書籍詳細
残り物には福がある。4
ISBNコード | 9784-8-6669-449-8 |
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定価 | 1,320円(税込) |
発売日 | 2021/12/27 |
ジャンル | フェアリーキスピンク |
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内容紹介
立ち読み
「今回正妃候補者の中にいるアルテナ伯爵の娘であるスザンヌ嬢は、エレーナ王女の邪魔ができればよいと思っている程度の父親と違い、あわよくば本気で正妃の座に収まりたいと思っているようでな。連日何かしらの誘いを受けている。何回か話したが、甘やかされて育った典型的な貴族令嬢だ。なまじ顔が整っている分、愛嬌として納まるところもあるが、嫉妬深さと気性の荒さは隠しきれん。茶を持ってきた侍女にまで後で嫌がらせをしていたくらいだからな。それも踏まえて、先だっての暗殺騒動はスザンヌ嬢の先走りだと思っている」
「……確かに、リオネル陛下がエレーナ王女にちょっかいをかけてた時、凄い目で睨んでましたね」
レイさんが毒針に倒れたあの日のことを思い出して、そう同意する。
例の侍従さん——『毒蜘蛛』を相手に、スザンヌ嬢は怒鳴るように何かを言っていた。タイミング的にはあの人の仕業ではないだろうけど、紛れ込んでいた配下にやらせた可能性はある。
「行動を起こさせるには、スザンヌ嬢の嫉妬を煽るのが一番早い。今まで擦り寄ってきていたスザンヌ嬢とそれなりに交流しつつ気を持たせながらも、正妃候補としてエレーナ王女が内定したという噂を流す。エレーナ王女もナコ達も他の貴族から探りが入ったら、後のことも考えて肯定はせずに匂わせろ。十分に噂が広がったところで、エレーナ王女が王城より安全なグリーデン伯爵家に逗留する、という噂も流す。伯爵家は鉄壁の守りだと有名だからな。派手に送り出した道中で襲ってもらう算段だ」
……特に疑問も浮かばない、シンプルな作戦だった。
なんならそのまま帰国するまで伯爵家にいてもらいたい。きっとお屋敷の皆も歓迎してくれるだろうし、わたしだってもう王城に行かなくても済むし。
「そうだ。従者の……なんだったか」
「レイですか?」
「ああ、ソレには言うなよ。身を挺してお前を庇うくらいだ。間違いなく反対するだろうし、お前の側で殺気を撒き散らされても困る」
リオネル陛下がそう念を押せば、エレーナ王女も思い当たることがあるらしく、素直に頷く。
確かにレイさんなら絶対反対するだろう。エレーナ王女唯一の護衛兼従者が、大事なお姫様を危険に晒すわけがない。ただでさえレイさんは過保護で——エレーナ王女のことが好きなのだから。
「それで、だ。怪しまれないように伯爵家から馬車を出せ。後見人として迎えに来た体を装うからナコ自身が迎えに来る方がいいだろう。後は……」
「お待ち下さい」
機嫌よく話すリオネル陛下にふんふんと頷いていると、旦那様が低い声で遮った。
リオネル陛下を見つめる視線は声音同様、鋭い。
「だ、旦那様……?」
「ナコが同行することは了承できません」
強い非難を含ませ、きっぱりと断る。再び部屋に静寂が落ちると、リオネル陛下は呆れ顔で、エレーナ王女は申し訳なさそうに眉尻を下げてわたしと旦那様を交互に見た。
……あ、そうなるか。……うん、そうなるよね。
今更ながら納得する。だってレイさん以上にうちの旦那様は心配性なのだ。
「旦那様」
そう呼びかけて膝の上で固く握られた旦那様の拳にそっと触れてみる。いつもなら握り返してくれるのに、今は敢えて無視したのか、それとも気づく余裕がないのか、旦那様はコバルトブルーの瞳を剣呑に細め、リオネル陛下をきつく見据えたままだ。
——まずい。このままじゃ本当にわたしはエレーナ王女に同行できなくなってしまう。
「リオネル陛下! あの! わたしお迎え行きます! それと旦那様も同行してもらっても構いませんよね!?」
