書籍詳細
乙女ゲームの悪役令息に転生しましたが、攻略対象者のハイスペックな義弟に迫られています!
定価 | 1,320円(税込) |
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発売日 | 2023/09/08 |
電子配信書店
内容紹介
あなたは僕の最愛の人なのです
ある日前世を思い出したセシルは、ここが乙女ゲームの世界で自分が悪役令息で、義弟フレデリックが攻略対象者であることに気づく。悪役令息としてフレデリックを虐めるストーリーに逆らい、孤独に苦しむフレデリックを可愛がる。九年後、美しく成長したフレデリックがなぜかバックハグしてきたり、頬にキスしてきたりと熱く翻弄してきて!? ついに乙女ゲームが始まるが、セシルはフレデリックとヒロインの出会いを見たくなくて、フレデリックを連れて逃げてしまう。弟として好きなだけ、そう思っていたのにフレデリックから「あなたの全てを僕のものにします」と、積年の思いに貫かれて――。イケメン義弟×平凡悪役令息の義兄弟執着ラブ!!
人物紹介
セシル=リライト
公爵令息。ある日自分が乙女ゲームの悪役令息であることに気づく。
フレデリック=リライト
セシルの腹違いの弟。乙女ゲームの攻略対象者。
立ち読み
Ⅰ 悪役令息は思い出す
俺の名前はセシル。
セシル=リライト。八歳の公爵令息。リライト公爵家の跡取り……でした。
つい先日、いきなり親父が「お前の弟だ」と言ってフレデリックを連れてきた。
遠い親戚の子どもだとか、身寄りがなくなってとかうだうだと説明していたけど、その場にいた母上や俺、使用人達全員が『みなまで言うな、分かってる』っていう感じだった。
だってフレデリックは親父にそっくりだったから。
金茶の髪に濃い緑の瞳。全てのパーツが親父とお揃い。
俺と親父よりも、親父とフレデリックの方がよっぽど親子に見えたよね。
おかげで、政略結婚のため義理で結婚生活を続けていた母上は、実家に帰ると言って泣きわめいた。『公爵夫人ともあろう人が取り乱して』とは、さすがに誰も言わなかったよ。
まあ、母上は低位の子爵家の娘。公爵である親父がどんなやんちゃをしようとも、実家は苦言を呈してはくれないし、フレデリックを公爵家に引き入れるのを阻止することはできない。
泣きわめいていた母上は、本当に泣き寝入りだ。
もちろん、その場にいた俺もショックを受けたよ。
そりゃあもうショックだった。だって初めて会ったフレデリックに、全てを奪われるのだから。
いくら俺が長男だといっても、親父が堂々と愛人の子を公爵家に引き入れたということは、フレデリックを跡取りにしようと決めたからなのだろう。
政略結婚の妻が産んだ子どもより、愛する愛人の産んだ子どもの方がそりゃあ可愛いだろうから。
それに公爵家の跡取りにするならば、小さいうちから高位貴族としての教育を受けさせなければならないし、周りの貴族達にもお披露目をしておかなければならない。だからこそ、わざわざ母親から引き離してまで公爵家に連れてきたのだろう。
これから俺はどうなるのか。
母上に連れられて母上の実家に帰ったところで、ごく潰し母子以外の何者でもない。
それに母上の実家は、すでに母上の弟が跡目を継いでいて、結婚して子どももいる。そんなところにのこのこ行ったところで、追い出されるのが目に見えている。
こうして絶望した俺は、フレデリックの前でぶっ倒れてしまい、そのまま熱を出して寝込んでしまったのだった。
わずか八歳の俺だが、これから先の生活を思って知恵熱を出してしまったのだ。
そして滅(めっ)多(た)に出さない熱を出してしまったためなのか思い出した。
自分の前世を。
本当だったら一晩で下がる程度の熱だったのだろうが、前世の膨大な情報がこれでもかと流れ込んできたせいかまたもや熱が上がってしまい、おかげで三日間も寝込むことになってしまった。
