書籍詳細
王弟殿下は転生者を溺愛する
ISBNコード | 978-4-86669-541-9 |
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サイズ | 文庫本 |
ページ数 | 248ページ |
定価 | 836円(税込) |
発売日 | 2022/12/16 |
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電子配信書店
内容紹介
人物紹介
海老沢大志/リオン
異世界転生した会社員。侯爵令息の文官として王城へ出仕すると、王弟殿下に執着されて!?
オリハルト
王弟殿下。遊び人と噂され、愛人もいるといわれているけど!?
立ち読み
あの日のことはよく覚えている。
会社の同僚の結婚が決まって、みんなで飲みに行った夜だった。
「実は、彼女オタクだったんだ……」
結婚が決まって幸せいっぱいのはずだった早川(はやかわ)が突然告白した。
「美人だし、可愛いんだけど、アニオタで。結婚前にどうしても伝えたいことがあるからって言われて彼女の部屋に行ったらアニメのポスターとか貼ってあって。好きなキャラの祭壇とかってグッズ飾った棚とかもあって。このまま結婚していいのかなって……」
「いいんじゃないか?」
俺が言うと、早川は掴み掛かってきた。
「お前、他人事だと思って」
「いや、他人事じゃないから」
「はあ?」
「俺の姉貴、三人ともオタクだ。しかも腐女子だ」
「腐女子?」
「男と男を無理やりカップリングして浸るオタク女子のことだ。一番上の姉貴はこじらせてアニメのキャラだけでなく、勤めてる会社の社員とか電車で見かけた学生もカップリングする。でも結婚して子供もいるぞ」
「海老沢(えびさわ)の姉さんって、前書類届けに来てくれた美人?」
「あれ二番目」
「この間一緒にメシ食ってたのも姉貴だって言ってたよな?」
「あれ三番目」
「みんな凄い美人なのにオタクなのか?」
「そう」
なんでみんなそんなに驚くのか。
今時オタクも腐女子も珍しくないだろうに。
「じゃ、海老沢、オタクの家族として早川にアドバイスあるか?」
「金を際限なく使うから、先に限度額を決めた方がいい。乙女ゲームとかBL本とか買いに行かされるから嫌なら先に宣言しとくといい。二・五次元の舞台に付き合わされる時は転売ヤーに間違われないために恥ずかしくてもグッズを身につけておくといい。推しキャラを悪く言うとメシ抜かれる」
訊かれたので答えると、皆ポカンとした顔をした。
「わかんない単語が……」
早川はそう言ったが、前田(まえだ)はちょっと考えてから納得した顔をした。
「俺、少しわかる。スマホのゲームで課金するし、グッズもつい買っちゃったから」
「あー、スマホゲーム。それならわかる」
田中(たなか)もパッと顔を輝かせて頷く。
「早川、考えようによっちゃ浮気の心配がなくていいかもしれないぞ。なんせ相手は紙の中、画面な中だ。どんなに惚れても手も握れない。アイドルのおっかけと思えばいいんだよ」
田中の言葉に、俺は心の中でそんなに簡単じゃないけどな、と思ったが口にはしなかった。
一番上の姉貴は子供ができてオタク卒業近く、趣味は趣味と分けられるようになってるが、二番目は週末だけでなく会社帰りにも舞台の遠征と言って地方に出掛けている。前の恋人ともそれが理由で別れていた。
三番目は腐女子で、先日も俺に友人を連れてきてイチャイチャしてくれという無理難題を押し付けてきた。
姉貴のメガネに適(かな)う美形の友人はいない、と言って諦めてもらったが。
真面目な早川には、そういう生活は辛いだろうな。
だが他人の恋愛に口は出せない。
三人は暫(しばら)く自分達の好きなアイドルや恋愛経験について盛り上がっていたので、俺は静かに酒を飲んでいた。
