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9784866692050

今世も、死亡フラグしかない王太子の婚約者に転生しました

鬼頭香月 / 著
深山キリ / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-205-0
本体価格 本体1,200円+税
発売日 2019/05/27
ジャンル フェアリーキスピュア

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内容紹介

婚約者のことは大好きだけど、今度は自分の人生を歩もうと思います。
裏切られて生涯を終えるなら、もう多くは望みません!? 運命に翻弄され愛を貫き通そうと抗う二人の恋の行方は!?
何度、転生しても好きになるのはいつも同じ人。そして婚約した後に必ず前世の記憶を思い出し、婚約者に裏切られ17歳で生涯を終える――七度目の転生に気づいたニーナは、婚約者王太子・レオンとの恋も諦め気味。なのに「君は俺が守る。運命などには決して奪われない」真摯に愛を囁かれ心は揺れる。思いを伏せたまませめて生きるため、新たな人生を歩もうと別れを決意するが……ニーナの出生の秘密が二人を巻き込み、新たな事態を引き起こして!?

立ち読み

「……ニーナ。そういう言葉は、先に私に言いなさい」
「……え?」
 動揺していたニーナは、なんの話かわからず、レオンを見上げた。彼は髪色の変化に気づいていないのか、そこには言及せず、眉尻を下げて笑う。
「君に会えなくて寂しかったのは、私だけか?」
「……あ。えっと……だって、三日しか……」
 どうせ捨てられるとばかり考え、悲しみで心を満たしていた彼女は、会えたことを喜ぶ気持ちになれていなかった。取り繕う余裕もなく、素直な反応を返してしまった彼女に、レオンは息を吐く。
「……たった三日離れただけでは、寂しくないか。残念だな。私は毎日君の顔が見たいから、婚約を申し込んだというのに……」
 人前で、こんな気障な言葉を吐かれたのは初めてだった。髪色の変化に動揺していたニーナは、それも忘れ、かあっと頰を染める。レオンは慣れた仕草でニーナの腰に手を回し、そっと抱き寄せた。
 愛情深い、優しい仕草に、凍りつきかけていたニーナの胸が、ほっと温かくなる。思わず泣いてしまいそうになり、彼女は瞳を潤ませて、俯いた。
 自分を煩わしそうに見やり、『お前には飽いた。下がれ』と命じる、前世のレオンの映像が鮮明で、ニーナは怖くてたまらなかった。いつかまた、あんな冷たい顔で睨まれるのかと思うと、レオンに近づくのも恐ろしくなっていたのだ。
 でも今世の彼は、まだニーナに優しい。
「……好きよ……」
 ニーナは溢れかえる感情を、ぽろりと零した。レオンは頰を染めるニーナに瞳を細め、その目尻に口づける。部下の前では厳めしいばかりの彼が、ニーナだけに見せる、甘い態度だった。
「……ニーナ。俺が君を守るよ。……運命などには、決して奪わせない」
「運命……?」
 瞼を閉じて、口づけを受け入れたニーナは、自分にだけ聞こえる声で囁かれ、目を開く。
 運命なんて言葉、初めてレオンから聞いた気がした。ニーナ自身、運命などという言葉は、前世を思い出すまで使わなかった。
 どうしてそんな言葉を使うのかしら、と見ると、彼は苦しそうな表情でニーナを見返し、低く呟く。
「――神にも負けぬ」
「……神様……?」
 ニーナは話が摑めず、首を傾げた。レオンは説明する気はないらしく、何も言わずニーナの髪を梳く。つられて己の髪を見たニーナは、安堵した。どす黒く変色していた髪は、レオンが魔法をかけてくれたみたいに、元の澄んだ青色に戻っていた。