前世の自分は“サラリーマン”だった。特出したところも無い、ブラック企業な会社に勤める普通の会社員。
自分が何(い)時(つ)頃死んだのかはおぼえていないけど、三十代になった記憶が無いから、その前に事故かなにかで死んでしまったのかもしれない。
そしてもう一つ重大なことを思い出した。
それはここが、俺が前世でプレイしていた『月の雫の乙女』という乙女ゲームの世界だということ。
自分で自分の考えが信じられなかったけど、この世界はその乙女ゲームにあまりにも似ている。自分の名前もそうだし、異母弟となるフレデリックの容姿、年齢、リライト公爵家に来た経緯。全てがゲームと一致する。
こんな偶然あるわけがない。
男の俺が、なんで乙女ゲームのことを知っていたのか……ぜんっぜん思い出せない。
そもそも思い出した前世自体が、ぼんやりとしている。乙女ゲームが好きだったのか、仕事で関わっていたのか、誰か近しい人がプレイしていたのか。思い出すことができない。
それなのに、乙女ゲームの記憶だけはやけに鮮明に残っている。不思議だ。
『月の雫の乙女』のストーリーはありきたりのもので、貴族の通う学校に一人の庶民の少女が入学してくる。
それがヒロイン。デフォルトネームはメロディ=ローレン。ピンクゴールドの髪に深緑の瞳。華(きゃ)奢(しゃ)で儚(はかな)げな雰囲気なのに、明るく元気で前向きな姿に、攻略対象者といわれる者達全員が惹かれていく。
ゲームでは三年間に起こる様々なイベントをクリアし、メロディが愛する一人を選びエンディングへと向かう。王道中の王道だ。
そんなテンプレストーリーの中の悪役令息、それがセシル(俺)だ。
俺は、悪役令息に転生してしまったようだ。
悪役令息である俺の役どころは、攻略対象者であるフレデリックを虐めることに重きが置かれている。
フレデリックは幼い頃に公爵家に引き取られ、その時から二歳年上のセシル、つまり俺に虐められる。
子ども同士だが幼少期の二歳の差は大きく、フレデリックは自分より身体の大きなセシルの虐めに対抗することができずに、セシルにとことん虐められるのだ。
しかしだんだんと身体の大きさは逆転し、学園に入学する頃には、フレデリックはセシルよりも随分と大きく逞(たくま)しく成長している。
セシルは悪役らしく、チビガリの上にブサイクだ。自分の将来の容姿を思い出してしまったせいか何だか目から透明な汁が出てきそうだ。
体格は逆転した二人だが、ずる賢いセシルは公爵家の使用人達全てを自分の手駒にしており、公爵家の中でフレデリックに対する虐めはずっと続いている。
フレデリックはそんな環境ですごしてきたため極度の人間嫌いになり、暗く陰りのある美少年に成長していく。
そんなフレデリックを、陰日向のない優しさで包んで癒すのがヒロインだ。誰にも心を許さないフレデリックが唯一心を開く相手でもある。
セシルは、学園に入学したフレデリックがヒロインを好きになったことに気づき、ヒロインを凌(りょう)辱(じょく)しようとして失敗する。そして冬休みの終業式後に開かれる舞踏会で、皆の前でセシルは断罪される。
そう、セシルの役割は小ボス。前(ぜん)哨(しょう)戦(せん)の小ボスでしかないのだ。入学した年の二学期の終業式の日に断罪され、いなくなってしまうショボい役割だ。
セシルはヒロインや攻略対象者達より二歳年上のため、三年間の学園生活の中では、一年間しか一緒に学園生活を送らない。そのためなのかサクサクッとボコボコにされて、さっさと退場する。
本物のラスボスは第三王子の婚約者である悪役令嬢で、卒業式のパーティーで華々しく断罪される。
悪役令息セシルは小ボス扱いだからなのか、断罪の内容はショボい。公爵家の継承権を奪われ、王都から追放されるだけだ。
公爵家の嫡(ちゃく)男(なん)が、平民の少女に酷いことをしても、その程度の罰なのかもしれない。
