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魔力なし令嬢ですが、国一番の魔法使いと溺愛新婚生活始めました

月宮アリス / 著
春原くらげ / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-470-2
定価 1,320円(税込)
発売日 2022/02/25
ジャンル フェアリーキスピンク

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内容紹介

《人嫌い魔法使いが新妻の愛を得るべく四苦八苦!?》
魔法使いの家系でありながら魔力を持たないお荷物娘として育った貴族令嬢エリーゼ。そんな彼女に求婚したのは何とこの国一番の魔法使いで、人嫌いと有名なアレックスだった! 彼の真摯な眼差しに抗えず承諾したものの、落ちこぼれの私になぜ!? けれど新妻を喜ばせようと四苦八苦する夫の姿に、エリーゼも次第に心を開いていき……そんな中、彼女に「緑の精霊の生まれ変わり」と称される能力が発現。二人の甘い新婚生活にも波乱が起こり始め――?

立ち読み

 焼き栗を食べるのは初めてだった。実はかなり前から気になっていたのだが、昔付けられた家庭教師から「貴族の娘が町での買い食いなど非常識」と言われたことがあり、買う勇気が持てなかったのだ。
 恐る恐る口の中に放り込んでみると、それはとてもほくほくとしていて、ほんのりと甘かった。
「美味しい!」
 嬉しくなって少し大きな声が出てしまった。
 日なたとはいえ、冬の外気は冷たい。お腹がぽかぽかと温まると、心の中までほんわりとしてくる。エリーゼはつい、夢中になって一つ、また一つ、とおすそ分けされた焼き栗に手を伸ばす。
 だから気が付かなかった。公園の上を旋回している大きな影に。
 突然強風に襲われたエリーゼは、思わず目をつむった。今日は朝から無風だったはずなのに、一体どうしたのだろう。
「きゃぁぁ!」
 もう一度強風にあおられた。紐が少し緩んでいたのか、ボンネットがエリーゼの頭から外れてしまい、宙へ舞う。琥珀色のくせっ毛が風と共に暴れ出す。
 どうにか上を向くと、舞い上がるボンネットの先に、何かがいた。大きな翼を持った鳥だ。明るい茶色の羽を持つ鳥は、水鳥とは比較にならないほどの大きさで、彼が羽ばたくことで強い風が生まれているのだ。明らかにあの鳥はエリーゼを見据えている。
 エリーゼは恐怖に瞠目した。あんな大きな鳥はフィデリスでは見たことがない。魔鳥なのかもしれないと思った。文字通り、魔法の力を有する鳥のことだ。
 三度目の風はエリーゼの前後左右から襲い掛かった。今しがた座っていたベンチがガタガタと大きく揺れている。
 ふわりと身体が宙に浮く感覚がした。このままでは飛ばされてしまう。
 恐怖が襲ったその時、エリーゼの腕が引き寄せられた。
「大丈夫か」
 低い声が耳をくすぐった。すぐ近くから聞こえるそれに、そっと目を開ける。誰かがエリーゼの身体を引き寄せ支えていた。
 それは黒髪の男性だった。先ほどまで、近くのベンチに座っていたあの青年である。初めて聞いた声は、なぜかずいぶんと耳になじんだ。
 彼は宙に投げ出されそうになったエリーゼを自身へ引き寄せたのだ。トンッと地面に足が着く。いつの間にか風が止んでいた。
 黒髪の青年は、先日十八歳になったエリーゼよりも十くらいは上だろうか。このように年若い男性と密着したことがないため、エリーゼはこんな時なのに、心拍数がものすごく上昇するのを感じた。
 だが、びっくりしている暇はなかった。頭上にはまだ、怪鳥が留まっていて、羽を大きく動かしている。そのたびに周囲に突風が生まれていく。背後で木々が倒れる気配がした。
 それなのに、エリーゼの周りは無風だ。
(もしかして……この人、魔法使い?)
