書籍詳細
ある貴族令嬢の五度目の正直
ISBNコード | 978-4-86669-652-2 |
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定価 | 1,430円(税込) |
発売日 | 2024/03/27 |
ジャンル | フェアリーキスピュア |
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内容紹介
立ち読み
「……エディーク?」
アデリアはまた首を傾げた。どこかで聞いた名前だ。
その時、テーブルの上にある絵物語が目に入ってきて、あれのことかと思い当たる。
騎士だった婚約者に死なれた令嬢が、のちに百合の花畑で出会った貴族と結婚した恋物語――『白百合に誓う愛』だ。一途な貴族の名前がエディークだった。
でも、そのエディークが、何の関係があるのだろう。
困惑しながら侍女たちに目をやると、アデリアの若い侍女たちは目を輝かせて司書を見ていた。つられて司書を見上げると、彼は困ったように天井を見ている。
首を傾げながらもう一度侍女たちを見て、アデリアはやっと気が付いた。
「お母様。もしかして司書殿の名前がエディークなのですか?」
「ええ、そうなのよ! とても運命的でしょう?」
ポリアナは楽しそうに目を輝かせている。
司書は――エディークは重苦しく首を振った。
「……奥方様。エディークという名前は、貴族の中ではありふれたものです」
「そうかもしれないけれど、アデリアのそばにいるなんて、絶対に運命だと思うわよ!」
ポリアナはきっぱりと言い放ち、コロコロと笑う。
そして来た時と同様に、あっという間に書物室を出て行ってしまった。
ポリアナを見送ったアデリアは、母の言葉の意味がわからずに首を傾げた。
「ねえ、オリガ。お母様は何をおっしゃっていたのかしら?」
アデリアは侍女を振り返る。
声をかけられた若い侍女は困惑したようだ。すぐには返答できず、もう一人の侍女ネリアに助けを求めるように目を動かす。でもネリアもどうすればいいか困っていて、二人は情けない顔で顔を見合わせただけだった。
「あの……本当におわかりにならないのですか?」
「わからないわ。運命って何のことなの?」
アデリアはどこまでも真剣だ。
困り切った侍女たちは、司書へと視線を向ける。司書はまだポリアナが去った扉口を見たまま呆然としていた。
しかし、すぐに侍女たちの視線に気付いたようだ。アデリアに向き直って姿勢を正したが、困惑は隠せずにいた。
「あの、エディーク……いえ、司書殿」
「……構いません。エディークとお呼びください」
「では、エディーク。お母様がまたあなたに迷惑をかけようとしているのはわかるけれど、いったいどういうつもりだと思う? あなたは、お母様から何か言われているの?」
「それは……」
エディークは一瞬口ごもった。
それから、軽く首を振り、近くにあった椅子を引き寄せた。
「失礼ながら、長く立っているのはまだ不自由があります。見苦しい姿を見せてしまう前に、座ることをお許しいただきたい」
「どうぞ。気が付かなくてごめんなさい」
アデリアは気が利かない自分を恥じ入りながら頷き、自分も再び椅子に座る。
ゆっくりとした動きで椅子に身を預けたエディークは、ふうっと大きく息を吐いた。
そのため息で我に返ったように、二人の若い侍女たちはそそくさと壁際へと移動する。ぎりぎり会話が聞こえない距離を作ったようだ。
それを見送った司書は、またため息をつき、布製の手袋をはめた手で乱暴に髪をかき乱した。
「先ほどの話ですが。奥方様は、私に……あなたのエディークになれとおっしゃっているのです」
「よくわからないわ。あなたの名前は、もともとエディークなのでしょう?」
「そうではなく、絵物語のエディークということです」
「絵物語というと、婚約者と死別した、あの話のエディーク?」
「そうです」
「……つまり……?」
「つまり……あなたと結婚しろ、ということです」
アデリアは黙り込んだ。
テーブルの上に何冊も積み上がっている絵物語を見つめ、元騎士だという司書を見る。それから、母ポリアナが次の婚約者に必須だと言っていた条件は何だったかと、しばらく真剣に考えた。
「……あなたは貴族出身で、三男か四男なの?」
「北部の貴族領主カルバン家の三男です」
「あなたは、もう戦場には出ない?」
「以前より動けるようになりましたが、体はこの状態です。私が戦場に出るなど、その地の存続が危うくなった時くらいでしょう」
