書籍詳細
王太子妃から侍女に格下げされそうなので、ヤンデレ王子を連れて自立しようと思います
ISBNコード | 978-4-86669-457-3 |
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定価 | 1,320円(税込) |
発売日 | 2021/12/27 |
ジャンル | フェアリーキスピュア |
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電子配信書店
内容紹介
立ち読み
王太子エドワールは、あどけない少女――聖女サクラを胸に抱き、婚約者レオノーレに向かって宣言した。
「私は、真なる愛に目覚めた。悪いが、お前との婚約は破棄し、私は聖女サクラと結婚する!!」
エドワールは結婚一年前に執り行う婚約お披露目パーティーで、レオノーレに向かって婚約破棄を言い渡した。
レオノーレは眉間の皺をさらに深め、不快感を露わにしている。
彼女はアウエンミュラー公爵のひとり娘。未来の王妃となるため、この世に生を受けてから十八年もの間、厳しい教育を叩き込まれた者である。
外交に必要な異国語に、ウィットに富んだ会話をするための教養、社交界の礼儀、公務を行うための知識を学び、ダンスや楽器の演奏など、完璧な王妃となるために努力を惜しまなかった。
さらに、彼女は輝かんばかりの美貌の持ち主である。白磁のような肌に、海の色に似た青い瞳が輝く。金の長い髪は絹のようになめらかで、常に華やかな髪飾りと共に結い上げられていた。手足はすらりと長く、ただ立っているだけで百合の花のように凜と美しい。
誰もがレオノーレに期待を寄せ、未来の王妃として祝福していた。
それなのに未来の王たるエドワールは、彼女に婚約破棄を言い渡す。
「レオノーレ、お前に選択権はない。婚約破棄は、決定事項だ」
銀色の髪に新緑の瞳を持つエドワールは、見目麗しい王太子として有名である。美しいともてはやされるレオノーレとは、美男美女でお似合いだと、誰もが認めていた。
突然の事態に周囲の態度は一変する。レオノーレが何かしたのではないかと、非難めいた空気が流れていた。エドワール自身も、冷え切った視線をレオノーレに向ける。
彼はレオノーレよりひとつ年上の十九歳。付き合いは十年以上になる。しかしその目は長年付き合ってきた者を見るようなものではなかった。
どんな時でも冷静に――王妃教育が、こういった危機的状況でも役に立つ。内心困惑しつつも、レオノーレはエドワールに問いかける。
「なぜ、ここで発表なさったのですか?」
衆目の前でする必要はなかったのではと、苦言を呈した。
「多くの者たちに、周知したかったのだ。文句がある者は、申し出ろ!」
パーティーに集まった人々は、シンと静まり返っていた。
彼らの背後にいる国王と王妃が何も言わないので、反応できないのだろう。
サクラは国を救った聖女である。異世界から呼び出されたにもかかわらず、対価を求めることなく平和をもたらしたのだ。彼女以上に、未来の王妃に相応しい者はいない。国王と王妃だけでなく、誰もがそう思っているのだろう。
一方でレオノーレもまた、物心ついた時から、未来の王妃となることが決まっていた。
王妹の娘で、血筋は問題ない。それに加えて豊かな教養と気高さ、国と国民を愛する心まで兼ね備えているものだから、王妃になるべきと誰もが思っていた。
たった今、王太子エドワールが婚約破棄を宣言するまでは。
彼の決定はこれだけではなかった。
「サクラはこの先、王妃として苦労するかもしれぬ。だから、お前が侍女として仕え、よく支えよ」
これも決定だと、エドワールは実に冷たい声で言い渡す。
奥歯を嚙みしめるだけのレオノーレを見て、どこか嘲笑っているようにも見えた。
幼い頃からレオノーレはエドワールが立派な王になるべく、その一挙一動について諫めてきた。それらをずっと、疎ましく思っていたのだろう。
わかっていたのだが、彼女からすれば王族として相応しくない行動を見逃すわけにはいかなかったのだ。
これも、エドワールのため。そう思っていた言動の数々の報復が今、ナイフの切っ先のようにレオノーレの心臓へと迫っていた。
「お前が習った王妃の心得を、サクラに伝授するように。これからは、彼女の影として生きるのだ」
握った拳が、ぶるぶると震えていた。
長年の努力はなんだったのか。怒りが、こみ上げてくる。
