上辺り。しっかりした身体つきのそのひとは、標準的な背丈の蒼史よりかなり長身に見えた。
恵まれた身体を包んでいるのは、透明に近い白い鎧と白いローブ。どこか戦場にでもいたのか戦う装束なのだが、命のやり取りをする騎士の印象はない。全体を覆っているのは清らかな聖性だ。
そして、美しいその顔は青ざめていて、息をしていないのはすぐにわかった。だがまだ死んではいない。何らかの事情で自らの生命活動を止めているだけだ。
「死んでるの?」
三人を代表するかのように、おずおずと璃音が尋ねてきた。
「いえ、仮死状態です。ただこのまま放置すれば死にます」
状態を確かめていた蒼史が告げると、三人はびくっと後退る。あれだけ問題児ぶりを発揮していても、こういうところはまだ子供だと、内心で微笑しながら立ち上がった。
「綺羅」
一言で、全身目映い金色に輝く鳥がぱっと現れた。頭に金色の冠羽を持ち、長い尻尾を華やかに垂らした金翅鳥だ。魔力を与えてくれる幻獣で、本来不足している蒼史の魔力を補ってくれている。
「綺羅、このひとを生き返らせたいので魔力を」
一時的に生体機能を停止させている仮死状態なら、魔導を使えば元に戻せる。ただし、それには大量の魔力が必要だ。
綺羅が蒼史の肩に止まる。途端に無尽蔵に魔力が流れ込んできた。魔力を注入された蒼史の身体が、キラキラと輝き始める。力を得た蒼史が、復活の呪文を唱えた。
蒼史を取り巻いていた金色の光が倒れている男に向かい、包み込む。
「綺麗……」
背後で三人の誰かが呟いたが、蒼史は目の前のことに意識を集中していたので誰の声か判別できなかった。だがその現象を綺麗だという言葉には、心から賛同する。
やがて、力の放出でふわふわと舞い上がっていたローブがすとんと落ちた。光が消え、もう一度屈み込んで様子を見ていた蒼史の前で、閉ざされていた男の瞼がぴくぴく動き出す。長い睫がゆっくりと持ち上がると、現れたのは神秘的な紫の瞳だった。
「生きてた」
「よかった」
「紫水晶……」
言ったのはオラン、璃音、オードリーの順だ。紫水晶とは、オードリーにしては叙情的な言葉だ。頭の隅でそんなことを思いながら、蒼史は男を覗き込む。
「大丈夫ですか?」
その言葉に、男はゆっくりと微笑んだ。華やかな笑みに、心を持っていかれる。
「やっと会えた。私はエウシェン。ずっと君に会いたいと思っていた」
そう呟き、手を伸ばそうとした動作の途中で、男、エウシェンは再び目を閉じた。差し伸べかけた手も、ぱたっと落ちてしまう。
「わっ、また死んじゃった」
「馬鹿、意識を失っただけだ」
「生命エネルギーが極端に減っていますね」
今度は璃音、オラン、オードリーの順だ。蒼史はオードリーの言葉に頷いてみせる。
「そうですね。魔力も痕跡はあるけれど、今は全くないようです」
「どうするんですか、先生」
オードリーが尋ねてくる。
「医務室に連れていって様子を見ましょう」
「先生、この人、知ってるの?」
今度聞いてきたのは璃音だ。興味津々で、それはオランもオードリーも同じ。蒼史はゆっくり頭を振る。
「でも、会いたかったって言ったよ。こんなに素敵な人にそんなこと言われたら、ボクなんて舞い上がっちゃうけどな」
意識のないエウシェンから目が離せないようで、璃音がうっとり言う。蒼史は苦笑した。
「こんな人に会いたかったと言われたら確かに光栄ですけれど、でも本当に知らないのです」
ただ、エウシェンという響きに懐かしさを感じた。でもどんなに記憶を辿っても、この美しい人を思い出せない。
「さ、とにかくこのままにはしておけないから、行きますよ。その前に」
蒼史はラパヌイの学校長であるレンルートに連絡した。魔導を通せば、どんなに離れていても瞬時に連絡が取れる。
