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婚約破棄するはずが、囮として王子に匿われています

藍川竜樹 / 著
緒花 / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-458-0
定価 1,320円(税込)
発売日 2021/12/27
ジャンル フェアリーキスピュア

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内容紹介

陰謀に巻き込まれ、ウブな二人のドギマギ同居生活がスタート!?
きなくさい縁談で結ばれた「愛され王子」は、私にだけ不器用?
誤解と陰謀が渦巻く、すれ違いラブストーリー!
田舎育ちで魔導一筋な伯爵令嬢のテティスは、魔導武闘大会で優勝した褒美として第三王子ベリザリオの婚約者に指名される。魔導三昧だった自分が「愛され末っ子王子」と人気な彼の妃なんて無理すぎる! 全力で嫌がる彼女だったが、ひょんなことから国家転覆の陰謀に巻き込まれてしまう。その上、黒幕をおびき寄せるために王子と同居するはめに!? 押しつけられた婚約者同士ギクシャクしていた二人だが、共に暮らすにつれて関係性に変化が……?
「ずっと手の届くところにいて欲しい。一緒に笑って、怒って、俺を見ていて欲しい」

立ち読み

 友情とは、友とは、なんと素晴らしい!
 ベリザリオとの交流を友情と信じて疑わないテティスは、満面の笑みで朝練に参加していた。
 一度、関心を持つと良くも悪くも、とことん突っ走ってしまうのがテティスの性格だ。
 ベリザリオと和解し、友だちになってから十日目。テティスは初めてできた〈友〉に夢中になっていた。
 今朝もまた彼と一緒に心地よい汗を流す。
 赤や黄に色づいた木の葉がひらひら舞い落ちる秋の王宮で、毎朝女官服の袖をめくり上げ、木剣をふるう姿を母が見れば「こんなことをさせるために王家に預けたのではないのに」と泣くだろうが、テティスはご機嫌だ。今まで適性がないとあきらめて魔導の鍛錬しかしてこなかった。新しい世界が開けた気分だ。
(このままいけば、お祖父様みたいな立派な魔導騎士になれるかも?)
 ミケーレ王国の伝説となっている偉大な祖父を想い、テティスは思い切り剣をふるう。ふわりとスカートとペチコートの裾が舞う。決まった。傍らの木から散った落ち葉を、見事刀身でとらえられた。
 テティスはドヤァと胸を張って、傍らのベリザリオを振り返った。彼がぷっと笑って「ああ、いい剣筋だ」と保証してくれる。
 誤解も解けて友だちになれたが、まだ面と向かって仲良くするのは今までの空白期間があるのでどこか面映ゆい。変な誤解をしていた自分が恥ずかしかったりもするし、再会してからのドタバタを思い出すと頭を抱えて悶えたくなる。
 だから、少しだけ距離を詰めて、向かい合うのではなく隣り合って立つ。
 とはいえ無事友になったからか、二人の関係も進歩して、互いの顔を見ても喧嘩腰ではなく素直に話せるようになっている。なので互いに顔を見合わせて声に出して笑う。
「ベリザリオも魔導騎士志願よね。将来は騎士団に入るの?」
「ああ、そうなるだろうな。王族を従騎士扱いするわけにはいかないとお歴々が渋るから、まだ入団できずにいるが」
 俺は一従卒から鍛えて欲しいくらいだが、と彼が言いながら休憩場所の木陰にテティスを誘う。
 ベリザリオは十七歳。騎士として独り立ちしてもよい年齢だ。
 だが彼は王族なので騎士団に入ればいきなり団長クラスになる。補佐役がつくとはいえ、指揮官があまりに若すぎては他の騎士たちも扱いに困ると、団を維持するための経営学をも含めた座学を受けつつ、十八歳の成人の日まで入団はお預けになっているそうだ。
