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ある日、魔女の隠れ家に大きな領主様が流れてきました

しき / 著
Shabon / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-529-7
定価 1,430円(税込)
発売日 2022/10/27
ジャンル フェアリーキスピュア

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内容紹介

《おかしな呪いを解いてあげたら全力アプローチが始まりました!?》
ある日、森で引きこもり生活をしていたミチカは川へ洗濯に行くことに。そこへどんぶらこと流れてきたのは大きな桃……ではなく、縦にも横にも大きな領主様だった!? 彼は長年見た目のせいで周囲から侮蔑される事に悩んでいたが、ミチカは己のチート能力で呪いが原因と見抜く。ついでに呪いを解いてあげたら彼は目も覚めるような美丈夫に大変身! 以来度々川を流れてきては全力アプローチする天然な彼に、ミチカは突っ込みつつも心和むようになり——

立ち読み

 ここは人が滅多に入ってこない、魔物が跋扈する危険地帯――魔の森にある魔女の隠れ家……のすぐ傍にある河原。
 久しぶりに天気が良くなったから、洗濯をしようと思って洗濯物の入った大きな籠を抱えて川原に来た私――ミチカは遠目に見えるピンクの物体を見て、頰を引き攣らせていた。
『お婆さんが川に洗濯に行くと、大きな桃がどんぶらこ……どんぶらこと……』
 私の頭には、遥か遠い昔に聞いた母の声が流れている。
「……って、私はお婆さんじゃないし!!」
 思わず、手に持っていた洗濯物の入った籠を地面に投げつけそうになりながら叫ぶ。
 ちなみに実際に投げつけなかったのは、投げた後に洗濯物を拾うのも、もし籠が壊れた時に買いに行くのも自分自身だという理由で理性が働いたからだろう。

 突然だが、私には前世――今いるのとは別の世界である日本という国で生きた記憶がある。所謂『異世界転生者』というやつだ。
 こう聞くと、物凄く特別な存在のように見えるかもしれないけれど、私が今いる世界では、かなり珍しいとはいえ異世界転生者というのはそれなりにいる。
 というのもこの世界には、〝神眼〟という色々な物を鑑定してその情報を得る力を持つ〝賢者〟と呼ばれる存在が五千万人に一人くらいの割合で存在していて、その全員が前世の記憶を持っているからだ。
 五千万人に一人……物凄くレアではあるけれど、物語に出てくる勇者や聖女のように唯一の存在とは言えないくらいには多い。実際に、私の暮らしている国にも存在が明らかになっている賢者が三人程いる。
 ちなみに、賢者が何故前世の記憶を持っているかというと、一説によれば、利用価値の高い力に目覚めたばかりで、身を守る術を持たない無知な子供が悪い大人に騙されて悪用されたり搾取されたりしないようにと、神様が与えてくれた恩恵らしい。
 賢者の持つ神眼は、鑑定して見た物について知る事は出来るけれど、純粋な子供がその力を持っていたところで狡賢い大人には太刀打ちできない為、大人だった前世の知識を使って上手く切り抜けなさいという事だろう。
 神様が本当にいるかは知らないが、実際幼少期に神眼に目覚め、前世の記憶を取り戻し賢者という存在になった私は、このままでは親に高値で売り払われる未来しかないと察し、即逃げ出した。
 そして神眼をフル活用して、本来だったら入る事すら危険な魔の森へと逃げ込んだ。そしてその奥深くに住んでいた魔女様に拾われ、彼女の隠れ家で暮らす事になり、現在に至る。
 ……なんて、昔の事はどうでもいい。
 そんな事よりも、徐々に迫ってくるあのピンクの物体を拾うべきかどうかが問題だ。
 もしかして、あれを拾った瞬間、私は自分の事を『川に洗濯に来たお婆さん』と認める事になるのだろうか?
 いや、それ以前にあのピンクの物体が本当に大きな桃だった場合、あの中には玉のような赤ちゃんが入っている可能性が高くなる。まだ子育て経験がないどころか結婚すらしていない私が、その赤ちゃんを育てられるのだろうか?
「もしかしたら、ここよりもっと川下に本物のお婆さんがいるのかもしれないし……」
 まぁ、ここは魔の森で、川下には大量の強い魔物がいるんですけどね。
 もし、そんな所にお婆さんが住んでるとしたら、そのお婆さんは完全に戦闘力特化のハイパーお婆さんに違いない。
 或いは、私のように特別な方法を駆使して住んでるって可能性もあるけれど……こんな秘境どころの騒ぎではない場所に住んでいる時点で『普通のお婆さん』である確率は限りなく低い。
 いや、むしろ住んでいない可能性の方が高い。
「私が拾うしかないのか、あの桃。いや、ちょっと待って。あの桃、形がおかしい。白くて小さな山とピンクの大きな山。……ピンクの大きな亀?」
 まだ小さくしか見えないけれど、さっきよりはっきりと見えてきたそれを見て首を傾げる。
 もしかして、物語が違ったのだろうか?
 あれは、子供達に虐められていたのを助けたら海の底の楽園に連れていってくれるやつだろうか?
 だったら、少し興味はあるけれど、楽園に行ったら一気に時が経っていて、お土産を開けたらリアルな感じでお婆さんになっちゃう。
「それはそれで、避けたいなぁ。あ、でも亀なら泳げるんだから放置しても……っ!?」
 少し希望が見えた事でホッとしかけた私の目に、遂にその姿がはっきりと見えた。
 そして私は絶望した。
 