『正体不明の侵入者か。美化委員の連中がうるさいだろうな。しかしこれは人道上の問題だ。医務室にはわたしから連絡しておこう。すぐに連れて行きなさい。体調が回復したら、きちんと事情を聞くこと』
美化委員といっても、学校内を清掃して回るのではない。校内の綱紀を美しく保つのが役目、すなわち警察と同じ、人を取り締まる組織だ。
『了解です。ありがとうございます』
蒼史はレンルートに感謝して、三人の生徒たちに側に寄るように言った。
「一緒に転移するからもっと近くに」
肩に留った綺羅の力を借り、近くに寄ってきた子供たちと、再び意識を失ったエウシェンを結界の中に包んで飛ぶ。医務室のベッドの上にエウシェンをそっと乗せ、魔導で鎧とマントを取り去り、襟許を緩めてやる。滑らかな喉が覗いて、心臓が小さくとくんと撥ねた。そのままとくとくと速い鼓動が続く。
「先生、大丈夫?」
璃音の声に、はっと我に返った。自分は何をしているのか。世界にたった二人しかいないかのように、エウシェンに見惚れていた……。
しっかりしろと自らを叱咤し、三人には教室に戻るように告げた。
「え~~。この人が目を覚ますのを見たいのに」
オランが不満そうに言ったが、蒼史は首を振る。
「君たちはすでに授業をさぼっているでしょう? これ以上は駄目です」
目を合わせてじっと見つめていると、三人はしぶしぶ頷いた。ほかの教師に、いったいどうやって言うことを聞かせるんだと驚かれたことがあるが、蒼史自身は特別なことはしていない。三人が納得するような正論を告げるだけだ。
三人が姿を消すのと同時に、綺羅も見えなくなる。貴重な幻獣だしあまりにも煌びやかな存在なので、普段は姿を隠してもらっていた。
蒼史に綺羅がついていることをずるいと非難して敵視する者が少なくないので、目立ちたくないという勝手な思いからだったが、綺羅は気にした様子もなくそれどころか逆に都合がよかったようだ。気ままに出入りして、自由に飛び回っている。
蒼史にとっては後ろめたい気持ちもあったが、呼べばすぐに来てくれるので、この状態が双方にとってベストなのだろう。
ずるいとただ非難するだけでなく、中には蒼史をラパヌイから追放しようという者たちもいた。それが美化委員たちだ。公平正義平等の旗印の下に活動する彼らは秩序を大切にしていて、魔力が足りない蒼史はラパヌイにいる資格がないと主張する。自主的に出て行くようにと、けっこうな圧力をかけられていた。
辛辣な扱いに悔しいと思うこともあるが、金翅鳥が魔力を補充してくれなければラパヌイどころか魔導師にもなれなかったのは事実だから、反論できない。
後ろ盾になってくれている学校長のレンルートは、
「金翅鳥も含めて君だろう」
と言って庇ってくれるし、それに賛同してくれる同僚もいるから続けられたのだ。引け目を感じる分、人一倍努力したから、魔導の知識なら負けないという自負はある。それでも、金翅鳥のことを言われると、黙るしかなかった。
目立たぬように控えめにというのは、そういうところから来た蒼史なりの処世術だ。
「璃音を笑えないな」
こっそり苦笑していると、医務官が現れた。もちろん魔導師で、癒やしの魔導を得意とする者が任命されている。
日替わりに勤務する今日の担当は、イオだった。ついてないとため息が出そうになり、慌てて呑み込む。金翅鳥が消えていてよかったと思ったのは、イオが医務官であると同時に美化委員の一人でもあるからだ。しかも蒼史排斥の急先鋒。金翅鳥を見たら、きっと皮肉めいたことを言われていただろう。
「で、なんだって?」
冷ややかにイオに聞かれ、蒼史はベッドの上で眠っているエウシェンを示した。
