書籍詳細
箱入りオメガは溺愛される
ISBNコード | 978-4-86669-386-6 |
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サイズ | 文庫本 |
ページ数 | 240ページ |
定価 | 831円(税込) |
発売日 | 2021/04/19 |
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内容紹介
人物紹介
坂藤奏(さかふじ かなた)
真面目で努力家のオメガ。なぜか宇柳に仔猫のように可愛がられて!?
宇柳透(うりゅう とおる)
優秀なイケメン大学講師α。チャラいけど学生から人気。
立ち読み
長い夏休みが終わって後期日程が始まると、構内は学園祭に向けての準備が本格的に始まる。
立て看板ポスターが設置され始め、ライブ出演のアーティストが決まったり、映画祭のプログラムが発表されたり、皆がどこか浮足立っている。
そんな中まだ日差しの強い構内を、木陰を探しながら移動していた坂藤奏が、ある研究棟の前で立ち止まった。
さっきから通り過ぎる学生がちらちら彼を見ていたが、本人はあまり気づいていない。
大きくて目尻が綺麗に切れ上がった印象的な眸に、綺麗に通った鼻筋。長毛種の猫をイメージさせる明るい茶色を帯びたふわふわの髪。典型的なオメガの美形だ。
「あ、ここだ」
わりと最近にできた某メーカー創始者の名前を冠したセンターを横切って、ちょっとガタがきている鉄筋の建物に入った。
ゼミの教授から学内でのボランティアを紹介されて、今日はその初日だった。
「失礼しまーす」
声をかけてドアノブに手をかけると、奏が開けるより先にいきなりドアが開いて、長身の男性が奏の目の前に立ち塞がった。
「わ……」
身長が一七〇センチに届かない奏は、思わず見上げてしまう。
ヴァレンチノの黒のタイトTシャツにレザーパンツ。細身だが肩幅もあって、それなりに鍛えているのが身体にフィットしたシャツごしにわかる。その上、脚がやたら長い。何より、隠し切れないほどのオーラ。
この人、きっとアルファだ。直感的に奏はそう思った。
「おっと、失礼」
彼は奏を見下ろすと、にこっと笑った。
やや長めの前髪が右目にかかって、それを掻き上げる。綺麗なアーモンド形の眸は、柔らかくもシャープにも映り、どこか捉えどころがない。彫りが深く鼻筋の通った整った容姿は、どう控えめに云ってもかなりのイケメン。
「何か?」
「あ、あの、こちらでボランティアを募集していると聞いて…」
緊張すると、いつも声がやや高くなってしまう。そんな奏に、長身の男は申し訳なさそうに頭を掻いた。
「あー、せっかく来てくれたのに申し訳ないけど、高校生のボランティアはお断りしてるんだよね。守秘義務とかいろいろあるから、高校生だと…」
奏は思わずむっとして、それがもろに表情にも出た。
「こ、高校生じゃありません…! 田崎先生のゼミ生です!」
「へ? 田崎先生って、法学部の?」
むっとした顔のまま、奏は小さく頷く。
「ごめんごめん。そういえば、そんなメールきてたな。いやー、可愛いからつい…」
笑いながら部屋の奥に声をかけた。
「島田さん、田崎教授のとこからボランティア来てくれたー。案内したげて」
そして再度奏に向き直った。
「ありがとう。助かるよ、よろしくね」
イケメンはふっと目を細めて奏を見る。
「きみ、仔猫みたいだね」
「は?」
仔猫? なに、この人…。
それって初対面の相手に云うこと? 思わず眉を寄せてしまう。
「あ、むくれた顔も可愛いんだ。ますます仔猫っぽい」
それって、オメガだって云いたいの? だったらそう云えばいいじゃん。なんか失礼。
奏は確かにオメガだが、べつに引け目は感じてない。オメガだからといってみんなアルファの云いなりになるわけじゃないからと、彼はいつも思っている。
「こんな可愛い子がボランティアに来てくれるなんて、ラッキーだね。田崎さんにお礼云わないと」
ふふふと唇に笑みを浮かべると、ひらひらと手を振って部屋を出ていった。
なんなの…、チャラすぎる…。院生かな。こういうマニアックなラボではあまり見かけないタイプだ。
そもそもあのTシャツ、十万近くするんじゃないのかな。学生の身でヴァレンチノのシャツだなんて、ちょっとヤな感じ。
ついつい眉を寄せてしまうが、そういう奏のシャツだってグッチだ。ワードローブに入りきらないほどの服は、その殆どは母か姉が選んだハイブランドという箱入り具合。
