書籍詳細
孤独を知る異世界転移者は最強の王に溺愛される
ISBNコード | 978-4-86669-661-4 |
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サイズ | 文庫本 |
ページ数 | 272ページ |
定価 | 836円(税込) |
発売日 | 2024/04/18 |
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内容紹介
人物紹介
リッカ
膨大な魔力をもち、異世界転移してきた公務員。
オーガス
救国の英雄であり国王。魔物の大量出現を危惧している。
立ち読み
全てが、消えた。
一瞬で全てが消えてしまった。
信じられなかった。
今までいた場所も、これから向かうはずだった場所も、消えてしまった。
どうしたらいいのかわからなくて、生臭い空気の中、ずぶ濡れでふらふらと歩いていると暗闇に小さな祠が見えた。
ああ、あそこは残ったのか。
……残っていても、仕方がないのに。
雨風を避けるためか、懐かしい記憶が蘇ったからか、俺はふらふらと祠へ向かった。
賽銭箱の横を抜け、祠の扉を開けて中に入る。
強い風にギシキシと鳴る十畳ほどの板張りの部屋の天井には、白い馬の描かれた巨大な古い絵馬が掲げてある。
じいちゃんが言うには、あれは神様を乗せてどこへでも運ぶ神馬だということだった。
奥には、丸い小さな銅鏡が汚れた五色の布に飾られ、その前に刀が一本置かれている。
銅鏡は御神体で、そこに神様が映るとか、刀は明治時代に豪商が奉納したものだとか聞かされていた。
そのどこもかしこもが吹き込んだ雨で、もうびっしょりと濡れている。
「神様って、アメノイクタマノミコトっていうんだっけ? 何した神様か教えてもらってなかったなぁ」
でもきっと、馬と武器に関係する神様なんだろうな。
俺は刀を手にしてぎゅっと抱き締めた。
宮司もいない小さな祠。
何だかわかんないけど、昔から奉られてる神様だから、みんな信仰してた。じいちゃんも、ばあちゃんも、父さんも母さんも兄さんも。
俺もずっとこの前を通る時には手を合わせてお祈りしていた。
でも今の今まで、神様は何にもしてくれなかった。
「また、俺は間違えた。だから何の役にも立たないまま、また一人になっちゃうんだ」
……ああ、神様。
もしも本当に神様がいるなら、最期に一つだけ叶えて欲しい。
どこでもいいから、一人にならないところに行きたい。家族が待ってるところに行きたい。誰かの役に立ちたい。
そんな場所へ運んで欲しい。
祠の外から、メキリッと嫌な音が響いた。
ああ、これで終わりだとわかった。
そして本当に、全てが終わった。
終わるはずだった……。
「君」
声がする。
「君」
軽く揺さぶられ、身体中に痛みを感じて目を開けると、目の前にはこちらを覗き込んでいる人がいた。
銀色のふんわりとした、肩より短く切った髪。オカッパくらいの長さなんだけど、オカッパって単語が似合わないくらい綺麗な髪形で、本人も美形だった。
その顔立ちはとても整っていて、中性的な美しさがある。
それに、よく見るとその瞳は青のような紫のような、不思議な色をしていた。
……神様だ。
こんな綺麗な人がうちの近所にいるわけがない。
きっとこの人は神様なんだ。
「生きてますか?」
神様に問われて答えようとしたけれど、全身の痛みと口の回りに付いた乾いた泥のせいで上手く言葉が出ない。
それでも何とか唇を動かした。
「神様……、俺だけ助かっても意味がないです……。このままみんなと一緒に……」
「君?」
いいんです。
助けてもらえなくても。
これがレスキュー隊の人なら、彼等が懸命に助けてくれた命だから頑張ろうと思うけれど、神様ならこのまま見逃していいです。一人だけ残っても寂しいだけだから。
「死にたいんですか?」
「……そうじゃない……です。ただみんなと……もう置いていかれたくない……」
それだけ答えると、俺はまた目を閉じた。
「君」
ごめんなさい。もう目を開ける力がないです。
「あ……りがとう……ござ……」
そして声も出なくなって意識を失った。
