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腐女子ですが、このたび推しの元に嫁がされそうです

十帖 / 著
緒花 / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-490-0
定価 1,320円(税込)
発売日 2022/04/27
ジャンル フェアリーキスピュア

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内容紹介

貴方の隣にふさわしいのは、私じゃなくて“攻め”です!
筋金入りの腐女子から侯爵令嬢に転生したフィニは、今日も今日とて国王ロランの“総受け”妄想に心血を注ぐ日々。月のように冷たい美貌と哀しい生い立ちを持つ彼が、腹心の部下たちに愛される物語を創作して、腐女子の血を滾らせていた。それなのにある日、父である侯爵の勘違いによって、なんとロランの妃候補として後宮入りすることに!? ちょっと待って、私が推しの隣に立ってほしいのは素敵な“攻め”であって、私自身ではないんですけど――!!
「今から言う台詞は君にしか言わないから、BL妄想では使うなよ――愛している、俺のすべてをかけて君を」

立ち読み

「お嬢様……? 感動で泣くか興奮するか笑うか、どれかに絞っていただけますか? ものすごく情緒不安定に見えます」
 後宮を出て修練場に向かう道中、付き添いのタナリカがフィニに囁く。
 シリルに先導された他の妃候補たちも浮かれた様子だが、やはり一番舞い上がっているのはフィニだった。クリスマスが半年早く来た子供のようにはしゃぎながら、熱弁を振るう。
「だってだって、陛下の鍛錬のご様子を見学できるんだよ……!? しかも騎士団の花形、第一師団との! 後宮では、陛下と殿方とのやりとりなんて滅多に拝めないんだから、網膜に焼きつけなきゃ……! 私、今から見学が終わるまで絶対に瞬きしないからね……!!」
 普段は水分量が多く潤んだフィニの目も、今はギラギラと血走っている。
「そ、それほどまでに……?」
「当たり前でしょ! 陛下受けにハマってこの方、何回修練場のシーンを同人誌で描いたと思ってるの!? それに今までは、実際に修練場を見たことがないから想像で描くしかなかったけど、実際に足を踏み入れられるなんて……これは聖地巡礼と言っても過言ではないのでは……!?」
「勝手に妄想の中で使用した場所を聖地にしないでください、お嬢様」
 ドン引きするタナリカに、フィニはそっぽを向く。
「いいの! 鍛錬が始まったら陛下とその周りにしか目がいかないから、先に修練場の風景を模写しなきゃ。ついでにこうやって後宮の外の風景も……資料資料。新作の背景に使えるもんね……」
 フィニはバインダーに挟んだ紙にペンを走らせて、歩きながら器用に風景を模写していく。柱廊や幾何学模様の庭園をキョロキョロと見回す主人を、タナリカは注意した。
「ちゃんと前を見て歩かないと、転びますよ」
「分かってるよーだ。陛下と騎士団の皆様との鍛錬を見学できないまま転んで死んだら、私絶対に成仏できない……!」
「じゃあ着くまで絵を描くのは我慢してください、お嬢様……」
 タナリカは弱々しく諭し、浮かれるフィニからペンを取りあげた。

 修練場は王宮の東西南北に各一箇所あるらしいが、今日は天気がいいので観覧席のある野外の場所を使用することになったらしい。北の位置にある修練場の入口は、凱旋門を彷彿とさせるほど大きく荘厳だった。
 門をくぐった先には巨大な戦士の石像が立っており、高い位置からフィニたちを出迎える。その先に、六角形の開けたフィールドがあった。
(何となく、造りはコロッセオに似てるかな……。うわあ、普段はここで陛下やリクシス様が鍛錬に励まれてるんだ……!)
