書籍詳細
この秘書官様を振り切るのは難しいかもしれない
ISBNコード | 978-4-86669-448-1 |
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定価 | 1,320円(税込) |
発売日 | 2021/11/26 |
ジャンル | フェアリーキスピンク |
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内容紹介
立ち読み
鋭い金属音が響いて、突然、バルコニーに通じる扉が開いた。はっとして、アンセルムとフリーデは同時に音のしたほうに顔を向ける。
月の光を受けながら、仮面の男が素早く部屋に入り込んできた。月明かりを背にしているため顔ははっきり見えない。だが月明かりにも鮮やかな赤毛は見て取れた。
アンセルムが反応するよりも早く、扉から飛び込んできた男がアンセルムの背後に回り、口元を押さえ込む。男の手には白い布が握られているようだ。
アンセルムが抵抗らしい抵抗をしないまま、力を失ってぐったりとフリーデの上に崩れ落ちてくる。フリーデが潰されないよう男が腕を回してアンセルムを受け止め、乱暴に床に転がした。それからすぐに、上着を脱ぐとフリーデにかけてくれる。ふわりと、優しいぬくもりと匂いがフリーデを包む。
そこでフリーデは自分が下穿きと靴下のみの、ほぼ全裸姿をさらしていることに気づいた。髪の毛はもちろん、泣いていたので顔もぐちゃぐちゃだ。力いっぱい?を叩かれているので、きっと顔も腫れている。
「あ、あ、あの……」
「遅れて申し訳ないです。二階に連れていかれているとは思わなくて。ああでも、僕を呼んでくれて助かりました。場所の特定ができたから」
男——サイラスがフリーデの横たわっているベッドから離れ、床から何かを拾い上げる。月明かりにきらめくそれは、短剣だろうか? 刃の状態を確認して、サイラスがそれを鞘にしまうのをフリーデはただ見つめることしかできなかった。
これがサイラス? あのサイラス? 執務室での姿からはかけ離れている。
「バージェス公爵夫人には睨まれるし、人にも絡まれるし、まいているうちにあなたを見失ってしまって、焦りましたよ。辺境伯のご子息が何か飲み物に混ぜたことには気づいていたので……、休憩室の近くで張っていました」
サイラスは意図してフリーデを見ないようにしているのか、今度は自身が入ってきた扉のかけ金を調べ始めた。
「それで……」
「休憩室ではないな、とは気づいていたのですが、場所が特定できなくて。間に合ってよかった、——鍵、壊してしまいましたね。あとで直してもらってください」
「どうやって、中に……?」
「こういう屋敷の鍵はかけ金のことが多いので、扉の隙間から短剣を差し込んで跳ね上げたんです。もし違っていたら蹴破ろうかと思っていました」
「ここは、二階だけれど……」
「久々に懸垂をしました。明日は筋肉痛になるかも」
扉に顔を向けたまま、サイラスが小さく笑う。
懸垂ということは、バルコニーを支える柱をよじ登ってきたということ? フリーデの声が聞こえて、すぐに?
「……さて、フリーデ様、どうしましょうか。困ったな、僕のせいですよね……僕がのこのこ来なかったら、あなたはこんな目に遭わなかったのかな」
サイラスが床に転がしたアンセルムに目をやる。
もしサイラスが来なければ、アンセルムは優しいままだっただろうか。だが、先ほど見せた姿が彼の本質だとしたら、遅かれ早かれフリーデはアンセルムの暗い感情をぶつけられることになった気がする。
アンセルムに触られた時の嫌悪感を思い出して吐き気を覚え、フリーデは呻いて口元を押さえた。突然の呻き声に驚いて、サイラスが振り返りフリーデに駆け寄る。
「どうかしましたか……まさか、これは」
フリーデの赤く腫れた?に気づいたらしく、サイラスが体をかがめてそっと?に触れてくる。
その刺激にフリーデはびくりと体を震わせた。
「だいぶ痛むみたいですね。冷やしたほうがいいな……ああ、どうしよう、この状況で人を呼ぶわけにはいかないし。くそ、もっと痛めつけてやればよかった」
体をこわばらせたフリーデに、サイラスが仮面を外しながら物騒なことを呟く。そして視線を床に転がっているアンセルムに向けるので、フリーデは慌ててサイラスの腕を引っ張った。
「違うの、痛いからではないの」
これ以上、自分のためにサイラスに悪いことをしてほしくなかった。
「『白いため息』と、もうひとつ、気持ちが……高まる薬を飲まされて……ちょっとでも体に何か触れると、いつもよりも、その……」
「……媚薬ですか」
言いにくそうに告げるフリーデを察してか、サイラスの目がすぅっと細められる。口調は穏やかだが、アンセルムに対しさらに一段強い怒りを向けたのがわかった。
「そう、そうみたい」
「……そうですか」
サイラスがそっとフリーデの腕から自分の腕を抜く。
「どんな薬が使われたのかはだいたい想像つきます。その様子だと摂取量も多くないみたいですし、薬の作用は一時的なもので一日もすれば抜けるから、安心してください」
