書籍詳細
弱小貴族の娘なのに、幼馴染の侯爵令息がどこまでも追ってくる
ISBNコード | 978-4-86669-522-8 |
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定価 | 1,430円(税込) |
発売日 | 2022/10/27 |
ジャンル | フェアリーキスピンク |
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電子配信書店
内容紹介
立ち読み
アドルフは目を覚ました。
――夢を見た気がする。フローラに優しくされる夢だ。
辺りを見渡すと、そこは見慣れた自室だった。
――倒れたのか……。
アドルフは、倒れる前後の記憶から素早く現状を把握した。
――フローラは……どうなっただろうか? 怪我をしていなければいいが……。
今は結婚相談所にいた時のようないらだちはない。むしろ、心は平静だった。
起き上がろうとして、腕に違和感を覚える。
視線で腕の先をたどると――そこにはアドルフの手を握るフローラがいた。
「――っ!!」
大きな声が出そうになるのを反対の手で塞ぐ。フローラがベッドに突っ伏して眠っていたのだ。
――なっ! ど、どうして僕の手を……。
看病をしてくれたのか。アドルフの手を握ったままフローラは瞼を閉じている。
――そうだ、怪我は! ……ないか。
穏やかな顔のフローラにホッとすると、そのまま身体をベッドに預けた。
顔を横に向けてフローラを見る。眠るフローラは可愛かった。ふわふわの髪がベッドに散らばって、柔らかそうな頰がむにゅっと押しつけられている。幼い頃を彷彿とさせるあどけない寝顔だ。
――はあ……僕はその顔にやられたんだった……その力の抜ける顔が、たまらなく好きなんだ。
大嫌いだと言われたが、不思議と気持ちは離れていない。アドルフは今も彼女を愛している。
「どうして嫌いなんだ……僕の方はこんなに君が好きなんだぞ……」
子供のように拗ねてみた。もちろん、フローラから返事はない。眠っているのをいいことに、アドルフはフローラのクリーム色の髪を撫でてみた。柔らかくて、指通りがいい。
「十年も待ったんだ。少しくらい絆されてくれてもいいじゃないか」
広い部屋に自分の声だけが響いて、アドルフは孤独に襲われる。
まさか好きな人がいるだけでなく、自分のことが嫌いだったとは。そんなこと……考えもしなかった。自分の想いは一つも響いておらず、むしろ嫌われていたなんて……。
――二年前はいい感じだったのに……今は嫌いか……ああ、泣きたい気分だ……。
気がつかなかった自分は、相当なバカだ。アドルフはポツリと言葉をこぼした。
「……僕は頭が良いはずなんだけど」
「ふふっ」
突然、自分のものではない笑い声が聞こえてきたので、アドルフは焦った。
先ほどまでしんみりとしていた気持ちが、恥じらいに変わっていく。
「フ、フローラ! 君は、起きているなっ!」
アドルフは急いでベッドから身体を起こす。そのはずみに、握られていた手が離れる。そのことに気がつかないほど、アドルフは動揺していた。
――くっ。
「す、すみません。起きるタイミングが分かりませんでした……」
困ったようにフローラが顔を上げて、細い目がタレる。
「ぬ、盗み聞きをするなんて……」
「……すみません、つい」
『つい』ではない。フローラが寝ていると思ってペラペラと弱音を吐いてしまった。
――聞かれたか? 聞かれた……よな?
