書籍詳細
聖女を廃業したら、魔王との溺愛生活が始まりました
ISBNコード | 978-4-86669-465-8 |
---|---|
定価 | 1,320円(税込) |
発売日 | 2022/01/27 |
ジャンル | フェアリーキスピンク |
お取り扱い店
電子配信書店
内容紹介
立ち読み
皮肉なくらい、美しい夜空だ。
磨き抜かれた窓の外を、レーアはぼんやりと眺めていた。
聖女の証である銀色の瞳に、満天の星と金色の丸い月が映りこむ。
既に、深夜に近い時刻である。魔法灯火も消された薄暗い王城の広間で、レーアを照らすのは夜空の光だけ。
ほっそりした身体に白絹のドレスを纏い、腰まで届く真っ直ぐな銀髪をした少女は、憂いを帯びる整った顔立ちも相まって、月光の中で幻想的な美しさを醸し出していた。
しかし当のレーアは、今の自分が美しいかどうかなど、心底どうでもいい。
もしも誰かが代わってくれるというのなら、喜んでドレスを渡し、神殿で支給されていた古着に着替えてしまうのに。
思わず溜息が零れそうになるのを堪える。
もう何時間も前からずっとこうして立っているので、正直なところ酷く疲れていた。
春の盛りの今は、寒すぎも暑すぎもしない。一年で最も心地よい季節なのに、不安と緊張と恐怖で、全身に嫌な汗がじっとり滲む。
しかし、気を抜いてだらしなく座り込むなどできなかった。
広間の一画を仕切る緞帳の裏では、大勢の兵士たちがレーアを見張っている。
この日の為に飼ってきた娘が逃げ出さず、ちゃんと『お役目』を果たすようにと。
何もかも不快で、やるせない気分だけれど、それももう終わりだ。
レーアは本日、十八歳になった。
あと少しで、時計塔の鐘が日付の変わる音を鳴らす。
その鐘が鳴るまでの間に、レーアは生贄として隣国の魔王に連れ去られる決まりだ。
古くから豊穣の女神を祀るロヴァエラ王国には、女神の愛し子として強い魔力を授けられた『聖女』が定期的に誕生する。
聖女は血筋や身分に関係なく、ロヴァエラ国内のどこかの家から、二〜三十年に一度、それも一人しか生まれないという風変わりな存在だ。
しかし、貴族の家に生まれようと、貧民窟に生まれようと、聖女は銀髪に銀の瞳という特徴的な容姿を持っているのですぐに解る。
女神から賜った魔力を持つ聖女は、世の魔法使いとは違う独特の魔法を使いこなして、国民から大切に崇められていたのだが……。
三百年ほど昔。
このロヴァエラ王国は、魔族の統べる隣国アランベルと長く激しい戦をしていた。
魔族とは、人に似た姿でありながら、角や翼や尾を持つなどといった異形の姿をした者たちの総称だ。
彼らは人間よりも圧倒的に数が少ないものの、高い身体能力と魔力を有し、種族によっては水中で呼吸ができたり空を飛べたりもする。
その魔族の頂点に立つアランベルの魔王は、特に凄まじい魔力を持っているわけだ。
激しい戦乱により、その頃の記録は殆ど消失しており、残っているのはごく僅かなものだけ。
当時の聖女は魔力で兵の援護をし、しまいには最前線で主戦力となって奮闘した。
だが、流石に魔王にはかなわず、とうとう王都に攻め込まれる寸前となった時、アランベルの魔王からロヴァエラの国王に申し出があったのだ。
——聖女の身柄と引き換えに攻撃を止め、ロヴァエラの捕虜も全て解放し、今までの戦で占拠した地からも全ての軍を引く……と。
国力が弱り切っていたロヴァエラはそれを受け入れるしかなく、聖女も国王の決定に従うと言ったので、国にはようやく平和が訪れたと言われている。
しかし、魔王の聖女を引き渡せという要求は、その一度だけでは終わらなかった。