咄嗟に叫んだわたしの言葉に、旦那様の身体が硬く強張ったのが分かった。開きかけた口を塞ぐ為に旦那様の頭に両手を回し、抱え込む。あああ、みんなの前なのに失礼なことしてすみません! でも、こうでもして止めないと、旦那様の迫力に負けてリオネル陛下が旦那様の言葉に頷いてしまいそうだったから。
おそるおそる旦那様の顔を覗き込めば、その瞳は背中をひやりとさせるほどの怒りに覆われていて、ゾクリと背中が寒くなる、けれどわたしの姿を映すと苦しげに顔を歪ませた。
滅多に見ない表情に、思っていた以上に、旦那様がわたしを危険に晒すことを重く受け止めているのだと気づいた。
「……まぁ、一度暗殺騒ぎがあったというのに、愛妻家のお前がナコの側にいないというのも不自然だろうしな。許そう」
ゆるりと抱えた腕の中で旦那様の顔が動く。
リオネル陛下からは旦那様の表情が見えたのだろう。「そう睨むな」と小さく肩を竦ませたけれど、計画が思い通りに進んだからか、緩やかに口角は上がっていた。リオネル陛下はこうして旦那様を揶揄うのを楽しむような意地悪なところがある。普段旦那様が感情的になることなんてないから余計にそうだ。本当、性格悪いな! 女神様、本当にモゲますように祈りを聞き届け下さい。
どう説得すれば分かってもらえるか、精一杯頭を動かす。そんなわたし達を置いて、リオネル陛下の口から、具体的な日時と手段が語られかけたその時、旦那様はおもむろにわたしの背中に手を回し立ち上がった。わたしはその状態のまま子供みたいに縦に抱え上げられ、一気に高くなった視界にぎょっとする。
「わっ……」
旦那様はわたしを抱えたまま歩き出すと、リオネル陛下の執務机の前でぴたりと足を止めた。
「——私はまだナコの同行を了承しておりませんので」
リオネル陛下を薄く見据えて剣呑に言い放つ。ともすれば殺気の籠った圧力に、誰も——もちろんわたしも何も言えずにいると、旦那様は視線を外して再び歩き出した。無言のまま執務室を出る。
「あの……旦那様……?」
幸いなことに廊下に人通りはなく、わたしは抱えられたまま、おそるおそる話しかけるけれど、返事はない。お顔だってとても近いのに、ちらりとも視線を向けてくれず、言葉に詰まってわたしも黙り込んでしまう。
本宮を抜け庭を越えて、出てきたのは厩舎だった。その中にいた馬番に声をかければ、慌てたように奥から大きな葦毛の馬が引っ張られてきた。
「明日には戻します」
馬番さんにそう言ってわたしを抱き上げたまま馬に飛び乗る。慣れない横座りに落ち着かずにいれば、わたしの腰を自分に寄せてから腕を?み、自分の腰に手を回させた。手綱が引かれ、鐙で合図を送れば、すぐに馬は走り出す。どうやらこのまま伯爵家に戻るらしい。
……リック、置いてきちゃったけど、ユアンさんが状況を察して伝えてくれるかな? それにエレーナ王女、一人きりにさせちゃったな……。もっとわたしが上手い具合に旦那様を説得できればよかった。
動き出しても旦那様は終始無言で、下手に会話をすれば舌を?んでしまいそうな速度で景色が流れていくので、わたしも口を噤んでしまう。
……やっぱり旦那様が断るって言ったのに、勝手に「行きます!」って言ったこと、怒ってるんだろうな……。でも後見人として友人としてできることはしたい、ってちゃんと話したし……。
旦那様の手はしっかりお腹に回されたまま、だけど真っ直ぐ正面を向いているので、その表情を窺い見ることができない。それがとても寂しい。
わたしのことが嫌いに……は、なっていない思う。だからこそこうして心配して怒ってくれているのだから。……多分。うん、いや切実に願うけれど。
旦那様の気持ちを思うなら、勝手に了承するのはやっぱり良くなったとは思う。でもわたしは自分ができることならどうしても協力したいのだ。その為にどんな言葉なら、旦那様が納得してくれるだろう。わたしは馬に揺られながら必死に頭を巡らせた。
