書籍詳細
断罪された伯爵令嬢の、華麗なる処刑ルート回避術
ISBNコード | 978-4-86669-398-9 |
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定価 | 1,320円(税込) |
発売日 | 2021/05/28 |
ジャンル | フェアリーキスピュア |
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内容紹介
立ち読み
ドラゴンがもう一度首をもたげる。次は逃げられない気がした。
(————ああ、嫌だな……)
スッと、頭が嫌に冷えていく。絶望に冷や水を浴びせられたような心地だ。
何だ。結局自分は死ぬ運命なのか。時間を逆行して助かったのは、ここで死ぬためだったのか?
「嫌だなぁ……」
こんなところで死ぬなんて。石畳に爪を立て、拳を握る。
せっかく助かった命だったのに。せっかく処刑ルートを回避しようと努力してきたのに。
ミラの目の前で、もう一度ドラゴンが大口を開ける。今度は喉の奥で炎が、丸い渦を描いているのが見えた。
ああ、燃やされて死ぬのか。首をはねられるのとどちらが痛いのだろうかと思いながら、ミラは少女を突き飛ばす。
「逃げて。這ってでもいいから! 門まで行きなさい!」
ミラは自分が囮になろうとする。少女は瞳からボロボロと涙を零して首を横に振ったが、ミラがもう一度叱ると、言いつけを守って足を引きずり門へ向かった。
(死にたくないな。今度はフレイシス殿下じゃなくて、ドラゴンが私に死をもたらすんだ)
煤で黒くなったミラの頬に、涙が伝う。死の瀬戸際で、フレイシスの笑顔が浮かんだ。
彼は自身の死を、今度は悲しんでくれるだろうか。タイムスリップ前と違って、悲しんでくれたなら嬉しい。
(何で悲しんでくれたら、嬉しいと思うんだろう)
それはきっと、タイムスリップしてから一年間、フレイシスの優しさに沢山触れて救われたから。癒されたから。彼と接するのは怖かったしいつも緊張していたけれど、フレイシスは一切ミラを傷つけたりしなかったから。ありのままのミラを肯定してくれて、変わるきっかけをくれたからだ。
(もう少し一緒にいたかったな、殿下と)
ミラは目を閉じる。熱気で喉が焼けそうだった。
やっぱり死にたくない。こんなことなら、どんな答えでも、フレイシスの告白に返事をすればよかった。乞われても中々口にできなかった名前を、ミラは最後に呟く。
「フレン様……」
「——————呼んだ?」
柔らかい声が、そっと耳たぶを撫でる。ミラは弾かれたように目を開けた。睫毛に引っかかっていた涙が一粒、石畳に落ちる。
「え……っ!?」
いつの間にか目の前にいくつもの白い魔法陣が浮かび、結界のようにドラゴンからミラを囲っていた。羅針盤のような魔法陣の模様には見覚えがある、これは————……。
「フレイシス殿下の……」
次の瞬間、一陣の風が吹いて周りの火が躍った。そうかと思うと、すごい勢いで火が捻じれて、ミラを囲む魔法陣に吸収されていく。
「殿下……!?」
王宮の敷地内から、翡翠門をくぐってフレイシスが姿を現す。彼がかざした手のひらからも魔法陣が浮きでて、町を襲っている業火はそこに吸いこまれていった。
「ミラ、無事か?」
「は、はい……」
(……嘘でしょ、助けに来てくれたの……?)
今の今まで考えていた相手が現れたことに、ミラは驚きを隠せなかった。まさか、フレイシスが来てくれるなんて。タイムスリップ前、私に死を言い渡したフレイシスが。
「ギャウウウウッ」
ドラゴンの悲鳴が上がり、ミラはハッと我に返る。ドラゴンの爪がミラを引っ掻こうとしたが、その爪はミラを守っている魔法陣に触れるなり吸いとられた。
(魔法だ……! 殿下の吸収魔法……!)