他人が盛り上がるのは嫌じゃないが、自分から入っていくのは苦手だったので。
「そういえば、海老沢は彼女とかいないよな?」
会話が一区切りついたところで、矛先がこちらへ向いた。
「いない」
正直に答えると、三人は揃ってため息をついた。
「顔はいいんだよな」
「性格もいい」
「男として優良物件なハズなのに、ホント、海老沢って残念だよな」
「残念言うな」
ムッとして睨んだが、彼等は笑っただけだった。
「海老沢はさ、口が悪いんだよ」
「そうそう。女の子にも『その化粧似合わないですよ』って平気で言うし」
「差し入れもらっても、『今腹減ってないです』って返しちゃうし」
「顔がいいからって近づいて来る女の子達が、みんな『海老沢さんって感じ悪い』って言って去ってくんだよな」
三人は同時に笑った。
姉貴がいると、一々気を遣ってるのが面倒になるだけだ。
一つ甘い顔をすると付け上がるってことを知ってる。何かを受け取るとお礼はどうしたと言われることも。
それが嫌だというわけじゃない。姉貴達のことは好きだ。
でも甘い顔はしないと決めている。
そして今、イジられてはいるが、こいつ等が俺を嫌っていないこともわかってる。
「でもお前、男にはウケがいい」
「正直だし、サバサバしてるし、カッコつけないから。俺も海老沢好き。この間残業の時、差し入れのおにぎり買ってきてくれたんだぜ」
「俺も。間違えて甘いコーヒー買った時、黙ってブラック買って取り替えてくれたから胸キュンよ」
「部下の提案をことごとく却下してはくだらないことを言うなと言った課長に、新しい提案がなければ会社が成長しないでしょうと啖呵(たんか)を切った」
「ついでに言いなりだったヤツにも説教してたけどな」
働く人間をねぎらうのは当たり前だし、俺は甘い物も飲めるから交換してもいいと思っただけだ。
理不尽な押さえ付けも、それに抵抗しない人間も気に入らないのはただの性格だ。
「これでゲイだったらモテてるって言うんだろうけど、そうじゃないから無駄モテだよな」
「何だよ、無駄モテって。俺は男も女も関係ない。誰にも普通に接してるだけだ」
「わかってるって、そういうフラットなとこがいいんだよ。口が悪いのも、素直なのと気に入った人間にはアドバイスしたくなるからだろ? そこをわかってくれる彼女ができるといいな。好みのタイプとかないのか?」
「自分に出来ることは精一杯努力する人、真面目だけどやってますアピールしない人、浮気しない人。俺のことより、田中は受付の彼女に早く告白した方がいいぞ。津田(つだ)商事の営業マンがお茶に誘ってるみたいだから」
「マジかよ!」
「マジ」
「ガンバレ田中」
楽しい飲み会だった。
いつもの通りの。
いい感じに酔ったけど、自分の足で歩ける程度の酔いだった。
ワリカンで会計して、四人で駅に向かっている途中、早川が前から来た学生らしい酔っ払いにぶつかられた。
頭の中を過(よぎ)ったのは、結婚直前の早川に怪我をさせてはいけないということだったので、思わず車道によろけた早川の腕を取って引っ張った。
自分も酔っていて力が入らないということを忘れて。
反動で、自分が車道に倒れ込み、目の前がパアッと明るくなった。
あ、これ車のヘッドライトだわ、マズイや。
そう思ったのが最後だった。
衝撃は感じたけれど、痛みはなかった。横たわる身体が濡れてゆくのだけはわかった。まるで雨に打たれたように。血が、自分を濡らしていたのかも。
最期に聞いたのは、友人達が俺を呼ぶ声だと思う。
「しっかりしろ! 大志(たいし)!」
「海老沢!」
ここで、俺の人生は暗転した……。
目を開けると、そこには金髪の美女が泣きながら俺を見つめていた。
「リオン!」
彼女はそう叫ぶと、突然俺に覆いかぶさった。
え? 何? 姉貴がついにコスプレに手を出した?