 エリーゼはぼんやりとすぐ上の青年の顔を仰ぎ見た。彼は涼しい顔をして、やおら腕を伸ばした。
 怪鳥がくちばしを大きく開き、紫色の煙を吐き出したその時。
 光の矢のようなものが怪鳥の周りに現れたかと思うと、突然長く伸び、あっという間に怪鳥を囲んで縛り上げた。
 バシャン、と大きな水音がした。怪鳥が人工湖に落ちたのだ。
 青年がエリーゼから離れて飛び上がった。飛空魔法だろうか、そのまま湖の上へと飛び、水面から何かを引き上げた。
 こちらに戻ってきた彼はエリーゼの前にやってきて、何かを呟く。すると、彼の腕の周りに風が起こった。先ほどの強風とは違う、穏やかな風だ。
「きみのだろう?」
「はい……ありがとうございました」
 差し出されたボンネットはきれいに乾いていた。魔法を使い、ボンネットを乾かしてくれたこと、それから助けてくれたことに礼を言う。
「怪我はないか?」
「は、はい! あ、あの……?」
「何だ?」
「あの鳥は一体……?」
「あれは風毒鳥だ。群れからはぐれた若鳥か何かだろう。王都の結界は鳥などの動物は弾かない。冬で餌に困って迷い込んだのだろうな」
 青年は誰に聞かせるという風でもなく淡々と言葉を紡いだ。
 次いで腕を伸ばすと、光の縄でぐるぐる巻きにされた風毒鳥が浮かび上がる。じたばたと動いているが、魔法の縄はびくともしない。
「どうするのですか?」
「魔法省の管轄部門にでも持っていく」
 青年はそれから後ろを見た。風毒鳥のせいで、木々は倒れ、いくつかのベンチもひっくり返っている。だいぶ酷いありさまだった。
 青年はエリーゼから少し離れ、嘆息した。
 それから、奇跡が起こった。
 彼が小さく詠唱すると、根元から倒れた木々が起き上がり、大地に根差した元の状態へ戻った。ベンチも然り。風毒鳥の被害は跡形もなく消え去った。
 エリーゼはぽかんと口を開けて、その光景を見つめてしまう。こんなにも大掛かりな魔法を使えるだなんて。彼は凄腕の魔法使いだったのだ。
「すごい……」
「別に……このくらいすごくはない」
 青年の声はまったく揺らいでいない。彼にとっては、このくらいの魔法は朝飯前なのだろう。
「でも、その……ありがとうございました。助かりました」
「おそらく、きみの持っていた食べ物に惹かれたのだろう」
 そういえば焼き栗を食べていたし、鞄の中には手つかずの昼食も入っている。
 そこでエリーゼはハッと思い至った。
「あの! ……助けていただいたお礼に……その。ごはん食べませんか?」
「……別に礼が欲しくて助けたわけではない」
 そっけない返事に、エリーゼは彼の純粋な好意を踏みにじってしまったのだと後悔した。完全な自己満足だったようだ。
 それに、見ず知らずの女から突然そんなことを言われたら、いくらお礼とはいえ警戒するかもしれない。
「あ……えっと。ごめんなさい」
 どうにか取り繕うとするも、上手く笑えなかった。
「礼などなくても、私はきみを助けた。だからそんな泣きそうな顔をしないでくれ」
「すみません」
 ものすごく気を使わせてしまったと気づき、エリーゼはいよいよ逃げ出したくなった。
 ぺこりと頭を下げて身を翻そうとすると、唐突に青年に腕を摑まれた。
「……一緒に食べてもいいのか?」
「え……?」
「私が食べれば、きみの分を取り上げてしまう」
「いえ! 大丈夫です。あの、さっき焼き栗も頂いたんです。一緒に頂きましょう」
 エリーゼが大きく頷くと、青年が少しだけ口角を持ち上げたような気がした。
 何やら嬉しくなり、エリーゼは彼をベンチに案内して、鞄の中からサンドウィッチを取り出した。
 フォースター家の料理番が腕によりをかけて作ってくれたサンドウィッチの具材は、定番のチーズとハム、そして柔らかく煮た豚肉に蜂蜜とマスタードのソースをからめたもの。これらと一緒にピクルスとビスケットが入っていた。
「どちらか好きな方を選んでください」
「きみが先に選んでいい」
「で、ですが」
 一応お礼なので彼に選んでほしいのだけれど。どうにか伝えようとすると、青年は察してくれたのかゆっくりとチーズとハムを挟んだものを手に取った。
「いただきます」
「……いただきます」
