書籍詳細
「君とは結婚できない」と言われましても
ISBNコード | 978-4-86669-668-3 |
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定価 | 1,430円(税込) |
発売日 | 2024/04/26 |
ジャンル | フェアリーキスピンク |
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電子配信書店
内容紹介
立ち読み
正午前。ゴベールがノックもせず、団長室に駆け込んできた。
「おい、ジェラルド! 大変だ! ソフィアちゃんが、倒れた!」
仕事中に自分を呼び捨てにするのもだが、ソフィアを『ちゃん』づけで呼ぶのも問題だ。
騎士団内での差別的な行為をなくすため、団長に就任してすぐジェラルドはお互いを『さん』もしくは、階級や役職で呼ぶよう規則を作っていた。
本来なら厳しく注意せねばならなかったが、『倒れた』という言葉のほうが気になった。
「倒れた、だと? ルーペ秘書官が、か?」
「書庫で倒れていたらしい。今、医務官を呼びに行かせている」
「演技ではなく、本当に倒れているのか?」
「なんで演技で倒れるんだよ。そういや朝見かけたとき、顔色が悪かった……まさか、休みを取ったのは父親の病気ではなく、彼女自身の病が原因なんじゃないのか」
「……彼女自身の病……。今はどこにいるのだ? 医務室に運んだのか」
「いや、意識もないし、こっちの判断で動かさないほうがいいだろ。書庫にいる」
ジェラルドは急いで書庫へと向かう。
(倒れるほどの……病があったというのか……)
そういえば顔色が悪いだけでなく、五日前に会ったときよりもげっそりしていた。
胸の奥がざわざわと落ち着かなくなる。
病人の彼女に対し、もっと気遣ってやるべきだったのではないか。
失恋が原因で病が進行したのではないか。
罪悪感のせいだろうか。ソフィアが心配で、胃が吐きそうなほど痛くなる。
書庫に駆けつけると、すでに医務官が到着していた。
床に膝をついた医務官の傍には、仰向けに倒れているソフィアの姿があった。
「君たちは、自分の仕事に戻りたまえ」
心配げに様子を見守っている騎士たちに命じながら、ジェラルドはソフィアの傍に跪く。
「大丈夫です……少し、フラついただけですので」
ジェラルドに気づいたのか、薄らと目を開けていたソフィアが身体を起こそうとする。
(……意識は、ある……)
弱々しいが、きちんと話もしている。
ジェラルドは胸を撫で下ろしながら「じっとしていろ」と口にする。
「頭痛などはないのですね」
「はい」
医務官の問いかけに、ソフィアは頷く。
「ならば、とりあえず、医務室に行きましょう。歩けますか。歩けないようなら、私が運びましょう」
医務官がソフィアの肩に手を置く。
止めなければ、と思った。
医務官は細身の男性だった。成人女性を運ぶには、少し心許なく見えた。
「いや、僕が運ぼう」
ジェラルドは彼を押しやる。
ソフィアの背と膝裏に手を回し、彼女の身体を引き寄せた。
「……っ」
「医務室に運ぶだけだ。じっとしていろ」
ジェラルドはソフィアを抱えたまま、立ち上がる。
ソフィアの身体は温かく、そして驚くほどに軽かった。
(なぜこんなに軽いのだ……。やはり……大病を患っているのか)
ソフィアに今現在の体重を訊ねたくなる。
しかし病の進行具合を確かめるためとはいえ、女性に対し失礼な質問だ。
「あ、あの……団長、私、歩けますので」
腕の中にいるソフィアの声には答えず、ジェラルドは医務室へと向かった。
医務室には女性医務官二人と、初老の男性医務官の姿があった。
書庫に駆けつけた医務官が、状況を他の者たちに伝えている。
「こちらに」
部屋の奥、カーテンで仕切られた先のベッドに寝かせるよう促される。
ジェラルドは清潔なシーツの上にソフィアの身体を下ろした。
「……あの、ありがとうございました」
ソフィアがそわそわと視線を揺らしながら、小声で礼を言う。
「騎士団長として、当然のことをしたまでだ」
騎士団を率いる立場にいるのだ。瀕死の騎士がいれば、救助する責務がある。騎士だけでなく、秘書官、何なら民間人でも同じだ。
診察が始まるというので、ジェラルドは彼らにソフィアを任せ、医務室を出た。
(あとは彼らの仕事だ)
ジェラルドができるのは救助までで、その後の処置は専門家たる医務官の仕事だ。ジェラルドが責任を持つ必要はない。
団長室に戻ろうと思い、踵を返すが、数歩歩いたところで足を止める。
(――いや……特に、急ぎの仕事もない。慌てて戻らずともよかろう)
それに、ちょうど昼休憩の時間だ。
診察にどれくらいの時間がかかるのかはわからないが、ソフィアの病状が気になる。少しくらいならば、待ってみるのもよかろう。
