書籍詳細
残り物には福がある。5
ISBNコード | 978-4-86669-568-6 |
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定価 | 1,430円(税込) |
発売日 | 2023/04/27 |
ジャンル | フェアリーキスピンク |
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内容紹介
立ち読み
そしてあっというまに夕方になり、予定通りハンス様家族と夕食を共にする。
最初こそ和やかに食事は進んでいたものの、ふとした拍子に領主時代の旦那様が暗殺者を返り討ちにし、三日でその組織を壊滅させたという話になり、そこからロドニー様の暴走が始まった。
ここぞとばかりに旦那様に話しかけ、その時の状況や心情を聞いたり、王都の騎士団をどうやって纏めているか、今やっている鍛錬はどんなものかと質問ばかりしてきた。
ゆっくり食べられないでしょ! とわたしがキレる前にハンス様が注意してくれたので事なきを得たけど、あの反抗的な目はまだ諦めていないだろう。
わたしはわたしで他人様のお宅での初めてのディナーということで、退屈そうなエリオットが今にも椅子から飛び降りてしまわないか、気が気じゃなかった。
王都のお屋敷でも基本的にはみんなが食べ終わるまでは座っているけれど、それは周囲が退屈しないように話しかけてくれるからってところが大きい。今日はまだ隣にアメリアちゃんがいて話し相手になってくれたからなんとかやり過ごすことができた。やっぱりアメリアちゃん、しっかりしてるよね。世間一般で言うところの女の子はしっかりしているってヤツなのだろうか。
そんな感じだったので、アネラの料理を楽しむ余裕もない食事を終え、ようやく別邸へと戻ろうとした——んだけど、アメリアちゃんがエリオットの手を?んで離さず、ちょっとした騒ぎになってしまったのだ。
あら、ウチの子モテるのねーなんて、ちょっと嬉しくなりつつも、エリオットは今日一日ではしゃぎすぎて既に半分寝ている状態なので、若干引きずられている。
見かねたハンス様が強引にアメリアちゃんを抱き上げて引き?がすと、今までの大人しさが?みたいに大きな声で泣き出してしまった。
こういう時にいつも宥めてくれるらしい乳母さんが就寝の準備のために部屋に行ってしまったので、場を収められる人がいないのも重なり、ついていたメイドさん達もなんとか泣きやませようとあたふたしている。
「アメリア、ジル様の前でそんな大声で泣くなんてみっともないぞ!」
ロドニー様が慰めにもならない言葉を発しながら、アメリアちゃんをハンス様から抱き取ろうとするけれど、アメリアちゃんはその声に対抗するように「やっ!」と大きな声を張り上げた。きーん、と鼓膜を震わせる大声にやっぱり兄妹なんだな、と変なところで感心してしまった。
ロドニー様には厳しいハンス様も、まだ幼く女の子であるアメリアちゃんをどう扱えばいいのか分からないらしい。宥める声も表情も苦々しく強張ってしまい——またそんな顔を見て、いっそう大泣きするアメリアちゃん……と、悪循環が出来上がっている。
これはもう乳母さんが来るか、泣き疲れるまで待つしかない……そんな諦めがその場に漂ったその時、状況を変えたのは、まさかの当事者の一人であるエリオットだった。
アメリアちゃんの泣き声で目が覚めたらしく、夕食時にグズった時用に用意していたおもちゃ鞄から馬のぬいぐるみを取り出すと、「はい」と泣いているアメリアちゃんに差し出した。
「ぼくのかわり、ね。だからさみしくないよ。泣かないで」
……一瞬、ときめいてしまったのは、その穏やかな微笑みが旦那様にそっくりだったからだろう。恐るべきDNA! そうだよね。イケメンとは内面から溢れるもんだよね! だけどお母さん数時間前とは逆方向に心配になってきたよ……!
