書籍詳細
円滑な爵位継承のための結婚のはずが、なぜだか溺愛されています
ISBNコード | 978-4-86669-421-4 |
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定価 | 1,320円(税込) |
発売日 | 2021/08/27 |
ジャンル | フェアリーキスピンク |
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電子配信書店
内容紹介
立ち読み
「ねえ、ユディル。彼がいるのに、どうしてあなた、結婚相手に悩んでいるの?」
「え……?」
オルドシュカが突然に爆弾を投げてきて、ユディルは文字通り固まった。
「ベランジェ伯爵から相談を受けたのよ。あなたが、ついに結婚に前向きになったのだって」
「ええっ!」
いや、別に前向きになってなどいない。お家の事情というやつだ。
おそらく父は、兄の駆け落ち云々には触れずに、ぼかした表現をしたのだろう。おかげでオルドシュカのやる気に火がついてしまった。
「それでね。相談の手紙を受け取ったの。将来有望な好青年に心当たりがあれば、是非ともユディルに紹介、いえ、縁を結んでやってほしいって。わたくし、がぜんやる気になったわ」
「お父様!?……いつの間にっ……」
いや、確かに伯爵家のスペアとして腹は括ったけれど、父がオルドシュカに泣きついたことまでは知らなかった。
なに勝手に人の主に話を通しているのか。こちらにだって面子というものがある。
それからものすごく嫌な予感がユディルを襲った。
この会話の流れで、隣にはエヴァイス。
(まさかとは思うけれど、オルドシュカ様……)
心臓がドクドクと脈打っていくのが自分でも分かった。
次の瞬間。上機嫌なオルドシュカの声が部屋に響き渡る。
「考えたらぴったりじゃない。あなたとリーヒベルク卿はお父様同士が従兄弟でもあるのでしょう。彼はまだ独身だし、将来はリーヒベルク公爵家を継ぐ身。まさにぴったり! 素敵な組み合わせじゃない」
「あなたたちはよく二人で仲良く話をしているでしょう。わたくしたち、常々お似合いだと思っていたのよ」
「リーヒベルク卿は今二十六歳なのだし、あなたと年の頃もちょうどいいじゃない」
「互いに気心が知れているというのも重要よね。あなたのことを気にしている殿方たちも、リーヒベルク卿に遠慮して、なかなか声を掛けることができなかったと聞いているのよ」
オルドシュカに続いて女官たちが今度も順番に口を開いた。
「まさか、そんな。大げさです」
ユディルは最後のリュシベニク夫人の台詞をやんわりと否定する。自分は今までモテたためしがない。
「まあ、ユディルったら自覚がないのね。あなたはわたくしの自慢の女官よ。いつも元気で、その場にいるだけで明るい雰囲気にしてくれる、素敵な女官」
「あ、りがとうございます」
柔和に目じりを細めるオルドシュカの、本心からの言葉を聞いて、ユディルは声が少しだけ裏返ってしまった。こんな風に改めて言われると、胸の奥から熱いものがこみあげてきてしまう。
オルドシュカは、じーんと浸っているユディルに、ずいと顔を近づける。
「だからこそ、わたくし、あなたをそのへんの中途半端な男には嫁がせたくないわ! その点、リーヒベルク卿になら、あなたを託しても安心だと思ったの」
(え、ちょっと待って。どうして、そういう流れになっちゃうの!?)
