書籍詳細
モブに転生したら、断罪後の悪役令嬢の身代わりにされました
ISBNコード | 978-4-86669-315-6 |
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定価 | 1,320円(税込) |
発売日 | 2020/07/22 |
ジャンル | フェアリーキスピュア |
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内容紹介
立ち読み
「————グレース嬢。私が側にいるのに、ほかのことを考えているのですか? つれない方ですね」
耳元で、思いっきり色っぽい声で囁かれた。
この部屋にいるのは、ドロシーとディリックだけ。
ということは、今の声はディリックで、ドロシーはカッ! と頬を熱くする。
「————減点三十点。うぶな反応は、貴族令嬢として見れば好感度が高いが、公爵令嬢としては失格だ。そうそう容易く内面を悟らせるな」
先ほどの甘さはどこへやら。今度は冷静な声で、厳しいダメ出しがくる。
どうやら、突然エスコートを受ける練習に入ったらしい。
「…………申し訳ございません」
「————減点十点。迂闊に謝ると足下を見られるぞ」
ドロシーは、顔をうつむけないように顎を引き、必死で笑顔を保った。
(だって仕方ないでしょう! 私の礼儀作法は付け焼き刃だし、婚約破棄を撤回して、グレースさまが師匠に叩き直される間だけもてばいいものなんだから!)
だから、エスコートを受ける訓練は必要ないと思うのだが、まさかそう言うわけにもいかない。
つい先刻まで普通に話していたのに、急にエスコートの確認になってしまい、ドロシーは、あっぷあっぷしてしまう。
(私がぼんやり考え込んでいたせいなんでしょうけど……急すぎるでしょう!)
「————グレース嬢。もしかしたら、私はあなたの怒りに触れたのでしょうか? もう許していただけませんか?」
練習を続けるディリックが、彼女の前に跪き、熱い視線で見上げてきた。
その演技に、ドロシーはクラクラする。
(こ、こういうときは、どう答えればよかったのかしら? ああ、もうっ! 全然思い出せない!)
ドロシーは————泣きそうになった。大きな目に涙をため、白い頬を赤く染め、プルプルと震えながら、ディリックに縋りつくような視線を向ける。
「い、いじわるしないでください」
————ディリックは、黙り込んだ。
彼の整った美貌に赤みが差し、なぜか片手で口を押さえる。
「————百点満点」
「へっ?」
「ああ、違った。……減点三百点! その顔を、私以外の前では、絶対しないように!」
「え、えぇっ?」
なんだか、ものすごく理不尽なことを言われたような気がした。
それに、減点三百点はないだろう?
ムッとして口を尖らせれば、ディリックの視線が泳いだ。
「無自覚なのか? それでこれとは、恐ろしいな。……どうしてオスカーは、婚約破棄なんてできたんだ?」
言われた内容は————さっぱりわからない。
「————まあいい。それより今度は歩いてみよう。さあ、私の手に掴まって」
そう言って手を差し出されれば、それをとらない選択肢はドロシーにはない。
ディリックの手の上に、自分の手を乗せれば、キュッと握られ、引き寄せられる。
「もう少し、側に。————そうそう、そのくらいの位置だ。視線は私に向けて」
ディリックのアドバイス通りに体と目線を動かした。
きれいに整った横顔が視界に入ってくる。
「静かに微笑んで、手は私の腕に。そうしたら前を向き、歩調を合わせて歩くぞ」
指示の内容自体は難しくないのだが、笑いかける相手がディリックだということが問題だ。
(顔がきれいすぎる! 緊張しないで笑える自信がないわ!)
さすが美麗なイラストだけは、高評価だったゲームの登場人物。至近距離からのディリックの顔は、破壊力満点だ。
ドロシーの胸は、ドキドキと高鳴り、心臓が痛かった。
それでも、必死に笑みを浮かべて、ディリックを見上げる。
(次は、歩くのよね?)
そう言われたはずなのに、肝心のディリックが動かない。
「……ディリックさま?」
「どうしよう? 減点か? 貴族令嬢としては、余裕が感じられない笑顔はダメなのだが……しかし、健気に縋ってくる姿には、庇護欲が半端なくかき立てられて————」
どうやら彼は、ドロシーの笑顔への評価を迷っているようだ。
(迷うくらいなら、減点しないでくれればいいのに。————それに、庇護欲って、私そんなに頼りない?)
このままではいけないと思ったドロシーは、ギュッとディリックの腕を掴む手に力を入れる。頑張ろうと思いながら、ディリックの目をジッと見た。
「ディリックさま。参りましょう?」
「あ、ああ。そうだな」
ようやくディリックは歩き出す。
二人は、しばらくそのまま応接室の中を歩いた。
あらかじめ机や椅子を最小限にしていた部屋の中は、二人で歩いても支障なく、曲がったり立ち止まったりというディリックの動きに、ドロシーは必死についていく。
(背中を伸ばして、視線は前に。お腹にちょっと力を入れて、歩幅は心持ち大きめに————だったわよね?)