それから先のセシルの消息は一切語られない。あくまで小ボス、扱いは雑というか軽い。公爵家がセシルをどう扱うのかは分からないけど、親父か母上から田舎の領地に幽閉されるのかもしれない。それとも簡単に両親から見放されるのだろうか? 高位貴族の息子であるセシルが、市井(しせい)に降りて自分の力だけで生きていけるとは思えないけど。
俺は自分のベッドの上で頭を捻(ひね)る。
前世を思い出した俺は、ゲームのセシルとは違う。貴族に未練は無い。というか貴族でいるのが息苦しい。自由が無い上に人の目ばかり気にしていなければならないから。それに市井に行ったって、元々一般市民だった前世の自分を思い出した今の俺なら、なんやかんややっていけると思う。
いや、今いきなり家を追い出されたらそりゃあ無理だけど。今から断罪時までに準備しておけば大丈夫だと思う。
ということで、断罪されても良くない? 王都からの追放なんて、いい感じに願ったり叶ったりじゃないか。
俺はポンと一つ手を打つ。
よし、悪役令息になろう。俺が立派な悪役令息になれば、フレデリックとヒロインの仲も進展するだろうし、俺も公爵家から自由になれる。
いいことばっかりじゃないか!
セシル=リライト八歳。この日、悪役令息になることを心に決めたのだった。
熱が下がり、暇になった俺は部屋から出た。すると通りかかった侍女から母上は一人で実家に帰ってしまったのだと告げられた。
見捨てられた――っ!
まあ、今までも可愛がってもらった記憶はほぼなかったから納得といえば納得なんだけど、いくら政略結婚で産んだ子どもに愛情が無かったとはいえ、わずか八歳の息子を置いて行かないでくれよ。せめて一言ぐらいあってもいいじゃないか……地味に凹むぜ。
母上は、親父を心底嫌っていた。政略結婚の相手だと割り切ることは出来なかったようで、それはそれは蛇(だ)蝎(かつ)のごとく嫌っていた。
子爵家の娘がなぜ公爵家に嫁げたのかは俺には分からないけど、これってばいわゆる玉の輿(こし)じゃないの? 子爵家とすれば大喜びだろうに。
今までも母上は、親父と一緒にいたくないからなのか、いつも公爵家にはいなかった。どこに行っていたのかは知らないけど、俺が母上と会えたのは月に数度だった。会ったところで可愛がられるどころか、声すらかけてはもらえなかったけど。
まあ親父の子どもである俺のことも、親父並に嫌っていたのだろうなぁ。放って実家に帰ってしまったぐらいだし。
親父はというと、これまた息子のことは放置だ。
放置というか、自分に息子がいることを憶えているのか? と思うほどに俺達のことを無視している。仕事人間なのか、外に愛人がいて別の家庭を持っているのか、公爵家には月に二、三度何か用事がある時にしか帰ってこない。
異母弟であるフレデリックを愛人との家庭から連れてきたのだろうけど、それにしてはフレデリックは親父に懐いていない感じだった。
まあ知恵熱を出してぶっ倒れるまでの少しの間しかフレデリックの様子を見てはいないのだけど。
「ぎゃー!」
そのまま当てもなく屋敷内を歩いていると、どこからか子どもの悲鳴が聞こえてきた。
この屋敷の中にいる子どもは俺とフレデリックの二人だけだ。慌てて声が聞こえた方向へと走りだす。
まだ体力が戻っておらずヘロヘロだったけど、なんとかフレデリックの部屋と思われる所へと辿(たど)り着いた。
「いったい何度言ったら分かるのですか!」
「ご、ごめんなさい……」
部屋の中には身体を小さく縮めて涙を堪(こら)えているフレデリックと、手に鞭(むち)を持ったダリオナがいた。
ダリオナは元々は俺の乳母だった女性だが、俺が六歳になった時乳母の職は解かれて、今は家庭教師となっている。授業なんか受けたことは無いけどね。
親父は息子の存在を忘れているし、母上は外出して帰ってこないから、この屋敷の使用人達は仕事をサボり放題だった。子どもの俺が使用人達を注意しても聞きゃあしない。ダリオナなんて、この頃は顔すら見ていなかったから存在すら忘れかけていたよ。
