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悪役令嬢はスローライフをエンジョイしたい! ダンジョンは美味しい野菜の宝庫です

雨宮れん / 著
漣ミサ / イラスト
ISBNコード 978-486669-273-9
本体価格 本体1,200円+税
発売日 2020/02/27
ジャンル フェアリーキスピュア

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内容紹介

《快適なスローライフのため、王子様も精霊も、私の下でキリキリ働いてもらいます!》
突然王太子から婚約破棄を申し渡された悪役令嬢シルヴィ。王太子の恋人へのいじめ疑惑は大根掘りのアリバイでぶっ潰し、ふんだくった慰謝料とS級冒険者ライセンスを片手に田舎の農場へ悠々移住。さあ憧れのスローライフを! と思いきや、今度はクソ真面目な第二王子が押し掛けてきた!? どうも彼女を王家に仇なす危険人物と見ているらしく、監視と称して居座るようになり――。ならば仕方ない。四大精霊共々私のためにキリキリ働いてもらいます!

立ち読み

「シルヴィアーナ・メルコリーニ! そなたとの婚約は破棄する!」
 聖エイディーネ学園の大講堂。朗々とした若者の声が響きわたる。
 声を発したのは、ベルニウム王国の王太子、クリストファーだ。
 本日、これから卒業式を迎えるということもあり、大講堂には学園の生徒全員と卒業生の家族が集まっていた。
 学園の制服は、黒と白を基調とした男女ほぼ同じデザインだ。相違点は、男子生徒はズボン、女子生徒は膝丈のスカートという点くらいだ。
 同じ制服に身を包んだ生徒達の中、黒の正装に身を包んだクリストファーは、立っているだけで人目を惹き付ける。すらりとした長身に、細身の体軀。ハシバミ色の髪は額に落ちかかり、時に物憂げな表情を演出する。
 周囲の視線はいっせいにクリストファーに向き、それから婚約破棄を言い渡された令嬢の方へ移動した。
 黒い髪を豪奢な縦ロールにセットし、皆と同じ制服に身を包んだ齢十八の令嬢――シルヴィアーナは、すっと背筋を伸ばす。
 きちんと整えられた髪を、乱れてもいないのに手で整えなおしたクリストファーは、今、自ら婚約破棄を叩きつけたばかりの『元』婚約者に勝ち誇ったような笑みを向けた。
 閉じた扇を右手に持った彼女は、ゆるりと口角を上げる。
「謹んでお受けします!」
「そうか、それなら――ん? 婚約を破棄すると言ったのだぞ」
「謹んでお受けします!」
 婚約を破棄された哀れな令嬢の方は、同じ言葉を繰り返し満面の笑みだ。彼女の笑みを見ていると、どこが哀れなのか怪しくなってくるが。
「……婚約破棄だぞ?」
「謹んでお受けします!」
 どこの居酒屋かと突っ込みたくなる勢いで、シルヴィアーナは同じ言葉を繰り返す。前のめりになった勢いで、縦ロールがばさりと宙を舞った。
「婚約破棄でございましょう? 喜んで受け入れますとも! 喜んで! 大喜びで! 全力で喜んで!」
「こ、婚約破棄だぞ! 王太子妃の座から降ろされるんだぞ!」
「わたくし……かまいませんけれども?」
 黒い縦ロールを揺らし、シルヴィアーナは唇に閉じた扇を当てて「それがどうしたのか」と言いたげな表情となる。
 皆と同じ制服を着用しているというのに、シルヴィアーナの美貌は際立っていた。優雅に扇を扱うその姿は、そのまま一幅の絵になりそうだ。
 彼女の返事が想定外だったからか、クリストファーは怪訝な表情になった。
「でも、……『わたくし』が婚約破棄を言い渡される理由くらいはお聞きしてもよろしいでしょう? この場に集まっている方々も、その点は気になると思うんですの」
 シルヴィアーナは首をかしげ、それからゆったりと大講堂内に視線を巡らせる。
 彼女と目が合って真正面から見返してくる者、気まずそうに視線をそらす者、視線が合う前にうつむいて床の木目を数え始める者など反応は様々だ。
「わざわざ、卒業の日に生徒皆が集まる場を選んで破談を言い渡すのですもの。よほどの理由がおありなのでしょう? ただ、婚約を解消したいのであれば、国王陛下から我が家にその旨を通達すればいいのですから」
 想定内だったのか、シルヴィアーナは、生徒達の無礼な態度を特に咎めることもなく続けた。
 メルコリーニ公爵家といえば、王家の血が流れる名門貴族。国内でも有力貴族の筆頭として知られている。
 そんな公爵家と王家に年の頃が釣り合った男女が生まれれば、娶せようという流れになっても当然だ。そんな風にクリストファーとシルヴィアーナの婚約が決まったのは、今から十年前のことだった。
「そ、それは! そなたがカティアをいじめたからだ!」
 クリストファーの視線が、傍らに控えていた少女へと向かう。