フローラは何も言わない。ただ、少しだけ気まずそうにしている。
先ほど、アドルフはフローラを好きだと口に出してしまっていた。しかも、子供のようないじけた言い方だった。プライドの高いアドルフにとって、こんな恥辱はない。プロポーズだって『結婚してあげても良い』と上から言ってしまったくらいに、プライドが高いのだ。
――……聞いたに違いない。
アドルフはショックだった。完璧なアドルフはこんな風に愛を乞うたり、子供のようにいじけたりしない。
今まで作り上げてきた完璧なアドルフ・フォン・ハイデンブルクが崩れていく気がした。
――ああ、僕はお終いだ……こんな姿を見せてしまえば、もう元のイメージは取り返せない。
しかしこの時、アドルフの頭に良案が浮かんできた。
一度、恥をさらしてしまえば、あとは同じではないだろうか。
今までのアピールは何一つフローラの心に響かなかったらしい。
けれど、だからといって自分は、潔くフローラを諦められるほどできた人間ではない。
アドルフは思った。もう自分に残された道は一つしかないのではないだろうか……。
――どんなに間抜けでもいい……直接気持ちを伝えて……フローラを泣き落とす。
アドルフはサイドテーブルに置かれていた水を呷った。
喉を潤すと、一度深呼吸をする。いちるの望みに賭けて口を開く。
「その、だから、聞いていたのだから知っていると思うけれど、つまり、僕はフローラがす、す、す……」
思い通りにいかない自分の口にイライラする。たった二文字がなぜ言えない。
アドルフは自分の手首を強く握った。
骨が折れるんじゃないか、というくらい強く握って――――叫んだ。
「好きなんだ!!!」
◇◇◇
「好きなんだ!!!」
彼の大きな声が部屋中に響き渡った。
それはあまりにも大きく。フローラのふわふわの金髪を、空気による振動で揺らした。
「……好き、ですか」
フローラは先ほど、彼の独白を聞いていたが、にわかに信じられない思いでいた。
――私を好き……アドルフが?
再度、彼の口から気持ちを伝えられ、フローラは困惑した。
彼が自分を好きなど信じられない。だって、アドルフはハイデンブルク侯爵家の跡取りで、フローラはクロリス男爵家の跡取りだ。跡取りの自覚が強い彼が恋愛感情を抱くとは思えない……。
それに彼は容姿が整っている。フローラは精々癒やし系で、二人は『釣り合わない』のだ。
――でも……冗談とも思えません……。
アドルフの顔は真剣なものだった。フローラをからかっているとは思えない。
確かにアドルフの告白には驚かされた。でも、フローラの気持ちは彼とは違う。
「わ、私は、貴方が、嫌いです」
彼の身体が弱っているのを良いことに、フローラは思い切って正直な気持ちを伝えてみた。
すると、彼は分かりやすくうなだれた。
「知ってる……」
勇気を振り絞った告白がバッサリと振られて、彼の自信は粉々になったようだった。
今まで彼の自分勝手な言動に我慢してきた。だから少しくらいなら言い返しても良いはずだ。
けれど、こんなにしおらしい彼は珍しくてフローラの心はチクチク痛んでしまう。
――でも……結婚相談所ではもっと激しく言い合いましたし……。
もしかすると、今こそきちんと気持ちを伝えるべきかもしれない。結婚相談所では、互いに気持ちが昂ってまともな会話ができなかった。けれど今なら……彼が大人しい今なら……。
こんな時にしか本音を言えないのはズルいかもしれない。けれど心を決めて口を開いた。
「い、意味も分からず怒るところが嫌いです。……怒鳴られるのは怖いから嫌」
「……怒鳴るのが怖い……か」
彼の顔に後悔の色が浮かぶ。言い返してこないアドルフにフローラは言葉を続けた。
「せ、日常生活を細かく聞かれて、行動を制限されるのも嫌でした」
「あ……それは……」
彼が口ごもる。しかし、気にせずに続ける。
「あと、許可なく身体に触ってくるのは一番嫌です! 気持ち悪いんです!」
「き、気持ち悪い!?」
アドルフは目を大きく見開いた。そしてわなわなと唇を震わせた。
「け、けど二年前の成人の儀ではいい感じに……」
震える彼の唇から言葉がこぼれる。フローラは驚いた。
「い、いい感じ? 成人の儀の時が……? あ、ありえません。だ、だってあの時、私は貴方を拒みました……」
彼は何を言っているのだろう。フローラに突き飛ばされたことを忘れたのだろうか?