いつもの顔とは違うけど、カツラにカラコンで化粧を頑張ったらこれくらいには変身できるのかも。
「お嬢様、リオン様はお身体を痛めてらっしゃるかもしれませんから、そう強く抱き着いてはいけません」
落ち着いた男性の声。
そちらに目をやると、見知らぬ老人が彼女の肩に手を掛け、俺から離れるように促す。
「あ……、あなたが鈍臭いのがいけないんだから。あのくらいで階段から落ちるなんて、男として恥ずかしいわよ」
べそべそに泣きながらそう言う女性の顔を見直すと、どう見ても姉貴の顔ではなかった。
だが覚えがないわけでもないような気がする。
「リオン様、どこか痛むところはありますかな?」
老人が訊きながら俺を覗き込む。
「リオンって誰?」
「あなたのことですよ?」
「俺? 俺は海老沢大志ですけど」
答えるなり、老人の顔が歪む。
「ここ、病院ですか?」
「いいえ、あなたのお部屋です」
「俺の部屋?」
言われて辺りを見回す。
……ここが俺の部屋? 大きなベッドにツタの柄のクリーム色の壁紙、天井は高く、広い部屋には俺から離された女性の座る応接セットが置かれている。
俺の部屋はベッドとデスクが置かれた六畳間のはずだけど。
「お姉様に抱き着かれて階段から落ちたのは覚えてらっしゃいますか?」
「姉さん? いや、早川を引っ張って車に轢(ひ)かれたんじゃ……」
老人は小さく頭を振った。
「アリシア様。すぐに侯爵(こうしゃく)様をお呼びください。どうやらリオン様は頭を打たれて混乱してらっしゃるようです」
「リオン!」
金髪美女が座っていた椅子から立ち上がり、再び俺に飛びつこうとして我慢する。
「ハナ、すぐにお父様に人を遣わして」
「かしこまりました」
「ロンダンも呼んで」
「はい」
命じられた、今まで視界の外にいた女性がドアから飛び出して行く。
なんで彼女はメイド服なんだ?
いや、じっくり見ると、俺に抱き着いた女性もドレスを着てる。
やっぱりコスプレ?
「リオン様。私は医師のメルカードと申します。あなたがお小さい頃からあなたを診てきた医師ですが、覚えていらっしゃいますか?」
「いいえ。俺の掛かり付け医は小林(こばやし)先生です」
「あなたがクレアージュ侯爵家の次男、リオン・クレアージュ様だということは?」
「俺は海老沢家の長男、海老沢大志です」
「あちらの令嬢がお姉様のアリシア様だということは?」
「俺に姉はいますけど、彼女ではありません」
「……そうですか」
何を言ってるんだろう、この人は。
俺に芝居でもさせようというんだろうか?
だがふざけているようには見えなかった。
俺が姉は彼女ではないと言った瞬間、ドレスをぎゅっと握り締めたまま、アリシアと呼ばれた女性がポロポロと泣き出したから。
「私の……、せいだわ……」
「お嬢様、落ち着いてください」
「私が小突いたりしなければ、リオンは……」
マズイ。
何だかわからないけれど、俺はここでは海老沢大志ではなくリオンを演じなければならないみたいだ。
だがどうやって?
