書籍詳細
同棲はじめました。〜子育て運命共同体〜
ISBNコード | 978-4-86669-325-5 |
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サイズ | 文庫本 |
ページ数 | 280ページ |
定価 | 831円(税込) |
発売日 | 2020/07/18 |
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内容紹介
人物紹介
小田楓月(おだ かづき)
23歳、新社会人。仕事と子育ての難しさに悩んでいて…。
星野竜太(ほしの りゅうた)
30歳。突然現れた、亡き姉の親友のイケメン。
立ち読み
「ありがとうございます」
竜太が樹を二階に連れていって、寝かせてくれた。二人でお風呂に入っている間に、二階の空いている部屋を掃除して、ベッドをきれいにセッティングした。以前は楓月の部屋だったので、ひととおり必要なものはそろってる。
とりあえず、竜太にはそこで寝てもらう。その前に話をしないと。
というわけで、お茶を入れて、二人でリビングで向かい合っている。
「ホントにすぐ寝るんだな。おやすみ、って言う前に寝てた」
「本当にそこはありがたいです。寝ない子はまったく寝ない、って言うので。これからしばらくがぼくの時間です」
持ち帰った仕事をしたり、テレビを見たり、音楽を聞いたり、本を読んだり。樹は六時前には目が覚めてしまうので、そこにあわせて十二時前には楓月も眠るようにしている。
「そっか。じゃあ、その時間をあんまり使わせるのも申し訳ないから単刀直入に聞くが、世話係が必要か?」
「はい」
そう答えたら、ぽろり、と涙がこぼれた。自分でもびっくりして、慌てて涙をぬぐう。
「あの…気にしないでください」
「気が張ってたんだろ。泣きたいなら泣けばいい。一人で子育てするのって大変だからな。あの能天気な花音ですら、助けて! って泣きついてきたぐらいだし。妊娠したことは教えなかったくせに」
そういえば、友達にも教えてない、と言ってた。
竜太はどっちなんだろう。
父親? それとも友達?
花音は教えてくれないから、一生の謎になる。
だって、竜太には聞けない。そこは、やっぱり踏みこめない。
「どうして知ったんですか?」
「樹が一歳ぐらいのとき、街でばったり会ってさ。あれ、友達の子? って聞いたら、わたしの子よ、って言われて、本気でびびった。その前に、しばらく会えない、元気でね、ってメールが来てて、どうしたんだろう、って不思議に思ってたけど。まさか、黙って子供を産んでるとは思わないだろ」
竜太はなつかしむように目を細めた。
父親じゃないのかもしれない。さすがに、父親だったら、黙ってたことを怒ると思う。それとも、ただ単に知らないのか。
…こうやって竜太が父親かどうか考えるのはやめとこう。答えの出ない問いに意味はない。
「花音はそういうところありますよね」
自分で全部決めて、だれにも頼らない。
「あるある。急に言うんだよ。こっちの都合とか考えずに電話してきて、ねえ、竜太、暇でしょ? わたしと一緒に子供を育てない? って。ありえなくないか?」
楓月はぷっと噴き出して、そのまま大きな声で笑ってしまった。
うん、いかにも花音だね。
「それで引き受けたんですか?」
「そう、暇だからいいよ、って答えた。俺、花音に弱いんだ。頼まれたら、なんでもしてやりたくなる。あいつ、甘えるの下手だろ?」
「そうですね」
いい関係だったんだな。こういう人たちに囲まれてたのなら、花音は幸せだったにちがいない。
「だから、頼むとかじゃなくて命令する感じになるんだけどさ。それでも許されるキャラクターっていうか。あいつも他人のために一生懸命になるから、困ってるときはこっちも助けよう、って。困ってるから手伝って、とかが言えないんだよな。一人でがんばってふんばってどうにかしよう、って思ってる」
「そうなんですよ」
言ってくれれば、いくらでも助けるのに。
