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花嫁になるのは御免です!

佐倉 紫 / 著
水綺鏡夜 / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-144-2
サイズ 文庫
定価 754円(税込)
発売日 2018/09/14
レーベル ロイヤルキス

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内容紹介

君を愛している。
たまらなく愛おしい――。
兄が莫大な借金を残し絶望していると、幼馴染みの侯爵家嫡男ジュリアンから「借金を肩代わりするから結婚しよう」と求婚される。社交界で結婚したい貴公子NO.1のジュリアンだが、幼い頃の意地悪をリリカは許せなくて、結婚をきっぱりお断り。しかし返済のめどが立たずジュリアンの屋敷で彼専属のメイドになることに!? メイドの仕事と押し切られ、煌びやかなドレスを纏い彼と舞踏会で踊り、天蓋付の寝台で絶頂を覚えさせられ、恋人のような甘い言葉に翻弄されて!? 極上ウエディングラブ❤
★初回限定★
特別SSペーパー封入!!

人物紹介

リリカ・ハインストン

髪の色や背の高さがコンプレックス。

いじわるだったジュリアンが天敵。

ジュリアン・スレイド

名門ストレイド侯爵家嫡男。

幼い頃のいたずらのせいでリリカに避けられている。

立ち読み

『親愛なる母上、そして妹のリリカへ

 突然こんな手紙を出して申し訳ありません。二人がこの手紙を読む頃には、僕は王都を……いや、きっとこの国からも離れた、遠いところにいることでしょう。
 というのも、僕の不徳のいたすところで、とても言いにくいことですが……手紙で言い渋っても仕方ありませんね、白状します。
 僕は先日、とある人物から、新たな事業の投資に参加しないかと誘われたのです。
 なんでも新たに敷く鉄道の事業だそうで、僕にも出資をしてほしいとのことでした。話を聞く限りとても有益で、国益にも繋がる大事業だと思ったので、僕は喜んで投資を決意したのです。
 ただ、相手の言葉に巧みにのせられ……気づいたときには、我が伯爵家の財産のほとんどをその事業につぎ込んでいました。
 でも僕は驚くことも悲観することもないと思っていました。だってその事業が成功すれば、きっと何倍にもなって戻ってくるはずのお金でしたからね。
 僕の大きな誤算にして最大の失態は、実はそんな事業は最初から存在しておらず、投資したお金をすべて、まんまと騙し取られたということです。
 これだけでも大変ショックかと思います……。しかし愚かな僕は、なんとか失ったお金を取り戻そうと、あろうことか領地を切り売りしてお金を作り、それを元手に賭け事に手を出してしまったのです。
 結果は……ええ、きっと、お察しの通りです。
 僕は父が遺した財産を投資詐欺で失っただけでなく、結果的には領地やその屋敷、さらには王都の屋敷まで抵当に入れて、莫大な借金を作ってしまったのです。
 もう我が伯爵家には一銭も残っておりません。それどころか目がくらむような額の借金があります。この屋敷にも近く借金取りが押し寄せてくるでしょう。屋敷が差し押さえられる日も近いはずです。
 本来なら僕が対応すべきですが……ここ数日は命の危機すら感じるほどで、友人知人を頼るのも限界になってきました。
 情けないことですが、今はとにかく身を隠すことを優先したいと思っております。いずれ必ず、この不祥事を払拭するために、今は……
 しばらく家を離れることを申し訳なく思います。再びお目にかかる日まで、どうかお元気で。

                           リドー・ハインストン』


「……いったい、なんなのよっ、この手紙は――ッ!」
 兄の置き手紙を二度、三度と読み返したリリカ・ハインストンは、真っ赤な髪を猫のように逆立て、思わず叫び声を上げていた。
 投資、詐欺、借金。どの単語を拾っても悲鳴しか出てこない。思わず気が遠くなる横で、リリカ以上にショックを受けたらしい母が、ふらっ……と足下を大きくよろめかせた。
「お、お母様! 誰か! お医者様を呼んで―!」
 手紙を放り出し、ぐったりとした母を抱き留めながらも、できるなら自分も倒れたいという気持ちでいっぱいのリリカであった。


