書籍詳細
悪役令嬢、熱血騎士に嫁ぐ。
ISBNコード | 978-4-86669-584-6 |
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定価 | 1,430円(税込) |
発売日 | 2023/06/30 |
ジャンル | フェアリーキスピンク |
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電子配信書店
内容紹介
立ち読み
ちょうどその時、若い令嬢が二人遠慮がちにこちらに近寄ってきた。
「あの……」
「もしかして、そちらの男性って……」
二人はちらちらとヴィルを見上げて?を染めている。
先ほどマーリィたちと話した時にはいなかった顔だ。
「夫のヴィルです」
紹介すると、二人はきゃっと黄色い声を上げて手を叩いた。
「ほら、やっぱり、私が言った通りだったでしょう! きっとヴィルさまだって!」
「信じられない、見違えたわ!」
盛り上がってから失礼だったと気付いたようで、揃って「失礼いたしました」と頭を下げた。どうやら悪気はなさそうだ。フェリアは「気になさらないで」と微笑んだ。
二人とはこれまで話したことはないが、顔は見覚えがある。名前はすぐに思い出せないけれど、伯爵家の未婚の令嬢だ。彼女らはフェリアに対してなんの敵意も持っていないように見える。
——社交界にいる人が、みんな私の噂を鵜呑みにしているわけではないのよね。
フェリアとこれまで交流がなかったのも、単純にきっかけがなかったり、話しかけづらかっただけということもあるだろうう。
「名前を呼ばれただろうか?」
ヴィルがこちらに気付いて振り返る。
令嬢は顔を見合わせ、揃って?を染めた。
「あの、よかったら、後で一曲踊っていただけませんか?」
フェリアとヴィルを交互に見比べて、一人が言う。
夜会のダンスマナーは宮廷舞踏会ほど厳格ではないから、未婚の令嬢から既婚男性を誘っても問題はない。だがヴィルは悩む様子もなく首を横に振った。
「すまない、オレは妻以外とは踊らないんだ」
フェリアの腰を抱き寄せてヴィルが言う。
その低いトーンの声に、フェリアは思い切り顔を赤くした。
彼にルークの警護があり、傍を離れたくないだけだと分かっているのに、胸が勝手にきゅうと苦しくなってしまう。
——いつの間にそんな気障な断り文句を言うようになったの……。
なんだか少し悔しいような気持ちになって夫を見上げると、満面の笑みで首を傾げられた。そして気付く。ヴィルが——この夫が、どんな理由があれ、心にもないことを言うはずがないと。
さらに顔を赤くするフェリアを見て、令嬢たちが両手で口元を覆った。
「愛されておられるのね……」
「とても羨ましいわ」
ぽーっと顔を赤らめて声を合わせる。
そして少し歓談した後、二人はにこやかに他のダンスパートナーを探しに行った。
「二人で一曲踊ってきてくれてもいいんだ」
近くで話を聞いていたルークが気遣うようにそう言った。彼の周りには他にも護衛がいるため、ヴィルが少し抜けるぐらい問題はないのだろうが、フェリアは遠慮した。今日は夫の仕事の邪魔をしないことが一番だ。
ただ、フェリアも緊張しているのは確かで、少し疲れを感じてきた。ヴィルに「風に当たってきます」と声をかけ、ワインを手に一人バルコニーへと向かう。
夜風はほどよい冷たさだった。ワインでほてった?に心地よい。また今日は天気もよく、月も星も綺麗に見えていて、眺めているとほっとできた。バルコニーの下に広がる庭園には小さな池が整備されており、そこに映る月も美しい。
「やあフェリア」
だが、静かな時間は長く続かなかった。
聞き覚えのある声に振り向くと、騎士服姿のアルフレッドが立っている。
「アルフレッド」
フェリアは声にはっきりと不快感を込めてその名を呼んだ。
「何か御用かしら? あなたは今日、この場の警護だと聞いていたけれど……」
アルフレッドはパーティーの参加者ではない。
だから話す機会もないと思っていたのに、わざわざ向こうから声をかけに来るなんて。
「別にサボっているわけじゃない。警護を任じられた第一部隊の隊長として、殿下たちにご挨拶に来たんだ。そうしたら君が寂しく佇んでいるのが見えたから、親切心で声をかけただけさ」
「そう……お気遣いくださってありがとう」
他に何と返していいか分からず、フェリアはそう言った。
フェリアにとってアルフレッドは、もう二度と関わりたくない相手である。文句を言いたい気持ちもあるにはあるが、アルフレッドと揉めることはハーバー家のためにならない。
——私に関わりたくないのは、アルフレッドも同じだと思ったけれど。
彼にはマーリィという新しい恋人がいる。彼女の手前、元婚約者であるフェリアとは話したくないはずだ。
そこまで考えたところで、フェリアはふと首を傾げた。
「マーリィさんはご一緒ではないの?」
フェリアがバルコニーに出てくる前も、マーリィはまだ会場に戻っていなかった。
彼女はアルフレッドに会いに行ったわけではなかったのか。
「マーリィ? ああ、彼女のことはもういいんだ」
「もういい?」
投げやりな物言いに、フェリアは眉を寄せた。
「どういうこと……?」
「なんだ、そんなに気になるのか?」
気になるか、気にならないかでいえば、それは気になるに決まっている。
アルフレッドとマーリィのせいで、自分がどれだけ散々な目にあったと思っているのか。
——まさか、別れたのかしら?
