書籍詳細
共鳴するまま、見つめて愛されて
ISBNコード | 978-4-86669-550-1 |
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サイズ | 文庫本 |
ページ数 | 272ページ |
定価 | 836円(税込) |
発売日 | 2023/02/17 |
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内容紹介
人物紹介
高村 羨(たかむら ぜん)
家族に見放され、早くから自立することを望んでいた。アルバイトの派遣先でライハーンと出会う。
ライハーン
アメリカ企業のCEOで、獣頭を持つDom。祖母の遺言で、遺品整理を行うことに。
立ち読み
電車を乗り継いで到着したのは、ずいぶんのんびりした田舎だった。
九月とはいえ、都心では真夏と変わらない暑さだったのに、ここは風が涼しい。申し訳程度にコンビニや銀行のある駅前を離れると、ほどなく畑や田んぼが広がって、だだっぴろい道の先には山々が連なっていた。
のどかというより、拒まれているようなよそよそしさを感じる眺めだった。高村羨はもう一度、会社から支給されているアプリを確認した。
アルバイトとして雇われている「アイカトータルライフサービス」は、掃除などの家事代行を主に、ある層に向けては特殊な性的サービス――プレイも提供している。プレイを希望する客は、会社のサイトに登録されたキャストのプロフィールを見て、自分の好みにあった相手を選ぶことができる。その際、オプションとして家事代行も一緒に申し込めるようになっていた。
今回羨を指名して申し込みがあったのは、今日から二週間、泊まり込みでの一軒家の片付けの手伝いと、一時滞在の外国籍の男の相手をする、という内容だった。
片付けはきつくてもかまわないが、泊まり込みというのが気がかりだ。どんなプレイを要求されても逃げられない気がする。交通網の発達した都内ならともかく、このあたりでは家を飛び出してもすぐに見つかってしまうだろう。
(――でも、今回は、絶対逃げちゃだめだ)
逃げたらクビだと、社長の間花から直々に言われていた。指名制度がなくランダムに派遣される家事代行の仕事だけなら評判がよくても、より稼げるのはプレイの仕事だ。「そっちが目的で雇ってやったのに、全然役立たずじゃない」と顔をしかめた間花は、羨が黙っていると忌々しげにため息をついた。
「せめてもうちょっとしおらしくしなさい。あなたなんかを指名するような客はね、生意気そうなのを屈服させるのが好きなの。さっさと泣いて這いつくばればいいのに、意地を張るから反抗的だって言われるのよ。今だって、なぁにその目つき」
いやな子、と吐き捨てられても、羨は黙っていた。「あなたなんか」と口にする人間は謝ったとしてもどうせ怒る。失敗続きの羨を彼女はすでに見限っていて、厄介払いしたいのだとわかっていた。普段は受けない遠方の依頼を受けたのは、羨がどうせ逃げると見越してのことだろう。逃げれば給料を払わずにすむ、と考えているに違いなかった。
だからこそ、絶対に逃げられない。定期収入がなければ、やっと借りたアパートだって出ていかなければならないのだ。
羨が雇ってもらえたのは三か月前で、性的なサービスを提供することも承知の上だった。ただ身体を使うだけで、その場限り従順なふりをすればいい。相手を憎んだままでもいいのだから、きっとできると思っていた。
だが、実際に相手と会い、プレイが始まると、猛烈な恐怖と拒否感、悪寒が襲ってきて、とても耐えられなかった。結局、プレイの仕事を八回受けて、一度も完遂したことがない。
自分でも不甲斐ないと思う。セックスなんて誰でもすることで、過去にいやな経験をしても、乗り越えている人だってたくさんいる。ひとりで生きていくと決めた以上、これくらい頑張れて当たり前なのだ。
(ちゃんと仕事して、ちゃんと金をもらって――貯めたら資格を取って、別の仕事をするんだ)
羨は誰にも頼らずに生きていきたかった。そのためにはまず、金が必要だ。住んでいた場所から逃げてきて以来二年間、さまざまな職を転々として、やっと見つけたのがこの仕事だった。クビになったら、また一からやり直しだ。
