書籍詳細
万能女中コニー・ヴィレ2
ISBNコード | 978-4-86669-261-6 |
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定価 | 1,320円(税込) |
発売日 | 2019/12/26 |
ジャンル | フェアリーキスピュア |
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電子配信書店
内容紹介
立ち読み
「最近、女中寮であった変わったことだけど——分かったのは、とてつもなくせこい窃盗が頻発していたということよ」
まず、ミリアムが話し始め、ハンナがそれに続く。
「三日前からですけどぉ、仕事に出ている間に、寮室の置き菓子や果物がなくなってるって話ですぅ。少量なので本人も気のせいかなっていう感じの人が多くて……でも、二十人ぐらいいました」
ミリアムも呆れ顔で調べてきたことを教えてくれる。
「使用人食堂の料理人にも聞いておいたわ。外に出しておいた生ゴミが森の狐に荒らされるから、手の器用な下男に頼んで囲いを作ってもらったそうなの。蓋付でも開けるだろうということで、鍵をつけて。これが四日前の話。翌朝、一部の板が?がされかけていたから、狐じゃないと思ったらしいわ。囲いが頑丈なせいか、その後の被害はないようだけど」
生ゴミ漁りに躊躇がないとは——警備兵の制服を着ているはずなのに、なぜそれを活用しないのだろうか。使用人食堂の利用だってできたはずなのに。
……あぁ、そういえば、臭かったですものね。
侵入したあとの残り香が強烈にドブ臭かった。注目されるので食堂は諦めたのだろう。
コニーは一度食べる手を休めて、マーガレットが用意してくれた寮の見取り図をもらう。そこにインクをつけた羽根ペンで、侵入された部屋に日付を入れてゆく。三日前は一階だけ、二日前は二階だけ、昨日は三階だけ。経路も体型が太めの女中の部屋を狙っている。つまり、確実に買い置きの食料がありそうな所を。
「あと、これは泥棒と関係あるのか分からないけど……」
ミリアムが前置きをしつつ、言葉を濁す。
「何です?」
「あたくし、こういう話は信じないタチだから。でも、一応は言っておくわ。寮の共用浴場で幽霊を見たという子がいるの」
「……具体的には、何を見たのですか?」
「その子はいつも最後に一人で入るらしいの。体を洗ってて、ふと何気なく湯煙の向こうにある換気用の小窓に視線を向けたら、黒い人影がニタリと嗤っていたって」
「うはぁ〜、ぞくぞくしますぅ! あたし、こういうの苦手なんです!」
ハンナが身をすくませて怖がる。犬耳があったらぺたんと倒れていそうだ。
「顔は見なかったんですか?」
「湯煙で分からなかったみたいよ。位置も遠いしね」
「……覗きの痴漢なのでは?」
マーガレットが首を横に振った。
「浴場は一階だけど二階まで吹き抜けになっていて、換気窓は天井近くにあるのよ。外壁には足をかけられる場所が一切ないし、近くに足場となるような庭木もないわ」
「あぁ、それで幽霊説なんですね」
マーガレットは頷きつつも話す。
「私も幽霊はないと思うのだけど……あの外壁を登れるとしたら、ヤモリみたいな身体能力がいるわけでしょ? それもちょっと考えられないし。目撃したのは、三日前から三晩連続だと言っていたわ。二日目には、事前に外壁を確認してからお風呂に入ったらしいけど」
「その女中の名前は?」
ミリアムに話を振ると彼女は答えた。
「フィオラよ。今朝から熱を出して寝てるの。なんでも、昨晩は換気窓から入ってこようとしたのが見えて、逃げようとして滑って頭をぶつけたって話。すごい悲鳴だったから皆が駆けつけたわ」