「森の中に倒れていたので連れてきました」
「はあ~~! そんなことあるはずがないだろう! ここは絶海の孤島だぞ」
「……でもいましたから」
いましたという証がベッドの上の不審者だ。蒼史としてはそんな意味ではなかったが、イオからすれば痛烈な皮肉に聞こえたようだ。じろりと睨まれた。
「ああ、そうかい。で俺にどうしろと?」
「診察をお願いします」
「……ふざけてるのか。学校関係者でもないのに診察しろと?」
そこでいったん言葉を切ってちらりと見てから、あとを続ける。
「寝ているだけだ。用がそれだけなら俺は忙しい……」
「でも意識がないんです」
慌てて呼び止めたが、ふんと鼻を鳴らされただけだった。
「金翅鳥を呼んで力を貸してもらったら。癒やしの魔導が使えるだろう」
確かに使えるが、その場合は医務官の許可がいる。しかし冷ややかにこちらを見るイオは、どう頼んでも許可をくれそうにない。
「わかりました」
仕方なく頷くと、じろりと睨まれた。
「ふうん、それで納得するのか。金翅鳥がついているからといって大きな顔をして、医療行為までやろうってか?」
反論したいのをぐっと堪える。こうした場合は、冷静にやり過ごすのが一番だ。イオの目的は、蒼史が居心地が悪くなって自主的にここを出て行くよう仕向けることなのだから。
「うわっ、なんだ!」
言い捨てて姿を消そうと呪文を唱え始めたイオの悲鳴に、びっくりして顔を上げると、半分異界に消えかけたイオの服の端をオランがしっかり握っていた。隣には璃音とオードリーもいる。教室に帰らせたはずなのに、どこかで様子を窺っていたらしい。
蒼史が咎める前に、オードリーがイオに向かって冷静に指摘した。
「蒼史先生は大きな顔をしたことは一度もないですよ。魔力があるからと努力もしない人に、蒼史先生を馬鹿にしてほしくないです。金翅鳥がいても、複雑な魔導には熟練した力が必要だって、先生だって知っているでしょう」
「オードリー、やめなさい」
慌ててオードリーを止めようとしたが、イオが激高して向き直る方が早かった。しかも向き直ったときには、魔導を発動させる呪文を唱えている。立腹しているせいか、単なる金縛りの魔導が、かなり強い圧迫感を伴うものに変化していることに気がついた蒼史は、急いで対抗する魔導を発動しぎりぎりで間に合わせた。
イオの魔導は蒼史の魔導で跳ね返され、オードリーに被害はなかった。
「な……っ」
自信満々で放った魔導を破られて、イオが目を剥く。
「このっ、教師に逆らった生徒を庇うのか!」
「落ち着いてください、イオ。今あなたが放った魔導を受けるのはまだ十四歳の生徒ですよ。何かあったらどうするのです」
なるべく穏やかな声で窘める。それに反論しようとしたイオが愕然としたのは、相手が子供だったことを改めて認識したからだろう。しまったという顔になり、それでも言いがかりを忘れない。
「うまく飼い慣らしたものだ」
「……その言い方は教師としてどうかと思いますが、目上の人に敬意を払うよう指導はしておきましょう」
「蒼史先生、そりゃないよ」
オランが文句を言うが、ここは魔導で言葉を奪っておく。下手に口を出されたら収まるものも収まらない。イオにはにこやかな笑みを向け「申し訳ありません」と言って退場願った。
イオが姿を消すと言葉を奪われていた三人組が、一斉に喚き出す。
「あんなこと言われて黙って帰すなんて!」
「蒼史先生は金翅鳥がいなくてもすごい魔導が使えるのに」
「やっぱり悔しい。追いかけよう!」
口々に言う彼らに、「しいっ」と唇に指を押し当てる。視線をベッドに横たわるエウシェンに向けると、ここは医務室だと気がついた彼らが、しぶしぶ口を噤んだ。