 ぱっちりとした青い瞳に、バラ色の頰。小動物のような愛らしさを持つ娘だ。
 明るい金髪をピンクのリボンで束ねた彼女に、シルヴィアーナは目を向けた。
 ひぃっと声にならない悲鳴を上げ、少女――カティアはクリストファーの腕に縋りつく。
「覚えがありませんわ」
 手にした扇を広げ、わざとらしくその陰で嘆息する様は嫌味なまでに優美で、カティアとの格差というものがそれだけでありありと周囲の人には伝わってしまう。
 生まれながらに王族に準じる立場として、厳しい修練を重ねてきた者とそうではない者の差だ。
「わたくし、これでも忙しい身ですの。そんなくだらないことをしている暇なんてありませんわ」
「なっ――」
 扇越しに哀れむような目で見られ、クリストファーの顔が真っ赤に染まる。
「カティアが編入してすぐ、彼女の教科書を破っただろう」
「この学園において……教科書は国家からの支給品です。その支給品を私が破る必要がどこにあるのですか?」
「カ、カティアが目障りだったからだろう!」
 冷静なシルヴィアーナに対し、クリストファーの方はどんどん怒りが増しているようだ。
「教科書は国家からの支給品と申し上げたはずです。彼女の教科書を破損することは、国家の財産を傷つけるも同じ。〝貴族〟として、そのような真似はいたしませんわ」
 他の者の口から出たのであれば、〝貴族〟という言葉は、傲慢ととられたかもしれない。だが、シルヴィアーナの口から出れば、それは当たり前のこととして響いた。
「そ、それはともかくとしてだな! 一週間前は、カティアを階段から突き落とした。ほら、彼女の左腕、包帯が巻かれているだろう」
 自分の分が悪いと思ったのか、クリストファーは攻撃方法を変えてくる。だが、それもまたシルヴィアーナには通じなかった。
「怪我に関しては、回復魔術をかければよろしいのではなくて? カティア嬢は、回復魔術の使い手であったと思いますけれど。それに、一週間前はわたくし、学園におりませんでしたのよ。突き落とすなんて不可能ですわ」
 うつむくようにして、シルヴィアーナは扇の陰で目を伏せる。あまりにも気落ちしているように見えたのか、彼女に手を差し出そうとした男子生徒がいた。
「馬鹿、今、この状況で出ていったら王家に目をつけられるぞ!」
 友人の言葉に、前に出ようとした男子生徒は、慌てて自分の位置へと戻る。そんな彼を、クリストファーはじろりとにらみつけた。
「学園にいなかったって、授業をさぼって何をしていたのだ?」
 その点もまたクリストファーの攻撃ポイントとなったらしい。一方、シルヴィアーナもまたきちんと打ち返す準備をしていた。
「一週間前は、卒業試験も終わり、授業はありませんでした。時間ができたので、わたくし、ご老人の頼みでダンジョンに大根を掘りに行っておりましたのよ?」
「……はぁっ!?」
 ダンジョンに大根を掘りに行く――令嬢の口から出るのに、これほど不似合いな言葉もなかなかない。はたして、シルヴィアーナの言葉に大講堂中がしんと静まり返った。
「ダンジョンに、大根……」
「ええ。ダンジョン産の野菜は、味がよくて栄養価も高い。ポーションの材料としても使われるのですもの。ご老人にお願いされれば、掘りに行くのは若い者の務めですわ。わたくし達はその能力を持ち合わせているのですから」
 この世界において、『ダンジョン』は魔物が発生する恐るべき場所であるのと同時に、実りをもたらす場所でもある。どういう原理なのかは現在研究中なのだが、貴重な薬草が採取できたり、栄養価が高くおいしい野菜や果物が収穫できたりする。
 魔物の落とす魔石も、膨大な魔力を内蔵しているために利用価値が高い。
 そして、ここ聖エイディーネ学園は、国内外の優秀な少年少女を集めて鍛練するための教育機関であった。
 彼らには入学してからの三年間、一般的な学問を修めるのと同時に、ダンジョンから出てくる魔物に対峙するための訓練が施される。基本的に貴族しか入学を許されず、平民はカティアのように非常に優秀であると認められた者のみ、という名門でもある。
「でまかせだ! 生徒には、授業外でダンジョンに行くことは許されていない!」
「特例というものがございますのよ、殿下。わたくし、冒険者免許を持っておりますの」
 貴族がダンジョンの外で民を守るのを義務とするならば、積極的にダンジョンに入っていくのが冒険者と呼ばれる人達だ。
 冒険者ギルドは国から独立した組織ではあるが、いざという時には国と協力して動くことにもなっている。
 特に優秀な生徒に限り、卒業前に冒険者ギルドに属することを許されるケースもあるが、それは特例中の特例であり、ここ何十年かは例がない。
 シルヴィアーナが優秀な生徒であるのは皆知っているが、メルコリーニ家のご令嬢である彼女が冒険者ギルドに属しているなどという話は出たことがない。