フィオラは身長百四十六センチと小柄でありながら、体重八〇キロ超えのぽっちゃりさんだ。十四歳と多感なお年頃でもあるし、最後に入浴していたのも体型を気にしてのことかも知れない。
——これも、三日前というワードが入るのですね。たぶん無関係ではないでしょう。もしかしなくても、警備兵に化けた爺が——
「許せませんね」
2 義兄の心配性が加速している件
実にあっけなく覗き犯は捕まった。
午後十時五十分。いつもフィオラが入浴する時間より十分前、コニーは浴場の死角にて待機。もちろん脱ぐ必要などない。換気窓より人影が覗きこんだ瞬間、木桶を豪速でぶつけたのだ。
人影は見事に吹っ飛び落下、外で待機していた十人ほどの女中たちによって、箒やモップで気絶するまで袋叩きにされた。コニーが駆けつけ縄で縛りあげていると、顔面アザだらけのひょろひょろの老人はカッと目を見開いた。
「何するんじゃ、この小娘どもが! わしの制服が見えんのか!」
これだけ殴られてまだ元気だとは。そして自分は警備兵だとおっしゃりたいらしい。コニーは手際よく縄を結びながら微笑んだ。
「ええ、よ〜く見えてますよ。それは洗濯場から盗まれたジオン・アルギールさんの名前入りの制服ですよね?」
マーガレットが老人の上着の裾をめくって、そこにある刺?の名前を確認する。
「間違いないわ」
「わしがそのジオンじゃ!」
「往生際が悪いですよ!」
両腕が動かせないよう上半身を蓑虫状態にしたコニーがそう言うと、ハンナたちも非難を浴びせた。
「そうですよ、あたしのジャムを盗んだくせに!」
「いい歳してみっともないわね!」
「こんなもので小窓に登っていたくせに、しらばっくれる気!?」
鋭い三つ鉤付の縄をマーガレットが突きつける。しかし、老人は「ヘッ、それがわしのモノじゃという証拠でもあるんかい!」と強気で言い、彼女たちの怒りを煽っている。
事前に警備兵が来るよう手配をしておいたので、そろそろ来てもいい頃なのだが——
コニーはマーガレットから鉤付縄を受け取った。錆びついてずいぶんと年季が入っている。これは間違いなく常習的に盗みをしている証拠だ。おそらく、ここでは存在がバレないようにするため、金銭等には手をつけなかっただけだろう。
「悪質性も高いし、騎士団に引き渡しましょう」
警備兵に渡して第二王子騎士団本部へ連行してもらうつもりだったが、直接引き渡した方がよさそうだ。幌付魔獣車に乗せるべく大きな蓑虫を引きずると——
「なんじゃ小娘、わしとデートしたいんか?」
何か図々しいことを言い始めた。
「騎士団に引き渡すんですよ」
「そんなしょぼい体でわしをナンパできると思うたら大間違いじゃぞ? 百万年早いわ! わしの好みはぴちぴちふかふかの肉布団——」
「あ、手が滑りました」
蓑虫を地面に転がすと、コニーはその上に片足を乗せ、再度キリキリ縄を締め上げた。ドロ鼠は「きゅっ」と鳴いて白目を?く。当然ながら誰も止める者はいない。
「コニー?」
ふいに、この場にいるはずのない声を聞いた。振り向くと目をまるくした義兄と、顔を引きつらせた三名の警備兵が立っている。近くの森の小道から出てきたらしい。
「リーンハルト様、何故ここに?」
「夜回り中に彼らから不審者がいると聞いてね、気になって来たんだ。食料貯蔵庫を荒らす〈大きな鼠〉の報告があったし、もしやと思って」
例の隠し通路についても、彼は知っているようだ。
「そうでしたか、コレがその不審な鼠です。お風呂場の覗きを現行犯で捕まえました」
連れて行く手間が省けたと蓑虫を引き渡すと、彼はそれを警備兵らに渡して、コニーにひたと青い眼差しを向けてきた。
「詳しい事情を聞きたいから、君も一緒に来て」
……ん?
