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王宮治癒術師の癒しの恋人

叶崎みお / 著
榊空也 / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2025/03/14

内容紹介

街中で小さな治療院を営む整体術師のニコラ。ある日、彼の元に憧れの王宮治癒術師・アルドが患者としてやってきて!? 数々の重病者を救い、国の「生命線」とまで言われるアルドは、その優秀さと強い責任感が故に、働きすぎで今にも倒れそうな状態だったのだ。そんな彼にいてもたってもいられず、ニコラは自宅での時間外診療をすることに!? 一方、ニコラと出会ったことで、初めて人に癒されることを知ったアルドは……。「もっとふれたいし、君が欲しい」仕事一筋だった孤高の治癒術師×健気な癒し系整体術師、甘いふれあいが心と身体を溶かすヒーリングラブ!

人物紹介

ニコラ

街の整体術師。憧れのアルドを治療していくうちに、彼の誠実さにふれ恋心を抱くように…。

アルド

『至上の癒し手』と呼ばれるほどの腕を持つ王宮治癒術師。激務が原因で魔力を使いすぎ、魔素凝りで倒れる寸前だった。

立ち読み

 緑は癒しの色である。そして、その色をローブのかたちで纏うことを許されているのは、特別な――ニコラの憧れの人々しかいない。
「お、おおお王宮治癒術師……」
 その職名を口にするだけでも声が震えた。
 治癒術師の中でも特別優秀で、多くの人々を救っている、治療を生業(なりわい)とする術師の最高峰。その中の一人と対面できるなんて、喜びを通り越して緊張してしまう。
「世話になる」
 緩やかに波打つ金色の髪に、鮮やかな緑の眼をした男性がゆったりとニコラの前へと歩み出た。
「王宮治癒術師、アルドだ」
 緑のローブを纏う人を紹介するキーランの口調は気安い。えっ、そんな、けろっと紹介できる人じゃないよね、と思うのに、キーランをたしなめる言葉が出てこない。ニコラの目はキーランの後ろの人物に釘(くぎ)付(づ)けになってしまう。
 ──王宮治癒術師の中でも、よりにもよってアルドさん!?
 並外れた魔力量と施術速度で数々の重病者を救ってきた『至上の癒し手』の名を持つすごい人、アルド・グレイシアではないか。憧れてやまない人物を前に、ニコラは緊張で固まった。