それから数年後に、ロヴァエラで新たな聖女が無事に生まれたのだが、彼女が十八歳になると魔王が王城に現れ、聖女を引き渡すよう要求した。
ロヴァエラはまだ戦で荒れた国土を立て直すのに精一杯で、魔王の機嫌を損ねてまた戦になってはたまらないと、その聖女も有無を言わさず捧げた。
その後もずっと、聖女が十八歳になるとどうしてか魔王が現れて連れていくので、聖女は生贄として差し出されるものという考えが定着していった。
それがごく自然に受け入れられたのは、聖女を差し出す度に魔王が和平を結び直すと同時に、ロヴァエラを軍事面で支援するようになったからだ。
もちろん、その兵を動かす為の物資や食糧も精求されたが、それもロヴァエラは大人しく支払った。
元々、肥沃な土壌と農畜産に適した気候を持ったロヴァエラの地を狙う諸外国は多かった。
その最大の脅威だったのがアランベルの魔族軍で、それが味方につくとなれば、他の国々も躊躇って迂闊に手を出そうとはしなくなる。
そしてロヴァエラ王国は国外の脅威だけでなく、国内の大規模な野盗団相手にすら魔族軍を頼るようになった。
その結果、徴兵制度が不要となり、代わりに農畜産の発展にいっそう力が入るのは自然な流れだった。
ロヴァエラでは農畜産物の品種改良がどんどん進歩し、どんな悪天候の年でも飢饉にならず、税収も増えて国は豊かになった。
また、男手を徴兵されて、残された家族が悲しんだり困窮したりすることもなくなった。
『十八歳の小娘をたった一人、生贄に差し出す』
それだけでロヴァエラ王国の民が全員、多大な恩恵を受けられるのだ。
よって、聖女は必ず赤子のうちに神殿に引き取られ、十八歳まで育てられた後、魔族の住まう隣国アランベルの魔王に生贄として差し出される。
そしてレーアは、当代の聖女である。
生まれた瞬間から既に、生贄となることが決定していた。
——人間ではありえない魔力量を持つ聖女は、ロヴァエラ王国を繁栄させる崇高な使命の為に、人の胎を借りて女神から遣わされた存在。国の為に身を捧げる栄誉を、光栄に思うべきだ。
それが聖女の心得だと、物心ついてからずっと言い聞かされて育った。
(……私は本当に駄目な子ね。立派な聖女なら、こんな時に怯えたりしないはずなのに)
胸中で、レーアは身勝手な自分にうんざりする。
自分は、何かの間違いで聖女に生まれてしまったのだと思う。
慈愛に満ちた正しい聖女なら、人々の為に粛々とその身を差し出すはず。歴代の聖女は皆そうだったと聞く。
レーアの前の聖女は、グレーテという名で二十二年前に生贄となった。
グレーテは利発だったが活発すぎて、聖女にしてはいささか落ち着きがないと神殿関係者を困らせたことはあったものの、時期が来たら国の為にと立派な態度で魔王の許へ行ったと聞く。
それなのにレーアは、自分が生贄にならなければ国中の人が困ると承知しているのに、どうしても魔王に捧げられるのが怖くて、嫌だと思ってしまうのだ。
ついに大聖堂の鐘が鳴り出し、レーアはビクリと肩を震わせた。
正午と、日付の変更を知らせる鐘を打つ数は、十二回だ。一回、二回と響く鐘の音を、息を詰めて心の中で数える。
(ここまで待っても来ないなんて……も、もしかしたら……)
魔王は聖女の誕生を知らされなくても、十八歳になった日に、ロヴァエラ王城の大広間に迎えにやってくるらしい。
ただ、正確な時間は決まっていないそうなので、レーアは昼過ぎからずっとここで魔王を待つように指示されていたが、一向に現れないのだ。
(魔王は聖女を見てもいないのに、十八歳になったのが解るみたいだもの。私が神官長様に怒られてばかりの不出来な聖女というのも見抜いて、そんな者はわざわざ生贄にする価値もないと思ったのでは……?)