後に続いた台詞のせいで、潤んでしまった気持ちが瞬時にどこかへ行ってしまった。
「妃殿下に選んでいただけて身に余る光栄です」
エヴァイスはこの珍妙な空気に呑まれることもなく小さく頭を下げた。
こっちは突然に降って湧いた縁談(どうやら縁談らしい!)に、ちっともついていけないというのに。どうして彼はこうも落ち着いていられるのか。
少しは動揺をしてみたらいいのだ。可愛げのない男である。
「ユディルは異国から嫁いできたわたくしを支えてくれた、頼りになる大切な女官よ。わたくし、彼女の明るさと笑顔に、これまで何度も励まされてきたの。彼女がいてくれたからこの宮殿で、わたくしこれまでやってこられた……それくらい大事な女官よ」
「妃殿下がベランジェ嬢を大切に思っていることはよく存じ上げております」
もともとオルドシュカはユディルに縁談を持ってきたくてうずうずしていたのだ。
そこにベランジェ伯爵の働きかけがあり、やる気が暴走してしまったらしい。
何かと話題のエヴァイスがやたらユディルに話しかけてくるから、オルドシュカたちも自分たちの続柄についてはしっかり把握している。
なのに、今まで散々、彼とは喧嘩をする関係ですと伝えたことはまるで響いていなかった。
「ベランジェ伯爵からは、ユディルにはすぐにでも結婚してほしいと言われているの。少し日程が詰まってしまっているけれど、わたくしたちが全力で手伝うわ。すでにルーヴェ大聖堂も押さえてあるのよ」
「えぇぇっ!」
ルーヴェ大聖堂は、その名の通りルーヴェ市内に立つ歴史ある重厚な建物だ。この大聖堂で結婚式を挙げるには、もろもろの申請やらで一年は必要だというのに、それがどうして近日中に使用可能だというのか。
「それだけ王太子妃殿下はあなたのことを気に掛けているのよ。もちろん、わたしたちも」
カシュナ夫人がユディルに優しい視線を向ける。娘の結婚にホッとする母のような顔である。
「ドレスはわたしに任せて頂戴な」
今度はリュシベニク夫人が微笑んだ。やはり妹の結婚を喜ぶ姉のような顔をしている。彼女は現在二十九歳。他の二人よりもユディルと年が近いのである。
ユディルはどう口を挟んでいいのか分からなくなった。
そっと隣を盗み見ると、エヴァイスは落ち着き払って女性たちの話に耳を傾けている。
こちらのことなどちらりとも見ない。自分ばかり動揺しているのが馬鹿みたいではないか。
(ああそう。こいつもオルドシュカ様に取り入ろうって魂胆ね! そうよね。オルドシュカ様直々に命令されたら断れないものね!)
なんだか腹の中に沸々と怒りが湧いてくる。結局この男も権力に目のくらんだ貴族の男というわけだ。
何しろ、オルドシュカは時の人だ。待望の王子を産んだことで宮殿内に居場所を作った。
こんな風に未来の国王の母である彼女に今から取り入ろうとする態度は、ダングベール子爵親子と変わらない。それはある意味貴族の正しい生存方法でもある。
実際彼女のお気に入りであるユディルにも、ダングベール子爵以外の遠縁からたくさんの手紙が届くようになった。どれも皆、お祝いの言葉と自分たちをよくよく王太子夫妻に売り込むよう書かれてあって、ユディルはそのほとんどを暖炉の火の着火剤として使用してやったくらいだ。
「とにかくですね。わたしは結婚を承諾したとはいっても、具体的に話を進めるのは来年あたりかと思っていたくらいで」
ユディルは慌てて話に割って入る。でないと明日にでも結婚契約書に署名をさせられかねない勢いだ。
「先ほども言ったように、ベランジェ伯爵はあなたたちにすぐにでも結婚してほしいそうよ。もちろん、リーヒベルク公爵も異存はないと言っているわ」
つまり、知らぬはユディルただ一人だったというわけか。ベランジェ伯爵はさすがはユディルの父である。爵位継承のための結婚をしろと迫っても、娘がのらりくらりと躱す可能性を考慮して、外堀から埋めようという魂胆なのだ。
(え、だって。エヴァイスとは会えば喧嘩しかしないじゃない。しかも、最初の縁談相手だったリーヒベルク公爵の息子……。まあ、あの話は無事破談になったのだし、その後公爵は他の方と再婚して特にわだかまりもなかったから……。え、だからって今度は息子なの?)
