書籍詳細
幼馴染みが魔王になって迎えに来ました
ISBNコード | 978-4-86669-201-2 |
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定価 | 1,320円(税込) |
発売日 | 2019/04/27 |
ジャンル | フェアリーキスピンク |
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電子配信書店
内容紹介
立ち読み
不意に、強烈な突風にも似た衝撃がリンディの周囲を吹き抜けていき、思わず箒を落とした。
(今の、魔力みたいだけど……何?)
魔力を日頃から使いこなしているリンディにも、何かとてつもなく強大な魔力が辺りを駆け抜けていったようだと、辛うじて解ったくらいだ。それほど刹那的な衝撃だった。
しかし、一体誰のどんな魔法なのか考える暇もなく、辺りが暗くなったかと思うと、空を見上げたリンディの目に、煌めく深紅の光が映った。次の瞬間、その深紅の光が稲妻となって轟音を立てて、すぐ傍の地面へと落ちる。
「きゃああ?」
地を揺るがす振動と凄まじい音に、リンディは反射的に悲鳴をあげ、目を瞑ってその場にしゃがみ込む。
だが、凄まじい音はそれきりで止み、代わりに張りのある若い男性の声が聞こえた。
「リンディ! 久しいな、俺だ!」
恐る恐る目を開けると、まずは上等そうな黒い衣服にブーツをつけた長い脚が見えた。
「……」
そーっと視線を上にあげ、長い足の持ち主の全身を眺める。
黒革のブーツのみならず、金刺?の入った黒い裾長の上着やマントも立派で、まるで噂に聞く魔王みたいに威風堂々とした装いをした青年だった。
見た感じ、二十歳そこそこといったところか。目つきが鋭く凛々しい顔立ちで、堂々とした佇まいのせいか、若いながらも圧倒的な威厳を醸し出している。
(そんな……まさか……)
信じがたい思いに、ゴクリと息を呑んだ。
見違えるほど精悍な青年となっていても、すっきり整えた白銀の髪から覗く細い二本の角と、金色を帯びた深紅の瞳の色は変わっていない。
「ねぇ……貴方、アルよね?」
昔は同じぐらいだった彼の背丈は、今ではリンディより頭一つ分以上は高く、ちゃんと年上に見える。だが、それはまさしく昔遊んだアルヴァトス——アルだった。
リンディの表情からその思いを汲み取ったらしく、アルがニヤリと笑った。
「見違えただろう? 昔は、魔力を使いこなせず成長できなかったが、あの別れた日、翼を出せるようになったのをきっかけに身体も急成長した」
「本当に、立派になって見違えたわ。夢みたい……アルにもう一度でも会えたらと……」
自分の?を軽くつねってみると、微かな痛みがちゃんとあった。
アルが微笑み、リンディへ手を差し出す。
「リンディもすっかり綺麗になったな。シャノアの森にいなかったから、お前を捜すのに少々手間取ったが……会いたかった」
「アル……」
胸に熱いものがこみ上げ、感激のまま、アルの手を取ろうとしたが……。
「あああっ!」
急にとんでもないことを思い出し、リンディは悲鳴をあげて玄関ポーチを振り向く。
そのせいで、決め顔で伸ばした手をスカッと空振りさせられたアルが、非常にしょんぼりした表情になってしまったのには気づく余裕がなかった。
「叔母さんっ! あのっ、彼は……」
リンディの頭の中は、背後で一部始終を見ていたはずの叔母に、どうやって言い訳しようかということでいっぱいだった。
おまけにここは人里離れた森ではない。魔族が現れたら、たちまち町中大騒ぎとなってしまうに違いない。
しかし目に映ったのは、瞬きすらせず、人形のごとく微動だしない叔母の姿だった。
「叔母さん……?」
リンディは目を瞬かせ、続いて他の異変にも気づき、飛び上がらんばかりの驚きとともに周囲を見渡した。
辺りは不思議なほど静まりかえっており、先ほど通りかかった近所の主婦二人組も、遠くでピタリと止まっている後ろ姿が小さく見える。
「どうなっているの?」
「魔王のみが継承できる傀儡の魔法だ。リンディ以外の町の人間は今、全て俺の魔力の支配下に置いている。支配下にある間の意識はなく、操っている間の記憶も後で捏造できるから、騒がれる心配はない。魔族には効かないが人間相手にはなかなか便利なものだな」
周囲を見渡していたリンディは、そう話すアルに肩を叩かれ、ギョッとして彼を振り仰いだ。
自分は何か聞き間違えをしたのかと思いつつ、恐る恐る尋ねる。
「ええと……私の聞き間違いかしら? 今、魔王のみが継承とか、聞こえたのだけれど……」
リンディは困惑交じりの笑みを貼り付け、首を傾げた。
だって、魔王のみが継承する魔法を、アルが使えるということは、つまり……。
「いや、間違いではない。昔はこの身分が嫌いで黙っていたが、俺は先代魔王の末息子で、二年前に王座を継いだ」
やっぱり、そういうことだった——?
