書籍詳細
悪魔な兄が過保護で困ってます
ISBNコード | 978-4-86669-302-6 |
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定価 | 1,320円(税込) |
発売日 | 2020/08/27 |
ジャンル | フェアリーキスピュア |
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電子配信書店
内容紹介
立ち読み
とっぷりと暮れた暗い空を前にして、ユフィは煌びやかなドレスの裾を翻した。
今日着せてもらったのは、明るい色を好むユフィがあまり手を出さない、濃い藍色のドレスだ。
しかも、マーメイドラインと呼ばれる脚に沿った細身のデザインであり、かなり大人っぽいドレスである。いつもは下ろしたままの髪も、今日は後れ毛を少しだけ作って、あとは結い上げてもらった。
「はあ……お嬢様きれいです。こういうドレスも似合いますね!」
「ありがとう、モリー」
支度をしてくれたモリーが、嬉しそうにため息をこぼす。きっと彼女のほうがこういうドレスは似合うだろうが、何事も挑戦が大事だ。
それに、思ったよりも悪くはない。
「やっぱり、普段と違うところへ行くなら、ドレスの雰囲気も変えてみないとね!」
できる侍女に笑いかけたユフィは、ピッと一通の封筒をとり出す。それは招待状ではなく、無作為に届く情報チラシのようなものだ。
——書かれている内容は、公共ホールを使用した招待状不要の夜会の案内である。
(ちゃんとお招きいただくものじゃないと駄目だって、兄さんから止められてたのよね)
だが、邪魔をするネイトは、今夜はいない。予想通り今日から忙しくなった彼から、帰りが遅くなると連絡が来ていたのだ。
それに、ユフィだって何にでも参加するほど馬鹿ではない。
今夜の主催はちゃんとした貴族が三家ほど連名しており、会場も国が認める公共ホールだ。
注意事項も厳密に決められていて、下手な招待夜会よりもちゃんとしているぐらいである。
「たまにあるんですよ。こういう、新しい出会いを支援するための会が。ほら、新興の貴族の方なんかは、招待状を手に入れるのすら一苦労でしょうし」
「なるほど、色んな苦労があるのね」
そう考えれば、普通に招待してもらえるユフィなどはずいぶん楽だ。
ともあれ、新しい出会いと謳ってくれる場を逃す手はない。これから向かう夜会は招待状も不要だが、なんと同伴者や保護者も不要なのだ。
「パートナーがいない女性でも、普通に入れる夜会……なんて良心的なのかしら!」
「良心的かどうかはわかりませんが、お急ぎくださいませお嬢様。ぽやぽやしていたら、ネイト様が帰ってきてしまいますよ?」
「そ、そうね! 行ってくるわモリー。私の素敵な出会いを探しに!」
かくして、喜び勇んでやってきたのは、富裕層が住む区画の奥にある公共ホールだ。
さすがに管弦楽団を招いたり、目が眩むような装飾は施されていないが、入口には大きな飾り布が張られて、それっぽい雰囲気を作っている。
年齢などの簡単な確認と説明を受けて足を踏み入れれば、そこにはいつもの夜会とはまた違う、熱気のある光景が広がっていた。
(思っていたよりも人が多いわ……!)
ダンス用のスペースを作っていない分、会場全体が歓談に使われているようだ。等間隔に並んだ立食テーブルにはどこにも人がついていて、給仕役の数もずいぶん多い。
それに、集まっている人々もいつもの貴族たちとは違う。
何人か見知った顔も紛れてはいるものの、ほとんどが知らない顔であり、また誰もが貪欲に?がりを求めているように見える。
装いから見ても、きっと貴族よりも成功している商人や実業家などが多そうだ。
「す、すごい……」
初めて見る光景に、ますます心が躍ってしまう。
ここなら、ユフィが誰なのかを知らない者のほうが多いだろう。より正確には、誰の妹なのかを知らない者が。
素敵な出会いの可能性もグッと高くなるはずだ。
「人が多すぎて目移りしてしまうわ。商談っぽいところにお邪魔してはいけないものね。どなたか、詳しい方はいないかしら……」
ついキョロキョロと周囲を見回してしまい……そんなユフィが珍しかったのだろうか。
「——こんばんは、可憐なお嬢さん」
「……っ!!」
早速背後から呼びかけられて、ユフィの心が喜びに染まっていく。……どこかで聞いたことがある声のような気もしたが、恐らく気のせいだろう。
(でも、可憐なお嬢さんって私のことよね!)