幸い、羨は今日誕生日を迎えた。ようやく成人したのだ。三か月前は年齢を偽って雇ってもらったけれど、もう少し頑張れば、次は噓をつかずに、今よりいい仕事にありつくこともできるはずだ。
絶対逃げない、と呟いて、アプリのかわりに地図を表示させ、それを頼りに国道をそれて坂道を進む。慢性的な体調不良に悩まされる羨にとってはきつい坂で、十分も歩くとだるくなってきた。息も上がり、だんだん細くなる道に不安になるころ、突き当たりに古い家が見えてきて、そこが目的地だった。
まばらに建つ家はどこも敷地が広いが、目的の家はひときわ庭が広い。もとは芝生で手入れされていたようだが、今は雑草が伸びていた。立派な石の門柱に隠れて息を整えてから、羨は中に足を踏み入れた。
古い二階建ての建物はどちらかといえば洋風の、味わいのある造りで、開けっぱなしの玄関から、茶色いものが飛び出してきた。
ぎょっとして身構えた羨に、元気よく吠える犬がじゃれついてくる。ふさふさの毛並みに笑ったような口元だが、かなり大きく、動物に慣れていない羨は後退ってしまった。
「こらこら、梅丸、お客さんに飛びついちゃだめだよ」
今度は横のほうから急に声がして、びくりとして見れば、低い樹木の陰から、麦わら帽子をかぶった若い男性が立ち上がったところだった。犬は素直に彼のもとへと駆け寄り、男性は犬を撫でながら羨に笑顔を見せた。
「もしかして、アイカトータルライフサービスの方ですか?」
「――はい」
羨はぐっと唇を引き結んで相手を見返した。そうしながら、サイズのあわないTシャツの襟の位置を直す。痩せたせいで鎖骨がすぐに見えてしまう。肌を見せようが見せまいが、仕事ですることは変わらないのだが、せめて初対面のときくらいは蔑まれたくなかった。
よろしくお願いします、と言いかけた羨に近づいてきて、男は暑そうに帽子を取った。もわっと癖毛が膨れ上がったが、そこに獣の耳はなく、身構えた羨は少し拍子抜けした。依頼主ならば、獣の耳を持っているはずなのだが。
「さっそく来てもらえて助かります。僕は山下ジョシュといいます。申し込みしたのは僕ですが、雇い主になる人は家の中にいるので、先に挨拶してきてもらえますか?」
「……わかりました」
ジョシュと名乗った男はそばかすの浮いた童顔で、青い目が穏やかそうだった。羨が「サービス」する男の部下とかだろうか。一時滞在だと書いてあったから、この家は別荘のような場所なのかもしれない。
広い玄関から中に入り、すみません、と声をかけたが、誰も応えない。仕方なく靴を脱いで、そろそろと廊下を進むと、ふいに話し声がした。
瞬間、空気が重さを増した気がした。ぐらりと身体がかしぎ、羨は壁に手をつこうとした。いつもの目眩だと思ったのだが、痛みが胸を突き抜けて、頭が熱くなってくる。反対に手足は冷えて力を失い、崩れるようにうずくまった。
「……っ、ふ……っ」
床が冷たい。身体のあちこちが痺れて痛む。動きたいのに動けない。風圧のようなものが家の奥から漂ってきて、それが羨を押しつぶすかのようだ。
耳に届く声は英語で、電話をしているようだった。おそらく雇い主の声だろう。落ち着いて穏やかなはずのその声が圧の元だと気づくと、ぞっと鳥肌が立った。
(――これ、グレア、だ)
いつもの体調不良じゃない。下腹の奥がじんじんするのは、グレアを浴びたときの反応だ。
(っ……声だけで姿も見えなくて、俺に向けられたわけじゃないのに、なんでこんな……っ)
羨は震える手で苦しい胸を押さえた。性器は意思に反して張りつめ、ジーンズの股間を押し上げている。自分の性を悔しいと思うのはこんなときだ。ふいにグレアを浴びせられても倒れたりしないよう、普段から外出時は気を張っているつもりだし、まして今日は仕事だから、十分身構えていたのに、立ち上がることもできなかった。
それだけ強力なグレアなのだろう。発した雇い主――Domがどんな人間かを想像すると、背筋がいっそう冷たくなる。
きっと、暴力的なくらい支配欲の強い男に違いない。
逃げなきゃ、と向きを変えようとして、羨は躊躇した。逃げたらクビだ。でも、こんなに露骨に反応したまま、これほど強力なグレアの持ち主と顔を合わせるのもいやだった。せめて落ち着くまでこの場を離れようと、玄関へ這うように手を伸ばす。
「きみ、どうした?」