   2.整体術師と治癒術師

 魔力を使った際に体内に生じる澱(おり)のようなものを魔素という。もとは体内にあったものなので有害ではないが、魔素は凝り固まりやすい性質があるらしい。魔素が増えて体内で固まると、魔力の流れが悪くなり、身体に不調を来(きた)す。
 体内の魔力量が多い者の中には、魔素に悩まされる者も少なくない。キーランのように相当の魔力を内包している者は、短時間で大量の魔力を使用することも多いせいか、もともと体内に備わっている魔素分解機能の速度が追いつかなくなることがある。これによって生じるのが魔素凝りと呼ばれるもので、頭痛や倦(けん)怠(たい)感、節々の痛みなど不調を引き起こすのだ。
 一般的な魔力量を持つ国民ではまず縁のない症状だが、幼い頃から親しくしているキーランが規格外の魔力量を持っているため、ニコラにとって魔素凝りはそれなりに身近な付き合いだったといえる。
「魔素凝りで倒れる前にどうにかしてやってくれ」
 キーランの声にやっとのことで硬直から抜け出したニコラは、アルドの顔色が明らかに悪いことに気づき、浮かれた心地から仕事モードへ意識を切り替える。
「ベッドへどうぞ……!」
 アルドは膨大な魔力量と施術速度でたくさんの人を救っていると称(たた)えられるほどの人だ。魔素分解機能が追いつかないほど仕事をこなしていたとしてもまったく不思議ではない。
 治癒術は回復力を大幅に引き上げる効果があるため、術師の腕と魔力、そして患者の体力と魔力さえあれば、怪我も病気もたちどころに治してしまえる。そのため、一定以上の魔力と体力、そして財力に多少の余裕があれば、不調を何でも即座に治してくれる治癒術を頼る者が多い。城下で暮らす者たちには特にその傾向が強い気がする。治癒術を受けたというだけでステータスとなり得るからだ。
 それに反して、魔力量が少ない者は高負荷の術に身体が耐えきれず、治癒術のような魔力を多く必要とする治療を受けられない。体験できないからこそ、市井で暮らす一般的な魔力量の者たちからすれば、治癒術は夢のような治療法であり、ましてや王宮治癒術師はどこか遠い世界の憧れの人でもあった。
 そうした治癒術にかかることのできない者たちはどのような治療を受けているかというと、ニコラが扱える整体術が馴染み深いものとして挙げられる。街中のあちこちにある治療院では微量な魔力で患者の体内の魔力の流れを整え助ける施術がなされており、比較的身体に負担の少ないかたちで回復力を上げているのだ。
 整体術はマッサージ屋と揶(や)揄(ゆ)されることもあるが──ゆっくりと身体の不調を整えていく、れっきとした治療術のひとつである。手っ取り早く劇的な効果のある治癒術と違い、大変地味だが。
 ちなみに、治療院とほぼ同数あるマッサージ店では、体内の魔力ではなく筋肉の凝りや血流を魔力を用いないマッサージで整えることを目的としているところが多い。だが、ごく一部、性的なサービスをメニューに組み込んでいる店の影響で、真っ当な治療院と大多数のマッサージ店が少々迷惑を被っているというわけだ。
 体内の魔力量が少ない者には少ない者なりの苦労があるが、魔力量が多い者もその立場なりの苦労がある、と思いながらニコラはベッドへ横たわったアルドへそっと手を伸ばした。
「これは……ひどそうですね」
 服の上から軽く手を当てて診ただけでも痛々しく、ニコラはつい顔をしかめてしまう。整体術を勉強して治療に携(たずさ)わってきて以来、アルドほど魔素の固まりを抱えた人間には初めて出会った。
 ──顔色は悪いのに、表情にはつらそうな気配を一切滲(にじ)ませていないところも心配だな……。
 表情や言葉に出ていなくても、診ればわかる。身体も重くてかなりしんどい状態のはずだ。
 体内の魔力の流れを整え助ける整体術には、凝り固まった魔素をほどき、分解するのを助ける効果がある。魔素凝りによって引き起こされる頭痛や倦怠感、節々の痛みなどの不調は治癒術でも治せるが、魔素凝り自体を解消することはできない。
 ──キーランが連れてきてくれてよかった。
 自分の兄貴分はつくづく優しいなと思う。自身も重い魔素凝りと付き合いながら生きている分、同様に苦しんでいるアルドに親身になってしまったのだろう。涼やかに整いすぎた顔立ちのせいかクールと評されがちだが、困っていたり苦しそうな顔をしている相手を無視できないのだ。今もそう、アルドの施術に集中を促すようにキーランは施術室から静かに退室を済ませている。その気遣いを無駄にしないよう、しっかり集中しなければ。
「ゆっくりほぐしていきますから……」
 魔素が固まりすぎていると、魔力の流れが急激に活発になりすぎた時に痛みを伴ったり、気分が悪くなったり、はたまた、あらぬところが元気になったりすることがある。万が一にもそんな治療をするつもりはないが、安心させるため、ニコラはアルドに向けてやわらかい声音で宣言した。
「キーランから、整体術なら君が一番だと聞いた」
 ベッドにうつ伏せになっているアルドの声は少しくぐもって聞こえた。ニコラはきゅっと唇を噛む。キーランの言葉が嬉しかったのと、アルドの期待に応えたいと思ったのとで、肩にぐっと力がこもった。
 ──一回の治療でどこまでほぐせるかわからないけれど、精一杯やるだけだ。
 気合いは充分だ。ニコラは覚悟を決めて、アルドの身体に手を伸ばす。
 少しずつ。少しずつ。
 身体に負担をかけないように足の先からゆっくりと。
 一気に魔素の固まりを溶かしすぎないように調節しながら、アルドの体内の魔力をゆっくりと巡らせる。
 ほどいて、流して、を繰り返す。
 凝り固まった魔素は少しずつしか流れない。それでも、焦らずじっくりほぐしていったことで、少しずつ魔力は流れやすくなっているようだった。
「がんばっている身体ですね」
 我慢を続けてきたアルドの身体がようやく少しほぐれてきて、ニコラは感嘆の溜め息をこぼしてしまった。
「……仕事だからな」
 特別なことじゃない、と続けるアルドの声は硬い。
「魔素分解が追いつかないくらい、術を使い続けてきたのがわかります。たくさんの方がアルドさんに助けられてるんですね」
 キーランと同様に、アルドの噂もよく耳に届く。シュガーリアの生命線とも呼ばれる『至上の癒し手』アルド・グレイシア。
