書籍詳細
王子様の婚約破棄から逃走したら、ここは乙女ゲームの世界!と言い張る聖女様と手を組むことになりました
ISBNコード | 978-4-86669-593-8 |
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定価 | 1,430円(税込) |
発売日 | 2023/07/27 |
ジャンル | フェアリーキスピュア |
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内容紹介
立ち読み
「待って待って待ってほんと無理、やばいやばいやばもう死んだ」
「わかりますわ、サクラ様。これは『尊い』ですわ」
ベーカリー・スクラインの厨房。
その端っこで、ケイトとサクラは手を握り合っていた。
少し離れた場所にある作業台にはクライヴとギルバートが立ち、二人でパン生地を捏ねている。
売り物のパンはすべて売り切れてしまった。
それならば早々に店を閉め、夕食用のパンを焼こうということになったのだ。
「私……ギルバート殿下のあんな服装、初めて見ましたわ。クライヴと同じコック服をお召しになって……。ここはヴェルサイユ宮殿の鏡の間か何かでしょうか」
「田舎町のパン屋のしょっぱい厨房が一気にノーブルな空間に……! ていうかケイは何でヴェルサイユ宮殿の鏡の間なんて知ってるわけ?」
「異世界からいらした方がお書きになった小説で知りましたわ」
「あー、そーゆう」
「サクラ、しょっぱい厨房って聞こえてっぞ!」
こそこそと話している二人にクライヴの不満そうな声が飛んでくる。
一方、ギルバートは真剣にパン生地を捏ねていて、ケイトとサクラの視線にはまったく気がついていない様子だった。当然である。彼にとって料理など人生で初めてのことだ。
加えて、王宮では『色恋事以外に関してはすべてにおいて優秀』と評される生来の資質に従い、本気でパンを捏ねていた。小麦一粒たりとも妥協がない。
「なかなか君の見本通りにならないな。べたべたする」
「そうですね……少し温度を下げてみましょうか」
「……ほう。こんなに器用に魔法を使えるとは」
「俺はこれぐらいしかできませんよ」
意外と仲良くパンを捏ねているクライヴとギルバートを見守りながら、サクラはさらに瞳をキラキラと輝かせる。
「ねえ。私、そっちは嗜んでこなかったけど……今、新たな扉が開こうとしてる。人知を超えた麗しさだもん」
「二人は本当に絵になりますね」
うんうんと頷いたケイトに、サクラはぐっと顔を寄せた。
「ねえ。ケイはギル様のお顔が好きなんでしょう?」
「……は、はい」
「じゃあ、クライヴは?」
「え?」
「クライヴもギル様に引けを取らない美形っぷりだと思うの。美少年系でちょっと系統は違うけど。……くっ。あの顔で口が悪いなんて最高すぎかよ!」
「あの顔でからその後全部聞こえてっぞ! そんなくだらない話してんなら手伝え」
「あ、ごめん」
サクラは厨房用の帽子をサッと被り、二人の手伝いに入る。
三人が楽しそうに作業する光景を眺めつつ、いつも冷たいギルバートのことを思うと一歩も踏み出せなかった。
一人、食材庫を開けてトッピング用のドライフルーツやナッツを準備する。
サクラもクライヴもエリノアも、具入りのバゲットが大好きで、自分たちのために追加でパンを焼くときはトッピングをたっぷり練り込むのが日常だった。
(……ほんのり甘くて食感の良いパンはギルバート殿下もお好きなはず)
そこで、さっきのサクラからの問いを思い出した。
——じゃあ、クライヴは?
