書籍詳細
婚約したら「君は何もしなくていい」と言われました 殿下の溺愛はわかりにくい!
ISBNコード | 978-4-86669-610-2 |
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定価 | 1,430円(税込) |
発売日 | 2023/09/27 |
ジャンル | フェアリーキスピュア |
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電子配信書店
内容紹介
立ち読み
「アリーシャ嬢。此度はクレイドとの婚約を受けてくれてありがとう。兄として嬉しく思っているよ」
国王陛下とは反対に、こちらを気遣う気持ちが伝わってくる。まさかこんな風に話しかけてもらえるとは思っておらず、私は恐縮してしまった。
王太子殿下はにこりと微笑み、その目を見れば私とクレイド殿下の婚約を祝福してくれているのがわかる。
「初めてお目にかかります。アリーシャ・ドレイファスと申します」
「あぁ、とてもかわいらしい人だね。クレイドとよく似合う」
社交辞令を社交辞令と思わせない、自然な口調。殿下と私が似合うだなんてあり得ないのに、本心みたいに感じられる。
本来なら目を合わせることすらできない高貴な方が、私のような貧乏伯爵令嬢にまで優しかった。
強張っていた肩の力が抜け、自然な笑みが戻ってくる。
「ありがとうございます」
?だとしても、クレイド殿下とよく似合うと言ってもらえて嬉しかった。婚約者として認めてもらえた気がしたから……。
はにかみながら隣にいる殿下を見れば、ぎりっと歯を食いしばっている。
「殿下……?」
私なんかと似合うと言われて嫌だった?
悔しいとか、苦しいとかそういった感情を抱いていそうに見える。
私の呼びかけではっと気づいた殿下は、きりっとした顔で「大丈夫だ」と言った。
「どうかなさいました?」
「いや、何でも……」
小首を傾げる私。クレイド殿下はまた前を向き、真顔になる。
それを見てクッと笑った王太子殿下は、嬉しそうに目を細めて言った。
「あ〜、クレイドが喜んでいてよかったよ。アリーシャ嬢、これからはクレイドの支えになってあげてほしい」
喜ぶとは、何に対して喜んでいるんだろう。
よくわからないけれど、私は王太子殿下に向かって「はい」と返事をする。
「殿下のために、できることは何でも……」
言いかけて、王子妃教育が延期になっていることが頭をよぎる。王妃様はそれを「不要」とはっきり言っていたし、今のままの私でクレイド殿下のお役に立つことはできるのかと思うと言葉に詰まった。
私の胸中を察したのか、王太子殿下は少し申し訳なさそうな顔をした。
「すまないね。母は何でも自分の思い通りにしたい人だから、アリーシャ嬢の王子妃教育についても勝手に話を止めてしまって……。もうしばらくの間だけ、合わせておいてほしい」
「は、はい」
王太子殿下は、ご自分の母君の性格をよくご存じのようだった。
もうしばらくの間だけ、とおっしゃったのは何か変わるんだろうか?
もしかして、王太子殿下が説得してくださるとか……。それなら希望が持てると、気分が明るくなってくる。
私が頷いたのを見た王太子殿下は、今度はクレイド殿下に向かって満面の笑みを向けた。それはちょっと苦言を呈するといったような、含みのある笑顔だった。
「アリーシャ嬢との婚約が調って本当によかった! でも、婚約式を勝手に早めた理由はきちんと報告するように」
勝手に早めた? クレイド殿下が?
エーデルさんからは「こちらの都合で」としか聞かなかったから、てっきり何かそうしなければいけない事情があったのだと思っていた。
隣を見ると、クレイド殿下が苦しげに眉根を寄せている。それを見た王太子殿下は、まるでからかうような表情に変わった。
「弟の婚約式をその場で見られなかった兄の気持ち、察してくれない? 寂しくて寂しくて、涙が止まらないよ……!」
「涙など出ていませんが……? おもしろがって笑っておられるでしょう?」
反論するクレイド殿下は、本気で嫌がっているわけではなさそうだ。ちょっと困っているようには見えるけれど。婚約式を早めた理由については、聞かれたくなかったらしい。
これは、兄弟のじゃれ合い?
