書籍詳細
オメガバースの寵愛レシピ
ISBNコード | 978-4-86669-318-7 |
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サイズ | 文庫本 |
ページ数 | 232ページ |
定価 | 831円(税込) |
発売日 | 2020/08/19 |
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内容紹介
人物紹介
神野柊哉(じんの しゅうや)
オメガでありながら、味覚の鋭さを活かしシェフに抜擢される。28歳。
槇嶋凌(まきしま りょう)
オーナーの孫だが柊哉のレストランで働くことに。25歳アルファ。
立ち読み
駅から歩いて約三分、立地はまずまず。表通りから一筋入っただけで駅前の喧騒は感じさせない、落ち着いた佇まいの中に彼の働く店はあった。
敷地の隣は児童公園で、ちょうど店側に花壇があって、今の季節は紫陽花が見事な花を咲かせている。
その彼の働く店とは、このあたりではちょっとした人気のトラットリア『ヴェーネレ』であり、彼とはこの店のシェフの神野柊哉のことである。
「カルパッチョ、三番テーブル。テリーヌ、十二番」
シェフの声が厨房に響く。次々と通されるオーダーに追われるように、スタッフたちは皿に料理を盛り付けていく。
「もっと焼き目を付けて」
「牛フィレ、まだ? 急いで」
柊哉は厨房全体を見回して、自分も料理を作りながら、周囲に指示を出していく。
「シェフ、ソースの確認を」
スプーンを出されて、味をみる。
「…もうちょっと煮詰めて。そのあと白ワインをスプーン二杯追加」
そう云うと、少し考えて塩を指先でとって加えた。
昨日あたりから鼻と舌が絶好調だ。発情期が始まる一週間前、そのあたりから数日間はなぜかすごく調子が上がる。香辛料の微妙な風味を嗅ぎ分け、舌はいつも以上に敏感に味覚を察知する。
発情期…、そう彼はオメガ型に分類され、男でありながら妊娠が可能というセクシャリティに属する。
オメガだから味覚が鋭いとは限らないが、柊哉は味覚に関する記憶が特殊なくらい発達していて、それが発情期の一週間前から数日間は顕著になる。
アルファが仕切り、圧倒的多数派のベータが回す世の中で、オメガは常に虐げられる。
それでも柊哉は自分の特技を活かして、この職に就けた。
あとで何か云われるのは面倒なので、柊哉は自分がオメガであることを隠さなかった。自分の下で働く厨房の従業員を面接するときには、先ずそのことを云うようにしていた。オメガに対する偏見や差別は実際にあるし、オメガの下では働きたくないと思う人はそれなりにいるのだ。
殆どのベータにとって自分の周囲はベータばかりなので、セクシャリティを意識することはあまりない。アルファは特別な存在だし、オメガのことに興味を持つこともない。
偏見を恐れてオメガであることを隠す者が多いせいで、ベータはオメガの存在を殆ど知らない。ただ、何となく下に見ていて、気の毒な存在だと思っていることが多い。
自分には偏見はないつもりで就職してみたものの、いざオメガの上司の元で働くことになって、何となくおもしろくないと思っているスタッフもいるようだが、それでも表立ってそれを口にするわけではない。
柊哉はオメガにしては背が高い方でベータの平均くらいの身長はあったし、一般的なオメガのイメージであるよく云えば愛らしい、悪く云えば媚びたような、そういう外見の特徴が柊哉には見られなかった。
何よりピルを服用することで発情をほぼ抑えることができていたので、ベータのスタッフたちも彼がオメガであることを意識することもなくなっていた。
柊哉はただシェフとして料理をして、厨房のスタッフを管理する。それが日常だ。
「シェフ、五番のお客様、オーダー変更です」
サービスの中野が慌てて厨房に駆け込んできた。
「え……」
既に食材は火にかけられている。
「あ、間に合わなかった…? 今から断って…」
「いや、いい」
柊哉はすぐに厨房スタッフに指示を出す。
一旦受けたものを後から変更できませんでしたと云うわけにはいかない。客はがっかりするだろうし、それを聞いた隣のテーブルの客だって、店にいい印象は持たないだろう。
「すみません…」
中野が申し訳なさそうに頭を下げる。
「…きみのミスじゃない。気にするな」
素っ気なく返す。それを聞いた中野は、引き攣った顔でもう一度頭を下げた。それを見ていた他のスタッフが彼の肩を叩いて励ましている。
柊哉はフォローしたつもりなのだが、口調が冷たく最低限のことしか云わないせいで、いつも怒っていると思われてしまう。
