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落ちこぼれ子竜の縁談3 閣下に溺愛されるのは想定外ですが!?

くるひなた / 著
仁藤あかね / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-444-3
定価 1,320円(税込)
発売日 2021/10/27
ジャンル フェアリーキスピュア

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内容紹介

《ご先祖様の過干渉にもめげず幸せ家族目指します!》
優しい家族や人外に囲まれて、嬉し恥ずかしの甘々新婚生活を送る軍司令官シャルロと新妻パティ。ある日パティの姉の出産祝いに出かけた折、ついでに昔先祖の竜が住んでいたという領地へ向かうことに。なんとそこには今も竜が——それもパティとそっくりな、ちんちくりんの白い子竜がいて!? 『はじめまして! ぼくの可愛い子孫ちゃん!』そう言ってやたら愛でてくるご先祖様。その最中、シャルロが女領主に幽閉されたとの知らせが飛び込んできて——

立ち読み

「ぴい! ぴいいっ……!!」
「よしよし、落ち着いて。そんなに怯えなくても、おまえを取って食ったりしないよ」
 必死にもがいて逃れようとする私に、白い人はくすくすと笑う。
 彼は、絡み付いていた衣服を片手で器用に取り除いてから私を抱き上げると、ロイを促してその場を離れた。
 そうして、岸に上がったとたんのことだ。
 ザアアアッ……と音を立てて水の壁が崩れ始めたかと思ったら、あっと言う間に元通りの池に戻ってしまった。
 私はまたもや呆然と、その摩訶不思議な光景を眺めるばかりであった。
「ねえ、おまえ。どこから来たの? 名前は? 年はいくつになる?」
 一方、白い人は池の水に起こった奇跡よりも子竜の方に興味津々のようだ。
 片腕に抱いた私を遠慮の欠片もなくじろじろと眺めつつ、矢継ぎ早に問うてくる。
 ロイはそんな彼の足元にお座りをして、成り行きを見守るつもりらしい。
 閣下以外の男性に抱っこされている現状に居心地の悪さを覚えながら、私はちらちらと白い人の顔を盗み見た。
 見れば見るほど美しく――そして、作りものめいた顔だと思う。
 年は、私の姉や兄様と同じくらいだろうか。
 それなのに、しゃべり方だとか雰囲気はいやに老成しているように思えた。
「しかし、竜が溺れるだなんてねぇ。おまえ、ドジでかわいいね」
「……ぴい」
 くすくすと笑って呆れたみたいな台詞を吐かれても、馬鹿にされているような気はしなかった。
 それどころか、親が子を慈しむような、拙ささえも愛おしむような――深い愛情を向けられているみたいに思えるから不思議だ。
 気が付けば、私は白い人の顔をまじまじと見つめていた。
 真正面にある金色の瞳には、彼に負けず劣らず興味津々な様子の子竜の顔が映り込んでいる。
 ところが……
「おや、額を怪我しているじゃないか。かわいそうに。さっきの小鳥とぶつかった時だね」
「みっ!?」
 白い人がいきなりぷちゅっと額に唇を押し当ててきたものだから、私は再びジタバタと暴れることになった。
 絡み付いていた衣服が取り除かれたおかげで、今度はなんとか逃れることに成功する。
 慌ててロイの後ろに避難した私は、その背中にしがみつきながら、またくすくすと笑う白い人を覗き見る。
 しかしふと、彼の手に――今の今まで私を抱っこしていたのとは逆の手に握られているものに気付いてぎょっとした。
「ぴゃ!?」
「ああ、コレね。さっきの派手な小鳥にくっついてたんだけど――知り合いかい?」
 白い人の手にあったのは、子竜の私を模した小さなぬいぐるみ――小竜神が憑依したものだった。
 閣下達と一緒に宝物庫に向かったはずなのに、どうして戻ってきたのだろう。
 私とロイが顔を見合わせる一方で、小竜神は突然我に返ったみたいにジタバタと暴れ始める。
 そのとたんである。
 白い人の美しい顔から、一切の笑みが消えた。
「じっとしなよ、ケダモノの眷属。あんまりうるさいと――捻り潰しちゃうよ?」
「ぴぇ……」
 私やロイや小鳥に対するものとは正反対の、それはそれは冷たく厳しく威圧的な声だった。
 同じ口から発せられたとは思えないその声に、私は自分に向けられたわけでもないのに震え上がる。
 小竜神もブルブル震えながら、助けを求めるみたいに私を呼んだ。
『パ、パトリシア……』
「……うん? パトリシア?」
「ぴいい!?」
「おまえ、パトリシアって名前なの?」
 白い人は突然興味をなくしたみたいに、ぽいっと小竜神を投げ捨てた。
 そうして、何やら感慨深げな顔をして、パトリシア、パトリシア、と繰り返しながら、ロイの背中に隠れた私を覗き込んでくる。
 私は私で、得体の知れない相手に、ただもう戦々恐々としていた。
 間に挟まれたロイは、私と白い人の顔を見比べて、困ったようにクウンと鼻を鳴らす。
 その頭をよしよしと撫でながら、作りものめいた美しい顔に再び笑みをのせて白い人が言った。
「まさか、こんな日がくるなんてね。長生きはしてみるもんだ」
 直後、驚くべきことが起きた。
 白い人の姿が、こつ然として消えたのである。
「ぴ……?」
 お座りをするロイの背中にしがみついたまま、私はキョロキョロと辺りを見回す。
 そんな私を振り返り、ロイがまたクウンと鼻を鳴らした。
 その時である。
『どこを見ているんだい。ぼくはここだよ』
『えっ!?』
 小竜神や、竜神の生贄の名を持つ人形や絵達――そして、竜になった姉の時のように、頭の中に直接声が響いてきた。
 と同時に、ロイの向こうから何かがひょいと飛び出してくる。
『わ、私……?』
 私は最初、それを鏡だと思った。
 何故なら、目の前に現れたのが、今の私にそっくりの、ちんちくりんの子竜だったからだ。