 レオンはニーナから身を離し、ベルクマン一家を振り返る。
「じゃあ、庭園に行こうか」
「ええ、ぜひとも! お楽しみ頂けると思いますよ」
 ニーナに冷淡な眼差しを注いでいたベルクマン侯爵は、レオンと視線が合うと、ころっと表情を変え、笑顔で庭園へと誘った。レオンとベルクマン侯爵の後について行こうとしたニーナは、目の前を横切ったアメリアの視線に、身を強張らせる。
 アメリアは、嫉妬に染まる瞳でニーナを睨みつけてから、ベルクマン侯爵の元へ駆けていった。
「……ニーナなんて、いなければよかったのに」
 背中越しに吐かれた彼女の小さな声は、なぜかはっきりと聞こえた。

 玄関前でアメリアの反応を見てから、ニーナは彼女の視線を意識せずにはいられなくなっていた。
 彼女は、レオンとニーナが一緒にいる時、必ずどこかから様子を見ているのだ。
 宝探しゲーム中も、レオンがニーナに近づくと、すぐに気がついて、目で追う。それが繰り返されていくごとに、彼女の顔が怒りに染まっていき、ニーナは恐怖を覚えた。
 アメリアはこれまで、レオンに大胆に懐いていたが、ニーナに敵意を向けることはほとんどなかったのである。機嫌が悪いと、食事中にわざとニーナにスープをかけたり、教師に課せられた課題を代わりにして、と命じてきたりしたが、ベルクマン侯爵の暴力に比べれば、可愛いものだ。
 けれど、今日の彼女の表情は違った。明らかにニーナを睨みつけ、嫌悪を示している。レオンが帰ったあと、ベルクマン侯爵に何か言いつけ、折檻するよう促すのでは、と考えずにはいられず、ニーナは震えそうになるのを辛うじて堪えて過ごしていた。
 そしてニーナは暴力を恐れ、次第にレオンから距離を置くようになっていった。
 宝探しは、見つけた人が宝を得られるゲームだが、どうせ見つけたところで、宝を本当に手にできるのは、アメリアとレオンだけだ。盛り上げるために使用人も数名参加しているけれど、彼らももっぱら、宝を見つけたアメリアを褒め称えるに徹していた。
「アメリアー、お前が欲しがっていた、花の髪飾りだぞー!」
 ベルクマン侯爵が楽しそうに、庭園の中央付近にある岩の陰から見つけた宝を掲げる。
「わあ、本当! ありがとうお父様!」
 駆け寄ったアメリアは、当然それは自分への贈り物として、髪につけてもらっていた。
 ニーナは庭園の端に生えた木の根元に屈み込み、遠目にベルクマン親子を見つめる。庭園の中央は花園になっており、笑い合う父子の姿は、温かみのある光景だった。
 ニーナは自然、実の父と遊んだ記憶を思い出し、瞳を潤ませる。
 ――お父様とする遊びは、魔法を使ってばかりだったけれど。
 魔法の力が強すぎて、風船みたいにぽーんと上空に投げられた時は、泣いてしまった。泣き声を聞きつけた母が庭園に出て来て、父を叱り、今度はしょんぼりした父をニーナが慰めるという、あべこべなやり取りをしていたものだ。
 思い出はいつまでも鮮やかで、ニーナは寂しさを覚えて俯く。ニーナと一緒に庭園に来ていたシュネーが、すり、と膝頭に体を擦りつけて、「なー」と鳴いた。
 まるで慰めるような仕草に、ニーナはふっと笑う。
「慰めてくれてるの? ありがとう、シュネー」
 ニーナは彼女の体を撫で、庭園の向こう――東の空に目を向ける。父の故郷・ネーベル王国を覆いつくす深い霧は、王都にあるベルクマン侯爵邸からもはっきりと見えた。シュネーは、ニーナの視線を追うが如く、一緒に霧向こうの国の方向に顔を向け、さあっと吹いた風の匂いに髭をそよがせる。
