書籍詳細
年の差純真婚ですが、本物の夫婦になりたい
定価 | 1,320円(税込) |
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発売日 | 2023/07/28 |
電子配信書店
内容紹介
立ち読み
序章 私と旦那様の白い結婚
ある春の日。十七歳のアイリーンは、ごく親しい友人が開く茶会に出席していた。
さわやかな風が心地よい季節。テラスに用意されたテーブルの上には焼き菓子やケーキ、たくさんのフルーツがこれでもかと置かれている。
丸いテーブルを囲むようにして、アイリーンと歳(とし)の近い三人の令嬢が座っていた。
令嬢、と言ってもアイリーンともう一人は既婚者である。
甘いものが大好きなアイリーンは、まろやかな紅茶にたっぷりのはちみつを入れるのがお気に入りだが、残念なことにはちみつの入った瓶はケーキスタンドの向こう側だ。
すると向かいの席に座っていた茶会の主催者であるジョセフィンと目が合った。
彼女はアイリーンがなにを見ていたかを察して、わざわざ立ち上がると、はちみつの瓶を手にして近くまでやってきた。
「アイリーンったらまたはちみつなの? 甘いお菓子に甘い紅茶の組み合わせなんて信じられないわ」
冗談めかしてそう言いながら、アイリーンの手の届く場所に瓶を置いてくれる。
「ありがとう、ジョセフィン」
友人同士のお茶会だからと給仕のメイドを下がらせていた。届かないのなら自分で取りに行くべきなのだが、アイリーンがそうしないのは歩けないからだった。
十五歳の頃、アイリーンは旅の途中で事故に遭ってしまった。壊れた馬車の下敷きになった結果、両足の神経が鈍くなり車椅子で生活を送ることになった。
頑張ればどうにか立ち上がること、そして手摺(てす)りや杖などを支えにして短い距離を歩くことはできる。プライベートでは毎日回復訓練に努めているのだが、成果はなかなか出ていない。
「どういたしまして。はちみつが大好きなのは、アイリーンの髪が同じ色だからかしら?」
アイリーンの髪は、はちみつみたいな金髪でふわふわとしている。髪と青い瞳は綺麗な色だと褒められることが多いので秘かな自慢だった。
「フフッ、そうかもしれないわ」
友人に手間をかけさせてしまうのは少し恥ずかしいが、ジョセフィンが飾らない性格なのでだいぶ救われている。
ジョセフィンが席に戻ると、子爵令嬢のミラベルがもう一人の友人――最近結婚したばかりのケイシーに話しかけた。
「そういえばケイシー……先週の舞踏会でなんだか顔色が悪かったようですけれど、大丈夫だったの?」
「ええ。宮廷舞踏会があまりに豪華だったから圧倒されてしまったのかもしれないわ」
どうやら二人は舞踏会で一緒だったらしい。
宮廷舞踏会といえば、王都で暮らす令嬢たちが参加を夢見る人気の催しものだ。その理由は宮廷にある舞踏室がとても豪華で、おとぎ話の世界に迷い込んだかのような気持ちにさせてくれるからだった。
アイリーンも綺麗なもの、可愛いものは好きだから当然興味津々だ。
「確か、光の広間って呼ばれているのよね? 大きなシャンデリアが鏡に反射してとても綺麗だと聞いたことがあるわ。……どうだったの?」
二人に問いかけると、ケイシーがうっとりとした表情で答えてくれた。
「それはもう本当に素晴らしかったわ。シャンデリアにはね、クリスタルがたくさん使われているのですって。光がそれに反射して、ずっとキラキラしているの……。ミラベルもそう思ったでしょう?」
「ええ、あんな素敵な舞踏室はなかなかないわ。ドレスに縫い付けてあるビーズも輝いて、女性が主役になれる空間だったわ……って、ごめんなさい、アイリーン。私ったら舞踏会の話なんてしてしまって」
最初は楽しそうに語っていたミラベルだが、急に表情が曇ってしまう。
足が悪くてダンスができないアイリーンの前でその話をするのは、配慮がなかったと言いたいのだろう。
「え……? 私のほうから質問したのだから……」
「いいえ、私が最初に舞踏会の話なんてしたから、無理をさせてしまったわ」
ミラベルは、心から申し訳なさそうにしているが、そのことがかえってアイリーンを落ち込ませた。彼女は、アイリーンが気を使って話を合わせたと思っているのだろうか。
アイリーンとしては決して強がりのつもりはなかった。今後、縁のない場所だったとしても話を聞くだけでも楽しい。