困惑していると、ドアがノックされ、いかにも執事という感じの男性が入ってきた。
「メルカード先生。リオン様のご様子がおかしいと伺いましたが、何か?」
「ああ、ロンダン。アリシア様を別室にお連れして。興奮してらっしゃるようだから、メイドを付けるように」
「かしこまりました。お嬢様、さ、こちらへ」
「リオンの側(そば)にいるわ」
「今はお医者様にお任せいたしましょう。さ、どうぞ」
執事だと思われる男性は、彼女を支えて部屋を出て行った。
俺は横たわったまま、深呼吸した。
「メルカード先生でしたね」
「はい」
「俺がリオンという人だと、みんな信じてるんですか?」
メルカード医師は困惑した顔のまま頷いた。
「それ以外のどなたでもありません。ですが、あなたは違うと思われてるんですね?」
「はい。よければ、状況を説明していただけませんか? 俺には納得できない状態なので」
「目眩(め まい)や吐き気はないのですね?」
「ありません。身体の痛みもありません」
「意識もはっきりしてらっしゃるようですし、口も動く。わかりました、ではあなたについてお話ししましょう」
メルカード医師は椅子を持ってきて俺の枕元に座ると、ゆっくりとした口調で説明してくれた。
彼によると、俺はクレアージュ侯爵家の次男で、ここはクレアージュ侯爵邸の俺の寝室。
先ほど泣いていた女性は俺の姉のアリシア・クレアージュ。
彼女が階段を下りている途中の俺を驚かそうと抱き着いたら、バランスを崩し、彼女が落ちかけたところを俺が代わりに頭から落ちてしまったそうだ。
とはいえ、さほど高い位置ではなかったので怪我はなく、ただ意識を失っているだけだと思っていたのに、目が覚めたら突然この状態になったらしい。
アリシアと会話をしているところも、彼女が階段で抱き着いたところも、近くにいた使用人が見ていた。
寝室に運んだのも使用人なので、どこかで他人と入れ替わったということはない。
何より、今の俺の外見はリオンそのもの。だから俺がリオンなのは間違いないそうだ。
言われて鏡を見せてもらったら、そこに映し出されたのはボサボサの黒髪に青い瞳の青年で、確かに海老沢大志ではなかった。
ここまできて、俺はやっと一つの可能性を考えた。
異世界転生。
昨今流行の、死んだら違う世界に生まれ変わっていた、というヤツだ。
俺は、どうやら早川を庇(かば)った時に死んだらしい。そしてこの世界に生まれた。もちろん、全てを忘れて。
ところが、階段から落ちて頭を打った瞬間に、前世の記憶を思い出したというわけだ。
俺はメルカード医師に、わかりやすくその考えを説明した。
医師は俄(にわか)には信じ難いという顔で何度も質問してきたが、やがて何とか理解してくれたようだった。
「つまり、リオン様は生まれる前の記憶を持っている、ということですな?」
「多分そうなんだと思います。俺が覚えている世界はこことは全く違います。俺の記憶が想像や妄想なら穴があると思うんですが、生まれた時から死ぬまでのことをちゃんと全て言える。一方、この身体がリオンのものだというのは間違いないようですが、俺には今のところリオンの記憶は殆(ほとん)どない」
「殆ど?」
「アリシアが姉だと言われると、何となくそうなのかな、と思わないでもないです。顔に見覚えがある気もするし」
「ふむ……。記憶のフタが開いて、今は流出してきた前世の記憶が優先されているが、そのうち今のことも思い出すかもしれないということかな?」
「可能性はあるかもしれません。でも俺は医者ではないのではっきりとは……」
そんなことを話していると、ドアが勢いよく開いて、今度は二人の男性と一人の女性が飛び込んで来た。
男性は中年と年かさの青年、どちらも金髪。女性は中年と呼ぶには若く美しい黒髪。
「リオン!」
三人は異口同音(いくどうおん)にその名を呼んだ。
うん、これは絶対リオンの両親と兄貴だな。
駆け寄ろうとした三人をメルカード医師が手で制した。
「皆様にお話ししなければならないことがございます。どうぞ落ち着かれてください」
たった今、俺の話に理解を示してくれた医師が彼等との間に入って、落ち着いた様子で語り始めた。
「それでは、ご子息の状態について説明させていただきます」
新しい『俺』の名前は、リオン・クレアージュ。
侯爵家の次男で、二十歳になったばかり。
十八で貴族の通う学院を卒業し、文官として城で働いている。
次男なので侯爵家は継げないが、結婚したら母方の傍系で跡取りのいない子爵(ししゃく)位を継ぐことができるらしい。
家族は両親と兄と姉がいて、父は財務大臣、母の実家は公爵(こうしゃく)家。
兄のリカルドは五つ年上でクレアージュ家の跡取りとして父の補佐に付いていて、既に侯爵令嬢と婚約済み。姉は一つ上でこの国の王の婚約者。俺は今のところ婚約者はいない。
父親と兄と姉は金髪、母親と俺は黒髪で、全員が美しい青い瞳を持っている。