しかしながら、レオノーレは感情を表に出さないよう教育を受けていた。きっと周囲からは、無表情に見えているだろう。
「王妃となる女性に仕えるのは、とても名誉なことなのだ。レオノーレ、少しは喜ばないか」
「喜ぶ?」
「そうだ」
冷え冷えとした視線を、エドワールにぶつける。彼は一瞬たじろいだが、サクラにどうかしたのかと聞かれ、レオノーレから目をそらす。
エドワールは王の器ではない。
何度目かもわからない落胆を、レオノーレは覚えた。
「この瞬間から、サクラを婚約者とする。誰ぞ! レオノーレから〝妃の最上衣〟を剝がせ!」
妃の最上衣とは、王妃と王太子妃、王太子の婚約者の三名のみまとうことが許された特別なマントである。
足下まで覆うほど長く、前身頃には王家の家紋である竜をイメージした金刺繡が施されていた。肩は金の房飾りで覆われ、動くたびにシャラシャラと音が鳴った。後身頃には、王家の家紋が刺されている。高貴で崇高、気高さの象徴とも言えるような装束なのだ。
その妃の最上衣を、新しく王太子妃となったサクラに渡せと言う。
エドワールの命令を聞いた親衛隊が、レオノーレのもとへと集まってくる。
このまま身ぐるみを剝がされるように、妃の最上衣を奪われてたまるものか。
そう思ったレオノーレは、自らそれを脱いだ。そして片膝を突いて、サクラに捧げるように前に差し出す。
それを見たエドワールは、高笑いをした。
未来の王に相応しくない、下品な笑いである。
ここまで、彼の性根は腐っていただろうか? レオノーレは心の中で疑問に思う。
幼い頃は明るく天真爛漫で、誰もが愛するような少年だった……。いつからこれほど傲慢で、好き勝手振る舞うようになってしまったのか。
幼少期の気性のまま正しく成長していたら、よき国王となっただろうに。
レオノーレの嘆きなど、エドワールは知る由もない。
恋がエドワールの心根をねじ曲げてしまったのだとしたら、サクラも王妃に相応しくないだろう。
けれど、それに物申す資格などない。レオノーレはもうエドワールの婚約者ではないのだから。
一歩、一歩と歩いてやってきたのは、サクラであった。無邪気な様子でレオノーレに接近し、身をかがめて耳元で囁く。
「ごめんね、レオノーレ。こういうパフォーマンスはしなくていいってエドワールに言ったんだけれど、周知のために必要だって言うから」
思わず、レオノーレはサクラのほうを見る。悪びれた様子はなく、不思議そうに小首を傾げていた。先ほどの言葉は遠回しな嫌みでもなんでもなく、サクラの正直な気持ちなのだろう。
彼女は十六歳の少女。親元から離され、聖女として異なる世界から召喚された。
異世界では、サクラのような年頃の娘は結婚適齢期ではなく、親の庇護のもとで暮らしているらしい。
十五で成人と認められるこの国とは、天と地ほども価値観が異なるのだ。
それゆえ、幼い言動についても、何度も目を瞑ってきた。
しかしながら政略結婚とはいえ、婚約者のいる男性の愛を受け入れるなど、異世界の貞操観念はいったいどうなっているのか。問いただしたい気持ちに駆られたものの、レオノーレは個人的感情にきゅっときつく蓋を閉める。
気の毒な娘だと思っていた。その認識は、今も変わらない。
妃の最上衣が、レオノーレの手から取り上げられる。サクラが手にして、身にまとった。
この瞬間、ワッと周囲の人々が沸いた。祝福する拍手が鳴り止まない。
地に伏したレオノーレは、吹雪が吹き荒れる雪原に蹲っているのではという気分を、独り味わう。
膝を突くレオノーレの肩に、そっと触れる者がいた。
頭巾を深く被る男は、彼女がよく知る人物である。
触れた手が、温かい。吹雪の中、小さく灯った焚き火のようなぬくもりである。
温かいが――冷えきった手を火にかざしたときのように、じんと心が痛む。
今は、独りでいたかった。
迎えに来てくれた優しさが、今は辛い。
男が動けなくなっていたレオノーレを立たせ、会場から連れ出す。
エドワールとサクラの婚約に歓喜する人々は、レオノーレがいなくなることを気にも留めていなかった。
男はレオノーレの肩を抱き、廊下を急ぎ足で歩いて休憩室に入る。
頭巾を脱いで、レオノーレを振り返った。
艶のある銀の髪に切れ長の目、瞳は夏の木々を思わせる緑色だ。閉ざされた形のよい唇は、喋らずとも憤りの感情を漂わせていた。
王太子エドワールとまったく同じ顔をしている彼の名は、ディートハルト。
エドワールの双子の弟だ。