だが、マーリィは先ほどそんな素振りを欠片も見せなかった。
アルフレッドに聞いてみたい気もしたが、それだと「気になっている」と白状するようなものだ。
「別に……どうでもいいことだわ」
「つれないな、元婚約者に対して」
アルフレッドが「はっ」と馬鹿にしたよう笑う。
——彼と話していても、不快になるだけね……。
フェリアはため息をついてバルコニーを後にしようとした。
「ヴィルは随分変わったようだ。……フェリア、そんなに悔しかったのか?」
だが彼の隣を通り過ぎようとしたところでそんなことを言われ、フェリアは足を止めた。
「……なんの話?」
「ヴィルを変身させて、ぼくに見せつけようと思ったんだろう?」
言っている意味が分からない。眉を寄せてアルフレッドを見ると、彼はごく真面目な顔でフェリアを見つめていた。
「アルフレッド?」
「君はぼくを愛していたから、婚約を解消されても諦めきれず、なんとかぼくの気を引こうと同僚であるヴィルと結婚をした。そうだろう?」
そんな名探偵のような顔で的外れな推理をされても困る。
「違います」
フェリアは腹が立つより、呆気に取られてそう言った。
ローディ家が『さっさと結婚しろ』という条件を出したことを忘れたのだろうか。
「ヴィルは最初から素敵な人よ。そして私は彼を好きになって結婚をしたの。あなたは関係ない」
きっぱりとそう言うと、アルフレッドが不満そうに眉をひそめる。
「あら、フェリアさまったら……まだアルフレッドさまに言い寄ってらっしゃるの?」
馬鹿にしたような女性の声が聞こえたのは、その時だった。
先ほどフェリアに嫌みを言った女性が数人、会場からこちらを見つめている。
そのうちの一人は、フェリアに『夫を侮辱するのはやめてください』と言われ鼻白んでいた女性だ。
なんとかやり返したくて、フェリアが王太子とヴィルの傍を離れるのを待っていたのだろう。表情が生き生きとしている。
——本当に、アルフレッドといるとろくなことがないのね。
フェリアはもう一度ため息をつき、今度こそ場を離れようとした。だがホールに戻ろうとした瞬間、女性に強く肩をぶつけられてしまう。
「あっ」
フェリアが手に持っていたワイングラスが傾き、中身が零れて手とドレスにかかった。父がプレゼントしてくれた、お気に入りのドレスだったのに。フェリアは信じられない思いで顔を上げた。
「何をするのですか」
「あら、申し訳ございません。わざとではないのよ……わざとでないなら許してくれるのでしょう?」
以前の舞踏会で、フェリアがマーリィに水をかけたことを当てこすっているのだ。
——あの時は、私が彼女に手を振り払われたのよ……!