「俺の想い人は、本当に無茶をする」
困ったような声で、フレイシスが言った。
ブーツで石畳を踏みしめながら、フレイシスは凜とした面持ちでミラとドラゴンに向かい一歩ずつ近寄ってくる。圧倒的な風格だ。普段の優しげな面差しはなりを潜め、跪きたいような威圧感がフレイシスから漂っている。
ミラの頬を濡らす涙を見咎めた瞬間、フレイシスの纏う雰囲気が鋭くなった。
「ドラゴン風情が、俺の大切な子に手を出した罪は重いよ」
靴音を響かせてミラの隣に立ったフレイシスは、シトリンの目を細めながら言った。
『食い尽くせ』
フレイシスが古代ティタニア語で、慈悲もなく告げる。怒ったドラゴンは両翼を広げ、フレイシスとミラめがけて火炎を吐きだした。
「ひ……っ」
ミラは両腕で顔を庇う。が、いつまで経っても痛みは来なかった。フレイシスの手から盾のように発せられている魔法陣が、カッと一際明るい光を放ち、ドラゴンのすさまじい炎をすべて吸いこんでいた。
風圧でミラの髪がなびく。ドラゴンの攻撃が収まると、フレイシスは痛くも痒くもなさそうに言った。
『僕に還れ』
フレイシスがそう告げた瞬間、三階建ての建物並みに大きなドラゴンが、魔法陣を通してフレイシスの手に吸いこまれていく。
ドラゴンは呻き暴れまわったが、やがて消えた。影も形もない。ただ、ドラゴンが確かにここにいたことは、破壊された建物や燃えた家、積み重なった瓦礫の山が如実に示していた。
(これが……ティタニアの王太子、フレイシス殿下の実力……)
砲弾でも、兵士が束になってかかっても歯が立たなかったドラゴンを一瞬で制圧するなんて。
ミラは驚愕から動けなかった。
「殿下、ご無事ですか!?」
兵士が数人走り寄ってくる。フレイシスは短く頷くと、頭部から出血しているガウェインを顎で指した。
「ガウェインを頼む。それから怪我人を速やかに救出し王宮で手当てしろ。————ミラ」
兵士が瓦礫をどけて怪我人を探すのを眺めていたミラに、フレイシスが厳しい声で言った。
ミラがフレイシスの方を向くと、彼はミラの擦りきれた白衣や、打ちつけて出血した肩や膝、乱れて紐の解けた髪をつぶさに観察した。最後にミラの頬に痕を残した涙の筋を一瞥し、桃花眼を歪める。
「殿下……?」
そういえば、フレイシスと顔を合わすのは、告白されて以来だ。途端に気まずさが喉元までこみあげるミラだったが、フレイシスの痛ましそうな表情の方が今は気になった。
「あの、殿下。助けてくださってありがとうございました……! 殿下が来てくださったお陰で、皆助かりました————」
「全然助かってないだろ」
叩きつけるように言われ、ミラは血の滲んだ肩を跳ねさせた。フレイシスはミラの肩をそっと撫でる。ピリッした痛みが走って、ミラは片目を瞑った。
「……っい」
「何でこんな無茶をしたんだ。僕が来るのが遅れていたら死んでいた」
「あ、はい。ナイスタイミングでした。殿下が来てくれて本当に助か————」
「馬鹿が!!」
至近距離で怒鳴られ、ミラは虚を衝かれた。温厚なフレイシスから、「馬鹿」なんて子供じみたことを言われるとは思いもしなかったため戸惑う。
「か、科学者を馬鹿と仰いましたか……」
「馬鹿だ。ミラは大馬鹿だ!」
「えええ……」
そこまで罵倒されるとさすがに落ちこむ。凹むミラを、フレイシスはやや乱暴に抱きしめた。
「……襲われている君を見て、心臓が止まるかと思った」
「フレ……」
ミラはふと言葉を切った。気付いてしまったのだ、彼が震えていることに。
「君が死ぬのは、自分が死ぬことよりずっと怖い」
フレイシスはミラの形を確かめるように、抱きしめる腕の力を強めた。軋むような強さで抱きしめられて痛いはずなのに、何故かミラは、フレイシスから全身で乞われているような気がした。
「僕からの告白に戸惑ったっていい。愛を返してくれなくたっていい。でも」
「殿下……」
「僕より先に死なないでくれ」
タイムスリップ前に、私の死を願ったのは、望んだのは貴方なのに。背中を震わせて、私に生きてほしいと願うの?