(クライヴさんも本当に顔がいいわ……。それにとても優しいしいい子。でも、全然、ときめかない)
ケイトがギルバートを好きになったきっかけは顔だ。
たとえ冷たくされたとしても一緒にいると楽しいのも、彼が喜んでくれるとうれしいのも、彼に何かしてあげたいのも全部、顔がいいから、が入り口のはずだった。
もちろん、今は顔以外も好きなのだが、具体的にどこが好きなのかと言われると困ってしまう。ケイトにとってはそれが引け目になっている。
もし、あのギルバートの美しい顔がゴリラになってしまったら。ケイトは、異世界から来た学者がつくった動物図鑑に載っていた『ゴリラ』のことを思い浮かべる。
毛むくじゃらで、まん丸の目に低い鼻、分厚い唇。それでも中身がギルバートだと思うと、とても愛しい生き物のような気がした。
(どうしたらいいの。顔は推せないけれど、それでも婚約解消は絶対に嫌だわ)
ぼうっと考え事をしながら、ケイトは頭上の棚に手を伸ばす。瓶に入ったドライフルーツを取るためだ。つま先立ちをしても、あと少し、届かない。
(……届かない)
「これか」
急に視界が暗くなったので、ケイトは驚いた。
けれど、さらに自分の状況を把握して腰を抜かしそうになる。
ギルバートが背後に立ち、ケイトが取ろうとしている瓶に手をかけているのだ。ケイトの背は彼に触れている。あまりのことに、心臓が止まりそうになってしまう。
「あ……ありがとうございます」
身を固くし、何とか答えるとギルバートの低い声が頭上から響いた。
「……バラの香りがします」
「バラ、でしょうか」
「……」
「……」
「「!」」
そこで二人は気がついた。一週間前の、あの大きなバラの花束のことを。
ちょうど昨夜、ケイトはクライヴの魔法でバラの花を元の状態に戻してもらい、バスタブに入れたのだ。
ギルバートから贈られたバラは当然、上質なものだった。華やかな香りは強く、ケイトは贅沢なバスタイムを過ごしたのだった……けれど。
(ギルバート殿下からいただいたバラの花を入浴に使ったなんて、絶対に言えない)
そう思って目を泳がせていると、ギルバートはいきなり核心をついてきた。
「勘違いだったら恥ずかしいところなのですが……もしかして、あの花束をお風呂に使ってくださったのですか」
「!」
勘違いなどではない。純然たる事実である。けれど、真っ赤に染まってしまったケイトは何の言葉も発せなかった。
それを肯定ととったらしいギルバートはうれしそうに微笑む。
「あのバラの花は、あなたにそうやって使っていただけたらいいな、と思って贈りました。願いが叶ってうれしい」
「……!」
これまでに見たことがない、優しい微笑みだ。自分に向けられたその眼差しや笑顔や甘く響く声色のすべてに、呑み込まれそうになる。
この状況にどう対応するべきなのか迷ったケイトはサクラに視線を送る。
婚約破棄をされず『ハピエン』に向かう方法を知っている彼女なら打開策をくれるはずだった。
けれど、パン生地を前にしたサクラは真剣である。こちらを見向きもせず、必死に生地を捏ねている。
(そういえば、さっきサクラ様は『こんなのシナリオにない』とおっしゃっていたわ。お告げを受けていないということよね、きっと)
それならば、自力で何とかしなくてはいけない。
代わりに、厨房の大きな窓の向こうからこちらを見つめているジョシュアが見えた。
目を見開いて、ぱくぱくと何か言っている。『やっとみつけました、なにしてるんですか、ギルバート様、しつむがまだのこっています』こんなところだろう。
「……ジョ、お付きの方があちらに」
危なかった。付き人の名前を知っていると気づかれては大変だ。ごまかしながら窓を指さすと、ギルバートは決まりが悪そうな顔をした。
「まずいですね。見つかってしまいました」
「と、おっしゃいますと……?」
「今日は彼を撒いてきたのです」
「!?」
(ギルバート殿下が、私に会うために執務を放棄していらっしゃった……!?)
前代未聞の出来事に、ケイトは口をぱくぱくさせるしかない。
けれど、ギルバートはくすりと余裕の笑みを見せた。これまでにケイトが知らなかった、ギルバートの新たな一面である。
「それは……あの、お付きの方がお困りになるのでは」
「いや。あなたとこうやって過ごす時間のほうがはるかに楽しくて大事だ」
「!」
(まさかこんなことをおっしゃってくださるなんて)
その日、焼き上がったパンの味をケイトはよく覚えていない。
モルダーを演じるギルバートはというと、焼きたてのパンをうれしそうに抱えて王都へと帰って行ったのだった。
その日の夜、ケイトとサクラは自室でベッドに転がっていた。
「今日は楽しすぎたね、ケイト!」
「ええ。まさか、ギルバート殿下と一緒にパンが焼けるなんて。それに、とても喜んでくださったわ。本当にうれしい」
「ふふふ」
「何ですか、サクラ様」
意味深に笑うサクラに、ケイトは?を赤らめる。
「今日は一度も『ギルバート殿下の顔がいい』って言ってないなと思って」
「それは……!」
「やっぱり、お顔以外にも好きな理由を説明できることに気がついたんでしょう?」
「はい。……あの、少し考えてみたんです。ギルバート殿下のお顔が、ゴリラだったらって」
「待って待って待って待って? いろいろ突っ込むところしかないんだけど?」
サクラがいつもの賑やかさで話を聞いてくれたので、ケイトの心は解れていく。
「……私は、あのギルバート殿下が好きなんです。お顔だけじゃなく、生まれてからずっと彼を作ってきたものすべてを愛しています」
「きゃー! いい! 私もケイトとギル様が大好き!」
楽しい時間を終えた二人はそれぞれのベッドに入る。
今日は本当に楽しかった、そう思いながら眠りに落ちようとしたとき。
「でも……本当にケイトとギル様がパンを焼くイベントなんてないはずだったんだ……」
サクラのそんな呟きが聞こえた気がした。
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