そう言い返したかったけれど、彼女が信じてくれるとは思えない。
何より騒動を起こせばヴィルに迷惑をかける。
——ヴィルは、王太子殿下をお守りするという大切な任務の途中なのだもの。
彼の気をそらすようなことをしてはならない。
「……ええ、そうね。気になさらないで」
低い声で答えて、フェリアはドレスのポケットからハンカチを取り出した。ワインがかかったところを拭こうと思ったのだが、ハンカチと一緒に母の形見のバレッタが出てきて、地面に落ちてしまった。
「あっ」
バレッタはお守りに持ってきていた。
“こういう事態”が起こるのではないかと、心の底では不安だったからだ。
動揺するフェリアをよそに、アルフレッドがバレッタを拾う。
「このバレッタ……ぼくが昔あげたものじゃないか」
「返して! それは……」
フェリアはハッと我に返ると、慌ててアルフレッドからバレッタを奪い返した。
だがアルフレッドの視線は自分ではなく、自分の背後に向けられている。
嫌な予感がして振り返ったフェリアは、今度こそ顔色をなくした。
「ヴィル……」
ヴィルが少し向こうに立ってこちらを見ている。きっとバルコニーの様子がおかしいと思って来てくれたのだろう。
だがいつも太陽のように輝いている褐色の瞳に力がない。眉は僅かに下がり——一言で言うなら、不安そうに見えた。
フェリアはそこでようやく、彼の視線がバレッタに向けられているのに気付いた。
「違うわ……ヴィル! このバレッタは……」
いまの話を聞かれたのだと悟って、フェリアは説明を口にしようとした。
だけど言葉が詰まってしまう。信じてもらえるか不安で、胸が押しつぶされそうになったからだ。
フェリアは、普段からヴィルの前でもこのバレッタを使っていた。聞かれることもなかったから、母の形見だと話したこともない。
いまさら母の形見だと言って、それを信じてもらえるだろうか。守り花刺?も地方にしかない風習だから、知らない人には苦しい言い訳と取られるかもしれない。分からない。自信がない。だって、あんな表情のヴィルを見るのは初めてだ。
「ヴィル」
アルフレッドが、勝ち誇ったような顔でヴィルを見つめた。
「ほら、言っただろう。やっぱり“当てつけ”だった」
僅かにヴィルの眉が寄る。
フェリアは小刻みに首を横に振った。
“当てつけ”という言葉が二人にどういう意味を持つのかは正確に分からないが、フェリアは本能的に恐ろしい響きだと感じ、背筋が凍った。
誰に何を言われても、フェリアは耐えられる。
だけど、ヴィルに嫌われるのだけは——嫌だ。耐えられない。
「違うの……ヴィル。このバレッタは……確かにアルフレッドからもらったものだけど、母の形見で……」
なんとか声を絞り出したが、怖くてヴィルの顔が見られない。
——お願い、疑わないで……!
だがフェリアの願いをあざ笑うように、周囲からはひそひそ声が聞こえてくる。
「母の形見ですって……」
「アルフレッドさまからもらったものなのに? 言い訳にしても苦しいわ」
水を得た魚のように話す女性たち。その言葉は当然ヴィルにも聞こえているだろう。
フェリアはぐっとバレッタを握りしめてバルコニーの白い柵に駆け寄ると、それを思い切り下へ向かって投げ捨てた。
「私が愛しているのは……ヴィル、あなただけ……」
バレッタが庭園にある池に落ち、ぱしゃんと寂しげな音を立てる。
「お願い、ヴィル……私を嫌いにならないで」
フェリアの言葉はヴィルに届いただろうか。分からない。なぜならフェリアがそう言って振り返った時には、ヴィルはすでにバルコニーの柵を跳び越えていたからだ。
「え?」
その場にいた全ての人間の声が重なった。
同時に、ヴィルが池に飛び込む大きな音が会場中に響き渡る。
誰もが一瞬、何が起きたのかを理解できなかった。
フェリアはもちろん、先ほどまで嫌みを言っていた女性たち、アルフレッドまでもがぽかんと口を開いている。騒ぎに気付いて、他の参加者たちも続々とバルコニーの近くに集まってくる。
フェリアは我に返ると、バルコニーの白い柵から身を乗り出した。
「ヴィル!」
会場は二階である。彼に怪我はないか。肝を冷やしながら名前を呼ぶと、ヴィルが片手を突き上げて池のなかで立ち上がった。
「ああ……!」
腰が抜けそうになりながら安堵の声を漏らす。良かった、大きな怪我はなさそうだ。
それから彼の手に母の形見のバレッタが握られているのに気付き、フェリアは目に涙を浮かべた。
「フェリア! すまない! オレは……オレは! 動揺した! 君がいつも身につけているものがアルフレッドからもらったものだと知って、嫉妬をした!」
ぐっとバレッタを握りしめ、ヴィルが叫ぶ。
「一瞬でも君の心を疑った! 君が悪いんじゃない! オレに……自信がないからだ! 君に愛される男だという自信が、オレにないから!」