教えてもらったマナーを思い出しながら、時折ディリックを見上げて微笑みを浮かべた。
そうすることが重要だと、マナーを教えてくれた公爵家の講師は言っていたのだ。
学園生のいない管理棟は、思いのほか静かで、聞こえるのはひとつに重なった二人の足音のみ。
それは、まるで、世界にたった二人だけになったよう。
手のひらで感じるディリックの腕は、力強く温かかった。
気づけば、先ほどまでの気負いが、いつの間にかきれいになくなっている。
(————ああ。私、こうしていることが好きかも)
特に会話をするでもなく、黙って並んで歩くこの時間。
なのに、どうしてだろう? 何もないこの時間が、とても大切に思える。
しばらく歩いて————やがてディリックは立ち止まった。
自然にドロシーも止まり、二人は静かに見つめ合う。
トクトクトクと、鼓動が大きくなって————。
「————ディリック! いるかい? 緊急事態だ!」
突如大きな声が聞こえてきた。声の主は、生徒会副会長のマイケルだ。
ディリックは、「チッ」と忌々しそうに舌打ちした。
「マイケル! ここだ」
ドロシーの横を通って、応接室のドアへと向かう。
バタバタとマイケルの走り寄ってくる足音が響いた。
「ああ、よかった。すまない。ラマフ男爵令嬢が生徒会室に突撃してきて『サンシュユ公爵令嬢から嫌がらせを受けているからなんとかしてほしい』と、騒いでいるんだよ」
「————は?」
「————え?」
奇しくもドロシーとディリックの疑問の声が重なる。
「彼女が言うには『最近、女子学生に無視されて、まともに話してもらえない。サンシュユ公爵令嬢が、陰でみんなに強制しているに違いない』————のだそうだよ。オスカーが宥めているんだけど、まったく聞こうとしないんだ。王太子殿下ならきっとわかってくださるはずだからって、君に会わせろの一点張りなんだ」
いったい彼女は何がしたいのだろう?
既にグレースは、オスカーに婚約破棄されている。そんな彼女が扇動したからといって、女子学生が言うことを聞いてくれるはずがないのに。
(無視されているのは、自業自得でしょう? 他人のせいにしないでほしいわ!)
ムッとしていれば、ヒョイッと応接室内を覗いたマイケルと目が合った。
「それにしてもディリック、こんなところでいったい何を? …………え? 月の姫! ……あ、そうか。例の作戦ですね」
月の姫呼びはやめてほしいと思う。
よほど驚いたのだろう。マイケルは、ドロシーの前でディリックを呼び捨てにしたことにも気がついていなかった。
(婚約破棄作戦のこと、マイケルさまも知っていらしたのね)
そう思いながら、ドロシーは彼に対して礼をする。
マイケルは、申し訳なさそうに笑った。
「ごめんね、邪魔をして。……でも、驚いた。生徒会室じゃないせいかな? サンシュユ公爵令嬢は雰囲気が違って見える。すごくきれいだし、なんていうか……艶やかだ。……ひょっとして、ディリックと一緒にいるせいなのかな?」
そんな風に言われて、ドロシーは焦ってしまう。頬が熱くなり、慌てて顔を伏せた。
「うわっ! 可愛い!」
思わずといった風に、マイケルが叫ぶ。
ディリックは、再び忌々しそうに大きく舌打ちした。
「仕方ない。行くぞ。————グレース、続きはまた明日に」
整った顔を凶悪に歪めたディリックが、驚いて惚けているマイケルを引っ張って応接室を出て行く。
(……続きがあるのね)
ドロシーは、ガックリと肩を落とした。
これ以上ここにいても仕方ないため、自分も帰ることにする。
鍵をかけ、事務室に戻してから、管理棟を後にした。
途中で担任の教師に出会い、しばらく立ち話をする。内容は、やはりというかシャルロットのことで、さすがに彼女の言動が目に余ってきた教師陣は、今後なんらかの対処を考えていると教えてくれた。シャルロットの被害を一番受けているグレースに、もう少し辛抱してほしいと頼んできたのだ。
(それは嬉しいけれど、話が長すぎよね)
最後は担任の愚痴をたっぷり聞かされて、遅くなってしまったドロシーは、寮への道を急ぐ。
周囲は薄暗く、魔法外灯がポツリポツリと道を照らしていた。
毎朝オスカーと出会う林の中の遊歩道を小走りに移動していれば、前方から聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「まったく! もう、なんでうまくいかないの? ディリックが全然堕ちないじゃない!」
咄嗟にドロシーは、大きな木の陰に隠れてしまった。
声がしたのは遊歩道脇の空き地で、ドロシーの立つ場所からは五メートルくらい先だ。