それも仕方ないことで、柊哉は意図的にそう振る舞っていたのだ。
薄茶の髪と同色の眸はくっきりと印象的で、気を抜くと幼くも見えて、あと二年で三十歳を迎えるようにはとても見えない。
どこか寂しげにも見える表情が、小さく微笑むとふわっと花が咲いたようで、それは本人にそのつもりがなくても、時として男の気を強く惹いてしまうのだ。
身長はさほど低くないものの華奢なせいで小柄に見られてしまう。そのせいもあってこれまで何度か恋愛ごとのトラブルに巻き込まれてしまうことがあった。それにうんざりしていた柊哉は、必要以上に不愛想に振る舞うようになっていった。
なまじ容姿が整っているせいで、無愛想にしているとちょっと近寄りがたい。舐められないように口調も厳しくしていることもあって、スタッフとはまったく馴染めていない。
しかしそのお陰で職場では恋愛対象に見られることもなくなって、柊哉はこのスタイルを貫くことにしていた。
スタッフたちとプライベートの付き合いは一切ないが、ある意味快適だった。きっと裏でオメガのくせにえらそうだとか云っているのであろうことは予想がつくが、それでも柊哉自身が、他のスタッフにどう思われているのかあまり気にしていなかったので、今くらいの距離がある方がいいと思っていた。
「上原、チキンのグリル、頼む」
スーシェフの上原に指示を出すと、次のオーダーを見て手早く食材を準備する。更に新しいオーダーがいくつも入ってきて、厨房は戦場さながらだ。
そんなときに、ホール担当の女性スタッフが浮足立った様子でこそこそ話しているのが柊哉の耳に入った。
「すっごいイケメン。もしかして芸能人じゃない?」
「芸能人がうちの店に来るかな」
「何でもいいわ。あんなイケメン見たことないし。今日、シフト入れててよかったあ」
「絶対アルファだよね。ラフなスーツなんだけど、めちゃ高そうだし」
「え、どこどこ?」
「五番テーブルの…」
さすがに柊哉はじろりと彼女たちを睨む。
それに気づいた三人は慌てて口を噤んで、頭を下げた。
従業員にしか聞こえないとはいえ、客の品定めなどあり得ない。そういうことに柊哉はふだんから厳しい。悪口ではないからといって大目に見ると、そのうち目に余るようになる。
「…十八番にカポナータ」
「イエス、シェフ!」
アルファだよねと云ったスタッフは慌てて皿をとると、そそくさと厨房を出ていった。
その彼女と入れ違いに入ってきた店長は、オーダーを通して柊哉のところまできた。
「シェフ、忙しいところ悪いけど、お客様がシェフと話がしたいと…」
手長エビを鉄板に置いた柊哉の手が止まって、一瞬苛ついたように眉を寄せた。
一番忙しい時間帯で、厨房はやや殺気立っている。テンポよく片付けていかないと客を待たせることになってしまう。そんなときに厨房を離れられるはずないだろう。そんな無言の抗議で柊哉は店長の声を無視した。
店長はその反応を充分予測してたように、軽く肩を竦める。が、それで引き下がるわけにはいかない。
「シェフ、忙しいところ悪いんだけど…」
やや申し訳なさそうに、再度繰り返す。
シェフがホールに出て客に挨拶することはできるだけ遠慮したいと、執拗に訴えてきたこともあって、店長も客の要望があってもたいていの場合は断ってくれるようになった。が、それをわかった上で頼むということは、特別な客なのだろう。
柊哉は軽い溜め息をつくと、ちらっと店長を見た。
「…これ焼けたら行きます」
「助かる! よろしく頼むよ」
店長はほっとした顔で、ホールに戻っていった。
こんな時間帯にシェフを呼べとか、ろくでもない客だと思いつつも、柊哉はそれは顔に表さずにエビの焼き加減を見て、向かいで仕事をしている副シェフに声をかけた。
「上原、盛り付け頼む」
「了解」
上原は手早く自分の担当の皿にソースを添えると、急いで柊哉の代わりに盛り付けを始めた。
柊哉は長いエプロンを外して、壁のフックに引っ掛ける。そしてコックコートのボタンを上まで留めていると、店長が戻ってきた。
「出られる?」
店長の言葉に軽く頷いた。
「どんな客ですか?」
「会社がらみ。坂下さんがよろしくって」
「…ああ」
仕方ないなと軽く溜め息をついて、厨房とホールを仕切るドア横の壁にかかった鏡で、全身チェックした。
あまり知られてないし、ウェブではそこまでの情報は掲載していないが、彼らの会社は二つの店を経営している。従業員たちが便宜上本店と呼ぶ「オガタ」と、この「ヴェーネレ」だ。
本店は特別なレストランだ。オーナーが惚れ込んだ天才シェフの料理を味わいたくて、セレブたちが足しげく通ってくるような店。