「ヴィル……」
「君は美しくて、教養があって、いつも凜としていて、優しい! それに比べてオレはどうだ! オレは君と結婚するまで、女性とまともに会話をしたこともない! 縁談だって何度振られてきたか分からない! オレは……君のように素敵な女性がオレの妻になってくれた幸運を、今日までずっと信じられずにいた! 神の気まぐれではないか、夢はいつか覚めるのではないか! そんな風に思っていたんだ!」
宮殿中に届くのではないかというほど大きな声で、ヴィルは言葉を続けた。
「そんなオレの弱い心が君を傷つけた! 君に母親の形見を捨てさせた! オレは、オレが情けない! もう二度と同じ過ちは繰り返さないと誓う! オレは……フェリア! オレは君を愛している!」
見開いたフェリアの菫色の瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。
フェリアは両手を口に当て、嗚咽を堪えながら夫の姿を見つめた。
「君を想う心は誰にも負けない! オレはもう、オレを疑わない! 君を世界で一番幸せにできるのは、オレだ! フェリア! 君を愛している! どうかこれからも、ずっとオレの妻でいてくれ!」
丁寧にセットしたはずの赤髪からは水がしたたり、仕立てたばかりの礼服も濡れて酷い様だ。
だけどフェリアは、その彼を世界中の誰よりも素敵だと思った。
「わ……私も……ヴィル……」
フェリアは白い柵を両手で握って身を乗り出すと、震える声を振り絞った。
「私もあなたを愛している! この世界の誰よりも、あなたを! ヴィル!」
大粒の涙を零しながら叫ぶフェリアに、ヴィルが嬉しそうに笑う。そして池から出ると、バルコニーの下で両手を広げた。フェリアは迷わずに柵を乗り越えた。赤い羽の蝶のように、彼の胸をめがけて飛び下りる。
「フェリア」
ヴィルは軽々とフェリアを受け止めた。
「すまなかった」
耳元で囁かれた言葉に、首を横に振る。
「……私は嬉しかった」
返事をするとヴィルは目を細め、フェリアの手にしっかりとバレッタを握らせた。
「大切なものだ。フェリアの母君の形見なのだから」
フェリアはバレッタを握った手を胸に当てると、鼻をすすって頷いた。
それから、そっと彼の首に両手を回す。
見つめ合う二人の唇は自然と重なり、少し遅れて、二階の会場から割れんばかりの拍手が沸き起こった。
「素晴らしい愛の告白だわ」
「色々と噂はあったけれど、お二人は真に想い合う夫婦だったのね」
口々にそう話す声も聞こえ、フェリアは顔を真っ赤にして彼から唇を離した。
気分が盛り上がって、衆目の前だと失念していたのである。てっきりヴィルも同じように照れていると思ったのに、彼は情熱的な眼差しでフェリアだけを見つめていた。
「オレが何も考えずにフェリアを抱き留めたから、ドレスが濡れてしまったな……」
「いいの……びしょ濡れになったって構わないわ」
周囲のことなど気にならない様子でフェリアだけを瞳に映すヴィルに、胸を高鳴らせながら答える。ヴィルは微笑み、濡れた髪を片手でかき上げた。
——胸が苦しい。
ヴィルがいつにも増して格好良く見えて、心臓がどうにかなりそうだ。
血が沸騰しているのではないかと感じるぐらい、全身が熱い。彼を好きで、好きで堪らないという気持ちが体のなかで爆発しそうな気がした。
フェリアは込み上げてくる感情のまま、ぎゅっとまた彼の首に抱きついた。
それから、盛り上がるバルコニーを見上げる。
ちょうどアルフレッドが背中を向けて去っていくところで、フェリアをからかっていた女性たちが戸惑うように顔を見合わせているのが見えた。
柵の近くでは、先ほどヴィルにダンスを申し込みに来た二人の令嬢が嬉しそうに手を叩いている。
——ヴィルはいつも、私の世界を変えてくれる。
社交界で、こうして好意的な拍手が向けられる日がくるなんて思いも寄らなかった。
初めて出会った時も、あの広場でも、いまも——ヴィルはフェリアの世界を変えてくれる。
フェリアは胸がいっぱいになって、また目に涙を浮かべた。
二階から「あれは……?」という声が聞こえたのは、その時だ。
「あれ?」
何かと思って顔を上げると、観衆の一人がバルコニーから池のほうを指さしている。
つられて池を見て、フェリアは「あ!」と声を上げた。
暗い夜空を映す池の上に、男が一人ぷかぷかと浮かんでいたからである。
ヴィルもすぐに気付いてフェリアを地面に下ろすと、急いで池に入って男を引き上げた。男は気を失っているのか、反応はないようだ——死んでいるのではないと思いたい。
「不審者だ!」
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