そっと覗いてみれば、思った通り、そこにはシャルロットが立っていた。薄闇の中でも目立つストロベリーブロンドの少女は、カチカチと右手親指の爪を噛んでいる。
「頑張って三年間で攻略するオスカーを一年で堕として、ようやく隠しキャラのディリックルートに入れたと思ったのに————シナリオとまったく違うことばかり起こるんだもの! 冗談じゃないわ! ……今日だって、あれほどディリックを呼んでって言ったのに、きたのは学園長で、いっぱい叱られちゃったし!」
ドロシーと別れたディリックは、生徒会室には行かずに学園長を引っ張り出したようだ。
さすがのシャルロットも学園長に注意されては、引っ込まざるをえなかったのだろう。
よほど鬱憤がたまっているのか、シャルロットはその場で地団駄まで踏んでいた。
(こ、怖い————っていうか、やっぱり彼女も転生者なのね)
今のセリフはそうとしか思えない。
そして同時に、ディリックが隠しキャラだということも判明した。
(…………やっぱり)
あれほど美形なディリックだ。モブな方がおかしいだろう。
どうやら、ディリックルートの発生条件は、オスカーを一年で攻略することらしかった。彼が今年度で卒業することを考えれば、ディリックの攻略期間は彼の卒業式までなのだろう。
(それで、シャルロットさんは急いでいるのね)
最近のなりふりかまわない行動も、そう考えれば説明がつく。
前世のシャルロットは、ドロシーよりも、よほどこのゲームをやり込んでいたようだ。
(私は、隠しキャラなんて知らなかったもの)
だいたい三年間の攻略イベントを一年でクリアするなんて普通は考えない。例えば文化祭イベントだって、各学年でそれぞれ違った三種類のイベントがあったはずなのだ。
(きっと、特定の誰かに話しかけたり、困っている人を手伝ったりすることが発生条件になっている隠しイベントがあったのね。それをクリアすることでまだ起こらないはずの二年や三年のイベントを強制発生させることができたのかもしれない。わからなかったのは、ヌルゲーだって決めつけてやり込まなかった私のせい?)
そういえば、攻略サイトも何も、ドロシーはまったく見なかった。それほど興味がなかったのだから仕方ない。
少し反省するドロシーの視線の先で、シャルロットは恨み言を呟き続けている。
「生徒会に入るのも、ディリックと一緒にお菓子を作るのも、買い物もダンスの練習も、みんな私がするはずだったのに————」
いやいや、いったいどういう流れになれば、シャルロットとディリックが一緒にそんなことをすることになるのだろう?
(グレースさまが、婚約破棄撤回作戦の協力を断って、ディリックさまがお一人でなんとかしようと、シャルロットさんに近づくのかしら?)
たとえそうなったとしても、ディリックがあのシャルロットとそんな風になるとは思えないのだが————。
(……そういえば、王妃さまも転生者だったわ。だったらディリックさまも、ゲームのディリックさまとは違うのかもしれないわよね?)
転生者のシャルロットと、転生者の母に育てられたディリックと、転生者のモブが入れ替わったグレースが織り成すストーリーが、原作と同じはずがない!
「————本当ならいるはずのディリックの婚約者はいないし……それにやっぱり、どう考えてもおかしいのはグレースだわ。ゲームでは、オスカーを諦めきれないグレースが、まだまだ私をいじめるはずなのに、ちっとも悪役らしいことをしてこないんだもの!」
イジメなんてするのは、断じてごめんである!
だいたい、シャルロットだってゲームのヒロインとは、全然性格が違うではないか!
ゲームの中のシャルロットは、もっと健気で優しくて、天真爛漫な明るさの中にも相手への思いやりが溢れていた。傲慢だったり高飛車だったりしないし、間違っても他人の迷惑になるような行為なんてしない!
(自分のことは棚に上げて、私のせいにするのはおかしいでしょう! それに、ディリックさまの婚約者がいないのは、私じゃなくて、たぶん王妃さまのせいよ!)
今すぐ飛び出してそう言ってやりたいが、まさかそんなわけにもいかなかった。
悶々として見ていれば、すべてをグレースのせいにしたシャルロットが、グッ! と両手を握りしめる。
「ディリックは、私のモノなのに! グレースなんて、大人しくオスカーの後でも追っていればいいのよ! ……それなのに、ヒロインである私の邪魔をするなんて! 今に見ていなさい。絶対懲らしめてやるんだから!」
ゲームの中では優しく穏やかだった茶色い瞳が、ギラギラと物騒に光る。
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