アメリアちゃんはあれだけ騒いでいたのが?のように静かになり、ぎゅっとぬいぐるみを抱き締めながら、?を赤く染めてこくこく頷いている。……惜しむべきは、ぬいぐるみがリアル寄りの馬だったことだろう。アメリアちゃん可愛いからデフォルメされたクマやウサギだったら絵になっただろうに……。ちなみにその馬のぬいぐるみをプレゼントしたのはもちろんリック。たてがみと尻尾は本物の馬の毛を使うという拘りで……いや、この話は長くなるからまた今度にしておこう。
結果、アメリアちゃんも落ち着き、今度こそお別れの挨拶をしたわたし達家族は、静かになった途端しぶとく喋りかけようとしたロドニー様に気づかなかったフリをして、別邸へ向かった。
そして本邸から五分ほど歩いたところにある別邸は、建物自体が新しく、かつ小さめで使い勝手もよさそうだった。とても静かで虫の声しか聞こえないし、近くで水が流れている音がする。
きっと落ち着いて過ごしたいというわたし達の一番の希望を汲んで用意してくれたのだろう。使用人さん達も必要最低限で、護衛さんも一定の距離を保って屋敷の外に配置していると、夕食の席で説明してくれていた。
それに旦那様の派手な歓迎会はしない代わりに、式典が終わった後のパーティーは本邸の庭を開放し、旦那様の昔の知り合いも好きな時間に参加できるように気楽な立食式にして、最後はそこから見える花火をみんなで鑑賞するらしい。
うん、とてもいいプランだと思う。……ほんっとにハンス様はこんなに気遣いに溢れているのにあの騒音息子は!
そう憤りながらエリオットと一緒にお風呂に入る。そしてリンさんにも手伝ってもらい手早く身体を綺麗にして、髪を乾かしていると、エリオットがその途中で船を漕ぎだしてしまった。すっかり乾いた頃には気持ちよさそうな寝息が響いていて、エリオットも色々あって疲れたんだろうなぁ、と長かった一日を振り返る。
「ナコ様も伯爵もお疲れでしょうし、今夜はこちらでエリオット様をお預かりしますね」
「え? でもリンさんも疲れてますよね」
「大丈夫です。ハンス様が手配して下さったメイド数名で順番で側につきますから」
わたしの遠慮を見越して、そう申し出てくれたリンさんにお礼を言って甘えることにする。
だけど初めての場所だから目が覚めた時、びっくりして泣くかもしれない。とりあえず明日はエリオットより早く起きよう。今日はいつもより夜更かしさせてしまったから、間に合うだろうし。
一度エリオットに用意された部屋に向かい、気持ちよさそうに寝息を立てているエリオットの額に「おやすみなさい」とキスをする。純日本人として最初は恥ずかしかったけれど、数か月もすればすっかり慣れて、今はしないと何だか気持ち悪い。子供の額にするキスは『悪い夢を見ない』おまじないだと教えてもらったからかな? 今日はエリオットも色んな経験をしただろうし、夢の中で上手く整理してくれるといいな。
後ろからついてきてくれていたリンさんに、もう一度申し訳ないと謝れば「伯爵もお疲れのようですから」と返ってきた。
あー、ロドニー様ね……。
結局ハンス様に叱られつつも黙るのは一瞬で、ずっと旦那様を質問攻めにしてたもんなぁ……。
おやすみなさい、とリンさんに挨拶して、もう一度エリオットの頭を撫でてから寝室に向かう。
「ねむ……」
このまま寝台に入ったら、旦那様におやすみの挨拶もできないまま眠ってしまいそう。
少し考えてからテラスに出て、屋外に設置してあるソファに腰を下ろした。お風呂上がりの熱っぽい肌に、ちょっと冷たい夜風がちょうどいい。
眼下に見えるのは貯水池かな? 揺れる波間に本邸の明かりが反射していて、とても幻想的で、思わずほうっと溜息をついた。
一日の寒暖差の少ないアネラに、夏中いられるなら夏バテしなそう……。
明日は旦那様とエリオットと一緒に街に下りて、観光がてらお土産を買い、使用人さん達の実家に挨拶に回る予定だ。彼らの親世代は旦那様と一緒に開拓してきた人達だから職人さんが多く、アネラの職人街と呼ばれる場所に纏まっているらしい。
リックの生家である牧場みたいに郊外に住んでいる人は、また別の日に訪ねる予定だし、初日なのでのんびり観光できたらいいなぁ、と思う。でもその昔馴染みの人達から旦那様の昔の話を聞くのも楽しみだ。結局、バタバタして本邸にいるメイドさん達から旦那様のことを聞けなかったし。
「……」
……きっとみんな旦那様が若返ってることに驚くだろうなぁ。娘や息子を一緒に王都に向かわせるくらいの人達だから、旦那様の外見が変わっても、腫れ物に触るような扱いはしない……と思いたいけど……。彼らを知るアルノルドさんも太鼓判を押してくれたし、本邸のメイドさん達も自然に受け入れてくれたし大丈夫かな? まぁ万が一、そんな展開になったら『わたしがやりましたけど何か?』と元神子モードを発動させて、黙らせると決めている。オセ様をビビらせた『呪い』だって発動するからね!