 前世の世界遺産を思い浮かべながら、フィニは子供のように目を爛々とさせた。
 修練場には、すでに王宮騎士団の第一師団が少しの乱れもなく整列している。筋骨隆々の彼らは、騎士団の中でも精鋭の中の精鋭だ。
 漆黒の訓練服を纏った団員らを目にした妃候補たちは、年頃の女性らしく黄色い声を上げた。シリルの誘導により階段状にせりあがった観覧席へ連れられ、侍女にクッションや飲み物を用意してもらいながら物珍しそうにフィールドを覗きこむ。
 日よけの屋根から身を乗りだす勢いの妃候補もいる中、フィニはウンディーネ宮の妃候補たちと共に席へ腰を下ろした。
「あーんっ、この距離では陛下が現れても、リクシス騎士団長とどんな会話をしているか聞き取れないですのーっ」
 すっかりリクシス×ロラン推しの腐女子と化した豪商の娘、リネットは悔しそうに両腕をブンブン振りながら言った。
「心配ありませんよ、リネット様。私は読唇術ができるので、一言一句漏らさず教えてあげます」
 リネットの隣にかけるフィニは、フィールドをガン見しながら親指をグッと立てる。
 リネットの逆隣にかけたピアニストのルーナは、オペラグラスを片手に尋ねた。
「まあっ。フィニ様はどうして読唇術が使えるんですか?」
「後宮入りする前、社交パーティーでの陛下と殿方たちとの会話内容で萌えるために会得しました! まさかここで役に立つとは思いませんでしたけど」
 汗水垂らしながら剣と言葉を交わすロランと美男たちの姿を想像するだけで、フィニは頬の筋肉が緩む。にやけっぱなしでいると、明るい声がかかった。
「剣や弓を扱うため危険ですので、こちらの中央エリアの観覧席からは絶対に出ないでくださいね」
 フィールドから観覧席の方まで歩み寄り、爽やかな笑顔で言ったのはリクシスだ。他の騎士団員の訓練服は黒にもかかわらず、一人だけ騎士団の正装である白い制服を着ている。
 真夏の太陽のように光り輝くリクシスの登場に、妃候補たちは色めき立った。彼女たちの歓声には礼儀正しい会釈で応え、リクシスはフィニを見上げる。
「そしてピンクの公女様は……何ですか? そのキャンバスと、大量の紙は……」
 観覧席に座るフィニは、キャンバスを立てかけたイーゼルと大量の紙に埋もれている。日傘やお茶の用意をしている妃候補は多々いるものの、画家のようなスタイルで見学に臨むのはフィニだけだ。
「えへへ。この世界にはカメラがないので、せめて陛下と殿方とのやりとりを絵に描こうと思いまして。その絵を見て思い出せば、いつでもボーイズラブの妄想で萌えられますし……!」
「カメラ……? よく分かりませんけど、相変わらず強烈な趣味ですね……」
 清涼飲料水のように爽やかなリクシスの笑顔がひび割れる。
「それじゃ、ピンクの公女様は陛下にタオルを用意していないのですか?」
「ああ……」
 リクシスの言うタオルには、実はちょっとした意味がある。インディルフィットでは昔から戦争に向かう意中の騎士に、レディーが想いを込めて刺繍を施したハンカチを渡す文化があった。
(これを私だと思っておそばに……ってやつだよね)
 戦争のない今はそれが、修練に励む騎士に刺繍入りのタオルを渡すことに成り代わっていて、人気の騎士ほど大量のタオルを贈られていた。
 戦時中よりは意味合いが軽くなっているので、部活中憧れの先輩にタオルを差しだす前世の感覚に近いだろうか。
 後宮でのお茶会で大部分が腐女子化した妃候補たちだが、沼にどっぷりと首まで浸かっていない者もいる。腐女子でありながら同時に陛下に懸想する者、そもそもBLにはハマらず陛下を恋愛対象として見ている者。そんな彼女たちは、陛下に贈るためのタオルを膝の上で握りしめていた。
「もちろん私もご用意していますよ、タオル」
 フィニはゴソゴソとどこからともなくタオルを取りだし、パンッとしわを伸ばして広げてみせた。それから天真爛漫な笑みを浮かべて言う。
「ちょうどよかったです、リクシス様にこれをお渡ししたくて」
「うわぁぁ……。何で渡す相手が陛下じゃなくて僕なんでしょうね……?」
 嫌な予感がしたのか、リクシスはじりじりと後退した。
「しかも刺繍がL×Lなんですけど!? 何のイニシャルですか!?」
「リクシス様×ロラン陛下のイニシャルです。私は陛下受けが固定なだけで攻めは陛下に釣りあう殿方なら誰との組み合わせでも萌えますけど、やはり騎士団との訓練ならリクシス様×陛下が王道……! ってことで、二人のイニシャルを刺繍してきました」
 フィニは普段の口調より三倍早口で宣った。