深くなめらかな声に、びくん、と全身が震えた。流暢な日本語だが、聞こえていた英語と同じ声だった。わずかに残ったグレアが、振り返らなくてもわかる。息もできなくなった羨のすぐそばに、彼が膝をついた。
「具合が悪いのか?」
「…………っ」
大きな手が背中に触れてきて、羨は咄嗟に振り払った。触るな、と言うかわりに睨み上げ、相手の姿に思わず目を見張る。
そこにいたのは、金色のたてがみに縁取られたライオンの顔を持つ男だった。初めて見る完璧な獣頭。Domだ。
世界の人口のうち、セカンドボディタイプ(SBT)を持つのは15%ほどに過ぎない。SBTを有する人のうち、一番多いのが羨の属するSubであり、Domは少数派だが仕事や芸術などの能力に秀でており、社会的成功者の多い、いわゆる「勝ち組」だ。狼や豹、きつねなど、獣の特徴を頭部に備えているため一見してDomだとわかるのだが、たいていは獣の耳だけで、目の前の男のように完全な獣頭を持つのは珍しい。
一般に支配と所有の性と言われ、恋愛対象――セックスの相手として、同性のSubを好む。気に入れば徹底的に独占したがる性質があり、自分のものとして「所有」する一環で、セックスの最中にはコマンドと呼ばれる語句によって、Subをコントロールする。その際によく使われるのがグレアだ。威圧感や熱感、ときにはフェロモンとして感じられる特殊な力で、SBTを持たない者には意味をなさないが、Subには強力に作用する。恐怖で動けなくなることもあるし、性的に興奮し、理性にかわって本能が強くなる場合もある。
グレアはDomの意思だけでなく、感情の起伏によっても発散されることがあった。その強さはDomとしての強さを示すと言われており、さきほどの圧倒的なグレアはいかにも目の前の男に相応しかった。完全な獣頭もまた、Domとしての強さの証だからだ。
雄々しい猛獣の顔の中、理知的でいながらどこか妖しい紅い瞳が気遣わしげに細まって、ひんやりした手が頰を包んだ。
「きみはSubなんだな」
確認する口調に、かっと顔が熱くなる。羨はよく、Subらしい見た目だと言われるのだ。黒髪になめらかで艶のある肌。勝ち気な性格を表すかのような切長の瞳は潤むとかえって色気を帯びて見え、唇はふっくらと赤い。誘っているとか、もの欲しげだとか評される自分の外見が、羨は嫌いだった。
羨望の眼差しで見られるDomと違って、Subは世間から、劣った存在のように思われている。Domの欲望と対になる本能を持ち、命令され、所有され、支配されることを望むからだ。そして、一度でもDomと行為を行えば、Subは一人では生きていけなくなる。定期的にDomに「欲求」を満たしてもらわなければ、飢えて体調不良を起こしてしまうのだ。その状態は予備発情と呼ばれ、このせいでSubは「Domに愛玩されるだけの弱い存在」、「抱かれなければ生きていけない存在」とみなされていた。
羨も、二年前、望まないかたちで予備発情の身体になった。
(でも俺は弱くない。Domに所有されるのなんて絶対にごめんだ)
Domは嫌いだ。無言で睨んだ羨に、ライオン頭の男が宥めるように微笑みかけた。
「ジョシュが家事手伝いの派遣サービスに申し込んだと言っていたが、Domの家だとは聞いていないか? 手違いなら今からでも……」
「手違いじゃないですよ、ライハーン様」
玄関からジョシュが現れ、羨ははっとして俯いた。みっともない顔を見られたくなかった。
「整理には少なくとも一か月はかかりそうじゃないですか。場所柄、フリーのSubは見つかりそうもないので、何人かご用意しようと思ってたんですが、ちょうど家事手伝いもプレイもOKっていうサービス会社が見つかったので、お願いしたんですよ。彼にはひとまず二週間で依頼しているので、相性がいまいちだったらチェンジすればいい」
「――そういうことは先に言ってくれないか。彼が来るとわかっていれば、グレアも出ないように気をつけておけたのに」
男にため息をつかれ、羨は羞恥で死にたくなった。依頼はジョシュの独断で、男自身にはその気がないのだ。なのにこっちは、自分に向けられたわけでもないグレアで昂ってしまった。
「おや、その人、もう発情しちゃったんですか?」
無遠慮なジョシュの言葉に唇を嚙むと、男――ライハーンが二度目のため息をついた。
「ジョシュ、そういうことは口にするものじゃない。二階で休ませるから、庭の掃除を続けててくれ」
(……え?)