 季節は王国でもっとも瑞々しい春――社交期の入りを迎えていた。
 普段は領地で暮らしている貴族たちがこぞって王都にやってきて、新たな社交期に向け最新のモードを追ったり、衣装を新調したりと、忙しいながらも心躍る日々を過ごす時期である。
 貴族たちが住まう一角は、ただの街道であっても美しく整えられており、そこここの花壇で多くの花が咲き誇っていた。ここ数日は南方の国から渡ってきたチューリップが最盛期だ。
 今はまだつぼみもない薔薇が咲き誇る頃になれば、社交期の盛り。あちこちの家で夜会が開かれ、社交が仕事と言っても過言ではない貴族たちはこぞって着飾り、夜ごと華やかな場所へと繰り出すのである。
 王都の一等地に屋敷を構えるハインストン伯爵家も例外ではない。
 いつもは身体の弱い伯爵夫人の様子を見ながら、社交期の盛りに王都に移動する一家だが、今回は少し早めに王都に移ってきていた。この家の次男であるルディが、秋から全寮制の王立学院に入学することになっていたからだ。
 社交期のあいだはどこの仕立屋も大忙しなので、制服の注文は夏では間に合わなくなる可能性が高い。なので早めに準備しようと考えてのことだった。
 だが、もはやそんなことを言っている場合ではないらしい。
 領地から数日かけて旅をして、荷解きも済んでようやく一息ついたと思ったときに、執事長が兄からの置き手紙を見つけてきたのだ。
 数年前に王立学院を卒業し、成人後は亡き父の爵位を継いでハインストン伯爵を名乗っている兄リドーは、領地には寄りつかず王都の屋敷で暮らしていた。
 それなりの地位と財産がある家の子息は、学校を卒業したあとは王都に残って見聞を広めるのが最近の流行になっている。兄もその例に漏れず、王都で悠々とモラトリアムを謳歌していたのだ。
 母は早く領地に戻って領主らしく働いてほしいと愚痴っていたが、兄はそういう型にはまった生き方を嫌悪していた節がある。なまじ亡き父が賢く人望溢れる人物だっただけに、同じことをして比べられるのが苦痛だったのだろう。
 そんな兄の心情はわかる……。わかる、が。だからといって失踪していい理由にはならない。
 兄が住んでいる割に活気がないな……と王都の屋敷の玄関を入って、すぐに不思議に思ったリリカだが、手紙の内容からして、兄はきっと何日も前からここを離れていたに違いない。
 きたる社交期と弟の入学のために準備を始めるどころか、今日明日にでも借金取りが押し寄せてくる可能性を匂わされて、さすがのリリカも真っ青になっていた。
(お父様となにかと比べられるお兄様をいつも少し気の毒だと思っていたけれど、さすがに今回ばかりは同情なんてできないわ……。お父様の遺した財産を投資詐欺で全部失っただけじゃなく、屋敷まで抵当に入れて借金を作っていたなんて!)
 目の前に兄がいたらその胸ぐらを掴んで、奥歯がガタガタ鳴るくらいに揺さぶってやるところである。
(だいたい、こんな紙切れ一枚で説明できることじゃないでしょうが! ちゃんと家族の前に出てきて謝るならまだしも……逃げるとか! 無責任すぎる!)
 そうだ。せめて兄には、こうなったことの経緯をしっかり説明してもらわなければ。
 おおよそは手紙に書いてある通りなのだろうが、それにしても大雑把すぎる。
 実際に借金取りが押し寄せてきたとしてどういう策を取るのが最善なのか、せめてそれくらい一緒に考えたい。
「ああ、リドー……どうして姿を消してしまったの……」
 怒りのあまり拳を震わせるリリカの前で、寝台に仰臥した母が苦しげに呟く。
 ショックのあまり倒れた母は、医者に処方された薬を飲んで眠っている状態のはずだが、ことがことだけに深く眠れず、先ほどからうわごとを繰り返しているのだ。
 すっかり憔悴してしまった母を見下ろして、リリカは決意を固める。
 とにかく兄を見つけよう。起こしてしまったことへの落とし前はきっちりつけてもらわなくては。一人では無理だと言うなら家族全員が協力するから、とにかく家に戻れと説得しよう。
 まだ日は高い。善は急げだ。リリカは素早く立ち上がった。