 エリーゼのあとに青年が呟いた。ぱくりとかぶりつくと、豚肉のうまみがソースに絡みついて口の中で弾ける。
 二人はそのまま前を見つめてサンドウィッチを食べた。ピクルスとビスケットも平等に分け合い、焼き栗は、自分は先ほど食べたから、と言って残っていた分を剝いて、青年に手渡した。
「わたし、初めて焼き栗を食べたんです。ちょっと冷めてしまったけれど、ほくほくしていてお腹の中まで温まって。とても美味しくて」
 はい、と手渡すと青年が口の中に焼き栗を放り込む。まだほんのりと温かいそれをもう一個剝く。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
 会話はあまりないけれど、穏やかな時間が過ぎていった。
 完全に食べ終わると、青年が立ち上がった。捕らえた風毒鳥を引き渡しに行くのだという。
 エリーゼもそろそろ帰る時間だ。あまり長い間出歩くことを、父は好ましく思っていない。立ち上がり、帰り支度をする。
「改めて、今日は本当にありがとうございました」
「いや……構わない」
 向かい合い、青年を見上げる。二人の視線が絡んだ。
 トクン、と音が鳴った気がした。人工湖の水が跳ねた音だろうか。
 目の前の青年の眼差しは、静かだけれど逸らすことのできない熱を宿しているようだった。
 このまま時が止まってしまうのではないかと思うほどの静寂に包まれた。
 二人の間を風が抜ける。途端に世界が音を奏で出した。
 これでお別れなのだろうか。どうしてだろう、また彼と話をしてみたいと思った。名前を聞いたら、失礼だろうか。
 後ろ髪を引かれつつもぺこりと頭を下げて歩き出そうとすると、青年が急いたように口を開く。
「食事、美味しかった。鳥以外にも餌付けをするのはいいが、あんまり初対面の男を易々と信用するのは良くない」
「あの……?」
「だが……、また機会があれば一緒に食事をしてもいいか?」
「は、はい。また、ここでお会いできれば」
 初対面の男を信用してはいけないと釘を刺しておきながら、また一緒に食事がしたいと言う。
 それなのに、エリーゼもまた、この人と並んでお昼ごはんを食べてみたいな、と思ったのだった。
 これは、何という気持ちなのだろう。
 不可思議なのに、ちっとも不快ではない。まだ知らぬその感情に、エリーゼの胸の奥が奇妙にざわついた。

◇◇◇◇◇

「皆さま、今日は我がフォースター家の次期当主お披露目の場にようこそお越しくださいました」
 朗々たる声が部屋に響いた。
 招待客らが一斉にお喋りをやめ、声の主であるマーカスへと視線を集中させる。
 彼の隣には、薄桃色の華やかなドレスに身を包んだマリージェーンの姿がある。自信に満ち溢れた顔は輝き、紅潮している。近くには叔父夫婦も控えている。
「私の姪である、マリージェーンはとても優秀で、王立魔法学院では優秀な成績を収めております。まさに、将来のフォースター家を担うに相応しい人物と言えるでしょう」
 マリージェーンが優雅に膝を折った。人々がゆっくりと手を叩き始める。
 彼女は拍手の音に満足そうに笑みを湛える。それらが鳴りやむと、彼女のもとには再び祝いの言葉を告げる人だかりができ上がった。時折、マリージェーンの弾んだ声がエリーゼの耳に届く。
 今日一番のイベントが終わり、エリーゼはいよいよ身構えた。お披露目が済んだのだから、今度は自分の番だ。サイムズ・ウェイド男爵も、おそらくこの場にいるのだろう。
 部屋の隅で存在を消すように息をひそめていたところを、父に見つかった。
「エリーゼ、ここにいたか」
 マーカスの隣には、薄い金髪に栗色の瞳をした、初老の男がいた。横に太い身体を揺らし、初対面のエリーゼを上から下へ舐め回すように眺めてくる。彼が、ウェイド男爵なのだ。
「紹介する。こちらがサイムズ・ウェイド男爵だ。エリーゼ、ご挨拶をしなさい」
 マーカスが感情の籠もらない声で促してくる。
 エリーゼはドレスのスカートを小さく持ち上げた。
「はじめ――」
「フォースター侯爵。こちらにいらっしゃったか」
 エリーゼの挨拶にかぶせるように、マーカスを呼ぶ声が響いた。
「シェリダイン閣下……」
 マーカスが驚きの声をあげる。
 三人の間に割って入ったのは、アレックスだった。
