書籍詳細
捨てられ令嬢ですが、なぜか竜帝陛下に貢がれています!?
ISBNコード | 978-4-86669-575-4 |
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定価 | 1,430円(税込) |
発売日 | 2023/12/27 |
ジャンル | フェアリーキスピンク |
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電子配信書店
内容紹介
立ち読み
「……どちらさまでしょうか」
玄関マットの上に立ち、なるべく男っぽく聞こえるように低い声で問いかける。
「……私だ」
扉の向こうから返ってきたのは、レイの精一杯の作り声よりもワントーン低く、グッと艶やかな——ノヴァの声だった。
予想外の来客に、レイは思わず「えっ」と叫びそうになり、慌てて両手で口を塞ぐ。
それから、一呼吸の間を置いてそろそろと手を下ろし、閂を外す。
キィッと扉をひらいて外を見ると、煌々と輝く月の下、荷車や植木鉢など雑多な背景を背負って、白い外套姿のノヴァが立っていた。
「……遅くにすまない」
「いえ、いったいどうなさ——」
ひそめた声で謝るノヴァを見上げて、レイはパチリと目をみはる。
——竜の角って、光るんだ。
さらさらと夜風になびく白銀の髪、そこから天へと伸びる一対の角が月明かりを浴びて、蛍石をちりばめたように淡い光を放っている。
「……約束の品を届けに来たのだ」
ポカンと角に見入るレイに、ノヴァがヒソヒソと囁く。
「えっ、約束の品って、まさか……」
「ああ、あの店のチョコレートだ」
頷きと共に外套の下から取りだされたのは、レイがちょうど一カ月前にノヴァの目の前で棚から取った、三十粒入りのアソートボックスだった。
「今日の午後の茶の時間に渡そうと思っていたのだが、使いに出した侍従が変に気を回して、これではない品を買ってきてしまってな」
「そうなのですか……」
無理もない。きっと店に行った侍従はアソートボックスの値段を見て、さぞ戸惑ったことだろう。
このような安物を贈っては主人の恥になると考え、きっと店で一番高級な品を持って帰ってきたに違いない。
「……あの、その方を咎めないでやってくださいませ」
たかがチョコレートひとつで、皇帝付きの侍従の職を失うようなことになってはいたたまれない。
レイの言葉にノヴァは微かに眉をひそめると「わかっている」と頷いた。
「私は父とは違う。……あらためて買いには行かせたがな」
「そうなのですか。それならば、よかったです。ありがとうございます……!」
レイはホッと息をつき、差しだされたチョコレートをありがたく受けとると、ニコリとノヴァに笑いかけた。
「ですが、わざわざこのような時間に届けてくださらなくても、明日のお茶の時間にいただければ充分でしたのに」
「いや、それでは今夜の分に困るだろう?」
「だからといって、真夜中にいらっしゃらなくても……」
「明るいうちに届けに来ては、レイに嫌がられるかと思ったのだ。……おまえは目立つのが嫌いなようだから……」
だから人目を忍ぶように真夜中に来たのか。
「……そうですか」
レイは何とも言いがたい、微妙な心境になった。
ノヴァがレイのことを考えて、気を遣ってくれたことは嬉しい。
だが、惜しむべきことに、まったく忍べていない。
フードつきの外套を羽織っているが、その色は夜闇との共存を拒むような純白な上、角が邪魔でフードを被れないのだろう。
作り物のように整った顔も、星の砂のごとくキラキラと輝く艶やかな髪も丸出しになっている。
——おまけに角は光っているし、かえって目立つよ!
心の中で盛大にツッコミを入れてから、ふう、と息をつくと、レイはやさしく微笑んだ。
「お気遣いありがとうございます。ですが、夜中に出歩かれるのなら、外套は黒の方がよろしいかと思います。その方が、いっそう目立たないかと」
ノヴァは「わかっていない」だけで悪意はないのだ。
レイの忠告に腹を立てたりもしない。
そうとわかっているから、レイは素直に直してほしいことを伝えられた。
その期待を裏切ることなく、ノヴァは「そうか?」と一瞬首を傾げた後は「わかった」と笑顔で頷いてくれた。
「では、次までに作らせよう」
「え? 黒い外套、持ってらっしゃらないんですか?」
首を傾げるレイに、ノヴァはこともなげに頷いた。
「ない。私の装束は白だけだ。白き竜の末裔は白をまとう。それがシャンディラ皇家のならわしだ」
「ええっ!? じゃあ、黒い外套なんて着ちゃダメじゃないですか!?」
レイは思わず勢いよくツッコミを入れてしまい、慌てて口を押さえる。
——危ない危ない。父さんが起きちゃうし、ご近所にも聞こえちゃう……!