「……親子仲よくて、微笑ましいことだな」
 低く抑えた声が頭上から聞こえ、ぼんやりネーベル王国を見つめていたニーナは、はっとする。
 振り返ると、避け続けていたレオンが、ニーナの傍らに屈み込むところだった。愛猫は、ぱっと身を翻して、館へ帰っていく。
 傍に片膝をついたレオンは、風で乱れていたニーナの髪に目をとめ、手を伸ばした。すぐにアメリアの視線を思い出し、避けようと思ったが、彼の動きはニーナよりも速く、前髪に触れられる。
 できるだけアメリアに見えないよう、ニーナは身を小さくした。
「……あのドレスは、気に入らなかったか?」
「え?」
 唐突に質問され、ニーナはきょとんとレオンを見上げる。彼はやや機嫌の悪い表情で、庭園の中央を目で示した。
 庭の中央には、ベルクマン親子がいる。ニーナはすぐに、アメリアが着ているドレスの話だとわかり、気まずく目を泳がせた。
「……それは……」
 しかしレオンは返答を待たず、皮肉げに口角を上げる。
「まあ、どうせアメリアが欲しいと言ったのだろうが。使い古しのドレスくらいで目くじらを立てるつもりはないが、今後はやめてくれ。俺は君に贈っているのであって、アメリアに贈っているわけではない。ドレスも、宝飾品も、俺の妻の立場も、全て君に贈るものだ」
「――……」
 いつかは――アメリアのものになるのに?
 ニーナは、喉元までせり上がったその声を留めるため、唇を引き結んだ。
 レオンは、返事をしないニーナに片目を眇める。苛立ったようなため息を吐くと、彼は顔を近づけた。
 ニーナは顎を引いて、その口づけを避ける。後頭部が木の幹に当たり、ニーナは視界の端に桃色のドレスを見た気がした。
 ――アメリア……?
 ニーナは確認しようとしたが、レオンがその顎に手をかけ、視線を引き戻す。
「待って……っ」
 アメリアが見ているかもしれないから、と言いたかったが、レオンは拒もうとするニーナの手首を摑み、木の幹に押しつけた。
「レオン……っ」
「……ニーナ」
 レオンは少し切なそうに名を呼び、唇を重ねた。
「ん……っ」
 彼は、先日よりもずっと丁寧に、ニーナの唇を塞いだ。柔らかく触れるだけの口づけを繰り返し、それからそっとニーナを見やる。唇を重ねたまま視線が合い、ニーナの心臓がドキッと跳ねた。彼は促すように瞳を細め、軽く口を開く。ニーナは、応じるか迷った。誰にも見られていないのを、確認してからにして欲しかったのである。しかし彼はニーナの反応に軽く眉を上げ、強引に口内に舌をねじ込んだ。
「――や、んっ……」
 口づけは濃厚で、時を置かずに思考を奪おうとした。ニーナは身を捩り、レオンが与える快楽を逃そうとする。それを察した彼は、より煽るように舌を絡め、彼女が抵抗しなくなるまでキスを続けた。
 ようやく解放された頃、ニーナは息を乱し、涙目になっていた。レオンはニーナの濡れた唇を、親指で拭う。存分にニーナを味わっただろうに、くたっとした彼女の頰に口づけた彼の表情は、不満そうだ。レオンはニーナの耳元にまで口づけ、不機嫌に尋ねた。
「……ニーナ。俺のキスを拒むのは、あの男が原因か? 俺よりも、他の男がいいのか」
 ニーナは、ぱちっと目を見開く。まさか自分が浮気を疑われているとは考えてもおらず、驚きを露にレオンを見返した。
「……そんなこと……」
 ニーナが好きなのは、レオンだけだ。今まで一度だって、ニーナはレオン以外に恋をした経験がない。
 ――何度も色々な女性に目移りしてきた、レオンと違って。
 あの日の状況を思い出そうとしていた彼女は、するっと遠い過去の記憶の方を蘇らせてしまい、眉根を寄せた。
 ――レオンは、堂々と六度も不貞をしている。