お二人はものすごく仲が良さそうに見えた。
第一王子派と第二王子派の権力争いがあるとはいっても、それは周囲の人間の話であって、実際のところ兄弟仲はいいのかも……。
「そうだ! クレイドの結婚式は私が神父を務めよう」
「そんな無茶な」
「できるよ? 神殿に認められた私なら、神父になれる」
「なれるなれないの問題以前に、兄上は王太子です……」
王太子殿下の目が本気だった。冗談ではないと感じ取ったクレイド殿下が、顔をやや引き攣らせている。
それを見た私は自然と口角が上がる。
王太子殿下は、今度は私に目線を向けた。
「そうだ、アリーシャ嬢も今度一緒に食事をしよう。面倒でなければ、本塔の特別室へおいで」
「面倒だなんて、そんな……。とても光栄です。ありがとうございます」
「離宮で籠ったままだと聞いていたから、もしかして無理に王都まで来させてしまったのかなと心配していたんだ。元気そうでよかった」
「ご心配をおかけしてしまいました。私はこの通り、とても元気です!」
王子妃になろうという娘が、二日移動しただけで疲れて療養するくらいのか弱さでは困るはず。そもそも私は、一般的なご令嬢方より丈夫だと思う。
全然大丈夫です、と健康をアピールした私を見て、王太子殿下は「ん?」と何か疑問に思ったようだった。
「クレイド。どうしてこんなに元気なアリーシャ嬢がずっと離宮にいるの……?」
「…………」
ここにきて、何か不穏な空気が流れる。
「まさか、閉じ込めてるとか?」
あぁ、これはまずい。
王太子殿下は、笑顔だけれど怒ってる!
クレイド殿下が答える前に、私が二人の間に割って入った。
「離宮は快適ですので、私は何の不自由もしておりません! それに、私のような婚約者を人に見せたくないと恥じるお気持ちは理解できます! 私は殿下にとって、押しつけられたも同然の婚約者ですから、恩情ある待遇を受けられるだけで十分です。だからどうか……」
「「は?」」
どうか何も聞かないでほしい、私がそう言うより先にお二人が揃ってこちらを見る。
お二人とも、「どういうことだ?」と不思議そうな顔をなさっていた。あまりにその反応の仕方がそっくりで、異母兄弟といってもよく似るのだなと思った。
ところがここでふと気づく。王太子殿下はともかく、どうしてクレイド殿下までこんなに驚いているのだろう。
クレイド殿下は何かに気づいたみたいに、みるみるうちに青褪めていく。
「アリーシャ……まさか……」
「え? え?」
言ってはいけないことだった!?
失敗したと気づいた私は、クレイド殿下と同じくらい青褪めていく。
殿下は私に何か伝えようとして、でも言葉を呑み込んで、そんなそぶりを見せた。それを見かねた王太子殿下は、「はぁ」と大きな息をつく。
「どうやら、二人はよく話し合った方がいいらしい」
「……はい」
「クレイド、おそらく君の言葉が圧倒的に足りていない」
王太子殿下は弟君の腕に軽く触れ、私に向かって「すまないね」と笑いかけた。クレイド殿下は視線を床に落とし、苦しげに目を細めている。
「東の庭園を散歩でもしながら、ゆっくりと話し合ったらいいさ。誰も近寄らないよう、私が命じておこう」
ゆっくり話をするには、閉鎖された室内よりも屋外の方がいいと聞いたことがある。確かに、今の私たちが室内で向かい合って座ったとして、何か会話が広がるとも思えなかった。
「あそこには、魔法で咲かせたダリヤが一年中美しく咲いているからね。きっとアリーシャ嬢も気に入るよ」
王太子殿下のお言葉に従い、私たちはすぐに東の庭園へ向かうことに。クレイド殿下はおずおずと右手を差し出し、私の反応を窺いながら言った。
「一緒に行ってくれるか……?」
その手も言葉もとても遠慮がちで、私に気を遣っているのがわかる。
「はい、もちろんです」
重なり合った手は、ぎこちなくもしっかりと握られる。ふと殿下の顔を見上げると、まるでこれから大きな戦いにでも挑むような決意の表情だった。
