書籍詳細
ドアマットヒロインにはなりません。王子の求愛お断り!
ISBNコード | 978-4-86669-317-0 |
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定価 | 1,320円(税込) |
発売日 | 2020/07/22 |
ジャンル | フェアリーキスピュア |
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内容紹介
立ち読み
今日のお茶は、リラックス効果が期待できるカモミールティーだ。味もさることながら、胃にも優しく、最近はカモミールティーばかり飲んでいた。
私は一度嵌まると、同じものばかり口にする傾向がある。大体、半年くらいブームが続き、また新たなブームへ移っていくのだ。
今のカモミールティーブームは二ヶ月くらい前から始まっている。まだ飽きる気配はないので、しばらくはこの黄色いお茶を飲み続けることになるだろう。
ハーブティーを飲み、ほっこりとした気分になった私は、アメリアに言った。
「でも、実際のところ、何も動きがないじゃない。正直、顔合わせした後は、これからどうなるのかしら、王子に毎日呼び出されたりするのかしら、なんて考えていたけど、全くの杞憂だったし。ああ……どうせならこのまま結婚も流れてくれないかしら」
「お嬢様が殿下の婚約者であるという事実がある以上、いつかは結婚という話になると思いますが」
「ほんっと、その『婚約者』って称号、誰か私から?がしてくれないかしら。こんなに要らないと思うものもないのに」
本当に、心から要らない。
欲しいという人がいるのなら、どうぞどうぞと熨斗をつけて差し上げたいくらいだ。
ちなみに、クーリングオフ制度はないから、返品は受けつけない。
とはいえ、今言ったように、現在の私は平和で、結婚の『け』の字もないような状況。はっきり言って、人生で一番平穏な日々を送っている最中だ。このままこの平和が続けばいいのにと本気で願ってしまう。
そんなことを考えていたのがいけなかったのだろうか。
鳥の声や風の匂いを楽しみながらお茶を飲んでいた私に、予期せぬ邪魔が入った。
「ふんっ。オレ様が来てやったぞ!」
「……」
予告も何もなく、突然屋敷にやってきたのはシルヴィオだった。しかも私がいる中庭まで。更にはとても偉そうな態度で私を見下ろしている。
美しい面差しに、前に着ていたのと同じ、黒地に赤が入った軍服めいた格好。
相変わらず、見た目だけは完璧な男だ。だが、目の下に隈ができており、それがらしくないなと気になった。
——なんだろう。徹夜でもして遊んでいたのだろうか。
この男なら普通にあり得るとは思うが。
シルヴィオを観察していると、彼は何故か満足げな顔をして頷いた。
「驚きで声も出ないのだろう。分かる。分かるぞ。何せこの、オレ様が! わざわざ来てやったのだからな! 感涙に噎ぶがいい!」
「……いえ、結構です」
二ヶ月前と全く同じ、偉そうな態度に溜息しか出ない。
一体、彼は何をしに、わざわざここまでやってきたのか。
私は呆れを隠さない口調で彼に問うた。
「……何をしに来られたのですか、殿下。ご来訪の予定は聞いておりませんが」
出そうと思っていた以上に冷たい声になり、自分でも驚いた。
どうやら午後のお茶の時間を邪魔されたことに、私は相当腹を立てていたらしい。
無自覚だったのだが、今の自分の声で気がついた。
「いくら婚約者だといっても、事前の約束もなく勝手に来られるのは困ります。それとも父の承諾をお取りになられたのでしょうか。それなら聞いていなかったとはいえ、お迎えできなかったことを謝罪するしかないのですが」
立ち上がり、シルヴィオに言う。彼は「うっ」と数歩後退し、「だ、だが……」と言い訳を始めた。
「公爵は入れてくれたぞ!」
「当たり前でしょう。娘の婚約者である殿下を、追い返すわけにはまいりませんからね。で? このような常識外れな真似までなさってここまで来られた理由はなんです? まさか、理由もなく、なんとなく、なんてことはございませんよね、殿下」
「あ、当たり前だ!」