 自分の過去は棚に上げ、ニーナを責めるのかと、彼女は不機嫌になった。
 彼女は、レオンの口添えで幼少期に家庭教師をつけられ、しっかり教養を身に着けた聡明な少女だ。レオンの隣に立つに相応しい、落ち着きと知性を兼ね備えている。レーゲン王国内に、彼女を上回るほど教養のある少女はおらず、だからこそ、レオンの婚約者にもなれた。
 以前ならば、彼女はもっと冷静に対処していたはずである。
 しかし前世の記憶を取り戻したことで、未だ混乱しており、気持ちは不安定なままだった。
 故にニーナは、感情的に反発を覚える。
 ――浮気をしてきたのは、そっちじゃない。前回の人生では、他の女性と閨まで共にして……っ。
 沸々と怒りが込み上げ、ニーナはぷいっと顔を背けた。
「ギードさんとは、なんでもありません! あの夜、初めて会った人だもの」
「……キスを許したのは、酔っていたからか?」
「キス……?」
 きちんとあの日を思い出していなかったニーナは、眉を顰める。キスなんてしてない、と思ってから、そういえばこめかみにキスをされた、と思い出した。
 けれど、ニーナは怪訝に首を傾げる。
 あれはどちらかというと、異性としてされたのではなく、怯えたニーナをあやすためにされた雰囲気だった。――まるで家族のような、温かな仕草。
 そう答えて大丈夫だろうか、と考えを巡らせていると、レオンは焦れたようなため息を吐き、顔を覗き込んできた。菫色の綺麗な瞳が、ニーナの青い瞳をまっすぐに射貫き、誰よりも愛し続けてきたその人の顔に、ニーナの胸が高鳴る。
「ニーナ。……君は、俺のものだ。君の唇に触れ、君を組み敷き、君の全てを我がものにするのは、この俺だ。誰にも譲る気はない。――他の男は諦めろ」
「――……」
 結婚後の生活を彷彿とさせる、赤裸々な言葉の数々だった。彼女は急いで顔を伏せ、手のひらで口元を押さえる。そうしないと、瞬時に火照ってしまった顔を、レオンに晒す羽目になる。
 喜んでいると悟られるのは、悔しかった。
 だがニーナは、獰猛な肉食獣の眼差しで釘を刺され、嬉しいと感じていた。独占欲を見せつけられたようで、鼓動の乱れが収まらない。
 たとえそれが、政略的な観点から吐かれた言葉であろうと、少しでも自分に想いがあるのでは、と期待してしまうのが、恋する乙女の性だった。
 俯いていた彼女は、自分の足元に影が差し、視線を上げる。そして赤く染めていた頰を、一瞬で青ざめさせた。
 二人の傍らに、ベルクマン親子が立っていたのだ。
 アメリアは自らの父親に腕を絡ませ、拗ねた表情で身をすり寄せる。
「せっかくゲームをしていたのに、ニーナったら参加もしないなんて、酷い」
 それはレオンも同じだったが、当然彼は非難の対象にならなかった。
 ベルクマン侯爵は今にも殺したそうな、冷酷極まりない視線をニーナに注ぐ。
「辺境で育ったから、ニーナは宝探しゲームの仕方を知らなかったのだろう。あとでよく教えてやらなくてはな」
 その言葉に、ぞっと寒気が走り、ニーナの全身から血の気が引いた。ルールを教えてやるという名目で、地下に連れて行かれ、打たれるのは想像に容易い。
 ニーナは震え出しそうに怯え、身動きができなくなった。どんな対応をしたらいいのかもわからなくなった彼女は、やにわに手を引かれ、驚く。
「あっ」
 へたり込んだ彼女を軽々と立たせたのは、レオンだ。彼はニーナを抱き寄せ、ベルクマン侯爵に向かって笑みを浮かべた。
「大丈夫だ。今、私が教えたところだから、次からは彼女もアメリアのように、積極的にゲームに参加するだろう。宝探しは、宝を見つけた者がそれを手に入れられるというルールで、相違ないだろう?」