「それから……騎士になっている弟君とか、あなたが声をかけたら駆けつけるような騎士の仲間がいらっしゃったりする?」
「弟三人が騎士です。私は長く王国軍に所属していましたから、領地を持たない騎士も友人に多いですね」
驚くほどポリアナが望んでいた条件を満たしていた。
もしかしたら、長期の滞在を許可した父バッシュにもそういう目的があったのだろうか、と一瞬考えてしまう。でも元婚約者のフェリックが戦死したと伝わったのは一ヶ月前。それだけはあり得ない。
心の中で父に謝り、アデリアはぼさぼさ髪の司書を見つめながら少し首を傾げた。
思っていたより、ずっと若いらしいことはわかった。
では、いったい何歳なのだろう。どう若く見積もっても、アデリアに比べるとかなり年上のはずだ。
「その……あなたはいったい何歳なの?」
「三十一歳です」
「うん、そのくらいよね。とすると、私より十四歳も上なのね」
控えめに言っても、十分すぎるほど大人の年齢だ。若くして親になった人なら、アデリアとあまり年の変わらない子供がいてもおかしくない。
八歳上の長兄バラムよりさらに六歳も年が上なのだから、アデリアにとっては若いと思う年代ではない。
もちろん、そのくらいの年齢差も珍しくないのが貴族の結婚ではあるけれど。
アデリアは頭を軽く傾げたまま、ちらりと目を向けた。
「政略結婚なら、十四歳差くらい別に珍しくはないと思うわ。でも……もしかして、あなたは資産家なの?」
「多少は功を立てていますし、陛下のお許しを得て王国軍を退役しましたので、それなりに恩賞はあります。しかし当然ですが、貴族の資産に比べればたいしたことはありません。弟を紹介しろと命じられるのならわかりますが、私のような男を婿にしようという奥方様のお考えは……失礼ながら理解しがたい」
「安心して。私にもお母様のお考えはよく理解できないから。あ、でも、あなたが嫌いというわけではないわよ!」
アデリアは誤解を招かないように慌てて言い足した。でもエディークは全く気にしていないようだ。
それはそうだろう。
アデリアは貴族領主の娘だ。
しかし、特別な美人というほどでもない。取り柄と言えるのは若さだけだ。持参金はあるし、婿になれば騎士領主の地位も期待できるとはいえ、かつて国境地帯と接していたぐらいだから、その小領地はまだ未開地も多い。
前線で功を上げてきた騎士で、国王が療養先を決めるほど目をかけられているのなら、怪我の後遺症が和らいでくればもっと有力な貴族から声がかかるはずだ。
そういう繫がりは何にも勝る強みになるはずだ。
でも、だからこそ、このままポリアナが引き下がるとは思えない。
長々とため息をついたアデリアは、お互いに損にならない道はないかとしばらく考え込んだ。
「……司書殿。あなたはお母様の言葉を拒絶できる?」
「奥方様だけなら、何とか。しかしご領主様にも命じられれば、それを完全に拒否することはできません」
「そうよね。でも、このままでは私はもちろん、あなたも逃げ道がなくなるわ」
アデリアは書物室の中をぐるりと見回した。
座っている絵物語のある一画ではなく、もっと実用的な書物が並ぶ棚を眺め、それからエディークに目を戻した。
「エディーク。表向きだけでいいから、私との婚約に前向きになってくれないかしら?」
「お嬢様、さすがにそれは……」
「もちろん、表向きだけよ。本当に結婚しろとは言わないわ。ただね、お母様のあの様子では、あなたを簡単には諦めないでしょうし、お父様まで説得してしまうかもしれないわ。田舎の小領主の地位と妻を押し付けられても困るでしょう?」
エディーク・カルバンという人物のことは、アデリアはよくわからない。
話を聞いてわかったのは、もともとの生まれは高く、退役してもなお国王から信頼されているらしいこと。上級騎士だったと言っていたから、その恩賞は欲に走らずにすむくらいの資産だろう。
わかったことは、たったこれだけだ。
でも書物室のぼさぼさ髪の司書としての人物なら、人柄はよく知っている。間違いなく信頼できる人だ。味方になってくれれば、誰よりも心強い。
母ポリアナを相手にしなければいけないのだ。逃げ道のない状況に追い込まれるより、彼の協力を得ながらおとなしく囲いの中に入るふりをして、静かに逃げ出す機会を待つほうが賢明だろう。
改めて姿勢を正したアデリアは、身を乗り出して言葉を続けた。
「お互いの平和のために、お母様に対する盾になってくれないかしら?」
「恐れながら、婚約の先には結婚がありますよ」