東の庭園は謁見の間からほど近い場所にあり、建物の中だというのに限りなく自然に近い柔らかな光や風が再現されている。
すべて、クレイド殿下の管轄の魔法省が作った魔法道具のおかげらしい。
赤、白、オレンジ、ピンクといった色とりどりのダリヤが咲き誇り、私はクレイド殿下にエスコートされながら庭園の小路を歩いていった。
しばらく無言で歩いていた殿下は、澄んだ小川のそばで立ち止まり、そっと私の手を離す。
向かい合えば「いよいよ話をするんだ」とわかり、緊張感が高まった。
「色々と話したいことはあるが、第一に君に伝えたいことがある」
美しい花々に負けないくらいの素敵な王子様。蒼い髪がさらりと揺れ、絵画から出てきたようだと見惚れそうになる。
でも、一体何を言われるのかと少し怖くなり、私は両の手をお腹の前で組み合わせて下を向いた。
「婚約を受け入れてくれてありがとう」
「……え?」
びっくりして目を見開いた私は、顔を上げて殿下を見つめる。
殿下は唇を引き結び、緊張した様子だった。
どうして殿下が私にお礼を言うのかわからず、その目を見つめ返すことしかできなかった。
「何もしなくていいから、ただ一緒にいてほしい」
殿下は、意を決したようにそう言った。まるで恋人からの求婚みたいで、ドキドキして急に顔が熱くなった。
この婚約は殿下にとって押しつけられたものなのに、ただ一緒にいてほしいだなんて……。
こんなことを言ってもらえて嬉しいはずが、理解できずに戸惑った。
「あの、私との婚約に納得なさってるんですか?」
「当然だ」
即答だった。
澄んだ空みたいに美しい瞳が、キラキラと輝いて見える。クレイド殿下は本当にこの婚約を受け入れてくれているんだと伝わってきて、ますます胸が高鳴った。
「どうして……。辺境の、ドレイファス伯爵家の娘ですよ? こんな私なのに」
何の力もない家の娘で、しかも貧乏で、貴族らしい上品な趣味もなく、かわいげもないと元婚約者に捨て台詞を吐かれた私と、婚約してよかったと思ってくれるの?
私がクレイド殿下に返せるものがあまりに見当たらなくて、釣り合わないと弱気が顔を出す。
いつか後悔させてしまうのでは……と思うと、握った手が小刻みに震えた。
「本当にいいんですか? うちは殿下をお支えできるような家柄でもありませんし、私は何の実績も才能もなくて、魔法だって使えません」
こんなことは、とっくに殿下だって知っている。
それでも確認せずにはいられなかった。
殿下はふっと笑うと、そんなことはどうでもいいとでもいう風に答える。
「私は、君が婚約者になってくれてよかったと思っているんだ。だから、それ以上のことは望まない。王子妃の立場や責務なんてものは気にせず、何もしなくてもいいし、好きなことをしてくれて構わない」
「っ!?」
その言葉が愛の告白のように聞こえてしまって、私は思わず目を逸らす。
婚約者になってくれてよかっただなんて、それ以上のことは望まないなんて、これでは殿下が私のことを好きみたいだ。
そんなことあり得ないのに……!
冷静になりたくて、何度も深呼吸をしてから質問する。
「私との婚約に納得しているのなら、なぜ婚約式の日に私を見て『よくここまで無事で来られたものだな』とおっしゃったのですか……?」
最初に尋ねたのは、初めて会った瞬間のあの言葉。
殿下がどういう意図でおっしゃったのか、婚約に納得しているというのならあの言葉が出るわけがないと思った。
ところが、殿下は私がなぜそんなことを聞くのかわからないといった風な顔をした。
「なぜって……そのままの意味だが?」
「そのまま、とは?」
「よく無事で来られた、と。よかったと伝えたつもりだった」
「ええっ!?」
あの睨みとすごんだ顔からは、「よくのこのこ来られたな」って意味だと思ったのに!