あっさりと言われ、リンディは目を?いた。
昔、アルは自分のことを殆ど話したがらなかったから、リンディも祖母も深く聞かなかった。
それでも本名はアルヴァトスなんていうあまり庶民っぽくない響きだし、身なりも簡素だがみすぼらしくはなかった。専属の教育係なんて人までついていることも別れ際に知り、裕福な家の子だったのだろうと、それくらいは予想していた。
しかし、まさか魔王様の息子だったなんて、さすがに予想外だ。亡き祖母も、きっとこれを知ったらひっくり返って驚いたに違いない。
「それより、祖母さんと平穏に暮らしているとばかり思っていたが、一体何があった? お前の行方を捜したら、魔法薬を法外な価格で売って荒稼ぎをしているなどと、酷い噂を耳にした」
「それは……っ!」
思わずリンディは悲鳴じみた声をあげかけ、喉を詰まらせた。
望んでいなくとも、自分の作った薬で叔母が暴利を貪っているのは事実だ。だから、いくら言い訳しようと、町の人には耳を貸してもらえなかった。
アルにも同じく、それでは片棒を担いでいるのと一緒だと言われてしまったらと思うと、心臓を抉られたように辛くて全身が震えた。
声も出せず、唇を戦慄かせているリンディの肩に、アルがそっと両手を置いた。
「俺は、リンディが無暗に他人を苦しめたりする人間ではないと信じている。たとえ他の者の目には、お前が非道なように映ったとしても、何かそうせざるを得ない理由があったのだろう?」
「あ……あ……」
見上げたアルの顔が、どんどん涙で歪んでいく。
それまで胸の奥に溜まっていた悔しさや悲しさが一気に溢れ出し、気づけばリンディはしゃくり上げながら、今まで何があったかを全て打ち明けていた。
五年前に祖母が事故で亡くなって叔母に引き取られてから、町の人に悪く言われるようになった経緯まですっかり話し終えると、黙って聞いていたアルが眉を顰め、苛立たし気に息を吐いた。
「大方、誰かに強要されているのではと思っていたが、やはりそういうことだったか……。しかし、叔母だけでなく町の連中も酷いものだな。リンディが精一杯に尽くしていたことさえ、自分達を手なずけるための作戦だったに違いない、などと悪く言っていた」
「凄く嫌な気分なのは確かよ。でも、アルが私のことを信じてくれたなら、もういいの」
リンディはハンカチで顔を拭った。泣き喚いて愚痴を言ってしまったことに、やや決まりの悪さを覚えながらも、不思議なくらいに気分はすっきりしている。
「ところで、アルの方はあれからどうしていたの? 教育係さんに謝ると言っていたけれど、一人前どころか魔王様になったなんて驚いたわ」
アルが肩を竦めて息を吐いた。
「リンディと別れた後、言った通りにグリフィスへ詫びたら、目的を達するまでリンディに会わないと誓いを立てさせられた」
「それでずっとシャノアの家に来られなかったのね」
「生半可な気持ちではできないことだから、俺も会いに行こうとはしなかったが、せめて何か連絡手段となるものを渡しておけば良かったと後悔している。そうすればお前は祖母さんが亡くなった時、俺に助けを求められただろうし、グリフィスも助力したはずだ。アイツは厳しいが冷酷ではない」
それを聞いてリンディはホッとした。
グリフィスというその教育係は、本当に良い先生だったに違いない。アルの最後の一言には、紛れもない信頼が満ちていたから。