「あと一年の辛抱だ。が、成人し無事入団できても、俺が剣を持ち前線に立つことはまずないな。たぶん、団長室に座りっぱなしになる。さすがに閲兵式の時は馬に乗せてもらえるだろうが」
 たまになんのために剣技を磨いているかわからなくなる、とベリザリオが愚痴をこぼす。王子様も大変だ。友として元気づけたくて、テティスは背伸びをするとよしよしとベリザリオの頭をなでてあげた。子ども扱いをするなと怒られた。罰だと言ってテティスを捕まえようとする。
 木々の間を逃げて、追ってとふざけ合って、ベリザリオがお返しとばかりに、テティスの髪をわしゃわしゃかき回してきたので、テティスも元気に反撃する。
 しばらく子犬のようにじゃれ合って、それから汗をぬぐい、持参の水筒を開けつつ、彼が「そういうお前はどうなんだ?」と聞いてくる。少し緊張しているような口調だ。
「宮廷魔導士志望なんだろう? なのになぜ、魔導武闘大会なんかに出たんだ? いくらレリオ師に言われたからといって」
「え? おかしかった?」
「おかしいも何も、あれに出るのは魔導騎士ばかりだぞ。魔導士のためにはちゃんと座学と実技に分かれた魔導技法大会があるんだから」
 何それ。テティスは愕然とする。
「……それであの大会に出場してたの、ごつい騎士ばかりだったの?」
「いや、それ以前に、武闘と大会名についている時点で考えればわかると思うが」
 テティスも実はおかしいとは思っていたのだ。魔導の技を競う大会なら、父のような学究肌の魔導士だっているだろうに、どうしてそういった繊細な感じの参加者が一人もいないのかと。
 ベリザリオがあきれた顔をした。
「……お前、前から思っていたが、周りを見てなさすぎないか」
「だ、だって、レリオ師が言ったから! 優勝したら弟子にしてくれるって」
 まあ、その約束は反故にされたわけだが。「危うすぎるだろ、お前……」と、ベリザリオが額を押さえた。こちらを見る目が憐れみを含んでいて、むっとした。テティスはコン、と木剣を彼の剣に当てて、よけいなお世話だと意思表示する。
「こら、やめろ。……しょうがない。これからは、その、俺が人に騙されないように隣で見張っててやるから、拗ねるな。そもそもどうして宮廷魔導士なんだ。よくあの伯爵夫人がそんな道を許したな。ただの魔導士じゃ駄目なのか? それなら令嬢の趣味でいけないこともないだろう」
「お母様はもちろん反対してるけど、自立しないといけないから」
 ミケーレ王家とは違い、テティスの家は女子が爵位を継げない。そしてテティスは一人っ子だ。
「叔父様はいい人だけど、一生お世話になるわけにはいかないでしょう?」
 次の伯爵は叔父になるからと、テティスは家庭の事情を説明する。
「他家に嫁ぐにしたって持参金がいるし、叔父様には従姉妹たちだっているもの。そうなると余裕がないし。だから私には、従兄と結婚してそのまま伯爵邸に住んだらって言われたけど」
 ごん。
 ベリザリオがいきなりぐらりと倒れかかって、傍らの木に頭をぶつけていた。その拍子に手にした水筒の水がこぼれた。
「わ、早く拭かないと」
「いや、いい」
 手巾でぬぐおうとすると、止められた。なぜかはわからないが、彼の顔から表情が抜け落ちている。
「それよりもお前、叔父とやらに結婚を強要されたのか? それが嫌であんな危険な大会に?」
「あ、違うから」
 妙に真剣に問われて、テティスはあっさり答える。
「叔父様も従兄も優しいもの。無理にとは言わない。そうなると嬉しいとは言われるけど」
「言われるのか……」
「でもそれだと嫌だなって、私が」
 私、お母様みたいな美人でも淑女でもないから、と告白する。それに、
