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いばらの姫と訳あり黒公爵の平凡ならざる婚活事情

山本風碧 / 著
Shabon / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-112-1
定価 1,320円(税込)
発売日 2018/05/28
ジャンル フェアリーキスピュア

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内容紹介

その婚活には、二転三転のどんでん返しが待っていた!!!!
WEB掲載作を大幅加筆修正&その後の物語を収録! 大誤算の婚活からのハッピーエンド?
第1回フェアリーキス大賞 大賞受賞作品。
王太子の妾になる野心を抱いて王都へやってきた没落令嬢のステラは、公爵ヴ ィンセントから王宮での侍女の仕事を紹介する代わりに、偽の恋人になってほしいと持ちかけられる。彼は破天荒なステラに興味を引かれる一方、監視するつもりだったのだ。そのもくろみを知りつつ、逆に利用してやると取引にのったステラだったが、思惑と裏腹に王太子妃と友情が芽生えてしまい野心が揺らいでしまう。その上ヴィンセントから恋のアプローチを受けてしまって!?
「私の方が、たくさん、たくさん好きなんだから」
「そんなところまで負けず嫌いなのか? でも、そこは譲らないから——僕の方が、好きだ」

立ち読み

「私にだって幸せになる権利はあると思うわ。最後まであがいちゃいけないの? 運命だからって諦めなきゃいけないの? 私、そんなたいそうな望みは抱いていない。借金まみれなんだから、普通の結婚なんてとうに諦めてる。でも——でも、同じ金で買われるなら、条件の良い男を選びたいだけ。少なくとも尊敬できる男と一緒になりたいだけ。——それの何が悪いの? ねえ? 私、何か間違ってる?」
 彼女は口元に笑みを浮かべ、瞳を火のように燃やしていた。だけど、握りしめられた拳はぶるぶると震えていた。
 ヴィンセントは上着を脱ぐと、彼女の肩に被せる。そして上着の上からそっと彼女を抱きしめた。
「悪かった」
 彼女は逆らわずにヴィンセントの胸に顔を伏せる。顔が見えなくなったとたん、胸の辺りに染み込む熱い雫を感じる。上ずった声で彼女は続けた。
「私、悔しいの。あなたが一歩踏み出せば全てを手に入れられるのにって、もどかしくてしょうがないの。——欲しいなら、欲しいって言えばいいのよ。ちゃんと欲しがって、手を伸ばさなきゃだめなのよ。幸せなんてすぐ逃げちゃうんだから。こっちから捕まえに行かなきゃ、手に入らないの。絶対に」
「もう、何も言うな。君の言うことは正しいよ」
 衣を濡らす涙とともに、彼女の言葉が胸にまで染み込んでいく。
 ひび割れ、乾ききった心が潤っていく。そこから新たに何かが芽吹く。
(欲しいって言えばいい、か。言っていいのか)
 心が上向くのがわかり、そうさせてくれたステラがどうしようもなく愛しく思えた。
 体中に広がっていく甘い疼きの正体に気がついたヴィンセントは、息を呑んだ。
「私は、ちゃんと言ったわよ。王太子に『好きだ』って。だからあなたもディアナにちゃんと伝えて。物わかりのいい顔なんてしないで。どうしても諦めきれないって、ちゃんと言って」
(——好きだって言ったのか?)
 報告に殴られたような衝撃を受けたヴィンセントが、「わかったから。もうそれ以上言うなよ」ととっさに強く言って遮ると、ステラが顔を上げた。
 腕の中からじっと見上げる顔は涙でぐちゃぐちゃだったけれど——涙で洗われて熱を冷まされた空色の瞳がすごく綺麗だった。
 ヴィンセントはステラに見入った。
 泣き顔から目が離せなくて、以前オスニエルの言っていたこと——殿下は昔から人を泣かせては喜ばれておりましたが、まだご卒業されていらっしゃらないようで——というのを思い出す。
 泣かせたいのは、幼稚な支配欲と独占欲だ。つまり——最初から、彼女が気になって仕方がなかったのだと今さらながら気がついた。
(ああ、僕は、ずっとこの顔が見たかったのかも)
 じっと見つめていると彼女の方が気まずそうに目を逸らす。
「と、とにかく、あなたもちゃんとディアナに伝えなさいよ。これ以上私に臆病者って言われたくないでしょ」