「シルヴィアーナ・メルコリーニなどという冒険者がいるなんて聞いたことがない!」
「偽名を使っておりますもの。わたくしが、冒険者としてダンジョンに潜っているなんて知られたら大騒ぎになりますわ。特例ですのよ、特例」
 優美な仕草でシルヴィアーナが手を振ると、そこに現れたのは銀のカードだった。冒険者としての登録を済ませた者が持つ冒険者免許だ。
「シルヴィ・リーニ。これでもS級冒険者ですの。ダンジョンに入った記録は受付がすべてとっていますから、わたくしのアリバイは証明できると思いますわ」
 姓も名も、単に本名の一部を取っただけ。
 それでも誰もシルヴィアーナとシルヴィが同一人物であると気づかなかったのは、公爵家の令嬢があえて冒険者として最前線で活動するなんて今まで例がなかったからだ。
「この半年ほどの間、わたくしも殿下と結婚するのは嫌だなー、ものすごく嫌だなー、破談にしたいなーと思っておりましたの。ですから、今回の件、渡りに船というものですわ――」
 右足を一歩後ろに引き、シルヴィアーナはその場で頭を垂れる。王族への最大限の敬意を込めて。
「それでは、わたくし、これで失礼させていただきます。こういう状況ですから、卒業式は欠席させていただきますが、お許しいただけますわね?」
 その瞬間、彼女の姿は光に包まれ、大講堂から消え失せたのだった。

◇◇◇◇◇

「よし、掃除をしたら町に行くか!」
 両手をぱちりと打ち合わせて、自分に気合を一つ。公爵家の娘としての義務はしばし放置。
 これからは、自分の好きなように生きていくのだ。
(お妃教育大変だったしね……)
 王妃直々のお妃教育も大変だった。公爵家の娘なので、ある程度は事前に父から叩き込まれていたが、母は貴族の出ではなく、マナーについては至らない点も多い。
 そのため、貴族の娘として必要なあれやこれやはすべて王妃が教えてくれた。
 クリストファーがシルヴィを糾弾した場ではおろおろとうろたえ、あげくの果てに失神していた人ではあるが、あれでも平時には落ち着いて行動できるのである。
(やっぱり買い出しは必要よねぇ……)
 当座の食料は昨日実家から持ち出したが、足りない調味料もあるし、街の様子も見たい。
 掃除をしたら町に出かけよう。屋台でアツアツのホットドッグが食べたい気分だ。
 そうと決まれば、あとはやるべきことを済ませるだけ。
 清掃魔術も身につけているので、掃除も一瞬で終わらせることができるが、今回はあえて自分の手を動かす。
 そうすることで、室内の点検も兼ねているのだ。この農場を買い取った時に、一度全部点検しているが念のためである。
 だが、掃除を終えて町に出ようとしたところで、家の扉が叩かれた。
「シルヴィアーナ・メルコリーニ」
 扉を開いた先にいたのは、昨日まで未来の義弟となるはずだった男性だった。
 わかりやすく言えば、元婚約者、クリストファー王太子の弟、第二王子のエドガーである。
 シルヴィは黙ってそのまま扉を閉じた。
「――こら、扉を閉めるな!」
「いえ、この家は留守ですので! お気遣いなく!」
 堂々と居留守を使いながら、扉にもたれて考える。
(なんで、彼がこんなところにいるわけ?)
 昨日も国王の後ろにいて、クリストファーを懸命に押さえていたが、シルヴィには敵意を向けていた。
 その彼が、昨日の今日でなぜここにいる。
(あ、いや……王族なら転送陣の一つや二つ、ぱぱっと作れるわよね……)
 元来王族や貴族は、平民と比較すると魔力が多く、聖エイディーネ学園が基本的に王族貴族しか入学を許さないのもそんな事情からだった。
 カティアや現メルコリーニ公爵夫人のようなレアケースも存在するが、どこかで貴族の血が混ざっていることが多いと聞いている。
「……まずは、謝罪に来た」
 シルヴィが背中を預けている扉の向こう側から、そんな言葉が聞こえてくる。
(王家を代表しての謝罪――ではないわよねぇ……)
 それなら昨日、クリストファーが退室させられたあと、国王夫妻から直々にいただいている。
 今さらエドガーが来る必要はないはずだ。
「謝罪って何を?」
「……昨日の俺の態度についてだ。一方的に婚約を破棄された女性にとるべき態度ではなかった。申し訳ないことをした」
 どうやら、一晩たって頭が冷えたようだ。素直に謝罪しに来るあたり、クリストファーとは少し違うらしい。
 と、一瞬見直しかけたが、次の言葉で台無しだった。
「だが、お前の王家に対する不遜な態度は別問題だからな!」
「あのくらい、いいじゃない」
 不遜な態度と言われても。
 王家はともかく、クリストファーに対しては尊敬の念など消え失せている。思いきり挑発したのも否定できない。
(……ものすごーく、楽しかったのも否定できないけどね!)