殿下からの労いが、まったく受け取れていなかったことに愕然とする。
私は前のめりになり、さらに質問する。
「婚約式を早めたのはなぜです? 招待客もいなくてびっくりしました」
エーデルさんが言った「こちらの都合」とは一体何だったのか? それが知りたくて、私は殿下をじっと見つめる。
さきほど王太子殿下にも指摘されたばかりのクレイド殿下は、反省の色を滲ませながら言いにくそうに話し始めた。
「それは……君を見世物にしたくなかったから。私は評判がよくないし、君まで嘲笑されてはと心配だったんだ。いくら婚約式とはいえ、よく知らない貴族たちにじろじろ見られて嫌な思いをさせたくもなかった」
殿下の思いやりが、完全に裏目に出ていた。
まさか私のためだったとは微塵も想像しておらず、根本的に何もかもすれ違っていたんだと気づくと拍子抜けして力が抜けた。
「てっきり私を人に見られたくないと、こんな婚約者は恥ずかしいから隠そうとなさっていたのかと思っていました。よほど私のことを人に見られたくないんだなって……」
「それは違う!」
強く否定した殿下は、一歩距離を詰めて必死に説明する。
「婚約式のことも、離宮でずっと人払いをしていたのも、君を傷つける意図はまったくなかった。私の婚約者という立場は敵も多いから離宮にいた方が安全だし、なるべく人を寄せつけないでいようと……!」
「監禁じゃなかったんですね」
「そんな誤解を与えていたのか!?」
クレイド殿下は息を呑み、見るからに狼狽していた。
右手で顔を覆い、悔やむ姿は恐ろしさの欠片もなく普通の青年に見える。猛省といった言葉が似合うくらい、苦悶の表情を浮かべていた殿下だったが、私のことを再び見つめたときにはしゅんとして落ち込んでいた。
「誤解させてすまなかった。エーデルからよく言われるんだ、顔が怖いと。脅しているようにしか見えないと」
エーデルさん、さすが婚約式の前に殿下の背中を叩いただけのことはある。周囲の人が言いにくいこともずばずば言える間柄なんだな、と思った。
「婚約式の日も、君に会えると思ったらどういう態度を取っていいかわからず、緊張して……。君を幸せにするのは、私の使命だと誓ったのに」
「使命!?」
とても大げさな言葉が飛び出し、驚いて声が裏返る。
義理堅いにもほどがある。
殿下は申し訳なさそうな顔で、私を閉じ込めていた理由を話し始めた。
「——私の母は、政治とは無縁の斜陽伯爵家の娘だった」
それはとても親近感の湧く家柄である。うちはもう斜陽どころか完全に沈み切っていたけれど、政治とは無縁の家から王家に嫁ぐのはさぞ大変だっただろうなと想像した。
母君の話をするクレイド殿下は、少し悲しげな目をしていた。
「国王陛下が王太子だった頃に舞踏会で見初められ、瞬く間に寵妃として扱われるようになったらしい。だが、側妃として生きていくには心も立場も弱すぎた。母は私が五歳のときに、国王陛下に『生家に下がりたい』と申し出たんだ」
無限に続く嫌がらせに、継承権を持つ男児を産んでしまった重責、何もかもに耐えきれなかったクレイド殿下の母君は、お一人で生家に戻っていったという。
「たった五歳でお母様と離れ離れになってしまったんですね……」
母君がおられないことは知っていたけれど、そんなに幼いときに離別していたとは思わなかった。私は自分が母に置いていかれたときのことを思い出し、重苦しい気持ちになる。
殿下は、反省の色をその声に滲ませて話を続ける。
「私は第二王子だし、君は側妃じゃない。母とは色々と状況が違う」
「はい」
「ただ、それでも君に負担をかけたくなくて、できるだけ人との接触を減らそうとした。監禁する意図はなかったが、結果的にそうなってしまっていたようだ」
私だって、普通なら王子様の婚約者ということで殺伐とした女の戦いに身を置くことになるのだろう。クレイド殿下は、私につらい思いをさせないようにと守ろうとしてくれたのだった。
今は、その気持ちが十分すぎるほどに伝わってくる。私を見つめる瞳も、語りかける声も、その所作にも私を案じる気持ちが感じられるから……。
「君が婚約者でいてくれるなら、本当に何もしなくていい。社交も王子妃教育だってやらなくていい。これまで君が働きづめだったことは見……いや、エーデルから報告を受けていて、だから私の婚約者になったからには何もさせないでおこうと決めたんだ。とにかく、何もしなくていい、のんびり過ごしてほしいんだ」
クレイド殿下は、私を母君のようにしたくないと案じておられた。
聞けば聞くほど私のことを大切にしようと思ってくれていたのだとわかり、嬉しくて胸がいっぱいになる。
殿下は、私を守ろうとしてくれていた。会ったこともなく、押しつけられた婚約者の私のことをこんなにも考えてくださっていた。
噂とはまるで違う、誠実で優しい人だった。
「殿下はこれまで、大変な思いをなさってきたのですね……」
幼少期に母君という盾を失くしても、継承権のある王子であるからには王城から出られない。娘の私ですら、生家に戻る母についていくことはできなかったのだ。
きっと殿下は、私が想像もできないくらいつらいことを経験してきたのだろう。
それでも、殿下は目を細めて優しく微笑んだ。
「兄は、私のことをいつも気にかけてくれている。王妃派だ何だと派閥はあるが、私は兄が自分を弟として見守ってきてくれたから現状に不満はない。だが君のこととなると話は別だ。誰にも傷つけさせたくない」
だから何もしなくていい、と殿下はさらに念を押す。
こんなに優しい方が婚約者だなんて、私にはもったいないと思った。同情や尊敬、親愛といった様々な感情が混ざり合い、気づけば私の眦には涙が滲んでいた。
クレイド殿下は、今度はきちんと伝わっただろうかと少し不安げな顔でこちらを見つめている。
「話してくださって、ありがとうございます。誤解していてすみませんでした」
涙を指で拭いながら、私は静かに頭を下げる。
殿下は少し慌てた様子で、私の肩に触れて「謝らないでくれ」と言う。
「私のためを思ってくださったのは嬉しいです。ずっと守ろうとしてくれていたことも……。でも、私にも殿下のために何かさせてください」
この方の味方になりたい。支えになれる存在になりたい。
これが義務感であったとしても、いつかクレイド殿下と自然に手を取り合えるような関係性になれたらという気持ちが湧いてくる。
「私は、殿下の婚約者です。守られてのんびりと暮らすよりも、殿下のために努力し、お心に寄り添える婚約者になりたいです」
「っ!」
突然、殿下はガクッと膝をつき、その場に蹲った。
右手で口元を押さえ、小刻みに震えている。
「殿下!?」
また発作が!? こんなときに!?