若干、不穏な空気を感じつつ、コニーも同行することになった。
軍施設の入口に幌付魔獣車が到着。
お縄にされた爺は、二人の警備兵に両側を挟まれて連行されていった。
「では、わたしはこれで失礼します」
魔獣車から降りたコニーはそう告げる。爺の盗みや風呂覗きについては、移動中に話し終えている。官僚宿舎もここから歩いて数分の距離。手に提げた包みにはハンナから貰ったジャム瓶がある。
御者を務めた警備兵が、空になった幌付魔獣車を操り去ってゆく。
オイルランプの外灯で照らされた義兄の顔。先ほどからなんとなく不機嫌そうなオーラを感じていたのだが……やはり気のせいではないようだ。眉間に一本、縦皺がある。
「——食料貯蔵庫にあった隠し通路、君が最初に見つけたんだってね」
「はい」
何故なのか、ため息をつかれた。
「……なんですか?」
「ああいった古い通路はいつ崩れてもおかしくない。中まで確認せずに、上に報告するだけでいいんだよ」
「——成人男性では窮屈な通路でしたので。鼠も通っていましたし、大丈夫かと」
とたんに彼の眉間の皺がぎゅっと深くなる。何をそんなに不機嫌になることがあるのか。
彼は眉間を指先で揉みながら言った。
「万が一の危険があるだろう。——今後は、似たような場面に遭遇しても手出しせず自重してくれ」
「目の前に不審なものがあるとムリですね。調べずにはいられない性分なので」
経験上、怪しいと感じたら後回しにしたらダメなんですよ。不穏の芽は早期に摘むのが鉄則です。
アルバイト扱いでも〈黒蝶〉の一員である。放置した結果、主ジュリアンに危害が及ぶことになれば悔やんでも悔やみきれない。
だがしかし。その答えは義兄のお気に召さなかったようだ。
「身の安全を優先することが、そんなに難しいことかな? 少なくとも、今回の件は誰かに命令されたわけでもないよね。なのに危険に突っこんでいく必要ってある?」
声のトーンが幾分下がり、不快の色がその顔全体に滲む。
主君を守るという立場は同じ。彼とて仕える者として、その選択を自らすることもあるだろうに——何故、責められなくてはならないのか。理不尽。
「ちょっ……狭いですよ!」
ぐいぐい近づいてくる彼に戸惑う。塀まで詰め寄られて逃げようとするも、壁についた彼の両腕に阻まれる。
「ねぇ、コニー」
真剣な表情で名を呼ばれ、思わず瞬きをして彼を見る。
「はい?」
「私の知らない間に、君が苦しんだり怪我したり生き埋めになったりするなんて……嫌なんだよ」
ネガティブな義兄の想像に、まじまじとその顔を見返す。
「縁起でもないこと言わないでくれます? そんな起きてもないことを言われても」
「起きてからじゃ遅いだろう?」
青い目でじっと見つめてくる。
そういえば、昨日もグロウ団長に連行された件で、やたら心配されましたっけね……
陰での暗躍は慣れているし、いくばくかの危険を伴うことなどよくあること。心配性の義兄……暴力ふるう義兄よりは断然ましではあるが……これは懐かれ過ぎではないか、なんだか面倒臭い。
外灯の下ですら、艶やかな光沢をまとう白金の毛並み。だんだんこの義兄が血統書付のばかでかい猫に見えてくるような錯覚さえして——
猫は……猫はダメです! 義兄のくせに、わたしの癒やしの領域に入るなんて許しません!
「コニー……痛い」
つい、その美しい顔面を左手でがっつり?み、思いっきりのけぞらせていた。
「危機管理には十分自信がありますのでご心配は無用ですよ! はい、離れて離れて!」
リーンハルトは彼女の左手をはがすと、「でも」と不満顔を隠さない。本当に面倒臭い。
義妹にかまけてないで、さっさと新しい彼女でも作ったらどうなんだと思う。
「……一応、苦言として心には留めておきますよ」
すると、義兄はコニーの両手を包むようにやさしく握ってきた。手袋越しでも体温が伝わってくる。彼は小首をかしげて、それは魅惑的に微笑んだ。無駄にきらきらしい。
「もし、危険な場所に行く時には、私に知らせてくれないかな」
「何故です?」
「居場所が分からないと助けに行けないだろう?」
……あなた、ご自分が騎士副団長って忘れていませんか?
「地潜りすることなんて、人生でそう何度もないですよ」
「それ以外の時でも」
——この天然ちゃら男は、こうやって数多の貴族令嬢を誑しこんでいたのか。その手管を義妹に使ってどうするつもりだと問い詰めたい。しかし、そこで、やぶ蛇という言葉が頭をよぎる。そうだ、ここはいつも通りの塩対応。彼の手を振り払い——
「その必要は——」「ないから要らないよね」
途中で声がかぶった。さっとコニーから離れて姿勢を正す義兄。おかげでこちらに向かってくる人たちが見えた。先の声の主は、柔らかな笑みを湛えた黒髪の王子ジュリアン。その後ろには強面のボルド団長。
「ジュリアン殿下」
空気を読むことなく割りこむ主に、リーンハルトはつい恨めしげな視線を送る。
「鼠が捕まったと連絡があってね。ボルド団長が尋問するというから、興味があって来たんだ」
ジュリアンはそう言いながら、コニーに視線を合わせた。
「遅くまでの捕り物、ご苦労だったね。今夜はもう休むといいよ」
「——はい、失礼いたします」
主じきじきのお言葉なので、今宵の夜回りバイトは免除である。部屋に帰ってゆっくりお風呂にでも入ろう。三人に向かい丁寧に一礼して、コニーは歩き出す。
「夜道は危ないから私が送って——」
「官僚宿舎はすぐそこじゃないか」
「てめぇはこっちだ」
主君に呆れたように言われ、上官に逃げられないよう頭を鷲?みされて、リーンハルトは引きずられていった。
◇◇◇◇◇
ドオン!
