書籍詳細
リストラ聖女の異世界旅 青春取り戻してやるから見てなさい!?
ISBNコード | 978-4-86669-252-4 |
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定価 | 1,320円(税込) |
発売日 | 2019/11/27 |
ジャンル | フェアリーキスピュア |
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電子配信書店
内容紹介
立ち読み
『聖女アズサよ。その聖なる力でぜひこの国を救ってほしい』
こんなことってあるのだろうか。
気づいたら見知らぬ国にいて、やけに煌びやかな格好をしたおっさんに助けを乞われた。
周りを見れば見知らぬどころか日本人ではない顔立ちの人に囲まれて。
意味が分からなくて啞然とした私を、誰も責められないと思う。
当時の私はただの女子高生で、反射的にむしろ私の方が救ってほしいと思った。
自ら国王を名乗るそのおっさんは、魔王軍によって滅びゆく世界を救ってほしいと言葉を続けた。
なんでもこの世界では定期的に魔王が生まれ、そいつが率いる魔族の活発化によって人々が危機に晒されるという。その対抗策が、異世界からの聖女の召喚。
まるでゲームかラノベみたいな話だ。
事情を知った私の感想はそれに尽きた。
私がこの状況をドッキリでも夢でも何でもなく、現実なのだと受け入れるには、それから数週間ほどの時間が必要だったとここに追記しておく。
と言っても、その頃には旅費と護衛の騎士をつけられて、さっさと城から放り出されていたのだけれど。
はっきり言って、正気を疑う。
なにせつけられた護衛の騎士は一人。しかも貴族の三男坊だかで旅の経験があるどころか世間知らずも甚しかった。
挙句の果てに旅費を持ってとんずら。ゲームだったらあまりのクソシナリオにコントローラーを投げ捨てるところだ。
けれどこれは現実で、リセットもできなければ引き返すこともできなかった。というのも、日本に帰るには魔王を倒すしかないと言い含められていたからだ。
平々凡々な私に魔王を倒すなんて無茶振りだと思ったけれど、そうしなければ日本に帰さないと言われた以上やらないわけにもいかない。
唯一の救いは、その聖女の力とやらが私にもちゃんと備わっていて、旅をする上でとても役に立ったということだろうか。
魔族を倒したり、傷を癒やすことのできる不思議な力。
私はこれで、自分の傷を治したり誰かの用心棒をしたりしてお金を稼ぐことができた。
人間慣れとは怖いもので、平和な日本で暮らしていた女子高生も、千尋の谷から突き落とされればモンスタースレイヤーになれるらしい。
ゲームと違って、力の使い方を懇切丁寧に教えてくれるチュートリアルなしの、超ハードモードではあったけどね。
ともあれ私は旅の間に仲間を増やし、何度も死にかけながら目的を果たした。
そう、苦難の末に魔王とやらを倒したのである。
そして世界は平和になった――かどうかは知らないが、私は日本に帰るべく仲間と別れ召喚された国へと凱旋した。
第一章 裏切られた聖女
王都は魔王討伐の報に沸き立っていた。
怯えて暮らしていた人々の間に笑顔が戻り、子供は楽しそうに石畳の上を駆け回る。
二年にも及ぶ旅を終えて旅塵に塗れていた私は、それでも自分の成し遂げた功績によって平和を取り戻せたのだと、束の間の達成感に酔っていた。
私を召喚しやがったこのクレファンディスウス王国の王やその周辺には正直憎しみしかないが、それでも王都に暮らす人々に罪はない。
私は晴れ上がった空と人々の笑顔を見ながら、万感の思いを胸に城への道を歩いた。
「随分騒がしい街だな」
私と同じように周囲を見回しながら、唯一の同行者である男が低い声で呟いた。
他の仲間たちは皆自分の国に帰ったのだが、この男だけはどうしてもついてくると言って聞かなかったのだ。
見上げるような身長は早めに成長が止まった私より頭二つ分ほど高く、雑踏からも頭一つ飛び抜けている。
黒い革鎧と剣で武装した姿は一見細身に見えるが、体幹にブレはなく背筋がぴんと伸びていた。 なにより、先ほどからすれ違う女性たちがちらちらとこちらを気にしているのは、その物騒な格好を見とがめたからではない。
ライナスと名乗るこの男は、顔がとんでもなくいいのである。