「もう過ぎたことよ。それにしても、教育係さんは本当にアルを大切にしてくれたのね」
リンディが笑うと、アルがやや気恥ずかしそうに?を?いた。
「そうだな……リンディと別れた後、今から魔力を鍛えたところで遅すぎると皆に笑われたのに、アイツは俺が死に物狂いでやるのなら付き合うと言い、できる限りのことをしてくれた」
「遅すぎるって?」
「魔王の座を賭けて、全てのライバルに勝ち抜くことだ」
首を傾げたリンディに、アルはハーベルンにおける王位継承の仕組みを簡単に教えてくれた。
魔王の血族は、若い成人の姿で身体の時が止まり、三百年くらいは老いもせず生きられる。
そして魔王だけは、己の寿命が尽きるのを数年前から感じ取れるそうだ。
魔王には特別な力がいくつか備わり、それは代々の魔王一人にのみ継承されていく。
そこで魔王は己の寿命が少なくなるのを感じ取ると、最後の義務として、血族の中から力を継承する次期魔王の選抜を開始するのだ。
継承者候補に名乗りを上げられる資格は、魔王の実子と孫、兄弟、甥に姪と、幅広く与えられる。
継承戦では、志願者同士が厳粛な立ち会いの下で一対一の魔力の決闘を行い、勝った数を競うことになる。
同じ相手と戦えるのは一度限りなど、細かな規約はいくつもあるが、つまりは志願者同士の総当たり戦を行い、一番多くの決闘を勝ち抜いた者が、次代の魔王となる。
途中からの参加でも、誰に勝とうと負けようと、最終的に勝った総数が多ければ問題ない。
滅多にないことだが、ある一人が、他の参加者全員に勝ち抜き、そのまま魔王になったこともある。
ちなみに、不慮の事故などで魔王が継承戦を開始する前やその途中で寿命が尽きても、その遺骸から力を受け継ぐことはできる。が、それでは随分と力が弱まってしまうらしい。
ともあれアルの父親の場合、アルがリンディと別れる少し前から余命僅かなのを感じ取り、次期継承者の選抜を始めていた。
そしてアルは最も遅くに参加したものの、他の志願者全員に勝ち抜いて、王座を獲得したのだという。
「アルに、お兄さんとお姉さんがたくさんいるとは聞いていたけれど……」
「俺が不貞腐れていたせいで、昔は殆どの兄姉から口も利いてもらえなかったが、最終的に全員が俺を継承者と認めてくれた。……父上とも、最後にきちんと話すことができた」
誇らしげに言ったアルに、リンディまで嬉しくなる。
昔の彼はいつも、家族なんか嫌いだしいらないと拗ねていたけれど、本当は凄く寂しいんじゃないかと思っていた。
「アルは難しくても、自分の力で望みを叶えたのね」
思わず呟くと、アルが目を細めてリンディの両手を取った。
「王位継承後もやることが多く、リンディを捜すのに時間がかかったが、ようやくこうして会いに来ることができた。随分と、長く待たせたな」
背丈が伸びただけでなく、彼の手もリンディの両手を簡単に包みこめるくらい大きくなっていた。いかにも男の人らしくなった手に力強く両手を取られ、親愛の印だと思っても妙にドギマギする。
「あの……まずはアルのお父様にお悔やみ申し上げるわ」
リンディは神妙に死者への弔意を述べ、それからアルに満面の笑みを向けた。
「約束を覚えていてくれてありがとう。アルの立派な姿を見ることができて嬉しいわ」
魔族の身であっても人間の世界の空気に耐えられるのは、強大な魔力を持ってこそだという。そんなアルには魔王となる素質が元からあったわけだ。