例えば、たどり着けないほど遠くの国について書かれている物語を読んで、その国を訪れた気分になる――そんな経験は多くの者にあるのではないだろうか。
縁のない場所であっても、どうせ行けないからと話題そのものを拒絶したくなることもあるけれど、憧れを抱くのは自由だし、話だけでも楽しめるほうが健全だ、とアイリーンは思う。
「そういうことでアイリーンに気を使う必要なんてないわよ」
するとそれまで黙っていたジョセフィンが真面目な顔で口を挟んだ。
この茶会の主催者である彼女は、黒の巻き髪に気の強そうな瞳をした令嬢だった。
プライドの高い黒猫のようにツンと澄ましていることが多いけれど、友人思いで心優しい女性だ。
「ジョセフィン、それは少し冷たいのではなくて? アイリーンはダンスができないのよ! それなのに……」
「ミラベルこそ。アイリーンはそんな卑屈な人間ではないわよ」
なんだかジョセフィンとミラベルの関係がギクシャクしだして、アイリーンは焦る。
「ええっと、私ね……華やかな社交界のお話を聞くの、とても好きよ! 私だってもう少し歩けるようになったら夫と二人で出席するかもしれないじゃない。……なにもわからなかったら、想像すらできなくなってしまうもの」
アイリーンは懸命に身振り手振りを交えながら、舞踏会の話で傷つくことはないのだとわかってもらおうとした。するとそれまで冷たい表情だったジョセフィンの口元がほころんだ。
「……フフッ、アイリーンって本当に旦那様が大好きよね」
「うっ、だって……恩人だもの……。それに優しいし……強くて、格好いいの」
アイリーンの夫のレナードは、伯爵位を持つ軍人だ。
そして、馬車の事故の折、たまたま通りかかって助けてくれた大恩人でもある。
両親を亡くして、大怪我をしてしまったアイリーンを放っておけなかったのか、その後も任務外のはずなのに様々な手続きなどについて教えてくれた。
彼がいなかったら、アイリーンはこんなに穏やかな暮らしを望めなかったはずだ。
アイリーンにとっては最高の旦那様だった。
「はいはい」
ジョセフィンがお腹いっぱいですと言わんばかりに肩をすくめる。
先ほどまで険しい表情だったミラベルも笑ってくれて、また和やかな雰囲気に戻った。
黒猫みたいなジョセフィン。ふっくらとした頬が可愛らしくいつもアイリーンを気にしてくれるミラベル。読書家で眼鏡をかけているケイシー。そしてアイリーンの四人は、十に満たない頃からの友人だ。
少し険悪な雰囲気が漂っても、すぐに元どおりになる。
アイリーンはほっとして、焼き菓子を一つ摘(つま)んだのだが……。
「うっ!」
同じように焼き菓子を食べていたケイシーが、急に口元を押さえた。
先ほどまで笑っていたのに、唇が青くなり明らかに具合が悪そうだ。
「ケイシー、どうしたの? 大丈夫!?」
「だ、大丈夫よ……アイリーン……気にしないで」
彼女は顔面蒼白(そうはく)になりながらもどうにかほほえんでいた。結局、別室に待機していた使用人を呼び、ケイシーはしばらく休んでから自分の屋敷に帰ることになった。
「舞踏会でも具合が悪かったって言っていたけれど、どうしたのかしら?」
短期間のあいだに二度も体調不良になったのだ。
風邪を引いたという感じでもなかったし、なにかの病気だったらどうしようかと、アイリーンは不安になる。
けれどジョセフィンはあまり心配していない様子だった。
「あれはたぶんつわり、でしょうね。だから落ち着くまで私たちは余計な詮索をせずに、見守ってあげるのがいいと思うわ」
優雅に紅茶を飲み干してから、そんな予想を述べた。
考えてみればそのとおりだった。いきなりの体調不良だったのに、ケイシーにも、同行者の使用人にも慌てる様子はなかったし、医師の診察を受ける気もなさそうだった。
お腹に子を宿したら、しばらくのあいだ吐き気などに悩まされる女性がいるということは、一応アイリーンも知っていた。
「そうだったのね、おめでたいことだわ! ……私も、シュバシコウが屋根に留まっていないか、毎日確認しているのだけれどなかなか来てくれないのよね」
アイリーンがレナードと結婚してからあと少しで二年になる。
一方のケイシーは結婚してからたったの三ヶ月しか経っていない。夫婦になった順番どおりに子を授かるわけではないとわかっているつもりだが、焦る気持ちを多少は持っていた。