ダリオナは喜怒哀楽が激しくて、すぐに癇癪を起こす厄介な女性だった。幼いセシルはただ恐ろしくて、いつもビクビクとダリオナの顔色を窺(うかが)っていた。
そんなダリオナを、俺の家庭教師からフレデリックの乳母にしたというのか? 公爵家(この家)に来たばかりで心細い思いをしているというのに。
よく見るとフレデリックの右手にはミミズ腫れがあり、それを庇(かば)うように左手で押さえている。
鞭で打たれた? 俺の中に怒りが湧き上がってくる。
「何をしている!」
フレデリックを庇うように、ダリオナの前に立つ。
「これはこれはセシル様。フレデリック様がおねしょをされてしまったのですよ。六歳にもなって情けないこと」
ダリオナは、わざと大きなため息を吐いて見せる。
「ごめんなさい……」
フレデリックは、声を殺して泣いている。
わずか六歳にしかならない子どもが、大声を上げるわけでも、地団太をふむわけでもなく、肩を震わせ、小さな嗚(お)咽(えつ)を漏らしている。
俺は、感情が爆発しそうになるのをなんとか抑えつける。
「フレデリックはまだ小さい。それに公爵家に連れてこられたばかりで、心細い思いをしているんだ。おねしょをしたからといって罰する必要なんかない」
「まぁ。おねしょをしても罰しないなど何をおっしゃっているのですか。公爵家の子息となられたのですよ。貴族の一員として恥ずかしくないようにしなくてはなりませんわ。私はフレデリック様のためを思って教育させて頂いておりますの」
ダリオナは薄ら笑いを浮かべ、手に持つ鞭を威(い)嚇(かく)的(てき)にピシピシと鳴らしてみせる。
ダリオナはセシルのことを軽んじている。そして新しく迎え入れられたフレデリックのこともそうなのだろう。所(しょ)詮(せん)子どもであり、どんなに蔑(ないがし)ろにしたところで自分をどうこうできるわけはない。そう思っているのだ。
「教育に暴力は必要無いはずだ。お前は自分のフラストレーションの捌(は)け口にフレデリックを使っているだけだ」
「まっ、まぁ何てことを言うのですか。あまりにも失礼ですよ! 私は旦那様よりフレデリック様の教育を任されているのです。きちんと躾(しつ)ける義務があるのです。何も分かっていないセシル様が口出しすべきことではありませんわ」
ダリオナは、今までの人を馬鹿にしたような薄ら笑いから鬼のような形相へと様変わりしている。
どんなに怖い顔をしようが、こちとら前世ではブラック寄り企業の社員だったのだ。ダリオナなんぞ因縁をつけてくる客に比べれば可愛いものだ。フンッと鼻息一つでいなしてやる。
「フレデリックのためを思って? 躾ける義務がある? 笑わせないでもらおうか。小さな子どもに暴力をふるうのが、その子のためになると本気で思っているのか? 鞭をふるって怪我をさせるのが義務だとでも言うのか? 加害者の暴言だ!」
ダリオナを睨(にら)みつける。
前世に関係無く分かることがある。反論もできないような子どもに体罰を加えるようなヤツは、ろくでもないってね。
俺の服の裾を、フレデリックがそっと握りしめている。泣き縋(すが)ることも出来ない幼い弟が余りにも哀れだ。
「まあ、言っていいことと悪いことの区別もつかないなんて。このことはお父様に報告しますからね。お父様にうんと叱られればいいのですわ」
「ああ、言えばいいさ。この家の嫡男である俺と新しく迎え入れられたフレデリック二人の言い分と、しがない一使用人のお前の訴えのどちらを親父が信じるのか試してみるがいい」
俺の言葉にダリオナは唇を噛む。
公爵家(この家)の事に何一つ興味を持たないクソ親父が、子どもの言葉、ましてや使用人の言葉に耳を傾けるわけはないのだ。
だからこそ、俺は俺のやりたいようにやる。こんな小さな弟を泣かせたりなんかしない。