「お母様は結局、娘の私しか産めなかったもの。その、こういうのって母娘で似るって聞くし。もしかしたら私も結婚しても男の子を産めないかもしれない。テオドール……は、うちの従兄の名前だけど。彼にも後継者がない苦労なんてさせたくないし。だからテオドールのことは大好きでも、結婚はどうかなって」
「大好き……」
 そこでベリザリオが持っていた水筒がぐしゃっとつぶれる。
 真鍮製の水筒を握りつぶすとはどんな握力だと思うが、子を産むとか性別がどうとか、男の子にはちょっと生々しい話だったかもしれない。ベリザリオが怒っているのか泣いているのか笑っているのかよくわからない顔になっている。テティスはあわてて手を振って謝った。
「ごめんね、生々しかった。もう言わない」
「いや、そこのことで動揺したわけじゃない。ただ、その、それで宮廷魔導士になろうと?」
「うん。魔導は好きだし、それなら私でもお給料をもらって一生、暮らしていけるかなって」
「そ、そうか。その、お前の事情はわかった。いずれ家を出ないといけないことは。だが家を出る手段について考えるなら、他にも方法はあるだろう」
「え?」
「その、お前は、後継者とか、子のこととか、そ、そこまで真剣に考えているのなら、その従兄とやら以外の男との、け、結婚とかは、考えない、のか。さ、探せば持参金なしでもいいという男だっているかもしれない」
 ベリザリオが真っ赤になって言って、テティスは目をぱちくりさせた。
 彼は気まずさのあまりか、また視線が泳いでしまっているが、顔は真剣だ。それだけ緊張しているのに、わざわざ「結婚は考えないのか」と聞いてきたのは、友としてテティスの将来を案じてくれたからだろう。一時的とはいえ自分と婚約をさせてしまったから、婚期を逃す原因を作ったのではないかと責任を感じているのかもしれない。
(ほんと、いい人よね……)
 そんな気配りのできる人と友であることを誇らしく思いつつ、テティスも真剣に答える。気にしなくていいよ、と言外に含めて。
「真剣に考えてくれてありがとう。でもそれは無理に決まってるから。今回の婚約がなかったとしても私が嫁ぐのは絶望的だったの。男子を産めないかもしれないこと以外にも、私の場合、問題が山積みだから。まず女性としての魅力、皆無でしょ?」
 世の中には結婚相手は顔や優雅さじゃないって言ってくれる人もいるとは知っている。現にテティスの父は、好きな研究しか見えない学者馬鹿だ。身なりにも構わないから、放っておくとすぐ髪も髭も伸ばしっぱなしの遭難した山男か熊になってしまう。
「私、そんなお父様のことが大好きよ。でも社交界で優雅な貴公子を見慣れたご近所の皆さんには、よく突っ込まれるの。よくお嫁の来手があったわねって。もちろん父は優しいし、夫として頼りがいもあって。だから母みたいな人ができたけど、私はそういうの何もないから」
 あるのは魔力くらいだ。
「魔導が使えるなんて、今のミケーレ王国では男の子の美点でしょ? 世間で言われる女の子の美点なんて皆無だもの。これで結婚できると思うほうがおかしいの」
「いや、だが、美点なんてそれぞれだろう」
「ベリザリオは魔導好きだからそう言ってくれるけど、世間一般は違うわ。私、ずっと母と比べられてきたの。訪ねてくる大人たちは皆、私のこと母みたいな淑女だったらよかったのにと言ったわ。子どもたちもそうだった。お茶会に行ってもじろじろ私を見て『あなたの服、変。顔や髪だって変よ』とか『お母様が〈ミケーレの薔薇〉だからって、自分もそうだと思わないことね』ってよく言われたわ。これで自分に自信を持てる子がいたら、逆に会ってみたいと思うもの」
「ちょっと待て」
 そこでベリザリオがテティスを止めた。
「訪ねてきた大人たちの言葉はともかく、その子どもたちの言ったことはどう考えてもやっかみか牽制だろう。どうしてそんなこともわからないんだ、お前は。男の俺でもわかるぞ」
 はい?