 王妃様直々に叩き込まれた扇の使い方を、思う存分発揮できたのは楽しかった。
 昨日の自分は、実に『悪役令嬢』っぽかったのではないかと思う。
「……そういうことで。じゃあ、謝罪は受け取ったのでけっこうです」
「――それともうひとつ」
 扉を開いたら、しかめっ面のままのエドガーが、すぐそこに立っていた。
「こんなところで、何を企んでいる?」
 真正面からそんな問いをぶつけられて、シルヴィも困惑する。
(何を企んでいると言われても)
 企んでいることなんて、何もない。
 とりあえずはスローライフを堪能するためにここに来ているわけで。
 なお、実家の両親もしばしば遊びに来るつもりではいるらしい。娘の一人暮らしが心配なのだそうだ――強盗が押し入ったとして、後悔する羽目に陥るのは間違いなく強盗の方だとしてもだ。
「何を企んでいると俺は聞いているんだが?」
 不機嫌そうに、エドガーは眉尻を上げる。
「……別に、何も」
「何もってことはないだろう」
「そんなことを言われても、わたくし、ここで一人暮らしを始める予定でしたのよ? 他意はございませんわ」
 元冒険者シルヴィではなく、王族を前にすれば自然と出てくる公爵家令嬢シルヴィアーナとしての振る舞い。長年の間に身についた習性は、簡単に抜けるものではないらしい。
(……って、もう私はシルヴィなんだし!)
 慌てて気を取り直した。
 シルヴィ・リーニ。元S級冒険者。
 現役中の主な活動地域は王都近くのダンジョンだった。若くして惜しまれつつも冒険者稼業は引退。
 ウルディに拠点を置き、夢だった農場を始めるところだ――というのが、シルヴィ・リーニの設定である。
 基本的には噓はついていない。公爵家の娘という肩書を勢いよく放り出してしまっているという一点をのぞけば。
 シルヴィの返答に、エドガーはますます不機嫌そうな顔になる。
「だが、わざわざ国境近くの町に来る必要はないだろう。王家にあれだけの喧嘩をふっかけたんだからな。何か企んでるんじゃないのか?」
「あれだけの? 喧嘩? はぁぁ?」
 シルヴィの声が裏返った。
 喧嘩をふっかけたのは、シルヴィではない。売られた喧嘩を買っただけ。
「婚約者としての扱いをしてもらえなかったのは私。公衆の面前で踏みつけにされたのも私。正式な手続きをとるのではなく――卒業式の場で、一方的に破談を言い渡されたのも私。喧嘩を売ってきたのは、クリストファー殿下の方でしょうに」 
 その言葉は、エドガーの耳には痛かったらしい。彼はうっ、と唸ってしまった。
「――たしかに。今の俺の言動も誉められたものではない。すまなかった」
 またもや勢いよく頭を下げるものだから、シルヴィの方も面食らう。王族たるもの、そう簡単に頭を下げない方がいいんじゃないだろうか――というのも余計なお世話だろうが。
「シルヴィ・リーニという冒険者、名前だけは知っていたが、まさかお前とは思わなかった。名を隠す以上、何か目的があると思うに決まっているだろうが」
 今度は違う方面から攻めてきた。シルヴィは肩をすくめた。
「そりゃ、わからないようにしてましたからね。卒業式の時にも言いましたけど、公爵家のご令嬢が冒険者やってるだなんて醜聞もいいところでしょうがよ」
 魔物から民を守るための技量を身につける必要はあっても、冒険者として活動するのは外聞が悪い。初代メルコリーニ公爵は例外中の例外だし、冒険者としての能力さえあれば平民でも配偶者として迎えられるというのも例外中の例外だ。
「だったら、なぜお前はそれを許される?」
「ダンジョンに潜るよう要求してきたのは、前国王陛下ですからね。ダンジョン産の野菜が必要なんですって」
「おじい様が?」
 前国王が高齢になって政務を行えないからという理由で、退位したのが二年前のこと。それ以前から、王家はシルヴィの能力には気づいていた。王子達には知らせていないが、国王夫妻は冒険者免許と引き替えにシルヴィに依頼を出してきた。
 ダンジョン産の野菜は、栄養価が非常に高く、また様々なポーションの材料としても使われる。冒険者達がダンジョンから採取してきた野菜も、市場で普通に流通している。普通に農家が育てた野菜の数倍の値はついているが。
 そのため、高齢の前国王夫妻の健康を守るために、その食事については基本的にダンジョン産の野菜が使われていた。
 シルヴィがダンジョンに大根を掘りに行ったり、芋を掘りに行ったりしていたのも、王家からの依頼を受けてのことだ。王家との関係を必要以上に悪化させたいわけでもなかったし、親戚でもあるし、何より実入りのいい仕事なので、体力的に厳しいことも多かったけれど、割り切って引き受けていた。
「それなら、お前はここで何をしてるんだ?」
「何をって隠居生活です。学園生活に冒険者稼業、おまけに公爵家の娘としての義務もおろそかにはしませんでした。隠居してもいい頃合いだとは思いません?」
 それは偽らざる本音。
 自分のペースで生きたいと思って、何が悪い。
 シルヴィの返答に、エドガーは目を見開いた。
「は? 隠居生活?」
「はい、隠居生活です」
「ふざけるなよっ」
 いきなり声を荒らげ、エドガーはシルヴィの方に一歩踏み出す。
 ふざけるなと言われても。
 いろいろと面倒だなと思いながら、一応事情の説明だけはしておこうと思った。
「S級冒険者だからこその隠居生活ですよ。わかります? 毎日毎日ダンジョン潜って大根掘ったりお芋を掘ったり……別に魔物とバトルをするのは苦じゃないんですけど、それを毎日要求されたら疲れます」
「毎日だったのか……」