「フィニ様は天才ですの!?」
 リクシス×ロラン推しのリネットは鼻息も荒く褒めちぎる。
 フィニはサンタクロースを信じる子供のように無邪気な瞳で訴えた。
「リクシス様、このタオルを差しあげますので、どうかリクシス様から陛下への贈り物として愛を込めてお渡しください。そしてそのご様子をこの遠い観覧席から拝ませてください……っ」
「いや、絶対嫌ですよっ。何で僕が陛下に!? こわっ、腐女子こわっ」
 鬼神のごとき強さを誇る王宮騎士団第一師団長のリクシスは、鳥肌の立った腕を擦りながら断った。フィニは可憐な容貌を悲愴に歪めて追いすがる。
「私なんかが刺繍を施したのがご不快だから断られるのですか!? それなら別のタオルをご用意しますから、どうかリクシス様から陛下に渡すシーンをお見せください……! そこから先のイチャイチャする展開は自分の妄想で補完しますので、どうかご慈悲をーっ」
「勘弁してください! 僕はボーイズラブでしたっけ……男同士の恋愛はダメなんですって!」
 リクシスの絶叫が修練場に響き渡る。
 鍛錬の開始を待ち整列していた団員たちは、唖然とした表情でフィニとリクシスを眺めていた。
「お、おい……あのピンクの髪のお妃候補様……太陽のように穏やかな見た目で相手を瞬殺する、通称『殺戮の太陽』ことリクシス師団長を絶叫させるなんて……只者じゃねえよ……」
「見た目はめちゃくちゃ愛くるしいけどな……」
「ああ、でも何か……男と男の絡みが好きみたいじゃね……?」
「師団長がボーイズラブって叫んでたぞ……文脈を読み取るに、男色のことか?」
「ええ? 後宮にはやべえ方がいるな。しかも彼女以外にもその、ボーイズラブ? ってやつを好きな方がいそうだし……。でもあの冷厳な陛下がお許しになるわけが……はっ……」
 団員たちはそこで言葉を切った。
「騒がしいぞ」
 その一言と共に、烏のように黒い訓練服の上着を肩にかけたロランが姿を現したからだ。
 ゴムを口にくわえてやってきた彼は、風に踊る長い黒髪を掬いあげると、いつもより高い位置で結んだ。ポニーテール姿の彼の麗しさに、数人の妃候補が眩暈を起こす。しかし団員たちは唾を飲みこむと、反り返るほど姿勢を正して動向を窺った。
「大きな声で何を騒いでいる。――――そのピンクの髪は……ストリアス侯爵令嬢か?」
 修練場で一際目立つピンクブロンドを視認したロランは、低い声で問う。
 たちまち、修練場は薄い氷の上に立たされているような緊張感に包まれた。
 ロランが来ていないのをいいことに、国の長で男性同士の恋愛妄想をしようとしていた命知らずなフィニに、どんな罰が下るのか。皆が固唾を飲んで見守る。
「あれだけ大声なら、きっと陛下にも丸聞こえだったよな。ストリアス侯爵令嬢、追いだされるんじゃないか……?」
「まあそりゃそうだろ、陛下と師団長で男同士の恋愛妄想してたんじゃあ……」
 前を向いたまま小声で囁きあい、団員たちはフィニの処遇を気にする。しかし、ロランの反応は彼らの予想と違っていた。
「ストリアス侯爵令嬢、修練場は鍛錬の場だ。俺で妄想するのは勝手だが、声は抑えろ」
 ――――え、陛下公認なの?
 と、リクシスを除く第一師団の誰もが慄き、耳を疑った。
 顎が外れるほど驚く団員たちに、リクシスはうんうんと頷きながら、
「だよな……これが普通の反応だよな……」
 と安心したように呟いた。
 対して叱られたフィニは、しょんぼりと頭を下げる。
「申し訳ありません……」
(リクシス様が陛下に渡してくれないなら意味ないや。自分の汗でも拭くのに使お)
 萎れた花のように消沈しながら、フィニはしおしおと首にタオルをかける。しかし、落ちこんだ気持ちはすぐ興奮に変わることとなった。
 空気を変えようと咳払いしたリクシスが、挑発的に笑う。
「それはそうと、遅かったですね、陛下。てっきり今日の僕との練習試合で、妃候補の方々の前で負けるのが嫌で逃げたかと思いましたよ」
「随分なめた口をきく。訓練服に着替えてきたらどうだ。白い制服ではすぐに土がつくぞ」
 ロランはせせら笑って言った。リクシスは甘いマスクに好戦的な表情を浮かべる。
「ご心配なく。膝をつく予定はありませんので」
 互いに笑っているが、バチバチとした空気が修練場を満たす。二人の会話を間近で聞いていたフィニは、ハラハラするどころか感動に打ち震えた。
(訓練だけじゃなく、試合まで見せてもらえるの……!? 何より……っ)