鏡で映した姿のようにそっくりな兄弟だが、見分け方は簡単である。兄のエドワールは唇の下にホクロがあり、弟のディートハルトは目の下にホクロがある。だが長年一緒にいるレオノーレからすれば、ホクロの位置を確認することなく、ふたりを見分けられるのだ。
いつになく、ディートハルトの機嫌は悪い。レオノーレを責めるように問いかけた。
「何、この茶番は?」
「存じません。わたくし自身が、いちばん驚いているくらいで……」
ディートハルトはレオノーレをぎゅっと抱きしめる。が、レオノーレはすぐさまその胸を押し返した。
「もう、わたくしは王太子の婚約者ではありませんわ。このような慰めなど、必要ありません」
その言葉に、ディートハルトは傷ついたような表情を浮かべていた。
彼とレオノーレの付き合いはエドワール以上に長かった。
十九年前――国待望の王子が生まれた。しかしながら、王子は双子だったのだ。
双子の王子は、災いの先触れとも言われている。国が凋落する予兆だという言い伝えも残っていた。あとに生まれたほうを殺す。王はそう決定した――が、野心家な宰相が「生かしていたほうが便利かもしれない」と意見したのだ。
王太子ともなれば、時に戦場へ馳せ参じ、時に民衆の矢面に立たなければならない。
それを、本物の王太子にやらせる必要などないのだと、宰相は国王に囁く。
大事な王太子だ。なるべく、危険な目に遭わせたくない。
災いの先触れという伝承も気になる。けれど王太子が暗殺されたり、事故に遭ったりするよりはマシだ。
迷った挙げ句、国王はあとから生まれた王子を、王太子の身代わりとして生かすことに決めた。そのことを知るのは、国王をはじめとする王族達に宰相、彼らを取り巻くごく少数の者達。
双子の王子は、エドワール、ディートハルトと名付けられた。
王家の家系図に名が記されているのは、エドワールだけである。ディートハルトは存在しない者として、王子の代わりを務められるよう教育された。
周囲の者達から愛を受け、すくすく育ったエドワール。
宰相の手によって英才教育を受け、「お前は王子の身代わりだ。お前自身に価値はない」と悪態を吐かれながら育ったディートハルト。
ふたりが育った環境は、空の雲と地の泥くらい異なっていた。
素直で天真爛漫なエドワールと違い、ディートハルトは精神不安定で癇癪持ちの子どもとして育つ。
誰も彼も信用せず、用意した料理をひっくり返したり、教材にインクをぶちまけたりと、やりたい放題であった。
一方で、順調に教育を受けたエドワールは品行方正。未来の国王に相応しい器だと、もっぱらの評判であった。
当然、ディートハルトの教育を担当する者からの評価は、下がる一方だったのである。
双子の王子は五歳となった。そろそろ、公務について学ぶ年頃である。
このままでは、エドワールの身代わりなんて務まらないだろう。
ディートハルトに利用価値などあるのだろうか。
扱いに困り果てている中で、ディートハルトに劇的な変化が訪れた。
そのきっかけは、未来の王太子妃候補として挙げられていたレオノーレとの出会いであった。
◇◇◇◇◇
午後からは、ネネに畑仕事を習う。
華美な恰好では作業がしにくいので、メイドが着ているようなエプロンドレスをまとった。
ディートハルトも行くと言っていたが、パリッと糊が利いたフロックコート姿のままだ。彼にとっては皺が寄ろうが汚れが付こうが、関係ない恰好なのだろう。洗濯メイド泣かせの男である。
「せめて、上着は脱いでから、作業をしていただけます?」
「わかった、わかった」
ディートハルトがいるので、イルメラは鳥かごの中に入れていた。お昼寝しているようで、大人しい。
ディートハルトが鳥かごを持つと暴れるので、レオノーレが持ち歩いていた。けっこうな重さだが、下手に自由にさせて周囲の者に喧嘩をふっかけたら困る。これも主人の務めだと思うようにしていた。
「畑は、あちらです!」
ネネの先導で、離宮にある畑を目指した。笑顔で案内してくれる。レオノーレが畑仕事に興味を示してくれたことが嬉しいのだろう。
昨日は遠くから見るだけだったが、近づいてみるとさまざまな種類の野菜が栽培されていることに気づく。
道は舗装されておらず、土を押し固めただけのでこぼこ道であった。
「レオノーレ、気をつけて」
「え、ええ」
ディートハルトがレオノーレの腕を引き、腰を支えてくれる。踵の低い靴を選んだつもりだったが、あぜ道は歩きにくかった。
「鳥かごも持ってあげたいけれど、暴れるもんなー。あ、そうだ」