複雑な想いが胸の中に湧く。
しかし、最後の鐘が鳴り終わる寸前、ふと周囲がいっそう暗くなった。
顔を上げれば、先ほどまで晴れ渡っていた夜空が、ほんの僅かの合間に暗雲で覆われている。
そして次の瞬間、轟音とともに激しい稲光が黒い空一面に走った。
激しい雷鳴がレーアの耳をつんざき、強い光に目が眩む。
「きゃあっ!」
反射的に悲鳴をあげ、レーアはその場にへたりこんだ。
雷は大嫌い——いや、嫌いという一言では足りないほどの恐怖を覚える。
幼い頃、聖女を連れに来る魔王は雷と共に現れるらしいと聞かされて以来、雷が怖くてたまらなくなった。
空を走る金色の稲妻が、恐ろしい雷鳴が、いずれ自分を連れ去りに来る魔王そのものに思える。
それでもいつもなら、空が静まるまで恐怖に耐えていれば良かったのだが……。
「……」
いつの間にか正面に立っていた青年を、レーアは腰を抜かしたまま見上げた。
緞帳の裏に隠れた見張りを除けば、先ほどまで確かにここにいたのは自分だけだった。
窓ガラスも割れておらず、広間の扉はかなり離れたところにあり、厳重に閉められたまま。
それなのに、彼は忽然と現れて、当たり前のようにレーアの前に立ちはだかっている。
まだ二十歳そこそこといった年頃だろうか。
均整の取れた長身で、黒を基調にした上等そうな衣装は、明らかに庶民のものとは思えない。
何よりも青年の全身から醸し出される雰囲気は、圧倒的な威厳に満ちていた。
目の前に立っているだけで気圧されるような威圧感が、ビリビリと彼から伝わってくる。
——彼が魔王だと、直感的に思い知った。
端整な顔立ちの口元は不機嫌そうに固く引き結ばれ、すっきり整えた髪と鋭い瞳は、稲妻を思わせる金色。
彼の目がレーアをじっと見下ろす。
鋭い視線を受け、稲妻に打たれたかのようにレーアの全身に衝撃が走った。
これも魔王の力なのか、それとも王者の貫禄というものなのか。怖くてたまらないのに、吸い寄せられたように視線を外せない。
互いに無言のまま見つめ合い、永遠にも感じられた数秒間が過ぎたところで、ようやく魔王が動いた。
彼はレーアの前に片膝をつき、手を差し伸べる。
「アランベルの魔王エリクだ。当代の聖女殿を迎えに参った。……貴女の名は?」
もしも彼が普通の人だったら、礼儀正しい仕草で手を差し伸べられたのにきちんと気づき、素敵な人だと見惚れたに違いない。
だが、幼い頃からずっと生贄の恐怖に怯え続けたレーアの目には、差し出された魔王の手が、ついに自分を捕まえに来た恐ろしいものにしか見えなかった。
「ひ……っ」
頭が真っ白になって、喉から引き攣った小さな悲鳴が零れる。
魔王に無礼な態度をとらないようにと、この日の為に叩きこまれた淑女の作法など、思い出す余裕もない。
腰を抜かしたまま青褪めて硬直しているレーアを見て、魔王——エリクはさぞ呆れたのだろう。
小さく息を吐き、手を引っ込めた。
緞帳の裏にいる見張りの兵も、突然現れた魔王に動揺しているようだ。
「あ、あれが魔王……」
「聖女の奴、なに座り込んでいるんだよ」
「まさか怖気づいたんじゃないだろうな。さっさと魔王のところに行けよ」
兵たちの声は小さかったが、静かな広間に反響してレーアのもとへ届き、グサリと胸を抉った。
生贄は、聖女に生まれた者の義務だ。
たった一人の犠牲で国中の民が幸せになれる……そう解っていても、生贄にされるのは怖いと怯えるレーアに、神官長はずっと憤りと呆れを滲ませていた。
『民の幸せより我が身を案じるなど、聖女でありながら恥知らずにも程がある。醜く卑しい身勝手な心根を反省し、献身の心を持てるよう頭を冷やすがいい』
灰色の髭を蓄えた神官長の声と、仕置きだと言ってよく閉じ込められていた狭くて暗い物置の光景が脳裏に蘇り、いっそう震えが激しくなって息が苦しくなる。
幼い頃、生贄になるのが怖いと泣いているのが誰かに見つかると、すぐに神官長に言いつけられて、そうやって厳しい罰を与えられたものだ。
(怖がっては駄目……これは、私の義務なのだから!)