困ったように眉を下げるレイが、先ほどの提案を悔いているとでも思ったのか、ノヴァは苦笑を浮かべて答えた。
「案ずることはない。私が決めたことがこれからのシャンディラ皇家のならわしになる」
「え? そういうものなのですか?」
「ああ、そうだ。……シャンディラの血族は、もう、私しかいないのだからな」
ふと遠くを見るようなまなざしで呟いた後、ノヴァは、レイに視線を戻して微笑んだ。
「……では、私はもう行こう。職人は朝が早いのだろう? 邪魔をしたな」
「えっ、いえ、お待ちください!」
外套をひるがえして立ちさろうとするノヴァを、レイは咄嗟に引きとめていた。
わざわざ夜中にチョコレートを届けてもらっておいて、「確かに受けとりました。では、お帰りください」では、あまりにも冷たすぎるだろう。
「ご覧の通りの粗末な家ですし、たいしたおもてなしはできませんが、よろしければお茶でも……」
レイの提案に、月明かりの下でもわかるほど、パッとノヴァの瞳が輝く。
「よいのか?」
「はい、本当に、たいしたおもてなしはできませんが……どうぞ」
「いや、おまえにもてなされる以上のもてなしなどないさ」
嬉しそうに答えると、ノヴァはいそいそと扉の内側に滑りこんできた。
「……こちらの部屋へどうぞ」
レイは廊下を進み、左手の居間にノヴァを案内して暖炉の前に置かれた長椅子を勧めてから、「今、お茶を淹れてまいります」と声をかけた。
「レイも一緒に飲むのか?」
「え? それはまあ、陛下がお許しくださるのならば……」
今までも散々一緒にお茶を飲んできて今さらだが、一応遠慮がちに答えると「許す。飲もう」と被せ気味に返される。
「そのときにチョコレートを食べるといい。今夜の分はまだだろう?」
「はい」
「いつもは何と一緒に口にするのだ? 紅茶か?」
「いえ、いつもは温めたミルクと一緒に食べますが……」
「では、そうするといい。私も同じものにしてくれ」
ニコリと告げられ、レイは「はい」と頷いてから、ふふ、と?をゆるめた。
きっとレイに気を遣ってくれたのだろう。紅茶とミルクを別に用意させるのは手間だからと。
「では、用意してまいりますので、少々お待ちください」
言いおいて、レイはチョコレートの箱を抱えてキッチンに向かった。
炉に火を入れ、小さな片手鍋にミルクを注いで手早く温め、ふたつの白いマグカップに注ぐ。
使いこんだ木製のトレーにコトン、コトンとカップを置いて、食器棚に視線を向ける。
そして、微かに?をゆるめると、レイは棚の中で一番きれいな、真っ白い陶器の小皿を二枚取りだしてトレーに載せ、チョコレートボンボンを一粒ずつ配り、トレーを持ちあげた。
「……お待たせいたしました」
居間に戻り、ノヴァの前にカップとチョコレートの小皿を置くと、彼はパチリと目をみはった。
「レイ、これは……?」
「せっかくですし、どうせならぜんぶ『同じ』がいいなと思いまして。一緒にいただきましょう?」
テーブルを挟んで彼の向かいに腰を下ろしニコリと告げると、ノヴァは「そうか」と嬉しそうに顔をほころばせ、けれどすぐに「いや、ダメだ」と表情を引きしめた。
「それでは今月の分が一粒足りなくなる。おまえの楽しみを奪いたくない」
神妙に呟くノヴァに、レイは思わず噴きだしてしまう。
「そんな、チョコレート一粒で大げさな!」
「一粒でも、おまえにとっては大切なものだろう?」
小皿を両手で持ちあげ、コロンとしたチョコレートをジッと見つめながらノヴァが呟く。
彼ならばチョコレートくらい、一粒どころか店ごと買えるというのに。
それがレイにとって特別なものだから、彼も特別に思ってくれているのだろう。
ああ、嬉しいな——?をゆるめながら、レイは「いいんです」とノヴァに微笑みかけた。
「陛下には、いつも美味しいものを御馳走になっていますから。特別です!」