「そ、そもそも私は――じゅ、十年前から貴方のことが苦手なんです!」
「じゅ、十年前から苦手!?」
フローラが声を張って言い切ると、アドルフは驚きの声を上げて、ついにノックアウトされた。
そして彼は拳を握りしめて下を向いた。そんなアドルフに、フローラは首を横に振って言う。
「……酷いことばかりされて、私にはとても、貴方の告白が信じられません……」
すると、アドルフは焦ったように顔を上げて、握りしめていた拳を開いたり閉じたりした。
「なっ! ち、違うんだ! そ……その、怒鳴ったりしたのは……フローラが男の話をしたからで……。日々の出来事を聞いたのは……毎日フローラが何をしているのか知りたくて……。身体に触れたのは……両想いだと思っていたから……」
フローラはそれを聞いて驚愕した。
「本気で私が貴方を好きだと思っていたんですか? それで、今までのことは全部、私が好きゆえの行動で……怒鳴ったのは嫉妬……ですか?」
「……ああ、そうらしい」
らしい、と伝聞調で言ったアドルフは両手で自分の顔を覆ってしまった。
そんな彼にフローラは呆れた。彼は賢いはずなのに、今はずいぶんと頭の悪い人に見える。
「私はいつも怖い思いをしたんですよ? 男の人に怒鳴られるのが、どれだけ怖いと思いますか?」
フローラが憤慨して言うと、アドルフは小さな声を出した。
「う……ご、ご、ご」
「ご、なんですか?」
「……何でもない」
彼は驚くほど覇気がなかった。まるでいつもとは立場が逆転してしまったかのようだ。
弱々しくなっている彼に、フローラは残酷にもハッキリと言い切った。
「ですから、貴方とは結婚なんてしません!」
「――っ!!」
彼の顔が蒼白になる。それから彼は頭を抱えると顔を歪めた。歯を食いしばり、苦しそうにうめくと、何度かフローラの方をチラチラと見て……。
そして――彼は壊れた。
「いっ、嫌だ! 嫌だ! 結婚してくれ。別居でも良いから結婚してくれ。結婚しなくても良いから、誰とも結婚しないでくれ」
彼が必死になってフローラに縋ってくる。フローラは紫色の瞳を大きく見開いた。
あまりの剣幕に呆気に取られてしまう。あのアドルフが、可笑しくなってしまった。
――と、突然どうしたのです!? それに……そんな、メチャクチャな話がありますか……。
彼の頼みは酷いものだった。我が儘な子供のような願いに、フローラは若干引いてしまう。
「……そ、そんな風に結婚して、嬉しいですか?」
「嬉しい」
即答したアドルフに呆れ返る。あの完璧人間アドルフが、同情での結婚を望んでいる。
「ど、どうして私なのですか? 貴方ならどんな美女でも選び放題ではないのですか」
「仕方がないだろう? フローラの顔がタイプなのだから」
「え!? か、顔!? 私の顔ですか……?」
意外すぎる理由に、フローラはなぜか焦ってしまう。
――そ、それこそ信じられません! こ、こんな力の抜けていくような顔が好きなんて……。
「あ、貴方は確か! 十八歳の茶会で、美しい瞳の女性が好きだと言いました! わ、私とは正反対です!」
「フローラの瞳は美しいだろう! あの時だって君に向けて言ったのに……そんな、伝わっていなかったのか……」
「う、噓です。誰にも目を褒められたことなんてありません。こんな細い目を好きになるわけありません!」
「ぼ、僕は! 出会った時から君が好きなんだよ! その薄紫の瞳に惚れたんだ! というか、別に僕が君のどこを好きになろうと自由だろう! もう、信じないなら放っておいてくれ!!」
「な、なぜ怒るのです!」
「怒っていない。不貞腐れただけだ」
「こ、子供のようなことをしないでくださいっ……!」
本当に今日の彼は可笑しい。目の前にいるのは一体誰だろう。こんな人は知らない……。
フローラは一度、深呼吸をして心を落ち着けた。そして、心から彼に訴える。
「……たとえ貴方が私を好きでした行為でも、私は傷つきました」
その言葉を聞いて、彼の顔が悲しそうに歪んだ。
「そうか……そうだよな」
彼の呟きが、静かな部屋に響く。あまりにも物悲しい彼の呟きに居心地の悪さを感じる。
するとおもむろに、彼がベッドから床に下りた。そしてゆっくりと近づいてきた。
フローラは警戒した。座っていた椅子から立ち上がり、距離を取ろうとベッドから離れる。
いくらいつもと様子が違うからといって、また急に彼が怒鳴らない保証はない。そう思い、フローラが身を硬くしていると……。
彼はフローラの前まで来て立ち止まった。そして足元にひざまずくと、フローラのドレスの裾を握った。そして、小さな声で言った――。
「………………ごめん」
フローラは思わず後ずさりをした。
――い、今、謝りましたか? 自信過剰で傲慢な彼が!? しゃ、謝罪の言葉を口にしましたか!?