フリーデの不安を和らげるためか、サイラスが薬の説明をしてくれる。そして体を起こして離れていこうとするので、フリーデはもう一度腕を伸ばして、サイラスのシャツの袖をつかんだ。
サイラスにはどこにも行ってほしくなかった。一人にされたくなかった。
思うように動かない体を起こし、そのまま腕を伸ばしてサイラスの胴に回す。体にかけられていた上着が落ち、裸体を押しつけることになったからか、サイラスが驚く気配がした。
優しい匂いがする。サイラスの匂いだ。フリーデは?をすり寄せて、その匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。ここにいたい、と思った。この匂いがする場所にずっといたい。知らないところに行きたくない。知らない男になんて触られたくない。
「困った時はお力を貸してくださると、おっしゃいました」
フリーデは自分の中の勇気をかき集めて、声を絞り出した。
「お願いです……お願いです、わたくしをここから連れ出してくださいませ」
直接触れているため、サイラスがぎくりとするのがわかった。
「いやなんです……どうしても、できなかった……!」
「フリーデ様?」
「家のため、家のためと言われて、今まで頷いてきたけれど、その男に触られるのだけはどうしてもいやなの! ……もう、ここにいたくない……!」
「……それは、この縁談を破談にしたいということでしょうか?」
静かに聞き返してくるサイラスに対し、フリーデは首を振った。
「この縁談ではなく、わたくしはどこにも嫁ぎたくない。知らない人のところになんて行きたくない。この家にいるとまた嫁がされる……わたくしは……サイラス様の近くにいたいのです……」
込み上げる涙に言葉を詰まらせながら、フリーデは一生懸命に言葉を続ける。
「もう一度、一緒に……一緒に並んで、仕事を……一緒に、お昼に行って……わたくしはただ……ただ……サイラス様のおそばに……」
はっきりとわかった。アンセルムだからいやなのではなく、きっと相手が誰であっても受け入れることができない。
サイラスでないといけない。そばにいられるのなら、女性として意識されなくても、どんな形でも、構わない。
唐突に、サイラスに強く抱きすくめられた。あまりの力強さにフリーデの体がしなり、一瞬呼吸が止まる。
「……サイラス様?」
「……それはどういう意味のそばでしょうか? 殿下の執務室にもう一度ご招待するのは、正直に言って難しいです……」
サイラスが呻くように、耳元で囁く。
「無理なのですか……難しいのですか……? わたくしは、どうすればいいの……サイラス様が好きなんです……ほかの人に嫁ぐなんて無理です……」
サイラスに否定されてしまい、フリーデは途方に暮れた。ぼろぼろと涙をこぼしながらサイラスにすがりつく。?を伝う涙がサイラスのシャツに染み込んでいく。
「……それ、本当ですか……?」
ややあって、サイラスが小さな声で聞いてくる。フリーデはこくこくと頷いた。
「……僕は都合のいい夢を見ているのかな。フリーデ様が……そんな……だって、好きな人がいるって……あれは、まさか、僕のこと……だったんですか?」
サイラスの問いかけにフリーデが再びこくこくと頷くと、彼の腕がふと緩む。そしてそのまま背中をゆっくりとたどるようになでてきた。彼の手は温かくてどこまでも優しい。
「フリーデ様……だめですよ、考え直してください。僕は結構、独占欲が強いんです。そんなことを言ったら大喜びであなたをここから連れ去って、僕の部屋に閉じ込めて、誰の目にも触れないようにしてしまいます」
サイラスの告白に、フリーデが息を呑む。
「それって、どういう……?」
「言葉通りですよ。僕にとってあなたは、特別で、大切な女性です。叶うものならあなたを苦しめるこの場所から連れ出したいと思っていた。……隣にいてくれたらどんなに幸せだろうと。でもあなたは誇り高きバージェスの姫です。あなたには、あなたの生き方がある」
サイラスが絞り出すような声音で言う。
「あなたの隣に僕がふさわしいとは思えない。僕がどんなに好きでも、絶対に手が届かない。それはわかっていたから、気持ちを告げるつもりもありませんでした。フリーデ様が幸せになれるようにお手伝いができれば、それで……」
「わたくしの幸せを願うのなら、わたくしを連れていって! わたくしはあなたの隣がいい……!」
「嬉しいお言葉です。でも、そんなことをしたら、二度と公爵令嬢には戻れなくなります。簡単に決めていい内容じゃない……とりあえず、服を着ましょう。そのままでは風邪をひきますし、第一目に毒だ」
そう言いながらサイラスが体を離そうとするので、フリーデはサイラスのベストをつかむと思いっ切り引き寄せた。連れ去って閉じ込めたいとまで言ってくれたのに、急に冷静になって大人の態度を見せたことが悲しかった。まるで駄々をこねている子どもへのセリフみたい。確かにフリーデはサイラスより六歳年下だけれど……。
——でも、わたくしは何も知らない子どもじゃない!