結局わたし達は最後までお互い無言のまま、予定よりもはるかに早い時間に戻り、お屋敷の人達を驚かせることになった。いつもなら「先触れを!」と、お小言を言うはずのマーサさんも旦那様らしからぬ雰囲気に何も言えないようだったけれど、アルノルドさんに指示する間も、わたしの腰からお腹に手を回し、離そうとしない様子に僅かに眉を寄せた。わたしと目が合うと、マーサさんはこっそりと「エリオット様は今日も何事もなく過ごされましたよ。もうぐっすりお休みしています」と耳打ちしてくれた。ほっとしてマーサさんに感謝する。これから旦那様と大事な話をしなきゃいけないから、きっと今日は二人きりの方がいい。
お茶も軽食も断り、わたしの腰を支えたまま二階の寝室のある部屋へと有無を言わせない空気で促された。
そして部屋の扉を開けるなり、腕を取られ抱きすくめられる。驚くよりも先に頤が?まれ、上を向かされると、屈み込んだ旦那様の唇が?みつくように合わさった。僅かに開いていた隙間から舌が入り込む。息継ぎする合間すら与えてくれない余裕のないキスに、苦しさと快感に反射的に落ちた涙に気づいたのか、舌を絡ませるねっとりしたキスへと落ち着き、荒い息を残して離れた。
「ナコ……」
親指で涙が伝った?を撫で上げた後、鼻が当たるくらいの近い距離で、旦那様は自分の濡れた唇を親指で乱暴に拭った。そしてわたしを抱き締めたまま、ぎゅっと眉間に皺を寄せ、絞り出すように口を開いた。
「何故、勝手に引き受けたのですか」
真っ直ぐに落とされた視線には、いつもの温かくなるような甘い熱ではなく、肌をピリッとさせるような苛立ちが含まれていた。
わたしはまだ突然のキスに息を整えることができずに、肩で息をしたまま旦那様の顔を見ていた。怒っているんだろう。だけど瞳は不安に揺れて悲しげだ。わたしは旦那様にこんな表情をさせたいわけじゃない。確かに旦那様の許可を得ることは大事だけど、今回ばかりはきっと反対されても、決意は変わらなかっただろう。
「……旦那様。わたしより年下の女の子が頑張るのに、自分だけ安全な場所にいられませんよ。それになんといっても奇跡を起こした元神子ですし、危ない場面になったとしても、殺すよりは利用しようとすると思うんです。なのでさくっとは殺されないと思いませんか」
「そんな恐ろしいことを言わないで下さい。貴女は神子の前に私の愛しい女性で、……エリオットのただ一人の母親です」
ここ数年で初めて見るくらい、旦那様の顔が険しくなる。ああ、これは失敗してしまったかもしれない。だけどこのままじゃ旦那様に押し切られてしまう。
それにしても、エリオットの名前を出してくるなんてちょっとズルい……。
わたしは視線を逸らすことなく、じっと旦那様の瞳を見つめる。
「譲りませんよ、旦那様が許してくれないなら、わたし作戦決行日までエレーナ王女の部屋に居候させてもらいます。わたしは毎日家に帰って、エリオットにも旦那様にも会いたいですが、旦那様が許してくれないなら仕方ないですね。とってもとっても辛いですけど我慢します」
我ながら狡い言い方だと思うけれど、最初にエリオットを引き合いに出したのは旦那様だ。永遠にも一瞬にも思えたその時間をただ黙って見つめ合って、どうかお願いと、言葉に出さずに目で訴えた。
旦那様の顔が苦しげに歪んだのを見て、わたしは思わずその広い背中に手を回した。いつも旦那様がエリオットにしてるように、何度も背中を撫でる。しばらくすると、旦那様は身を屈めて首に顔を埋めてしまったので、その表情は分からない。
旦那様はわたしを抱き締めて首筋に顔を埋めたまま。身長差があるから腰が痛くならないかな、と心配になるけれど、すり、と高い鼻が首元を擦った。そして、ぽつりと独りごちた。
「……数年前に、貴女を気に入っているらしいオセに、『囮にできるくらいの想いなんてたかが知れてる』と、牽制したことがあります。きっと今回のことを知られれば笑われるでしょうね」
突然の話題転換かつ、初めて聞く話にわたしは思わず反射的に「そんな話聞いてませんよ! 後で詳しく聞かせて下さいね」と答えていた。