 言われたことが理解できなくて、テティスは首をかしげる。
「まさかお前、容姿性格その他、他人に褒められたことがないのか?」
「そういうわけじゃ。家の皆はもちろん可愛いって言ってくれるし。叔父様や従兄妹たちだって、苦笑交じりだけど、元気なのはいいことだって褒めてくれるわ」
 だが、それは身内だからだ。
「新調のドレスを着たら、執事やばあやたちが目じりを下げてお似合いですって褒めてくれるのは、私が主家のお嬢様だから。身びいきで可愛く思えるだけよ。私もそうだもの。うちの門番が飼ってる猫のペペはよそ見をしながら歩いて木にぶつかるお間抜けなところとか、顔がへしゃげてるところ、あと、尻尾の先の円いハゲが最高に可愛いと思うもの」
 テティスが恥を忍んで語ると、ベリザリオが呻いた。
「……もともと単純な奴だったが、これが田舎育ちの純粋培養か。あまりに都の邪気にすれてない」
「え? 何か言った?」
「いや、なんでもない。その、」
 ベリザリオが目を泳がせた。それから、思い切ったようにこちらを見る。そして言った。
「テティス、俺は、おお、お前の、おま、おお……」
「おお?」
「おお、お前のことと、とっ、」
「おっとっと?」
 ベリザリオがそのままむせ込んだ。「大丈夫?」と、テティスは背をさする。
「……すまん。面と向かっては無理なようだ。再会してから妙な癖がついている」
「なんだかわからないけど、無理はしなくていいよ」
「いや、違う。だから。その、いいか、俺は今から、あの朝陽に向かって独り言を言う!」
「はい?」
「だ、だから、こっちを見るな、というか、聞くな、いや、聞け。ただし返事や相槌はいらないからな、緊張するからなしだ、空気になれ、いいな!」
 注文が多い。だが彼が一生懸命なのはわかったので、テティスはおとなしく聞く態勢になる。
 テティスが地面に座るのを確認するなり、ベリザリオが一気に言った。
「お、俺は、その、お前は可愛いと思う!」
 え? と思わず声が出そうになって、テティスはあわてて口を押さえた。
「姿だけでなく性格も。素直なところがいい。俺はどちらかというと、些細なことでも考えすぎて動けなくなるから。お前のその真っすぐなところは正直、憧れる」
 一度、話し出すと肩の力が抜けたのか、ベリザリオが詰まらずに続ける。
「まあ、ちょっと周りが見えていない猪なところはあるが、そこも持ち味というか、味があるというか、お前らしいし。俺と足せばちょうどいいというか……」
 な、なに、それ。
「男が生まれにくいかもというのだって、問題ない。た、たとえばの話だが、俺の家を見ろ。男女関係なく継げるが、それでもやはり後継には直系男子を優先するから、もし一の兄上にすぐ男子が生まれなかった場合、下手な争いが起こるよりは次男以下の王子が持つ子は男子より女子のほうがいいという考え方もある。要するに適材適所というか、別にそこまで深く考えなくてもいいというか、お前にさえ結婚の意思があるならそれでいいいというか、まあ、先の話だが……」
 まさかこんなことを言われるとは思わなかったテティスは真っ赤になった。こちらに背を向けている彼の首筋や耳はテティス以上に真っ赤だ。
 ベリザリオのなぐさめは、後半はほぼ聞こえないくらいに小さな声になっていた。が、テティスはそれどころではない。彼が必死に言ってくれた最初の言葉ですでに頭がいっぱいだ。
 可愛い、と確かに彼は言った。お世辞でも。
(もしかして、また私に気を使ってくれてる、の?)
 友だちだから、テティスが他の者にけなされていると思って、味方になってくれている?