 白い人に投げ捨てられた子竜のぬいぐるみ――小竜神は、池の畔の芝生の上に落ちて動かなくなっていた。
 乱暴に扱われた衝撃によって憑依が解け、ただのぬいぐるみに戻ってしまったのだろうか。
 だとしたら小竜神は、大本である石像が祀られているシャルベリ辺境伯領に戻ってしまったのかもしれない。
 そもそも、閣下達と一緒にサルヴェール家の宝物庫に入ったはずの小竜神が、何故小鳥にくっついて戻ってきたのだろうか。
 そんなことを頭の隅で考えつつも、私の意識は目の前の光景に釘付けになった。
『ねえ、おまえ。メテオリット家に生まれた子だよね?』
『わあっ!!』
 ロイの向こうから伸びてきた手が、私の顔をぐっと摑む。
 申し訳程度の鉤爪が付いた、赤子のそれのようにふくふくとして小さい――まさしく、子竜の私のものとそっくりな手だった。
『だ、だ、だれえーっ!?』
『誰って、ぼくだよ。今の今まで一緒にいた、白い髪の男さ』
『でも! そんな、ちんちくりんじゃなかったっ!!』
『いやいやいや、ちんちくりんはお互い様でしょー』
 体長はだいたい小型犬くらいで、短い手足にぽっこりと丸いお腹。頭でっかちのちんちくりん。
 ロイの向こうから現れたのは、鏡に映った私ではなく、生き写しみたいにそっくりな子竜だった。
 私や姉のようなメテオリットの竜の先祖返りは、人間の時の髪の色が竜の身体の色に反映される。
 そのため、ピンク色の髪をした私はピンク色の子竜になるのだが、今目の前にいる子竜の身体も、白い髪の男であることを示すかのように真っ白い色をしていた。
『そもそも、ちんちくりんの何がいけない? ぼくはこんなに可愛いっていうのに』
 ふふん、と鼻を鳴らして得意げに言う声は――頭の中に響いてくる声だが――確かに白い人のそれと同じだ。
 白い人――いや、白い子竜は、ちっちゃな掌で私の両頰を包み込んだまま、金色の瞳を細めて嬉しそうに続けた。
『しかし驚いたよ。今になって、まさか子孫に会えるだなんてね』
『へ? 子孫……?』
『そうだよ。メテオリット家は、ぼくの娘とアレニウスの末王子から始まった一族だからね』
『ぼ、ぼくの娘って……?』
 思ってもみない展開に、もはや私は相手の言葉を繰り返すことしかできない。
 だって、まさか、そんな――今自分の目の前にいるのが、メテオリットの始祖たる竜の片割れだなんて。
 ふいに、汽車の中でボルト軍曹から聞いた話を思い出す。
 この土地でだけ真しやかに囁かれているという噂話だ。
 ――何でも、〝始まりの竜は今もあの地で生きている〟って言うんです。
『ええええええっ!?』
『こらー、危ないよ』
 驚きのあまり後ろに仰け反ろうとする私を、両頰を摑んだままの白い子竜がぐっと引き寄せる。
 そうして、私をぎゅうぎゅう抱き締めると、お揃いのプクプクのほっぺをムニムニと擦り寄せながら感極まったように叫んだ。
『はじめまして、だね! ぼくの可愛い子孫ちゃん! おまえはぼくの、ひひ、ひひひひ、ひひひひひひ孫――あー、もう! 数え切れないから孫でいいや! はじめまして、おじいちゃんだよー!!』
『お、おじいちゃんって……ええええええっ!?』