ジェラルドが医務室のドアの前で腕を組み待っていると、しばらくしてドアが開いた。
「……っ! 団長、何をしておられるのですか」
出てきたのは、書庫に出向いていた痩せ型の男性医務官だった。
「診察が終わるのを待っていた」
「え、ずっと今まで待っていたのですか!?」
「そうだが。何か問題でも?」
「いえ、もうお帰りになったのかと思っていましたので……。一応、報告にと、団長室へ向かうところでした」
「彼女の病状がわかったのか?」
「ええ……おそらく――」
医務官はチラリとドアのほうへと目をやり、少し言いにくそうに言葉を止めた。
死に病を告げられるのかと、ジェラルドはぎりっと奥歯を嚙みしめる。
「疲れと睡眠不足、栄養失調かと」
「……栄養……失調……だと?」
「はい。脈拍や体温、聞き取りでの診断になるのですが……。彼女は騎士団に異動してきたばかりですね。過度な労働に心当たりはありませんか?」
「過度な労働は強いていない。勤務時間も、規律どおりだ」
それとも自分が知らぬ間に――届けを出さずに、仕事をしていたのだろうか。
ジェラルドが眉を顰めると、医務官は慌てた様子で首を横に振った。
「一応、念のために訊ねただけですので。ルーペ秘書官も、仕事ではなく私用が原因だと。遠方に住むご家族に会いに行ったらしいですね。乗合馬車での往復だったので、眠れず疲れが溜まっていたとか」
ジェラルドはソフィアが休暇届を出していたことを医務官に伝えた。
「すぐに意識も回復したようですし、立ちくらみのようなものだと思われます。あと、成人女性の平均体重よりもかなり軽く、栄養状態も悪いように見受けられます。食事制限をしているのか、精神的なものなのか。何らかの理由で栄養が取れていないのだと思われます」
心が弱ると、食事ができなくなる者が一定数いるという。
(僕への恋心で……食事ができなくなったのか)
失恋で心が弱まったというのか。それともジェラルドを振り向かせるため、痩せようとしているのか。いや、やはり重い病を患っているのかもしれない。
医務官を信用していないわけではないが、詳しく検査をせねばわからぬこともある。
「とりあえずこちらで少し休んでから、今日はこのままお帰りになり、ご自宅で休まれたほうがよいかと思います」
ソフィアの住んでいる集合住宅が脳裏に浮かんだ。あのような場所に一人で帰るなど危険極まりない。一人暮らしならば尚更だ。
体調が悪化し、倒れてしまったら……。誰にも助けられず、一夜が明ける。
出勤しないソフィア。ソフィアの安否確認に向かう自分。床の上で、冷たくなった彼女――。
想像し、背筋がゾッと冷たくなった。
「僕が責任を持って送り届ける」
「……え? 団長が、ですか?」
「そうだ。彼女を引き留めておくように」
ジェラルドは医務官にそう命じ、足早に団長室に戻った。
「……は? 早退? お前が……いや、団長が早退なんて珍しいですね。というか、ソフィアちゃ……ルーペ秘書官の容体はどうなんですか? いきなり抱き上げて運びだしたから、見てた騎士たち、俺も含めてビックリ仰天でした」
一度、家に戻ると伝えると、ゴベールから取り留めのない言葉が返ってくる。
「早退ではなく一度帰るだけだ。すぐに戻ってくる。ルーペ秘書官が倒れたのは疲労らしい。とりあえず――家に連れて行き、フェレール家が世話になっている医師にも診せてみる」
フェレール伯爵家には、懇意にしている医師がいた。王家との関わりの深い医師で、アステーム王国有数の名医だ。医務官だけでなく、彼にも一度診てもらったほうがよい。
「家に連れて行くって……いつの間にそういう仲になったの?」
「おかしな誤解はしないでくれたまえ。……ルーペ秘書官は一人暮らしだ。一人きりにして、倒れでもしたら大変だろう」
「一人暮らしだから家に連れてく? 女の子を? お前が? 倒れたら大変だからって、心配して?」
ジェラルドの真意を確かめようとでもしているのか、ゴベールがじっと見つめてくる。
「家には僕の両親もいるし、使用人も大勢いる。二人きりになるわけではない。彼女は……ファバ秘書官の紹介で、僕の秘書官になったのだ。僕には、彼女の面倒を見る責任がある」
「そういや、ファバ秘書官はお母さんのお友達だったな」
「そうだ。母からも……ファバ秘書官から、彼女を頼まれたので、僕にしっかり面倒を見るように言われている。体調の優れぬ彼女を放っておくわけにはいかぬだろう」
母からソフィアについて何か言われたことなど、一度もない。
噓は嫌いだが、ゴベールにあれこれ詮索されるのが面倒になり、適当な『言い訳』を口にした。
「そうか~。なら、まあ、うん。……一瞬、規律にうるさいお前が職権濫用するのかって思ったよ」
「……職権濫用?」
「ソフィアちゃんが病気で倒れたのをいいことに、彼女を家に連れ込んで、距離を縮めて、男女の関係に持ち込みたいのかなって」
