書籍詳細
イケメンあやかしの許嫁
ISBNコード | 978-4-86669-630-0 |
---|---|
サイズ | 文庫本 |
ページ数 | 240ページ |
定価 | 836円(税込) |
発売日 | 2023/12/18 |
お取り扱い店
電子配信書店
内容紹介
人物紹介
花ノ井周(はなのい あまね)
大学生。就活がうまくいかなくて落ち込んでいたところイチと出会う。
イチ
座敷童のあやかし。数百年をいきている。
立ち読み
1
流れる車を歩道橋の上から眺めながら、花ノ井周は何度目かのため息をつく。ハロウィンが終わったばかりの街は次のイベントであるクリスマスまでつかの間の静けさをとり戻し、心なしかゆったりと時間が流れているような感じさえするというのに、自分ときたら今日の曇天さながらに気持ちが沈んでいく一方なのだ。
それもそのはず、どうして俺ばかりと恨み言のひとつもこぼしてしまいたくなるほど不運の連続だった。
先々月自転車を盗まれたかと思えば、一週間もたたないうちに階段で足を踏み外して小指を骨折した。さらには一昨日学生証を落としたらしく、いまだ見つかっていない。
そしてなにより問題なのは、就活がことごとく失敗に終わっていることだった。
試験の前の日に熱が出たり、当日会場へ向かう道中突然の雨でびしょぬれになったり。はたまた面接中に腹痛に襲われ、中座してトイレに駆け込んだり。
自分以外にもまだ内定をもらっていない者はいると、なんとか平静を保とうとしても、続けざまにお祈りメールが届いては落ち込まずにはいられない。
……このままずっと内定をもらえず、就職浪人になったらどうしよう。
骨身に染みるほど冷たい風に身を縮め、はあ、とまたため息をついたとき、ぺちゃっとなにかが頬に落ちてきたのを感じて、反射的に手で拭う。
手のひらについた粘り気のある液体を見て、げ、と声が出た。
「嘘だろ……」
空を見上げると、まるで茶化すかのごとく頭上を一周してから去っていったカラスにまでばかにされているような気がして、がくりと肩が落ちた。
「ちょっとあなた」
唐突に背中を叩かれ、はっとしてそちらに視線を向ける。そこにいたのは、母親と同じくらいの年齢の女性だった。
「あ、俺ですか?」
じっと見つめてきた女性は、今度は肩に手を置いてきた。
「なにがあったか知らないけど、生きていれば、つらいこと悲しいことは誰でもあるわよ。でも、だからって極端な選択をしては駄目よ」
一瞬、なにを言われているのか理解できず、首を傾げる。同情のこもったまなざしを向けられて、やっと彼女が勘違いしていると気づいた。
「あ……いえ、俺はそんなつもりじゃ……っ」
慌てて否定したが、女性には言い訳に聞こえたようだ。真剣な表情で諭され、戸惑いつつも頷くしかない。
「は……い」
歯切れの悪い返答でも一応満足してくれたのか、笑顔でまた背中を叩いてから女性は去っていった。
「そんなに思いつめた顔してるのかな」
落ち込んでいるのは事実だが、だからといって彼女が想像したような行動に出るつもりはまったくなかった。人通りのない歩道橋でぐだぐだしているせいでまた勘違いをされても困るので、重い足を踏み出す。
歩道橋を下り、青信号を確認して横断歩道を渡り始めたそのタイミングで、コートのポケットの中でスマホが震えだす。立ち止まってポケットに手を入れた、直後、右折してきた車が猛スピードでこちらへ向かってくるのが視界に飛び込んできた。
「え」
避ける間もない。その場に棒立ちになる。これまでの不運が走馬灯のごとく脳内を駆け巡ったが、間一髪で急ブレーキをかけた車は、周の身体すれすれを通って、走り去っていった。
「あ、あぶな……」
九死に一生とはこのことだ。
スマホが鳴らなかったらおそらく足を止めておらず、車に轢かれていたにちがいない。そう思うと血の気が引いていき、ばくばくと心臓が脈打ち始めた。