確かに結婚をしなければいけない事態になったことは理解していたし、仕方がないかと諦めもした。
別にユディルは独身主義者でもない。ただいろんなことが重なって機会を見失っていただけで。
だがまさか、こんな事態になるとは思ってもみなかった。
ユディルは改めて隣に座るエヴァイスに視線をやった。
彼はこちらの視線に気が付いて、ユディルの方へ顔を向け、笑顔を作った。その淡い笑みだけを見れば、確かに貴公子然としているし、女性たちが無駄に騒ぐのも分からないわけでもない。
(ま、まあ。確かにエヴァイスは顔だけはいいし。実家は公爵家だものね、後ろ盾もばっちりよ。少なくともダングベール子爵家を黙らせることはできる。何より生まれてくる子供は、彼に似れば美形になるのは間違いないわ)
口を開けば嫌味ばかりだけれど、この男、顔は秀逸なのだ。自分の赤毛を受け継がなければ、将来は金髪の可愛い子供が生まれてくる可能性がある。
そう、エヴァイスは顔だけはいいのだから。
エヴァイスとユディルは遠縁という関係だが、彼にはベランジェ伯爵家の血は流れておらず継承権はないため、円滑にユディルの子に爵位を渡すことができる。
彼の性格はあれだけれど、それだって生まれた子供をユディルがしっかりと躾ければよいだけの話。
なんなら子供を二人、三人産んだ後は別居をしてもいい。その方がエヴァイスのいじわるなところが子供にうつらなくて教育上よさそうだ。
それに、まったくの初対面の男よりもまだ、それなりに人となりを知っているエヴァイスの方がいいのかもしれない。
いじわるだが、ユディルが本気で嫌がることはしてこないし、従兄のルドルフとは違い、こちらを貶める発言もしない。
「ユディ、きみも年貢の納め時だよ」
小さな声はユディルの耳にしか届かなかった。人の首根っこを押さえつけるような発言に、つい応戦しそうになったユディルだが、気をそがれてしまった。
(な、何よ……。どうしてそんな顔、するのよ)
そっと隣を窺った時に、一瞬だけかち合った彼の顔は切なそうで、何かを求めるように瞳を細めていて。
こちらを茶化すでもないその顔つきに、ユディルは何も言えなくて。
そのまま黙り込んだ。
ユディルの沈黙を、縁談の承諾と受け取ったのだろうか。
「さあ。これで双方の顔合わせが済んだことになるわね。これから、忙しくなるわよ」
◇◇◇◇◇
「ユディ、顔が真っ赤になっているね」
目じりに溜まった涙を指で拭うその顔は、喜色に染まっている。
ユディルは乱れた呼吸を整えることで精一杯だった。
「これまで、散々焦らされたんだ。今日はこれまでの分、たくさん、たくさん、可愛がってあげるよ」
(これまで……?)
口付けの余韻のせいで、頭に酸素が回らない。直前のエヴァイスの言葉の意味がよく分からなくて、問いただそうとするも叶わなかった。
エヴァイスがユディルの首元に顔を埋め、ざらりとした感触に身体がびくりと震えたからだ。
いつの間にか寝間着の胸元が大きく開いていた。その白い肌の上をエヴァイスの唇が辿っていく。
彼の手のひらがユディルの胸を揉みしだいていく。二つの感触に背中がぞくぞくと震えていく。
「ちょっ……あっ……待っ……」
何かおかしい。
頭の中が混乱していく。だって、聞いていた子作り行為と違う。男の精を身体の奥で受け止める行為が必要なのに、どうしてエヴァイスはユディルの胸を弄っているのだろう。子作りに胸は関係ないはず。