 生活に困っているわけでもないし、心から魔物との戦いを愛しているという性分でもないので、毎日ダンジョンに行くのは面倒だ。
「公爵家はどうした。娘がいなくなれば困るだろう」
「勘当されてますので。王太子殿下から婚約破棄を叩きつけられるような娘、外聞が悪くて公爵家に置いておけるはずないでしょ?」
 小首をかしげてまたにっこり。
 勘当されているのは噓ではない。シルヴィを家から出す口実でしかないけれど。
 公爵家がシルヴィを『勘当』したのは、外聞が悪いからではなく、一度実家から距離を置かせるため。転送陣を実家に残すことを許しているのがその証拠。
 世間的には『勘当』ということになってはいるが、実際のところ『お疲れ! しばらくのんびりするといいよ!』という両親の計らいである。
 あのまま家に残っていれば、社交界での付き合いを余儀なくされただろうし、いろいろ噂になるのは避けられなかっただろう。
『あの方が、王太子殿下に捨てられたなんて信じられます?』
『あら、在学中からS級冒険者として活動していたそうですわよ。未来の王太子妃としてはいささか〝活動的〟過ぎるのではないかしら』
『かといって、平民の少女を王太子妃にするというのもねぇ……』
 なんて、貴族のご婦人方が集まった席で噂されるのは容易に想像できる。
 別に今さら噂になったところで痛くもかゆくもないし、それで嘆くほどやわな神経の持ち主でもない。
 だが、それを真正面から受け止めねばならない理由もないのである。噂が収まるまで、好んで人前に出ていくこともない。
 そんな思惑を読んでか否か、エドガーは断じる。
「噓だ」
 はい噓です、と心の中だけでシルヴィはつぶやいた。王子に両親の考えを説明する意味などまるで感じなかったので。
「お前は何か企んでいるんだろう」
「――なんで?」
「なんでって! お前ほどの能力の持ち主が、あの程度の報復で済ませる方がおかしい」
「――そっち!?」
 まさか、昨日思う存分力を見せつけたことが、そう受け取られるとは思ってなかった。
「いただくものいただいたので、恨んでないですよ。あ、いただいたお金は、農場の拡張に使わせていただきますね!」
 けろりとして説明したシルヴィに、エドガーはますますいらだったようだった。だが、すぐに表情を引き締め、次の質問をぶつけてくる。
「なら、なぜ俺の領地に引っ越してきた」
 今度は、沈黙。
 シルヴィにできるのは口を閉ざしていることだけだった。思いきり動揺しているのがばれるとマズイ。
(……ちょっと待って! ここ、エドガー殿下の領地?)
 そこまでは調べていなかった。
 なんで、都から遠く離れた辺境の地に王子の領地があるというんだろう。
(これはまた面倒なことになったわね……)
 そりゃ、疑われても当然だ。王太子の売った喧嘩を倍額以上で買い取っておいて、王家の領地に引っ越すなんて普通なら考えられない。普通なら、王家とは関わりのないところに行くだろう。
「私、別に殿下のところに望んで引っ越してきたわけではないですよ。隠居したいなーと思ってお手頃価格の農場を買い取っただけなので」
 王家の領地がどこにあるのかなんて、完全に頭に入っているわけではない。
 もちろん、大きな影響力を持つ広大な領地であれば把握しているけれど、飛び地になっている領地もたくさんあり、往々にしてそういう領地は、村ひとつなんて規模だったりするのだ。
(失敗したなぁ……ウルディはレンデル伯爵の領地だと思ってた。契約書の確認、十分じゃなかったかも)
 レンデル伯爵は、このあたり一帯を治めている貴族だ。
 公爵家とは特に親しいという仲でもないが、誠実で高潔、そして穏やかな人柄で知られている。
 今回の件が明らかになったところで、必要以上に王家に肩入れすることもなく、かといって公爵家に肩入れすることもなく、静観してくれるであろうというのが、ここを買い取った理由のひとつでもあった。
 きちんと確認せずに購入したのは、シルヴィの失敗である。まさか、ここが王子の領地の中にあるとは思ってもいなかった。
「噓つけ」
「噓じゃありません」
 真面目な表情を取り繕って、シルヴィは両手を腰に当て、胸を張る。
「王家の方から婚約破棄を叩きつけられたという事実。それは、私にとっては心の傷です――クリストファー殿下を愛していたとか王太子妃になりたかったというのはないんですけど、それはそれ、これはこれですとも!」
 今の台詞の前半は噓だ。未婚の女性が婚約破棄を叩きつけられるなんて、外聞が悪い以外の何ものでもないが、シルヴィにとっては心の傷でもなんでもない。
 シルヴィは、鋼の心臓の持ち主であるし、悪役令嬢である以上もともとそうなるであろうことはわかっていた。
 むしろ、その日を楽しみにして日々着々と準備を進めていたわけだが、一般の令嬢はそうではないから説得力はあるだろう。
「静かに暮らしたいだけです。殿下の領地を買ったのはこちらの不手際ですが、しばらくそっとしておいていただけません?」
 シルヴィの言葉に、エドガーの眉間に寄せられた皺がますます深くなる。しかたなく、シルヴィはため息をついた。
「晴れた日は畑を耕し、雨の日は家でのんびりする。そんな生活に憧れていただけです。他意はありません」
 重ねて言うものの、エドガーはまったく納得していないようだ。どうしたら、彼を納得させることができるんだろう。
 顎に手を当て、思案の表情になったシルヴィが次の言葉を探していたら、エドガーもはぁっとため息をつく。
(ため息をつきたいのはこっちなんですけど!)