「本当にごめん。傷つけていたなんて気づかなかった。僕はバカだよ。一方的に気持ちを押しつけて、フローラの気持ちを決めつけていた」
「あっ、えっと……」
フローラは返事に困ってしまう。
「ごめん。ごめんよ、フローラ。何度でも謝るよ。君の言うことを何でも聞く。もう君の行動に口を出さないし、怒鳴りつけたりもしない。身体にだって許可なく触らない……。だから、お願いだ。好きにならなくて良いから、嫌いにならないで」
もうとっくに嫌いだというのに。よほど嫌いだと言われたことがショックだったのだろうか。
彼は懇願してドレスの裾に縋りついている。なんて情けない姿だろうか。
彼は〝嫌い〟という言葉に怯えているようだ。
「そんなことを言われても……簡単に気持ちは変えられません」
フローラは流されないように、気丈に言った。
「……分かってる……だからチャンスが欲しい」
「チャンス?」
彼が顔を上げてフローラを見上げた。赤い瞳が真剣な眼差しで、フローラを見つめてくる。
「君の嫌がることは絶対にしないし、自分勝手なことももうしない……。だから側にいさせて欲しい。側にいるだけで良いんだ」
彼の可笑しな行動に、フローラは言葉が出てこない。
「……そうだな、週に一回、いや月に一回……は僕が耐えられないから、週に三回だ!」
――初めよりも増えたような気がするのは……私の気のせいでしょうか?
「頼むフローラ。お願いだよ。慈悲をくれよ。少しだけ。少しだけだから」
「そこまでして私に好かれる意味なんて……ありますか?」
率直な疑問だった。アドルフほどの美しい男が床に膝をつけて求婚している。なのにその相手が糸目の自分?
しかし、続く彼の返答は想像を超えるものだった。
「ある! フローラじゃないと嫌なんだ! フローラ以外の女は女に見えない! 抱けないんだ! それでは困る!」
「ア、アドルフ……。貴方はどうしてそう……恥じらいがないのですか?」
「あっ、やっと名前を呼んだ……」
彼が話の論点をずらして嬉しそうに笑ったので、フローラは呆れ果てた。
でも、確かに女性と交われないのは彼にとって死活問題だ。
侯爵家の血が途絶えることになるのはマズい。彼はたった一人の後継者なのだから。
そう考えると、フローラに固執するのも分かる気がする。なんだか彼が可哀想に見えてきた。
この人はフローラと結婚できないと、人生が詰んでしまうらしい……。
長い間側にいた幼馴染のこんな姿を見るのは心が痛かった。だからフローラは温情を見せた。
「分かりました……なら、月に一回だけ」
足元のアドルフを見てしぶしぶ提案する。すると彼は眉を下げてフローラを見つめてきた。
「……せめて週に一回にしてくれないか。本当に頼むよ。フローラ。お願いだよ。週に一回がいいんだ」
面の皮が厚いのか、彼は大幅に期間をせばめてきた。厚かましすぎる彼に、思わず息が漏れる。
「……では週に一回だけですよ」
「ああ! 嬉しい、フローラ好きだ。好きなんだ」
必死すぎるアドルフにフローラが折れると、彼は嬉しそうに笑って素早く立ち上がった。
――そんな風に好き好き言われると、私は恥ずかしいです……。
フローラは異性から告白されたことなどないのだ。そんな風に何度も言われると困ってしまう。
「毎週デートをしよう。僕は君が喜ぶデートプランを考えてくるよ。きっと楽しませてみせるから」
「そんなに張り切らなくても……」
「張り切るさ。だって、楽しませれば……少しは僕を好きになってくれるかもしれない」
「ま、前向きですね……」
彼は急に明るくなった。さっきまで死にそうな顔をしていたくせに、現金な人である。
「毎週だ。必ず空けておいて。約束だよ」
「わ、分かりました……」
――私は流されたのでしょうか?
体調が優れないのにフローラを玄関まで見送って、何度も約束を確認してきた彼に、フローラは絆されたのか。
彼のことは嫌いだ。けれど……憎み切れない。
フローラはよく分からない気持ちで、自宅へ向かう馬車に揺られた。
――異性とのデートは初めてかもしれません……。
そう思うと……なぜか少しだけ、心が浮ついてしまうのだった。
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