 あれは桃ではない。
 ピンクの亀でもない。
 
 サイズは明らかに物語の大きな桃よりも大きいし、亀の頭だと思っていた所は肌色をしていて、目と鼻と口とついでに眉毛もある。要するに顔だ。
 そして、桃や甲羅だと思っていたのはピンクの服に包まれたでっぷりとしたお腹だ。
「し、しかもあの顔、貼り出されていた絵姿で見た事ある! ご領主様だ!! 何でご領主様!? ここは放置可能な亀であって欲しかった! いや、せめて物語通り桃であって欲しかった!!」
 思わず頭を抱えたくなったけれど、今はそんな事をしている時間はない。
 このまま見て見ぬふりをして、どんぶらこと流れていく大きなご領主様をお見送りしたいけれど……さすがに罪悪感が半端ない。
 確実にお亡くなりになっているようだったら拾うのも怖い為、ちょっと薄情な事をしようかなと思ったかもしれないけれど、あの流れてくる大きなご領主様、意識は失っているくせに魔法を使って沈まないようにギリギリのところで身を守っている。
 要するに、かなり危ない状況だけれど、確実に生きている。
 こうなると、さすがに見捨てるわけにはいかない。
 ここは人々が恐れて入る事すら躊躇う魔の森。
 彼を助けられる人と言えばこの場には私しかいない。
 逃げたいけれど、逃げられない。……私の中のなけなしの良心がそれを許してくれない。
「あ~も~! 今日は厄日よ! 洗濯になんて来なければ良かったわ!」