実家がそこそこ裕福なので、奏は恵まれた環境で育った。実家から通えなくもないのに、通学に時間がかかるからと一人暮らしをしている。駅に近いセキュリティ完備の2DKのマンションは、学生の身分としてはそれなりに贅沢だ。
偏見まるだしでオメガを見下すアルファなんか相手にしないし、可愛いと云われたくらいで誉められてるなんて勘違いすることもない。
「坂藤くんね。田崎先生から連絡いただいてます」
微笑みながら自分の方に歩いてくる女性に、奏は一礼した。
「坂藤です。よろしくお願いします。…あの、山上教授は…」
「秘書の島田です。山上先生は海外出張中で、今の責任者は宇柳先生です」
「そうですか。では、宇柳先生にご挨拶した方が…」
奏が控えめに提案すると、島田はにっこりと笑った。
「貴方がさっき話していたのが宇柳先生です」
「え……」
あのチャラけた人が責任者…? それじゃあ院生じゃなくて講師か助教ってこと? ってことは、ああ見えて実はけっこう年齢がいってるとか…。
そんなことを考えていると、島田が他の学生たちに奏を紹介してくれた。
「ボランティアで手伝ってくれる坂藤くんです」
「わー、可愛い」
「顔、ちっちゃ!」
「なんなの、色白いし、睫毛長いし。女子より可愛いの、なんで?」
さっきまでパソコンに向かっていた数人の女子が、一斉に声を上げる。男子学生も、声に出さないまでもチラチラ奏を見ていた。
こういう反応は初めてではないので慣れてはいるが、それでもいつもどう対応すればいいのかわからず、結果黙殺することになる。
「早瀬くん、坂藤くんに説明してあげてくれる?」
島田が一人の研究員を指した。
「あ、はい。ちょっと待って…」
早瀬は散らかった資料を移動させて、奏のために場所を空けた。
奏はお礼を云って席に着く。それを部屋中の人が見ていて、何とも居心地が悪い。
それに気づいた早瀬が、呆れたように溜め息交じりに注意をしてくれた。
「…いつまで見てんの。作業に戻れば?」
早瀬に云われて、皆慌ててパソコンに向き直った。
「んじゃ…、これ使うか」
モバイルパソコンを起動させると、奏の前に置いて説明を始める。
作業内容は専門知識は不要なもので、奏はこれなら問題ないなと思いながらも、聞き逃さないように注意深く耳を傾けた。
「これって、全部手作業なんですね」
「そう。上がってくるデータがバラバラでね。しかも、うちにデータが流れてくるわけじゃなくて、それぞれの市町村が発表したものをこっちで取り込んでる状態だから…」
「そうなんですか…」
「これまでこれで何とかなってたから、市町村任せだったんだよね。データをファックスで送ってくるようなとこもあったりで…」
アナログすぎて驚くが、だからこそボランティアが必要になっているわけだ。
「あと、ここでの情報は守秘義務があるので、拡散禁止ね」
「あ、はい。田崎教授からも聞いています」
「念のためだけど、よく読んであとでサインしておいてもらえる? 無償ボランティアなのにいろいろうるさくてごめんね」
「いえ…」
注意書きには、丁寧に守秘義務に関しての説明があった。情報を扱う上では当たり前のことだが、そのへんの認識が甘い学生が案外多いので、たとえボランティアでも教員の紹介がある者に限っているようだ。
他学部の研究室に興味があったし、アルバイトをしたことがない奏にとってボランティア活動は就活の履歴書で課外活動として使えるので、悪くない話だと思っていた。
「あと、電話は他の人がとるから、きみはとりあえず入力を頑張ってくれたら…」
「了解です」
奏は、早速指示された作業を開始する。
単調な作業なので、何とか効率化できないか考えながら入力するが、たぶんここにいる人たちは数字に関しては自分よりずっと優秀で、そんなことはとっくに考えた末にこの方法をとらざるを得ないのだろうなと思いつつ、淡々と作業を続けた。
研究室内は雑然としていて、ひたすらパソコンに向かっている学生もいるが、データの活用法を相談し合ったりもしている。
会話の概要は理解できても、詳細は残念ながら奏は畑違いでついていけない。
「すみません。これ、続きどこですか?」
一段落ついた奏は、グラフを作成中の早瀬に確認する。
「え、こっち全部終わった?」
「…ここまでですよね」
「そう。…きみ、作業速いねえ」
感心するように云われて、ちょっと照れてしまう。
「タイプミスもあると思うんですけど、あとでまとめて確認するつもりです」
「助かるよー。すごい戦力かも」
「いえ、そんな…」
誉められたせいで、奏の雰囲気が一気に柔らかくなる。
容姿を誉められても反応に困るだけだが、頑張ったことを誉められると素直に嬉しい。