 朝っぱらからエドガーが来たせいで、予定していた仕事がまったくできなかった。
「おわかりいただけました?」
「――俺は騙されないぞ。領主として、俺はお前のような危険人物をしっかりと監視する必要がある!」
「なんでそうなる!」
 勢いよくシルヴィは突っ込んだ。
 エドガーは、ゲーム内においては特に重要なキャラというわけではない。
 重要ではないというと語弊があるが、攻略対象ではなく、クリストファールートにおける案内人のような立場だった。
 王位に関心のないシルヴィにとっては、『クリストファーに何かあったら王位を継ぐ人。特に失敗もしなそうだし、国にとっては有用な人材のようだ』程度の認識であった。
「私は、何も企んでませんけれど」
 さっさと帰ってほしいという気持ちを隠すことなく、ものすごく迷惑そうな表情をする。そんなシルヴィの様子に相手はぎょっとしたようだった。
 今までシルヴィが、ここまで本音を表情に出したことはなかったから。
 貴族の令嬢として、自分の胸のうちを隠すのは当然のこと。
 今となっては、令嬢の仮面なんてポイ捨てである。ポイ捨て。
「帰ってください――というか、帰れ! 謝罪は受け取った!」
「帰れるか! S級冒険者が野放しなんだぞ!」
「元ですー! 元ー! 引退しましたー!」
 なんで、こんなまどろっこしいやり取りをしているんだろうと一瞬頭に浮かんだ疑問は、消去せざるを得なかった。
 クリストファーはともかく、今のところエドガーはぶん殴っていい相手ではないので。
「いいから――帰れ!」
「おいこらちょっと待て!」
 家の扉の前に描いてあった転送陣を強引に起動。エドガーをそのまま王宮に強引に送り込んでしまう。
 事前に準備しておいて本当によかった。
「……やる気が削げたわね」
 なんだか、ウルディまで出かけるのが面倒になってしまった。
 今日のところは、家の中でできることをしよう。
 ため息をついたシルヴィは、新しいエプロンを縫うことにした。こういう時には、何も考えずに手を動かすに限る。

◇◇◇◇◇

 シルヴィアーナ・メルコリーニ公爵令嬢。もうひとつの名前は、シルヴィ・リーニ――S級冒険者。
 公爵家の令嬢がウルディというド田舎に引っ込んで、スローライフを堪能するなんて話、エドガーも最初は信じていなかった。
 なにせ、彼女が新しい住まいとした場所は、彼の領地の中にあったのだから。
 王家に対し、慰謝料をふっかけるほど図々しい女だ。絶対に、何か魂胆があるのだろうと思っていた。
 国王である父は、兄がしでかしたことを非常に申し訳なく思っていたようで、請求されただけの金額をほいほい払っていたが、王としてそれはどうなのだ。
 父の態度は咎められるべきだろうが、シルヴィの方も何か企んでいるに違いない。絶対に探り出さなくては。
 そう決めて、シルヴィの農場に通い始めたもののすぐに問題が発生した。
 昼間、シルヴィの監視に行っていたとしても、自分の政務をおろそかにするわけにはいかない。書類仕事は夜、王宮に戻ってから。視察など、昼間に行わなければならない公務がある場合は、遠巻きにシルヴィの農場を見張らせている。
 もし、何か怪しげな動きがあったならば、すぐに対処できるように――と。結局ほぼ毎日自分で足を運んでいるが。
 今のところ、彼女が何かをしでかしたという証拠は摑んでいないが、絶対に何かあるはずなのだ。
 ――それなのに。
 農場に通えば通うほど、シルヴィの本質が見えなくなってくる。
 シルヴィアーナ・メルコリーニ。
 シルヴィ・リーニ。
 どちらが彼女の本当の姿なのだろう。
「ねえ、そっちの草むしり終わった?」
「……おう」
 シルヴィの問いに顔を上げて返す。ここに来て、こうしてシルヴィの手伝いをするのは何度目だろう。
 シルヴィの農場は、普通とは違っていた。
 家の大きさからすると、家族三人か四人で畑や家畜の面倒を見ていたようだ。
 だが、今、ここに住んでいるのはシルヴィ一人。そこに、『慰謝料の上乗せ分』を肉体労働で支払っているエドガーが通っているのだが、本来二人では面倒を見切れないほどの広さだ。
 それがなんとかなっているのは――。
「テッラ。あっちの土を耕しておいて。ニンジンを植えようと思うのよ」
『ニンジンに適した土を用意しておこう』
 シルヴィに呼び出され、一礼して姿を消すのは、茶のローブに身を包んだ壮年の男性。
「アクアー、水が足りない。まいておいて」
『かしこまりましたぁ!』
 淡い水色のドレスを身に着けた少女が腕を振れば、畑に水がまかれていく。
 この光景は、ありえない。
「ヴェントス、ハーブ見てきて。育ち過ぎてるかも。早めに収穫した方がいいかな?」
『喜んで』
 緑の衣をまとった若い女性は、ふわりとハーブ園の方に、漂っていく。
 おかしい、この光景は、絶対におかしい。
 それなのに、日々、この光景に慣らされていくというのはどういうことだ。
 精霊と契約を結ぶことができる人間は、それなりに数はいる。
 だが、たいていは自分の属性に近い精霊――たとえば、火の属性持ちならば、火の精霊、水の属性持ちならば水の精霊――としか契約できない。まれに、複数の精霊と契約できる者もいるが、それは、例外中の例外だ。
 また契約できる精霊は、術者の力によって異なる。
 四大精霊と言えば、精霊の中でも契約をするのが最高に難しい相手だ。彼らと契約できる人間は、数十年に一度現れるか否かと言われ、複数の属性の精霊と契約できる人間というのも、エドガーは今まで聞いたことはなかった。
 それなのに、四大精霊全てと契約しているだけではなく、こういう形でこき使っているということ自体がおかしい。
 それに、精霊魔術の行使というのは、シルヴィのように一言命じれば終わりというわけでもないのだ。自分の目の届かないところに精霊を放つというだけでも高度な技術を必要とする。
(メルコリーニ家は武闘派だからと父上は言っていたが、武闘派というだけじゃ済まないだろ……!)