「うるさいな」
 ヴィンセントはすでにこの憎らしい口を塞ぐ方法を知ってしまっていた。
 さっきは単純に言葉を奪いたかっただけ。けれど、今度は心を奪いたくてくちづけた。
 もがくステラを強引に腕の中に閉じ込める。ヴィンセントは自分の気が済むまで離さないつもりだった。
 毒ばかり吐く唇は食んでみれば驚くほどに甘かった。その甘美さはたちまちヴィンセントを駆り立てる。さらなる甘さを求めて舌を絡めると、彼女は驚いたように体を固まらせる。あまりにも初々しい反応にそそられて、逃げる彼女を追及しようとしたとたん、反撃に遭う。舌に?みつかれそうになって、ヴィンセントは渋々彼女を離した。
 肩で息をした真っ赤な顔のステラは、ぐいぐいと血がにじむほどの勢いで口を拭い始める。
「ちょ、っと、君、何してるんだ……!?」
 ヴィンセントがぎょっとして腕を?むと、ステラは叫んだ。
「何してるは私の台詞! 気持ち悪いことしないでよ! ——あ、そうだ。さっきのあれ大丈夫だったの!? ディアナはきっと誤解したに決まっているわ!」
(気持ちわる……い………………!?)
 数々の暴言に慣れていたヴィンセントも、さすがに傷ついた。これでは今のがキスだとはとても認められないではないか。
(これは言えない。今言えば、確実に玉砕する——!)
 喉元まで出かかっていた愛の告白をぐっと呑み込むと、ヴィンセントは言う。
「うるさい口を塞いだだけだよ。ひとまず落ち着いて僕の話を聞けよ」
 だが前途多難だと思いつつも、諦める気にはならなかった。彼女にこれ以上負けたくはない。
「君の頑張りは評価する。だから僕ももう逃げないことにする。前を向いて、自分の望むものを必ず手に入れるよ」
「何? ようやくその気になったって言うの? 今さら?」
「ああ。どうしても逃がしたくなくなってきたから、ね」
 獲物に向かって、静かに狩りのはじまりを宣言すると、ステラは目を丸くして急に焦りだした。
「あ、あの、あんな風に言っておいて悪いけれど……もう手遅れじゃない? あの二人の間に割って入るのは並大抵のことじゃあないでしょ!」
 そんな事、国中が周知している。そんな手遅れの状態で、頑張っていたのはどこの誰なんだと、ヴィンセントは噴き出しそうになった。
「いや、そうでもないと思うよ。君がやってみせたのだから、僕にだってできるはずだし。……まぁ、苦労はしそうだけれどね」
 あまりに反応が面白すぎて、誤解を解くのは後日にしようとヴィンセントは決める。
「え、でもディアナに手を出したら、あなた王太子に殺されるわよ? それでもいいの?」
 ステラは妙に慌てている。自分がした無茶でどれだけの人間が肝を冷やしたかも知らずに、人が同じことをしようとすると心配するらしい。
(変な子だよ、本当に。どれだけ捻くれているんだ)
 そう思いながらも、ジェラルドの疑いの眼がヴィンセントの眼裏に蘇る。
 裏切られた——彼もまた、そんな目をしていた。だが、あの目はもっと昔に向けてもらうべきだったのだと、今思うとわかる。
 勝者と敗者が別の新しい関係を築けるのは、正々堂々と戦って勝負がついた時だけだ。
 ヴィンセントは、まだ戦っていない。君の幸せを願うと、勝負の行方をディアナに委ねただけ。己の望みをぶつけなかったし、ジェラルドとも戦っていないのだ。
「いいんだ。今までが不自然だったって、君のおかげでわかったし。一度決着はつけておかないと前には進めないのかもしれない」
「ねえ、あの、伝えるのはいいけれど、それ以上はやめた方がいいかも! 見込みないって保証するから! 王太子には絶対勝てないわよ! 色んな意味で! 命かけても無駄だったら浮かばれないでしょ!」
「…………」
 急に態度を変えて説得をしようとするステラを無視して、足をテラスに向ける。忠告が嫉妬のせいだったら嬉しいのにな——そう思いながら中庭に出ると、月の沈んだあとの空に星たちが燦然と輝いていた。
(さて、どうやって攻略するべきかな。ジェラルドに比べてずいぶん評価が低いみたいだしな。とりあえずは負け犬返上から始めるべきか?)
「ねぇ、ちょっと! 聞いているの!?」
 ステラはさらにヴィンセントをこき下ろしているが、彼は鼻歌を歌って聞き流すことにした。
 爽やかな初夏の夜風が、彼の背中を押してくれているような気がして、?が緩んだ。