もしかしたら、子供の父親にも、迷惑をかけたくない、と思って秘密にしたんだろうか。好きなのに離れて、一人で産んで、そして…。
そこはもう考えてもわからない。正解を教えてくれる人はこの世にいなくなってしまった。
「電話をかけてきてそう言うってことは、あいつなりのSOSだと思ってさ。ここで手を離したらだめだろう、って。だから、半年ほど一緒に子育てした。最初は慣れなくてさ、一人で預かるのとか大丈夫だろうか、とこっちはすごく不安なのに、あいつは、仕事休めないからよろしく! って、俺に任せるんだぞ、一歳児を!」
「え、こういうふうにしてね、とかもなしにですか?」
「さすがにしばらく花音と二人でいろいろできるようにはさせられた。あいつはそんなに無責任じゃない。かといって、ものすごく神経質でもない。あのバランスはすごい」
「わかります」
花音は楓月にも、沐浴できるよね? とどう考えても質問じゃないのに質問形式で聞いてきた。
それはつまり、やれということ。
沐浴の仕方は習ったし、花音はそばで見ていてくれた。それでも、ものすごく怖かった。何かあったらどうしよう、とばかり思っていた。
無事に沐浴が終わったときは、へなへなと腰から崩れたぐらいだ。
そのあとも、ことあるごとにいろんなことをさせられた。花音はきちんと見ていてくれて、アドバイスもしてくれる。
それでも、一人で何かをするというのは怖い。
その恐怖と向き合って、毎回、克服してきた。
いま、樹を一人で育てるのが怖くないのは、あのときの経験があるから。いろいろやらせてくれた花音に感謝している。
たぶん、花音だって怖かったはず。
自分の宝物に何かあったら。
その不安を抱えつつも、楓月を信用してくれた。
「あ、そうか。楓月もおんなじ経験したのか」
「はい。まだ首もすわっていない子のお世話をするのは、本当に怖かったです。だって、ぼくにかかってるじゃないですか。でも、おかげでいまはなんでも大丈夫です。年齢があがるにつれて、そのときどきの新しい怖さがあるでしょうけど、首がすわってるからいいか、みたいな」
支えてないとぐにゃってなる首以上に怖いものは、たぶんない。
「そっか。俺は、花音が仕事から帰ってくるまでの数時間で精根使い果たした。一歳ってはいはいするじゃん? 俺さ、もっと寝てると思ってたんだよ」
「お昼寝はあんまりしないですね。一歳のころは、夜早く寝て、朝遅くに起きて、それで睡眠は十分! みたいな。遊びすぎると、昼間でも電池が切れて、ことん、と寝ちゃいますけど、三十分ぐらいで起きてました」
そういう記憶も、もう薄れていっている。子供の成長はとても早い。何歳のときの何をしていた、とか、あと何年かしたらきれいさっぱり忘れてしまいそう。
いま、これをする。いま、これができる。
それを覚えておくことで精一杯。
「そうなんだよ。で、はいはいしてるのを追ってるとさ、あっという間に時間がたつ。こっちも気が張ってるし、おむつとかも替えなきゃなんないし」
そう、子供と一緒にいるとすぐに時間がたってしまう。
「その日、保育園はだめだったんですか?」
「休日出勤」
「ああ、なるほど」
休日は預けないって決めてたもんね。
「花音ってパワフルだよな。子供産んで一年しかたってないのに、バリバリ働いてた。休日出勤も多くてさ。あのころ、仕事がすごく忙しかったみたいで。やった、お給料増える! って喜んで出社してたな。俺なんて、そのとき無職だったよ」
えっと、これはスルーした方がいいんだろうか。それとも、詳しく聞いた方がいいんだろうか。
「無職っていうか、四月から海外に行くから休養期間ってやつ?」
「あ、そうなんですね。お仕事でですか?」
「仕事っていうか研究かな。一年ほど、あんまり電波の届かないところにいたんだ。日本に帰りたくても帰れないような場所。花音が死んだっていう連絡は入ってきたけど、動けなくて。こんな時期になったけど、ま、花音なら許してくれるだろ」
そう言いつつも、竜太は寂しそうな表情を浮かべる。