……でもそれもわたしが勝手に心配しているだけで、旦那様はたとえ、どんな風に言われても気にしないんだろうけど。
昼間のなんちゃってパレードだって、わたしが引き攣った笑顔を浮かべる中、慣れたように手を振ってた旦那様の優雅さを思い出して再び溜息をつく。ロドニー様の暴走は業腹モノだけど、堂々と領民に応える旦那様は一段と格好良かった。背景に騎士と観衆を背負ってなお輝く旦那様の高貴さとか、もうスーパーレアじゃない?
これは王都に戻ったらさっそく思い出ノートに書き込もう。
いつか綺麗に纏めて、旦那様ファンクラブを発足させた暁には会報の目玉として連載していく所存である。わたしはエレーナ王女と出会ってから、推しについて同志と語り合う楽しさを学んでしまったのだ。強火の同担拒否勢時代には知りえなかった楽しさに、昨年結婚式を挙げたエレーナ王女とは今でも文通仲間である。
あ、今日のなんちゃってパレードの旦那様の格好良さもエレーナ王女への手紙に書こう。きっとレイさんと共に地団駄踏んで悔しがるに違いない。
そんなことを考え、むふふと?を緩ませていると、肩の上に柔らかいショールがかけられた。ふわりと石?の香りが鼻を擽る。
「——旦那様!」
振り返れば、旦那様が穏やかに微笑んでわたしを見下ろしていた。
「湯上がりでしょう? あまり外にいると身体が冷えてしまいますよ」
め、とでも言いそうな甘い視線でそう咎められ、はふぅ、と溶けてしまいそうになる。慌てて?を押さえて原形を保ってから、わたしは誤魔化すように自分の髪を指先で弄った。
「寝台にいると眠っちゃいそうで……旦那様におやすみの挨拶をせずに眠るのは嫌ですから。……今日はお疲れ様でした」
特に夕食、とつけ足せば、旦那様はちょっと困り顔を作って隣に腰かけた。
「今日一日で落ち着いてくれればいいのですが」
うーん! 無理かな!
溜息交じりの言葉に心の中でそう返事する。だってあの勢いよ……。それに神とも崇めていそうな旦那様と数年ぶりの邂逅ならば、興奮は一昼夜で収まるものじゃないだろう。
旦那様も言葉にしつつも、返事は分かっていたのだろう。小さく肩を竦めた旦那様に、わたしは疑問をぶつけてみた。
「あの、旦那様とロドニー様ってどんな関係なんでしょうか? 当時旦那様の部下だったハンス様のご家族ですから顔を合わせる機会はあったと思うんですが……随分慕ってるように見えるので、何か特別なことでもあったんでしょうか?」
老若男女誰をも虜にしてしまう旦那様だけど、生来の思い込みの激しさを考慮しても、さすがにロドニー様の旦那様へ向ける執着は過剰だ。こういった場合、なんか個人的なイベント……琴線に触れるような出来事があったりするのがセオリーだよね。そうなるとますます厄介なお邪魔虫になるんだけど。
旦那様はわたしの言葉に少し首を傾けてから、遠い記憶を辿るように目を細め話しだした。
「……今聞けば驚かれるかもしれませんが、幼い頃ロドニーはとても小柄で大人しく引っ込み思案だったのですよ。領民の子供に揶揄われて泣いてしまうくらいでした」
「え、あのロドニー様がですか!?」
信じられない言葉に思わず叫んで、はっと口を押さえる。
いけないいけない。テラスとはいえ、ここは外だ。静かすぎて声が通りすぎる。
「何度かそんな場面を目撃してしまいましてね。見かねて子供達に注意をして追い払ったのですが——その時に、剣術を教えて欲しいと頼まれたのです。それで週に一度だけ時間を作って指導することにしました。慕ってくれているのならそれが理由でしょうね」
うわぁ……間違いなく正義のヒーロー……。絶対その時、激重感情が爆誕してるよね。
「でも、旦那様、よくそんな時間がありましたね」
当時、旦那様は領主であり、とても忙しかったはずだ。それなのに幼い子供の剣術指導なんてする時間はなかったはず。
「それなりに忙しかったですが、父親であるハンスに仕事を引き継いだばかりで多忙にさせてしまった負い目もありましたからね。……それにこう言ってはなんですが、ロドニーはリオネル陛下に比べて格段に熱心で素直で可愛かったのですよ。私にとっても良い気分転換になっていましたし、才能もありました。向上心も高かったので指導する喜びを感じたのは、ロドニーが初めてだったかもしれません」