不甲斐ない己を叱咤して奮い立たせようとするも、身体が上手く動かない。震えながら、陸に上がった魚のごとく口をハクハクさせて喘ぐばかりだ。
エリクは兵の隠れている緞帳を不快そうに睨み、それからレーアへ視線を移すと、先ほどよりもう少し深い溜息をついた。
「やはり、今ここで何を言っても無駄なようだな」
軽く頭を振って、彼は独り言のように呟き、ふいにレーアを抱き上げた。
「っ!?」
「聖女殿。移動するので、しっかり私に?まっていてくれ」
目を白黒させて狼狽えるレーアに、エリクがそう促す。
「は、はい」
もうどうにでもなれと彼の首に手を回し、目を瞑って頷いた直後、激しい雷鳴が鳴り響いた。
「きゃあああ!」
金の光が視界いっぱいに走り、レーアは悲鳴をあげた。
とっさにしがみつく腕に力をいれると、今度はどこか高い所から落ちるような感覚に襲われる。
悲鳴をあげることすらできず、レーアは必死に歯を食いしばった。
背筋がゾワゾワする浮遊感に耐えているうちに、どこかに着地したようだ。
浮遊感が収まり、そっと頭を撫でられた。
「驚かせたようだが、もう大丈夫だ。アランベルの王城に着いたぞ」
エリクの落ち着いた声に続き、盛大な歓声が響く。
「お帰りなさいませ、陛下!!」
(え……?)
◇◇◇◇◇
「……レーア、か」
机に両肘をつき、頭を抱え込んでボソリと口に出してみる。
古代の言葉で、清らかな泉を意味する女性名だ。
アランベルとロヴァエラを含むこの辺りの国の言語は同じで、どこの国でも取り立てて珍しい名前ではない。
けれど、清楚な雰囲気の彼女にはとても似合っている。
「っ……一時の気の迷いだ」
頭を抱えたまま、エリクは呻いた。
レーアの顔と亡くなった祖母の顔が、交互に脳裏へ浮かび上がる。
雷人の跡継ぎを産ませる目的で渋々聖女を娶った祖父は、リヒャルドが生まれるとすぐに祖母を牢獄に閉じ込めて、食事も満足に与えなかった。
愛した竜人女性を亡くして気力を失った祖父が城を出ていくまで、そんな虐待は続いたという。
エリクが生まれた時にはもう、祖母は手厚い看護を受けて上等な部屋で暮らしていたが、牢獄にいた間の栄養失調により、銀色の瞳は視力を失い、逃げ出さないようにと切られた両脚は義足だった。
それでも祖母は、牢獄で生き残れたのは前王を恐れつつ密かに助けてくれる魔族がいたからだと言い、最後まで穏やかに運命を受け入れて息を引き取った。
(あんな慣習がなければ、おばあ様はここへ寄越されることもなかった。故国で聖女として皆に好かれ、平穏に生きられただろうに……)
エリクは強く拳を握りしめてから、ふぅと力を抜いて溜息をついた。
——祖母の身体がどうして壊れたのか。
——祖父がどんなに愚かで非道な振る舞いをしたのか。
王宮で育てばどうしてもそれらの真相は耳に入る。祖父に対して軽蔑を覚えると同時に、聖女を生贄のように娶る慣習が嫌になった。
そして両親に相談したところ、なんと父も本当は聖女を娶らないつもりだったと聞かされたのだ。