「やぁ……エヴァイス、待って」
それに、自分の身体のはずなのに、何かが違う。
エヴァイスの動きに合わせて、身体が変になっていく。
「あ……っ……ん」
身体の奥に熱が宿ったようで、腹の奥が妙に疼き、変な声ばかり出てしまう。高くて、甘く媚びるような、自分でも初めて出す類の声にびっくりしてしまう。
「あぁっ……、やぁぁぁ……!」
この声を至近距離でエヴァイスに聞かれているかと思うと、とても恥ずかしい。
エヴァイスは夢中になってユディルの胸に吸い付いている。時折、音を立てたりするからユディルは怖くなった。
「ユディのここ、こんなにも勃ち上がっている」
ようやく顔を上げたエヴァイスに導かれるように、ユディルは視線を下へ向けた。
すると、双丘の先がぷっくりと腫れ、赤く色づいているのが見て取れた。
「可愛く啼いて、感じやすいんだね。もっと、もっと啼かせたくなる」
「泣かせ……?」
エヴァイスが笑みを深くした。獣のような、獲物を狩る目だと本能的に悟った。
その眼差しの奥に潜んだ、欲に満ちた光に慄き、けれども悟られまいと全身から強気な心をかき集める。
「ああ、可愛いね。寝台の上でもユディ、きみは強がるんだね。私のものだと全身に教え込ませたくなる」
「何を……」
言っているのよ、と最後まで言えなかった。
会話の中身がものすごく物騒で、けれども彼は笑みを湛えていて。それが艶やかで目を逸らせない。油断をしたら、本当に食べられてしまう。
「ユディ」
再びエヴァイスが愛撫を再開させた。夜着の裾をたくし上げ、手のひらを這わせていく。
素足を、彼の手のひらが撫でていく。エヴァイスの舌が胸を、ぷくりと勃ち上がった赤色の突起をしゃぶる。
ユディルの頭の中が混乱で満ちていく。
これは一体どういう意図なのか。身体が熱い。おかしい。
どうして。彼は何を考えているの。
そう思ってぎくりとした。
だって、エヴァイスはさっき言っていたではないか。
――もっと〝泣かせ〟たくなる――。
もしかしたら、彼は妻となったユディルに別の方法でいじわるをしようと考えついたのかもしれない。
子作りと称して、身体に触れてユディルの反応を探りながら、楽しんでいるのかもしれない。
現にさっきのエヴァイスの表情は大分危なかった。あんな、一見すると微笑んでいるのに、瞳の奥に凶暴な何かを宿しているかのような表情を、隠しきれていなかった。
(やだっ。それって、かなり思考が危ないわ!)
その考えに行き着いた途端、蕩けそうになっていた理性が戻ってきた。
「エヴァイス、いや。こんなの子作りでもなんでもないじゃないっ!」
ユディルは渾身の力を込めて夫となった男を押しのけようとした。
「ユディ、恥ずかしがっているきみも可愛いね。こんなにも顔を真っ赤にして」
エヴァイスがうっとりと囁いた。
何かが、嚙み合っていない。
「きみのすべてを私に見せてほしい」
半身を起こした彼は、嬉しそうにユディルの鎖骨を指で辿り、胸や腹部へと滑らせていく。
その感触に反応してしまう。びくびくと身体を震わせると、エヴァイスが「きみはこんな風に反応するんだね」とやや上擦った声を出した。
「生まれたままのきみを、ようやく私のものにできるんだ。たっぷり、じっくり、きみのすべてを私に見せてほしい」
(こ、この男……一体何を言っているのよ……?)