努力して綺麗になった容姿ならともかく、自分では何もしてないところを評価されても反応のしようがない。それが奏の正直なところだ。
オメガ独特の彼の雰囲気は実に愛くるしく、それでいて勝ち気そうなくっきりした眸が印象的で、顔が才能ともいえる完成度だった。しかし本人は顔だけと云われるのが嫌で、小さい頃から勉強もスポーツも人一倍頑張ってきた。
スポーツは体格でどうしようもないことはあるが、技術や頭脳で補える部分は意外に多い。それに運動能力そのものも努力の方向が正しければ必ず伸ばせる。奏はそうやって諦めずに自分でできる努力は続けていたし、高校卒業するまでは合気道の道場にも通っていた。
そんな奏のよきお手本は歳の離れた姉だ。彼女は今は研修医として多忙な日々を送っているが、スポーツも万能で高校時代に剣道で全国大会にも出場している。
姉は幼少の頃から抜きん出て優秀だったが、それに加えてたいそうな努力家だった。奏はそんな姉を心から尊敬し、ずっと彼女を目標にしてきた。
両親も姉もアルファだが、オメガの奏を差別することなど一切なく、少しでも姉に近づこうと頑張る奏をいつも応援してくれた。奏は彼らから溢れるほどの愛情を与えられていることを疑ったことはない。
小学校の頃から通っていた学園は周辺の公立校と比べるとアルファの割合がかなり高かったが、それでもそのアルファたちですら一目置く従兄弟たちが目を光らせてくれていて、オメガだからといって奏は危険な目に遭ったことはなかった。
それでも理不尽な仕打ちを受けているオメガが多くいることは知っているし、彼自身油断をしているわけではない。
自分が恵まれた環境にいることは自覚していたが、それに甘んじているわけでもないという自負はあったのだ。
そんなわけで、どんな場面でも手を抜かず全力投球を常に心がけていた。いつもそれだと疲れてしまうと思う人もいるが、自分の枠を広げるには限界を少し超える想定をしていくことも大事なのだ。
「お疲れさまー。宇柳先生から差し入れでーす」
段ボールを抱えて入ってきた二人の学生が、それをテーブルにどかっと置いた。
中にはちょっと可愛くラッピングされたお菓子と、サンドイッチやベーグルなんかがいっぱい詰まっていた。
「わー、さすが宇柳先生、気が利く」
「これフラットのサンドイッチじゃん。うれしー、こういうの買いに行く時間もないからなー」
皆が段ボール箱に群がる。
「ベーグルも四分の一にカットしてある。お店に頼んでくれたのかな」
「宇柳先生、こういうとこ気が回るんだよね」
フラットは母がお気に入りで奏もときどき買いに行くが、セレブ向けのベーカリーで、客用駐車場にはいつも高級外車が停まっている。
卵サンドひとつとっても、自家製のマヨネーズで和えた卵サラダには細かく刻んだベーコンやピクルス、それにオリーブが入っている、手間のかかったものだ。
「坂藤くんも遠慮しないで、どうぞ」
声をかけてもらって、奏はお礼を云って残ったサンドイッチの中からひとつを取った。
島田が淹れてくれたコーヒーが、紙コップで回ってきた。
「ああ、沁みるぅ。ここ暫く、学食とコンビニ飯しか食べてないし…。こういうときに、ちょっとお洒落な差し入れされたら頑張っちゃうよね」
「そういうとこ、ほんとうまい。あれはモテるわ」
ああ、確かにそんな感じだな。チャラけてて、女子の好みとかも熟知してて、いかにももてそうな…。
「できすぎだよね。アルファで実家も太くて、あれだけのイケメンで、しかも二十代で講師だもん」
「え…!」
奏はサンドイッチを持ったまま思わず声を上げてしまって、全員の注目を浴びてしまった。
「それは何に対する『え?』なのかな?」
「…あの、…二十代ってとこが…」
「逆にいくつに見えた?」
「…二十代後半に見えて、実はアラフォーとか……」
奏の素直な感想にみんなが爆笑した。
「そうなんだよねえ。忘れてるときあるけど、私らとそんなに歳変わらなかったりする」
「宇柳センセ、なんか時間軸間違ってるっぽいとこあるよね」
「今二十八だっけ?」
「化け物的だもんね、いろいろと」
講師の平均年齢は四十代だ。三十前だと研究員がせいぜいだろう。そこから助教、講師とステップアップしていく。
「確か大学入って一年もたたないうちに留学しちゃって、そのままずっと海外行ったきりだったのを、三年前に山上教授が講師のポストが空いてるからって強引に呼び戻したのよね」
三年前…ということは講師になったのは二十五歳…。日本で大学生活を送っていたら叶わないことだろう。
そもそもが日本ではアカデミアのポストが限られていて、研究員になれたところで一年契約で先の見通しもない。研究職には冷淡な国なのである。