 ぷちぷちと目の前の草をむしっていると、向こう側からシルヴィの声が響いてくる。
「イグニス? ああ、あなたは今は必要ないから。頼むことがあったら呼ぶってば!」
 今の発言も明らかにおかしい。
 精霊の方から、呼び出しをねだるとか今まで聞いたことがない。
 よくもまあ、これだけの力を持つ彼女が兄を殴り倒さなかったものだと改めて感心した。
 クリストファーがシルヴィを糾弾した時、頭に血の上った彼はシルヴィに攻撃魔術を放った。それを片手で受け止めたあげく、軽々と打ち返してきた時のことを思えば、兄が生きていたのは奇跡みたいなものだ。
 ――弱い者いじめはしちゃいけないと教わった、と本人は言っていたが。
「ねえ、そろそろお昼にするから中入って」
「……ん? あぁ」
 草むしりはまだ途中だが、どうせ明日も明後日も来るのだ。シルヴィの誘いに乗って立ち上がる。
「今日は、ハンバーガーとフライドポテト。それと、オレンジジュース。健康に悪そうよね。油たっぷり、カロリーたっぷり! お芋以外の野菜は不要!」
「お、おう……」
 勢いのいいシルヴィの言葉と同時に、どん! とキッチンのテーブルに載せられたのは、特大のハンバーガーと山盛りのフライドポテト。
 ハンバーガーは分厚いパテにトマト、チーズ、玉ねぎ、レタスを挟んである。パンそのものが大きく、シルヴィの顔くらいのサイズはありそうだ。
 フライドポテトは揚げたてで、オレンジジュースは、保管庫から取り出したオレンジを搾ったフレッシュなものだ。
 それに手を伸ばしながら、エドガーは目の前のシルヴィとシルヴィアーナの違いについて真面目に考える。
 学園にいる間、〝シルヴィアーナ〟とは同級生だったが、ろくに会話したこともなかった。すれ違う時は、常に女子生徒に囲まれていたから、挨拶以上の会話を交わす機会もなかったのだ。
 黒の縦ロールをいつも乱さずセットし、レースの扇を持ち歩いていた。おそらく、〝シルヴィアーナ〟ほど、扇を巧みに使いこなした女生徒はいない。
 絶妙のタイミングで扇を広げ、その陰で微笑み、そっと視線を落とし、また絶妙のタイミングで閉じる。時には、何かを示すのにその扇を用いたこともあった。
 婚約者である兄に対し、敬意以外の感情があるようには見えなかったけれど、王家に対する敬意は忘れていないようだった。
 その当時に、一人の女性として彼女に興味があったかと問われると、否と返しただろうとは思うが、家臣としては信頼できる相手でもあった。彼女なら間違いなく兄を支えてくれるであろうとも。
 学園を休みがちではあったが、王宮で妃教育を受けている場合もあったし、公爵家の娘としての仕事もある。
 在学中のクリストファーも公務のために授業を休むことはあったし、エドガーもそうだ。彼女が寮に入っていたのは、多忙な中、少しでも学園の生徒達と関わる時間を増やすためだと聞かされていたし、女子生徒とは友好的な関係を築いていたと思う。
 だから学園内で彼女を見かけることが少ないのも不思議には思っていなかったのだが、まさか、毎日のように国中あちこちのダンジョンに送り込まれているとは思っていなかった。
 現在、国内ただ一人のS級冒険者シルヴィ・リーニの名を聞いてはいても、深窓の令嬢と冒険者が重なるはずもなかったのだ。
 卒業式という大舞台で、かつ大勢の目の前で、自分を糾弾した王太子をそれはもう鮮やかに論破し、最大限のインパクトを与えられるタイミングで、一瞬にして存在を消して見せた。
(父上が、〝シルヴィ〟を王宮に呼ばなかったのも当然だよな……)
 S級冒険者ともなれば、一度や二度王宮に招いて顔を合わせていてもおかしくはないのだが、クリストファーやエドガーに会わせれば、間違いなく公爵家の娘であるとばれてしまう。
「ねえ、食べないの? ポテト冷めちゃうけど」
 うっかり考え込んでいたら、目の前からポテトを奪われそうになった。
「いや、食う。待て、これは俺の分だろ」
「作ったのは私ですー!」
 エドガーの皿から、長い指がポテトを素早くさらっていく。気がついたら、特大サイズのハンバーガーは、彼女の皿からは消え失せていた。いい食べっぷりだ。こういうところにも好感を持ってしまう。
 ここにいる時のシルヴィは、公爵家の娘であることを忘れているようだ。