救ってくれようとしたのに、拒んでごめんなさい。
最期に特別な夢を見せてくれてありがとうございます。
あなたを見なければ、俺が最後に見た光景は辛くて悲しいだけのものだった。
でもあなたを見れたから、これから行くところが綺麗なところかもしれないという希望が持てました。
そこでまたみんなに会えるかもしれないって。
だからこの眠りは安らかなものだった。
そしてそのまま、目は覚めないはずだったのに……。
俺は再び目を開けることになった。
どれだけ時間が経ったのか、再び目を開けると、今度は部屋の中だった。
身体の痛みもない。
どうして? と思いながら身体を起こすと、ちゃんと起きられた。
顔を触っても、さっき感じた乾いた泥の感じもない。包帯もなく、治療した様子も見られない。ただ、服は着替えさせられていた。
頭からすっぽり被る木綿の長いシャツみたいなものだ。
病院……、じゃないよな。
見回した部屋は結構広くて、壁は木造だけど樹木とか鳥とかが彫られている。床も板張りだけどしっかりとした造りだし、ラグも敷いてあった。
横になってるベッドも、大きくて、高級ペンションみたいな感じ?
ここはどこだろう?
戸惑っていると、突然ドアが開いた。
「目が覚めましたか?」
「あ、神様!」
入ってきたのは、さっき見た神様だった。
すらりと長い首が際立つ切り揃えられた柔らかそうな銀の髪に、白と濃紺のコントラストが美しいローブを羽織ってる。
「私は神様じゃありませんよ」
その人は苦笑しながらベッドの横に置かれていた椅子に座ると、持ってきたカップを俺に手渡した。
「少しずつでいいから飲んでください」
「これは……?」
「ミルクにハチミツを落としたものです。三日も寝てたんですから、お腹も空いているでしょう。少し口にした方がいいですよ」
「三日……」
「あなたは私の家の庭に倒れていたんです。泥だらけで、剣を抱いて、身体中傷だらけで。どう見ても不審者ですね」
「庭……、ですか?」
「はい」
神様……、じゃないと言った人は微笑んで頷いた。
「ここが私の家だと知っていらしたんですか?」
「いいえ」
「私が誰だか知っていますか?」
「神様……、だと思いました」
「どうして神様だなんて?」
「とても綺麗な人だったから。それに、見たことのない髪の色だし」
「ふふ、ありがとうございます。ではどうやってここに来たのか覚えていないんですね?」
「はい」
「誰かに襲われたんですか? 魔獣とか」
「魔獣? いいえ、山津波に呑み込まれたんだと思います」
「この近くに山はありませんが」
「ここは天津下村から遠いんですか?」
「アマツシモ村? 聞いたことのない名前ですね」
俺達は無言で見つめ合った。
「……俺は藤村立夏といいます。リッカでいいです」
「私はエリューン・ルスワルドです。エリューンと呼んでください」
エリューン……、日本人じゃないのは確定だな。日本語はとても上手いけど。
「まずは、助けてくださってありがとうございます、エリューンさん。俺、怪我もしてたはずですよね? それも治療してくださったんでしょう?」
「ええ、まあ」
「じゃあ、どこかで治療されてからここに運ばれてきたのかもしれません。だってきっと骨とか折れてたのに、今は全然痛くないですから」
「リッカさん、まずは何があったのか話してくださいますか? 襲われたのではないのなら、何故あんな怪我をしていたのか気になります」
言われて、俺は目を伏せた。
言いたくないわけではないが、思い出すのは辛かったので。
でも、助けてくれた人に訊かれるなら、きちんと答えた方がいいだろう。
「俺は天津下村というところに住んでいました。ある日、豪雨で川が氾濫するというので、全村避難でみんな集会所に集まったんです」
天津下村は限界集落だった。
年寄りばかりで、一番若いのは俺。その次は五十を過ぎたおじさん達だ。
決められていた避難所の集会所に皆が集まって暫くしてから、山腹に住む陶芸をやってる加藤のおじいちゃんの姿がないことに気づいた。
自分は若いからと、加藤さんを迎えに出ると自ら手を上げた。
若い自分が役に立たなくてはという使命感だった。