その身に様々な色彩を持つ者が暮らすこの世界でも珍しい銀髪に、更に珍しい金の目。
騒ぎを嫌い同じく珍しい黒髪黒目をフードで隠している私と違って、彼はその顔や髪をちっとも隠そうとしない。おかげでこの秋波の集中攻撃というわけだ。
ちなみに日本人の中でも小柄な私は女性たちの視界にも入らないのか、こんなイケメンの傍にいても嫉妬されることは滅多にない。
女性は髪を伸ばすことが美徳とされるこの世界で、どうせ手入れなどできないからと髪を短く切っていることもその理由だろう。その証拠に、初対面の相手はまず間違いなく一度は私を男と間違うのである。私としても旅をするにはそちらの方が好都合なので、あえてそうしている面もあるのだが。
そんな日々とも、あと少しでお別れだ。日本に帰れば、自分で髪を切る必要もないし、黒い髪も黒い目も隠さなくたっていい。
清潔な住環境。優しい両親。きちんと法整備された安全な聖域。
こちらの世界に来て初めて、私は日本がどれだけ便利で平和な世界かということを思い知った。
それに和食も食べたい。こちらにも似たような食べ物がないわけではないが、味噌や醬油など日本由来の調味料が存在しないのである。なので味付けは全て洋風。その上砂糖や香辛料も、とても普段使いできる値段ではない。
一歩足を進めるごとに、堪えていた日本への郷愁が高まっていく。
思わずスキップしそうになっていると、私の上機嫌と反比例するようにライナスの機嫌が降下していくのが分かった。
「元の世界に帰れるのがそんなに嬉しいのか?」
そう言うライナスは苦渋の色を隠そうともしない。
「そりゃー嬉しいに決まってるでしょ! ある日突然こんな世界に放り出されて、魔王を倒せとか無茶振りされたんだから」
「む。だが、未練はないのか? 仲間たちとの別れもあれほど惜しんでいただろう。異世界へ帰ったら二度と会えないのだぞ」
そう言われては、確かに少し寂しい気持ちもある。
だが他の仲間たちは、私の事情を理解して快く送り出してくれた。
面倒見のいい、姐さん気質の冒険者ターニャ。スタイル抜群なのに気取ったところがちっともなくて、彼女には旅の間に何度も助けられた。
金髪碧眼で物語に出てくる王子様みたいなアレクシス――実際、彼はこのクレファンディウス王国のお隣グランシア王国の王子様だった。
そして四人目。規格外の魔導士クェンティン。彼は魔術のためなら他の何を犠牲にしても構わないという変人で、魔王退治がなければ絶対にお近づきになりたくないタイプの人間だった。
そこに私とライナスを加えた五人が、このたび魔王を打ち倒したパーティというわけである。はっきり言って彼らがいなければ、魔王討伐なんてとんでもないことは成し遂げられなかったに違いない。
出会った順番こそライナスが一番最初だが、他の仲間たちは私がどれほど故郷に帰ることを渇望しているか、ちゃんと分かっていてくれていたのである。
だからこそ、笑顔で別れた。日本に帰ったら二度と会えなくなるけれど、私にとって彼らはかけがえのない仲間だ。
勿論、それはライナスも変わらないのだけれど、なぜだか彼は私が日本に帰るのをあまりよく思っていないらしい。
私はこの期に及んでまだ引き留めようとするライナスを振り返り、大きなため息をついた。
「あのねえ、そりゃみんなと二度と会えないのは寂しいよ。でもそれを言うなら、こっちに残ったら育ててくれた両親に二度と会えなくなっちゃうんだよ?」
「では、その両親とやらの方が大事ということか?」
私は再びため息をつかねばならなかった。
そもそもこのライナスという男には、常識が通じない。それは日本の常識が通じないという意味ではなく、人間としての根本的な常識が通じないのである。
なぜかといえば、それは彼が人間でないからだ。
ライナスは、旅の途中で出会った魔族である。どうやら魔王軍も一枚岩ではなかったようで、魔王討伐に協力すると言ってついてきた。人間離れした美貌もそれゆえと言える。
ただ、魔王を倒した後もどうしてここまでついてきているのかは本当に分からないのだが。
「とにかく、私は縁もゆかりもない世界のために貴重な十代の二年間を無駄にしたんだから、さっさと日本に帰って青春を取り戻すの! 恋とか恋とか恋とか!」
魔王を倒すための殺伐とした日々の中では、恋愛にかまけている暇すらなかった。せめて成人する前に、日本に帰って彼氏の一人も作りたいところである。