     ◇◇◇


 ヴィンセントがあんな風にステラを連れ去ったおかげで、場は一応収まったことになっていた。
 ステラは発情した犬のように扱われたまま。それは相当に不本意なことだったのだが、おかげで王太子に迫ったことに対する処分は未だにない。
 だがステラは王太子の寛大さを讃える気にはならない。王太子は寛大なわけではなく、彼にとってもあの事件はなかったことにするのが、一番傷が少ないからだ。
 万が一ステラと王太子の仲が広まれば、寝取られかけたとディアナは笑われ者にされ傷つくだろうから。きっと過去のことの報いだと騒ぎ立てられるのが目に見えるようだ。
 事件を公にしてわずかにでも得をするのは、ディアナに懸想しているヴィンセントだけだが、ディアナを愛し、思いやる彼は当然沈黙を保っている。
 他に事件を知っている人間もいないため、あの時あの場にいた四人が揃って口を閉ざせば、表立って変わるものは何もない。
 しかし当人たちの想いだけは複雑に絡まったままだ。ディアナはもうステラを王宮に呼び戻さなかったし、確執が消える機会もなく日々は流れていた。

 教会の鐘が高らかに鳴って午後を告げた。王宮にいる時は午後のお茶会の準備を始める時間だった。
 だが今のステラに仕事はない。解雇されたわけではないけれど、顔を出すことなどできるわけがない。次の仕事が決まるまでと、客人としてストックポート邸に置いてもらっているけれど、追い出されるのも時間の問題だろう。
『ステラ——今日のお菓子は何がいいかしら?』
 そんな幻聴さえ聞こえそうで、ステラは憂鬱を隠せないでいた。
(こうなるのは、当然よね)
 完全に嫌われてしまったとステラは落ち込むけれど、友人などいなかった彼女にはどうやってディアナの心を取り戻せばいいのか見当もつかない。
 小さくため息を吐くと、後ろから笑いを含んだ声が上がった。
「寂しそうだね。ディアナがいないとずいぶん退屈だろう」
「……別に」
 応接室に入室してきた人物を確認する。だが挨拶もせずに、ステラはふいと目を逸らした。あれから、どうも彼と真っ直ぐ目を合わせることができないでいる。目が合うと凄まじく気まずいのだ。
「謝ったらいいんだよ。ディアナならきっと許してくれるから。そういう人だってよく知っているはずだろう」
 ヴィンセントはすぐにステラの悩み事を察して助言をくれる。今回ばかりは自分でも顔に出ているとは思う。
 だが、彼女は余計なお世話とばかりに眉間に皺を寄せた。自分がしたことを思い返すと、そんなに簡単に修復できるとは思えないし、それに——。
「それはのろけなの? だから見込みないってば。人ごとだと思ってのんきなものね」
 彼がディアナを褒めるたびになんだかむっとするのはなぜだろう。王太子がディアナとべたべたと戯れている時でもこんな気分になったことはないのに。
(どういうつもり? あんな風に、く、くちづけなどしておいて)
 心の中で文句を言ったとたん、頭に血が上って慌てて頭を振った。
(違うわ、違う。あれはキスじゃない)
 彼に言わせるとそうらしいのだ。口を塞いだだけだとはっきり言われた。
 だがステラには、ヴィンセントの行動が到底理解できない。
 確かに最初にくちづけられた時、彼は両腕が塞がっていて。でも二回目は違ったはずで、手で塞ぐことができたはずなのだ。
 思い出してステラは手のひらに汗をかく。背を何かが駆け回るようなむずがゆい気分が湧き上がった。
 思わず気持ち悪いと言ってしまったけれど、本当にそうだったわけではない。
 行為自体は耳学問で知っていたけれど、くちづけは単に唇を合わせるだけだと思っていた。だが違った。だから驚いてしまったのだ。
(だ、だって! なんであんな事!)
 まさかあんな事が口の中で行われているなど、聞いていないし、夢にも思わない。
 感覚を思い出すだけで、悲鳴を上げたくなるし、?が火を噴きそうになる。あれ以来彼に対して威勢を欠くのは、またあんな風に口を塞がれては敵わないと思うからで、その意味では口封じと言って間違いはないのかもしれない。
 悩まなければいけないことは別にあるのに、ステラの頭半分はヴィンセントに支配されていた。追い出したくても、強烈な体験が居座って出て行ってくれないのだ。
 ステラはひとまず目の前にあったオイルランプを手に取り、磨きながら無心を心がけた。ランプ係があとで「それは私の仕事ですが!」と主張するのが予想できたが今はどうでもいい。