雨は酷くなる一方で、不安を感じた誰かが集会所からの移動を口にしたけれど、俺と加藤さんを待ってからにしようということになった。
それなら早く行かなくてはと焦りながら山道を上っていた時、凄まじい音と共に山の斜面が崩れてきて、皆がいる集会所が呑み込まれてゆくのを見た。
崩れた斜面には、加藤さんの家があった。
一瞬にして全てが消えてしまった。
誰かが生き残っているとは思えない状況に呆然とし、激しい雨風に逃げることもできず、いずれ自分の立っている場所も崩れることを予感した。
目に入った近くの祠に飛び込んで、そこで自分にも訪れる死を待っていた。
皆と同じ場所へ行くのだろうから怖くはない、と覚悟を決めて。
「あの刀はその祠に奉ってあったもので、何かに縋りたくて抱いていたんです。暫くすると、メキッと音がして、祠の壁を突き破って土や木がなだれ込んで、飾られていた大きな絵馬が当たったところで意識がなくなりました」
心は苦しいのに、思っていたよりも淡々と説明できたことに自分でも驚く。
「次に目を開けた時には、エリューンさんに顔を覗き込まれていて、きっと神様がお迎えに来たんだろうと思ったんです」
俺の話を聞くと、エリューンさんは暫くじっと考え込むように黙っていた。
「先ほども言った通り、この近くにアマツシモ村という名前の村は存在しません。それどころか、嵐も起きていませんし、この近くに土砂崩れを起こすような山もありません」
「でも本当です……!」
「ええ、嘘を言っているとは思えません。リッカさんの持っていた剣は見たことのないものですし、あなたの服もそうでした。それに、ご自分でおっしゃったように、あなたは腕も足も骨が折れていて、到底一人で歩けるような状態ではありませんでした」
「それじゃ誰かが俺を……」
「いいえ」
彼はゆっくりと首を振った。
「このミリアの森には私の結界が張ってあるので、私が許可した者以外侵入できないようになっています」
「結界……?」
「ですからあなたがここにいること自体がとても不思議なことなんです」
「結界って、柵って意味ですか?」
「結界は結界ですよ?」
「ま……、魔法や術で張るあの結界?」
「ええ」
冗談……、を言っているようには見えなかった。ましてや夢を見ているとも思えない。
だって口にしたホットミルクは甘くて美味しかったし、咄嗟に抓った手は痛かった。
「私が魔法使いだと知って来たわけではなさそうですね」
彼はにこやかに問いかけた。
「魔法使い?」
「そうです。ここは魔法使いエリューンの隠れ家です」
「神様じゃなくて、魔法使い!」
驚きに声を上げた俺を、彼はじっと見つめてからふっと息を吐いた。
「本当に何も知らないのですね。てっきり困り事を頼みに来た人なのかと思ったのですが。でも、もしも私が魔法であなたの望みを叶えてあげる、と言ったら何を頼みます?」
驚き、興奮していた俺は、その言葉を聞いて苦笑した。
「叶わないことしか望んでいないので、何もありません」
「私はこれでも結構偉大な魔法使いなのですよ? この世界で一番のお金持ちになりたいとか、元いた場所に戻りたいとか願わないのですか?」
「誰もいない場所に? 村に戻っても、人も家もありません。お墓も流れたでしょう。俺が望むとしたら、全てが元に戻って、逝ってしまった人が帰ってくることだけです」
「……死は」
彼が困った顔をしたので、すぐに頷いた。
「無理ですよね。どんな物語を読んでも、大抵はそうです。でもあなたが本物の魔法使いなら、俺は現状に説明がつけられる気がします」
「どんな説明ですか?」
「異世界転移」
スマホで読んだラノベでは大流行の設定だ。
死んだと思ったら自分の世界ではない世界へ転移していた。まさにその通りじゃないか。
「異世界……」
「俺はここではない違う世界からやってきたんです。死ぬと思った時に、神様にお願いしました。一人ではない場所、家族のいる場所、役に立つ場所に行きたいって。家族はもうどこにもいないから無理ですけど、ここにはエリューンさんがいて、俺は一人じゃない。俺、あなたの役に立てますか? それなら何でもします」
もしかして、神様が俺の願いを叶えてくれた?