突然、背後から爆風が来た。屋上へ出るための扉が、蜘蛛魔獣が爆風に巻かれて飛ばされる。
揚羽は炎系魔法が得意だ。だから爆炎でないのは配慮だろう、だが——
「わたしたちまで飛ばしてどうするんですかっ! 揚羽隊長!」
屋上から中庭の上空にまで二人は飛ばされた。とっさに爆風でなびく細縄を左手で?み、同時に右手でジュリアンの手首を?んだ。この縄の耐荷重では長く持たない。しかし、目の前の窓に、捕獲すべき少年がいる。こちらに背を向け窓辺から立ち去ろうとしている。
ピンチとチャンスは同時に発生している。ならば——
「ジュリアン様! 捕まえるチャンスです! 突撃してもいいですか!? 出来ればご無礼不問でお願いします!」
コニーと目を合わせたジュリアンは力強く頷き、その言葉の意味を正しく理解してくれた。
「投げてよし!」
見た目が柔和で華奢な印象さえあるジュリアンだが、さすが王の器、度胸と決断力がある。
爆風が止むと縄は振り子のように戻る。コニーはそれを利用して、ジュリアンを四階の窓から廊下へと投げ入れた。これには少年も予想してなかったのだろう。真上からの気配に振り返ると、驚愕の表情を浮かべ——避ける間もなくジュリアンを受け止めるはめになり、勢い余って一緒に廊下を転がっていった。コニーはその次の反動で窓に飛びこみ、猫のようにくるりと受身をとって軽やかに着地。本日、三階より上階が無人でよかったと思う。官僚らに目撃されたら、それこそ女中生命が終わったことだろう。
——その少年は、地味な薄茶の髪と瞳に庭師見習いの格好をしてはいたが、利発さと気品を感じる顔立ちに、細身ながら脆弱ではない柳のようなしなやかさがあった。
ジュリアンは自分が下敷きにしてしまった少年に、しっかりと目を合わせて確認を取る。
「貴方が、〈裁定者〉殿で間違いはありませんか?」
「——如何にも」
ジュリアンが退いたので、彼は起き上がり厳かに言った。
「我を捕らえたことを認めよう。そして、これより新たな試練をそなたに与えよう。だが、その前に——」
彼は窓を見た。外壁を伝ってざわざわと追ってきた小蜘蛛に大蜘蛛。
「まずはアレを片付けねばならぬな。邪魔であるゆえ」
〈裁定者〉の少年は薄暗い廊下で、タンと片足を踏み鳴らした。一瞬にして、白緑の魔法陣が床を彩り、光の波紋が廊下、壁、天井、階段と隅々まで広がってゆく。特に攻撃をしている感じはしなかったが、蜘蛛魔獣たちはすぅっと潮が引くように遠ざかっていった。いつのまに現れたのか、廊下の突き当たりの壁に漆黒の穴がぽかりと空き、彼らはそこに吸いこまれるように逃げてゆく。そして、漆黒の穴もまた?き消えた。
「何の魔法ですか?」
コニーが尋ねると、少年は答えた。
「威嚇だ。魔力が上であることを示せば召喚魔獣は無益な争いはせぬ。あの召喚士の窮地を助けようとしていたのだろうが……」
「やだぁ、もう参っちゃったわ〜」
開いた窓からふわりと、黒い蝶のように揚羽が飛びこんできた。
「ジュリアン殿下は無事ね! あら、彼が〈裁定者〉ね! 無事捕まえたようで、何よりよ! 仔猫ちゃんもお疲れ様!」
「揚羽隊長、何やってたんですか……」
「突然、クモが大量に湧き出すから手間取っちゃったのよ! あの召喚士は持っていかれるし……」
「え、何やってるんですか! あんな危険人物にまた雲隠れでもされたら……!」
「その話はあとでするわ。まだ殿下の試練内容を伺ってないのでしょ?」
揚羽の台詞にジュリアンも軽く首肯し、〈裁定者〉の少年に尋ねようとすると、彼は「しばし待て」と片手を上げた。ややして、複数の靴音が慌ただしく近づいてくる。
「ジュリアン殿下! 無事か!?」
ボルド団長、リーンハルト、アベルが現れた。彼らのかなり後ろの方を、息切れでよたよたとふらつきながら追いかけてくる愚王子がいる。供がいないのはあの三人に排除されたからか。
少年はジュリアンに尋ねた。
「今回、我の捕獲に参加した〈配下〉はこの者たちだけか?」
「はい」
「この五名の中に、そなたにとって不要な者はいるか?」