 先ほど対面した時と同じ、黒髪に濃い色の夜会用の衣服に身を包んだ、アレックスだ。
 彼を「閣下」と呼んだマーカスの声で、エリーゼは理解した。やはり、公園で自分を助けてくれたアレックスこそが、この国で一番の魔法使いなのだ。
「いかがなさいましたか、閣下」
「今日は、あなたにお願いがあって来た」
「お願いですと?」
「ああ」
 マーカスが訝しむ。
 アレックスはゆっくりと頷き、エリーゼに視線を移した。
 マーカスも釣られてエリーゼに視線を寄こす。先が読めないことへの不満なのか、唇を引き結んでいた。
「エリーゼ・フォースター嬢を、私の妻にすることを許してほしい」
「なっ! ……」
 ひっそりと、けれども興味津々で成り行きを見守っていた招待客たちは、アレックス・シェリダインの言葉を聞いてどよめいた。
「しかし、この娘は……」
「エリーゼ嬢は、まだ何の契約も結んでいないと聞いている。そうだろう、ウェイド男爵?」
 アレックスがすぐ近くに佇むウェイド男爵に顔を向けた。
 ウェイド男爵は、アレックスから問われ、視線を素早く周囲へと動かした。
 そして招待客の耳目を集めている現状を正確に読み取ったのか、彼は懐から手巾を取り出し、額に浮かび上がった汗を拭きとる。
「……ええ、そうですな。いやはや、フォースター侯爵もお人が悪い」
「いや、私は何も」
「エリーゼ、今日この場で、きみに求婚してもいいだろうか」
 その声はよく響いた。
 周囲の人間たちが息を呑み、そして話の行方を追う。
「私は少々、用事を思い出したので失礼しますよ」
 ウェイド男爵がそそくさとその場を離れた。
 マーカスは彼を追おうと足を踏み出しかけたが、結局エリーゼとアレックスの会話のほうが気になるのか、その場から動くことはなかった。
 当のエリーゼは、自分を見つめる黒曜石の瞳から逃れたかった。
 しかし、縫い留められたように、視線を動かすことができない。
 心臓が壊れてしまったかのように騒ぎ出した。
 アレックスの言った言葉が信じられない。
 動けないでいると、アレックスが一歩エリーゼへと近づいた。至近距離で、そっと囁かれる。
「私の妻になるのは、言葉を失うほど厭わしいものか?」
 エリーゼは即座に首を左右に振った。
 そんなことはない。
 父から結婚の話を聞かされた時、まっさきに彼の顔が浮かんだ。もう会うことはないと心に決めた時、悲しくて苦しかった。あんな胸の苦しみは初めてだった。
「お願いだ。ここで頷いてほしい。断れば、きみはまた、私ではない別の男をあてがわれる」
 その言葉にハッとした。顔を上げると、アレックスと目が合う。
 彼は流れる動作で、エリーゼの手を取り、その場に膝をついた。
「エリーゼ・フォースター。私はあなたを生涯にわたり愛することをここに誓う。この場にいる皆が証人だ。私に、きみの愛を与えてはくれないだろうか」
 流れるような求婚の言葉に、周囲がさらにどよめいた。アレックス・シェリダインは、このように公衆の面前で堂々と求婚を行うような男ではないことを熟知しているからだ。
 手の甲に、そっと唇が押し当てられる。
 手袋越しにふわりと触れられた箇所が妙に熱くなった。
 こんな気持ち、初めてだった。
 どうしてだか泣きたくなった。
 アレックスはなぜ、エリーゼに結婚を申し込んだのだろう。
 結婚に焦っているのだろうか。周りがうるさいから? フォースター家とシェリダイン家ならつり合いが取れているから?
 でも、父は許してくれるのだろうか。
 エリーゼはそこまで考えて、アレックスを拒絶したらどうなるのだろうと思いを巡らせた。
 彼がさっき囁いたように、別の男をあてがわれることになるのだろうか。
 アレックスか、別の男か。今ここで選ぶということなのか。
 彼を選んでもいいのだろうか。エリーゼは、何も持っていないというのに。それなのに、彼の手を取ってしまっていいのだろうか。
 葛藤は、時間にすれば短いものだったのかもしれない。鼓動がまだ激しくて、呼吸もままならない。
 アレックスの唇が触れた箇所がなおも熱く主張している。
 どのみち、フォースター家にエリーゼの居場所はない。
(わたし……アレックス様の妻になっても……いいの?)