「大丈夫よ。私の結婚運のなさは並大抵ではないから。でも一応、結婚までの時間稼ぎができる口実は欲しいわよね。例えば……あなたの怪我がもっと癒えてから結婚したい、とかはどうかしら?」
アデリアは言葉を切って、頭の中で自分の考えをもう一度まとめてみた。
しばらくは従順なふりをする。その間も逃げ道は確保。相手が痺れを切らすまで時間を稼いで、堂々と正面から退却する。歴史書にも似たようなことが書いてあったはずだ。
だから、あと少しだけ時間を作るための風除けが欲しい。
「あのお母様のことだから、待つ時間が長くなれば、そのうち別の相手を探し始めると思うのよ。こちらから縁談を拒めばあなたの汚点にはならないから、もっと条件のいい別の方とも結婚できると思うわ」
「……しかし、お嬢様はもう十七歳ではありませんか? 一般的にはまだお若いとはいえ、貴族の中では十分な年齢と見なされます。そして私も、次の夏を越えれば三十二歳になります。残念ながら、結婚の先送りは難しいのではないでしょうか」
静かに聞いていたエディークは、少し考えてから首を振った。
その表情は不機嫌そうにはなっていない。伸びた髪のせいで顔は見えないけれど、雰囲気は穏やかなままだ。
アデリアはそのことにほっとした。ついでに勢い付いて、思い切って質問をしてみた。
「エディークは馬に乗ることはできる?」
「現状では乗れません」
「それなら、馬に乗れるようになるまで結婚には踏み込めない、という口実はどうかしら。この辺りでは、花嫁は花婿と一緒に馬に乗って新居に行く慣習があるのよ。お母様はもちろん、お父様も納得すると思うわ」
「なるほど。確かにしばらく、あるいは永遠に結婚できませんね」
「あの、ごめんなさい。こういうのは失礼よね。どちらにしろ、エディークには迷惑をかけてしまうとは思うの。でもあなたがいてくれたら、私は縁談に悩まされないわ。そういう雰囲気を匂わせていれば、エディークもお母様に追い立てられないと思うから……どうかしら?」
頭の中で考えながら話していた時の早口を改め、アデリアは恐る恐る問いかけた。
母が迷惑をかけただけでもとんでもないのに、元騎士の誇りを傷つける提案だったかもしれない。今さらながら気になった。
でもぼさぼさ髪の司書エディークは、押し殺した笑い声を上げた。
「若いご令嬢に、このような求愛を頂いたのは初めてです。どうしても逃れられなくなったら、その口実を使わせていただきましょう」
一通り笑ったエディークは、左側の前髪をかきあげた。
普段は髪に隠れてよくわからない顔立ちが、はっきりと見えた。傷痕は痛々しくて恐ろしいのに、彼の笑顔は思っていたより優しい。
目尻が少し垂れているから、柔らかな印象があるのかもしれない。
反射的に笑みを返しながらそんなことを考え、アデリアは立ち上がってエディークの前へ行く。
慌てて立ち上がったエディークに、手をまっすぐに差し出した。淑女の手の出し方ではなく、男たちが行う握手の形だ。
「これは契約のようなものよ。だからあなたは私の同盟者ね。よろしく」
「こちらこそ」
二人は握手をかわす。
アデリアは満足して手を引こうとした。しかし、エディークは手を握ったまま、すっと腰を屈めた。
やや動きがぎこちないものの、それなりに優雅な動きだ。反応に迷ったアデリアの手に、エディークの唇が触れた。
「私の名はエディークですが、役柄は騎士のほうを取りましょう。お嬢様の本当のお相手が現れるまで、私がおそばにお仕えします」
恭しい言葉は、騎士たちが口にする忠誠の誓いのようだった。
アデリアは貴族領主の末娘だ。
領軍の騎士たちに敬愛を捧げられたことは何度もある。三番目の婚約者からは、誠意の欠片もなかったけれど、一応ひざまずいて愛を捧げられた。
なのに、今までになかったくらい落ち着かない気分になる。
元騎士の唇が一瞬触れた肌が、熱くなった気がした。ぼさぼさの髪の毛先が手の甲に当たって、それもなんだかくすぐったい。
「……あなたはもう騎士ではないのでしょう? それなのに仕えるなんて言っていいの?」
「そういえばそうですね。つい習慣で言ってしまいました」
手を離したエディークは、ゆっくりと背を伸ばしながらまた笑った。
まっすぐに立ったエディークは、とても背が高い。
王国軍の騎士だった頃は、末兄マイズのように猛々しかったのだろうか。それとも、次兄メイリックのように華やかな人だったのかもしれない。
アデリアはそんな想像をして、でもそんな姿を見ることはもうないのだと思い至る。
それは……とても残念なことに思えた。
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