身内のことを言うのは何だが、全員『超』が付くほど美形だった。
だが俺は、何故かボサボサの髪で必要のない伊達メガネを掛けていた。
つまり、俺は名門中の名門の貴族の家におけるみそっかすらしい。
だが家族に愛されているとは思う。
全員がちゃんと俺のことを心配してくれていたから。
そんな彼等に、メルカード医師はこう説明した。
俺は階段から落ちて頭を打ったが、思考は正常、身体に多少の打ち身はあるが大きな怪我はない。
けれど頭を打ったせいで前世の記憶を思い出し、現在はその記憶の方がリオンの記憶より優先されている。
前世のリオン(俺のことだが)は、大変利発で混乱も見られない。なのでここでリオンとして生活していればやがて元に戻る可能性が高い。
思い出さなくても学習してゆくだろう。
なのでこれからの生活に支障はないと思うが、暫くは自宅で安静にしているのがいい。
城に出仕するのは日常生活がきちんと送れるまで待った方がいい。
そしてこのことは家族内だけの秘密にすることをお勧めする、とも言われた。
医師自身、この説明が正しいかどうか判断が付きかねる。もし『自分は前世の記憶が』などと言い出したら、彼(俺だ)の出世に拘わるかもしれない。
まずは時間をかけて、彼がリオンとして生活できることを確認してから、事故で記憶が曖昧になっているという体(てい)で送り出すのがよろしいでしょう。
……ということに落ち着いた。
家族は納得しかねるようだったが、俺があまりにも以前のリオンと違うので、納得するしかないと諦めた。
そこで俺の新しい生活は勉強から始まった。
語学には問題はなく、文字も読めた。これが転生チートなのか、リオンの記憶なのかはわからないが。
国の歴史や人間関係の記憶はないから家庭教師として姉のアリシアが付いてくれた。きっと自分のせいで弟がおかしくなったという罪悪感があるのだろう。
ただ、このアリシア。ツンデレ系で、何かというと『あんたなんか』と言う。そのくせ、ちょっと頭が痛いと言うとおろおろするので、可愛いと思っておこう。
マナーの教師もアリシアだった。
ダンスは貴族の子息として必須なのだが、これも記憶がないので一からレッスンだ。
運動神経は悪くなかったのでこのダンスと乗馬は何とかなった。
楽器は、リオンは全くだったが、俺は姉貴に付き合って小学生の頃ピアノを習っていたので、驚かれた。
やっぱり執事だったロンダンによると、リオンはあまり身体が丈夫な方ではなく、内向的な性格だったらしい。
確かに、乗馬の後には酷(ひど)く疲れてしまう。
俺は運動神経もよく、丈夫な方だったので、ここは自分でストレッチやマラソン等、無理ない程度にトレーニングを入れた。
一カ月もすると、ぼんやりとではあったが、リオンとしての記憶も戻ってきた。
ふとした瞬間に、『これ前にもあったな』と思うことが増えた。
記憶は戻ったが性格はどうやら『海老沢大志』の方が残ったようだ。
となると、気になるのはリオンの格好だった。
金髪美形の兄や姉にコンプレックスがあったのか、彼の髪はボサボサで揃えられておらず、前髪は目が隠れるほど伸ばし、顔を隠すように黒縁の伊達メガネを掛けている。
せめてすっきりした銀縁のメガネはないのかと思ったが、執事のロンダンが掛けているのだからないということはない。
わざわざ選んでこんなダサメガメを掛けていたということになる。
髪の色だけでなく、顔が不細工なのかと思ったら、美男美女の息子はやはり美男だった。
海老沢大志は、切れ長の目でちょっと冷たい感じがすると言われる顔立ちだった。だがリオンは目が大きくて、睫毛(まつげ)長くて、どちらかというと可愛い系だ。
けれど眦(まなじり)がスッと上がってるところは、気が強そうにも見える。
内向的な性格で人目を気にしていたのかもしれないが、こんな格好の方が却(かえ)って人目を引くだろうに。
これでも前世では姉貴達にうるさく言われてファッションには気を付けていたのだ。こんなダサダサでは人前に出られない。
なのでこの世界で覚醒してから一カ月半後になり、いよいよ明日から城に出仕するということになったので、俺は髪を切ってさっぱりすることにした。
ロンダンに頼んで、この世界でしていてもおかしくない形にしてもらうことにした。
短い髪は軍部の人間が多いというので長さは変えず、前髪は揃えて横に流し、全体にボリュームを抑えて襟足が隠れる程度に切ってもらう。
必要のない、メガネも外した。
何故か少し大きめだった服も、ピッタリのものに着替える。
翌朝、意気揚々と朝食の席につくと、両親と兄は喜んで褒めてくれた。
「見違えたな」
「いいじゃないか、リオン」
「ええ、これならよい縁談も望めるわ」
父、兄、母はベタ褒めだ。
だがアリシアだけは何も言わず、俺を睨みつけていた。
ツンデレだから人前では褒められないのかな?