 かああ、とさらにテティスの顔が熱くなった。頭に血がのぼって、ただ心臓の鼓動だけが大きく聞こえる。
 嬉しい。なまじ猪娘だけに、テティスは性格をたしなめられたり苦笑されたことはあっても、こんなふうに褒められたり繊細な気づかいをされたことがない。だからどんな顔をしていいかわからない。そしてそれ以上に、彼にこんなことを言わせてしまった自分が恥ずかしい。
 嬉しくて、恥ずかしくて。身の置きどころがなくて、でもじっとしていられなくて、テティスはもじもじしながら、座った地面の芝生をぷちぷちと抜いてしまう。
 気まずいのは彼も同じのようだ。
 無理にこんな褒め言葉をひねりだしたからか、真っ赤になったまましゃがみ込むと、傍の芝生をぷちぷちと抜いている。テティスより速い。あっという間に地面に円形のハゲがいくつもできる。
 それを見ると庭師に悪いというか、ますますどんな顔をしていいかわからなくて、テティスもさらに芝生を抜いてしまう。
 二人して隣り合って芝生を抜き合って、どれくらい時間が経っただろう。
 抜いた芝生が山となり、ひらひらと舞い落ちる落ち葉がけっこう体に積もってきた頃、ベリザリオの手がようやく止まった。そっと視線を動かして、うつむいているテティスの後頭部を見る。
「……そのリボン、もしかして」
 テティスは、はっと気づいた。あわてて手を上げてリボンを隠す。
 今日、髪を結わえているのは、彼が朝贈ってくれた花についていたリボンだ。
 ピンクサテンの可愛いリボン。いつもはもっと簡単に、そこらにある本を閉じるための麻紐や革紐でくくるのだけど、せっかく友だちがくれたものをつけないのはもったいないかな、と軽い気持ちでつけてきた。今それを猛烈に後悔している。こんな話題になると知っていたら、絶対つけてこなかった。
「見ないで、自分でも似合わないって、変だって知ってるから」
「い、いや、変なんかじゃない。その、……似合ってる」
 それから、「お前はよく自分を変と言うが」と、ベリザリオがこちらに体を向けた。真っすぐにテティスの顔を見る。
「俺はお前を〈変〉とは思わない」
 きっぱりと言われた。
「それに一緒にいて楽しいと思う。お前がもし真実、変なのだとしても、俺はその変なところが好きだ。だから……そんな顔をするな」
 それは、テティスのコンプレックスを砕く言葉。
 彼は真面目な顔で、テティスが〈変〉ではないと言った。真っすぐにテティスの目を見て。
 世辞などではなく、彼の心の底からの言葉だと信じられた。
 彼は照れ屋さんで、向かい合って話すのにも苦労しているのに。これだけの言葉をテティスに伝えるために、いったいどれだけの気力が必要だっただろう。すべては、落ち込み、うつむいていたテティスのためだ。
 テティスの胸がきゅっとなった。
 ぽかぽかを通り越して、熱くなる。知らなかった。人に肯定される、受け入れてもらえる。それがこんなにもほっとすることだったなんて。
 ベリザリオを見つめるテティスの目から、じわじわと涙が滲む。
「お、おい、なんで泣いてるんだ、お前は」
「だって、だって……」
 ぐいと袖で目をぬぐう。だが後から後から湧いて出る、春の雪解けのような涙は止まらない。
 思えばテティスを受け入れてくれている身内にしても、できれば淑やかな〈普通〉の令嬢になって欲しいと本心では思っているのが黙っていても伝わってきて、テティスはいつも居心地の悪い思いをしていた。皆の期待に添えない自分が悲しかった。
 でも彼は変なところが好きだと言ってくれた。それがありがたくて。
 凍りつき、感覚を失くした枝先に滲みでる雫のようだった涙は、最初は水の湧き出る泉のように、やがては流氷までをも押し流す大いなる河のように怒濤の如くあふれ出す。
 最初はあわてていたベリザリオも、「しょうがないな。出すだけ出してしまえ」と言って頭をぽんぽんとなでてくれた。黙って隣にいてくれる。そんな彼の気配を心強く感じて、ふと思った。
(これ、チェチーリア様が惚れるわけだ……)
 本当にいい男だ。愛され殿下。皆が愛し、一緒にいて楽しいと思う、人気者の王子様。誰にでも優しい、眩い太陽のような人。
 そこでちくりと胸が痛んだ。
(……あれ?)