メディア露出は一切していないのに、人づてに広まった評判が店をスペシャルな存在に押し上げている。
店を始めて一年足らずで、オーナーの知人でもある上客たちですら思うように予約がとれない状況になってしまって、思い切って価格帯を上げることにした。それでも食べたい客だけが残ればいいと思ってのことだが、予想に反して予約は一向に減らなかった。
更に価格を上げ続けて、それでも食べたいと云う客のためにシェフは腕を振るう。
特別なシェフによる、特別な食材を使った特別なメニュー。そのスペシャル感にゲストは惜しげもなく金を払う。
シェフは心底料理を愛し、最高級の食材と向き合うことを至福としている。
そんな店のシェフが、オーナーの提案で、街の洋食屋さんのような店を作りたいと考えて始めたのが、柊哉が働くこの店だ。
しかし本店のシェフがここの厨房に入ることはない。
シェフはレシピを考案し、サンプルを作るだけだ。それを柊哉が完璧に再現する。
食材はどこででも手に入るものばかりで、本店で扱うものとは別物だ。
毎日でも食べられるような、特別ではない料理。それでも毎日食べたいくらい美味しい料理。家庭のご飯とは違う、プロが作るちょっとだけ手が込んだ料理。
それがこの店のコンセプトだ。
だから本店の客がこの店に来ることは滅多にない。彼らが本店に望むものはここにはないのが明らかだからだ。
それでも、本店の顧客がこの店を訪れることが、たまにある。もちろんただの興味本位で覗きに来るのだ。そして「普通に美味しい」だけの料理に露骨に期待外れの顔をしてみせる。
どうせ今日の客もそうなのだろう、そう思ったが、それでもわざわざマネージャーが予約を入れたのだから、丁重に扱えという意味であることもわかる。
まったく、もの好きが…。
面倒な仕事はさっさと片付けたい。そう思って急ぎ足でホールに出た。
普段着の客も、ちょっとお洒落をしてる客もいて、街の洋食屋よりはいくぶん気取った店ではあるが、気取りすぎてはいない。
夜は公園の花壇に照明を向けるように演出していて、華やかな雰囲気を醸し出している。その風景が一番綺麗に見えるテーブルで、彼らはシェフを待っていた。
「お待たせいたしました」
一礼して顔を上げた。
これは…。
男性三人、女性二人の目立つグループ。柊哉の視線は、一人の男に釘づけになった。
「シェフ、こちら槇嶋様」
店長が、柊哉が釘付けになった男を紹介する。その男はアルファだと一目でわかる人目を引かずにはおかない華やかな容姿で、存在そのものが際立っている。
冴えた目元に綺麗に通った鼻筋のノーブルな容姿だが、ちょっとした表情に色気とクセが見え隠れする。
あまりにも好みの容姿だったため、柊哉はガン見してしまっていた。
「シェフ?」
店長にそっと声をかけられて、はっと我に返った。
「あ、…本日はご来店いただきまして、…ありがとうございます」
ぎこちなく挨拶して、少し目を伏せた。
アルファに会ったことは数えるほどしかないが、心臓がばくばくして落ち着かない。
「わざわざお呼び立てしてすみません」
「い、いえ…」
「思ったより若い方なんですね」
槇嶋は柊哉を見て、にこっと微笑んだ。
自分に向けられた笑顔があまりにも魅力的で、柊哉はくらりとなって目を細める。が、それは顔をしかめたように見えてしまったかもしれない。
「お楽しみいただけてますか?」
柊哉がろくに話せない状態なので、彼に代わって店長が愛想よく続けてくれた。
「ええ。紫陽花が綺麗で…」
は? 柊哉の眉がぴくっと震える。
さっきまでイケメンに動揺していたが、急にスイッチが切り替わった。
レストランに来て、料理ではなく紫陽花を話題にするとは…。わざとじゃないなら、かなりずれてる。
「ほんとに綺麗。あとで写真撮ってもいいですか?」
「もちろん。公園の花壇なんですが、うちも手入れを手伝っているんですよ」
「そうなんですかあ。インスタにお店の名前出してもいいですよね?」
柊哉の眉がぴくっと上がって口を開きかけたが、それより先に店長が申し訳なさそうに頭を下げてくれた。
「すみません、うちの名前はちょっと…。公共の公園なので、それを利用してるみたいに思われるといろいろ問題がありまして…」
「けど、実際利用してますよね」
槇嶋の隣の席の男性が、無邪気に笑いながら悪気なく返す。
また、ぴくりと柊哉の眉が上がる。
「いやまあ、そう云われたらそのとおりなんですけどね」
店長はこういうときの客あしらいがうまい。