「もうお前は必要ない。フレデリックの世話も教育も今後一切手出しは無用だ。もう二度とフレデリックに関わることは許さない。どうせ給料さえ貰えればいいのだろう。おとなしく引っ込んでいろ!」
フレデリックの前から一歩も引かない俺を見て、ダリオナは怒りに顔を歪めながらも困惑しているようだ。
それはそうだろう。前世を思い出す前までの俺はダリオナの前ではおどおどと顔色を窺い、目を合わせることすらできない、そんな子どもだったのだから。
「生意気な。子どもだと思って下手にでれば」
ダリオナは真っ赤な顔をして手に持っていた鞭を振りかざす。
「子どもだと思って? 違うよな。俺がこの家の息子だから手が出せないだけだろう。その振り上げている鞭で俺の手も打ち据(す)えるのか? 俺を打てばいいさ、打てるものならな! だが肝に銘じておけ。お前がこれから俺達に鞭をふるうことがあるならば、お前を公爵家の令息に暴行を働いた犯人として牢(ろう)屋(や)に叩き込んでやる!」
俺はダリオナから目を逸(そ)らさない。
子どもだと思って馬鹿にしているのだろうけれど、身分の違いを思い出すがいい。
「クビにして屋敷から追い出すのではなく、犯罪者として牢屋に入れると言っているんだ。そうなりたくなかったら、さっさとこの部屋から出て行け!」
俺は扉を指さす。
俺の強い物言いにひるんだのか、ダリオナは顔を歪めながらも部屋から出て行った。
「ふい~。まったくもってあんな短気な女をフレディの乳母にするなんて、あのクソ親父は何を考えているんだ、って何も考えてないのか!」
「兄様……」
おずおずとフレデリックが俺へと声をかけてくる。服の裾を握りしめる手は震えている。
「フレディ怖かったな、もう大丈夫だぞ。二度とダリオナと関わることはないからな。俺がフレディを護(まも)ってやるよ。安心していいんだ」
優しくフレデリックを抱きしめる。
こんなに小さいのに母親から引き離されて、どれ程心細かっただろう。ダリオナに鞭打たれて、どれ程恐ろしかっただろう。
「手は大丈夫? 早く気づいてあげられなくてごめんな。フレディに怪我をさせるなんて、あのババア絶対仕返ししてやる」
最後の方はフレデリックに聞かせないように、小さな声で罵(ののし)っておく。
フレデリックの怪我をした手を包み込むと、頬にキスをする。半分しか血は繋がっていなくとも、俺の弟に変わりはない。
幼い弟には護ってくれる人が誰もいないのだ、それならば俺が護ってやろうではないか。なんせ前世では大人の社会人だったのだから。
前世を思い出す前までのセシルは両親をいつも恋しがっていた。両親とも屋敷に近寄りもせず、セシルはいつも放置されていたからだ。
心細くて悲しくて、心がよじれてしまい、だんだんと癇(かん)癪(しゃく)を起こしたり我(わが)儘(まま)を押し通す悪役令息になっていったのだろう。
そんな時に現れた自分よりも小さなフレデリックをゲーム内でのセシルは虐め抜く。自分の心の隙間を埋めようとしたのかもしれない。
まあどんな理由があろうとも『虐めはダメ絶対』だけどな。でも俺は前世を思い出すことができた。もう小さなフレデリックを虐めたりなんかしない。
それどころか俺は護るよ。超愛(め)でるよ。可愛がるに決まっているよ! だって、寂しくなくなったんだよ。セシルに家族ができたんだ! フレデリック、ウェルカムだよ。
数日前に悪役令息になると決心した俺だが、悪役令息が弟を虐めなきゃならない決まりは無い。可愛がりまくってもいいはずだ。
ゲームのストーリーを進めるためにフレデリックを虐めなきゃならなくなっても、それは学園に入学してからでいいよね。十分に間に合う……はず。
それにほら、男の子はちょっと大きくなれば、いくら可愛がっていても親や年長者のことなんか毛嫌いするようになるから。反抗期がきちゃうから。ゲームが始まる時には距離が開いているさ、大丈夫、大丈夫。
フレデリックに今ツン対応されたら俺は凹むかもしれないけど、悪役令息だもの、乗り越えられるさ。