 自分の不可思議な心の動きに、テティスは首をかしげる。温かで優しくて、どこにも苦痛のない彼の隣。なのになぜ、痛みを感じるのか。ベリザリオが無言のまま手巾を差し出す。ぎこちないなぐさめがすごく嬉しくて、そこでまた、胸がちくりと痛む。
(何、これ。気のせいじゃない。何度も痛む……)
 ベリザリオと一緒にいて、嫌だから痛むわけではない。
 一緒にいるのが嬉しくて痛むというか、疼くというか。自分でもこの感覚がよくわからない。
 そしてもっとわからないのは、彼と一緒にいるのがだんだん居心地悪くなる自分だ。
「あ、あの、」
 テティスはもぞもぞ落ち着かない素振りを隠して言った。
「そろそろ行かないと。朝の点呼が始まるから」
「ああ、もうそんな時間か」
 いつもは時間を忘れて夢中になるのはテティスのほうで、それを注意するのはベリザリオなのに。
 今日はテティスのほうから朝の時間を終わらせた。
 ベリザリオが脱いでいた上着や剣を持って立ち上がり、テティスも急いで荷物をまとめる。
 早くこの場を立ち去りたい。そうあわてたせいか水筒やタオルを入れていた袋の紐が、肩にかけた際に木の茂みにひっかかってしまう。それに気づかずに立ち上がろうとしたテティスは、肩を後ろに引かれた。体がぐらりと揺れる。
「ひゃっ」
「テティスっ」
 仰向けに倒れそうになったところを、彼に抱き留められた。細身なのにがっしりした腕を背に回されて、見た目以上に硬い逞しい胸板に引き寄せられる。
 どきりとテティスの心臓が跳ねた。
「大丈夫か?」
 心配そうな彼の声。彼の胸に片頰を押しつける形になっているからか、いつもよりも低くくぐもって聞こえる。近すぎる声と髪にかかる彼の吐息に、テティスはパニックになった。
 すぐそこに、彼の顔がある。
 顔だけじゃない。彼に抱きつくようにしているから、テティスの手は彼の胸板に触れている。不安定な体勢を支えるように、彼のシャツを握っている。触れた布越しに彼の体温どころか鼓動まで聞こえてきて。あの夜かいま見た、彼の逞しい体を思い出してしまう。
 あの時は白いシャツの間から見えた筋肉を、良い標本を見られたと感謝できた。なのに今はすごく恥ずかしいものに触れているように感じて、体が一ミリたりとも動かない。
「……あ」
 頭の中が真っ赤になった。ちかちかする。
 自分でもうまく説明できない熱が全身を占めて、テティスは返事ができなくなった。喉がしびれて、体までしびれて、彼を見つめたまま動けなくなる。
 ベリザリオが端整な顔立ちをしているのは知っていた。が、近くで見るとすっきりした鼻梁や眉の形の美しさに圧倒されてしまう。長い睫毛が紫の瞳に影を落としていて目が離せない。
 動けなくなったテティスを支えたまま、ベリザリオもこちらを食い入るように見つめて動かない。
 ふわりと秋の風が二人の間を吹き抜けていく。
 不自然な間が空いた。
 体どころか頭の中までしびれて、もうどうしたらいいかわからなくなって泣きそうになった時、ようやく彼が視線を外した。軽く顔を横に向けたままテティスを地面に立たせると、髪についた落ち葉も軽く手で払ってくれる。
「……行こう」
 小さく彼が言う。
 テティスは無言でうなずいた。彼から少し離れて歩き出す。胸の動悸がうるさかった。


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