下を向いたまま、羨は意外に思った。ライハーンの声は呆れているようだが、その相手は羨ではなく、ジョシュかのような口ぶりだ。普通こういうときは、みっともなく反応したSubを軽蔑するのがDomのはずなのに。
「きみ、立てるか?」
先に立ち上がったライハーンは、羨の腕を摑んで引き上げる。羨はふらつく足を踏みしめ、自力で立とうとしたが、すぐにバランスを崩してよろめいた。
「歩くのは無理そうだな」
危なげなく支えたライハーンが羨を抱き上げようとしてきて、咄嗟に身をよじった。
「離せ……っ、しばらくじっとしてれば、歩ける……っ」
「休むのは廊下よりベッドのほうがいいだろう。私のグレアのせいだから、遠慮しなくていい」
ライハーンは羨の抵抗をものともせず、横抱きに抱え上げた。慣れない抱かれ方に強張ると、見ていたジョシュが玄関のドアを開けながら笑みを浮かべた。
「二、三時間は庭にいるようにしますから、ごゆっくりどうぞ」
「……っ」
屈辱感で目眩がしそうだった。好きでこんなふうになるわけじゃない。なのに、ジョシュはこのあと羨が抱かれるのが当然だと思っている。
(そりゃ、そういう仕事だけど……俺はプレイなんか嫌いなのに)
Domがいればすぐに媚を売って擦り寄るのがSubだ、なんて思われたくない。ジョシュだけでなく、ライハーンにもだ。
全身で拒絶を示すように、羨は身体を強張らせたまま顔をそむけた。ライハーンはゆっくりと階段を上がっていく。動くと彼の身体が見た目以上に逞しいのが伝わってきた。肩が触れた胸の筋肉のつき方や、抱いた腕の力強さ。グレアはもう放出されていないが、かわりにかすかに甘くスパイシーな匂いがして、じんと頭の芯が痺れた。
(やばい……意識、飛び、そう……)
さっき反応してしまった股間は、まだおさまる気配がない。すうっと視界が暗くなるような、意識が遠のく感じは貧血で倒れるときに似ていて、それだけは避けたいと羨はいっそう硬くなった。気絶しているあいだに犯されるのはごめんだ。
軋む階段を上がり、奥の部屋へとライハーンは羨を運ぶ。八畳ほどの部屋はベッドと脇に置かれた小さな棚以外、なにもなかった。キングサイズのベッドに丁寧に下ろされ、熱い身体が離れた途端、張りつめていた意識が一瞬ゆるんだ。
「――――う、……っ」
びんっ、と刺激が駆け抜け、濡れた感触が股間に広がる。腰が波打ち、羨は愕然とした。
まさか、運ばれただけで達くとは。
「きみ、パートナーはいないんだな」
仰向けになった羨のそばに腰かけ、ライハーンが全身に視線を這わせてくる。
「性的なサービスも仕事のうちなら、プレイは定期的にしているのかと思ったが……この様子では、しばらくしていないだろう」
淡々とした口ぶりに、悔しさと惨めさで首まで熱くなった。
「あんたには、関係ないだろ」
「関係はないが、申し訳ないとは思っているよ。普段はグレアの扱いには気をつけているんだが、電話中に少し苛立ってしまってね。誰もいないと思って油断していたから、きみを発情させた責任は取りたい。楽になったら帰るといい。会社には私からチェンジを頼んでおく」
「……っ困る」
咄嗟に、羨は身体を起こした。
「会社には言わないで、……、ください」
素でラフにしゃべりかけ、慌てて丁寧な口調を作る。
「二週間で申し込んでもらってるから……チェンジなんてされたら、クビになるんです」
「きみに非がないことはちゃんと伝えるよ」
ライハーンはそう言ってくれたが、あの社長のことだ、どんな理由であれ、羨をクビにするに違いない。お願いします、と羨は頭を下げた。
「ちゃんとする、ので……二週間、働かせてもらえませんか」
「ちゃんとするって、でもきみ、」
「ほんとに、なんでもします。掃除は得意だし料理もできます。プレイも、その、あんたの希望どおりにする、から」
言いながら、悔しくて目の奥が熱くなった。こんなこと頼みたくないのに。
(でも、金を貯めないと一生このままだ)
負けっぱなしではいたくなかった。羨は重たく感じる手を突き出した。
「契約、してください」