悪戯っぽく告げれば、ノヴァは長い睫毛をパチパチとまたたいて、「……そうか」と喜びを?みしめるように呟いた。
「特別か、いい響きだな」
「そうですね。では、いただきましょうか!」
ふふ、と笑って、レイは自分の分のチョコレートに手を伸ばした。
ひょいと摘まんでパクリとほおばれば、転がりこんできた幸せの塊が舌の熱で溶けていく。
それをじっくりと味わいながら、ちびりちびりとミルクのカップを傾ける。
——ふふ、美味しい。
ミルクと混じって蕩けたチョコレートが舌を甘くくすぐり、喉の奥へと流れていく。
決して上品な味わい方ではない。それでも幼いころに義母に教わったこの食べ方がレイは好きだ。
その様子をノヴァは向かいの席で目を細めてながめていたが、やがて、レイの真似をしてチョコレートを口に放りこみ、マグカップに口をつけた。
きっと彼の口の中でも甘い融解と融合が起こったのだろう。
形の良い唇が楽しそうに弧を描く。
目と目が合って「美味しいですね」と伝えるようにレイが微笑むと、ノヴァも「ああ、美味だな」というように頷いた。
——本当に……何だかいつもより美味しい。
それからチョコレートが蕩けて、ミルクを飲みほすまでの短い間。
静かで甘いひとときを味わいながら、レイはミルクの熱だけでないもので胸が温められるような、不思議な心地好さを感じていた。
「……ありがとう、レイ。馳走になった」
音もなくカップをテーブルに置くと、ノヴァは穏やかに微笑んだ。
「……いえ、お口に合えば幸いです」
「ああ、合った。今まで口にした中で、一番美味だった」
しみじみと告げられ、レイは思わず小さく噴きだしてしまう。
——そんな、チョコレート一粒で大げさな。
もっと良質な品をいくらでも口にしてきただろうに。
とはいえ、お世辞だとわかっていても、そう言ってくれた心が嬉しかった。
「……ありがとうございます、陛下」
ニコリと微笑めば、ノヴァからも温かな笑みが返ってくる。
それから、ほのぼのとした沈黙が広がって、レイは何となくカップに視線を落とした。
——そろそろ、おひらきにしないとだけれど……。
ノヴァの用事もそれに対するレイのお礼もすんだ。あまり引きとめるのもよくないだろう。
そう思いつつも、この温かな時間が終わってしまうのがもったいなく感じられて、そっとノヴァの様子を窺うと、彼もどこか名残惜しそうにチョコレートの載っていた小皿を見つめていた。
「お代わりはいかがですか?」と言いかけて、いや、きっと遠慮して断られるだろうと口を閉じる。
他に何か良いおもてなしはないだろうか。ふむ、と考えて、あ、と思いつく。
自分が持つものの中で、ノヴァに喜んでもらえそうなものといえば——。
「……陛下。もし、まだお時間がよろしければ、私の温室をご覧になりませんか?」
レイの提案にノヴァはサッと小皿から視線を上げ、目をまたたかせた。
「おまえの温室を? よいのか?」
疑問の形を取りつつも「見たい!」という思いがあふれる笑みに、レイもつられて笑顔になる。
「はい!」
「そうか、では見せてくれ」
「はいっ! では、参りましょう!」
レイは元気よく頷いて立ちあがると、ノヴァと連れだって温室に向かった。
家の裏手へと回り、六角形の屋根をいただくガラス張りの温室が見えてきたところで、ノヴァが「あれか」と嬉しそうに声を上げる。
「はい、あれです」
チラリと傍らのノヴァを見上げれば、一番星を見つけた子供のように瞳を輝かせていた。
期待してくれているのだと思うと嬉しくて、同時に「がっかりされたらどうしよう」と不安にもなる。ドキドキしながら足を進め、レイは温室の扉に手をかけた。
「……どうぞ」
ガラス張りの扉をひらいた途端、ふわりと室内から甘い芳香があふれでてくる。
見えない香りの霧に包まれ、ノヴァが一瞬息を呑む。