「きゃあああっ。これこそBLの醍醐味……! 愛しあう二人は、同時に競いあうライバルにもなれるんですよね……! 最高です! ごちそうさまです!」
「ピンクの公女様!? 僕ら愛しあってませんからね!?」
 フィニの都合のいい解釈に突っこみを入れるリクシス。その隣でロランは、ぼそりと呟いた。
「やはりストリアス侯爵令嬢がいる以上、ヒュースの目論見通りにはいかないだろうな」
『タオルを渡しに来た妃候補たちの中から気に入った者を、ロランに選ばせる』というのがヒュースの計画だろうが――――生憎、修練場にいる皆の注目は、BL発言をかますフィニに集まっている。そして本人が無自覚なのが、ロランの笑いを誘った。

 ロランとリクシスの挨拶もそこそこに、観覧席から向かって右手では弓の訓練が、左手では剣の訓練が開始された。
 それぞれ隊長が指揮をとり順調に行われているように見えるが、皆ある一点を気にして集中力に欠けている。
 それもそのはず、ロラン対リクシスの剣の練習試合が、フィールドの中央で行われようとしているからだ。
「あああっ。剣で語りあわんとするお二人のお姿、なんて尊いことでしょう……でもお怪我は見過ごせませんのっ」
 腐女子仲間のリネットは手に汗を握って言った。
 逆にフィニは、感動のあまり一言も発せられなくなる。夢で何度も見た光景が、現実になるなんて……と、二人が礼をしただけで涙腺が崩壊してしまった。
「試合開始っ」
 そうこうする間に、審判の声が修練場に響き渡る。
 訓練服の上着に袖を通したロランの木剣が、開始の合図と同時にリクシスの首へ伸びた。光速で繰りだされた突きを避けたリクシスは、すかさずロランの胴を狙う。
 しかし瞬時に身を翻したロランが、また攻撃に転じる。男同士の決闘を見ているはずなのに、フィニはロランの黒髪が揺れる度、剣を用いた舞を見ているようだと思った。
「二人とも……美しすぎるし強すぎる……」
 瞬きしないと誓っていたフィニだが、凝視していても動きが速すぎて目で追えない。木剣の打ちあう音と残像が、二人が驚くほどの手練れだと教えてくれた。
 足にバネでもついているかのような跳躍力で上から攻撃をしかけるリクシスをかわし、木剣を逆手に持ちかえたロランが下から彼を突きあげようとする。息をつく間もない試合展開に、修練場は静まり返った。
 弓を射る練習をしていた者たちも、的ではなく猛者二人の試合に釘付けになっている。フィニも白熱した戦いに夢中になっていたが、不意にノーム宮の妃候補が二人も前を横切ったため、視界を塞がれてしまった。
「失礼、ごめんなさい」
 そう言って、ノーム宮の妃候補たちは中腰で通り過ぎる。水を差されたフィニは、彼女たちの背中を目で追った。
(……お手洗いかな? その割にはこそこそと……。そっちは観覧禁止のエリアだけど……)

***

「ノーム宮のお二方、お待ちください!」
 フィニは首からかけたタオルをそのままに、ノーム宮の妃候補二人へ声をかけた。
 フィールドの中央で試合に臨んでいるロランの顔が遠くからだが真正面に見える位置、かつ弓の練習をしている団員たちも近場の正面から眺められる位置で、ようやく二人を捕まえる。
 観覧席にはある程度の高さの壁があるが、ちょうどそれに背を向けるようにしていくつもの的が並んでいた。
 フィニが話しかけた時にも、下方で的の射られた音がする。
「何ですか? ストリアス公女様」
 案の定、二人からは迷惑そうな顔をされた。が、フィニはめげずに注意する。
「ここは観覧禁止エリアですよ。戻りましょう?」
「邪魔しないでいただけます? 私たち、陛下にタオルをお渡ししたいのです」
 ノーム宮の背の高い妃候補が、刺々しい口調で言った。
「それは中央の観覧エリアでもきっとできますよ。ここは危険ですから、さあ、戻りましょう」
「嫌ですわ、放っておいてくださいまし!」
 彼女たちはフィニの手を払い、観覧席の最前列へとズンズン下りていく。フィニは二人の後を追い、再び説得を試みた。
「危ないですよ、ここは弓の訓練をされている方々のエリアですから……」
 今日は精鋭である第一師団の訓練のため、矢が舞いこんでくる可能性は低いだろうが、ないとも言いきれない。
 しかしフィニの説得に、ノーム宮の二人は少しも耳を貸してくれなかった。
 そんな時――――……。
「陛下が優勢だ!」
 わっと修練場全体から歓声が上がる。
 フィニがロランとリクシスの方を見やると、鍔迫りあいでロランが押していた。
(すごい、陛下! 師団長のリクシス様と同等以上の実力なんて……!)