サイラスがバランスを崩し、フリーデに覆いかぶさるように倒れ込む。とっさに手をついてくれたおかげで潰されることはなかったが、いきなりのことにサイラスはすぐ隣で目を白黒させている。そんなサイラスの赤毛に手を突っ込んで引き寄せ、フリーデは彼の唇に勢いよく自分の唇を重ねた。
サイラスがぎょっとしたのがわかったが、構わずに彼の唇を自分の唇で食む。しばらくそうしていたが、それでも無反応なので、フリーデが舌先でサイラスの唇を舐めてみる。自分でもどうしてこんなことをしてしまったのかわからない。誰かの唇へのキスなんて初めてなのに。
ただちょっと、冷静なサイラスを慌てさせてみたかったのだ。フリーデが好きだというのなら、もっとその気持ちを見せてほしかった。……けれど反応がない。
なんとかサイラスの反応を引き出したくて、フリーデがもう一度唇を重ねていった次の瞬間。彼の舌がフリーデの口腔内に侵入してきた。
「……んんっ……」
突然の?みつくようなキスに、思わず声が漏れる。さっきまで無反応だったのに、態度を急変させてきたことに驚きが隠せない。
サイラスの舌先がフリーデの口の中をあちこちなで回す。一方的なキスに翻弄され、フリーデはサイラスの体に腕を回してしがみついた。
「……あなたはひどいな。人の気遣いを台無しにして……」
唇を離し、サイラスが呻くように言う。
「僕の好きがどういう種類なのか、わからないわけじゃないんでしょう? 目の前に好きな女の子が半裸で転がってるんですよ、しかもその子は僕のことが好きだという。一線を超えたら、僕は絶対にあなたを離さない。ここからさらって閉じ込めて一生縛りつける……これでも相当我慢してるんです。その覚悟もなしに煽るのは、やめてください! 僕だって男なんです! 僕に犯されてもいいんですか!?」
間近で覗き込んだ翠玉の瞳には切羽詰まった色が浮かんでいた。
「ええ」
「なんっ……」
フリーデの返事にサイラスが絶句する。
「ええ、ぜひ」
「何を……冗談なら、ひどすぎます……」
「本気よ」
フリーデはそう言うと、サイラスの体の中心に手を伸ばした。このあたり、という周辺で手を動かすと、トラウザーズの生地越しに熱くなっている部位が見つかる。形を確かめるように手でなぞれば、サイラスが体をこわばらせた。
嫁入り前の娘がすることではないとわかっている。だが、どうしても初めてはサイラスがいい。好きになった人に、好きだと言ってもらえたのだ。好きな人に抱き締めてほしかった。サイラスとの間に、確かな絆を作りたかった。
夜が明けたらサイラスはここを去らなくてはならない。それに両親はサイラスが来たことを知っているのだから、事態は確実によくない方向に動く。夜が明けたら、サイラスと会う機会なんてあるはずない。まして、こんなふうに二人きりになることなんて……。
チャンスは、今しかない。
「わたくしは本気よ。これでも覚悟がないとでも言うの? 覚悟がないのはサイラス様のほうだわ……!」
涙をこぼしながら迫るフリーデの手を、サイラスがつかむ。
「覚悟なら」
その手をそっとどかして、緑色の瞳がまっすぐにフリーデを見下ろす。
「とっくにできている。……覚悟もなしに、ここに来るはずがない」
フリーデはその視線を正面から受け止めた。翡翠色の瞳の中に映る自分が見える。
先に目を逸らしたのはサイラスだった。優しいキスが、フリーデの首筋に降ってくる。
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