お世辞でも嬉しくなって、うきうきしながら背後を振り返る。
——しかし直後、心臓までもが完全に止められてしまった。
「お待たせ、ユフィ。一人で夜会に行ったら駄目だって言っただろう?」
「いやああああ!! 兄さんなんでいるのっ!?」
さらりと揺れた黒い髪と、褐色の肌に浮かぶ艶めいた微笑みに……乙女の悲鳴が木霊する。
忙しいから帰りが遅くなるとわざわざ連絡を寄越したネイトが、何故この会場にいるのか。
驚きのあまり、思わず声を上げてしまったが——次の瞬間には、ユフィはぐっと足に力を込めた。
(嫌よ、今夜は邪魔されてたまるものですか!)
絶望を感じつつも、大急ぎで踵を返して前へ走り出す。
今夜の会場はいつもと違い、人がごった返しているのだ。ネイトのような目立つ容貌ならまだしも、ユフィのように小柄な女性が紛れてしまえば、見つからない可能性もゼロではない。
「だから、駄目だと言っているだろう? 危ないじゃないか、ユフィ」
「うぐっ!?」
……もっとも、そもそもの逃走が上手くいかなければ話にならない。
腰に回されたたくましい腕に捕らえられて、足を動かしても空を切るばかりだ。
「いやあっ! 新しい出会いが……素敵な殿方が……」
「はいはい。……ああ、騒がせてすまなかったな。連れは引きとるから、楽しんでくれ」
少女を腕に抱えた珍妙なポーズであっても、美形の笑みには力がある。ましてや、有名すぎる最強騎士の笑みが人々に効かないわけがない。
誰もがネイトとユフィの正体に気づき、なんとなく距離をとっていく。女性の参加者は食い入るような視線をぶつけてきたが、声をかけてくる者は残念ながらいないらしい。
「さ、少し話そうか、ユフィ」
「私のことは放っておいて兄さん! ちゃんと仕事してきてよ!」
「仕事が終わったから俺はここにいるんだよ。ほら、いい子だからおいで」
胴体を?まれていては逃げる余地もなく、ユフィの体はずるずると会場から連れ出されてしまう。向かった先は、同じ施設内の中庭の一角だ。
貴族の夜会だと庭には出られなかったり、あるいはよろしくない意味で使われることもあるのだが、ここでは普通に開放されているらしい。
ただやはり、会場内よりはだいぶ人気も少なく、?を撫でる夜風が心地よい。
「まったく、招待されたもの以外は駄目だと言ったのに。どうしてここにいるんだ、ユフィ?」
庭の隅に設えられたベンチにハンカチを敷きながら、ネイトがゆっくりとした口調で問いかけてくる。いつもより声が低いので、怒っているのかもしれない。
「……今夜は、兄さんがいないから」
ハンカチの上に強制的に座らされたユフィは、そのまま顔を俯かせてしまう。
実際のところ、こういう場に参加するのは『悪いこと』ではない。はしたないと思う者も多少はいるらしいが、大抵は考え方の古いご老人だけだ。年頃の者たちの間では、率先してこういう場に参加し、縁を作るほうが良いとさえ思われている。
それに、ユフィが好む恋愛小説でも、こうした普通とは違う夜会こそが、出会いの場としてよく描かれている。そこから始まる素敵な恋に憧れるのは普通だろう。
なのに、ネイトに怒られると、ついユフィが悪いかのように感じてしまう。
「父上は家にいただろう? 俺がいない時は、パートナーをお願いしてあったはずだ。そもそも、ユフィ命のあの方が、お前を一人で行かせるとも思えないんだが」
「お父様もすごく忙しそうだったから、モリーたちに協力してもらって、こっそり……」
「行き先を言わずに来たのか!?」
ユフィが渋々今夜のことを話すと、ネイトが勢いよく詰め寄ってきた。魔物と戦った時よりも、よほど焦った表情で。
「ちゃんと皆には伝えたし、お父様に手紙も残してきたわよ! 行き先も帰る時間も書いたわ」
「そういう問題じゃない! お前は本当にもう……」
はああ、と、ひときわ大きなため息をつくと、ネイトは荒っぽい仕草で隣に座った。
途端に大きく揺れたベンチにビクッとしてしまったが、ネイトはそれ以上は何も言ってくることもなく、やや苛立たしげに前髪をかき上げている。
(うっ。こんな仕草すら色っぽいなんて、ずるい……)
ちらっと覗き見た姿に、思わずときめいてしまった。お説教の最中すらもこう思わせるなんて、どれだけ罪作りな男なのだろう。
「…………」
周囲の話し声をぼんやりと聞きながら、ユフィはネイトが口を開くのを待つ。
説教なんて待ちたいものでもないが、ユフィからは話しかけにくいので待つしかないのだ。
(兄さん……)
何分か。ひょっとしたら、何十秒かだったかもしれない。
「やっぱり、檻を買うべきか……いや、手錠で俺に?いでおけばいいのか?」
「はっ!?」
ぼそりと聞こえた耳を疑うような単語に、ユフィはがばっと頭を跳ね起こした。檻も手錠も、日常会話で出てくるようなものではない。
「え? 待って兄さん……な、なんて?」
「さすがに冗談だ。できるならそうしたいが、俺も仕事があるからな」
——それはもう、過保護を通り越して犯罪では?