日本にいた頃はそれほど恋愛に憧れていたわけではなかったのだが、こちらに来てそれまでとはあまりにもかけ離れた日々を送るうちに、恋に一喜一憂する学園漫画がどうしようもなく尊いものに思えるようになった。
私だって一喜一憂するなら、明日死ぬかもしれないなんてシビアな悩みより可愛らしい恋の悩みの方がいいに決まってる。
そういう訳で王城に着いた頃には、私の頭の中には『日本、両親、恋愛』の三語しかなくなっていたのである。
* * *
フードを取って目と髪で召喚された聖女であることを証明すると、城の門番は慌てたように確認に走った。
残された門番の視線は、警戒するように何度も私とライナスの間を行き来している。
人型をとれる魔族は魔族領にしかいないので彼が魔族と見抜かれることはないだろうが、それにしてももっと歓迎してくれてもいいのにと思わなくもない。
人々の喜びようから見て魔王討伐の報は既に伝わっているのだろうし、城門ぐらいフリーパスにしてくれてもよくないかと少し不服に思ったりした。
とはいえ、城というからには日本で言う国会議事堂みたいなものなんだろう。私は中学生の時に見学した政治の中枢たる建物を思い出し、逸る自分の心にブレーキをかけた。
いくら気に入らなかろうが急いでいようが、国の中枢に強引に押し入るのはさすがによろしくない。
しばらく待っていると、上役に確認しに行ったらしい門番が走って帰ってきた。
その顔はひどく強張っていて、なんだか逆にかわいそうになるくらいだ。
「失礼いたしました! 聖女様とそのお連れ様、どうぞ城内にお入りくださいませ!」
彼がそう言うと、これまで私たちを訝しげな目で見ていた他の門番たちも、姿勢を正して手にしていた槍の穂先を天に向けた。
私たちは先導されるままに、赤い絨毯の敷かれた城内の道を進む。塵一つなく磨き上げられた緻密な彫刻や豪奢な調度品。
これを一つでも持って帰ればお金持ちになれるんじゃないかと思ったけれど、出所を両親に怪しまれるだけだと気付いてすぐにその考えは捨てた。
本当はお金などどうでもいいのだ。
日本に――両親のもとに帰れさえすれば。
それにしても、埃まみれのローブをかぶった私は、ひどく場違いに見えるに違いない。
一瞬宿屋によって身ぎれいにしてくるべきだったかという考えがよぎったが、手持ちの服はどれも似たり寄ったりだなと思って諦めた。一応どれも洗濯してあるとはいえ、機能性を第一に選んだ豪華とは程遠い服ばかりだ。
盗賊などに狙われるのを防ぐため、あえてそんな格好ばかりしていたという事情もある。旅費不足を補うため時折冒険者ギルドからの依頼をこなしていたが、そちらの儲けもほとんどギルドに預けっぱなしだ。お金を持ち歩いていいことなんて、何一つないと言っていい。
それにしても、この場所を訪れたのは二度目だというのに、ちっとも懐かしいという感じがしなかった。
その理由は間違いなく、魔王やら聖女やらの説明もそこそこに城を追い出されたからなのだが。
そういえば、私を騙して旅費を盗んでいった例の騎士はどうなったのだろう。できれば捕縛されていると嬉しいが、別に捕まっていなくても構わない。
だって私は日本に帰るのだから。日本に帰って、失った青春を取り戻すのだ。水の心配も身の危険を案じることもない安心安全な生活へと。
階段を上ったり下りたりして、ようやくたどり着いたのはうっすらと見覚えのある謁見の間だった。
二年ぶりだが、玉座に座るおっさんは相変わらず偉そうだ。おっさんの隣にはその娘らしきドレス姿の若い女性が座っていた。重そうな宝石をいくつも身に着けたその姿は、煌びやかすぎて目に痛いほどだ。
私は促されるままに玉座の前に跪く。一瞬人間社会の常識に慣れないライナスが心配になったが、彼は黙って私と同じように跪いていた。
「面を上げよ」
王の声に従い、顔を上げる。
おっさんの顔には相変わらず感情の読めない笑みが浮かんでいた。正直このおっさんには憎しみしかないが、日本に帰るためだと自分に言い聞かせどうにか表情を取り繕う。
ここで相手の機嫌を損ねちゃいけないことぐらい、私にだって分かる。
「直答を許す。魔王討伐の報告をいたせ」
どうしてこのおっさんはこんなに偉そうなんだろうと思いながら、私は言われた通り口を開いた。
「はい。苦難の旅の末、魔王を打ち倒しました。つきましては約束通り、元の世界に帰らせていただきたく思います」