「アイリーンったら、子供みたいに迷信なんて信じちゃって!」
「迷信……?」
ミラベルが盛大に笑いだした。
けれどアイリーンは、どこにおかしな要素があったのかわからずに首を傾(かし)げる。
赤ん坊は神様からの贈り物で、子を授かった夫婦の家には、その知らせとして赤いくちばしをした大きな鳥が留まるはず……。
「まさか信じているわけじゃないわよね?」
今度はジョセフィンがやけに真剣な顔をして問いかけてきた。
「……? シュバシコウじゃなければ、どんな鳥が赤ちゃんを運んでくるの?」
大真面目に聞き返すと、ミラベルとジョセフィンが顔を見合わせ、一瞬室内が静かになった。
なんだかとんでもなく非常識なことを口にしたのかもしれない。
ジョセフィンは大きなため息をついてから口を開いた。
「アイリーン。……夜になったら旦那様と一緒に眠るでしょう? そのときにする閨事(ねやごと)で、女性は子を授かるの。旦那様に教えていただかなかったの?」
「一緒に眠るとき? ……手を繋(つな)いだり、キスをしたりということ?」
「もっとすごいことよ! 一緒に眠っているんでしょう?」
「ええ、もちろん」
アイリーンは暗闇が苦手だ。それに足が悪いから、夜中に目が覚めても自分でランタンの明かりを灯すことすら難しい。
だから結婚してから毎晩レナードと一緒に眠っている。
「そうしたら服を脱いで、肌を密着させて……閨事をするでしょう?」
「ええっ!? 服を? ……そんな……あり得ないわ! 子供じゃないんだから」
一応淑女であるつもりのアイリーンが肌を見せる相手は、仕えてくれている女性の使用人に対してだけだ。レナードもアイリーンの前で進んでシャツを脱ぐようなことはしないでいてくれる。
この国の成人年齢は十八歳だが、既婚者のアイリーンは気持ちだけはすでに大人の女性であるつもりだ。夫の前であっても、はしたない姿を晒(さら)すことなど絶対にない。
「なんで自信満々なの……? 服を脱ぐかどうかはこの際どうでもいいし、あなた方夫婦の閨事が具体的にどうかなんて知ったことではないけれど……その、旦那様に子種を注いでもらっているでしょう?」
なぜかジョセフィンの顔が真っ赤になっていった。
「子、種……? 種ってなに? どれくらいの大きさなの?」
種とはなんだろうか、どこに注ぐのだろうか――アイリーンはジョセフィンの言うことがまったく理解できなかった。
「あーっ、もう! なんで未婚の私が伯爵夫人のあなたに教えなきゃいけないのよ。いいかしら? よく聞いてほしいのだけれど――」
ジョセフィンは話が噛み合わないことにイライラしながらも、懇切丁寧に女性と男性の身体の仕組みについて説明してくれた。
それはアイリーンにとって衝撃的な事実だった。
愛し合う夫婦が祈りを捧げ、神がそれを聞き届けると女性のお腹に子ができるというのは、幼い子供に説明するための嘘だったらしい。
当然、シュバシコウが屋根に留まったら――というのは、ただの伝説だった。
「大きな湖の近くに行ったら、シュバシコウなんて巣だらけで害鳥扱いよ。……王都にはほとんどいないけれど」
湖の近くに暮らすだけで子宝に恵まれるのなら苦労しない、とジョセフィンは断言する。
論理的でわかりやすいため、突然夢が壊されたアイリーンでも現実を理解するほかなかった。
それからジョセフィンが怒ったような口調になりながら語った〝閨事〟の内容に、アイリーンは驚愕(きょうがく)した。
「男性の……出ている部分、を……女性の体内に……? そんな……」
男性と女性で身体の構造が違うことはアイリーンも知っていた。
小さな赤ん坊の裸を見たことがあるし、絵画でも時々ふんわりと描かれていることがあった。
(……嘘、でしょう? 私、レナードの……そんなところ、一度も見たことがないわ)
夢だと思いたいけれど、ジョセフィンの語る内容について、ミラベルまでもが同意しているので無理だった。
二人ともアイリーンを騙(だま)すような人物ではない。
時間をかけて説明されたら、どれだけ信じ難い事実でも納得するしかなかった。
「私たち……本当の夫婦じゃなかったってことだわ……。子を授かるはずない……。私、レナードに愛されていなかったの?」
いっそ気絶できるのなら、そうしたかった。
「白い結婚……」
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