ディートハルトが立ち止まるので、レオノーレも歩みを止める。何を思いついたのか、まったく想像できなかった。が、次なる瞬間に、ディートハルトは行動に移す。
「レオノーレ、抱き上げるよ」
「はい?」
ディートハルトは鳥かごごと、レオノーレを横抱きにした。
「きゃあ! ちょっ、な、なぜ!?」
「レオノーレが、歩きにくそうだから」
「過保護が過ぎるのでは?」
「そんなことない」
下ろしてくれと訴えたが、聞き入れてもらえず。畑に到着するまで、レオノーレはディートハルトに抱き上げられたままだった。
ネネは誇らしげな様子で畑を指し示しながら、本日の作業を発表した。
「今日は、甘露ニンジンの収穫をいたします!」
「甘露ニンジン、ですか?」
「はい! 果物並みに、あまーいニンジンなのですよ」
「へえ、そんなものがあるのですね」
感心し、頷くレオノーレの隣で、ディートハルトは顔を顰めている。
「ディートハルト。あなたまさか、まだニンジンが苦手ですの?」
「苦手っていうか、嫌い」
「もっと大問題ですわ」
その昔、ディートハルトはニンジンを食べず、レオノーレが厳しく注意した記憶がある。大人になっても引きずっていたとは。レオノーレは呆れてしまった。
「こちらの甘露ニンジンは、ディートハルト様がお召し上がりになれるように、栽培を始めたものなのです。きっと、お気に召すかと」
「ですって」
「いやー、お気に召すとは思えないんだけれど」
「あなたね……。どうして、ニンジンが苦手ですの?」
「だって、野菜の甘さとは思えないし」
「ということは、カボチャも苦手ですの?」
「いや、カボチャは食べられる」
「意味がわかりませんわ」
単に、いちゃもんを付けて嫌っているだけだと、レオノーレはなおも呆れる。
「ニンジン嫌いは放っておいて、収穫いたしましょう。ネネ、やり方を、教えていただけますか?」
「はい!」
ネネはためらうことなく、畑に入っていった。そして、ニンジンの収穫方法を説明してくれる。
「収穫するときは、ニンジンの葉の根元を摑んで、一気に引き抜きます」
ネネは片手でニンジンを難なく引き抜いた。土の付いた、鮮やかな橙色のニンジンがお披露目となる。
「わたくしも、挑戦してみます」
畑の畝と畝の間に、足を踏み入れ、ニンジンの葉が生い茂っている中を通っていく。
「うう……ニンジンの葉は、わさわさしていますのね」
「はい、わさわさです」
慣れないわさわさ感に耐えつつ、ニンジンの葉の根元を摑んだ。思いっきり引っ張ったが、びくともしない。
「片手では、無理ですわ」
両手で持ち替えて、再びニンジンを引っ張る。
ぐ、ぐ、ぐと、先ほどは感じなかった手応えがあった。もう少し力を入れたら、引き抜けるだろう。渾身の力を込めて、ニンジンの葉を引っ張った。
「よい、しょっと!!」
その瞬間、ニンジンがスポーンと気持ちよく抜けた。が、勢い余って、レオノーレは背後に向かって倒れそうになる。
このままでは、ニンジンのわさわさに身を委ねることとなるだろう。
衝撃を覚悟し、ぎゅっと目を閉じた。しかし、レオノーレの体を、誰かが受け止めてくれる。ディートハルトであった。
流れ星のように弧を描いて引き抜かれたニンジンが、泥を散らす。それを、ディートハルトは顔面で受け止め、泥だらけとなっていた。
「ディートハルト、あ、ありがとう」
「ニンジンを引くだけで、背後にひっくり返るとか、ありえないんだけれど」
ディートハルトはレオノーレの顔を覗き込み、呆れたように言う。
顔面泥まみれのディートハルトの向こうには、青空が広がっていた。今まで見たことのない光景である。
なんだか楽しい気分になって、レオノーレは微笑んだ。つられて、ディートハルトも笑い始める。
久しぶりに、こうして笑い合ったような気がした。
『ぐるるるるるるう!!』
楽しそうにしている声で、イルメラが起きてしまったようだ。かごから出せと、暴れ回っている。
「どうしましょう。出してあげたいけれど……」
どこかへ逃げてしまったら大問題だ。かと言って、ずっと胸に抱いていたら仕事にならない。
「犬みたいに、首輪を付けて、紐で繫いでいたら?」
「それですわ!」
離宮には、以前寵妃達が使っていたさまざまな品がある。その中に、小型の愛玩動物用の首輪や散歩紐があった。ネネに持ってきてもらい、イルメラに装着させた。
嫌がるかと思いきや、イルメラはあっさり受け入れる。そして、外に出た瞬間、嬉しそうに飛び跳ねた。