DomとSubは「契約」をしなければならない。どういう理屈でそれが成立するのか、いろんな学説があるというけれど、羨自身は重要だと思ったことがない。建前としては、Subの同意なしにはDomはなにもできないが、彼らはこちらを強いグレアで圧倒し、無理に契約を結ぶこともできるからだ。羨の「初めて」もそうだった。そのせいで性暴力事件もあとをたたないのに、契約した以上は合意だとみなされて、Subは泣き寝入りすることがほとんどだという。
だが、無理やりにせよきちんと合意があるにせよ、Domは契約を結ばないと行為はしない。契約なしのセックスは、Domの本能を満たさないらしい。
ライハーンの紅い目を睨むように見つめると、彼はしばらく考えて、羨の手を取った。獣の顔が伏せられ、鼻と唇が手の甲に押しつけられる。
「きみと契約しよう。……そういえば、名前も聞いていなかったな」
「ゼンです」
源氏名を考える気になれず、仕事ではカタカナ表記を使っていた。なのに、ライハーンはたたみかけるようになおも聞いてくる。
「ゼンか。どういう漢字? ちゃんと発音したいんだ」
「……羨ましいって書いて、ぜんって読みます」
おまえには関係ない、と言いたいのを飲み込んで答えると、ライハーンは目尻を下げて微笑んだ。金色のたてがみが光をまとって揺れる。
「いい名前だね。私はライハーンだ。ライハーン・アミール・ヴィクトリア」
名乗って、もう一度唇を押しつけてくる。ライオンのひげが肌にあたってくすぐったく、ずいぶん丁寧にするんだな、と羨は思った。
(――この人、変わってるのかも)
DomはSubと見ればすぐに興味を惹かれ、可愛がってみたくなるらしいが、デリヘルで来た相手の扱いまでが丁寧なわけではない。契約はDomからの口づけとSubの同意で成り立つが、事務的にさっさとすませる者や、契約前から羨を跪かせ、キスしたあとは足を舐めろと言ってくる者もいた。
でもライハーンのやり方は、まるで普通に恋をして見つけた相手にするみたいだ。百獣の王の頭部を持っていても、性格は穏やかそうだった。
いくらかほっとすると、顔を上げたライハーンが髪に触れてきた。汗で張りついた前髪を、そっと払われる。
「少しは緊張がとけたかな。空調は入れてあるが、暑くはないか?」
「……大丈夫です」
腹の底をくすぐられたような感じがして、羨は視線を逸らした。逃げ出したいのをこらえて、声を押し出す。
「できたら、早くすませてもらえますか」
「そうだな。だいぶつらそうだ」
くすりと笑われ、そういう意味で言ったんじゃない、と思ったが、ライハーンの指が額から耳へとすべって、なにも言えなくなった。
(くすぐったい……この人の触り方)
ごくかるく、触れるか触れないかの強さで、ひんやりした指が動いてゆく。耳の後ろの窪みに触られるとひくりと喉が鳴り、体温が上がるのがわかった。
「私は過度なプレイは好まない。きみが望むなら激しくしてもかまわないが、どちらがいい?」
「あ、――んたの、好きなようにで、いいです」
答えると声が乱れていて、羨は膝を閉じあわせた。さっき達したばかりだというのに、分身がすでに痛くなりはじめていた。ライハーンは指を喉元へと移動させた。
「ではセーフワードを決めよう。普通に、REDでかまわない?」
羨はびっくりして、思わずライハーンを見上げた。
「セーフワード? ……俺、派遣サービスの人間ですけど」
DomとSubがプレイをする場合、Domがいきすぎたコマンドを出したり、望まない行為をしようとしたときに拒めるよう、セーフワードと呼ばれる特定の言葉を決めることがある。拒む理由はなんでもよく、たとえばはじめてはみたが気が乗らないというだけでも、Subはセーフワードを使うことができる。唯一Subが使えるコマンドであり、Domにとっては絶対的な強制力があるものだ。どの単語をセーフワードにするかは双方合意で決めるのだが、一般的には「RED」を使う――のは羨も知っている。
けれどそれは、普通の、恋人同士などで使うものだ。セーフワードはいらないと言って決めたがらないDomもいるし、まして仕事ならば、対価として金銭をもらう以上、プレイを拒む権利はないと客は思っているだろう。羨もそう理解していた。だからこそ、無理だと感じたときは逃げ出すしかなかったのだ。