そして次の瞬間、美しく整った顔がうっとりと蕩けた。
「……あぁ」
銀色の睫毛が震え、目蓋が閉ざされる。すうっと息を吸いこみ、ふう、と吐いて。
「……ここは小さな楽園だな」
思わずといったように呟いた彼の声は恍惚に染まっていた。
「ありがとうございます!」
どうやら気に入ってもらえたようだ。
安堵と喜び、そして誇らしさが胸に湧きあがり、答えるレイの声も弾む。
「お気に召していただけたなら何よりです」
「……ああ、気に入ったとも。ここを気に入らぬ者などいないだろう」
感嘆まじりに言いながら、ノヴァはぐるりと首を巡らせて、小さな温室の中で咲きほこる白薔薇たちを愛おしげに視線で愛でていく。
白薔薇を背負って立つノヴァは、彼自身が白薔薇の化身のようで、自分よりもずっとこの空間に似合う気がして、レイは何だか不思議な気持ちになりながら、その様子をながめた。
「……レイ、あの小鉢は何だ?」
ひと通り室内を観まわしたノヴァが、壁に設えた棚の一角、白薔薇の鉢に隠れるように置かれた四つの素焼きの小鉢に目を留める。
「交配用の葯です」
小鉢の中にさらりと散らばるオレンジ色の粒は、今年の父株候補のおしべから採取した葯だ。
「ほう、自分で交配もしているのか?」
「はい」
「そうか。では、この白薔薇もそうして生みだしたのか?」
「はい。といっても、まだ改良の途中ですが……」
今年は特に悩ましい。
小鉢の葯がひらいて花粉が出たら母株と交配するつもりだが、四つにまで候補を絞ったものの、レイは、いまだにどれにするか決められずにいた。
けれど、そんな迷いを知らないノヴァは「そうか」と頷くと、まばゆい笑顔をレイに向けてきた。
「たいしたものだな。独学でここまでの薔薇が作れるとは、おまえは天性の薔薇作りの名人だ」
お世辞ではなく、心からそう思ってくれていることが伝わってきて、レイは面映くなる。
自分の薔薇を褒められるのは、相手が誰であれ嬉しい。
それでも、帝国中の名高い庭師や花農家が手がけた薔薇を愛でてきたであろうノヴァからの称賛は、格別に誇らしく感じられた。
「……ありがとうございます」
気恥ずかしさに目を伏せつつ、レイは気づけば高まる心のまま、自分の夢を口にしていた。
「いつか理想の薔薇ができたなら、その花を増やして多くの人に楽しんでもらえるよう、帝国中に広めたい、私の薔薇で人々を幸せにしたい。それが私の夢なのです」
「それは……ケイビーの跡を継ぐのではなく、花農家になりたいということか?」
静かに問われて、レイはハッと我に返る。
ノヴァと出会ったあの日、「父の跡を継がなくてはいけないから」と言って彼の花係になることを拒んだのだ。
慌てて傍らに立つノヴァを見上げると、彼は眉間に微かに皺を寄せて、複雑そうな表情でレイを見つめていた。
「あ、あの……」
?をついたことを責められるか、「花を育てる仕事がしたいのなら、自分の花係になるのも同じことだろう」と言われるかもしれない。
不安が胸をよぎるが、ノヴァは「そうか」と静かに頷くと棚の白薔薇に視線を向けた。
「それは……おまえに似合いの、良い夢だな」
レイから目をそらして真意を隠すように睫毛を伏せたまま、どこか寂しげに呟きながらも、その口元には微笑が浮かんでいた。
不満もあるだろうが、それでも「良い夢」だと思ってくれたのも、きっと確かなのだろう。
ふわりと胸が温かくなり、レイはノヴァが見つめている白薔薇の植木鉢の縁をそうっと撫でて、「ありがとうございます」と囁いた。
「ああ。……それで、レイの理想の白薔薇はどのような薔薇なのだ?」
話題をそらすように、ノヴァが明るく問いかけてくる。
「可憐な薔薇か? それとも華やかな薔薇か? こだわりは色か香りか? この薔薇は、どの程度まで理想に近いのだ?」
レイは彼の気遣いに甘えることにして、朗らかに答えた。