食事の間も、彼女はじっと俺を睨んだまま口を開かなかった。
馬車の支度ができて、まず父と兄が出発する。彼等は王城の中でも議会のある奥に勤めているので、俺とは職場が違うのだ。
母は午後から出掛けるので俺達のお見送り。
俺も馬車に乗って出掛けようとした時、アリシアが無理やり乗り込んできた。
「アリシア?」
「一人じゃ出仕しても、仕事場がどこだかもわからないでしょう。私が届けてあげるわ。陛下のお見舞いもあるし」
わからなかったら向こうで誰かに聞けばいいだけなのだが、ツンデレ姉貴としては世話が焼きたいのだろうと判断し、了承した。
アリシアが二十歳を過ぎてもまだ王の婚約者止まりで結婚していないのは、国王のアーディオン陛下が大病したからだ。
そこはちょっと複雑で、アーディオン陛下には以前別の婚約者がいた。だが結婚直前に不幸な事故で亡くなり、その後にアリシアとの婚約が決まったのだ。だが、婚約後に今度はアーディオン陛下が大病を患い、結婚が遅れているらしい。
アーディオン陛下は兄のリカルドより年上で、健康な弟がいる。
内部では、病弱な兄より弟に王位を譲るべきではないかという声もあるらしい。
王妃として申し分ないアリシアを陛下ではなく王弟殿下の嫁にしたらどうかなんて話も出てるらしい。
アリシアを嫁にとったら、王弟殿下を王に推す連中としては勢いづくという訳だ。
「アリシアは……」
馬車で二人きりになったところで、俺は訊こうとした。アリシアは本当はどっちと結婚したいのか、と。
だがその前にアリシアの方が口を開いた。
「髪の毛をちょっと切ったからって、自分が綺麗になったなんて思い上がらないのよ」
「……は?」
「メガネはどうしたの。ずっと掛けてなさいって言ったでしょう」
あの伊達メガネはアリシアの命令だったのか。
「いや、目は悪くないし……」
「目が悪くなくても付けてなさいって言ったでしょう。オリハルトに目を付けられたらどうするのよ」
「オリハルト?」
誰だっけ?