だとしたらそれに応えたい。
「あなた、魔法は使えますか?」
「……使えません。俺は魔法のない世界から来たので。でも炊事洗濯、掃除は得意です。車の運転もできるけど、ここには車はないんでしょうね」
「車?」
「機械の力で動く、人を乗せて走る鉄の箱です」
「……ないですね」
「もし、合わないと思ったら追い出してもいいです。でも役に立つかも、と思ったら一緒にいてください。俺は……、俺でも何かの役に立つって思いたい」
彼は深いため息をついた。
その姿さえ美しい。
俺の世界なら、きっとトップモデルかアイドルになれただろう。
「わかりました。考えてみましょう。あなたの話も、俄には信じられないことですから、もう少し詳しい話をしましょう。ただし、それはリッカの身体が本調子に戻ってからです。今は、もう少し眠りなさい。次に起きた時には一緒に食事をして、お互いのことをもっと話しましょう。いいですか?」
綺麗なだけじゃなく、優しい人だな。
「はい」
エリューンさんは俺の手から空になったカップを取ると、横になるように命じて布団を掛けてくれた。
「あの剣は私が預かっておいてもいいですか?」
「あれ、刀っていうんです。もちろん、いいです。鋳潰したりしなければ」
「そんなことはしません。では目を閉じて、おやすみなさい」
その一言は魔法の呪文だったのかもしれない。
だって、目を閉じたらすぐに眠りに落ちてしまったから。
悲しみと混乱と驚きがないまぜになって興奮していたはずなのに、彼が出て行く足音も聞けず、意識は深い眠りの中へと沈んでしまったから……。
再び目覚めてから、俺とエリューンはお互いの世界のことについて話をした。
まず不審者である俺から。
俺は藤村立夏という名前で、高校という学校を卒業してから通信の大学へ進みながら天津下村の村役場で働いていた。
ネット大学だけど、それは理解してもらえなかったので、書簡で勉強を教えてもらうシステムだと説明した。
村は山奥にあったので、若い人達は皆都会に働きに出て、若者は俺一人。あとは親世代から上の人ばかり。どうして俺が一人でその村にいたのかというと、祖父母が住んでいたからだ。
子供の頃は両親と兄と四人で都会に住んでいたが、兄が病気になり、病院へ連れて行くことになったので、俺は邪魔にならないように祖父母の家に預けられた。
それは家族の役に立ちたいという自分の願いからだった。
けれど結果、両親と兄は事故で亡くなり、俺は一人遺されてしまった。
あの時、我が儘を言えば出発が遅れて事故は回避できたかも、一緒に行きたいと言えば、一緒に逝けたかもしれなかったのに。
生き残った意味を見つけようと老齢の祖父母を助けるために、今度は彼等のために生きようと思ったけれど、子供だった俺は世話をしてもらうばかりで何も返せなかった。
やっと働くことができるようになって、家にお金も入れられるし、車の免許を取って村のみんなの足になれたと喜んでいたのだが、結果はまた一人遺されてしまった。
ちなみに、車はこちらでいう馬車だと説明した。
あの豪雨の夜も、加藤さんを迎えに行くという選択よりも、皆をもっと安全な場所へ移動しようという声に従えば何人かは助かったかもしれない。
俺が加藤さんを迎えに行くと言わなければ……。
選択した結果は、いつも何の役にも立たないまま一人遺される。それが辛いから、ここではエリューンの役に立ちたい。
自分が生き残ってよかった、と思えるようになりたい。
そう説明した。
一方、エリューンはこの世界では希代の魔法使いと呼ばれるほど力のある魔法使いだった。
俺の怪我を魔法で治してくれたのも彼だ。