「そうですね、どちらにもこだわっておりますが、香りはほぼ完成です。あとは花の色にほんの少し青みが加われば完璧なのですが……理想のイメージまで、もうあと一歩といったところですね!」
「ほう、どのようなイメージだ?」
「私の理想のイメージは、この世で最も清らかで美しく香る白薔薇、いわば至純の白薔薇です」
「……ほう、至純の白薔薇か。それは何とも麗しいイメージだな」
感心したように呟く声に、レイは今さらのように「大げさだったかな」と気恥ずかしくなり、慌てて言葉を付けたした。
「まあ、理想は高くと言いますからね! ひとまず、もう一世代か二世代交配すれば、満足のいく薔薇ができると思います!」
照れくささをごまかすようにレイが明るく告げると、ノヴァは「そうか」と頷いて、葯の入った小鉢に視線を向けた。
「……レイ、私にできることはあるか?」
「え?」
「おまえの理想の薔薇を私も早く見たいのだ。温室でも人員でも、必要なだけ、好きなだけそろえてやろう。……おまえがそれを望むのならば」
おまえはきっと望まぬだろうが——という少しの寂しさが透けて見える表情で言われて、レイは申しわけなく思いながらも、彼の予想通りの言葉を返した。
「ありがとうございます! ですが、たとえ時間がかかっても、私ひとりで完成させたいのです。お気持ちだけ頂戴いたします」
キッパリと告げてから、ふふ、と微笑む。
「ですが、そのように思ってくださって嬉しいです」
「……そうか? 気持ちだけでも嬉しいものか?」
「はい! 私も早く陛下に、理想の白薔薇をお披露目したくなりました。陛下のためにも、一日も早く完成させたいと思います!」
グッと拳を握りしめて笑顔で宣言すると、ノヴァは「そうか」と嬉しそうに目を細めた。
「では、その日に備えて、あの花園の区画をひとつ、おまえの薔薇のために空けておこう」
ノヴァの提案に「えっ」とレイは目をみはり、ふるふるとかぶりを振る。
「そんな、ダメですよ! いつ完成するかわからないもののために空けておくなんて! 見栄えが悪くなってしまいます!」
「そうか? では、そうだな……おまえの薔薇ができたのなら、あのガゼボに飾ろう。それならばよいか?」
「ガゼボに……」
ふむ、と考える。
レイの薔薇は、上手く誘引すれば蔓薔薇のようにも使える半蔓性のものだ。
ガゼボに伝わせることも可能だろう。
「それならば、はい。いいかもしれません!」
「うむ。……ああ、楽しみだな。あのガゼボで、おまえの白薔薇の香りに包まれたならば、きっと楽園に憩うような、至上の癒しと喜びを味わえるはずだ」
「……ありがとうございます」
大げさな物言いに面映くなりながら、礼の言葉を返す。
「陛下は本当に薔薇がお好きなのですね」
「ああ。私は薔薇が好きだ。特にあの香りには救われている」
ノヴァの言葉に「え?」とレイは首を傾げる。
「香りに、救われているのですか……?」
好きだとか癒されるというのならばわかるが、救われているとはどういう意味なのだろう。
疑問が浮かぶが、ノヴァがハッとしたように唇を引きむすぶのを目にして、レイは追究の言葉を呑みこんだ。
きっと先ほどの言葉を口にするつもりはなかったのだろう。
「……確かに薔薇はよく香りますものね! 私も薔薇の香り、大好きです!」
「……ああ、本当に薔薇は良い香りだな」
ノヴァはホッとしたように表情をゆるめると、温室の扉に目を向けた。
「さて、そろそろ帰るとしよう。長々と邪魔をしたな」
「いえ……あ、そうだ!」
レイは棚から花バサミを取って、ノヴァに微笑みかけた。
「チョコレートのお礼と言ってはなんですが、よろしければ私の薔薇をお持ちください」
「そうか? では、一輪だけもらおう」
「はい。では、今宵一番美しく咲いた薔薇を陛下に!」