「……それは、お手間をおかけしました」
 レオンには強く言えないベルクマン侯爵は、物足りなさそうな表情で礼を言い、アメリアは明るい笑みを浮かべ、自分の髪飾りを指し示す。
「あ、これ見て、レオン殿下! お父様が見つけてくださったの。ずっと欲しかった髪飾り!」
 ルールについて語ったレオンの話を一切聞いていない、無邪気なアメリアに、彼は微笑んだ。
「ああ。可愛い髪飾りだな、アメリア」
 アメリアは「きゃっ」と声を上げ、己の父からレオンの腕へと飛びついた。レオンはニーナを背に回し、ベルクマン親子と談笑を始める。棘のあるアメリアの視線と、ベルクマン侯爵の獲物を狙う猛禽類のような瞳から隠され、ニーナはほっとした。
「これは、製造数に限りがある、とっても高価な髪飾りなの!」
「アメリアはアードラーの商品が好きでしてな」
「そうか。では私がニーナにルールを教えている間、退屈させた詫びに、今度何か贈ろうか」
「――本当!?」
 贈り物と聞いた途端、アメリアは頰を紅潮させ、ベルクマン侯爵は満足そうに笑った。
「よかったな、アメリア。この間欲しいと言っていた、リボンなど頂いてはどうだ」
 レオンは顎を撫で、首を傾げる。
「リボンか。最近はストライプ柄が人気だと聞いたが……」
「そうなの! とっても可愛い、ピンク色のリボンがあってね……っ。あ、赤もいいのだけど」
 レオンが話すごとに、ベルクマン親子はニーナなど忘れていくようだった。彼らがニーナに向けて発していた苛立ちもいつの間にか消え失せ、上機嫌とすらいえる表情に変わっている。
 ぽつんと会話の輪から外されたニーナは、震える息を吐いた。
 レオンのおかげで、今夜の折檻は免れそうだと安堵すると同時に、その言動に打ちのめされてもいたのである。
 口説いているとさえ取れる言葉を吐きながら、アメリアに目を向けるレオンの横顔はまた、甘く優しかった。
 束の間の喜びで満たされていたニーナの胸は、冷水を浴びたかのように凍え、彼女は眉尻を下げる。
 ――やっぱり、レオンが選ぶのは、アメリアなのね……。
 空に雨雲が広がり、ぽつりと雨が降り出すまで、時間はかからなかった。
「雨か。館へ帰ろうか」
 レオンが促すと、ベルクマン親子は機嫌よく彼と一緒に歩き出す。滲んだ涙を拭うニーナに気づかぬまま、レオンは彼女に背を向けて、彼らと館へ向かって行ったのだった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「許してくれとは言わない。俺が悪かった。だが今一度考えて欲しい。俺は――君のために、国を変えると約束する」
 ――国を変える。
 その一言に心が浮足立ちそうになり、すぐにニーナは、現実を思い出した。
 これは愛の告白なんかじゃない。彼はかつてから、国交締結の計画を立て、それを推し進めているだけに過ぎない。
 それに、レーゲン王国には、ベルクマン侯爵がいた。
 内務大臣という要職に就いた、ニーナを厭い、殺せと命じていた彼がいるのに――どうやって変えるというのか。
 ニーナはこくりと唾を飲み込み、真剣な面持ちで自分を見つめるレオンに、口を開いた。
「……そんなの無理よ、レオン」
「ニーナ……っ」
 レオンは失望の滲む声で名を呼んだが、ニーナは顔を背け、図書室の出入り口へと向かう。
 国を変えるなんて、できるはずがない。議会がニーナを承認するはずもない。
 この恋は――いつだって叶わなかった。
 レオンとニーナは何があっても、結ばれない。そしてきっと、愛さえもない。
 六度も繰り返した残酷な運命は、彼女に希望を抱かせぬ、十分なまでの苦しみを与えていた。