静かになった彼らの前に、ふわりと映像が浮かんでくる。姿を消していたはずの金翅鳥が現れ、ここから自分の研究室に戻ったイオを映し出したのだ。
何かするつもりだと直感し止めようとしたが、間に合わなかった。映像の中で、イオは何もないところで躓きバタッと倒れた。慌てて起き上がった彼は、誰かに見られなかったかときょろきょろ周囲を見たあとで、ぱたぱたと服の埃を払いごまかすように急ぎ足で歩き出す。
映像が消えると、あっけに取られていた三人が、ぷっと噴き出した。
「先生、いつも、あんなこと、やってるんだ」
笑うのに忙しくて苦しそうに息を切らしたオランに、蒼史は首を振る。自分でも胸がすっとしたのだから、今さら綺羅だけに責任を押しつける気はない。
「いつもしているわけではありません。していたら早々にばれて、ますます厄介なことになるでしょう。だからイオ先生が、偶然、転んだことをわたしは喜んでいます」
偶然、の部分に力を込めて言った蒼史の言葉に、三人はまたもや腹を抱えて笑った。
「さ、もういいでしょう。君たちは授業に戻りなさい。もうさぼりはなしです」
言い聞かせると、三人はしぶしぶ医務室を出て行った。璃音が振り向いて頼んでくる。
「その人の意識が戻ったら知らせてくれる? ボクたち心配だから」
あどけない笑みで小首を傾げて見上げる璃音を見て、内心おかしくなった。これが璃音の必殺技だ。まさに天使のような愛らしさ。
それに影響されたわけではないが、蒼史は頷いた。彼らが気にしているのは本当だと察したからだ。その代わりすっと手を伸ばして、小首を傾げた璃音の頭をちょいと元に戻してやる。
「そんな真似しなくても、わたしはちゃんと君たちに知らせますよ。その代わり、君たちの助けがいるときは頼みますね」
「うんわかった」
顔を戻したことについては、せっかくの決めポーズなのにと不満そうだったが、オランとオードリーが笑ったので、璃音も苦笑してして済ますことにしたようだ。
三人組がいなくなってから、蒼史はエウシェンが横たわったベッドの側に椅子を寄せて座る。ほっと息を吐いた。イオの非難は甘んじて受けるが、心は傷つくし憤りも感じる。
「それでも綺羅を止めるべきだった。内心喜んだなんて、駄目だな。修行が足りない」
呟きを理解したのか、肩にいた綺羅がくちばしを擦りつけてきた。綺羅は言葉は話せないが、蒼史の感情には敏感だ。幼い頃に蒼史と誓約を交わし、互いに忠実に生きてきた。感謝の気持ちを込めて、綺羅を撫でる。綺羅が気持ちよさそうにうっとりと目を閉じた。
撫でながらエウシェンに視線を向ける。見れば見るほど見事な造形だ。神様は彼に思いきり依怙贔屓したようだ。密生した睫は頬に影を落とすほど長く、細く高い鼻梁は形よく、薄い唇は寝ていてもきりっと引き締まり、うっすらと色づいた赤みが艶めかしい。
そんなことをぼんやりと思いながら見守っていると、再びエウシェンが目覚め始めた。睫がそよぎ、一度見たあの神秘的な紫の瞳が開く。ただ先ほどのようにしっかりと蒼史を捉える視線でないのが少し気がかりだ。
「エウシェン、大丈夫ですか?」
ややぼんやりしていたエウシェンが、自分の名前を呼ばれて目を見開いた。蒼史を認めてゆっくりと半身を起こす。
「エウシェン? 私の名前はエウシェンというのか?」
これには蒼史の方が驚いた。
「エウシェンとあなたが言ったのですよ?」
「え!?」
エウシェンは当惑して自分の顔を押さえた。
「私が自分で言った……?」
「はい。先ほど一度目覚めたときに。『私はエウシェン。ずっと君に会いたいと思っていた』って。だからあなたの名前はエウシェンだと思いますが」