でも旦那様はそれくらいわたしのことを大事に想ってくれているのだと改めて思い知った。
嬉しい。だけど心配しかかけられない自分が悔しくもある。例えばわたしが旦那様くらい強かったら心配させずに済んだのに。そう思ってから、違う、と気づいた。そのまま気持ちを言葉にする。
「普段わたしだって、それくらい心配してるんですよ」
リオネル陛下の巡察についていったり、国境のちょっとした——っていっても、わたしからすれば物騒な小競り合いの収束に向かう時とか、いつだって不安だ。旦那様が強いなんて、分かりきってるけれど、怪我なんてしませんようにってずっと祈っている。
「だけど旦那様のことを信じて、ちゃんとおりこうさんにして待ってます」
そう言えば旦那様は、うっそりと顔を上げた。
「同じではありません。ナコはこうして私の身体にすっぽりと隠れてしまうくらい小さくて華奢です。狙われればひとたまりもありません」
「確かに、わたしは剣も使えませんけど、……身を守る術は持ってますよ」
疑問に思ったのだろう、片眉を上げた旦那様の頭をそっと撫でてみる。意外と柔らかい髪は触れていると、とても気持ちいい。
「今回は旦那様が側にいてくれるんですよね? それってもう最強だと思ってるし、これ以上のものなんてこの世に存在しませんよ。……それに知ってます? 旦那様は遠く海を越えた小さな国でも子供達のヒーローなんですよ」
「……なんですか、それは」
少し戸惑ったくぐもった言葉に、わたしはここぞとばかりにたたみかけた。
「エレーナ王女とレイさんに教えてもらったんです。ゼア王国には旦那様の絵本まであって、子供達はベルデの英雄ごっこをして遊ぶらしいですよ」
きっと目立つことが苦手な旦那様は複雑な顔をしているんだろうな、と思いつつも言葉を重ねる。
「——だから、ヒーロ—みたいにわたしがピンチになったら助けて下さい。今回はリオネル陛下から側にいてもいいって言質も取りましたし。どれだけ心強いか分かりますか」
「ナコ」
「……それに旦那様がわたしのことをとても大事に想ってくれているのも知っています。怪我なんかして大好きな旦那様を悲しませるなんてしませんから、安心して下さい。ずっと一緒にいるって約束したじゃないですか」
ゆっくりゆっくり考えながら、そう伝える。百パーセント旦那様任せの説得ともいえない言い訳かもしれない。だけどそれが真実だし、わたしの気持ちだ。
「あと囮じゃないですよ。ただの付き添いです。オセ様がごちゃごちゃ言ってきたら、わたしが黙らせますから!」
ついでに、とちょっと気になっていたことも付け加えれば旦那様、耳元で微かに笑った。
「ふふ、クシラータの狂犬も形無しですね」
旦那様は小さな声でそう呟いてからしばらく黙り込んだ。ちょっと顔を傾けて目が合うと、その瞳が眩しいものを見るように眇められた。
「……貴女はだんだん強くなりますね」
溜息交じりにそう言われて、わたしは旦那様の背中を撫でていた手を止める。神様が気合を入れて作ったような端整な顔には、もう怒りは浮かんでいないし、苦しそうでもない。
「……じゃあ今日はわたしが旦那様を甘やかしましょうか。膝枕して、頭を撫でて、眠るまで子守唄を歌ってあげます」
くすくす笑いながらそう言えば、旦那様は小さく喉の奥で笑った。窺い見た旦那様は緩く微笑んで、頭のてっぺんに?を擦り寄せた。
珍しい……! 旦那様が甘えて下さってる……!
うん、いちゃいちゃするのもいいけれど、たまにはこんな日があってもいい。
「……お願いします」
そう呟く声は心細げに掠れて小さい。罪悪感を覚えているのに、それがとても可愛いとも思ってしまう。
「旦那様、好き。大好き。愛してます……!」
込み上げる衝動のままそう訴えて、緩んでいた旦那様の腕の中に納まったまま、少し身体を離した。切なげに目を細めてわたしを見つめる旦那様の?を両手で包み込むと、できうる限りの優しさでそっと唇を合わせた。
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