「NG事項はプロフィールのページに……あ」
できない行為は会社に申告してあり、アイカトータルライフサービスのサイトで表示されるプロフィール欄に記載される仕組みだった。しかし、ライハーンは自分で申し込んだわけではないので、知らないのだろう。それに気づいて、羨は言い直した。
「痛いのとか、苦しいとかでなければ平気です」
正直に苦手なことを書けば全部できないので、どうしても無理そうな暴力的な行為だけを会社には申告していた。ライハーンは訝しげに首をかしげる。
「仕事でプレイするのでも、セーフワードは必要だろう。予想もしてなかったことをされたらどうするんだ?」
「どうって……それは」
「セーフワードを用意しないのがSubの愛情や服従心をはかるのに役立つと考えるやつもいるらしいが、私はセーフワードなしにプレイはしない。自分の好みを押し通すだけでは意味がないからね」
きっぱりと告げて、目を覗き込もうとするように、羨の顎を持ち上げた。
「REDでいいね。無理なことがあれば使うんだ」
「――はい」
じん、と身体のどこかが痺れた。こんなDomもいるのだ、というのが新鮮だった。
羨が会ったことのあるDomは、誰もセーフワードのことなど口に出さなかった。最初の、羨をみじめな身体にした男もだ。
優しくするだけだよ、と囁いた楽しげな声が蘇り、羨は瞬間、ぶるりと震えた。
「どうした? 怖い?」
すかさずライハーンが聞いてくる。いいえ、と返事して、羨は息を整えた。一見紳士的でも、気を許すわけにはいかない。
「続けてください。……服、脱いだほうがいいですよね」
「きみのこれまでの相手は、ずいぶん雑なDomだったんだな」
ため息をつき、ライハーンが顔を近づけた。ちゅ、と額に口づけられる。
「痛いのと苦しいの以外が平気なら、きみは私のコマンドに従うだけでいい」
よしよし、と頭まで撫でられて、羨は首を振って彼の手から逃れた。
「コマンドには従います。でも、できれば難しくない単語にしてもらえますか。俺、英語はわからないから」
生意気だと気を悪くされても、言っておかねばならなかった。コマンドは英語を使うのが普通だ。通常のセックスと違ってそうした制約が多いことが、DomとSubの関係性においては本能を満たす一助になるのだそうだ。だが羨は中学以降、まともに学校に通えたためしがなく、英語は苦手だった。出された指示がわからずにいたら、怒鳴られたことがあった。
ライハーンも、優しくしてやったのに従えないのかと、あとから怒るかもしれない――と思ったのだが、彼は目を見ひらくと、今度はせつなげな表情になった。
「まったく、きみはどんなプレイをしてきたんだ? いくら仕事だからって、相手に恵まれないにもほどがある。――いいかい、羨」
髪を梳くように撫でて、ライハーンは言い含めるように言葉を区切った。
「DomとSubには相性がある。Domは本能的にSubに惹かれるが、それは相性とはまた別だ。手に入れたい、慈しんでみたいと思っても、相手がいやがることもある。だから暴走しないように、契約やセーフワードが存在する。そうした制約を設けた上でなお、Subが受け入れてくれるなら、一定以上互いに好感を持つ部分がある、ということだ」
「でも、それって普通に出会った者同士のことでしょう。俺は仕事だし」
「仕事でも、だよ。きちんと好意があって、この相手となら飢えを満たせると感じるなら、たとえまったく知らない言語でコマンドを出されたとしても、意図は汲み取ることができる。相性のあうDomとSubのあいだには一種のテレパシーのような、共鳴作用が働くからだ。相手の感情や求めるものが言われなくてもわかるし、自分の受け取った快感だけでなく、相手の覚える快感も、自分のことのように感じられるんだ」
「――」
「だからもしコマンドが理解できないなら、それはプレイすべきじゃない相手だ、ということだよ」
だって、と喉まで声が出かかった。
仕方ないじゃないか。仕事だし、羨はただのバイトで、拒否権なんかない。
(――実際は、無理すぎて毎回逃げたけど……)
それでも努力はしたのだ。我慢してでも続けようとして、でもだめで、嘔吐するくらいつらかった。