「……生きてほしいと、願ってくれるんですか」
「ああ。ミラに生きていてほしいよ」
————ミラの胸の中で、歓喜の獣が吠えた気がした。
泣き崩れたいくらいに嬉しい。フレイシスが自分の死を望んでいないのが、どうしようもなく嬉しかった。
けれどそれは、処刑ルートが変わるかもしれないという期待とはまた違っていて。ミラを初めて理解し、受け入れてくれた相手が自分を必要としてくれていることが嬉しかった。
「騒ぎが聞こえたから翡翠門へ駆けつけたら、兵士が『ミラ様がドラゴンに向かっていった』と言うもんだから、心臓が凍ったよ。間に合ってよかった」
「え……じゃあ……」
(殿下は『皆』じゃなくて、『私』を助けに来てくれたんだ……)
その事実が、またミラの心を温かくする。空色の瞳に、乾いたはずの涙がまた滲んだ。
「もう無茶なことはしないでくれ」
「はい、殿下。すみませ……いえ、ありがとうございます」
ミラはおずおずとフレイシスの背中へ手を回す。何度かフレイシスに抱きしめられたことはあったが、彼の広い背へ腕を回したのは初めてだった。
(あったかい……)
フレイシスの胸に耳を寄せると、規則正しい心音が聞こえてくる。じわじわと、助かったのだと実感が湧いて気が緩んだ。
処刑場での一回目の死の危機は、自身で乗りきった。でも二回目は————……。
(この人が、助けてくれたんだ)
恐怖と、安心と、癒しと————そして切なさをくれる人が。
「濃硫酸でもダメだし、もう死んじゃうかと思った……」
「濃硫酸でドラゴンを退治しようとするのがミラらしいね。でも僕が君を死なせないよ」
「うう……っ。その言葉、もっと言ってください」
ミラはフレイシスの胸板に額をグリグリと擦りつけ、子供のようにねだる。
フレイシスの腕の中は今までなら落ちつかなかったのに、今はゆりかごに揺られているような安らぎを感じられた。
しばらくして、救護班がミラの元へやってくる。平気だと言い張る彼女を、フレイシスは医師に預けた。
フレイシスが背中を押してくるので、ミラは振り返って訴える。
「殿下、本当に平気ですよ。ちょっと打ちつけたり擦りむいただけで」
「ダメだよ、ほら」
フレイシスにたしなめられ、ミラは諦めて大人しく彼から離れた。用意された担架は断り、フレイシスに背を向けて翡翠門をくぐる。医務室はどこだったか、と思いながら前を歩く医師についていくところで、背後から、ドサッと何かが倒れる音がした。
「……え?」
つい、間抜けな声を上げてしまう。
王宮へ避難した住民たちから、金切り声が上がった。一寸前まで、フレイシスに謝辞を述べ、彼の勇姿を称賛していた人たちだ。その人たちが悲鳴を上げるのは何故か。
ミラは振り返る。そして、アーモンド形の瞳を零れ落ちそうなほど見開いた。
「————殿下……っ!!」
今の今までミラを力強く抱きしめ笑っていたフレイシスが、意識を失い倒れていた。
彼の口から零れた大量の血が、石畳を蛇のように這う。その血がこれまでよりもずっと鮮明な色をたたえているように見えて、ミラは細い悲鳴を上げた。
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