エヴァイスの話す内容は、大分おかしかった。
たっぷり、じっくりって一体何をどうするつもりなのか。分からないけれど、一つだけ確信した。
この男は、ユディルが考えていた以上に危ない思考を持っているらしい。人がこんなにも戸惑っているというのに、反応をつぶさに観察して、嬉しそうに微笑んでいるだなんて、どう見てもおかしい。
いや、これはむしろ変態の域ではないか。
そう結論付けた途端に、本能が告げる。
ここから逃げないと、大変なことになると。
だって、ユディルの知っている子作りから相当にかけ離れているのだ。
ユディルの思考の変化に気が付かないエヴァイスが寝衣を脱がせようと手を動かし始めた。
自分のものよりも硬い身体が真上から覆いかぶさってきて、そのことにもびくりとしてしまう。
「離して!」
ユディルは強い声を出して、身体を捩った。
先ほどまでとは違う、本気の拒絶に一瞬エヴァイスがうろたえ、静止する。
「ユディ」
「わ、わたしは変態と結婚したつもりはないわよっ!」
一方のユディルはやみくもにもがいた。どうにかして、真上にのしかかる男から逃れたかった。
彼女の発言に慄いたエヴァイスが力を緩めた瞬間である。
エヴァイスのみぞおちに強い衝撃が訪れた。ユディルの膝が絶妙な加減で彼のみぞおちにヒットしたのだ。
「うっ……」
予期せぬ攻撃に、エヴァイスの口から息が漏れた。
ユディルはその隙に彼の下からどうにか這い出す。寝台から転げ落ち、立ち上がりかけたところで力が抜けたけれども、一生懸命自分を叱咤して寝室から逃げ出した。
(どうしよう……夫が変態だった……)
ユディルはなりふり構わず、屋敷の階段を駆け上がった。
あの場にいてはまずいと思った。
幸いにも今は六月。多少肌寒くても凍え死ぬことはない。どこか適当なところに身を隠して、朝一番で屋敷から出ていかなければ。
だってまさかエヴァイスがあんなにもおかしいことをするなんて予想もしていなかった。
ユディルは夫を置き去りにして、使用人用の屋根裏部屋へ潜り込んだ。
◇◇◇◇◇
「さて、さっさとエヴァイスの奴に手紙を書け」
ルドルフは屋敷の従僕に紙とペンを用意させ、それを応接間のテーブルの上に置いた。
「何を書けっていうのよ」
「そりゃあ、離婚の申し出に決まっているだろう。書き終わったら、この屋敷の人間を遣いに出す。実家に戻った妻から離縁状が届くなんて、あいつは肝を潰すだろうな」
ルドルフはくつくつと笑い声を出した。
ユディルはゆっくりと、着席した。
ずっと、心臓が嫌な音を立てている。
どうにかして、時間を稼ごうと思った。何か打つ手があるのかと問われれば、否と答えるしかないのだが、もしかしたら妙案が浮かぶかもしれない。
そう思いペンを持ってはみたが、言葉など浮かぶはずもない。
ルドルフは、そんなユディルの様子を扉近くで佇みながら眺めていたが、焦れたのか口を開く。
「時間稼ぎのつもりか?」
「……すぐに、書けるはずもないでしょう」
エヴァイスの、優しくユディルを呼ぶ声が聞こえた気がした。
愛おしそうに、ユディルの髪の毛を梳いてくれるあの感触に、いつの間にか慣れてしまっていた。
最初は膝の上に乗せられることに反発を覚えたのに、そこはいつの間にか自分の居場所だと感じるようになっていた。
離婚だなんて、そんな単語、書きたくない。
けれども、兄のことも見捨てられない。
何の進展もないまま、時間だけが過ぎていく。
ルドルフがついに、ユディルの側へとやってきた。だんっ、とテーブルに手をつく。
「さっさと書け」
「大体、どうしてわたしがエヴァイスと離婚しないといけないのよ。ベランジェ伯爵位が欲しいのなら、勝手に継承権を主張したらいいんだわ」
ユディルの言い分を聞いたルドルフに腕を摑まれた。
了解もなしに触れられ、嫌悪で顔を歪めた。
ルドルフはお構いなしに、ユディルを無理矢理立たせる。その拍子に今までユディルが座っていた椅子が後ろへ倒れた。