 やはり手を動かしていると頭が冴える。一つ大きな息を吐いて、問わねばと思っていたことを口に出すことにした。
「ええと……あの、私っていつまでここにいていいの?」
 切り出されるのをびくびくしながら待っていたのだが、なぜかヴィンセントはその話を口にしなかった。
 ステラが漏らした家の事情を聞いて同情しているのかもしれない。なんだかんだで優しいヴィンセントならばありえるが、いつまでも厚意に甘えるわけにはいかない。衣食住には金がかかるのだ。
 普通は招待されたら招待し返す。そうやって釣り合いをとっている。だが、プレンストン男爵家は彼を招待仕返すほどの家ではない。メイドもろくにいない家に、どうして公爵の王子様を招くことができようか。
 しかしヴィンセントは肩を竦めて意外な答えをよこした。
「君がいたいだけいたらいいよ」
「え?」
 耳を疑うステラにヴィンセントは一つ咳払いをすると、はっきりとした口調で言い直した。
「僕が君を王都にとどめた理由を忘れていないか?」
「あ、そういえば」
 彼の恋人役。すっぽりと抜け落ちていたステラがつぶやくと、ヴィンセントは苦笑いをした。
「だから、ただで置いてあげているわけじゃない。君さえ良ければ、ここにずっといてくれても別に構わない。もし働かないと退屈でたまらないというのなら、侍女の職を探してもいい。身の振り方をゆっくり考えればいいよ」
「え、でも」
 反論しつつも、帰らなくていい——その事に肩の力が抜けるのがわかった。
「それに、ジェラルド以外にも良い縁談はあるかもしれないしね。幸い社交シーズンだ。君が思っているよりも金持ちは多い。あの成り上がり男よりはマシな男、探せばちゃんといると思うよ?」
 ヴィンセントがステラの思考を促す。
 確かに猶予が貰えるのならば、こちらでもう少し良い相手——王太子はもう無理だとは思うけれど、お金持ちの貴族の後妻くらいにはなれるかもしれない。
 手っ取り早くトマスからの借金を肩代わりしてくれる男が最善だが、そんな都合のいい男はいるだろうか。
 ひっそり花婿候補に思いを馳せるステラの前で、ヴィンセントはぎこちない笑顔で何か窺うようにステラを見つめている。
(そういえば)
 ステラは目の前の男も花婿候補の一人になりうるのだと思い出した。
 頭脳明晰で容姿端麗、しかも公爵で王子様という大金持ちなのだ。臆病者だけれど、優しいと言い換えられるかもしれない。
 とりあえずステラが結婚相手に望むもの——『賢く』て『若く』て『金持ち』である——は全て満たしている。
 しかしステラはすぐにだめだと思った。
 彼には致命的な欠陥がある。
 彼の目にはディアナしか映っていないことを、ステラは観察してきて誰よりもよく知っているつもりだ。
 五年という年季が入って腐りかけていた愛は、彼の心構えが変わったおかげで、今は熟成しはじめてしまった。
『前を向いて、自分の望むものを必ず手に入れるよ』
(……彼はディアナとのこと、前向きに考えだしたばっかりだものね……)
 しかもステラの言葉が彼に火をつけたのだ。そのせいで彼は一生独身ということになりかねない。
 もちろん、ディアナが王太子と別れることなど考えられないし、彼は確実に振られるとステラは信じているが、傷心の彼につけ込むのはなんとなく良心が咎めた。ステラは恩人に対して礼を欠くほど堕ちるつもりはないのだ。
 何より、そんな卑怯な真似はきっとプライドの高い彼の美意識に反するだろう。
 大体、彼に向かって散々悪態を吐いたステラなのだ。厚意を好意とは思えないし、そう取るのはさすがに厚かましいと思う。
 これ以上嫌われたくはないし、今の位置で彼が立ち直るのをそっと支えてあげるべきだ。その方が喜ばれるに決まっていた。
 惜しく思いながらも、頭の中の花婿候補の名簿からヴィンセントの名をそっと削除すると、彼から目を逸らした。
「ええと、ちょっと考えてみるわ。とにかく、置いてくれてありがとう」
 心を込めて礼を言うと、ステラはあっさりと席を立とうとする。それを見て、ヴィンセントは笑顔を真顔に戻した。
「他に約束がないなら、お茶一杯くらい付き合ってくれてもいいんじゃないかな?」
「一緒に?」
「そうだよ。一人じゃ退屈だろう?」
 どういう風の吹き回しだろうとステラは彼の顔を見つめながら考えたが、ひょっとしたら退屈なのは彼の方かもしれないと思い当たる。
 ならば話題を提供してやればいい。一石二鳥だと手を打った。
「そうだわ。じゃあ、あなたのお知り合いの紳士、どなたか紹介してくれないかしら」