 多くの人間が集まる王都だけに、軒を連ねる店の数も田舎とは桁違いだ。
 貴族たちの屋敷が建ち並ぶ一等地から少し歩けば、上流階級の人間を顧客として抱える店がいくつも見えてくる。優雅にお茶ができるカフェや、最新のモードを備えた仕立屋、雑貨屋に高級料理店に紳士クラブ――
 だがリリカが王都に出てきたとき、兄が食事をしようと誘うのは、一等地から少し離れた雑多な地域だった。
 格式張った料理店より、王都の庶民も訪れるような大衆食堂が兄の好みに合ったらしい。酒とたばこの匂いと大きな笑い声が響く雰囲気に、リリカは別世界へやってきた気分を毎度味わっていた。
 だがそういうところに自分一人で向かうのは初めてだ。兄も『こういう店では酔って喧嘩を始める男や、妙なことをふっかけてくる奴もいるから、若い娘が一人だけできてはいけないよ』と注意していた。
 そこをあえて一人で訪ねるのは勇気がいったが、背に腹は代えられない。リリカは気合いを入れて店の入り口をくぐった。
「リドー・ハインストン? ああ、あの貴族の坊ちゃんか。そういやこのところ見てねぇなぁ。領地に帰ったんじゃないのか?」
 最初の店の店主はそう言って首を傾げ、次の店の店主は、
「なんでも繁華街一番の店で大損したんだろう? あの男みたいに金だけあるボンボンはすぐカモにされるからな。馬鹿な奴だ」
 とニヤニヤ笑い、その後で何件目かに訪れたところの店主には、
「なに、あんた妹なのか? それなら奴の酒代を代わりに払ってくれるんだろうな? こちとらもう二ヶ月分もツケにしているんだが? ん?」
 と、厳しい顔で睨まれてしまった。手持ちのなかったリリカは、適当な返事をして急いで店をあとにする。
(やっぱり、なじみのお店にもしばらく近寄っていないみたい)
 一番最近訪れたという店にも、もう一ヶ月はきていないということだ。
 ならばと、今度は紳士クラブを訪れることにした。
 会員である男性のエスコートがあれば女性でも入れる場所だが、女性一人では入れない。
 が、リドーが行きつけのクラブでは、支配人がリリカの顔を覚えていたので受付で対応してもらえた。
「このところハインストン伯爵は来店されておりません。おそらく他のクラブでもそうではないかと思います。色々噂も出回っておりますし……」
「噂?」
 耳ざとく眉根を上げたリリカに、支配人は困った顔をしていたが、そのときちょうど奥から何人かの青年紳士が出てきた。いずれもまだ若く、リドーと同じか少し上くらいの人間だ。
 彼らは受付に女性が一人でいることに興味を引かれたのか、自然とリリカに目を留める。そのうちの一人が「あっ」と声を上げた。
「もしやあなたは、ハインストン伯爵の妹さんでは?」
「そうですが……あの、兄のお知り合いですか?」
 すると声をかけてきた青年はしっかり頷いた。
「こんなところにお一人でどうしたんです? まさかリドー君を探して?」
「ええ……実はそうなんです。兄がどこにいるか、心当たりはありませんか?」
 青年たちは顔を見合わせる。その後の反応はまさに三者三様だった。
「申し訳ありませんが、僕たちには……。ただ、リドー君が投資で大きな失敗をしたという話は小耳に挟んでいます」
「生活費はなんとかすると言っていたようですが、妹さんたちは大丈夫ですか?」
「え、ええ、まぁなんとか……」
「どのみち、今年は社交界には出てこられませんね。ハインストン伯爵の失敗話はもう知れ渡っていますし、わざわざ恥をかきに行くことはない」
 三人目の青年が肩をすくめて意地悪く言ってくるのに、他の二人が「おい」とたしなめる。
 だがリリカは、兄のしでかしたことがすでに醜聞として知れ渡っていることに青くなった。
(つまり我が家は、投資詐欺にまんまと引っかかった家として、嘲笑の的になっているということだわ)
 実際かなりスキャンダラスな出来事だけに、新聞などに書き立てられている可能性もある。
 今日王都にやってきたばかりのリリカにはまさに寝耳に水の出来事だったが、もともと王都住まいだったり、早めに領地からやってきた貴族たちには知れ渡った話なのだろう。