私は慌てて膝をつき、殿下の背に手を添える。
「苦しいのですか!? お医者様を……!」
「大丈夫、少し眩暈がしただけだ」
「貧血でしょうか? すぐに休みましょう、殿下」
辺りを見回し、エーデルさんや護衛の姿を探す。
どうして誰もいないの? 人払いをするといっても、本当に誰もいないはずはないでしょう?
「ど、どうしましょう。私が走って人を呼びに……」
そう言って立ち上がった瞬間、殿下が私の手をパッと?んだ。それとほぼ同時に、殿下もまっすぐ背筋を伸ばして立ち上がる。
「いや、いい。君のおかげで回復した」
そんなバカな。
「心配をかけてすまなかった。君は私を癒してくれた」
「癒し……? 私は治癒魔法も何も使えませんよ?」
「でも、もうしばらくの間こうしていてほしい」
「?」
ぎゅうっと?がれた手は、これまでの遠慮がちな仕草とは違う。大きな手にすっぽり包み込まれる感覚に、むずがゆい気持ちになってくる。
縋られるような必死さがあり、しかも殿下の目は熱に浮かされているようだった。
「アリーシャ、君が婚約者になってくれて本当に嬉しいんだ」
「は、はい」
「大事にしたい。私は君を守りたい。今度はちゃんと伝わってる?」
「伝わってます……! 大丈夫です……!」
手を握られ、じっと見つめられながらそんなことを言われたら、心臓が今にも破裂しそうなくらいドキドキした。
落ち着かなきゃ……! 殿下は「婚約者を大事にするタイプ」で、私に恋愛感情があるわけじゃない。真面目なだけ、そう、真面目すぎるだけ。
「アリーシャ?」
声が甘い! 変わりすぎでしょう!?
誤解が解けたのはいいけれど、これはこれでドキドキしてつらい。
いつのまにか両手を握られていて、密着と言っていいくらいの距離に殿下がいる。
脅迫されてるのかと勘違いする低音ボイスと迫力ある眼光から、優しい声音と縋るような目を向けられるなんて、出会ったときとの差がありすぎる!
今、私はものすごく戸惑っている。混乱している。でも、「この人を守ってあげたい!」という思いが込み上げてもくる。
「まだ何か心配事が? 気になってることがあるなら、何でも言ってほしい」
しっかりしなきゃ。殿下の優しさに応えられるような、立派な婚約者にならなきゃ。
「殿下。私も殿下のことを大事にします」
決意の言葉だった。ただし、殿下は私がそう言った瞬間に息を呑んで倒れ、あわや後頭部を強打する寸前で走ってきたエーデルさんに支えられた。
「クレイド殿下! お気を確かに! 幸せはこれからですよ!?」
「殿下っ! やっぱり体調が……? 今すぐお医者様に診てもらってください!」
私が悲鳴に近い声を上げると、殿下は安心させるかのようにかすかに笑みを見せ、「大丈夫だから」と言う。
うん、まったく大丈夫じゃなさそうだわ。
エーデルさんは駆けつけた女性騎士に私を部屋まで送るよう命じ、クレイド殿下を連れて魔法省に戻ると言って転移魔法で消えた。
この続きは「婚約したら「君は何もしなくていい」と言われました 殿下の溺愛はわかりにくい!」でお楽しみください♪