◇◇◇◇◇

 突然大きなご領主様がどんぶらこと流れてきてから一月程が過ぎた。
 あれから何もなかったかと言えば……あったような、なかったような……。
 ハングリード様とはあの後、一度も会っていない。そういう意味では何もなかった。
 けれどその代わりに、時々川に果物をぎっしりと詰め込んだ籠や、布を詰め込んだ箱が水の膜に覆われて流れてくる事が何度かあった。
 最初に気付いたのは、ハングリード様が帰って一週間程した頃に、いつも通り川に洗濯に行った時の事だった。
 川岸に不自然に置かれた果物入りの籠。
 不思議に思って首を傾げていると、川上からどんぶらこと木の箱が流れてきて、途中で川の流れに逆らいこちらに寄ってきて、丁度籠の傍まで来た辺りで水から出て止まったのだ。
 どう考えても普通じゃない。明らかに魔法が使われている。
 そして、使われている魔法は水の魔法。
 ここまでくれば、これがハングリード様が私宛てに流したお礼の品である事はすぐにわかった。
 きっと魔物狩りをした後の水浴びの際とかに、川に流した物がここに届くようにと、魔法で印でも付けておいたのだろう。
「なんて厄介な……」
 魔の森を抜けてくるルートを警戒していたのに、まさかどんぶらこルートの方も気にしないといけないとは……。
 あの時、ご領主様がここに流れ着いたのは偶然で間違いないと思うけれど……その偶然をあの人は魔法の力で再現してみせたのだ。
 これはつまり、あの人の『また来る』宣言が実行される可能性が増したという事だろう。
「とはいえ、届くのは物ばかりだし、こっちのルートで来るなんて事はないわよね」
 私が洗濯に使っている川は、川上に行けばかなりの激流となっている。
 魔法を使えば物を流すくらいは出来るだろうけれど、さすがに舟で下ってくる事は出来ないだろう。リスクが高すぎる。
 先日届いたストールを肩に掛け、魔避けの香と洗濯物を持って、「まさかね」と思いながら今日も川へと向かう。
 贈り物は毎日届くわけではないのだけど、たまに送られてくるそれを洗濯に行く度に少し楽しみにしている自分がいる。
 そうして辿り着いた川には、残念ながら贈り物は届いていなかった。
「今日はなしか。残念。じゃあ、洗濯を始めるとしま……」
 いつもの洗濯ポイントに洗濯物と洗濯道具の入った籠を下ろし、しゃがみこむ。
 前世では洗濯機に入れて、洗剤入れて、ボタンをポチッと押すだけで済んだのに……と最初の頃はうんざりするような気持ちでしていた洗濯も、今では手慣れたものだ。
 さっさと道具を取り出して準備をし、最初の洗濯物に手を伸ばしたその時だった……。
「おーい!!」
 何処か遠くの方から人の声が聞こえた気がして、視線を上げると……そこには大きなご領主様が……ん?
「大きくない!? いや、身長は高いから上には大きいけど、横には大きくない!! ってか、誰!?」
 水そのもので作られた舟のような物に乗った身長の高い美丈夫が満面の笑みを浮かべて手を振っている姿を発見して、思わずギョッとしてしまう。
 しかも、彼の手には大きな赤い鳥のような魔物が首を握られたまま暴れていて、時々苦しそうにしつつもその口から小さな火を吐いたりしている。
 驚きで私が固まっていると、謎の美丈夫は水の舟を私のいる岸に着けてこちらへと歩いてくる。
「久しぶりだな、ミチカ」
 ニカッと笑う美丈夫。
 残念ながら私には貴方のような知り合いはいないはず……なのに、何故貴方は私の事を知っていらっしゃるのでしょうか?
「えっと……」
「あぁ、この姿になってからは初めてだからわからないか? 俺だ。ハングリードだ。見違えただろう?」
 自分の体を見せるように両手を開いて笑う自称ハングリード様。
 私が彼の変わりすぎた様子を見て、目をパチクリさせているのが嬉しくて仕方ないようだ。
「痩せ……ましたね? いや、筋肉質になりましたね?」
 おかしい。呪いが解けても痩せやすくなるだけで、筋肉が付くなんて特典はないはずだ。
「ミチカが言っていた通り、呪いが解けたお陰で、あの後急に体重が落ちていってな。元々ダイエットと領民を守る武力をつける目的で訓練は頑張っていたから、贅肉の代わりに筋肉がついていったんだ」
 なるほど。異様なまでの痩せは確実に呪いが解けたせいだと思うけれど、彼は自身で言っていたようにかなり体を鍛えていたらしく、本来ついているはずだった筋肉まで短期間の訓練継続で手に入れたらしい。
 あ、或いはあの脂肪の下には元々かなりの量の筋肉があって、脂肪が取れた事でそれが表面に出てきた……という可能性も考えられるのか。この前見た魔物狩りも、あの体型からは考えられない程の動きが出来ていたしな。