気を取り直して、俺は隣でまだ震えているフレデリックの手を取る。
まず初めにやることは、フレデリックを俺の部屋に連れ込むことだな。このままフレデリックが自分の部屋に一人でいると、いつダリオナがやって来るか分からないから。
恥をかかされたと仕返しにくるかもしれない。小さな子ども相手にあんなに簡単に鞭をふるうような人物だ、何をするか分からない。フレデリックには、俺の目の届く所にいてほしい。
いやいや、フレデリックといつも一緒にいたいからとか、いつも愛でていたいとか、そんなことじゃないよ。あくまでフレデリックの安全のため。そう、安全のためなんだよ。
いつでもぎゅーしたいとか、いつでもほっペチューしたいとか、そんな疚(やま)しいことはぜんっぜん考えていないからね。
まあこれからのフレデリックのお世話は、俺が全部やるけど。ダリオナみたいなろくでもない使用人がまだいるかもしれないし、俺が愛情を持ってお世話をする方がいいに決まっている。なんせ前世では社会人。それも一人暮らしをしていたから、一通りのことは何でも出来る。いまさら弟の一人や二人、お世話をするぐらい朝飯前だ。
それに俺の部屋は広い。さすが公爵家の嫡男といえる部屋を俺は使っている。居間と寝室があるし、風呂もトイレも付いている。不便なことは何もない。フレデリックと一緒に使っても狭くなるどころか、まだまだ広すぎるくらいだ。
これからはフレデリックと一緒に、ここで暮らしていくことにしよう。
遠慮するフレデリックを俺の部屋に連れ込んで落ち着かせる。今日は一日ゆっくり過ごしてもらおう。明日は屋敷の中を色々と教えるのさ。
時間が経つとフレデリックもリラックスしてくれたみたいだ。夕食や風呂も一緒に済ませて、さて一緒にさっさと眠ろうとしたら抵抗されてしまった。
「兄様、駄目です」
「え、なんで?」
フレデリックは、今にも泣きそうになって目に涙をためている。美幼児の涙は見ているこちらの胸が痛くなる。
「僕と一緒に眠ったら駄目なのです」
「だからなんで?」
「僕は、僕は……おねしょをしてしまうのです」
とうとうフレデリックの瞳から、ぽろぽろと涙が流れだす。
まだまだ六歳。それに親元から引き離されて心細いだろうから、おねしょぐらいで気に病まなくてもいいのに。
「あ~、泣かない、泣かない」
「ぐすっ、ぐす。僕は駄目な子なのです。兄様に迷惑をかけてしまいます」
「違う。ぜんっぜん違う。フレディは駄目な子なんかじゃない。それなのに自分で駄目な子なんて言っちゃ駄目だ」
「でも……」
「兄ちゃんはフレデリックが駄目な子じゃないことを、よーっく知っている。だから駄目な子だなんて言っちゃ駄目だ。分かったか?」
「……はい」
フレデリックは何とか落ち着いたみたいで、小さく返事をしてくれた。
俺はフレデリックの涙を優しく拭いてやる。
「分かってくれたんだな。じゃあ一緒に寝ようか」
「だから駄目なのです」
「いいかぁ、フレディと兄ちゃんが一緒に眠るとするだろう。それでもしも、もしもだけどフレディがおねしょをしちゃったとする。するとどうなると思う? フレディと兄ちゃんは一緒に眠っていたのだから、どっちがおねしょをしたのかなんて分からないってことだよ。バレないってことさ! だから安心してフレディは兄ちゃんと一緒に眠っていいんだ」
「駄目です。兄様がおねしょをしたと思われたらどうするのですか!」
フレデリックは悲鳴のような声をあげる。
「だからぁ、どっちがしたかなんて分からないってば。大丈夫、大丈夫。さぁ一緒に寝るぞー!」
「うわぁっ、兄様! 引っ張らないでください。倒れてしまいます」
フレデリックを無理やりベッドへと引きずり込んで、抱きしめて離れられなくしてやった。まだまだ俺の方が体格はいいからな。
俺はフレデリックの苦しい環境に気づいてやれなかった。この三日間、連れてこられた公爵家で、フレデリックは一人ぼっちで眠っていたはずだ。どれほど心細くて寂しかっただろう。これからは、毎日フレデリックを抱きしめて眠ろう。暑苦しいぐらい一緒にいるんだ。