とつっこみたかったのだが、ユフィの口から出たのは乾いた笑いだけだった。……ネイトの目が笑っていないので、もしかしたらもしかするのだろうか。
騎士という高潔な職についているのだから、監禁は冗談でも考えないでもらいたい。
「まあ、それぐらいユフィのことが心配でたまらないということだ。わかってくれるな?」
「わかりたくないんだけど……檻も手錠も嫌だから、ごめんなさい」
「よろしい。これからは、ちゃんとパートナーを連れて動くように。一人参加は確かに罪ではないが、可愛い女の子が夜に一人で動くことの危険性ぐらいはわかるよな?」
「それはそうだけど……」
諭すようにネイトが語る内容は正論ではあるが、夜に一人で出歩くのと、馬車送迎で夜会に参加するのでは、全く意味が違うはずだ。……ましてや。
(一人で動かざるをえない状況を作っているのは、あなたなんだけどね!)
ネイトがごく普通の『血縁者パートナーの距離感』を守ってくれさえすれば、必要のない苦労なのだ。いつもの夜会で出会いがあるなら、ユフィだって無茶はしない。
婚活を邪魔する張本人にお説教をされるなんて、なんとも皮肉なものである。
だが、それをネイトに言ったところで聞いてもらえないのはわかりきっているし、このお説教も終わらない。
「はあ……」
ユフィが渋々……本当に渋々頷けば、ようやくネイトは顔を笑みへと変えた。この兄、本っ当に面倒くさい。
「なんで私、この人と十年も兄妹関係を築いてこられたのかしら……」
「何か言ったか? 俺の世界一可愛い妹さん」
「ナンデモゴザイマセンワヨ。というか、兄さんは本当にお仕事大丈夫なの? ジュディス様の護衛につくんでしょう?」
気をとり直して……というよりは話題を変えたくてユフィが訊ねると、ネイトは目を瞬いた後に、ふわりと微笑んだ。
「そちらは問題ないぞ。彼女の護衛は、あくまで騎士団の仕事だ。他の団員たちも請け負っているし、本人もあまり出歩かないように自衛しているからな。俺が護衛につく機会は、そんなに多くないはずだ」
「そうなのね。ちょっと意外」
てっきり、ネイトが主軸となって護衛部隊を編成しているのかと思ったが、違ったらしい。
侯爵も、ネイトが味方につくことを喜んでいたのに、いいのだろうか。
「仕事はあくまで仕事だ。全うするのは当然だが、それでユフィをないがしろにするつもりはない。ユフィのための時間が削られるのなら、騎士でいる意味もないしな」
「いえ、私のことはむしろないがしろにして欲しい」
「はは、俺に気を遣う必要はないぞ。寂しい思いをさせてごめんな、ユフィ」
「してないから。喜んでるぐらいだから仕事して兄さん」
否定を返しているのに、ネイトはますます笑みを深めてユフィの頭を撫でてくる。今夜はきれいに結ってもらっているのに、ぐしゃぐしゃになってしまいそうだ。
「兄思いの妹で嬉しいな。だが、俺にとって何よりも大切なものはユフィとの時間だ。だから、今まで通り兄さんと一緒にいような」
(腹が立つほどポジティブ……)
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