「周りの者達も驚いていた。領軍の連中は、一緒に訓練に参加していた事もあって、俺があの状態だった時も唯一俺の努力を認め、受け入れてくれていたんだが……俺の変化と、今まで努力が報われなかった理由が呪いだった事を知って一緒に喜んでもくれた。嬉しかったよ。何もかも俺の聖女のお陰だ!」
 少ししんみりしつつも、何処か嬉しそうな様子で話すハングリード様を見て、こっちも何だか嬉しくなる。
 それと同時に、やっと「あぁ、この人はあの時のハングリード様で間違いない」という気持ちになった。
「いえ、私は本当に自分の仕事をしただけですから。それより……」
 そう言って、私は彼の手に握られている物体に視線を落とす。
 うん。だって凄く良い話をしているはずなのに、彼の手の中で暴れて騒いでいる鳥が気になって浸れないんだもん。
 彼がほんわかするような話をしている間も「ギャーギャー」と鳴いているのが煩くて仕方ないんだもん。これはもう触れざるを得ないよね。
「あぁ、これか。来る時に、美味そうな雉がいたから捕まえてきた」
 ニッと口の端を上げて私に暴れる鳥を差し出すハングリード様。
 でも……。
「ハングリード様、それは絶対雉ではありません。そして、桃のように流れてきた貴方が雉って、絶対狙ってますよね!?」
 思わずツッコミを入れてしまうけれど、日本で有名だった物語はこの世界では存在しないらしく、「何の事だ?」と首を傾げられてしまった。
 うぅ、せめて『雉ではない』というところは認めて下さい。
「ハングリード様、私はそんなに全身真っ赤な雉も、火を吐く雉も見た事がありません」
「ん? 言われてみてば確かに雉っぽくはないな」
 ハングリード様が手に持った雉もどきを持ち上げて見つめる。
「まぁ、食えれば問題ないだろう」
「食べる気満々ですね」
 元が鳥だったとしても、魔物の場合毒を持っているものも多い。食べると言うならば、大丈夫かどうかを確認する必要がある。
「ちょっと、そのまま持ち上げてて下さい」
 溜め息混じりにそうお願いして、目の前の雉もどきをジッと見つめて鑑定をする。
 他の人相手だったら決してしない事だけど、ハングリード様にはもう私が賢者だという事はバレてしまっているから、もう誤魔化しても仕方がない。
 むしろ、バレている以上、開き直って自分の持っている能力を最大限に活用した方が良いだろう。
「えっと、種族はファイヤーバードで食べると火を噴けるようになる……いや、これ食べちゃダメなやつでしょう!!」
 一応食用にはなっているけれど、食べたら口から火が出るようになるとか怖すぎる。
 大体、百歩譲って口から火を噴けるのは良いとしても、口内や唇に火傷を負わないという保証はないのだ。
「そうか? 火を噴けるというのは戦う上では意外と使えそうな気もするが……」
「それはその力を使いこなせた場合ですよね? 実験抜きで食べてみるにはちょっとリスクが高すぎます」
 私が鑑定した事をすぐに察した様子のハングリード様は何がいけないのかと首を傾げるが、下手にここで曖昧な返事をして「じゃあ、食べてみよう」となるのは困るから、思った事をハッキリ告げる。
「なるほど。じゃあ、どうするかな?」
 折角捕まえてきたお土産が食べられないとわかり、どう処理するか悩み出したハングリード様だったけれど、このまま考え込んでいても仕方ないと思ったのか、魔法で水の檻を作り出して捕まえてきた雉改めファイヤーバードをその中に入れて、一先ず保留する事にしたらしい。
「雉は残念だったが、それ以外にもお礼の品とお土産を持ってきたぞ」
 そう言って、ハングリード様は水の舟に載せて運んできたらしい箱を私に差し出す。
 中には、お肉や魚、新鮮な野菜と……お金が入っていた。
 多分、自分も一緒に来る事で、私に確実に品物を渡せると思ったのだろう。今まで贈られ……流されてきた物よりも明らかに消費期限が短い物ばかりだ。
「わぁ、美味しそうですね。お土産という事でしたら、こちらは遠慮なく頂きますが、こちらはお返しします」
 箱の中からお金だけを取り出し、ハングリード様に返す。
 本当は食べ物も返した方が良いのかもしれないけれど、ここまで辿り着くのにも時間が掛かっているのに、更に持ち帰らせたら悪くなってしまいそうな気がしたから、有難く頂き、早急に涼しい保管庫に入れる事にした。
「いや、これはお礼だ。君のお陰で俺はこうやって呪いから解放されたのだから」
「既にお代は貰ってありますから。本当に気になさらないで下さい」
 お金を再び押し返そうとするハングリード様の手をそっと握って上向かせ、そこにお金の入った袋を載せる。
 私の手が触れた瞬間、ハングリード様は少し頰を赤らめ視線を逸らした。
 その様子は、照れているのを誤魔化しているように見える。
「君という人は……。なら、今後は君へのアプローチも兼ねて、物で貢ぐ事にしよう」
「いや、そういうのは結構ですから」
「そういうわけにはいかん。俺は君に少しでも気に入られたいからな」