高度成長期には技術大国をめざすべく、教育には相応の予算を突っ込んできたはずだ。日本人がノーベル賞をとれるのもそうした政策のおかげだったのに、今は若い研究者を育てる気配が微塵もない。それもこれも財務省のコストダウン至上主義が…という話はさておき。
「ポストは、空いたっていうか空けたらしいけど」
「頭脳流出阻止って感じ」
山上教授は国内ではこの分野の第一人者と聞いているが、その教授にそこまで信頼されているとは、相当優秀な人なんだろうと奏は推察する。
「宇柳先生自身もいつかは戻ってくるつもりだったみたいだけど、とりあえずは自由に研究できるだけの実績を積んでからって思ってたらしいね」
「チャラチャラ見えて、けっこう志高いし」
「…僕にとっては先生が来てくれてラッキーだったよ。留学するかどうするか迷ってたときだったから」
早瀬もぼそりと呟いた。
「だよね。ぶっちゃけ留学した方が生活は楽になるんだよね。学費かからないし、留学先が生活費の面倒も見てくれるとこも多いから。けど、環境変えるのって簡単じゃないし」
「鬱になって帰国した先輩の話とか聞くとね…」
他の面子も黙って頷いている。
「宇柳先生、厳しいけど、面倒見もいいし」
「あの人、山上教授よか教えるのうまい。めちゃ厳しいけど」
彼らによれば、山上は有能な若い研究者を探し出してスカウトする役目、それを宇柳が育てるということらしい。さっきのチャラけた感じからは想像もつかない。
「とにかく、論文出せ、いつまでに書けって、プレッシャー凄いし」
「データ集まったらすぐに解析して、すぐに論文出せって」
「よそのラボに負けるぞ。先越されたら、ボツにするしかなくなるぞって」
奏は意外そうに彼らの話を聞いていたが、学生にはずいぶんと好かれているようだ。
それを聞くうちに、奏の中で宇柳のポイントがどんどん溜まっていく。
アカデミアの世界で実績を積むことはそれほど簡単じゃない。地方の高校だと神童扱いされたような学生でも、ランクの高い大学に入るとたいていはその他大勢だ。その中で更に篩い落とされて、学問で闘っていける少数が研究室に残っている。希望だけで大学院に進学しても過酷な現実についていけずに、自ら悟ってやめていく。その中でポストを得ることがどれほど大変なことか。
宇柳は、そうした知的エリートたちをあっさりとぶっちぎれるだけの才能を持っているということだ。それに加えて、あの外見。
神様は本当に不公平だなあと、奏はつい溜め息を漏らしてしまう。
しかし逆にあの容姿もあって、最初から化け物級すぎて闘える相手じゃないと誰も嫉妬する気が起こらないのかもしれない。
なんだか、短い時間で宇柳の情報でお腹いっぱいだ。
その後も集中して作業をしていたが、気づいたらとっくに九時を回っていた。
「坂藤くん、どうせ終わらないから、適当なところで切り上げて」
早瀬に云われて、奏はほっと息をついた。
我ながらけっこう頑張ったので、少し目が疲れてきている。キリのいいところで終わらせると、帰り支度をして席を立った。
「お先に失礼します。お疲れさまです」
ぺこりと一礼する。
「ご苦労さま。ありがとう」
「ほんとに助かった。懲りずにまた来てね」
彼らの声に見送られて廊下に出ると、向こうから長身の男性が歩いてくるのが見えた。
宇柳先生だ…。離れていてもすぐにわかった。
長身ってだけじゃなくて、全体の雰囲気がカッコいい。姿勢がよくて、歩き方がどこか優雅というか…。しかもあの頭の中はとんでもなく複雑なつくりになっているんだと思うと、ドキドキしてきた。
宇柳は奏に気づくと、軽く片手を挙げた。
「あれ、坂藤くんだっけ? 今までいてくれてたんだ。お疲れ」
「…お疲れさまです」
軽く頭を下げる。そして思い出したように顔を上げた。
「あ、差し入れご馳走さまでした」
「ああ、美味しかったでしょ?」
にこっと笑う顔がやはりイケメンで、奏はちょっと動揺していた。
「…はい。母の好きなお店で…」
「へえ、お母さんが」
そう云ったときの目が優しそうに細められる。
やば…、なんか、この人…。
「明日も来てくれる?」
なんだろ、この甘い誘い方…。不思議な吸引力。
「あ、はい…」
「よかった。今度お礼にご馳走しなきゃね」
「い、いえ……」
慌てて首を振った。もしかしたら顔が赤くなっていたかもしれない。
そんな奏を見た宇柳の表情が更に柔らかくなって…、その途端、奏は微かな匂いを感じると同時に、何かが刺さったみたいな、妙な違和感を覚えた。
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