書籍詳細
悲恋に憧れる悪役令嬢は、婚約破棄を待っている
ISBNコード | 978-4-86669-372-9 |
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定価 | 1,320円(税込) |
発売日 | 2021/02/26 |
ジャンル | フェアリーキスピュア |
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内容紹介
立ち読み
アルスマールの言葉を受けて、ユリアンナは話しだした。
「私たちは、私たちの演奏を一番に望んでくださったマルファ男爵令嬢さんと一緒に演奏したいと思います」
そう言いながらユリアンナは、まだ客席で立ったままのクラーラを手で指し示す。
聞いていた学生たちは驚きと戸惑いの声を上げた。
クラーラも驚いて体を震わせると、プルプルと首を横に振る。
「と、とんでもありません! お二人の素晴らしい演奏に私がご一緒するなんて! それに、私は楽器を何も弾けなくて————」
貴族であればできて当然の楽器の演奏ができないというのは、貴族でないと言ったも同然だ。
顔をうつむけるクラーラに、ユリアンナは声をかけた。
「楽器など弾けなくとも、歌を歌えばいいでしょう?」
「歌?」
「ええ。あなたはとても美しい声をしていらっしゃいますもの。きっと歌声も素晴らしいはずですわ」
ニッコリと微笑みかけながら、ユリアンナは心の中でガッツポーズする。
(今の言い方ちょっと上から目線だったわよね? 私、ものすごく高慢に見えるんじゃないかしら? 嫌がる令嬢に急に舞台に上がれとか、楽器が弾けないなら歌えとか……すごく悪役令嬢っぽいわ!)
この際だからもっと高飛車令嬢に見えるようにと、壇上で背筋をピンと伸ばした。
「こちらにいらっしゃい、マルファ男爵令嬢さん。私はあなたの歌が聴きたいわ!」
(…………決まった!)
そうユリアンナは思った。
まさに完璧な悪役令嬢だ!
予想外の展開に周囲が戸惑う中、クラーラは躊躇いながらも舞台に上がってきた。
可哀相なくらい顔色が悪くなっていて緊張しているのが丸わかりだ。
(少しいじめすぎたかしら? 体が強ばって声がでなかったりしたらまずいわよね? 彼女には、ここで最高の歌声を披露して、みんなを魅了してもらわないといけないんだもの)
そう思ったユリアンナはクラーラの緊張をほぐしてやることにする。
「大丈夫、あなたならできますわ。歌うのは聖歌です。教会でいつも歌っていたでしょう?」
小さな声で話しかけた。
「え?」
「私も殿下と一緒に精一杯伴奏しますわ。必ず成功させましょうね?」
青い目をいっぱいに見開いてクラーラはユリアンナを見つめてくる。
そんな彼女の手を引いて舞台中央に立たせると、ユリアンナは伴奏するためにピアノの方に向かおうとした。————しかし、なぜかそれを阻まれてしまう。
意外と力強いクラーラの手が、ユリアンナの手をガッチリ握って離さなかったのだ。
「マルファ男爵令嬢さん?」
「……い、一緒に歌ってください!」
(えぇぇっ〜?)
ユリアンナはビックリして固まった。
「わ、私一人では怖いです! セイン公爵令嬢さまもどうかご一緒に歌ってください!」
いや、それではクラーラが立派に独唱してみんなの心を掴む! という目的が達成できない。
「それはちょっと————」
「お願いします!」
クラーラは必死だった。
「ああ、それはステキだね。私も久しぶりにユリの歌声が聴きたいな」
クラーラの様子を見かねたのか、なんとアルスマールまでそんなことを言いだす。
「ア、アルさま?」
(こんなときにヒロインの味方をしなくても! やっぱり攻略対象者だからなの?)
ユリアンナの恨めしそうな目つきを、アルスマールはサラリとスルーした。
「伴奏は私にすべて任せて。二人で歌うといいよ」
少し後ろに下がって、伴奏の準備をはじめたアルスマールが、ヴァイオリンの弓を持ち上げる。
(ああ、もうこうなったら歌うしかないわ!)
覚悟を決めたユリアンナは、クラーラの手をギュッと握り返した。
「頑張りましょう。あなたなら大丈夫よ」
(大丈夫じゃないのは私の方よね? できるだけ目立たないように歌いましょう)
ユリアンナが笑って頷いたのを合図に、アルスマールがヴァイオリンを弾きはじめる。
清らかな聖歌のメロディーが会場内に響きわたった。
最初の一節は、ユリアンナがリードする。それは、緊張しているクラーラには無理だろうという判断で、予想どおり声の震えたクラーラをカバーして美しく歌い上げる。
(クラーラさん、頑張って!)
声に思いを乗せて歌っていけば、やがて隣からしっかりとした声が聴こえだした。
透明感のある伸びやかな少女の声が、聖なる歌詞を紡いでいく。
(さすがヒロインだわ。惚れ惚れするような美声よね。感情表現も深いし心が震えるわ)
安心したユリアンナは対旋律を歌いはじめた。
クラーラは驚いたようだったが、それでもしっかりメロディーを保ってくれる。
(うんうん。オーケーよ。この調子で私は目立たず歌い終わるわ!)