 一度、ウルディの町中に行くのに付き合ったこともあるが、町の人達にも慕われていた。ギルドマスターの信頼も厚い。
 わざわざ王家の領地を狙って移り住むとは何かある、と思い込んでいた過去が、恥ずかしくなってくるくらいだ。
「疲れてる? でも、エドガーもモノ好きよね。毎日ここに来て、飽きないの?」
「俺には、お前を監視するという大事な任務があるからな!」
 今はそうは思っていないのに、ついそう返してしまう。監視する意味がなくなったら、ここには来られなくなるような気がした。
「冗談でしょ、それは。もうその必要はないって、わかってるわよね。慰謝料の上乗せ分は、ゆっくり払ってくれればいいのに」
 学園で見ていたのとは違う、あけっぴろげな笑い。
 意外と鋭くて、そんなところまで見抜かれている。
 本当のところは、とっくに監視の必要はないことくらいわかっている。
 シルヴィ・リーニにどこにも怪しい点なんてない。
 それでも、毎日ここに来てしまうのは――彼女に興味があるからだ。

 農場に通う日が続く中、とんでもない話を聞かされたのは、シルヴィの農場に通い始めてから十日ほどが過ぎた頃のことだっただろうか。
「……兄上が呪われていた?」
「はい。王宮で働いている者の中にも、その影響を受けている者が多数おりまして。それで、殿下にも影響が及んでいないか、調査させていただきたいのですが……」
 目の前にいる侍従にそう言われ、エドガーは眉間に皺を寄せる。
 クリストファーは、一応学園に在籍はしたが、その成績は平均レベルだった。
 だが、そうであったとしても王になるのになんら支障はない。
 クリストファーの長所は、有能な人材を見つけ出し、能力を伸ばすのに力を貸すことをためらわないところにあった。
 エドガーの才能を真っ先に認めてくれ、どうやったら短期間で伸ばすことができるかを考えてくれたのもクリストファーだ。
 平民であるカティアを鍛えるために学園に日参していたのも知っていたが、彼女は有能な回復魔術の使い手だ。
 魔術に限らず、どんな技術であっても、使えば使うほど伸ばすことができる。クリストファーがカティアの才能を伸ばすために協力するのも、彼の性格から考えれば当然だった。
 そんなクリストファーが自身の鍛錬を兼ね、上級冒険者の護衛をつけて、ダンジョンの探索に赴いた時に、古い魔族の呪いを受けたらしいのだ。
「――わかった」
「では、すぐに行きましょう」
 侍従に連れられ、エイディーネの神殿で厳密な調査を受けた結果、クリストファーだけではなくエドガーも呪いの影響を受けていた。
(……だから、あんなに俺も頭に血が上っていたのか!)
 その時になってようやく悟る。
 クリストファーが〝シルヴィアーナ〟を糾弾した場。あの時はシルヴィアーナとシルヴィが同一人物だとは知らなかったから、クリストファーから〝シルヴィアーナ〟を守るつもりで同席した。
 だが、兄が彼女に飛びかかるのを押さえていた割に、彼女に向かって随分吼えたてていた自覚はある。
〝あの〟メルコリーニ家の面々が呪いに気付かないのはおかしいと思っていたが、〝血まみれ聖女〟の二つ名を持つ公爵夫人は、そちらの方面は不得意なのだそうだ。
 怪我の回復、毒や麻痺などの状態異常からの回復、死者の蘇生は得意なのだそうだが、昔の魔族の呪いというのは、また別であるらしい。
 結局、クリストファーの処罰は、呪いの解除が終わってからとなった。王家の人間は〝魅了〟に抵抗できるようにアミュレットを常に身に着けてはいるが、昔の魔族の呪いにまでは対抗できない。今は失われた技術だからだ。
 呪いのことはともかくとして、シルヴィに改めてエドガー個人としての謝罪もしなければならないと思っていたが、謝罪の隙はない。
 それを見越したように、畑の柵を修理する作業の間、シルヴィの方から呪いのことを話題にされ、頭が上がらなかった。
 きちんと詫びなければと思っているのに、口から出てきたのはたったの一言の謝罪。あげく、
「慰謝料の上乗せをしてくれたら問題ありませんー!」
 そんなことを言われたら、慰謝料を全力で上乗せしなければならないという気になる。
 それと同時に、彼女の懐の深さにはかなわないのだと思い知らされた。


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