ここはバルドラという国の西にある王家直轄のミリアの森。
住んでいるのはエリューン一人。
この世界には魔法だけでなく、魔獣と呼ばれる巨大で獰猛な獣がいるらしい。
その魔獣がスタンピードと呼ばれる大発生をすることがあり、エリューンは前回のスタンピードで王子達と出陣し、功績を上げた。
何か褒美をと言われたから、この森で静かに暮らすことを許してもらったのだそうだ。
「お城で贅沢な暮らしを望んだりしなかったの? 王女様と結婚するとか」
「王に娘はいません。王子が二人でした。そのうちの一人が今の王になりましたが」
魔法使いは魔法省という役所で管理されているが、エリューンは子供の頃から特別だった。
特別なだけあって、周囲が煩かったので、さっさと逃げてきたのだそうだ。
「魔法について何も知らないようですから、少し説明をしておきましょう」
聞いてもわからないとは思うけれど、『魔法』という言葉に憧れを感じて拝聴したところによると、この世界の人間は皆多かれ少なかれ魔力を保持しているらしい。
「人の身体を樽と思ってください。その中に魔力という水が入っています。魔力を魔法として使うためには魔力を取り出す蛇口が必要ですが、それは樽の上の方に付いています。もし水の量が蛇口まで届いていなければ?」
「蛇口を捻っても水が出ない」
「それが魔力ナシです。また、樽にいっぱいの水が入っていても、蛇口を取り付けることができなければ魔力は取り出せず、魔法は使えません」
なるほど、その理屈はわかり易い。
「もったいないですね、せっかく魔力があるのに」
「そういう人は、魔法使いの魔力供給者になることもあります」
「魔力供給者?」
問いかけると、エリューンは綺麗な顔をグッと歪めた。
「リッカはもう大人なようですから、話してもいいでしょう」
「大人ですよ。成人男性です」
「性格も外見も可愛くて子供みたいですけれどね」
「大人の男です」
ぷんすかと反論したら笑われた。
「まあいいでしょう。先ほど、魔力は樽の中の水と言いましたが、ある意味それが事実です。魔力は人の身体の中の液体に宿っていると言われています」
「身体の中の液体?」
「血液、唾液などの体液です。供給者はそれを魔法使いに与えるのです」
「えーっ、血やヨダレを?」
「それならまだマシです。体液ということは男性ならば精液、女性ならば愛液にも含まれるということです。なので、魔力枯渇を起こしている魔法使いに魔力を供給すると言いながら性行為を求める者もいます」
「何それ! 最低!」
俺が怒ると、彼はにっこりと笑った。
「同じ感覚の人でよかった」
あ、もしかしてエリューンは過去にそういう目に遭ったのかも。それで一人になりたがったのかも。
……訊かないけど。
「リッカは魔法を使わないそうですが、魔力だけは測定しておきましょう。もしあると知られれば、逆に下賎な魔法使いが魔力を寄越せと襲ってくるかもしれませんから」
念のため、と言って測定した結果は……、驚きだった。
「桁違いに多いですね……」
測定器だという、定番の水晶は目映いほど光り輝いた。
「これは不味いかも……」
「黙っていたらバレないんじゃ……。ここにいれば他の人には会わないし」
「けれど万が一ということもあるでしょう。私の刻印を打った魔力封じの腕輪を作ってあげます。測定器にも反応しないような」
「そんなの、作れるの?」
「簡単なものです。私なら」
魔力ナシ設定にするなら弟子とは紹介できないので、俺の立場をどうするかということにもなった。実際は身の回りの世話をするつもりなので、召し使いでいいと言ったのだが、エリューンは反対した。
「リッカは私の弟ということにしましょう」