「いちおう、照明は役所から許可をもらってはいます。ただ、それで人を集めることになってしまうと、ご近所の手前もあるので…」
「あー、そうなんですかあ」
女性は残念そうに云うと、スマホをテーブルに置いた。
「お店の宣伝になるかなって思ったんだけど…」
「お気遣いありがとうございます。私どもはお食事を楽しんでいただければそれで十分でございますので」
店長はにこやかに返したが、柊哉はかなり苛ついていた。まさかそんな用で呼び出したってのか? この忙しい時間帯に…。
好みのタイプなのにがっかりだ。そう思ったが、がっかりも何もよく考えればもう二度と会うこともない相手なのに、何を云ってるんだろうと内心苦笑する。
「実は、予約の時に云うべきだったんだけど…」
槇嶋がやんわりと店長に話を振る。
「今日、こちらの彼女の誕生日なんですよ。それでデザートのときに何か…」
「インスタ映えするような?」
店長は槇嶋の意図を察知して、女性たちに微笑んでみせる。
ちょっと待て。そんな余裕あるかよ。それに、それを見た他の客が自分たちもとリクエストし始めたらどうするんだよ…。
そう思ったが、店長が懇願するように柊哉を見ているのに気付く。
「…喜んでご用意させていただきます」
答えたものの、さすがに顔は引き攣っていたかもしれない。
一礼すると、店長を残してさっさと彼らのテーブルを離れた。
料理の感想も特になく、デザートのリクエストと花壇を誉めるだけのことにシェフを呼び立てて…。そんなことは店長に云えば済むことじゃないか。
ちょっとホールを見回してみればいい。ぎちぎちの満席だ。いつもより椅子の数を増やしている。スタッフは必死で片付けて次の客を招き入れている。一週間で一番混む日の一番混む時間帯だ。そんなときに人を呼び立てて、しかもスペシャルなデザートだと?
さすがに苛ついて乱暴に厨房のドアを閉めた。
「だからアルファってのは…!」
小声で愚痴る。
「え、何か?」
通りがかったスタッフが慌てて振り返った。
「いや、何でもない」
気持ちを切り替えて、コックコートのボタンを外すと、急いでエプロンを着けた。
「シェフ、確認を」
待っていたように、スタッフの一人がボウルでかき混ぜたソースを差し出す。
「…薄いな」
そう云うと目の前の塩を足して、レモンを搾る。
再度確認して、ゴーサインを出した。やっぱり、舌の調子は良好だ。
「吉田、五番テーブルのドルチェ、一皿だけちょっと豪華にデコレーションしてくれるか。バースデー仕様で」
パティシエではないが、主にドルチェを担当している吉田を呼ぶ。ごつい体型からは想像できないくらい繊細なセンスの持ち主だ。メニューを黒板に書いてくれるのも彼だ。
「クラフティやタルトをカットして…。ソルベとジュレで…適当に…」
「お任せを」
「オレンジのワンピースだったので、できれば合わせて。インスタ映えするやつ」
「映えね、オッケーです」
吉田は指でOKサインを作ると、作業にかかった。
柊哉は自分がいなかったあいだに停滞した流れを、急いで取り戻す。
集中して、いくつもの肉や魚を焼いていく。それぞれ焼き時間が違うのを利用して、次々に皿を完成させていく。そのスピードで彼に敵うスタッフはいない。特別手先が器用なわけではない、むしろ不器用な方だ。ひたすら訓練して腕を上げてきた。すべては努力の賜物だ。
それだけに、苦手なことを苦手なままにしてろくに訓練もしないスタッフには厳しい。
「三番のスズキは?」
「今できる」
柊哉は香草を添えると、カウンターに滑らせた。
「六番、イワシはいつ…」
「きみが戻ってきたときには、できてる」
「了解」
溜まっていたオーダーがある程度流せたので、柊哉はスタッフに食材の残りを確認させると、皿を下げてきた店長に合図した。
「なに?」
「牛フィレは今日の分はもう終了です。次からは断ってください。短角牛の赤身が余裕あるので、そっちお勧めして」
「了解。他には?」
「手長エビもそろそろかな。今日はよく出たんで…」
「んじゃ、黒板消しとくわ」
「よろしく」
「あ、さっきの槇嶋さん、喜んでくれてたよ」
どきっとしたが、顔には出さないで素っ気なく云う。
「…ああ。そりゃよかったです」
「シェフによろしくって」
そうか、もう帰ったんだ。
もう一度、顔だけでも拝みたかったなと思うが、そんな機会はもうないだろうことはわかっていた。
わかっていたのだが…。
「シェフ、改めて紹介するよ。オーナーのお孫さんの槇嶋凌さん。暫くうちの店に研修で入られることになった」
「…は?」
柊哉はまじまじと槇嶋の顔を見た。
オーナーの孫? 初めて聞いたんだけど…。研修ってどういうこと?