 怪我人や病人をどれだけ治療しようとも倒れない圧倒的な魔力量と胆力、迅速で正確な治療に助けられた者は数知れず。
 そして、才覚だけでなく、陽の光を透かしたような眩(まぶ)しい金髪に鮮やかな緑の眼、端正な顔立ち。王女さまも熱を上げているという噂すらある男前っぷり。
 天は二物を与えずどころか、二物も三物も手にしていると有名だ。
 でも、破格の魔力量に、治癒術師という珍しい才、容姿に恵まれていても、それが必ずしもしあわせというわけではないのかもしれない。
 力があるということは、頼られることも多いということだ。そして、頼られ続けて、身体がぼろぼろになっていたんだろう。
「怪我人や病人がいたら治療するのはふつうのことだろう」
 アルドは何でもないことのように答える。謙遜の響きのない、当たり前のことを平淡に語る口調で。そういう仕事だからと、躊躇なく言いきれる彼を治療系術師の鑑(かがみ)だと、ニコラは憧れの気持ちを強くする。
「アルドさんにとっては特別なことじゃなかったとしても、いろんな方がアルドさんに助けられていますよ」
 あまりにも淡々としているが、アルドはもっと褒められていいとニコラは思う。ニコラが褒めるまでもなく、たくさんの称賛や感謝の言葉を彼は受け取ってきただろうけど。がんばりましたね、すごいですね、と。憧れの治癒術師たちの中でも、ニコラにとってはアルドは特別な存在だから、ニコラなりの言葉で伝えたかった。
 祖父に憧れ、人を癒す仕事を志して以来、たくさんの人を癒し続けるアルドにずっと憧れている。他の治癒術師の何倍も働き、重度の病を患った者を何度も救ってみせたすごい人。活躍を噂で耳にするたび、勇気づけられるような、誇らしいような、応援したい気持ちを募らせていたのだ。
 魔力量が多くなく治癒術に適性のなかったニコラは、自分にできる精一杯で人を癒すことができる道を選んだ。そのことに後悔はない。けれど、整体術は身体の不調を整え、ゆっくりと回復を手助けすることが主な仕事で、治癒術のように劇的な治療はできない。それを歯(は)痒(がゆ)く思うことは多々ある。
 怪我も不調も何でも治せる治癒術師が、その中でも群を抜いて優秀で真摯に治療に向き合い続けるアルドが、憧れだった。
 憧れが強い存在は直(じか)に接すると幻滅する、などという話はよく聞くけれど、ちっとも幻滅するところがない。
 きっと、ニコラの言葉はその他大勢の声に紛れてしまうだろうけど、万感の思いを込めて伝える機会があったことは幸運だった。
 今日の治療は一生の思い出にしよう、と噛みしめる。
「――君もそうだろう」
 一瞬、アルドの低い声が不思議な響きで耳に届いた気がして。ニコラはつい手を止めてしまった。
「え……?」
 幻聴だろうか、と首を傾げて数度瞬けば、うつ伏せのまま首を捻(ひね)ったアルドが、鮮やかな緑色の眼でしっかりとニコラの眼を見つめていた。
「君も、たくさんの人を助けている。俺も今、助かっている」
 その言葉を紡いだ唇が緩く弧を描く。たぶん、アルドは笑いかけてくれているのだろう。疲労が強いせいか、その変化はとてもわずかなものだったけれど。
「治癒術は一定以上の魔力や体力がある者じゃなければ受けられない。先ほど待合室にいたような年配の方たちは、整体術でなければ身体への負担が大きい」
 アルドの言葉にニコラは頷(うなず)く。そうだ。体内の魔力量が少ない者や体力がない者は治癒術を施す際の魔力量に耐えられない。特に年配になると魔力体力は衰える。ニコラの治療院に通う者たちの多くがそうだ。
「そういった人たちを見捨てられないから、王宮への招(しょう)聘(へい)を遠慮し続けて、多くの者を癒しているのだとキーランから聞いている」
 それで助かっている者たちがいるだろう、とアルドの目が語っていた。
 アルドに比べれば、その何十分の、いや何百分の一かの働きでしかないだろうに。
 ――ちゃんと、人を癒してる、って……助けてるって、認めてくれた。
 じんわりと、ニコラの胸に喜びが広がる。憧れの人が認めてくれるなんて、思ってもみなかった。本当に、今日のことは一生忘れられない思い出になる。
 ニコラは「ありがとうございます」と言って、へにゃっと笑った。嬉しすぎて、顔面が崩れてしまった。血の繋がりはないのに、表情に感情が出てしまうところはキーランと似ているなと自覚している。
「整体術をこんなにも強く使える者は今の王宮勤めの者の中にはいない」
 鮮やかな緑色の眼に見つめられ、ニコラは少したじろいだ。髪や眼には相性のいい魔力属性の色が出やすいと言われているが、治療系の術師はほぼ例外なく緑色の眼をしている。自身や祖父のものより色濃い彼の眼が、まるで眩しいものを見ているかのようにきらきらと光っていて、とてもきれいだ。だからこそ、視線の先が自分であることに静かに狼狽えずにはいられない。
「キーランがどうしてあんなに騒ぎ立てるのか不思議だったが、施術を受けて納得した。俺も、君が欲しくなった」
「……っそ、そう、です、か……」
 奇声を発しなかったことを誰か褒めてほしい! 「アルドさんになら、はい喜んで!」と反射で返事をしなかったこともどうか褒めてほしい。
 それぐらい、ニコラには衝撃的な言葉だった。
 キーランもニコラの手が欲しいなどと口にすることは多いが、アルドの唇が紡いだ言葉は意味合いがまったく違って聞こえた。王宮に来てほしい、という意味だとわかっていても、なんだかどきどきしてしまう。
 ――うう、アルドさんがモテるのも納得だ……!
 ぎゅう、とニコラは目を瞑(つむ)って、感情の波をやり過ごす。
 少しだけ表情をやわらげた憧れの人が思わせぶりな台詞(せりふ)を吐く。これはやばい。心臓が持たない。
 ――今日は人生最良の日かもしれない。大事に大事に、思い出として胸に刻もう。むしろ記念日にしよう。
 嬉しさでそわそわどきどきしながら、ニコラは丁寧にアルドの治療を終えた。
 そして――一生に一度の思い出の施術を胸に刻んで生きていくつもりだったのに、それから数日後再びアルドが治療院を訪れてきて、ニコラは嬉しさに狼狽えることとなる。


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