「ベランジェ伯爵はおまえの産んだ子供に伯爵位を継がせたいって考えだろうな。リーヒベルク公爵家のような家におまえを嫁がせたことから見ても、それは分かる。俺が爵位を手にするには、現伯爵の娘と結婚するのが一番手っ取り早い。俺の母親はベランジェ伯爵家の娘だったわけだし、俺にだって継承権がある。その他の親族だって、俺とおまえが結婚すれば、バルトロメウス叔父上をすっ飛ばして、俺が次に名乗りを上げても表立って反対はしないだろうさ」
ユディルのすぐ目の前に、ルドルフの顔があった。
エヴァイスではない男とこんなにも密接していることに、背筋がぞくりとした。
ユディルはそれを悟られないよう、全身に力を込め虚勢を張る。
「さて、面倒だから、おまえの方から離婚したくなるよう仕向けてやろうか」
ルドルフの酷薄な瞳が、ユディルを見下ろす。
「何を……」
最後まで言わせてもらえずに、ユディルはテーブルの上に仰向けに押し付けられた。
両腕をルドルフに摑まれ拘束される。
「そんなに警戒しなくてもいいだろう? これから夫婦になるんだ。することがちょっと早まるだけだ」
ルドルフがこれからすることを、本能が悟った。
嫌だ。彼から逃れるべく押さえつけられた両腕を動かそうとするのに、どうにもならない。
悔しい。こういう時、男と女の力の差をまざまざと見せつけられる。
「離してっ‼ 最っ低。あなたなんか、大嫌い‼」
ユディルは叫びもがいた。
「おまえが俺に敵うわけないだろうが。大人しくしやがれ」
「嫌に決まっているでしょうっ」
手が動かないのなら、と足を思いきり動かした。
でないと、エヴァイス以外の人に触れられることになる。
嫌悪感に取り乱すユディルに、ルドルフが舌打ちをした時だった。
ユディルの膝が、ちょうど上手い具合にルドルフの腹に入った。
「ぐぅっ……」
無我夢中だったユディルは、拘束が緩んだことに気が付き、慌ててテーブルの上から降り、肩で息をしながら、必死の体で応接間の扉に向かった。
「待て、この! とんだじゃじゃ馬だな!」
ルドルフが体勢を崩しながら叫んだが、気にしてはいられない。
ここから逃げ出して、エヴァイスに助けを求める。こうなった以上、ルドルフとの取引なんてできるはずもない。
しかし、すぐにルドルフに追いつかれてしまった。
「おまえ、いい性格しているじゃねえか」
先ほどよりも明らかに低い声を出し、ルドルフはユディルの腕をねじり上げる。
「痛い!」
ああもう駄目かも、と悔しさで視界が滲んだ瞬間だった。
「ユディ!」
応接間の扉が勢いよく開き、夫のひどく焦った声が聞こえた。その後ろからエヴァイスの秘書官とルドルフの従僕もなだれ込む。
「ち。もう来たか」
ユディルの腕を摑むルドルフの力が少しだけ緩んだ。
「これはどういうことか説明してもらおうか、ダングベール卿、いやルドルフ」
エヴァイスは瞳を剣呑に光らせ、普段聞いたことがないほどの低い声を出した。
「見て分からないのか? 実家に帰った妻が別の男と逢引きって構図で、普通は察するだろ?」
ルドルフはくくくと、愉快そうに喉を鳴らす。
ユディルはエヴァイスの方へ近寄ろうとするが、未だにルドルフに腕を取られているため、動けない。
「妻から離れろ」
「嫌だね」
「ユディがおまえみたいな頼りがいもない、従兄ってだけの能無し男を、頼るわけがないだろう」
「俺はおまえのそういうところが昔から大嫌いだったんだ。今回おまえに一泡吹かせてやれることが嬉しいぜ」
ルドルフはユディルへ顔を近づけ「さっさと離婚を切り出せ」と脅してきた。
しかし、エヴァイスの方が先に切れてしまった。
最愛の妻に自分の許可なく近づく男に対しての忍耐など持ち合わせていないエヴァイスは、大きな歩幅でルドルフへと近づき、空いている方の腕を捻ってあっという間に押さえつける。
容赦のない力加減にルドルフは「痛て!」と叫び、その瞬間ユディルの拘束が解けた。
「ユディ」
エヴァイスはあっさりルドルフを放り出し、ユディルを抱き寄せた。
彼の腕の中で、ユディルはひどく安堵する。彼がいるだけで、張り詰めていたものがゆるりと解け始める。
「エヴァイス、どうして……」
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