 思わず説得を途中で投げだし、勝負の行く末を見守る。しかし、気がそぞろになったのはフィニだけではなかった。
「危ない!」
 団員の一人から発せられる切羽詰まった声が、フィニの耳を貫く。ハッとロランから視線を外すと、矢がこちらに向かって飛んできていた。
 弓を放った張本人が、真っ青になっているのが見える。おそらくロランとリクシスの試合に気を取られ無意識に矢を放ったのだろう。的を大きく外れた矢は、観客席に飛びこんでくる。
「……っきゃあああ!!」
 妃候補たちの悲鳴が重なった。フィニはとっさに二人の前に立ち、風を切って飛んでくる矢から庇う。矢継ぎ早に、ドッと鈍い音が響いた。
「フィニ様!!」
「お嬢様!!」
 離れた観覧席から、シリルとタナリカの悲鳴じみた声が重なる。飛んできた矢は、フィニの真横の座席に突き刺さっていた。
「――――……セー、フ……?」
 額からたらりと冷や汗を流しながら、フィニは足の力が抜ける感覚を味わう。しかし、襲いくる矢はそれで収まらなかった。
「避けてください!! ピンクの公女様!!」
 シリルたちの悲鳴で気付いたのだろう、試合そっちのけでリクシスが叫ぶが早いか、もう一本の矢がフィニのいる観覧席に飛びこんできた。今度はまた別の者が、皆の悲鳴につられて矢を誤射したらしい。
(ちょっと――――っ!! それでも精鋭ぞろいの第一師団なの――――っ!?)
 先ほどよりもより真っすぐフィニの元へ飛んでくる矢に、一度助かったため油断したのが仇となり、反応が追いつかない。
(――――……あ、これは本当に刺さる――――……)
 ビュウビュウと音を立て目前まで迫った矢じりに、フィニは心臓が浮いたような心地がした。しかし眼前を黒い影が過り、次の瞬間、矢が木っ端みじんに砕ける。
「――――……っ。へい、か……?」
 一体、どれほどの速さで駆けつけたのだろう。彼が走り抜けた場所に、土埃が舞っている。修練場の中央から一足飛びに駆けたロランが、フィニの目の前に迫っていた矢を叩き斬ってくれた。
 観覧席の手すりに足をかけたロランの足元に、バラバラと矢の残骸が散らばる。横に木剣を薙いだ彼の、獣のような目と視線が合い、フィニは息を吐きだした。
「……っは、はぁ……っ」
(た、助かった……)
 たちまち、身体中に酸素が行き渡る。けれど耳元で脈が波打ち、身体からは力が抜け、フィニはその場にへたりこんでしまった。
「ロラン、無事か!?」
 普段の敬語をかなぐり捨てたリクシスが駆け寄ってくるのに手を上げて応え、ロランは手すりから観客席に下り立った。
 どよめく場内に、ロランの一喝が響き渡る。
「静まれ!!」
 その一言だけで、まるで無観客のように修練場は静まり返った。誰も吐息すら発しない中、ロランは木剣を投げ捨て、片膝を立ててフィニを覗きこむ。
「無事か?」
「は、はい……陛下のお陰で……ありがとうございます……! すごいです、あんなに遠くにいたのに、矢よりも速く駆け寄ってくださるなんて……」
「リクシスとの試合中に、ピンク髪の女が他の二人を追いかけているのが見えて嫌な予感がしたからな。……どうして禁止された場所にいる?」
 ロランから冷ややかな視線を浴びせられ、妃候補の二人は竦みあがった。
「あー……、その……」
 フィニは背後で互いに身を寄せあう妃候補を一瞥し、言葉を選んで言う。
「観覧禁止のエリアにノーム宮のお二人が向かっていく姿が見えましたので……でも、その、お二人は陛下にタオルをお渡ししたかっただけなんです。なので、怒らないでいただきたくて」
 叱られてもしょうがないことをした二人だが、ロランのブリザードのような冷眼に睨まれただけで、十分灸を据えられたはずだ。珍しく肩を怒らせてこちらへ向かってくるシリルにも、この後十二分に説教をされるのだろうし。
(美人な女官長が怒ったら、迫力満点で怖いだろうなぁ……)
 シリルにこんこんと説教されるノーム宮の二人の図を想像し、フィニは少し気の毒に思った。
「も、申し訳ございませんでした……! ストリアス公女様も、身を挺して矢から守ってくださり、ありがとうございます……っ」
 ノーム宮の妃候補二人は、真っ赤に泣き腫らした目でフィニに礼を述べた。向こう見ずなだけで悪い人たちではないのだろう。危険に晒されて深く反省したように見えた。
 素直な彼女たちに、フィニは「私は大丈夫です」と微笑み返す。
 それからシリルに連れていかれた二人を見送っていると、今度は眼下のフィールドで、リクシスが矢を放った部下二人を叱り飛ばしていた。
「お前たち二人は降格だ。いかなる場においても、集中力を欠いたまま矢を射るような者は第一師団にはいらない。判断ミスで味方を射られては敵わないからな」
(うわ……リクシス様って意外と厳しい……)
 シリルもリクシスも、ロランが口を出すより先に厳格な態度で対応する。厳しいが、ロランの怒りを真っ向から浴びるよりはマシだろうとフィニは思った。
(あれ? でもこの流れだと、陛下直々に説教されるのは私だけ……?)