「槇嶋です。よろしくお願いします」
柊哉はできるだけ顔に出さないようにしていたが、それでもひたすら戸惑っていた。
研修ってナニ? ココで働く? もしかしたら毎日会える?
「…神野です」
パニクると、よけいに無表情になる。
それでも、心臓は飛び出しそうにどきどきしている。もう一度見たかったこの見事な造形の顔を毎日拝める? ほんとに?
「さっきはどうも。どんな店なのか自分の目で見ておきたくて」
なるほど、そういうことなのか。
「忙しい時間帯だと、店の状態がよくわかるでしょ?」
柊哉の眉がぴくっと震えた。なんだ? 何かの偵察みたい? ちょっと引っ掛かる。
「槇嶋さんは、二年前に大学を卒業されたと…」
え、年下? それも三つも?
「そうです。在学中から友達の会社を手伝ってるんですが、祖父に頼まれて本店で扱ってる食材の一部を通販できるシステムも作っていて…」
「ああ、あれ。好評みたいですね」
「お蔭さまで。ただ今は種類も少ないしすぐに在庫なくなるしで、本店も片手間な感じでやってるだけで。でもそれじゃあもったいないから、もっと本格的なものにして、そのために会社を興したらどうかって…。あ、これオフレコね」
そっとウインクして見せる。
やばい…、カッコよすぎる。柊哉はこういうちょっと軽いナンパな感じに弱い。
「祖父にそれを持ちかけたら、それには店のことを知っておく必要があるからこちらで勉強させてもらうようにと。そんなわけで暫くお世話になります」
やっぱりここで働くらしい。
「あの…、レストランで働いた経験は?」
柊哉は恐る恐る尋ねてみる。ここは確かに街の洋食屋さんがコンセプトだが、それでもファミリーレストランのような接客では困る。
「残念ながら初めてです」
まあそりゃそうだろうなと思う。アルファは普通そういう仕事には就かないものだ。
この店のオーナーは投資家だ。いくつもの会社に投資をして、中には筆頭株主になっている会社もある。その孫が、料理を作ったり出したり、皿を洗ったり床を磨いたり、そういう仕事に就く可能性は低い。
「慣れるまでは僕について、いろいろ覚えてもらおうと思ってる」
店長が横からそう云った。
「ああ、それなら…」
どうやら自分はあまり関係がなさそうだ。
「そうだ。せっかくなので、料理の感想を聞いておきたいな」
店長が悪気なく提案する。柊哉は少し身構えた。
「忌憚ない意見を聞かせてもらえたら…」
その言葉に、槇嶋はちらりと柊哉を見る。
「そうですね…。そんなに悪くなかったと思います。このふた月ほど、ここと同レベルの価格帯のイタリアンを何軒か回ったけど、その中では上位に入るんじゃないかな。ただ、私には少し物足りなかったかな。緒方シェフのレシピでも、彼が作るようにはいかないだろうし、それでもどうしても期待はしちゃうよね」
「……」
柊哉は反論した方がいいのか迷った。ここで出す料理は、本店のシェフである緒方のレシピどおりだ。彼が作ったものを忠実に再現している。それは緒方本人が認めているのだ。柊哉が 十年に満たないキャリアでシェフを任されたのも、その再現力のおかげなのだ。
「とはいえ、世間的には充分だとは思います。私の連れも、少なくとも女性陣は喜んでいましたし」
なんだ、この上から目線は。柊哉は思わず顔を上げた。
「同じなんだけど」
「…は?」
「緒方シェフが作っても同じだと云ってる。文句があるなら彼に云えばいい」
柊哉の反論を予想してなかったのか、槇嶋はまじまじと彼の顔を見る。
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