 頰を強張らせて図書室の扉を開けたニーナは、ちょうど扉の前に立っていた青年を見上げる。
 今しがた来たのだろうか。白銀の髪に、青い瞳を持つザシャが、ニーナを見下ろして目を瞬いた。
「あれ……勉強はもうお終い、ニーナ?」
 兄の顔で穏やかに尋ねられ、応じようとしたニーナは、また口を閉じる。ザシャの肩越しに、既視感のあるドレスを着た少女が立っていた。ニーナの全身から、血の気が引いていく。
 目立たないが、いくつもの宝石を使った、桃色の清楚なドレス。レオンに贈られ――そして彼女が気に入って勝手に持ち去った。
 ニーナの視線に気づいたザシャは、その少女が見えるよう、体を横にずらす。
「先日から文がしつこくて。ニーナに会いたいと煩いから、召喚を許したのだけど……」
 柔らかな風と涼しげな水音が響く穏やかな王宮に、彼女のその笑顔は目に眩しく、そしてニーナの心臓を凍りつかせた。
「……アメリア」
 ハニーブロンドの髪に、金色の大きな瞳を持つ、ニーナのいとこ・アメリアが、満面の笑みを浮かべて立っていた。


「ニーナに、レオン殿下……! お会いしたかったわ……!」
 彼女は大きな声でそう叫ぶと、ニーナの脇を通り抜け、図書室に駆けていく。ニーナは彼女を目で追い、そしていつの間にか自分の後ろまで歩み寄っていたレオンに気づいた。
 ふわりと風が起こり、ニーナの髪が揺れる。
 レオンは彼女を見下ろし、僅かな驚きを見せた。
「……アメリア。なぜここに」
 アメリアが勢いよく胸に飛び込み、レオンは彼女を抱き留める。ぽすっと受けとめられた彼女は、頰を上気させ、瞳を輝かせて彼を見上げた。
「ずっと、ずーっと寂しかったの! お父様にお願いして、来ちゃった!」
 仲睦まじそうに抱き合う二人を、ザシャは呆気に取られた様子で見つめ、ニーナは静かに踵を返す。廊下には、侍女のリーザと、ハンネス、そしてカールが立っていた。
「ニーナ、待ちなさい」
 レオンが即座に呼びとめたが、ニーナは振り返らなかった。
「寂しかったようですから、どうぞアメリアをお慰めしてあげてください、レオン殿下。私は、下がります」
 うんざりしていた。アメリアとレオンが触れ合う様を見るのも、運命に嘆くのも――疲れ果てた。
 ――やっぱり、運命は変わらないのよ。
 たとえレオンが国を変えようとしても、ベルクマン侯爵がいる限り、あの国には戻れない。議会は妖精の血を宿すニーナを否定し、そしていずれ、レオンはアメリアを娶るのだ。
「リーザ、部屋に戻りましょう」
 自らの侍女に声をかけると、アメリアが興味深そうに声をかけた。
「まあ、侍女? ニーナの?」
 耳障りな、揶揄を含んだその問いに、リーザが応じた。
「はい。リーザと申します、お嬢様」
 彼女は膝を折り、アメリアに挨拶をする。礼節を持った対応をされたアメリアは、満足そうに笑い、屈託のない調子で言った。
「よかったわね、ニーナ。レーゲン王国だと、お父様は貴方になんてもったいないとおっしゃって、侍女は私にしかつけてくれなかったもの。貴女はずっと、この国にいた方がいいのじゃない? 貴女も、こっちの方が、居心地がいいでしょう?」
 言外に、二度と戻るなと言われ、ニーナの心はズタズタに裂かれた。振り返れば、レオンは腕を離したのに、彼女は彼の腕に手を絡め直し、無邪気に笑っている。
 ――触らないで。
 思いがけず、そんな刺々しい言葉が胸をよぎり、ニーナは目を瞬いた。
 自分の胸を見下ろし、当惑する。
 これまで、どんなにレオンが浮気をしても、こんな感情は抱かなかった。レオンの裏切りへの失望、悲しさばかりが心を占め、相手の女性など、まともに意識もしなかった。直前の前世で、勝ち誇ったかのようにうっとりと微笑む、懐妊した女の子にすら憎悪はなく、ただひたすらに、そこに至った過程を汚らわしく、おぞましいと感じるばかり。