 分からない。揺れる瞳をアレックスの黒曜石に捉えられる。
「エリーゼ。どうか、私の妻に」
 名前を呼ばれて、トクンと感情が大きく揺さぶられた。
 もしも、これが夢ではないのなら。いや、夢であるのなら、このまま覚めないでほしい。
「アレックス様の……お申し出、謹んでお受け、いたします」

◇◇◇◇◇

「新婚生活はどうだい? 可愛い妻にがっつきすぎて、新婚早々ドン引きされていない?」
 にやにやと、好奇心に満ちた顔をしながらずかずかと部屋の中に入ってきた王太子ブラッドリーに、アレックスはぴくりと眉を持ち上げた。
「私は殿下とは違う。がっついて足蹴りなど食らわない」
「あれは愛ある足蹴りだよ? 私の愛するブリギッタは奥ゆかしくて恥ずかしがり屋さんだからね」
 どうやら息抜きの時間らしい。
 バートが即座に部屋から出ていった。
 ぱたんと扉が閉まると、ブラッドリーは行儀悪くアレックスの執務机の隅に腰かける。
 艶やかな栗色の髪をさりげなく後ろへ流し、明るい色の宮廷装束を身に纏った彼は、一見すると優男にも見えるが、これで剣も魔法の腕も一流だ。
 彼は人好きのする笑顔をアレックスに作って見せた。
「人に興味のなかったアレックスが、まさか公園で出会った女の子に惚れるだなんてね。人生何が起こるか分からないものだね」
 ブラッドリーとアレックスは同世代であり、共に王立魔法学院で学んだ仲でもある。
 アレックスは飛び級をしたため、全学年一緒というわけではなかったのだが、類稀なる才能を見せたアレックスはブラッドリーの友人として、王城に招かれることも多かった。そのため、二人きりになると大分砕けた言葉遣いになる。
「それで。私が伝授した夫婦生活は実践している?」
「ああ。あれは役に立った。感謝する」
 素直にそう言えば、ブラッドリーはぽかんと口を中途半端に開けた。
 締まりのない顔のまま黙り込んでしまったため、アレックスは訝しむ。
「何だ?」
「いや。……ていうか、きみがあれをしたんだ……」
「殿下が、夫婦たるもの、スキンシップを図るために朝食時は互いに食べさせ合うものだと言ったんだろう」
 基本、人間よりも魔法の勉強のほうに興味を示していたアレックスは、人付き合いというものが好きではない。
 そのため最初、エリーゼに恋したのだという自覚すらなかった。彼女から会えないと言われて、心臓が潰れそうになって、初めて己の恋慕に気が付いたくらいだ。
 一度は諦めようと思ったけれども、彼女を取り巻く家庭環境を知った際、マーカス・フォースターがエリーゼを疎んじるというのなら、自分が貰おうと開き直った。
 外堀を埋めて婚約にこぎつけたまでは良かったが、いかんせんアレックスには女性経験がなかった。というか女性への興味がなかったというほうが正しい。
 友人兼将来の上司(現在の上司は彼の父である国王である)でもあるブラッドリーは、そんなアレックスのために色々な知識を伝授した。彼は数年前に妻を娶っており、夫婦生活の先輩でもあった。
 世の常識だと教えられた夫婦間のスキンシップを実践してみたところ、妙に照れる場面もあったが、エリーゼの可愛さに内心悶絶したのも事実だ。
「ああ、言ったね。夫婦は互いにご飯をあーんして食べさせ合ったり、膝枕をしたり、一緒にお出かけをしたり、一緒に湯あみをしたり。……え、ちょっと待って。湯あみもしちゃったの? 私だってまだなのに」
「いや。まだだ」
「良かった。私だって、一緒に湯あみはまだなんだから、そこは先を越されたくないなあ」
「だが先を越すのも時間の問題だ」
「うわ。ずるいぞ! アレックス。ちょっと前まで女なんて香水臭いし自己主張が激しすぎるしうざいとか言っていたくせに!」
「エリーゼはいい香りがするし、ふわふわと柔らかいし、話をしていて飽きない」
 正直な所感を伝えれば、ブラッドリーがまた口をぽかんと開けた。
「……ベタ惚れじゃないか」
「暇つぶしならさっさと帰れ。私はできうる限り早急に仕事を切り上げて家に帰る」
「家に帰るのが面倒で宿直以外の日もほぼ王城で寝泊まりをしていた人間の台詞とは思えないね」
「ここにエリーゼはいないだろう?」
「人嫌いの大魔法使いが恋をすると、ここまで変わるものなんだねえ。フォースター侯爵が、あれほど可憐な娘を隠していたのも驚きだったけど」