(どうしよう……お兄様が面目を潰すのは自業自得として、ルディは秋から王立学院に入学するのに)
 借金だらけというのも大問題だが、兄の不祥事がスキャンダルとして出回れば、もはや入学どころではない。
 世間はとにかく誰かの不祥事が大好きなのだ。弱みがあるとわかれば寄ってたかって責め立ててくる。そんな針のむしろに可愛い弟をむざむざ立たせることなどとうていできない。
 紳士クラブを出たリリカは、家を出たときよりずっと難しい顔で道を歩いて行く。
 兄が王都にいないのは確実として、せめてその足取りを掴まないと……すがる思いで、兄がよく一人で出かけていた食堂へと足を伸ばす。
 そこは食事もできるが、奥で賭け事もできる飲み屋のような場所だ。
 さすがの兄もここにリリカを連れてくることはなかったが、社交期となると、気の合う友人と連日通い詰めてへべれけになって帰ってくることもあった。
 賭け事ができる場所なら、兄の行方について知っているひともいるかもしれない。その一心で、リリカは扉の取っ手をぐいっと引っ張った。
 しかし、中はとても入れた雰囲気ではなかった。扉を開けた瞬間から饐えた臭いが鼻につき、近くにいた男たちが一斉にうろんな目を向けてきたのだ。ざっと見ただけでも貴族と思しき人間は少なく、筋骨隆々の男たちの姿も多い。
 リリカは無言でバタンと扉を閉めていた。
「こ、ここに入るのはさすがに無理だわ。別のところを……」
 そそくさと立ち去ろうとしたときだ。どこからか「見つけたぞ」「あいつだ」という声が聞こえ、気づいたら腕をぐいっと強く引かれていた。
「きゃあ!?」
 段差の上に立っていたので、石畳に顔から転げ落ちそうになる。危ないところをなんとか踏ん張り、心臓をドキドキさせながらリリカは顔を上げた。
「ちょっと、いったいなにをするの!」
「なにをするのとはこっちの台詞だぜ、お嬢ちゃん。よくもあちこち探させてくれたもんだ」
 見ればそこにいたのは、店にいた男たちよりいっそう厳つい顔をした二人の男だ。格好こそきちんとしているが、醸し出される雰囲気が堅気のそれではない。
 見上げるほどに大きい男たちを前に、リリカはゴクリと唾を飲み込んだ。
「わ、わたしを探していたって、どうして……」
「あんた、あのハインストン伯爵の妹らしいな。兄貴を探してるってタレコミがあったんだよ」
 兄の名前にリリカはついぎくりと肩を強張らせてしまう。男たちはニヤリと笑った。
「おれたちもあんたの兄貴を探してるんだ。いい加減、貸した金を返してもらわないといけないからな」
「貸したお金って……」
(お、お兄様ったら、こんな柄の悪そうなひとたちから借金したの!?)
 よもや自分が借金取りに捕まるとは思っていなかったリリカは、心臓がどくどくと音を立て始めるのをいやでも意識した。
「どうやらあんたの兄貴は無責任にも逃げ出したらしいな? それなら兄貴が作った借金は家族に払ってもらわないと。さっさと返してくれるかい、お嬢ちゃん?」
「そ、そんなことを言われても困ります。そもそも兄が借金をしたことだって、今日知ったばかりで――」
「そっちの事情なんざ知ったことじゃないんだよ! さっさと金を返せ! こっちはもう何日も返済を待たされてるんだからよぅ!」
 唾を飛ばしながら怒鳴られて、リリカは驚きと恐ろしさに首をすくめる。
 ふと周囲を見れば大勢のひとがこちらを注視していた。厳つい男二人と若い娘一人という組み合わせは目を引くらしく、無遠慮にじろじろ見つめてくる目もある。
 こんなところを知り合いに見られたら、ハインストン伯爵家はますます物笑いの種になる。
 それだけは避けたいけれど、男たちは構うことなく大声でまくし立ててきた。
「兄が払えない、家族に蓄えもないって言うなら、おまえが払うしかないな、妹さんよぉ?」
「わ、わたしが払うって、どうやって……」
「よく見りゃ、なかなか可愛い顔してるじゃないか。このあたりの裏に軒を連ねる店で働けば、それなりに稼げるんじゃないか?」
 ニヤニヤと下卑た視線を向けられ、リリカは芯から震え上がる。