————会場は、シンと静まりかえっていた。
二人の少女の歌声に、深いヴァイオリンの音が絡まり高く低く響いていく。
数百人はいる観客の誰もが身じろぎもせず、一心に聖歌に聴き入っていた。
心に染み入る音の美しさに圧倒されているのだ。
————やがて、最後の和音が響いて、静かに消えた。
息も止まるほどの静寂。
それが、一瞬の後に感動の嵐となって爆発した!
割れんばかりの拍手と、自分の思いを伝えんとする歓声が会場いっぱいに満ちる。
その中でユリアンナは静かに頭を下げた。
深い感謝を表しながら威厳を損なわぬその姿は、気高く美しい。
しかし、そんな彼女の内心は————、
(やったわ! 大成功よ。これでクラーラさんの素晴らしさがみんなに伝わるわ! 一方、私はわがままを通した高慢令嬢。一緒に歌ったとはいえ主旋律じゃないし、評判が下がるに決まっているもの! 憧れの悲恋に、ようやく一歩近づけたってところかしら?)
ウハウハだった。
ゆるみそうになる表情を一生懸命引き締めていれば、グイッ! と隣から手を引かれる。
「ユリアンナさま!」
感極まったように彼女の手を握りしめてきたのはクラーラだった。
「私、こんなに感動的に聖歌を歌ったのは、はじめてです! ユリアンナさまのお隣にいるだけで、心がスッと落ち着いて、敬虔な気持ちになって……しかも一番近くでお声が聴けるなんて! ああ、もう私死んでもかまいません!」
それはやめてほしかった。いくらなんでもオーバーだろう。
思いもかけない熱情を向けられて、ユリアンナは戸惑った。
「え、えっと、マルファ男爵令嬢さん?」
(彼女って、こんな性格だったの?)
「どうぞ、クラーラとお呼びください!」
そういえば、先ほどクラーラは勝手にユリアンナを名前で呼んでいた。よほど興奮状態にあるのかもしれない。
(後で我に返って、ショックを受けないといいけれど)
男爵令嬢の彼女が公爵令嬢のユリアンナを許可なく名前呼びするなどマナー違反もいいとこだ。ユリアンナに咎めるつもりはないけれど、クラーラ自身がそれをよしとするかどうかは微妙だった。
「で、では、クラーラさん」
なので、さっさと名前呼びを受け入れて話しかける。
「クラーラさんは今のことを不満に思ったりはしていませんの?」
無理やり舞台に立たされ歌わされたことへの文句はないのだろうか?
「そんなことありません! 今、私はこれまでの人生で最高に幸せなんです! いったいどうして不満に思ったりするでしょう?」
「でも、勝手に舞台に上げられて勝手に歌わせられたのですよ? 少しは怒ったりしませんの?」
「怒るなんてとんでもない! むしろ憧れのユリアンナさまにご指名いただき一緒に歌えたなんて、感謝以外の何ものでもありません!」
————なんだかよくわからなかったが、クラーラはずいぶん喜んでいるようだ。
(しかも『憧れ』だなんて、いったいいつの間に憧れられていたのかしら? 入学式では強い視線で睨まれていたように感じたんだけど、ひょっとしてあれって憧れの視線だったの?)
なかなか理解できない状況だが、このクラーラの反応がいろいろまずいことだけはよくわかる。
(こんなにクラーラさんが喜んでいたら、私がいじめたなんて誰も思わないわよね?)
事実、周囲のユリアンナを見る目にはマイナスの感情が少しも見えなかった。
それどころか、誰も彼もがクラーラと同じようなうっとりとした目でユリアンナを見ている。
(なんで? どうしてこうなったの?)
おろおろするユリアンナの元に、アルスマールが近づいてきた。
「ああユリ、とてもステキな歌声だったよ。やはり君は私の天使だね」
「殿下だけではございませんわ! ユリアンナさまは私たちみんなの天使ですもの!」
いつの間にきていたのか、ジーナがそう叫んだ。
隣でクラーラがコクコクと頷いている。
鳴りやまぬ大歓声が会場いっぱいに響いていた。
その中には、アルスマールを讃える声とクラーラを褒める声、そしてユリアンナに感謝を伝える声が混じっている。
(……なんだか私の名前が一番多く叫ばれているような気がするんだけど? しかもどう聞いても目一杯賞賛しているわよね?)
「ユリアンナさま! なんてお優しい!」
「下位の者にも機会を与え、導いてくださるなんて!」
「しかも奥ゆかしくて!」
「高潔にして優美! ユリアンナさま最高です!」
耳に届く賞賛に、ユリアンナは顔色を悪くした。
(ホントに、どうしてこうなったの?)
心の悲鳴は誰にも届かなかった。
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