このタイミングで電話をしてくれた相手はまさに命の恩人だ。震える手でスマホを確認してみると、そこにあったのは久々に目にする「祖父」の文字だった。
「もしもし、じいちゃん? おかげで命拾いしたよ〜」
『そうか。なんかわからんが、よかった』
祖父はそう言うと、次には耳に痛い一言を口にした。
『それはそうと周、就職先は決まったのか』
「あー……その話?」
お祖父ちゃんも心配してるわよ、と一昨日母親から聞かされたばかりなので申し訳ない気持ちになる。いや、祖父だけではない。軽い口調ではあったが、誰より母親が案じているだろう。
駄目な孫で、息子でごめん。心中で謝る傍ら、
「いや、まあ、ぼちぼち」
歯切れの悪い返答をする。しかし、祖父には通用しなかった。
『その言い方だと、まだみたいだな』
「う……」
『周のことだから、どうせぐだぐだと悩んでいるんだろう』
「そんなことは……ないっていうか、あるっていうか」
自分の性格をよく知っている祖父だからこその一言には、申し開きのしようがない。現にいま、自身の不運を嘆いている最中だった。
『まあいい。それより、おまえ、大家としてうちのアパートに住まないか』
だが、まさかこういう話になるとは想像もしていなかった。唐突な祖父の一言に面食らい、返答を躊躇う。
祖父は、山や駐車場等、複数の不動産を所有していて、そのひとつが年季の入ったアパートだ。といっても維持費を差し引けば入ってくる金額はそう多くはないらしい。築二十年だか二十五年だかのアパートは、確か三年前にリフォームしたと母親から聞いた。
大して儲かってないのに、お祖父ちゃん、あのアパートに思い入れがあるみたいなのよね、と。
「でも……どうだろ。就活こっちでやってるから」
『その就活がうまくいっとらんのだろう』
「う」
ぐうの音も出ないとはこのことだ。祖父の言うとおり、いまのままでは社会人になれるかどうかもさだかではなく、不安ばかりが募っていく。いっそ長野の実家に戻って地元で就活したほうがいいのではないかと迷いつつも、いまだ決めかね都内で就活を続けているのだ。
『東京にこだわらんでも、大家をする傍らこっちで職を探してみてはどうだ? 家賃もかからんことだし』
祖父のこの一言に、ごくりと喉が鳴った。
「……家賃、タダってこと?」
『大家の務めを果たしてくれるならタダだ。なに、務めといってもゴミ置き場とか回覧板の管理程度のことだから気負う必要もない』
「…………」
『儂が週一で寝泊まりしていたから、家電やら布団やら揃ってるし、すぐにでも住めるぞ』
正直、いまの自分には渡りに船だと言える。現実問題いつまでも学生気分で親に頼るわけにはいかないのだから、都内にこだわって不運の連続だと嘆くより、環境を変えるほうがよほど建設的だろう。
幸いにも単位は足りているので、大学には何度か顔を出せばいい状況だ。
『どうだ?』
祖父の問いに、今度は躊躇わなかった。
「わかった、祖父ちゃん。俺、やるよ」
承知すると、ひとまず一歩進んだような気がして肩の力が抜ける。どうやら大家といってもそれほどやることはないようで、職探しには影響なさそうだし、就職先が決まって以降も二足の草鞋でいけそうだ。
『そうか。おまえなら、祖父ちゃんも安心して任せられる』
しかもそんなふうに言ってもらえたことで、胸がじんと熱くなった。
『それじゃあ、また連絡する』
単純だとわかっていても、あれほど落ち込んでいたのが嘘のように心が晴れ、気分が上がった。
その後は、善は急げとさっそく荷物の整理にとりかかった。東京で借りていた部屋が家具家電つきの物件だったおかげで荷造り自体は助っ人を呼ぶほどでもなく、順調に準備は進み、大学へは地元から通うつもりで卒業式を待たずにアパートを引き払って、晴れて周は東京を離れ、地元へ戻ったのだ。