恭しく告げて温室を見回したレイは、床の上に置かれた植木鉢の中、最も白々と輝いている花を見つけてかがみこんだ。
茎を摘まんで、ハサミを入れて、パチンと閉じる。
心地好い手ごたえが伝わってくるのと同時に、花が揺れ、ふわりと香りが立ちのぼる。
?をゆるませながら、そっと茎を持ちあげたところで薔薇の棘が引っかかった。
「——っ」
指を刺す痛みに息を呑み、思わず手を離してしまう。
ぱさりと薔薇が落ちるよりも早く、傍らから伸びてきたノヴァの手がレイの左手をつかんだ。
「どうした、刺さったか?」
慌てたように言いながら、ストンと床に膝をついたノヴァが、両手でレイの手を包みこみ、指先を覗きこんでくる。
「……よかった。血は出ていないな」
ノヴァがホッと息をつく。それから、小さな引っかき傷ができた指の腹を、労るようにやさしく撫でられて、レイは気恥ずかしさに目を伏せた。
「お気遣いありがとうございます。ですが……竜帝ともあろう御方が、軽々しく膝をついてはいけませんよ」
「安心しろ。軽々しくついたことなどない」
茶化すように口にした台詞にさらりと返ってきた言葉に、レイは「え?」と首を傾げる。
「……おまえにだけだ」
小さな呟きが耳に届いたと思うと、レイの手を握るノヴァの指に力がこもる。
「……陛下?」
「私が跪いてでも欲しいと願うのは、おまえだけだ。ふふ、実に光栄なことだろう?」
微笑を浮かべてノヴァが問う。
冗談めいた口調ではあったが、レイを見つめる金色の瞳には真摯で強い輝きが灯っていた。
レイはパチリと目をみはり、それからジワジワとうつむいていく。
「……はい。それは確かに……光栄です」
答える声が微かに震える。
欲しいのは「花係」としてだとわかっていても、トクトクと鼓動が騒ぐのをとめられなかった。
ノヴァにつかまれた左手が、絡めとられた指が、不意にジワリと熱を帯びたように感じて、?が染まっていくのがわかる。
——手を握られるのは、初めてじゃないのに……。
最初に握られたときも恥ずかしかった。
けれど、今日は心の違う部分が騒いでいるような気がして、レイは戸惑う。
——何なんだろう、これ……すごく、変な気分。
その気持ちを振りはらうようにギュッと強く目をつむったとき、不意にノヴァが右手を離した。
半分になった温もりを寂しがるように小さくレイが吐息をこぼせば、残ったノヴァの左手がいっそう強くレイの手を握りしめる。
そして、少しのためらいを置いてから、赤く染まったレイの?にノヴァの右手がふれた。
「——っ」
途端、ひやりとした感触にレイは小さく息を呑む。
一瞬感じた冷たさは、それだけ自分の?が熱くなっているからだろう。
レイの反応にノヴァの手がピクリと揺れ、けれどその手が?を離れることはなかった。
「……相変わらず、照れ屋だな」
からかいを含んだ甘い声が耳をくすぐり、レイはますます気恥ずかしくなりつつ、チラリと視線を上げて、あ、と息を呑んだ。
いつの間にか、息がかかりそうなほど近くにノヴァの美貌があった。
思わずコクンと喉を鳴らしたところで、ひたりと目が合い、レイの鼓動が跳ねる。
レイを見つめる金色の瞳はいつものように温かく、いや、いつもより少しだけ高い熱と戸惑いを含んで揺れているように見えたのだ。
「……レイ、私はおまえの笑顔が好きだ」
「え?」
ノヴァはレイの?から自分の胸に手を移し、睫毛を伏せた。
「おまえの笑顔を見ると、ここが温かくなる。この気持ちは何なのだろうな。父に抱いていた思いと似ているようで違う気もする……不思議な心地だ」
そう言ってそっと息をつくと、ノヴァはレイの手を握る手に力をこめて微笑んだ。
「……これは何という感情だ? 教えてくれ」
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