 気付いた時にはもう遅い。フィニは子猫のように首根っこを掴まれ、ロランの方にしっかりと向き直させられた。
「ストリアス侯爵令嬢」
「は、はい!」
 思っていたより怒りを帯びていない口調にホッとする。
(そっか。陛下って冷たく見えるけど、理不尽に怒ったりしない人だよね……)
 気を緩めたフィニに気付いたロランは、ムッと唇を引き結んだ。
「君という女は……危険だって分かっていただろう? 何故二人を追いかけた」
「へ……それは、ノーム宮のお二人が危ないって思ったからです」
 フィニはストレートに答える。ロランは眉間を押さえた。
「……言い方を変える。君は妃候補という身の上なのに侍女たちに頼まず、自ら危険を承知で止めにいったのか」
「はい。だって頼んだ侍女がもし怪我したら危ないじゃないですか」
 さも当然という口調で言ってのけたフィニを、ロランは顔を押さえた指の隙間から覗く。屈託のない彼女に、彼は毒気を抜かれたように零した。
「……降参だ。向こう見ずなだけなら、『危険な真似はするな』と灸を据えようと思ったが……君は本当に心根が優しいらしいな」
「陛下?」
「妃候補の二人を守った君の勇気に敬意を」
 ロランが、しゃがみこんだままのフィニにそっと手を伸ばす。厚い手のひらに手を重ねると、ものすごい力で引き寄せられ、あっという間に立ちあがらされた。
 距離が近くなったことで、フィニはロランの顔が土埃で汚れていることに気付く。汚れるくらい急いで助けに来てくれたことに、今更ながらジワッと胸が熱くなった。
「……っ陛下。あの、お顔が……頬が汚れてしまっています」
「……? ああ……。――――なら、これをくれるか?」
 フィニが首にかけていたタオルを指したロランは、それごと彼女を引き寄せ、頬の汚れを拭う。鼻が触れあいそうなほどの至近距離に戸惑い、フィニは固まってしまった。修練場はざわめき立つ。
「な……っ、な……!?」
(お、推しのご尊顔が目の前に……!?)
 あまりのことに、語彙が消失するフィニ。
 しかし修練場にいた者は皆、二人の距離の近さではなく、ロランがフィニのタオルを貰ったことに対して度肝を抜かれていた。
「陛下が……氷王と名高い陛下が……ストリアス公女様のタオルを受け取ったぞ……!?」
「受け取ったって言えますの? というか、あれで渡したって言えます?」
「分かりませんけど、でも……」
 ロランからフィニのタオルを欲した。
 その事実に、第一師団の団員も妃候補もひどい動揺を見せた。まさか王妃の第一候補はフィニではないかという憶測が、瞬時に場内を駆けめぐる。
 が――――その推測は、フィニの次のリアクションで打ち砕かれることとなった。
「うう……っ」
 フィニの情けない涙声が、修練場に響く。
「タオルでリクシス様と陛下の試合のことを思い出してしまいました……。途中で止まってしまいましたよね……」
 ロランに首からタオルを抜き取られた後、ややあって平静を取り戻したフィニは涙目で叫んだ。
「悔しいです……! リクシス様と陛下の愛の決闘をちゃんと見届けられなかったなんて……!」


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