大家としての生活の始まりでもあった。
「思っていたより悪くない」
間取りは1LDK。八畳のリビングダイニングはフローリングで、隣に和室がひとつ。リフォーム済みというだけあって風呂にはシャワーがついているし、もっとも心配していたトイレも洋式でなんの不満もなかった。
『花咲荘』一〇一号室。
それが、周の新居だ。
二階建てのアパート花咲荘は一〇一号室を除くと現在六部屋中四部屋が埋まっていて、空き部屋は一〇二号室の一部屋のみになり、周からすればお隣が空いているのは騒音等のトラブルの心配がなさそうなのでありがたい。
家賃は管理費込み四万五千円。最寄り駅まで徒歩十分足らずという立地のよさを考えれば、なかなかの好物件だろう。学生と会社員の一人暮らしがほとんどだが、三歳の子どもを持つ夫婦が二〇三号室に住んでいて、玄関の前には青い三輪車が置かれている。
大家として入居者と良好な関係を築くにはまず挨拶からだ、と引っ越し当日、さっそく菓子折りを手にして部屋を訪ねて回ることにした。
不在だった二〇一、二〇二号室を後回しにして二〇三号室のチャイムを鳴らすと、まもなくドアが開き、男の子が顔を覗かせた。
「あ、こんにちは。今回、大家として一〇一号室に入ることになった花ノ井周と言います。お母さんかお父さんはいる?」
だが、タイミングが悪かったらしい。奥から子どもを呼ぶ母親の声がして、男の子が「はーい」と返事をする。てっきり母親が出てきてくれるのかと思ったが、男の子はドアを閉めてしまった。
「あ……待って」
呼び止めようにも鍵までかけられてしまう。知らない人間が突然訪ねたせいで、警戒させてしまったか。
もう一度チャイムに指をやった周だが、挨拶は後日にしようと思い直す。平日のため他の部屋も留守だったので、土日にあらためたほうがよさそうだ。
階段を下り、部屋に戻る。
「よし、やるか」
まずは雑然とした部屋を片づけるところからだ。夕飯前にあらかたすませてしまいたくて、まだ積んだままの段ボール箱、五箱の開梱にとりかかる。
職探しのことを考えれば、悠長にはしていられない。
黙々と荷解きを進めていき、フライパンや食器はシンクに、電気ケトルを電子レンジの横に置き、まずはキッチン関係を終わらせる。
衣類を両手で抱え、これが終わればやっと唐揚げ弁当にありつけると隣室に続く襖を開けた、次の瞬間。突然の事態にその場で固まってしまった。
「え……え、なに?」
それも当然だろう。目の前には和装の男がひとり、我が物顔で床の間に腰かけているのだ。
「空き巣」という言葉が真っ先に思い浮かび、どっと汗が噴き出す。そのままの体勢でゆっくり玄関まで後退りすると、半身を返すが早いか靴下のまま外へ飛び出した。
「ど、泥棒……っ」
一一〇、と手を耳にやったが、持っていたのはスマホではなくTシャツと下着だ。となれば、交番へ直接駆け込むしかない。しかし、踏み出せたのは一歩だけで、膝に力が入らずその場から動けずにいた。
ど、ど、と鼓動は早鐘のごとく激しく胸を叩いていて、Tシャツを握りしめた手の震えもおさまりそうになかった。
いや、待て。確か床の間には雉の掛け軸がかかっていた。薄暗かったせいで雉と人間をうっかり勘違いした可能性もゼロではない。きっとそうだ。交番に駆け込むのは、確認してからでも遅くはないだろう。
大きく深呼吸をし、意を決して部屋へ戻る決意をする。仮に空き巣だった場合、すでに通報済みだと言えばいいと。
「よし」
緊張しつつ足を忍ばせ、ドアノブに手をかける。そのときになって靴下のままだったと気づいたけれど、いまは気にしている場合ではなかった。そっとドアを引き、開けっ放しにした状態で恐る恐る室内を覗き込んだ。
「……っ」