   * * *

 茶を飲み終わるとステラはそわそわと部屋へと引っ込んだ。きっとこっそりとランプでも磨いているのだろう。
 ステラは何かしていないと気が済まないらしく、使用人たちの仕事を少しずつ奪ってしまっているらしい。執事が「こんな苦情が出るのは初めてです」と苦笑いをしながら申し出た。
 ヴィンセントも今日は晩餐会に招待されているので、すぐさま身支度をし始めたけれど、あまりのあっさりした茶会の終了に小さなため息が漏れる。
 すると微かな咳払い。後ろを見るとオスニエルが笑いを必死で堪える顔をしていた。
「笑うな」
「かろうじて堪えておりますが」
 ヴィンセントは、今度は遠慮なく大きなため息を吐いた。オスニエルはとうとう噴き出した。
「眼中にないってことだよなぁ」
 ヴィンセントはつぶやくと、茶会の最中、一生懸命メモを取るステラの姿を思い出した。
 ステラのしつこい追及に、ヴィンセントは渋々、寄宿学校にいた頃の友人を三名ほど紹介したのだ。
 たったの三人? と顔をしかめた彼女だったが、すぐに気を取り直した。もっといるでしょう? 知り合いの知り合いとか? と餌のおかわりを待つ子犬のような表情で続きを求めるステラは、さらにヴィンセントの交友関係を詳らかに聞き出した。彼女のメモに候補が書き込まれるたびに、ヴィンセントの眉間には皺が増えた。
 彼女は花婿候補の一覧表を作り上げて満足げにしていたが、そこには最後までヴィンセントの名が書かれることはなかった。
「全く脈なしとは思えませんが。ただ、少々回りくどかっただけではございませんか」
 オスニエルが慰めを入れるが、ヴィンセントはむっとしてはねつけた。
「慰めはいらないよ。彼女は鈍くはない。ああ言って食いつかないなら脈がないってことだ」
 オスニエルは首を傾げながらもヴィンセントに問う。
「では、諦められるのですか?」
「そんな事をすれば今度こそ本物の負け犬だ」
 そう口にしたヴィンセントの頭にあることがひらめいた。
(つまりは、まずは負け犬じゃないってことを見せる必要があるってことか)
 不完全燃焼だった前の恋。もう恋の炎は穏やかな熱を残して消えかけていて、放置していてもいずれ消えるだろう。
 だが、ステラはそんな終わり方には納得しない。彼女は完全燃焼して、さらに自分で水をかけて恋を終わらせた。
「負け犬返上の参考にさせてもらうかな」
(うん。そろそろ仲直りもさせておいた方がいいし)
 ヴィンセントはそっと窓際に寄ると遠くに見える宮殿の尖塔を見つめた。身を切るような景色だったが、今はもう心は痛まない。そしてこれからも痛むことはないだろう。小さく息を吸うとヴィンセントはオスニエルに命じた。
「近く茶会を開く。王宮のお二人を招きたいから、招待状を届けてきてくれるかな」


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