フレデリックは、抵抗していたけど、力業で抱きしめ続ける。
せっかく出会えた弟なんだ。今のうちに目いっぱい愛でておかなきゃね。
「兄様駄目です……」
弱々しく抵抗していたフレデリックだけど、あっという間にクークーと可愛い寝息を立てだす。まだまだ幼い六歳児だ。どんなに頑張ったって、すぐに寝落ちしてしまう。
俺はフレデリックの頬にキスを贈ると、しっかり布団を被せてやって自分も瞼を閉じる。俺だって、まだ八歳のおこちゃまなのだから。すぐに夢の世界へと旅立つのだった。
「フガッ」
愛らしい(?)八歳の公爵令息とは思えない鼻息と共に目が覚めた俺の目の前に天使がいた。キラキラの金茶の髪に、濃い緑の瞳。これから毎朝この目に眩しいご尊顔を拝むことができるなんて、至極極まりないな。
親父とフレデリックは瓜二つ。あの親父にも穢(けが)れ無き小さい頃があったなんて信じられない。どこで間違えば、あんなクソになるのか分からない。
「おはようございます、兄様」
「おはようフレディ。朝一番にフレディの顔が見られるなんて、今日は一日ラッキーデーだな」
油断しているフレデリックの顔をがっしりと両手で押さえて、ほっぺに無理やりチューをお見舞いする。
朝から暑苦しい兄ちゃんだが、弟の反抗期前に堪能しておこう。
幼いフレデリックは、俺の無理やりチューにも嬉しそうに赤い顔をしているだけだ。まだいける。隙あらばチューしてやろうと心に秘める兄ちゃんなのだった。
いつまでもイチャイチャしていたいところだが、そろそろ起きて準備をしなければならない。俺とフレデリックは幼い子どもだが、遊び惚(ほう)けているわけでは無い。なんせ将来は公爵家を継がなければならない身だから。毎日毎日何人もの家庭教師から色々と授業を受けている。
ダリオナのように仕事を放棄している使用人もいるが、外部からの通いの家庭教師達は真面目に授業をしてくれる。
この国の貴族の子息子女は、各家庭で家庭教師から勉強を習い、十五歳になると王立学園へと入学する。
そう、乙女ゲームはこの王立学園で繰り広げられる。
三年制の学園で、キャッキャウフフの恋愛劇場の幕が切って落とされるというわけだ。悪役令息になる予定の俺には関係ないけどね。
だが、ゲームの開始はもう少し先だ。断罪のその時までは、俺はフレデリックと仲良く暮らしていきたい。だってゲームがスタートしたら俺は立派な悪役令息にならなければならないから。フレデリックとヒロインの仲を進展させるために。俺が貴族から解放されるために。
悪役令息とは何をすればいいのか皆目見当もつかないが、ゲームの強制力が働いて、俺は嫌なヤツになってしまうのだろう。フレデリックに嫌われてしまうのは辛いけど頑張る。
「兄様、兄様。どうされたのですか?」
「お、おう。ちょっとぼーっとしていただけだよ、大丈夫」
心配そうに俺の顔を覗き込むフレデリックの頭をポンポンと叩く。
先のことを心配したって、何にもならない。それよりもまずは愛でよう。フレデリックを力の限り可愛がりまくろう。あと九年。いやもっと短い期間だろう。どうせ反抗期がきてしまうだろうから。
「さあ、勉強部屋へ行こうか」
手を繋いでも振り払われないのをいいことに、俺はフレデリックの手をしっかりと握りしめて勉強部屋へと移動する。
本日は歴史の授業。
今の俺は八歳。フレデリックは六歳。その差二歳。幼少期の二歳の差は大きい。身体も俺の方がもちろん大きいし、力も強い。勉強もそうに決まっている。
前世の小学一年生と三年生では雲泥の差があったからな。算数でいえば、一桁の足し算をしているフレデリックと割り算をしている俺の違いだ。
兄ちゃんだからな。可愛い弟に勉強を教えてあげようではないか。優しく分からない所を教えてあげて、兄として尊敬され慕われようではないか!