どうか見間違いであってくれ。その期待に反して、床の間を占領している不審者と目が合う。
ごくりと唾を嚥下した周は、
「な……んのつもりか知りませんけど、見てのとおり、金目のものなんてありませんよっ」
言外に出ていくよう告げた。と、首を傾げた不審者は、おもむろに立ち上がった。
「な、なんだよっ」
ビビっていると思われたくなかったが、反射的に肩が跳ねる。
「なにやら照れくさい。ひとに認識されるのは、久方ぶりゆえ」
反して不審者は、憎らしいほど落ち着いていた。
「そなた、名は?」
「……え」
いったいなにが目的だ? 空き巣、居直り強盗、変質者……あらゆる単語が頭を巡り、ぶるりと背筋が震える。
「俺はここの……いや、そっちこそ、何者で、いつ、なんの用で入ってきたんですか」
「吾か」
やけに時代がかった物言いと仕種で顎を引くと、不審者が答える。
「座敷童、と周囲は呼んでおるな。いつ、なんの用かと言われても、ずっと前から、気づけばここにいたと答えるしかない」
「—は? ざしき、わらし?」
たったいま耳にした返答を脳内で反芻し、
「何者、ですか?」
再度、同じ質問をする。
前もって警察を呼んでおくべきだったかと後悔するも、すでに手遅れだ。現在、不審者との距離はおよそ三メートルほど。
「座敷童と呼ばれておる」
「そ、それはあだ名ってことで?」
「どうだろうな。誰が呼び始めたのか、なにぶん何百年も前のことゆえ吾もよく知らんのだ」
「…………」
ゆっくり後退りした周は、さらに余分に距離をとるとそこで深呼吸を何度かくり返した。
「座敷童……何百年も前のことゆえ?」
いやいやいやいや。不法侵入しておきながら、その手の冗談でごまかせると思っているのだろうか。
そもそも座敷童は子どもの姿の妖怪だったはず……。
あらためて、目の前の不審者を凝視する。
相手は、空き巣に入るにはおよそ相応しくない格好をしている。祖父が好むような柄の地味な和服姿で、足元は裸足。
どう考えても変だ。
背はすらりと高い。百七十二、三センチの自分よりも十センチ程度は長身に見える。顔立ちはなかなか凛々しく、目鼻立ちがはっきりしていて、こんなことをしなくてもモデルなりホストなり他に生きていく道はいくらもありそうなのに—。
胸元まで伸ばしたまっすぐな黒髪と相俟って、雰囲気たっぷりだ。一点、古めかしいところを除けば。
「いや、そういうの、いいです」
多少衝撃がおさまってくると、今度は不快感がこみ上げてきた。開き直りやがってと苛立ちもあらわに睨みつけるが、自称座敷童は相も変わらず平然とした様子で、ふたたびこちらの名前を聞いてきた。
「久方ぶりに吾を認識した者の名は明確に知っておきたい。今後呼ぶときに必要だろう」
「いますぐ出ていってくれませんか?」
一刻も早く出ていってほしいのに、どうやら通じなかったのか彼は顎へ手をやり思案のそぶりを見せる。
「出ていくのは、難しいな。居を移すのは、そう容易くはないのだ。少なくとも、この部屋の住人が幸運に恵まれ、もう吾は不要だと思ってもらわんことには」
「幸運?」
いまの自分にこれほど虚しい言葉はない。不運続きの自分に「幸運に恵まれ」なんて軽々しく口にしてほしくなかった。
「ああ、幸運だ」
「俺に、幸運?」
「そう言っておる」
「…………」
言い分は理解した。あくまで自身を座敷童と言い張り、住人に幸運を呼び込むというなら、それを証明してもらうだけだ。
「わかりました。今日からこの部屋の住人は俺なので、この俺に、幸運をもたらしてもらおうじゃないですか」
玄関に仁王立ちし、鼻息も荒く告げる。そっちがその気ならと、もはや売られた喧嘩を買うような心境になっていた。無論、いまの自分にとっては、幸運イコール就活がうまくいくことだ。
「承知した」
この続きは「イケメンあやかしの許嫁」でお楽しみください♪