「え、でも俺は黒髪黒目で、美人のエリューンとは似ても似つかないんですけど」
「似てない兄弟なんていくらでもいます。この国の王と王弟だって全然似てません。それに私は黒髪黒目は好きです」
そう言った時、彼の目に優しい光が過ったので、もしかしたらエリューンの好きな女性は黒髪黒目なのかな、とか想像した。
「私は兄弟というものがいないので、憧れでもあります」
単に俺を気に入ってくれただけなのかもしれないな。
「俺が弟ですか?」
「私が教えることの方が多いですから」
そう言われてしまうと納得せざるを得ない。
「フジムラはこの世界では珍しい名前ですから、これからはリッカ・ルスワルドと名乗るように。ルスワルドを名乗る限り、私の庇護下にあるということになりますからね」
……庇護するため、同じ姓を名乗らせるために『弟』なのか。エリューンは本当に優しい。
年齢を明確にするために確認してみたら、この世界は一カ月が四十日で、九カ月で一年なのでほぼ一年は同じ長さ。その上で、エリューンが二つ年上だった。
文句なくエリューンがお兄さんだな。
でも俺達は友人として名前で呼び合うことにした。
そうして始まったエリューンとの共同生活は、とても快適だった。
二人で住むこの館は、元々王家の狩り小屋だったもので、小屋という呼称ではあるが三階建ての素敵な建物だ。
ただエリューンはキッチンと自分の寝室と書斎と居間しか使っておらず、他の部屋は埃を被っていた。
料理も、作るのが面倒だからと簡単なスープばかり。
なので、まず俺は館全体を綺麗に掃除して、彼に美味しい料理を作るところから始めた。
ガスコンロもレンジもオーブンもないけれど、そこは限界集落育ち。昔ながらのカマドだって使ったことがある俺には問題はない。
鶏だって絞めるし、猟師のおじさんが獲ってきた鹿なんかのジビエも扱っていた。
野菜や調味料は違いを覚えながらだったし、何より味噌と醤油がないのが辛かったけど、彼を喜ばせる料理は作れた。
庭に小さい畑も作ってみた。既に彼の薬草園があったので、その端っこにちょっとだけ。
作物が育つのを見るのは嫌いじゃない。
エリューンは俺が住んでた現代の品物に興味津々で、説明を聞きながら幾つか魔法で再現もした。
魔法瓶とか、腕時計とか、オイルライターとか。扇風機に、冷蔵庫に、ドライヤー。
現代のものそのままではないけど、それらしいものは作れた。
これは俺のチートというよりエリューンの魔法というチート能力だろう。
毎日、エリューンは書斎というか実験室みたいなところに閉じ籠もって、そんな道具を作ったり魔法の研究をして、俺は家事に勤しむ。
食事は必ず同じテーブルでして、夕食までは別々の行動。
夕食の後に、彼は俺にこの世界のことを教えてくれて、俺は彼に元の世界のことを話す。
食材を運んでくる行商人のおじいさん以外は誰もここを訪れない。エリューンがそれを許可していないから。
「もう少し常識を覚えたら、近くの街まで遊びに行きましょうか」
「どこにも出なくても平気だよ?」
「……リッカはもっと外に興味を持った方がいいですよ」
「エリューンだって全然外に出ないじゃん」
「私は選んで静謐を好んでいるんです」
「外へ出るの、エリューンの負担にならない? 人に会いたくないんでしょう?」
「そんなことはありません。煩く纏わり付いてこない人は好きです」
エリューンはきっと俺より大人だ。
俺は辛いこともあったけれど、いつもぬくぬくとした場所で大事にされていたから。
でもエリューンは言葉の端々に、お城で働いた時間はあまりよい時間ではなかったと感じさせる。