「いいえ、おりません」
「よかろう。では、この者たちにも我が言の葉を聞く権利を与える」
少年が右手の指をぱちりと鳴らすと、少年を中心にジュリアン、揚羽、コニーと先ほど駆けつけた三人を囲むように白緑光の壁が立ち上がった。やっと追いついてきた愚王子が、きょろきょろと辺りを見回して天井に向かい何か喚いている。こちら側が見えていないようだ。
「結界ですね」
ジュリアンの問いに、少年は「そうだ」と答えた。
魔法を使ったせいか、コニーの指輪が真紅を通り越して赤黒く点滅している。きっと、ふだんは揚羽のように魔力の気配を消していたのだろう。
ふいに、少年の体は強い輝きに包まれてその形を変えてゆく。まっすぐな長い白緑の髪、深緑の双眸の、人形ほどに整った清麗な美貌の青年に。その身に纏うのは聖職者のような裾長の白衣——蔦と花と月の紋様が美しい。コニーが地下で会った〈緑の佳人〉だ。
「我が名はイバラである。ハルビオン国において次代の王を選ぶ〈裁定者〉として——第二王子ジュリアン・ルーク・ハルビオンに試練を与える」
イバラはジュリアンの琥珀の双眸を見据えて、厳かに告げた。
「——忠義なき青の臣を一人、そなたの前から排せよ」
一瞬の沈黙が場を支配した。ややして、ジュリアンは彼に問い返す。
「それは、僕の臣下に裏切り者がいる……ということですか?」
「当試練についての助言はなしだ」
自身で解釈する所から始めろということらしい。だが、ジュリアンが口にしたことに間違いはないだろう。
——青は裏切り者を示す色ですね。わざわざ「忠義なき」と言うのは、逆に周囲から「忠臣」だと思われている人物なのでは……?
◇◇◇◇◇
「コニー。そんなに慌てて、どうしたの?」
「ジュリアン様! リーンハルト様を見ませんでしたか!?」
「彼にはさっき、城下に行くように頼んだけど……何かあった?」
そこでコニーは手短に事情を話す。ジュリアンは困ったように眉根を寄せる。
「手には持ってなかったから、懐にでも入れていたのかな。実は、聖霊祭の間に城下で複数の事件があってね。その調査に出てもらったんだ」
朝食をとる前に呼ばれたので、小腹が空いて食べてしまう可能性がある。
しかし、主はさほど心配していないようで。
「大丈夫だと思うよ。うっかり口にしても、大抵の毒は平気だって彼言ってたし」
「一欠片で花瓶の花が黒紫に変色しましたよ! しかも即効性です!」
「うん、それだけ強力だとね。逆に無味無臭を謳っているものでも、彼なら分かると思うんだ」
え、無味無臭なら分からないのでは……? と困惑していると。
「リーンハルトが心配?」
「わたしから貰ったと誤解して口にされたら不愉快です。敵の思う壺ですよ、腹立たしいです!」
「——まぁ、万が一ということもあるし、探してくるといいよ」
そう言って義兄の行き先をいくつか教えてくれた。義兄は白馬魔獣で飛んでいったらしい。
コニーは魔獣一頭立ての荷車を借りると、まっすぐ南へと走らせ正門脇の通用門を通り抜けた。高台から城下街へと向かう。
空の色が変わり始めた夕方。城下の方々を探したが見つからず。行く先々で空振り、義兄は去ったあと——ということの繰り返し。
「一体、どこにいるんですか!」
丸一日、毒サブレ探しに費やしてしまった。
——せっかく、仕事でアベル様にご恩返ししようと思っていたのに! 計画倒れです!
義兄が街中で毒に倒れたなら騒ぎになるだろう。だがそういった噂も聞かない。閑散とした人気のない路地裏の道、ゆっくり魔獣車を走らせていると——小路の向こうに一瞬、井戸に腰掛けた人が見えた。白金髪に翡翠のマント。通り過ぎた位置で魔獣車を停め、急いでオイルランプを収納する鉄柱に縄で括りつけると、先ほどの小路へと駆け足で戻った。彼はこちらに気づいてないようで、手許の何かを食い入るように見つめている。近づくことで、それが——手の平よりも大きなハート型の毒サブレだと知った。
よりによって、ハート型! あの駄犬、なんてマネを! 誤解を招くじゃないですか!