ニンジンの収穫を手伝いたかったのだろう。小さな前脚で根を摑み、見事ニンジンを引っ張った。
「まあ! イルメラ、ニンジンの収穫がお上手ですのね!」
『ぎゅるーん!』
イルメラは嬉しそうに、耳を左右に振っていた。そんな魔石獣から少し離れた場所で、ディートハルトがぼそりと呟く。
「ニンジンの収穫なんて、俺のほうが上手いし」
「あの、イルメラと張り合わないでくださいまし」
そんなレオノーレの言葉など、ディートハルトには届いていなかった。
ディートハルトはイルメラを、ジロリと睨んでいる。
『ぐるるるるるるう!!』
「うううううううう!!」
ディートハルトはイルメラのうなり声に、どすの利いた声を返していた。
そして、合図もなく、ディートハルトとイルメラは猛烈な速さでニンジンを引き抜き始める。
謎の争いが今、始まった。
◇◇◇◇◇
エドワールは王太子として生を受けてから、常に命を狙われていた。
いついかなるときでも、暗殺の兇手の的となるのは身代わりのディートハルトであった。
これまで、数名の暗殺者を捕まえたものの、情報を喋らせる前に全員自害していた。口の中に毒を含んだ状態で、殺しにかかってくるのだ。防ぐのはほぼ不可能である。
この十九年間、騎士隊を任されていたバルドゥルはエドワールの命を狙う者を探していたが、捕獲には至らず。
苦汁を嘗める日々は続いているという。
「我々は、おそらく近しい者の犯行だと予想している」
「わかる。俺も、エドワールを殺したくなるもん」
「ディートハルト!」
レオノーレの声が、部屋に響き渡る。それだけでは足りないと思い、ジロリと睨んだ。だが、ディートハルトにしてみればレオノーレに怒られるのは慣れっこなので、響いた様子は欠片もない。
この発言が許されるのは、毎度命を狙われて大怪我を負っているディートハルトだけだろう。それでも、王弟であるバルドゥルの前で言うのは非常にまずい。
バルドゥルは品行方正な人物である。レオノーレはそう評しているものの、どんなに正義感の強い人でも腹の内に何か抱え込んでいるものだ。だから、誰の前であっても失言は避けるべきだろう。
レオノーレは探るような視線をバルドゥルに向ける。にっこりと、笑みを返されてしまった。
「まあ、今の発言は、聞かなかったことにしようか」
「申し訳ありません。今後、このようなことがないよう、注意しておきますので」
「レオノーレ、その言い方、なんだか俺の保護者みたい」
「わたくしは、あなたの保護者ではありません」
「だったら何?」
「……?」
改めて何かと聞かれると、言葉が浮かばない。
家族ではないが、家族よりも近い存在である。
親友でもないけれど、親友以上に心を許している。
恋人とも言えないが、恋人以上に共に過ごしてきた。
「え、なんで沈黙?」
「よく、わからなくて」
「わからない?」
「逆に聞きますけれど、ディートハルト。あなたにとって、わたくしは何?」
ディートハルトにとって、レオノーレは姉か、それとも母親か。
もしかしたら、妹である可能性もある。ディートハルトはひとつ年上の十九歳。兄でもなんらおかしくないのだが、なんとなく腑に落ちない。
「それで、どうですの?」
「この世に存在しなかったら、生きる意味がないくらい大切な女性」
「は!?」
思いがけない熱烈な言葉に、レオノーレは言葉が出なくなる。
これまで、ディートハルトは自分のことを母や姉のように慕っていると思っていたのだ。
情緒は五歳児だと決めつけていたが、五歳児がこのような発言はしないだろう。
だらだらと、額に汗を浮かべる。なんと言葉を返していいものか、わからなかった。
「レオノーレは? 俺のこと、どう思っているの?」
「わたくしは――」
弟? 兄?
親友? 恋人?
思い浮かんだ言葉は、すべてしっくりこなかった。
ディートハルトはレオノーレを、〝この世に存在しなかったら、生きる意味がないくらい大切な女性〟と言った。
その言葉にどれだけ深い意味があるのかはわからない。けれど、とてつもなく巨大な感情が、ディートハルトの中で渦巻いているのは間違いないだろう。
一方で、レオノーレも考える。
もしも、この世界にディートハルトがいなかったら?
そう考えた瞬間、レオノーレの足下の床がパラパラと落ち、急降下するような感覚に苛まれた。
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