◇◇◇◇◇
「――モリス!」
「はい、閣下!」
 閣下は少佐から煌びやかな弓矢を受け取ると、素早く矢を番えて引き絞り、狙いを定める。
 矢尻が尖っていない美術品であろうと、命中すればかなりの衝撃だろう。
 はたして、ヒュッと風を切る音を立てて飛んでいった矢は、今まさにジジ様に振り下ろされんとするナイフを持つ手を寸分違わず射た。
 あっ、と悲鳴を上げて、マーティナがナイフを取り落とす。
 けれども、それにほっとする間もなかった。
 マーティナの落としたナイフをすかさず拾った家令が、そのまま再びジジ様に切っ先を向けたからである。
 気が付けば、私は閣下の外套から飛び出していた。
 大きく翼を羽ばたかせて勢いを付け、大砲の弾みたいに一直線に突撃する。
 ゴチンッ! という音が洞窟に響き渡った。
 私の渾身の頭突きによって、家令もまたナイフを取り落とす。
 ナイフは洞窟の壁に当たって撥ね返り、湖へと落ちていった。
 ポチャン、と水音を立てて、ナイフが沈んでいく。
 凶器が目の前から消えてほっとしたのも束の間――
「……っ、くそ! 何なんだっ!!」
「――きゃん!」
 頭を押さえて踞っていた家令が、怒りに任せていきなり腕を振り払ったのだ。
 自ら繰り出した頭突きで頭がくらくらしていたところに、運悪く家令の裏拳を浴びた私は、まるでナイフを追い掛けるみたいに湖へと真っ逆さまに落ちていった。
「パティ!!」
 閣下の呼び声と、ドボンッ……という鈍い音が重なる。
 私と一緒に湖に飛び込んだ空気が泡となって、コポコポと呟きながら水面へと上っていく。
 ぶたれた衝撃で意識が朦朧としていた私は、ぼんやりとそれを眺めながら沈んでいった。
 そんな中、新たな水音とともに湖に飛び込んできた人影が目に入る――閣下だ。
 とたんに我に返った私は、慌てて短い手足をばたつかせて体勢を立て直そうとする。
 けれども、そもそも子竜の姿でろくに泳いだこともなかったため思うようにはいかず、無駄に体力と酸素を消耗する結果となってしまった。
 ゴポポッ……と、一際大きな空気の泡が口から逃げていく。
 たまらなく息が苦しくなって、死の恐怖を覚えた時だった――閣下の長い腕に捕まえられ、力強く抱き寄せられたのは。