感情を殺した平坦な声が、広々とした謁見の間に反響もなく消えていった。
見張りの騎士や侍従などたくさんの人がいるが、誰一人口を開こうとしない。王は返事をする気がないのか、にやにやといやらしい笑みを浮かべて頰杖をついている。
謁見の間はしんと静まり返り、私はひどく居心地の悪い思いをしなければならなかった。
「それで、隣の方はどなた? 聖女のお仲間なのかしら?」
それまで王の隣でつつましく微笑んでいた女が、おもむろに口を開く。
その目にはらんらんとした好奇の光が宿っていた。
私はちらりとライナスの様子を窺う。
彼は返事をする気など一切ないようだ。それどころかその顔には無関心を具現化したような表情が浮かんでいて、今の発言を聞いていたかどうかすら怪しかった。
私はため息を堪え、ライナスの代わりに口を開く。
「この人は旅に助力してくれた冒険者です」
「そうなの! とても素敵な方ね」
この時、私は女の目に映る輝きの意味を悟った。
旅の最中に何度も経験したことだ。大抵素敵な方ですねと褒めておいて、あとで二人きりになりたいとライナスを私たちから引き離そうとする。
まあ、仲間たちは他にも外見的に魅力的な人ばかりだったので、その対象になるのはライナスだけではなかったけれど。
おそらくそういった誘いを一度も受けなかったのは、仲間内でも私ぐらいのものである。
彫りの深いこちらの人たちと違って日本人らしく彫りの浅い平凡な顔立ちだし、聖女なんて名ばかりもいいところといった扱いだった。
というか身の安全を図るため私はほとんど少年ということで通していたので、男性に異性と認識されたことすらほとんどなかった気がする。
仕方ないとは思いつつ、私が恋愛をしたいと切に願っているのはそういった一連の出来事の反動でもあった。
聖女という割には脇役のようだと、旅の最中に思ったことは数知れない。時にはあからさまに周りから邪険にされることも珍しくなかったし。
というわけで、私はこの手のことに人より少し敏感だった。
つまり何が言いたいのかと言うと、彼女はライナスと個人的にお近づきになりたいのだろう。
「おお、姫や。あの冒険者を気に入ったのかい」
王が少し面白くなさそうに呟く。
そしてやはりドレス姿の可憐な女性は、おっさん王の娘でこの国の姫であったらしい。
「気に入っただなんてそんな……魔王を打ち倒した勇者様に失礼ですわ」
頰を染めて恥じらう姫君は大変可愛らしかった。
だが私は女なので、その愛らしさよりも彼女が発した言葉の方が気になった。
――聖女は呼び捨てなのにどうしてライナスは〝勇者様〟なのか。
彼女の中で私がどれほど軽視されているかが分かり、なんとも言えない気持ちになった。
いくらなんでもおっさん王が咎めるかなと思ったが、王の口から飛び出したのは思いもよらない言葉だった。
「そうか。よし、そこな冒険者よ。姫と仲良くしてやってくれ。この子が人をこのように言うのは珍しいのでな」
「まあ! お父様ありがとうございます!」
姫君が華やいだ声で礼を言うと、おっさん王はよほど嬉しかったのかだらしのない笑みを浮かべた。どうやらこの王様はかなりの親ばかであるらしい。
それにしても、仲良くしろと命じるなんて娘に対して激甘か。それ以前に、あんたさっきまで姫様がライナスを気に入っているのを不機嫌そうに見てなかったか。
色々と言いたいことはあったが、どうせお暇する世界なんだからいちいち突っ込む必要もないと思い直す。
「それよりも」
こちらを無視して話を進めようとする親子に、ついに私は口を開いた。
これ以上日本への帰還を後回しにされるのはまっぴらだ。
「日本に帰していただけるという話はどうなりましたか? 今こそ二年前の約束を果たしていただく時かと思います」
少し傲慢かなとも思ったが、目の前にぶら下げられたニンジンまであと少しというところなのだ。これ以上我慢しろというのは酷である。
ライナスと仲良くしたいなら私がいなくなってから存分にすればいい。
だから一刻でも早く日本に帰してくれ。
直接そう言いはしなかったが、私の顔には隠し切れない苛立ちが浮かんでいたはずだ。
だがそこで、おっさん王は予想外の反応をした。さも不思議そうに、私の要望について問い返してきたのである。
「日本? 日本とはなんだ」
いやだなあ分かっているくせに。
私は慌ててさっきの自分の言葉に補足した。