父の場合、王位を継いだ時はまだ国政が不安定だったことから、まずは聖女と白い結婚を貫き、国内の安定と自身の強い発言力を手に入れたところで、形だけの夫婦だったと明かす予定だったらしい。
そしてエリクと同じように、雷人の王を続けるよりもロヴァエラとの交易を重視し、聖女に頼らずに国交を結ぼうと考えていたのだが……両親は表向きだけの夫婦を演じるうちに強く惹かれ合い、本当に夫婦となってしまったのだという。
(まぁ……父上と母上は出会ってすぐに互いを好ましく思っていたそうだが、俺とレーアならばその点は心配なさそうだ)
自分にとってレーアは一目見て声を失うほど魅力的な女性だったが、彼女がこちらを見るなり声を失ったのは、明らかに恐怖を抱いていたせいだ。
先代の聖女である母と、その夫である父に対しては驚きつつも好意的な様子だったが、部屋に案内する時も、やはりエリクに対しては萎縮しているのが見て取れた。
残ね……いや、喜ばしいことだ。あの様子なら、彼女と親密になる可能性などないだろう。
後はエリクもさっさと頭を冷やし、この気の迷いをすっぱり切り捨てればいい。
(聖女と結婚して雷人の子孫を残す慣習は、もはやアランベルに不要! そう主張して撤廃しようとしている身で彼女に一目惚れなど、冗談ではない!)
厳しく己に言い聞かせようとするも、レーアのことを考えれば考えるほど、彼女の姿が脳裏へ鮮明に映し出される。
魔法で移動する時、エリクに怯えて震えながらも必死にしがみ付いてきた姿。
フェルフェルたちがお茶を淹れるのを、目を輝かせて見物している姿。
聖女が生贄になる慣習の撤廃を計画していると聞いて、信じられないとばかりに?をつねっていたのが、また可愛らしくて……。
(いやいやいやいや!! 違う! 断じて気の迷い! 何かの間違いだ!)
頭を抱えて机につっぷし、足をジタバタさせて悶える。
こんなに感情を制御できないのは、祖母が亡くなった日に大泣きした子どもの頃以来だ。
誰かに強いられたわけではなく、その頃にはもう自然と、自分の感情を意識して制御できるようになっていた。
立派な王になりたい……いや、祖父のような自己憐憫と身勝手に浸った愚王にだけは、絶対になりたくないと思っていたからだ。
「陛下。カイです。お呼びと伺いましたが」
扉を叩く音と、聞き慣れた青年の声に、エリクはハッと我に返る。
大急ぎで崩れかけた書類を整え、姿勢を正して椅子に座りなおす。
◇◇◇◇◇
(今日のことは一生忘れない……忘れられるわけがないわ)
あの公園で決まった時刻に口づけすれば永遠に結ばれるなんて、やっぱりただの迷信だけど、初めて口づけた相手がエリクで嬉しかった。
最高の思い出をもらえた。それで十分ではないか。
立ち上がって寝室に行く気力もなく、レーアは窓の外を虚ろに眺めていた。
そのまま、どれほど経っただろう。
ふと遠くからすぐ下の庭へと視線を移した時、月明かりにキラリと光る金色の髪が視界に入った。
(エリク様!?)