「エリーゼを変な目で見ないでもらおうか」
 アレックスがじろりとブラッドリーを睨み上げると、彼は肩をすくめてからりと笑った。
「私はブリギッタ一筋だよ? 口説き落とすのに、一体どれほどの労力を使ったか。まあ、きみの協力のおかげだね。移動魔法は便利だねえ」
 だから感謝しているんだよ、とブラッドリーは片目をつむって、紙切れを手渡してきた。
 王太子ブラッドリーの妻は、他国の王族出身だ。外交で出会い、一目惚れをしたブラッドリーがその後猛攻をかけてブリギッタを妻にしたのだ。国で一部隊を任される魔法騎士隊長でもあった彼女は、最初こそブラッドリーを鼻であしらっていたが、次第に絆され――いや根負けした。ブラッドリーの粘り勝ちであった。
 友好国の王族ということもあり、結婚はすんなり了承された。アレックスは主に、移動魔法を駆使することで彼の恋に協力した。
 訝しみながら渡された紙を開いてみると、フィデリスの住所がいくつか書かれてある。意図が摑めずアレックスは目を眇める。
「何だ、これは」
「王都で、女性たちに人気の店だよ。城勤めの女たちに話を聞いたんだ」
「殿下が聞いたのか?」
「まさか。女官長に頼んでおいたんだよ。私たちも、お忍びで出かけようと思って。ブリギッタは可愛いもの好きだからね。これはそのおすそ分け。エリーゼ夫人を連れていってあげなよ。きっと、喜ぶと思うよ」
 ブラッドリーはそう言って休憩を終えて部屋から出ていった。
 アレックスは置き土産の紙切れをじっくりと吟味する。
 確か、ミモザ夫人も言っていた気がする。恋人同士でお出かけをして仲を深めていくのだと。
 次いで、最近手に入れた書籍を取り出した。
 頁をめくって、お目当ての内容を探し出す。なるほど確かに、と頷きつつ書かれている文字を辿っていると、バートが戻ってきた。
「って、仕事に戻ったと思ったら何してるんですか」
 口やかましいバートがアレックスから本を取り上げた。
「返せ」
「書類読んでるかと思えば、何『紳士淑女の正しい男女交際の進め方』なんて、思春期真っ盛りな本読みふけってんですか!」
「殿下に貰った。いや、押し付けられたというほうが合っているな。しかし、今読んでみて分かったのだが、役に立つな、これは」
 ブラッドリーに押し付けられた時、自分たちはすでに婚約をしているのだからこんなもの必要ないと机の引き出しにしまい込んでいた。もっと熟読しておけば良かった。
「へえ……殿下がですか」
 バートが乾いた声を出した。
「王城の書庫にあったのだろう」
「んなもん、王城にあったらドン引きするわ!」
 バートは勢いよく叫んで、取り上げたそれを背中に隠してしまう。
「返せ」
「さっさと仕事しろよ!」
「それよりも重大事項が発生した」
「何ですか」
 バートは律儀に返事をした。
「婚約期間中、仲を進展させるために世の男女は連れ立って出かけるらしい。観劇やら、公園、サロンなど。そういえば私はいつもミモザ家を訪れてばかりで、エリーゼのために街の珍しいものを探し出す努力を怠った」
 考えればずーんと心が沈んだ。
 婚約の記念にと贈り物をしたところまでは正解だったはずだ。身一つでアレックスのところに嫁いできても問題ないように、ドレスなどの装飾品から日用品に至るまですべて揃えるよう手配をしたのだ。
 しかし、正しい男女交際のあり方については完全に失念していた。これまで婚約も結婚もしたことがなかったのだ。つくづく、ブラッドリーの親切を無下にしたことが悔やまれる――と、友人の遅い青春に対し斜め四十五度傾いた助言をしてくる王太子に振り回されていることなど、アレックスは知る由もない。
 人並みに世間慣れしたバートは、師匠のずれた発言に頰をひくつかせた。
「というわけで私は今から出かける」
 アレックスは立ち上がった。
「どこへ?」
 嫌な予感にバートは半泣きである。
「エリーゼのために、フィデリス中の店を調べてくる。それとも、珍しい鳥を見るために旅行にでも誘うか。いや、そうするとエリーゼは私よりも鳥にかまけてしまう……」
「いや、もうあんた仕事しろよ」
 このあと短くない時間、アレックスとバートの不毛な応酬が続いた。


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