「私が元いた世界のことです。魔王を倒したら帰してくださると言いましたよね?」
何度同じことを言わせるんだとうんざりし始めていたら、王は少し考えた後、わざとらしくとぼけるような顔をした。
「はて。そんな約束したかのう。大臣、覚えはあるか?」
◇◇◇◇◇
「おい、大丈夫か?」
ふらつく私を、ライナスが支えてくれる。
二人になってから、どうもライナスが過保護になったように感じられる。
別れた他の仲間たちの分まで、私のことを気遣ってくれているのかもしれない。
「大丈夫だって。魔王を倒した時に比べたらこれくらい……」
あの時は本当に大変で、倒した後はひと月近く寝床から動けなかった。全身がむち打ちになったみたいに痛くて、仲間たちに心配をかけた。
あの時、このまま異世界で死ぬのかと思ったら悔しくてたまらなくなった。
だから私は、もう後悔しないように生きると決めたのだ。
「うん、決めた」
私の突然の言葉に、ライナスは驚いたようだった。
こちらを見つめる金の目が、驚きに見開かれている。
綺麗な色だ。こんなに綺麗なら、人が魔族に惑わされるのも分かる気がする。
「私、この世界で青春を取り戻す」
「は?」
「恋をして恋をして恋をして、この世界に来てよかったって言ってみせる!」
「と、突然何を言い出すんだ。頭を打ったのか!?」
私の宣言にライナスは更に分かりやすく驚き、困惑し、その目はなぜか泳いでいた。
いつも無表情なライナスのそんな顔を見ることができて、なんだか得をしたような気持ちになった。
* * *
さて、旅の方針が決まったからには、やるべきことは一つ。まずは行先の選定だ。
私たちは今、忌まわしいクレファンディウス王国のはずれにいる。追われる身でもあるので、とにかくこの国を出たい。
クレファンディウス王国と国境を接している国はいくつかあるが、ここから一番近いのはグランシア王国だ。何よりこの国は、頼りになる仲間がいる国でもある。
「じゃあ、当面の目標はグランシア王国の王都に行くことね」
指針が決まってテンションが上がっている私とは対照的に、ライナスはいつもの無表情を通り越してどこか不機嫌そうだった。
「どうしたの? 勝手に行先を決めたから怒ってるの?」
同行者の意見も聞くべきだろうと話を振ると、ライナスはその表情とは裏腹に私の問いかけを否定した。
「怒ってない。アズサはどこへでも好きな場所に行けばいい。俺はそれについていくだけだ」
そう言いつつも、ライナスは不機嫌そうなままなのだ。
「じゃあそんな顔するのやめてよ。仲間なんだから何か行きたくない理由があるならちゃんと言ってほしい。行先は別にグランシア王国じゃなくてもいいんだし」
そう言うと、ライナスの表情が目に見えて変わった――気がする。他人から見たらきっとほとんど変わってないと評するに違いないのだけれど。
「本当か?」
そんなライナスの問いに、私は何の衒いもなく頷いた。
「うん。だって運命の相手がどこにいるかなんて分からないもん。グランシア王国でだめなら他の国も回るつもりだし、別に最初はどこだっていいんだよ。あー……でも一応追われる身だから、最初は安心できる仲間がいる国がいいかなって思っただけで」
なんだか言い訳をしているみたいだ。本当のことなのに。
そんなことをぼんやり考えていると、ライナスは小さな声でぼそりと呟いた。
「なんだ、俺はてっきりアレクシスのやつと――」
「ん? アレクがどうかしたの?」
アレクシスというのは、これから向かうグランシア王国にいる仲間の名前だ。アレクシス・フォン・グランシア。未来のグランシア王国を背負って立つ、王子様でもある。
彼は最後までクレファンディウスには戻らない方がいいと忠告してくれていたのだけれど、どうしても日本に帰りたかった私はその反対を押し切ってこの国にやってきた。
今思えば、アレクにはこうなることが分かっていたのかもしれない。
なにせ王子様だし、彼は私の知らないあのクソムカつくおっさんの情報を耳にしていたのかもしれない。
そんなことを考えつつライナスの様子を窺っていると、少しとげとげしていた空気が目に見えて丸くなった。
「別に異論はない。距離から考えてもグランシアに向かうのが妥当だろう」
「そう? じゃあ意見が変わったらすぐ言ってね? 私だって別に、ライナスを無理に付き合わせたいわけじゃないんだから。そりゃ、頼ってばっかりでこんなこと言える立場じゃないって分かってるけど、最悪私一人でも……」