なーんてね、そんなことを考えていた時もありましたよ。
「なぜだ、なぜなんだっ。俺とフレディの教本が同じってなんだよ? それどころか終了したページがフレディの方が多いって、どういうことだよ!」
家庭教師を前に叫んでしまう。
だって同じ歴史の教本を使っているのはまあ許せるとしても、俺よりも授業が進んでいる、ってどういうこと?
俺ってば兄ちゃんじゃなかったの? 二歳年上じゃなかったの? もしかして、他の教科もそうなの?
これが攻略対象者と悪役令息の違いなのか!! 将来絶対イケメンになることが見て取れるキラキラの弟が、学業も自分より優れていると知ってしまい、セシルはやさぐれて虐めちゃうんだろうなぁ。
自分の将来の容姿を思い出して、ちょっと涙目になる。悪役令嬢はつり目の完璧美人さんなのに、どうして悪役令息はこうなのか。ゲーム制作者に文句を言いたい。
「あ、あの兄様、ごめんなさい」
俺の上着の裾を握りしめて、涙目のフレデリックがこちらを見ていた。
「え、何を謝っているの?」
「だって、兄様が……」
俺が自分のできなさぶりを嘆いていたのを、フレデリックは自分のせいだと思ってしまったようだ。
「違うよ違う。フレディはぜんぜん悪くない。それどころか凄く優秀で、兄ちゃんは鼻が高いよ」
「ほ、本当ですか?」
「おう。フレディは優秀で偉いな、兄ちゃんは嬉しいよ。これからもどんどん勉強していこうな」
俺はフレデリックの頭を撫でる。
そう、将来はフレデリックに公爵家を継いでもらわなければならないから。親父の思惑がどうであれ、俺は将来乙女ゲームで断罪され、公爵家どころか王都からも出て行かなければならなくなるから。
悪役令息になって平民になりたいと思うけど、いきなり無一文での王都追放はかんべんしてほしい。そうならないよう頑張ろうとは思うけど、ゲームの強制力がどこまであるのか分からない。
まあ、悪役令息の俺よりもパーフェクトイケメン攻略対象者のフレデリックの方が公爵家の跡を継ぐ方がいいのは分かり切っているけど。
あんな家にも寄り付かないクソ親父だが、公爵家当主としては優秀らしい。フレデリックは、親父の優秀な部分を受け継いでいるのだろう。
俺は何だかんだ言っても、建国からの歴史を持つリライト公爵家には存続していってほしいと思っている。俺の代で潰してしまうなんて恐れ多いからな。
まあ断罪されて俺がいなくなってもフレデリックがいるから大丈夫だな。
赤い顔をして頭を撫でられているフレデリックを見て、俺は胸の奥に寂しい思いを持ってしまうのだった。
この続きは「乙女ゲームの悪役令息に転生しましたが、攻略対象者のハイスペックな義弟に迫られています!」でお楽しみください♪