しかしながら昔の彼はそれを使いこなせなかったため、ただの獣に襲われて大怪我もした。
彼が威風堂々とした今の姿となって魔王の座に就けたのは、ひたすら努力してきた結果に違いない。
「馬鹿なことを言うな。俺がリンディとの約束を忘れるはずがないだろうが」
苦笑したアルに、リンディは微笑み返しながらも、微かな胸の痛みを覚えた。
あの約束を交わした時は、自分も彼も幼かった。
リンディは祖母とあんなに早く別れることになるとは思いもよらず、いつかアルが訪ねてきたら、また今までのように楽しく遊べるのだと、疑いもせず信じていた。
そしてアルも、自分が魔王になって家族に認められれば、人間の友人を家に呼ぶことだって自由にできると考え、リンディにあんな約束を求めたに違いない。でも……。
「私ね、自立資金が貯まったら、まず都の薬店で働き口を見つけようと思うの。そしていつか、お祖母ちゃんと暮らしたあの家を買い戻せるよう頑張るわ。もうアルと気軽に会えなくなっても、あそこは私の大切な思い出の場所だもの」
努めて明るく、リンディは話した。
アルが目的を果たして魔王となり、皆に認められたことは素直に嬉しいと祝福できる。自分が子どものままだったら、大はしゃぎしてお城に連れて行ってとせがんだだろう。
でも、大人になったリンディは、身の程というものをちゃんと知るようになった。
魔族の王に対し、自分はしがない人間の町娘。本来なら直に言葉を交わすこともない間柄だ。
再会できたとはいえ、もはや幼い頃と同じように接するのは無理だと、彼も大人になった今では承知しているはず。あの約束は、残念ながら無効にするべきだ。
悲しいけれど仕方ない。アルも同じように思っていても、自分からは言い出しづらいだろう。
だから、彼とは距離を置く形での、それでいて希望に満ちた未来の計画を明るく語り、身の程は弁えているから大丈夫、と告げたかった。
しかし、こう言えばアルも安心して「離れていても忘れない」とか言って応援してくれると思ったのに、彼はなぜか怪訝な表情となった。
「どうして気軽に会えなくなるんだ? それに森の家くらい、すぐに買い戻してやる」
「え……いくら何でも、そこまで甘えられないわ」
ハーベルンは他国と正式な国交を開いていないが、かの国の魔道具や特殊な鉱石を欲しがる人間は多い。あちらでも人間の国の工芸品などが珍しいと喜ばれるので、時おり高い魔力を持つ魔族が姿を隠して行商を行っているそうだ。
そんな国の魔王様なら家の一軒くらい簡単に買えるかもしれないけれど、幼馴染みのよしみというだけで大金を援助させるなど気が引ける。
「リンディは俺の妃になるんだから、いくらでも甘えろ。俺だってあの家は気に入っていたし、城からも近い。別荘にして、たまには休暇を取って行こう」
うんうんと満足そうに頷くアルの発言に、リンディは耳を疑った。
「待ってよ、アル! 私が妃になるって、どういうこと?」
「は?」
◇◇◇◇◇
「リンディ様。陛下が後ほど詳しく説明なさるでしょうが、ここの空気に身体が慣れるまでですから、辛抱なさってください」
「空気に身体が慣れる? ええと、はい……解りました」
よく解らないが、ここは従っておいた方が良いだろう。