走る速度を上げながら声をかけようとした時、彼は毒サブレに顔を近づけた。
「リーンハルト様! それ、毒が!」
「コニー?」
彼は弾かれたようにこちらを見た。傍まで辿り着くと、いささか乱暴に彼の手にある毒サブレを取り上げた。そして、厳しい口調で詰め寄る。
「これは、わたしの名を騙る敵の罠です! 毒入りです! 何食べようとしているんですか!? 少しは疑ってくださいよ!」
その剣幕にも動じず、彼はぽかんとした表情で答える。
「……やっぱり、そうなんだ。君にしては、この形は変だなと思っていたから」
「今、口に入れようとしていませんでした?」
「匂いを確かめてたんだ。バターに紛れてうっすらとだけど、異臭がする」
コニーは包みに鼻を近づけてみた。自分もかなり嗅覚がよい方だが、バターの匂いしかしない。なるほど、だから主は心配していなかったのか。包みの上からハートの形をバキリと粉砕しつつ、脱力する。井戸べりから腰を上げた彼は、コニーの真正面に立った。
「こんな場所まで——私のために探しに来てくれたの?」
嬉しそうな声と、無駄に輝く美貌。そうです、と言うのも何か癪だった。
どれだけの場所を探したか、街の人に聞き込みまくったか、結局、一日潰れてしまった——と盛大に文句をぶつけたいが、そうすると、さらに彼を喜ばせるだけになる気がする。腹が立つ。
「……最も、それを食べる確率が高かったのがあなたですので」
他にも、側近三人の執務室に置かれていたと付け加えておく。そういえば、執務室を持たない彼はどこで手に入れたのだろうかと聞いてみた。
「私の場合は、兵舎でよく使う仮眠室のテーブルに置いてあったよ」
コニーは我が耳を疑った。兵舎は男所帯、女性は入れない決まりがある。
「そこは疑ってくださいよ! なんですんなり受け入れてるんですか!」
「〈黒蝶〉の君なら兵舎にも簡単に侵入できるかなと……」
仮に侵入できてもしませんよ! 痴女みたいじゃないですか!
「用があるなら呼び出しますよ! 回りくどい!」
「そうだね、今考えるとちょっとおかしいと思うけど……」
ちょっとじゃないでしょ! 義妹のお菓子にどれだけ浮かれてるんですか!
「君の作ったクレープを食べてなかったら、うっかりその場で食べてたかも知れない。危なかった」
あまりに真剣な表情で言うので、つい突っ込んだ。
「真面目な顔で冗談を言わないでくださいよ……」
「本気なんだけど」
この人は、素の方が対応が難しい。
「そのマント、女官用のだよね? コニーが着ると可愛いね」
素で誑してくるので、どこまで本気なのかが分かりにくいのだ。生粋の女誑しが義妹に対してフルモードの好意だからアレな感じがするのか、それとも——
義兄が空に向けて「リズ」と呼ぶと、三階建てのアパートの上から白馬が翼を広げて優雅に舞い下りてきた。「一緒に帰ろう」と、ごく自然にコニーに片手を差し出してくる。
「荷車で来ましたので、わたしはこれで失礼します」
そう言い置いて、曲がり角の向こうにある荷車のもとへとすたすた歩いてゆく。ふと空が翳ったので見上げると、先ほどの白馬が飛んでゆくところだった。人影が見えないと思っていたら、彼が曲がり角から追いかけてくる。「私もこれで帰るよ」と、素早く御者台の隣に座ってきた。
「何故、リズと帰らないんですか!?」
「わざわざ探しに来てくれた君を一人で帰すなんて、申し訳ないからね」
正直、止めてほしいと思う。箱型の魔獣車ならともかく、荷車なのだ。屋根も囲いもない。
——副団長が荷車で城に帰還とか、悪目立ちですよ。隣にいるわたしまで注目されます!
義兄に「手綱を貸して」と催促されたが、コニーは「いえ、わたしが」と拒否した。
夕方の大通りは仕事帰りの人々でごった返す。荷車で出たら人混みと魔獣車による渋滞にはまる。
見世物にならないためにも、こうなったら高台の下まで裏通りを走るしかない。少々治安の悪い区を抜けることになるが、そこは飛ばそう。
そう思い、前を向いて手綱をぐっと握ったところ——左?に何か柔らかいものがぶつかった。
隣を見れば、やけに近い位置に深海色の青い瞳。義兄の顔が——
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