「俺、花音とは一生親友でいると思ってた。一生親友だったけど、こういう意味で願ってたわけじゃないんだ。俺らがじいさんばあさんになって、縁側でお茶飲みながら昔話をするような、そういう穏やかな感じがよかった。こういうこともあったな、ああいうこともあったな、って笑い話だけしてさ。二人で笑ってさ。そういう余生だと思ってた」
楓月もそうしたかった。
花音と年を取るまで一緒にいて、小田家は短命って嘘だったよね、って花音と笑い合いたかった。
竜太は花音のことをとても大事に思ってくれている。年を取ってもずっと親友でいると疑ってない。
いい関係だったんだろうな。
それがとても微笑ましい。
「花音は、ごめんね、いなくなっちゃった、って天国で笑ってますよ」
「だよな。花音って、そういうやつだもんな」
「そういう人です」
二人で顔を見合わせて笑った。
どきん。
どうしてか、心臓が跳ねる。しばらく一緒にいたから忘れてたけど、こうやってじっくり見ると、やっぱりすごくかっこいい。
同性すらどきどきさせるって、すごいよね。
「あ、そうだ。花音のことはいいんだよ。楓月は社会人一年目か」
「はい…」
一年目じゃなかったらちがっただろうか。もっと実績を出してたら、暗に辞めろなんて言われなかっただろうか。
どうだろう。会社ってそんな甘いものじゃないのかもしれない。
「辞めろって?」
「辞めろ、じゃなくて、進退を考えてくれ、みたいな…。子供がいるのに早退ばかりして、という理由でクビにするのは、いまは無理なので。ぼくが辞めるように仕向けたいんです」
「有給の範囲なんだよな?」
「有給は花音が亡くなったときに使い切りました」
「え、忌引きあるだろ?」
竜太が首をかしげてる。
「忌引きはお葬式とかしてたらほとんどなくなっちゃいますし、その期間だと樹との保護者手続きができなかったんで。それに、花音が亡くなって、もう本当に呆然としちゃって。樹とも一緒にいたくて。だから、そのときにもらえる有給を全部足しました。新入社員なんで十日しかもらえないんです。でも、こんなに悲しいことも、こんなに落ち込むことも人生でもうないな、って思ったから、自分の心のケアのために全部使うことにしました」
「ってことは、早退したら無給になるのか」
「そうですね。無給なのはしょうがないんですけど、新入社員なのにそんなに早退ばかりされても、とか、休まれても、とかは、やっぱり思われるみたいで。仕事を覚える時期に休んでばっかり、というのも心証が悪いんでしょうね。わかるんです。ぼくだって、自分が逆の立場ならイライラするでしょうし」
「でも、辞めたくないんだ?」
「入りたくて入った会社で、希望の部署にも入れて、仕事は本当に楽しいんです。早めに行って、少しでも迷惑をかけないようにしてるんですけど、やっぱり、早退って目立つじゃないですか」
「まだみんないるのに帰ると、たしかに目立つよな。実際はそんなに回数が多くなくても、何回かで、あいつはまた早退してる、って思われるし」
「そうなんです…」
すみません、お先に失礼します、とあいさつをするたびに、またか、みたいな表情をされる。姉が亡くなって、その忘れ形見を引き取った、ということを知っていて、そのことについては大いに理解してくれていても、それとはまた別の感情が生まれるのはしょうがない。
「それって、俺が半年いたぐらいでどうにかなることか?」
「なるかもしれないですし、ならないかもしれません。でも、半年早退しなくてすんだら、ちょっとは風向きが変わってくれるんじゃないかと」
そこまで言ってから、はっと気がついた。
「でも! 竜太さんに半年もここにいてもらうのは申し訳ないんで! ってうか、半年ってどうしてですか?」
「前回が半年だったから、まあ、半年ぐらいならサポートするのも大丈夫かな、と思って」
「一歳のときよりもパワーアップしてますよ?」
「一歳半でお別れした時点で、すごいパワーアップしてたからな。子供の成長って早いよな」
「ホントに早いんですよ。一歳半のときって言葉はそんなにしゃべってなかったですよね?」