そう言っても、エウシェンはぴんとこないようだ。頭を抱えて呻き声を上げる。
「駄目だ。何もわからない。私が、君に会いたかったと言ったのか?」
「はい。あなたは森の泉の畔に倒れていたのです。わたしと教え子の三人でここに運びました。目が覚めたら、あなたからいろいろ聞けると思っていたのですが。あ、すみません、ご気分はいかがですか?」
「鈍い頭痛がする」
頭痛と言われて蒼史はエウシェンの額に視線を向ける。見つけたときそこには血が滲んでいた。今はかさぶたになっていて、それほど酷い傷には見えないのだが、頭痛がするなら強く打ちつけたのかもしれない。
「ちょっと失礼しますね」
手を伸ばして癒やしの魔導を送る。綺羅から無尽蔵に流れ込んでくる魔力のおかげで、強い癒やしを送ることができた。イオが見ていたら「俺は許可していない」と喚きそうだ。かさぶたになっている傷もついでに治してしまう。
「ああ、ありがとう。よくなった。それにしてもどうして私はここに……」
当惑したように言ってからエウシェンは頭を振る。
「やはり駄目だな、全く思い出せない」
蒼史は心配に陰る瞳でエウシェンを見た。
「額を打ったようですから、もしかしたらそれで一時的に混乱しているのかもしれません。あるいは、今のあなたは完全に魔力がなくなっていますから、余分な力を使わないよう記憶が封印されているのかも。そちらの理由なら魔力が戻れば回復するはずです」
「だといいのだが」
「取りあえず様子を見ましょう」
頷いたエウシェンの瞳が金翅鳥を捉えた。
「綺麗な鳥だ。金翅鳥?」
「ええ、わかりますか?」
エウシェンは眉を寄せて、記憶を辿るような仕草を見せた。その後で、苦笑した顔を蒼史に向ける。
「どうやら記憶はなくても知識は残っているようだ。魔力を与えることができる幻獣。ただし、契約した当人にだけ」
「そのとおりです。綺羅が、この金翅鳥の名前ですが、あなたに魔力を分けることができたら、すぐにも問題は解決しそうなのですけれどね」
そこまで言ったときふっと空気が動いて医務室の外に人の気配がし、ノックの音がしてレンルートが入ってきた。
「学校長のレンルートだ」
魔導師は見た目を変えることができるので、レンルートの正しい年齢は蒼史も知らないが、一応五十歳代の落ち着きを備えた男性の外見を保っている。
「世話をかけます。私はエウシェンという名前らしいです」
その言い方にレンルートが片方の眉を上げ、蒼史を振り向いた。
「記憶がないみたいです。頭を打ったせいか、魔力が完全に枯渇しているからなのか、原因はわからないのですが」
「そうか。では回復するまでここに滞在するといい。この島は結界に囲まれているので、濃い魔力が満ちている。回復も早いだろう」
レンルートが気遣いを見せた。
「ありがとうございます」
言葉は丁寧だし頭も下げているのだが、なんだろう、謙っているようには見えない。すっと擡げた頭、真っ直ぐ相手を見る視線から、もともとの身分の高さが窺える。それは着ていた服からも想像できた。
ベッドに横たえたときに楽なようにと鎧を脱がせているが、その下に着ていたシャツもズボンも汚れ一つない純白で、極上の手触りな上に華麗な刺しゅうが施された見事な品だったのだ。
「蒼史、あとは頼むよ。手続きはわたしがしておくから、起きられるようになったら教員用の宿舎に案内してあげて」
エウシェンが助かりますと再び礼を言い、レンルートが出て行ったあとで静かな視線を向けてきた。
「彼はああ言ってくれたが、よいのだろうか? 記憶のない得体の知れない男だぞ、私は」
蒼史はくすりと笑う。
「自分で言いますか、それ。レンルートがいいと言ったらいいのです。何しろ彼がここの責任者ですからね。さて、ではまずこの島の説明からしましょうか」