「そんな顔をしなくても、今日は簡単なコマンドしか使わないよ」
優しく頰を撫でられて、羨は俯いた。「そんな顔」がどんな表情でも、見せていいものでないのはわかっていた。
続けてください、と再び促そうとしたとき、ライハーンが肩を摑んだ。
「羨。LOOK」
びく、と全身が揺れた。考えるより先に顔が上がり、ライハーンの目を見る。視線があってから、「見ろ」と命じられたのだとわかって、ぼっ、と腹が熱くなった。
ライハーンが口の両端を上げ、ひげを震わせた。
「ほら、できた。いい子だ」
「……、ぁ、」
低い声で褒められ、視線を逸らせないまま、浅く喘ぐ。
(なんだよ、これ……)
こんな感覚は初めてだ。理解するより早くコマンドに従って、身体が熱くなるなんて。
ライハーンは摑んでいた肩を離し、羨のTシャツに手をかけた。
「腕を上げてくれるかな。……ありがとう。こんなふうに、コマンド以外はわかりやすいように日本語で伝えるよ。そのほうが、きみも要求に応じられたかどうか、はっきり感じられるだろう?」
服を抜き取られ、ジーンズのボタンを外される。仰向けに、と言われて、羨の身体は溶けるように横たわった。痩せたせいでゆるくなったジーンズを、続けて下着を脱がされて、最後に靴下も取ってしまうと、ライハーンはベッドを下りた。
戸惑って目で追えば、「私も脱ぐよ」と微笑みが返ってくる。仕立てのよさそうなシャツのボタンを外す仕草に、心臓の奥にいたたまれないような蠢きを感じて、羨は視線を逸らしかけた。
「LOOK、羨」
まるで見ていたみたいにコマンドを出され、視線が再びライハーンに吸い寄せられる。あらわになった肉体に、今度ははっきりと疼きが生じた。
「……っ」
金色のたてがみに縁取られた、美しいライオンの頭部。筋肉の陰影のついた胸から腰にかけての、逞しいライン。ベルトを外しボトムスが脱ぎ落とされれば、腰や太腿も無駄なく引き締まっていて、舌のつけ根が痛んだ。Domは嫌いなはずなのに、唾液が湧くほど欲情してしまい、悔しいのに視線を逸らすことができない。ライハーンは悠々と下着も脱ぎ、半ば勃ち上がった雄のかたちに、身体が軋むような感覚がした。
――胸が、熱い。
「どきどきしてくれているね、羨」
全裸になったライハーンはそっと羨を押し倒した。いい子だ、と低い声が囁いてくる。
「ちゃんと見ていられて偉いぞ。ずいぶん恥ずかしがり屋のようだが、最初のキスのあいだは、そのまま、目を開けていて」
たてがみが触れるほど至近距離で見つめながら囁かれると、頭がぼうっとした。彼の声を聞いていると、どうしてか警戒心が薄れてしまう。半ば無意識のうちに小さく頷くと、ライハーンはごくかるく唇をあわせたあとで、しっかりと吸いついてきた。
「……っ、ん、……っ」
彼の目はまっすぐに羨を見つめていて、たまらなく羞恥を感じる。だがまぶたを下ろすことはできず、必死に見つめ返した。ライハーンは窺うように舌で唇を割り、ざらついたそれが口の中に入ってきた。
「……っ!」
舌と舌が触れあった瞬間、甘い痺れが駆け抜ける。同時にライハーンの紅い目の中に光がまたたくのが見えて、彼もまたキスで感じたのだ、とわかった。
「ん、…………っ、……ッ」
羨は今まで感じたことのない、深い喜びと目眩とに呑み込まれた。身体がしなり、ひくひくと腰を振りながら達してしまう。ライハーンの腰に先端を擦りつけて精液を出しきると、芯を抜かれたようにぐったりと力が抜けた。
(な……に、今、の)
熱くて、気持ちよくて――認めたくないけれど、たまらなく嬉しい。
「気持ちがいいだろう、羨。私もきみと見つめあいながらキスすると、とても満たされたよ。お互い感じる快感が、こうやって作用しあうんだ」
頭を撫でて、ライハーンが微笑みかけた。やんわりと腰を押しつけられると、昂った彼の雄と、そこだけまだ力の残った羨の性器が触れあった。
「っぁ、……ふ、……っ」
「二度も射精したのに、もう硬くなっているな。後ろも触ってみようか」
「ん、……っ、く、」
後ろの孔を犯されるのは痛いから苦手だ。反射的に身体が強張ったが、ライハーンの右手が尻を摑むと、ずるりと太腿がひらいた。