こちらを見上げた彼が、窓を開けてくれと身振りで示し、レーアは慌てて窓を開ける。
すると、いつかのように彼は音もなくフワリと宙に舞い、窓から入ってきた。
「今日はすまなかった。特に……公園ではレーアの気持ちも考えずに……」
気まずそうに眉尻を下げたエリクが、開口一番にそう言い出して、ズキリと胸が痛んだ。
謝ったりしないでと、叫びたくなる。
たとえ同情でも、大勢の恋人が盛り上がっていたあの場の雰囲気に流されただけでも、構わない。
ただ、そんな風に後悔に満ちた顔をしないで欲しかった。
「いえ。私もすっかり浮き立っていましたので、どうぞお気になさらないでください」
「……そうか」
エリクがポツリと呟き、しばし重苦しい沈黙が室内に満ちた。
「エリク様……お話はこれだけで宜しいでしょうか?」
レーアは口を開き、精一杯に冷静な声を発した。
「レーア?」
我ながら、随分と感じの悪い対応だと思うくらいだから、エリクも驚いたのだろう。
「アランベルとロヴァエラの関係を変えようと決断してくださったエリク様には、本当に感謝しております。私ももう、これ以上は聖女として生まれた者を辛い目に遭わせたくありません」
背筋に冷や汗が流れるのを感じる。
だが、ここできっぱりと未練を断ち切らなくてはと、己を鼓舞した。
そうしなければ、自分はいつまでもずるずるとエリクの同情と厚意に甘えてしまうだろう。
「私はこちらで、多くの方から十分すぎるほどに良くして頂いております。このうえ、エリク様に甘えて必要以上に一緒にいれば、いずれあらぬ誤解をされてしまうかもしれませんので、私も分を弁えます。私への同情はもはや不要ですので、エリク様は御自分の幸せのことをお考えください」
深々と頭を下げながら、涙が零れそうになるのを必死に堪えた。
エリクにはもう十分すぎるほど良くしてもらったから、これ以上の情けは不要で、本当に好きな人と幸せになって欲しいと告げたつもりだけれど、上手く説明できただろうか?
「違う!」
エリクが怒鳴り、レーアはビクリと身を震わせた。
「確かに、レーアの過去を気の毒には思うが、同情だけで必要以上に近づくような真似はしない。最初から、一目惚れしただけだ!」
「……は?」
呆気にとられて、レーアはポカンと立ち尽くした。
(一目惚れとか聞こえたのだけれど、聞き間違いよね……?)
混乱していると、彼に両手を握りしめられた。
「何も告げなかったのだから誤解されても当然だな。だが、今日だって俺がレーアと出かけたくて誘い出した。あの公園に連れていったのも、この想いが叶うのならたとえ迷信だろうと縋りたかったからだ」
「で、ですが以前、エリク様には想い人がいると仰いましたよね? 事情は知りませんが、望みがなくても他に目を向ける気はないとも……」
しどろもどろに尋ねると、エリクはギョッとしたように目を見開いてから、額を押さえて呻いた。
「あれは……レーアのことだ」
「私!?」
「俺は元々聖女を娶らないと公言していたうえ、レーアにも婚約は破棄するのが前提の一時的なものだと、自分から言ってしまったからな」
肩を落として深々と溜息をついたエリクを、レーアは呆然と見つめた。
自分のどこに彼が惹かれたのかは疑問だが、エリクほどの男性が『望みがない』と言ったのも、そういう事情なら納得できる。
「一目惚れなど生まれて初めてで自分でも驚いたが、最初はすぐに熱が冷めると考えていた。見た目が綺麗なだけの女性なら幾らでもいる。だから、身近に接していればきっと慣れて冷静に見られるようになると思ったのだが……」
「……もしかして、フェルフェルのブラッシングを一緒にすると仰ったのは、それが理由だったのですか?」
あの時の妙に熱心な様子を思い出して尋ねると、彼がギクリと顔を強張らせた。
「レーアだけで手入れするのは大変だと思ったのも事実だが、そういう口実があれば、自然な感じで接点を得られるという打算のうえだったのも確かだ」
エリクは観念したように頷き、話を続ける。
「しかし、レーアと過ごしていると楽しくて、飽きるどころかどんどん惹かれていった。最初は、大切に庇護しなければ壊れそうな儚い美少女という印象だったのに、レーアの意外にも強くて賢い面が見えていっそう魅力的に……」
「ま、待ってください!」
この続きは「聖女を廃業したら、魔王との溺愛生活が始まりました」でお楽しみください♪