どうだかという顔でシルヴィオを見る。彼は改めて胸を張ると、実に偉そうな声と態度で言った。
「お前はオレ様のことをサボってばかり、などと言っていたな! だが! オレ様はあれから今日までというもの! 一度も公務をサボらなかったぞ!」
「……え」
一瞬、何を言われたのか本気で理解できなかった。
パチパチと目を瞬かせる私に、王子がドヤ顔をしてくる。
「どうだ! 驚いただろう!」
「……ええ、はあ。まあ……それは」
確かに、驚いた。
具体的には、公務をこなしたことを私にわざわざ報告してきたことに、だが。
私は何かを期待するような目で見てくる王子に、真顔で問い掛けた。
「で?」
「ん?」
「それをわざわざ私に言うことが、無断で屋敷を訪れた理由なのですか?」
「そうだ!」
「……」
一切の躊躇なく頷かれ、責める気力もなくした。
——マジか、この男。公務をこなしたと言うためだけに屋敷まで突撃してきたのか……。
ものすごい脱力感に襲われた。
今の気持ち。正直に言うのなら「ガキか」である。
——うーん、シルヴィオってこんなんだったかなあ。
わりと真面目に考えていると、シルヴィオが私に話し掛けてきた。
「で、どうだ!」
「……どうだ、と言われましても」
「見直したか!」
「……」
どうやら彼は、仕事もしないような男はごめんだと言われたことに、相当プライドを傷つけられていたようである。そして私を見返すべく、姿を見せなかったこの二ヶ月、真面目に励んでいたと、そういうことらしい。
「……はあ」
「なんだ!」
「あのですね」
「おう! 己の愚かさを認め、オレ様に謝罪する気になったか!」
「いえ、違います」
シルヴィオの言葉をキッパリと否定し、私は彼に言った。
国王には好きにしていいと言われている。それならもう、言いたいように言おうではないか。
「たかが二ヶ月続けたくらいで何を偉そうに。あなたが何年、仕事も勉強もサボり続けてきたと思っているんですか。それを思い返してから、発言して欲しいですね」
「な、何年もなんて……オレ様は!」
「何年も、でしょう。私が知らないとでも思いましたか? 婚約者のことを調べるのは常識ですからね。あなたが子供の頃から家庭教師たちから逃げ回っていたこと、するべき執務を怠っていたことは知っていますよ。それをたかだか二ヶ月続けただけで、よくもまあ報告になど来られましたね」
我ながらいやみだと思いながらもにっこりと微笑む。
お前の悪行は知っているぞという顔で彼を見ると、シルヴィオの顔色は蒼白になっていった。
「な、なんでオレ様のこと……」
「ですから、婚約者のことくらいは調べると申し上げたでしょう。あなたが執務や勉強をサボるのは有名な話ですからね。知ろうと思えばすぐに知ることができますよ」
?ではなかった。
実際、シルヴィオの怠け癖は王城内では有名で、父でさえたまに「あのような方が跡継ぎで本当に大丈夫なのか……いや、王家を疑うなどしていいはずがない」などと言っているくらいなのだから。
「わざわざ知らせに来て下さったのは、私に謝罪させたかったからですか。残念でしたね。たかが二ヶ月程度頑張ったところで、謝罪しようなんて気には到底なりません」
「くっ……オ、オレ様だって頑張ったのに……!」
「……具体的には?」
シルヴィオがあまりにも悔しそうに言うので、思わず聞いてしまった。
おそらくは話を聞いて欲しかったのだろう。シルヴィオの顔がパッと輝く。
「外国からの賓客ももてなしたし、国民の面会希望にも応じた。軍部の面倒くさい会議にだってあれからは毎日出席してる。それにな、慈善活動だって頑張ったんだ!」
「……」
頑張った、というのは少なくとも誇張表現ではなかったようだ。
普通に、真面目に仕事をしている。
ただ、彼が挙げた項目の中に勉強がなかったなと思った私は、何とはなしに彼に聞いた。
「勉強はどうなさいました? 真面目にしていたということは、もちろん勉強も頑張ったと、そういうことですよね?」
「うっ……!」
痛いところを突かれた、という顔をしたシルヴィオに、私は「あ、これは逃げたな」と一瞬で察した。
「逃げていたんですね?」
「で、でも! 仕事の方は頑張った!」