「少し怯えた顔をしているね」
ライハーンもどこかが痛んだように、眉間に皺を寄せた。
「痛くされた経験でもあるのかな。今まではあまりプレイが好きではなかったみたいだ。触られていやだったら、ちゃんと教えてくれ」
唇を啄み、ライハーンはもう一度「LOOK」とコマンドを出す。
「きみが我慢しすぎたらわかるように、しっかり私を見ていなさい」
きっぱりと命じる声なのに、ライハーンの低い声は穏やかに響いた。羨が頷くのを待って、棚からチューブを取って見せてくれる。
「これを使うよ。無香料で刺激もないはずだが、苦手じゃない?」
「……平気、です」
こんなことまで律儀に確認するのが、ライハーンにとっては当たり前なのだろうか。濡らされた指が尻の割れ目をたどり、窄まりへと触れてくるのもずいぶん丁寧で、羨はくすぐったさに喉を反らせた。
触られている襞もむずむずするけれど、身体の内側、真ん中あたりも落ち着かない。その感覚が慣れなくて、だが逃げたくはなかった。むしろ――。
(もっと……)
もっと強くしてくれてもいいのに、と考えた直後、ぬぷりと指が沈んだ。粘膜に硬いライハーンの指を感じ、反射的に締めつける。ぼっと燃えるように孔がかゆくなり、短く息が漏れた。
「吸いつき方が上手だ。もう怖くはないね?」
「……ぅ、……んっ」
取り繕う余裕もなく頷いて、たまらずに尻を浮かせる。かゆくてもどかしい。ライハーンが羨の上に覆いかぶさって顔を見つめたままだから、わずかしか腰が動かないのがかえってつらかった。どうしよう、と頭の片隅で思う。
(やばい……これ、きもち、いい)
尻の孔なんて感じるはずがないと信じていたのに、浅く入れられただけでじんじんするのだ。
「気持ちよくなってもらえて嬉しいよ、羨」
ライハーンはじっくりと羨の反応を確かめ、それから少しずつ指を進めてきた。侵食される感覚にため息がこぼれ、思わず目を閉じてしまう。途端、コマンドが発せられた。
「LOOK」
「あ……、ぁ、」
潤んでしまった目をどうにか開け、羨は喘いだ。紅い目はひたりと羨を見据えたままで、見られている、と思うとひどく恥ずかしい。
みっともないところを、全部見られている。
「……っぁ、……っ」
指が動いた。粘膜をこすって、揉んで、中をぐずぐずにしていく。唇の端から唾液が溢れ、ライハーンが長い舌を伸ばして舐め取った。
「いい子だ、羨。お尻もどんどんゆるんできたよ。ジェルを足して指を増やして、ピストンするから、気持ちよかったら喘いでごらん」
「そ……んな、……っふ、……ん、く」
ずるりと指が抜ける。すぐに宣言どおり、揃えた指が戻ってきたかと思うと、強めに根元まで打ち込まれて、羨は踵を浮かせて仰け反った。
「……っ、は、……ぁっ、……あ、……っ」
聞いたことのない声が喉を通って溢れていく。いい子だ、とまた褒めてくれるライハーンの声が遠く聞こえた。
「私の指が気に入ってもらえて嬉しいよ」
「ん……っ、は、……ッぁ、……っは、」
ぬちゅぬちゅとジェルが音をたてていて、耳まで蕩けそうだった。異物感はあるのに痛くない。気持ちいい。かき混ぜられて、股間全体がびっしょり濡れたかのように感じられた。
(だめ……おかしく、なる……っ、これ、だめっ)
気持ちよすぎるのが恐ろしくて、なのにその恐怖すら、ライハーンと見つめあっていると、熱に変わって快感を昂らせていく。ライハーンの目は羨の反応を観察するように冷静だが、同時にちかちかと光がまたたいて、彼も興奮しているのだとよくわかった。
どろりとなにかが腹から溢れそうになり、羨は咄嗟にこらえた。
「……っ、く、……ん、んっ」
「羨、我慢はしないで。達っていいんだ」
「……っ、で、も」
自分はすでに二回達したのに、ライハーンはまだなのだ。それに、今達したら、二度と戻れない気がした。
この快楽を覚えたら、昨日までのようには生きていけない。
小さくかぶりを振った羨に、ライハーンが促した。
「達ってごらん。上手に達けたら、次は私のものをきみの中に入れる。もっと気持ちよくしてあげるから、私の目を見て、射精するんだ」
「……っ」
「LOOK、羨」
この続きは「共鳴するまま、見つめて愛されて」でお楽しみください♪