 裏通りの店と言えば宿屋がほとんどだが、そこで働く女性とは娼婦を兼ねた女給たちだ。
 伯爵家の娘が、借金で娼婦に身を落とすなんて……!
「ば、馬鹿なことを言わないでっ! 絶対にそんなところには行かないわ!」
「馬鹿を言っているのはそっちのほうだ。金が出せない限り拒否できる身分じゃないんだよ、おまえは! わかったらさっさとこい!」
「いやっ、なにをするの!?」
 再び強い力で腕を引かれ、リリカは必死に踏ん張る。助けを求めて周囲を見回すが、関わり合いになりたくないと目を逸らされるか、逆にニヤニヤ笑いながらはやし立てられるばかりだ。
「そんな……いやっ、誰か……!」
 近くの柵に懸命にしがみついたところで、大男二人の力にはとてもかなわない。
 強く腕を引かれ、とうとう連れて行かれそうになったときだ。
「――その汚い手を離してもらおうか。彼女は僕の連れだ」
「あぁ!? いきなりなんだ……うおっ!?」
 リリカを引っ張る腕の力が緩む。かと思ったら傍らでどぅっと重たい音が響いた。びっくりしたリリカが振り返ると、そこには石畳に大の字に倒れた大男の姿があった。
「てめぇ、なにする……っ」
「悪いが遊んでいる暇はないんでね」
「なにをぉ!? ぐへっ!」
 もう一人の大男が口汚く罵りながら拳を振り上げるが、突如乱入した何者かにあっさりいなされてしまった。それどころか足を引っかけられ、無様に地面を転がる始末だ。
 倒れた男たちと彼らを涼しい顔で見やる闖入者の一幕に、周りを歩いていた人々は感心の声を上げパラパラと手を叩く。どこからか指笛の音まで聞こえてきた。
「く、くそぉっ、馬鹿にしやがって……!」
 大男の一人が、打ちつけた頭をかばいながら身を起こすが、それに覆い被さるように闖入者が前に立った。
「これ以上やると今度はおまえたちが悪評を被ることになるぞ。この場はおとなしく引き下がることだな」
 その言葉を真に受けたわけではないだろうが、一理あると思ったのだろう。
 大男たちは悔しげに奥歯を噛むと、捨て台詞を吐きながらそそくさと立ち去っていった。
「――危ないところだったね」
 柵にすがって呆然としていたリリカは、そう声をかけられハッと我に返った。
「は、はい、助けていただきありがとうございました。なんとお礼を言ったらいいか……」
 慌てて頭を下げたリリカの視界に、ピカピカに磨かれた靴ときちんと丈の合った脚衣、そして黒檀のステッキが映り込む。明らかに身なりのいい紳士の格好だ。
 どうやら本当に助かったらしい……そんな気持ちでほっと肩を撫で下ろすが――
「別に礼なんていらないよ。君と僕の仲じゃないか」
 面白がっている口調でそう言われて、リリカはピシッと固まる。
 おそるおそる顔を上げた彼女は、こちらを微笑みながら見つめる秀麗な美貌に気づき、危うく悲鳴を上げそうになった。
「ジュ、ジュリアン――!?」
「久しぶりだね、リリカ。去年の社交期にすれ違ったとき以来だから、ほぼ半年ぶりかな」
 朗らかに挨拶してくる相手と対照的に、リリカはひぃぃっと情けない声を漏らした。
(よりによって、なんで助けてくれたのがこいつなのよ――!?)
 彼――ジュリアン・ストレイドは、名門ストレイド侯爵家の嫡男であり、現在はダートル子爵を名乗る青年貴族だ。
 背がすらりと高く、輝かしい金髪と際立った美貌、穏やかな物腰から、社交界一の貴公子として庶民にも広く知られている。
 さらには王立学院を飛び級して首席で卒業したという頭脳の持ち主で、現在は法務省に勤めるエリート中のエリートなのだ。
 おまけに独身なものだから、女性からの人気は年々高まるばかり。この頃はブロマイドまで出回っており、王族や人気俳優をも上回る売り上げを記録しているという。
 そんな人物に窮地を助けられたら、どんな女の子でもたちまち恋に落ちるに違いない。
 ――そう、リリカ以外の女の子なら。
「ど、どうしてあなたがこんなところにいるのよ!?」


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