先ほどの苦しさを思い出して背筋を震わせ、リンディはコクコク頷く。息ができるというのがどれほど有難いのか、心から思い知った。
先ほどの部屋に戻ると、アルはリンディを横抱きにしたまま長椅子に腰を下ろした。
グリフィスは腰をかけず、両足を揃えてピシリと長椅子の前に直立する。
礼儀正しい態度と冷ややかな視線を崩さぬグリフィスを、アルは苦虫を百匹まとめて?み潰したようなしかめ面で睨んでから、リンディへ視線を移した。
「リンディが呼吸困難になったのは、ハーベルンの空気に満ちている魔力のせいだ。人間はこの魔力に邪魔されて呼吸ができなくなる。俺やグリフィスのように強い力を持つ魔族に触れていれば、その魔力を少しずつ吸収することで、この空気に順応することができる。だがそれには時間がかかる。慣れる前に離れれば、さっきのようにすぐ息が詰まってしまうんだ」
恐ろしい話にリンディは顔を引き攣らせた。反射的にグリフィスの方を向き、悲鳴じみた声で尋ねる。
「あ、あの! 身体が慣れるまではどのくらいかかりますか?」
「何で俺じゃなく、グリフィスに聞く!」
途端に抗議してきたアルに、リンディは目いっぱいに非難を籠めて言い返した。
「だってアルは、自分と一緒ならハーベルンに人間が行っても大丈夫だなんて言うだけで、順応するまで時間がかかるとか、下手に離れればすぐ死ぬとか、肝心なところを全部黙っていたんだもの。……悪いけれど、信用できないわ」
「ぐっ……!」
さすがに、返す言葉がないらしい。アルは何度か口をパクパクさせてから、ガクリと項垂れた。
「仕方ない。グリフィス、説明してやれ」
「かしこまりました、陛下」
グリフィスが一礼し、リンディに向き直る。
「初めてハーベルンに来た人間がこの空気に慣れるまでは六時間ほどかかりますので、リンディ様のいらっしゃった頃合いから逆算して、あと三十分とかからないでしょう」
「良かった……本当にあと少しですね。ありがとうございます」
ホッとして礼を言ったが、グリフィスは静かに首を横に振った。
「お待ちを。ご自由に行動できるとはいえ、効果はまだ一日しかもちません。完全に身体を慣らすには、これを一ヶ月の間毎日続ける必要があります」
「一ヶ月?」
控えめに言っても長すぎる期間に、リンディは思わず悲鳴じみた声をあげた。
「えっと……念のために確認させてください。それは一ヶ月の間、毎日何時間もかけて魔力を移さなくてはいけないという意味ですか?」
恐る恐る問うと、グリフィスが若干気の毒そうに眉尻を下げて頷く。
「はい。さぞ困惑されるとは思いますが、こればかりはどうしようもありません。身体が完全に慣れるまでは、一日でも怠れば効果が切れて数分ももたず、先ほどの呼吸困難に襲われます」
同情気味ながら、きっぱりと言い切られた。
「そ、そうですか……」
先ほどの苦しさを思い出してリンディは身を震わせる。あれは二度と御免だ。
そして自分をしっかりと抱え込んでいるアルの両腕を眺め、少し考えた。
毎日、何時間もこうやって人間を抱えて魔力を移すなんて、魔族の方もさぞかし大変なはずだ。
きっと本当はちょっと手を?ぐとか、それくらいでいいはずなのに、アルはリンディを逃がすまいとして必要以上にくっついているだけかもしれない。
それに、最初に身体が慣れてしまえば、効果が切れる前に何度もちょっとずつ触れ合うなど、多少の融通は利くのでは……?