 唇が、重なる。

 閣下はゆっくりと、しかし確実に、子竜の私の口に酸素を与えてくれた。
 コポコポ……コポコポ……
 僅かな隙間から漏れた小さな泡が、囁くような音を立てながら水面へと上っていく。
 天井の隙間から差し込む日の光に照らされて、それはまるで真珠のように輝いていた。
 やがて、お互いの唇が離れた頃――私はもう、子竜の姿ではなくなっていた。
 子竜の身体の色と同じ、ピンク色の長い髪がゆらゆらと気ままに水中を漂う。
 裸の身体は、閣下の腕にしっかりと抱かれていた。
 このまま浮上してしまえば、ボルト軍曹に続いてマーティナや家令にも、メテオリット家の秘密を知られてしまうことになるだろう。
 それが不安ではないと言えば噓になる。
 けれども――
(閣下と一緒なら――)
 ちんちくりんの落ちこぼれ。竜のくせに鋭い爪も牙もない。
 賢くも強くも美しくもない、劣等感まみれの私だけれど。
 必要だと、愛おしいと、そう誰に憚ることなく言ってくれる閣下と一緒なら、きっと何があっても大丈夫。
 私は両手を目一杯伸ばし、閣下の身体にしがみついた。
 閣下も私の腰を片腕でぐっと抱き寄せ、浮上するためにもう片方の腕で大きく水をかく。
 キラリ、と下の方で何かが光ったのは、ちょうどその時だった。
 私も閣下も、自然と水底に目を遣る。
 光ったのは、私より一足先に湖に落ちた、マーティナのナイフ。
 けれども、水底にあったのはそれだけではなかった。
「「――!!」」
 私と閣下は、同時に息を呑む。
 湖の底には、大きな骨が。
 翼のある、竜と思しきものの骨が横たわっていた。