「絶っ対に、一緒に行く!」
力強く断言され、こちらの方が驚いた。
私と一緒に行動しても得になることなんて何もないはずなのに、魔族の思考回路というのは相変わらず謎だ。
ともあれやけに乗り気になったライナスと一緒に、私はグランシア王国へと向かった。
◇◇◇◇◇
「ごめん、忙しかった? 出直そうか?」
呼ばれたから来たのだが、今の彼はどう考えても私の相手をしている暇はなさそうに見える。
「いや、悪いが私的な時間が今しか取れなくてね。どうせ大した用事じゃないからそのまま聞いてもらえますか?」
「うん?」
近くに置かれた用途不明のガラクタを突いていると、クィンがさらりと聞き捨てならないことを口にした。
「昨晩ライナスがこの国を発ちました。同行者であるあなたには知らせておこうと思いまして」
私の耳は、一瞬今入ってきた情報を受け取ることを拒否した。
「なに……それ……」
あまりにも、あまりにも突然すぎる。
ついこの間まで、できることなら日本にまでついていきたいと言っていたライナスなのに。
動揺のあまり、私は突いていたガラクタをうっかり床に落としてしまった。
「ご、ごめ」
咄嗟にそれを拾い上げた自分の手が、震えていることに気が付いた。
寒いわけでもないのに、震えが止まらない。まるで突然床が抜けてしまったような心もとない気持ちになった。
こちらの世界に来てからずっと一緒だったライナスが、もうここにはいないという。
「ああ、拾わなくて結構ですよ。怪我でもしたら大変だ。用件はそれだけ。もう戻って大丈夫です」
本当にそれを言うためだけに呼んだようで、クィンは私に対する興味を失ったようだった。言葉通り忙しそうに、彼は木箱を開ける部下たちに指示を出し続けている。
「ま、待って。理由は? どうしてそんな、突然っ」
「さあ? 魔族はそもそも気まぐれなものですし、私に聞かれても分かりかねますね。まあ、心当たりがないわけでもありませんが」
「心当たり!? 教えて!」
「ですが、あなたに言わずにこの国を去ったのならそれが答えではありませんか? ライナスはあなたにその理由を話したくなかったのでしょう」
クィンの言い分はもっともだった。
ライナスが何も言わずに去ったのならそれが全てだ。私に言えない事情があったのか、それとも言う必要性を感じなかっただけなのかは分からないが。
「そ、それはそうだけど!」
だが、私は素直に彼の言葉を呑み込むことができなかった。
このあまりにも突然の別れを、そこまでドライに処理することなんてできない。
なんとなく無意識に、ライナスとの別れが来るとしたらそれは日本に帰る日だろうとぼんやり考えていた。
つまりこの世界にいる間はずっと一緒だと、私は傲慢にも思い込んでいたのである。
守られるばかりで、迷惑をかけるばかりで、どうしてそんな風に思い込んでいられたのか。
一緒に日本に行きたいというライナスの言葉を頭からうのみにして、欠片も疑うことがなかった。
「ねえ! その心当たりを教えて。違っててもいいから!」
私はどうしても理由が欲しくて、例えば別れを言う暇もないほどの事情を聞いて納得したくて、クィンに駆け寄りそのローブを摑んだ。
彼は少し驚いたように目を丸くした後、ぽんと私の頭の上に手を置いて言った。
「今は立て込んでますから、また後で。もう少ししたらまとまった時間が取れそうなので、そしたら例の異世界の研究を進めましょう。ね?」
クィンは大きめの丸い眼鏡の下に穏やかな笑みを浮かべて言った。
こうしていると、優し気な美男子に見えるから不思議だ。彼の性格からいえば、カテゴライズは確実に奇人変人の枠だというのに。
私は悄然と俯き、未だに消化しきれない衝撃と悲しみで胸がいっぱいになった。
ライナスが理由も話さず私のもとを離れたこと。そしてそれを伝聞で知ったこと。何もかもが信じられなくて、その場に蹲りたくなった。
ライナスがいないという事実は、あまりにも空虚で心細い。
「……分かった」
これ以上邪魔をしてはいけないと思い、私はゆらゆらとよろけながら部屋を出た。
目の前が真っ暗で、今来たばかりの道なのにどうやって帰っていいか分からない。
それほどまでに私にとってのライナスの存在は大きかった。
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