『怒りたい時は、怒っていいんだよ』
 ザシャの声が耳に蘇り、ニーナはそうか、と思った。
 ずっとずっと我慢していた。自分に怒る権利はないのだと、無意識に感じていた。
 妖精の血を引く自分は、卑しい見た目で、生かさせてもらえるだけありがたい。そうベルクマン侯爵に言い聞かせられて萎縮し、前世でもレオンの立場を慮るあまり、ひたすらに尽くそうとだけ考えていた。
 王太子の妻となるべく勉学に励んだ彼女は、感情を外に出すべきでないと学び、それを延々続けてきたのだ。――レオンに相応しい女性となるために。
 でも――と、ニーナは自身の婚約者とアメリアを見る。
 レオンは恋人が目の前にいるのに、自分に触れてくる女性を拒絶しない。アメリアは、恥じらいもなく他人の婚約者にまとわりついている。
 ――なんなの。
 ニーナを取り巻く人たちは、彼女が何も言わないからと、傍若無人に振る舞う。
 どうしてニーナばかりが、完璧でなくてはならないのか。レオンの態度も、品のない言動を繰り返すアメリアも、とても腹立たしかった。
 ――私だって、怒っているのよ。
 怒りを自覚すると、倦んだ心に、さあっと澄んだ風が吹き込んだような気がした。
 ニーナは息を吸い、アメリアに向かって、微笑む。
 それはぞくりと背筋が凍るほどの、甘く美しい笑みだった。
 アメリアはきょとんとするだけだったが、それを見たレオンの顔からは、表情が消える。
「そうね、アメリア……。確かにこの国は、とても居心地がいいわ。――貴女のお父様のように、私を打つ人はいないもの」
 最後の一言に、アメリアは目を見開いた。ニーナは人生で初めて、自分が暴力を受けていた事実を口にした。ずっと隠さねばと信じ込んでいたが、もはやその必要はないのだ。
 ――なぜ暴力を受けていたニーナが、ベルクマン侯爵を守る必要がある。
 ニーナはレオンに視線を向け、小首を傾げた。
「……レオン殿下。国を変える必要はありません。貴方は知に武にと秀でた統治者の器をお持ちですが――」
 ニーナは一度言葉を切り、レオンの腕に視線を移す。アメリアがしっかりと摑む様を眺め、ふっと笑ってみせた。
「国を変えずとも、レーゲン王国は既に安寧の時を刻んでおります。波乱を生む必要はないでしょう。……私でなくとも、望んで貴方の世継ぎを生みたいと考える者も既にいらっしゃるようですから――どうぞ、早々にお国にお帰りになって」
 その言葉の意味がわからない人間は、この場にいない。
 アメリアはぽっと頰を染め、レオンは唇を真一文字に引き結んだ。
 ニーナはふわりと薄布のドレスを翻し、背を向けた。真後ろにハンネスが立っていたが、冷えた目で自分を見下ろす彼に、ニーナはまた微笑んだ。
「道を空けて」
 そう言うと、彼は気に入らなそうに眉を顰めたが、すっと脇に避ける。リーザが静かに後ろにつき従い、ニーナは背筋を伸ばして廊下を歩み去った。
 ――もう、誰にも怯えず、誰にも縋らない。強くなる。
 運命だって変えてみせる。ニーナは今まで一度だって、自分からレオンを突き放さなかった。でも今世は違う。
 ――一度も好きだと言ってくれなかった人に、これ以上尽くすのは無意味。
 レオンを望まない。そして今世では決して、殺されない。
 そう強い意志を持った彼女の背は、冷たくも美しい光を放つ宝石のように、凜としていた。


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