魔力の受け渡しみたいにセクハラ紛いのこともあったんだろう。とても美人だし。
力があるということは嫉妬を向けられるということでもある。嫌がらせとかもあったのかもしれない。
人生経験が豊富だから、彼にはわかってしまうんだ。
「リッカ、出会った人を失うことを恐れる必要はないんですよ。全身骨折のあなたを治せる大魔法使いの私が側にいるんですから」
俺は人生経験は乏しいけれど、孤独を感じたことがある人間だから、エリューンが独りを寂しいと感じている人だというのも察していた。
「二人で行くならいいよ」
「もちろん二人で、ですよ」
エリューンは強い。俺のことをわかってくれている。だから失うことを恐れなくていい。
でも外で会う人は、違う場所からやってきたよそ者をどう思うだろう。親しくなった後で嫌われたり、いなくなったりしたらどうしよう。
選択するのが怖い。
親しくなりたいという希望を通した後に、また間違っていたらどうしようと不安になる。
そんな俺と、今までいた場所に戻りたいと口にしないエリューン。
沢山の人達と知り合って、その人達はまだ生きているはずなのに、思い出を語らない。
彼が語るのはいつも嫌なヤツのことばかり。親しかった人、好きだった人のことを口にしないで、こんなところに一人でいる。
見ず知らずの俺を置いてくれて、可愛がってくれるくらい人恋しいのに。
お互い人とのかかわりから一歩引いている者同士の静かな日々。
これがずっと続いていくのだと思っていた。
でも俺は忘れていた。俺の予想なんて、いつも間違ってばかりだってことを……。
俺がこの世界に来て三カ月が過ぎて、季節が変わった。
俺が来たのが初夏で、これから冬が来るらしい。
と言っても、ここは日本ほど四季がはっきりしているわけではなく、ちょっとだけ寒くなってきたかなという程度。
天候は一年を通して安定しているけれど、時々季節によって酷い暑さや寒さに襲われる日があるらしい。
夏にも、三日ほど何もしたくないくらい暑い日があった。
エリューンが言うには、こういう時は『精霊の機嫌が悪い』らしい。
今日はいつも通りの天気で、雨の心配はなさそうだと思いながらキッチンで昼食の支度をしていると、行商のおじいさんが来る日じゃないのにドアが開いた音がしたような気がした。
いや、おじいさんならちゃんと声掛けしてノックもしてくれるはずだ。
聞き間違いかと思いながらも玄関先へ向かうと、そこには見知らぬ男の人が立っていた。
背の高い、真っすぐな長い黒髪の男性だ。
その人は俺を見ると、酷く驚いた顔をした。
「お前は……」
「トージュ、邪魔だ。さっさと入れ」
その後ろからもう一人、やはり黒髪の背の高い男の人が長髪の人を押しのけるようにして入ってくる。
「あ……、あの、どなたですか?」
問いかけると、後から入ってきた短髪の方の男の人もこちらを見た。
「誰だ?」
俺を認識した途端、目付きが険しくなって腰に下げていた剣に手が掛かる。
「何故ここにいる」
「そっちこそ、どうやって入ってきたんです。ここは結界があって誰でも入れるはずがないんですよ」
自分より一回り以上体格のよい二人からエリューンを守れるだろうか? 俺は入口の飾りにしてある守り刀をちらりと見た。
「その通りだ。そしてエリューンは他人を入れない。返答次第では痛い目を見てもらうかもしれないぞ」
「陛下、お止めください。敵意がないのは気づいているでしょう。君も、刀を見ない」
「小さい身体で俺に牙を剥くからだ」
陛下って言った? ヘイカって名前の人? それともまさか……。
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