リンディが思案に耽っていると、グリフィスがまた声を発した。
「もう一つ説明いたします。魔力を流し込むのは、必要なだけの力さえ持っていれば、途中で他の者に交代することも可能ですが……」
チロリとグリフィスがアルを横目で見ると、彼は?みつかんばかりの形相でリンディを抱く腕に力を込めた。
「リンディは俺の妃だ。他の者が触れるなど許すはずがないだろう」
険しい表情で言い放ったアルの様子に、リンディはやっぱりと胸中で頷いた。
他の者にも交代できるとグリフィスがあっさり言うぐらいなのだから、魔力を移すのは握手かその程度の触れ合いで良いはず。思った通り、アルはリンディを逃がすまいと、過剰に密着しているだけだ。
リンディがそう結論づける一方で、アルはグリフィスを睨んでから、すぐにリンディへ焦った顔を向けた。
「説明が不十分だったのは謝る。だが、魔王なら人間の女を抱けば、強い魔力をすぐに定着させられるんだ。凶暴な魔物生物や肉食植物にも、魔王の魔力を身にまとっていればまず襲われない」
「え……抱くって、まさか、アル……私を気絶させたのは……」
自分の顔が、ますます強張っていくのをリンディは感じた。恋人もいなかったとはいえ、そこまで世間知らずの初心じゃない。
成人男性の口にする『抱く』が、こうして横抱きにするだけでは済まないことくらい、知っている。
「違う! リンディ、誤解するな! お前を勝手に抱く気じゃなかった!」
あらん限りの不信感に満ちた表情から、アルはリンディの言いたいことを察したようだ。
「でも、私はお妃になれないと断ったのに、問答無用で拉致したじゃない」
「そ、それはそうだが、さすがにそこまではできないと、俺だって我慢をして……」
「なるほど。ようやくリンディ様をお連れになったのに不審なご様子だったのは、そういう理由でしたか」
黙って聞いていたグリフィスが、唐突に冷ややかな声を発した。
彼のこめかみにはピキピキと青筋が浮かび、鋭い黄色の両目には、リンディまでビクリと震えてしまうほどの明らかな怒気が揺らいでいる。
そして、見る見るうちに彼の顔が羽毛に覆われ出した。唇は鋭い嘴になり、すっかり顔が鷹に変化したグリフィスは、白い筋の入った髪も羽根になる。だが、袖口から覗く手は黄色がかった薄茶色の体毛に覆われ、大きな肉球と鋭い爪の生えた、獅子そのものだ。
グリフォンという、鷹の頭部と獅子の身体を持つ魔族種の話を、リンディはかつて祖母から聞いたことがある。
有翼の人間の姿から、本来の姿であろうものになったグリフィスは、それでもきちんと服を着て二本足で立ち、まるきり獣であるような雰囲気はない。だが、怒りの滲む立ち姿はいっそう迫力が増していた。
「アルヴァトス様! 自分の想いが届かなかったからといって、相手の女性を身勝手に拉致するなど言語道断! 私は貴方を、そのような嘆かわしい男に育てた覚えはありません!」
グワッと開いたグリフィスの嘴から、凄まじい怒鳴り声が響いた。
鼓膜がビリビリする大声に両手で耳を塞いだリンディを、アルが絶対に離すまいというように抱え込む。
「お前に育てられた覚えは……あるな! いや、だが簡単に諦めるなと、俺に教えたのはお前だ!」
「それとこれとは別の話です! 振られたのを認めずに縋るなど、ああっ情けない!」
「くっ! 部外者のお前が、勝手に振られたと決めつけるな!」
「誰がどう聞いても振られておりますでしょうが! 振られたなら振られたで、きっぱり諦めて相手の幸せを願うのが漢の潔さというもの! リンディ様に振られたという紛れもない事実を、お受け入れください!」
「振られた振られたと、いちいち連呼するなー?」
悲痛な声で叫んだアルは、さぞかし傷ついたのだろう。うっすらと、目に涙さえ滲んでいる。
しかし冠羽を逆立てたグリフィスは、全く追撃を緩めない。
「即刻、リンディ様を元いた場所にお返しなさいませ!」
「リンディをあんな劣悪な環境に戻せるか! 俺の責任でちゃんと守るなら良いだろう!」
——何だか勝手に猫を拾ってきた子どもと、それに怒る母親みたいなやりとりである。
猫……もとい、リンディは口を挟む隙もなく、呆然と二人を眺めていた。
——そして数十分も『返してきなさい』『嫌だ』のやりとりをし、アルからリンディが今まで周りから冷淡な扱いを受けていたことを聞いたところで、グリフィスが片手を上げた。
「はぁっ……では、陛下。提案、が……ございます」
怒鳴りすぎたせいか、グリフィスは息を切らして声も掠れている。
「提、案……? 言って、みろ……」
◇◇◇◇◇
時刻はとうに深夜を過ぎている。
魔族は夜目が利く種族が多く、アルも例外ではない。
(我慢だ、我慢! 耐えろ、俺!)