◇◇◇◇◇

 翌日は、朝から何となく空気が変だった。
 ピリピリしているというか、不気味というか……。
 それに気付いている騎士達は、「こういう日は何かが起こる」と言っていつも以上に警戒をしていた。
 ハングリード様も、いつもより身の周りのものに気を配り、常に剣を腰に差していた。
「こんな状況で送り出したくはないんだが……。だが、ここもあまり安全とは言えないしな」
 地下水路の入口まで見送りに来てくれたハングリード様は、私を送り出す直前まで迷っているようだった。
 私もあまりに可笑しな空気に不安を覚え「今日でなくても……」なんて考えもしたけれど、「いや違う。だからこそ行かなくちゃ」と思い直した。
 もしこの城で今日何かが起こるというのなら、その時に彼の出生を明らかにする証拠があった方が絶対に良い。高確率で、何かを起こす相手がコンブラーナ様であるのなら余計に。
 彼女は単純に当主の座にあるのが自分ではなくハングリード様である事自体が気に入らないのかもしれないけれど、それ以上にハングリード様が前ご領主様の血を引いていない可能性があるという部分に不満を感じている気がする。
 それなら、ハングリード様が前ご領主様の息子であるという動かぬ証拠を提示するだけで、もしかしたら思い止まってくれるかもしれない。
 ハングリード様がちゃんと由緒正しきウォルターナ家の直系なんだというだけで、赤の他人が自分の大切な家を乗っ取ったという感覚はなくなるはずだから。
 だからこそ、私はどんなに不安でも今行かなくてはいけない。
 彼の助けとなる大切な証拠を見付ける為に、魔の森の魔女の隠れ家へと。
「行ってきます」
「魔法は掛けておくが気をつけてな」
「ハングリード様こそ」
 お互いの顔をジッと見つめ声を掛け合った後、私達は自然と距離を縮め、抱き締め合っていた。
 まるでそれは当たり前の事であるかのように……。
「本当は今貴方から離れたくないんです」
 声が震えた。
 少し前まではこの温もりを感じるどころか、彼が私のもとを訪れる事すら拒否していたのに、今は少しでも離れる事が辛くて不安でたまらない。
 あの時の私はこんな風になるなんて、微塵も考えていなかっただろう。
 けれど、ここを自分の居場所と定めてしまったら、少しでもそこから引き離される事が苦痛で仕方ない。
 きっと私はこれから先も、ずっとこの場所にある事を求め続けるのだろう。
 もう、否定する事は出来ない。
 私は彼を……愛している。
「俺もだ」
 鼓膜を揺らす彼の低い声が、私の心にジワリと沁みていき、更に名残惜しさを搔き立てる。
「それでも行かなくちゃ」
 頭ではしなくてはいけない事をちゃんと理解している。
 だから、気持ちを奮い立たせる為に、敢えて言葉にした。
 離れるのを拒むように彼の服を摑んでいた手を、意志の力で無理矢理引き離す。
「すまん、俺の為に……」
 見上げた彼の顔はとても切なげで……その瞳に映る私の顔は不安でいっぱいだった。私に謝る彼も実は私と同じ気持ちなのだと伝わってくる。
 その事に妙な安心感を覚えて、互いを励ますように最後にもう一度互いをギュッと抱き締め合ってから私達は身を離した。
「全てが済んだら、二人のこれからの話をしましょう」
「ミチカ、それは……」
 私は彼の問うような瞳にニコッと微笑みを返すだけで返答はしなかった。
 これが最後ではない。
 これは、これからの私達の幸せな未来を作る為の一歩なのだ。
 不安も辛さもあるけれど、二人ならきっと頑張れる。
 たとえ傍にいなくても、心が繫がっているのならばそれは一人ではない。
 だからきっと大丈夫だ。
「お前達もミチカの事を頼むぞ」
 名残惜しく感じつつも、離れた後、ハングリード達は籠の中の聖獣達に声を掛けた。
 聖獣達は今日も頼もしく手や羽を上げ了承してくれる。
「じゃあ、今度こそ本当に行ってきます」
 そう言って、ハングリード様が魔法で作ってくれた舟に聖獣達と一緒に乗り込む。
 軽く手を振るとハングリード様も振り返してくれ、同時に私達の間に水の膜が出来た。
 舟がゆっくりと動き出し、次第にスピードを上げていく。
「さぁ、いざ魔女の家へ!!」
 そして、証拠を見付けて早く帰ってくるんだ!!


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