留学から帰ってきて、わ、ちょっとしゃべれるようになってるし歩けてる! ってびっくりしたぐらい。それから一年で、こんなに口が達者になるなんて。
「竜ちゃん、ぐらいはしゃべってた。りゅーたっ! だったけど。それがさ、今日べらべらしゃべってるから、びっくりした。二歳半ってあんなにしゃべれるんだな」
「樹は言葉が早い、って言われました。保育園で年が上の子とも対等にしゃべるみたいで、おもしろがられています。あんまり早いのもよくないんだろうか、と思って検診のときに聞いてみたら、どっちにしろ、いつかはみんなこのぐらいしゃべれるようになるんだから気にしなくていいよ、と言われました。こういうのも個人差があるんですよね。一人で育ててると、その辺もよくわからなくて。花音がいてくれたらな、って毎回思います。花音なら、早くしゃべれるって楽しいね! って笑ってたと思うので」
「あいつはそうだな。楽天家だったからな」
竜太が、ふふっ、と笑った。
「よし、とりあえず、楓月が会社を辞めたくないなら協力する。花音が俺をもっとも必要としてたときにいてやれなかったから」
「もっとも必要としてたときにはいてくださいましたよ?」
花音が助けを求めたとき。
「いや、わたし、もしかしたら早く死んじゃうかもしれないから、そのときには樹のことをよろしくね、って言われてたんだ。よろしくって、楓月みたいに育てるとかじゃなくて、楓月を手助けしてあげて、って。この半年、一人で大変だっただろ」
「そんなこと…」
ないです、とはつづけられなかった。涙があふれて、言葉が出なくなった。
そう、大変だった。
樹はかわいい。手放すつもりなんてない。
花音が楓月を育ててくれたように、楓月だって樹をきちんと大学まで送りだしたい。
だけど、それとはまったくちがうところで、大変だなあ、とずっと思っていた。
一人で子供を育てるのって、こんなに大変なんだ。頼る人がだれもいない。そんな中で気を張って、この半年生きてきた。
風邪すら引けないから、とにかく健康管理に気をつけて、休みの日には樹とべったりで。
ちょっと離れたい。一人になりたい。
そう思うことに罪悪感を抱いていた。
だけど、ほかの親もそういうことを思うと知って、気が楽になった。
ずっと一緒にいるんだもん。いやにもなるわよ。
保育園で仲のいい人たちにそう言われて、気が楽になった。自分だけじゃないんだ、とほっとした。
樹はとてもかわいい。そばにいられるだけいてあげたい。
仕事がしたい。辞めたくはない。
その矛盾した気持ちを抱いていてもいいいんだ、と。
「大丈夫」
ふわり、と体が包まれた。びっくりして顔をあげると、竜太が両手で包みこんでくれている。
「俺がどうにかする。楓月は仕事を辞めなくてもいい。明日、言ってやれ。全部解決したんで、もう早退しません、って。クビにするなら訴えます…は、さすがに言いすぎか」
「言いすぎ…です…っ…」
そこまで言うと、めんどくさい社員として距離を置かれそうだ。
「この半年分を、これから半年で取り返します、って言ってやれ。俺が全面サポートする。花音の愛した二人を、俺が全力で助ける。だから、大丈夫」
「竜太さっ…」
もう涙がとまらない。つぎからつぎへとあふれてくる。
だれかに、そう言ってほしかった。
大丈夫、って、ただ、それだけを。
竜太はそれ以上の言葉をくれた。
全力で助ける、と言ってくれた。
ありがたくて嬉しくて、胸が痛い。
「竜太さっ…ぼく…花音が死んでから…ずっと…ずっと…ずっと…っ…!」
堰を切ったように感情があふれて、楓月は声をあげて泣いた。
「うん、うん」
竜太が楓月の髪を撫でてくれる。
「苦しくて、悲しくて、つらかったな」
こくこくこく、と何度もうなすく。
樹がいるからしっかりしなきゃ。泣いてばかりいられない。笑顔でいないと樹が心配する。
そう思っていた。
本当は、全然立ち直れてないのに。
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