◇◇◇◇◇

 いよいよ、竜神祭が始まる。
 湖岸の閣下が軍服の上着やシャツ、手袋などを次々と脱ぎ捨て、それを少佐が甲斐甲斐しく拾って畳んでいるのが見えた。
 ライツ殿下や他の参加者達も、それぞれ飛び込む準備を済ませて貯水湖の際まで出る。
 始まりの合図を託されたのは、半年前にシャルベリ辺境伯位を閣下に譲って引退したお義父様だ。
 商工会長に強請られて、僭越ながら、と立ち上がったお義父様が片手を空に向かって上げる。
 そうして、湖岸にぐるりと一周視線を巡らせたかと思ったら、貯水湖の隅から隅まで響き渡るような張りのある声で告げた。
「――始め」
 そのとたん、男達が一斉に貯水湖へ飛び込む。
 盛大な水飛沫とともに、わっと声援が上がり、湖岸はたちまち熱気に包まれた。
 それに煽られて飛び込んだ迷惑な酔っぱらい達が、アーマー中尉が隊長を務める本日の警備部隊に早々に引き上げられるのを余所に、男達は猛然と泳いで貯水湖の中心を目指す。
 その中でも飛び抜けて速いのが、閣下とライツ殿下だ。
 おかげで、両陣営は大盛り上がり。
 いつもは上官相手であろうと平然と扱き下ろす少佐も、今日ばかりは声も嗄れんばかりに閣下を応援している。
 わんわん、と聞こえてくるのは犬のロイの声。
 人間のロイ――閣下の弟のロイ様も、湖岸から身を乗り出して懸命に兄の姿を目で追っていた。
 ライツ殿下の応援団とて負けてはいない。
 拳を振り上げ、野太い声でもって、負けじとその背を鼓舞する。
(閣下……!!)
 曲がりなりにも生贄の乙女役を務める身のため、声を張り上げて閣下を応援するわけにはいかない私は、ローブの合わせ目をぎゅっと握って歯痒い思いに耐えた。
 そんな時だった――空に、突如黒い雲が立ち込めたのは。
「えっ……?」
 あっという間もなく、ザーッと凄まじい音を立てて雨が降り始める。
 雨は貯水湖を泳ぐ男達の上にも容赦なく降り注ぎ、彼らの遊泳のみならず息継ぎさえも阻んだ。
 大量の雨粒に叩かれた湖面は激しくうねり、男達を次々と呑み込んでいく。
 もちろん――先頭を泳いでいた閣下も例外ではなかった。
「か、閣下? 閣下っ……!!」
 くすくす、とさも楽しそうな笑い声が聞こえてきたのは、そんな時だった。
 私は信じられない思いで隣を――そこに立つジジ様を振り仰ぎ、はっと息を呑む。
 私達の頭上だけぽっかりと雲に穴が開いて、不自然に青空が覗いていることに気付いたからだ。
 現に、竜神の神殿があるこの浮島には、一滴の雨も降ってはいなかった。
「ジジ様……この雨、ジジ様の仕業なんですか!? ど、どうしてっ……!!」
「だって、凪いだ湖をただ泳ぐだけなんてつまらないでしょ。ぼくの可愛い孫を、楽して手に入れられるなんて思われちゃあ癪だからね?」
 私はジジ様に縋り付き、その胸をドンドンと拳で叩いて必死に懇願した。
「や、やめて! やめてくださいっ! 雨を止めてっ!! みんなが――閣下が溺れてしまうっ!!」
「ここで溺れて死ぬのなら、あいつはそれまでの男だったということさ。竜の血を引くおまえの番にふさわしくない」
「ジジ様!!」
「ふふ、怒っても可愛いねえ、パティは。パトリシアが怒った時に比べれば、子犬が戯れているようなものだよ」
 癇癪を起こす子供をあしらうみたいに、ジジ様は私の言葉に耳を貸さない。
 彼はまだ、シャルベリを憎んでいるのだろうか。
 子孫であるアビゲイルを蔑ろにし、あまつさえ命と引き換えに降らせた雨を当時の領主が一族の手柄にしたことを。
 けれども、すでにシャルベリ家は代々娘を生贄に差し出さざるを得ないという報いを受けたはず。
 それに、アビゲイル自身はシャルベリにちっとも恨みはないみたい、と言ったのはジジ様ではないか。
 そうこうしている間もますます天候は荒れ、貯水湖はついに渦を巻き始めた。
 もはや、閣下がどこにいるのかも分からない。
「閣下っ……閣下っ!!」
 頭の中が真っ白になった。
 同じ子竜でも、生粋の竜であるジジ様とは違って、姿形だけの先祖返りでしかない私には水を操る力なんてない。
 己の無力を、いったい何度呪えばいいのだろうか。
 私は、着せられていた真っ白いローブを脱ぎ捨てて、荒れ狂う貯水湖に飛び込もうとする。
 自分が行ったところで何もできないと頭の隅では分かっていても、じっとしていられなかったのだ。
 さらには、この身を捧げることと引き換えに、このシャルベリ辺境伯領の守り神たる竜神が、この事態を収拾してはくれまいか、と淡い期待も抱いていた。
 奇しくも、私は今まさに、竜神に捧げられる生贄の乙女としてここにいるのだから――
 ところが……
「こーら、パティ。だめだよ。それは、おじいちゃんが許さない」
 すんでのところでジジ様に捕まって、再びローブを着せられてその腕の中に抱き込まれてしまった。
 彼は、小さな子供を叱るみたいに優しい声で続ける。
「まったくおまえは、すぐにそうやって我が身を差し出そうとする。以前の狩りの時も、猪を前にして自分を盾にしようとしただろう? ぼくはね、自己犠牲なんてものは嫌いだよ」
「ジジ様……ジジ様っ、おじい様っ!! お願い、お願いしますっ……閣下を助けて! 皆を助けて! 私、何でもしますからっ!!」
「あーん、泣き顔も可愛いー。でも、何でもします、なんて軽々しく言うものではないよ。ぼくがおまえのおじいちゃんじゃなかったら、どんなえげつない要求をしたか知れない」
「お願い……お願い……」
 くすくすと笑うジジ様の腕の中で、私は必死に身を捩る。
 雨はまだ激しく降り続き、目の前にはまるで水のカーテンが下りたようになって、貯水湖の水面が――そこを泳いでいた閣下達がどうなってしまったのか、まったく見えなくなっていた。
 凄まじい絶望が私を襲う。
 指先からどんどん冷たくなって、この身に流れる竜の血ごと全てが凍ってしまいそうな感覚を覚えた――その時だった。
 ドーン、という落雷と聞き違えるほどの凄まじい音とともに、空から貯水湖に向かって閃光が走ったのは。
 虹色の眩しい光に、私はとっさにぎゅっと目を瞑った。

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