「忘れちゃったの?」
「いや、覚えてる、覚えてる」
彼女の怒りを察し、俺は適当に答えた。
聞き覚えはある。確か……。
「王弟殿下だろ?」
そうだ。アリシアの婚約者であるアーディオン陛下と王位を争ってる人間だ。
「アリシアはオリハルト殿下が嫌いなの?」
「嫌いよ」
彼女はキッパリと言った。
「だからあの男に絶対近づいちゃダメよ」
これは……。
「アリシアはアーディオン陛下が好き?」
訊いた途端、彼女の顔がパッと赤くなった。
……可愛いな。
「そんなの……、当然でしょう。私は陛下の婚約者なのだから」
「そうか。それなら心から祝福するよ。俺はそこのところを忘れちゃったから、心配だったんだ。もしかして家のために結婚するのかなって」
「もし家のためだったとしても、あなたにできることなんてないわ」
「少しはあるよ。逃がしてあげるとか」
「ばかね。そんなことしたらクレアージュ侯爵家が取り潰しになっちゃうわ。リオンはまだまだ常識を思い出していないのね」
そうか。身分制度ってのがあるんだもんな。
「前世は庶民だったから」
「でも今のあなたは侯爵家の息子なのよ。私の弟だわ」
それは自信を持ちなさい、と言っているように聞こえた。
金髪巻き毛のこんな可愛い女の子、姉でなかったらちょっと心が傾くところだ。
いや、ツンデレ性格は面倒だからパスか。
「いいわね。オリハルトを見かけたらすぐに逃げるのよ」
俺が王弟派と思われないためかな?
「わかってるって。俺の仕事は経理だろう? 地味な部署だっていうし、王弟殿下が現れるなんてことはないよ」
「あの男はわからないのよ。本当に忌(い)ま忌ましいったら」
嫌いなんだな。
まあ、陛下が好きなら彼と争う弟は嫌いで当然か。
「いいこと、明日からまたメガネを掛けるのよ」
メガネに固執する理由はイマイチ不明だが……。
そうこうしているうちに馬車は王城の門をくぐり、内部に入った。
城というとノイシュバンシュタイン城かシンデレラ城みたいなものを思い浮かべていたが、そこは豪奢で巨大な建物の群れだった。
この国にはもう百年以上戦争がない。
特に王都は地震のような自然災害も少ないので、美しい建物が幾つも建っていた。我がクレアージュ侯爵邸もその一つだ。
そのクレアージュ邸を幾つも連ねて建てたようなのが王城だ。
圧倒的なその佇まいを見た時、ぼんやりと初めて見た時に驚いたなという感覚が生まれた。
そうだ、あの時はリカルドが一緒だった。
「思い出した……。初出仕は兄さんが付き添ってくれたんだ」
「リオン?」
「青いマントで、マント留は姉さんがくれた」
「思い出したの?」
ガバッ、とアリシアが飛びついた。
「あ、いや、何となくだけど。そうだったの?」
「そうよ。よく似合ってたわ。だからあのバカに投げキスとかされて……」
馬車が、城の正面に停車する。
「男性が先に降りて女性の手を取るのよ」
「わかってるって」
俺は先に馬車から降りてアリシアに手を差し出した。
周囲にいた何人かが、こちらに目を向ける。
会釈をするように頭を下げる者が殆どだが、中には何故かヒソヒソと囁(ささや)き交わしている者もいた。
「事務棟まで送ってあげるわ」
「アリシアはその後どうするの?」
「私は城の者に案内させて陛下にお会いするわ。帰りは城の馬車で送っていただくから、あなたは自分の馬車で帰るのよ」
「わかった」
「……言葉遣いが悪いわ。もっとちゃんとしなさいと言ってるでしょう」
と言われても、貴族らしい話し方なんて慣れない。
「かしこまりました。気を付けます」
「ねえ、前髪だけでも下ろさない? その方がいいわ」
アリシアの手が伸びて、俺の髪を乱す。
その時、軽い声が聞こえた。
「おやおや、未来の姉君は随分大胆な浮気をなさる」
その瞬間、アリシアの綺麗な顔が歪んだ。
戦闘態勢、みたいな顔だ。
「オリハルト様。冗談にしても人聞きが悪過ぎますわ」
声のする方を見ると、白っぽい金髪の男性がにやにやと笑ってこちらを見ていた。
「周囲にいる人間の疑問を口にしただけですよ。クレアージュ侯爵令嬢が人目も憚(はばか)らず若い男性とイチャついているのはどうしてだろうって」
白い礼服に身を包んだ、肩まで伸ばした巻き毛の金髪の美男子。これがオリハルトか。瞳の色が紫色っぽく見えるのが珍しくて、思わず見入ってしまう。
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