腕の中にいるリンディの健やかな寝顔を見つめては、アルは内心でもう幾度目かも解らぬ、痛切な雄叫びをあげる。
女性らしく成長したリンディの身体は柔らかくて抱き心地が良い。
本当は部屋に入ってすぐ、薄いネグリジェ一枚の姿を見た瞬間に押し倒したい衝動に襲われていた。今も、思うさま撫で回しむしゃぶりつきたくなるのを、必死で堪えているのだ。
(……多分、これくらいなら大丈夫だな)
アルはゴクリと喉を鳴らし、無防備に眠るリンディの首筋に顔を埋める。
契約の魔法は、どこまでなら違反と見なされないなどという境界線を示すために、当事者同士限定の補助効果がある。契約違反に近い行為をした時点で、頭の中にまず警告音が鳴るのだ。
ドクドクと胸を高鳴らせ、アルはリンディの白いほっそりした首筋の匂いを嗅いだ。
「はぁ……リンディ……」
石鹸の香りとリンディの肌の匂いが合わさって鼻孔をくすぐり、いっそう欲情に駆られて眩暈がした。洗いたてで艶を増した金色の髪を、指に絡めて弄ぶ。
(い、いかん! これは駄目だ!)
警告音は鳴らなかったが、そのまま首筋に口づけてしまいそうになり、慌ててアルは顔を離す。
愛しくてたまらない相手に想いを遂げることもできず、呼吸に合わせて上下する柔らかな胸が身体に密着している、生殺しのこの状況。
健全な男としては非常に辛く、とても眠れるものではないが、耐えるしかない。契約を破って無理にリンディを抱けば、いくら魔王とて爆死だ。
だいたい、悶々とするあまりこっそり匂いを嗅いで悦に浸るなど、非常に情けない絵面である。こんな真似は死んでもリンディには知られたくないし、余計に欲求不満が増して墓穴を掘るだけだ。
(もう絶対やらん! 無心だ、無心!)
フン、と顔を背けようとするも、どうしても閉じた瞳を縁取る長い睫毛や、穏やかな寝息を立てる桃色の唇を、チラチラと横目で追ってしまう。
「……」
気づけば、香り高い花に誘われる蜂みたいに、ふらふらと引き寄せられてまたリンディの首筋に顔を埋め、夢中でくんくんと嗅いでいた。
彼女を抱きしめる手に力が籠り、自然と息が荒くなっていく。殆ど無意識に寝間着の合わせ目を開きかけたところで、突如頭の中にキィンと突き抜ける警告音が響き、アルは我に返った。
「っ!」
弾かれたように顔を上げ、リンディから手を離すと、頭の中に響く音は消えた。
(あ、危なかった……)
ドクドクと激しく心臓を鼓動させ、冷や汗を拭う。
何度か深呼吸をして気を静めてから、魔力を移すのに支障がない程度に、そろそろとリンディを抱き寄せる。
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