そしてロドニー様はぐんぐん力をつけていき、揶揄ってくる子供達もいなくなったらしく——旦那様が王都に向かう前日まで鍛錬は続いたらしい。
「あ、でも今日よく声だけでお分かりになりましたね?」
「ええ、領民の中で、私のことを『ジル様』と呼ぶのは彼だけでしたから」
なるほど。でも別れた時の年齢から察するに声変わりもしてるだろうに、声だけで分かってもらえたなら感動もひとしおだよね。
そして旦那様の声音には、懐かしさと共に親愛も感じられて、やっぱりロドニー様と言い争いになったことは内緒にしておこうと心に決める。だけど少し間を置いたわたしに、旦那様が訝しげにわたしを見つめた。
「もしや二人で庭に行った時にロドニーに何かされましたか?」
「……いえ? ロドニー様は旦那様に夢中ですから、早く貴賓室に戻りたかったのか部屋に案内してもらうまで無言でしたし、すぐにエリオット達と合流しましたから」
……決して?ではないし事実である。ただ言い争いのところを省いただけだ。
うん、旦那様の思い出を汚すのもなんだし……そもそも力では勝てないけれど舌戦なら負けない。なんなら今日の嫌みの応酬だってわたしが最後で、ロドニー様は尻切れトンボで終わったから勝ちだし! そこ、レベル低いとか言わない!
とりあえず気になっていた旦那様とロドニー様の馴れ初めは分かった。結果、これ以上ロドニー様の話をするのは精神衛生上よくない。だってよくよく考えれば、わたしより旦那様と過ごした年月はロドニー様の方が長いわけで……きぃい悔しい! ……あ、そうだ。
わたしはこほんと咳払いし、ついでにもう一つ気になっていた……いや、いいなぁとは思いつつ、ちょこっとだけ妬ましく思ってしまったことも聞いてみた。
「あの、ハンス様と仲がいいんですね。旦那様が身内以外にあんなにリラックスされたお顔を見せるのはオセ様以来で、少し驚きました」
わたしを優しく見下ろしていた旦那様の目が僅かに見開かれる。そしてややあってから、むっと眉間に皺を寄せた。
「気心が知れているハンスはともかく、オセにまでそんな顔をしてましたか?」
「え?」
少し不満げな声にちょっと驚いて、まじまじと旦那様を見つめてしまう。すると大きな手で?を撫でるように覆ってしまい表情を隠されてしまった。けれど指の間から見えるコバルトブルーの瞳と寄せられた形のいい眉は、困惑とちょーっとだけ不服そうな複雑な感情を表していた。
んっ……っかわ……! これは可愛いやつぅ! お邪魔虫なオセ様のおかげっていうのが業腹だけど、今回は許す。
「っ旦那様……可愛い……」
自然と?が緩み、気がつけばそう呟いていた。きっとわたしの声にはハートが乱舞していたに違いない。
わたしはソファに膝で乗り上がると旦那様の手を自分の手で覆って外し、まじまじと覗き込んでみた。滾る思いのまま前髪をそっと払い、形のいい額に口づける。甘えるように首元に?を押しつけてから、またちゅっとリップ音を鳴らした。
ぱちっと目を丸くした旦那様に、わたしは緩んだ?もそのままに瞼にも唇を寄せる。すると、軽く瞼を閉じた旦那様がわたしの手を逆に握り返してきた。その力はやや強い。
「……今日のナコは意地悪ですね」
「心外です。労ってるんですよ」
手は振り払わず、そう言いながらも鼻先にもちょんと唇を落とす。
するとすぐに旦那様は、わたしの唇に自分の唇を合わせてきた。自分だって同じことをしていたのに、触れ合うだけのキスは何だか物足りない。少し考えて、今度は下唇をゆっくりと啄み、そろそろと旦那様を見上げてみる。すぅっと細くなった目に胸が高鳴ったのは一瞬。握り締めたままだった手が一度外され、長く節ばった指先が手のひらの内側をつぅっと撫でた。
ぞくりと肌が粟立つ。
旦那様は指の間に自分の太い指を滑り込ませると、もう一度握り締めた。周囲からわたしを隠すように覆いかぶさると上目遣いに艶っぽく囁く。
「……疲れていると思っていたんですが、お誘いを受けたと解釈しても?」
この色っぽさにNOと言える人がいるなら挙手して欲しい。無論わたしは直立不動、無抵抗の五体投地である。
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