蒼史はラパヌイという島が、魔導師たちの学校がある場所であることを告げた。
「島全体に結界が張られていて、本来許可なく入ってこられない場所なのです。でもあなたはその結界を傷つけることなく忽然と現れた。あなたが目覚めたらそれについて説明していただけるものと考えていたのですが」
無理だったなとエウシェンが苦笑する。
「魔導師学校があるのは知っている。ラパヌイの名も、すぐにぴんときた。私は以前ここにいたのだろうか」
「それはわかりませんが、ここに来たということは、何か関係があるのかもしれませんね。取りあえず身体を休めていてください。あとでまた様子を見にきます」
蒼史はエウシェンに横になるように言って、布団を掛けた。
「魔力回復のためには睡眠は必須です。よく休んでください。あ、食事はどうですか? 空腹なら何か調達してきますが」
エウシェンが首を振るのを見て「ではお休みなさい」と言い残して部屋を出た。
教務室に戻りながら蒼史は何度も彼の瞳を思い出す。吸い込まれそうな美しい紫の瞳。世界には様々な人種がいて、肌の色もいろいろ髪の色も瞳の色も千差万別だ。しかし、あんな綺麗な紫の瞳は見たことがない。オードリーが言った紫水晶という形容がぴたりと当てはまる。
教務室に戻ったとき、綺麗はまた姿を消していた。やりかけの仕事に取りかかりながら、蒼史の胸は非日常の出来事に遭遇して、いつになく落ち着かないでいる。
魔導が発達したこの世界には、魔力を持つ魔導師が不可欠だ。日常生活から政治経済、医療、農林水産、運輸通信、土木建築まで、様々なところで社会の仕組みを支えている。そのため魔導師になるための学校は、すべての費用を免除されていた。
入学資格はたった一つ。魔力があるかどうか。魔導師になれば、ときには王侯貴族の権威を凌駕することさえある。庶民として生まれた子供が魔導師を目指すのは、必然だった。
だがささやかな魔力を持つ者は多いが、魔導師になれるだけの力量の者は少ない。結果として狭き門になっているので、入学を許可されただけでその子にとっては名誉なことになる。
蒼史は貧しさから親に捨てられた子供だ。魔導師学校への入学がたった一つの希望だったのに、蒼史の魔力は規定に届かなかった。
「ごめんね。これ以上はあなたを育てられない。ここなら面倒を見てくれるから」
育児院の前で母に言われた。育児院にいれば少なくとも衣食住は保証されている。子供がいなければ、母もなんらかの手段で生きていくことができるだろう。
蒼史は頷いて母の手を放した。
遠ざかる母の背中が見えなくなるまで待ってから、蒼史はその場を離れ森に走り込む。蒼史の中には、自分は母の負担だったという自責の念が強くあった。これ以上、他人に迷惑をかけてはいけない。そんな気持ちで、一人で生活することを選択した。幼い子供が一人で生きることなどできるはずもないのに。
その先の記憶は曖昧だ。さんざん森の中をさまよい、お腹が空いて、木の根元で動けなくなっていたらしい。蹲っていたところに優しい男の人が現れて、食べ物をくれた。そして辛抱強く蒼史の言葉を聞き、ある解決策を示してくれたのだ。
『魔力があれば、学校に入れるのか』
たぶん蒼史は頷いたのだろう。次の瞬間目映い光が現れ、金翅鳥が現れた。金翅鳥は、魔力を提供してくれる幻獣だ。全身金色の美しい鳥だった。
『この子は綺羅という名前だ。君の手助けをすることを承知してくれた』
『さあお行き。そして幸せになるんだよ』
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