「……」
「……」
ジーッとシルヴィオを見つめる。彼は何とも情けない顔をしていた。
本当にこの男が、私をドアマットヒロインにする男なのだろうか。ちょっと自分で書いた話のことなのに疑わしく思えてきた。
「……殿下」
「な、なんだ……」
少しだけ考え、私はシルヴィオに近づき、手を伸ばした。その頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「え……?」
「頑張りましたね。まだまだですけど、殿下の努力は認めます」
金色の目が驚きで見開かれる。私は王子の頭から手を退け、彼を見た。
私の自キャラ。愛すべき我が子とも言える存在。
その彼が、努力したのだと報告してきて、作者である私が嬉しく思わないはずがない。
シルヴィオは、努力するようなキャラではなかった。私が描いた彼は、我が儘で傲慢で、救いようがなかった。だけど今、目の前にいるシルヴィオは、そこから少し脱却し始めたような気がする。
私が知らなかった彼の可能性を見せてくれたのだ。
書かれた物語をただなぞるだけではなく、その先に進める可能性を。
それが、単純に嬉しかった。
だから、彼を褒めたのだ。
婚約者としてではない。彼を生み出した親として、よくやったと言ったのだ。
「殿下もやればできるのではないですか。その調子でこれからも頑張って下さいね」
「お、お前、偉そうに!!」
「これは失礼を致しました」
確かに、王子に対して上から目線でよくなかったかもしれない。
思わず、笑う。
「っ!?」
「殿下?」
カッと目を見開いたシルヴィオの顔は真っ赤だった。あと、妙に嬉しそうにも見える。
「どうなさいました? お顔が赤いようですけど」
こてんと首を傾げながらも尋ねると、シルヴィオは顔を赤くしたまま私に言った。
「なんでもない! お、お前を見返すには、まだ足りないことが分かった! お、覚えてろよ。今度こそ、吠え面かかせてやるからな!!」
そうして来た時と同じく、別れの挨拶すらなく走っていってしまった。
「お帰りですかって……あー……もう行っちゃったか……」
まあいいか、と思い、私は再び椅子に座った。
冷えてしまったハーブティーを恨めしげに見つめていると、黙って控えてくれていたアメリアが、新しいカップを差し出してくる。
「どうぞ、お嬢様」
「ありがとう」
中には熱々のハーブティーが入っており、私は気が利くメイドの仕事に深く満足した。
再びカモミールティーを味わいながら、アメリアの顔を見る。
「結局、殿下は何をしに来られたのかしら?」
嵐のようにやってきて、嵐のように去っていってしまった。
意味が分からないと眉を寄せていると、アメリアもそうですねえとのんびり言う。
「私には、殿下がお嬢様に認めて欲しがっていらっしゃるように見えましたけど。だからまあ、よかったのではありませんか? 頭を撫でられていた殿下、とっても嬉しそうでしたもの」
「そう? それならいいんだけど」
無自覚でやってしまったことなので、嫌がられていなかったのなら何よりだ。
今日のお茶請けはレモン尽くしだ。レモンのクッキーや、ワッフル、スコーンやゼリーなどが置いてある。そのうちの一つであるクッキーを囓りながら、私はようやくあることに思い至った。
「婚約破棄するって、今回も言ってもらえなかったわ」
先ほどの流れなら、上手くすれば「誰がお前みたいな女と結婚するか。婚約なんか破棄してやる」と言ってもらえる可能性も十分にあったのに。
これは手痛い失敗をしてしまったものだ。
とはいえ、終わってしまったものを嘆いても意味はない。
とりあえず、今、虐げられていなくて、幸せに暮らせているのなら問題ないからだ。
シルヴィオとの接触は最低限で済んでいるし、彼と関わり合いが殆どない今の状態ならドアマットヒロインにはなりようがない。
「それなら、ま、いっか」
さっさと婚約破棄してもらいたいところではあるけれど、焦ってもしょうがない。
気持ちを切り替えた私は、シルヴィオが来たことなどすっかり忘れて、美味しいお茶を心ゆくまで楽しんだ。
この続きは「ドアマットヒロインにはなりません。王子の求愛お断り!」でお楽しみください♪