「この僕が、そんなふしだらな考えをするわけがないだろう。それに僕も好みというものがある」
「でもお前、何かいつもじろじろソフィアちゃん見てるし。ああいう癒やし系が好みなのかなって」
「僕の好みは、容姿も頭脳も性格も家柄も、僕に釣り合う完璧な女性だ」
ジェラルドはおかしな誤解をするゴベールを鼻で嗤った。
「それは好みの女じゃなく、理想の結婚相手なだけだろ」
「……理想の結婚相手も、好みの女性も、意味は同じだろう」
「違う。理想の結婚相手というのは頭で考えるものだが、好みの女は身体が求めるものだ」
「……身体が求める……?」
「そうだ。胸の大きな女、尻のでかい女、足がエロい女……好みの女を前にすると、頭で考えるよりも、いちもつが反応する」
「………………持ち場に戻れ」
真面目に聞いて損をした。ジェラルドはゴベールを団長室から追い出した。
◆ ◇ ◆
ソフィアは医務室のベッドの上で項垂れていた。
今回の帰郷は精神的にも肉体的にも苛酷だった。
行きだけでなく帰りの馬車も満席で、そのうえ車輪に不具合が発生し、修理に時間がかかった。
行きよりも長時間馬車の中に拘束され、王都に着いたのは深夜過ぎ。自身の部屋のベッドで横になれたのは、もう少しで早朝という時間帯であった。
疲れは取れていなかったが、さすがにもう休むわけにはいかないと出勤した。
(だからって……無理して倒れちゃったら意味がないわ)
みなに迷惑をかけてしまった。
書庫で倒れているソフィアに気づき団員たちが駆けつけてくれたし、医務官の人たちにも迷惑をかけた。それに――。
ソフィアが重く長い溜め息を吐いたときだ。
「カーテンを開けるが、構わないか?」
ちょうど脳裏に浮かんでいた男の声がした。
「ふぁっい……はい、大丈夫です」
驚きのあまり変な声になったので、慌てて言い直す。
カーテンが勢いよく開き、眉間に皺が寄り、機嫌の悪そうな顔つきをしたジェラルドが現れる。
ソフィアはラドへ向かう前の、ジェラルドとの一件を思い出す。
(……謝らないと、いけないわよね)
ジェラルドのあのときの態度に、思うところはたくさんある。けれども言葉で言い返すだけならまだしも、野菜の入った籠を投げつけてしまったのはやりすぎだった。
それにジェラルドは上官だ。今後仕事がやりづらくなっても困る。
本当は今朝顔を合わせたとき、急遽休みを取ってしまった詫びとともに野菜を投げつけた件も謝ろうと考えていた。だが……いざ顔を見ると、胃がムカムカしてきて謝罪を口にできなかった。
それくらい、まだジェラルドに腹を立てているのだと思ったのだが……もしかしたらたんに空腹で胃がムカムカしていただけかもしれない。
「……具合はどうだ?」
「おかげさまで、今は何ともありません。あの……ご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ありませんでした」
ソフィアはジェラルドに頭を下げる。
「謝るくらいならば、体調管理を徹底したまえ」
おっしゃるとおりだ。ソフィアは素直に「はい」と頷く。
(ついでに、野菜投げつけの件も謝っておこう)
けれどソフィアが口を開くより先に、ジェラルドが先に問いを投げかけてきた。
「まだ、ここで休息を取りたいか?」
「いえ、もう大丈夫です」
医務官には午後からの仕事には就かずこのまま帰るよう言われていたが、ジェラルドの考えは違うらしい。
休暇明けだし、早退するのはソフィアも気が引ける。彼が望むならば従うつもりだった。
(……食堂で何か口に入れたら、大丈夫そうだし)
ソフィアはラドに出立してからまともに食事をしていなかった。
倒れてしまった原因は疲労だけでなく、空腹も原因だろう。
「とりあえず、食堂に行って……少し、休憩します」
「なぜ食堂に行くのだ」
医務室で休憩はしたので、食堂に行く必要はないと言いたいのか。
お腹が空いている。何か口にしないと午後から働くなど無理だ。そう訴えたいけれど、ジェラルドにお腹を空かせていると知られるのが恥ずかしい。
無理をして倒れてしまったと反省している。ジェラルドから体調管理を徹底しろと言われたばかりだというのに、見栄を張りたくなってしまう。
「そ、そうですね……でも、あの……」
お昼を食べていませんし……とソフィアが続けようとすると、ジェラルドから意外な言葉を告げられた。
「送っていく」
「…………え」
「馬車を待たせてある。もしも君がまだベッドで休みたいならば、御者に遅れると伝えねばならない。起き上がるのが苦痛でないのならば、馬車へすぐに向かいたい」
「いえ、あの……」
「歩けないのか? ならば、僕が運ぼう」
先ほど抱き上げられたのを思い出し、ソフィアは慌てて首を横に振った。
「いえ、歩けますので」
「歩けるのなら早くしろ。僕も暇ではないのだ」
厳しい眼差しで見下ろされ、ソフィアはベッドから下りる。
「あの、団長。馬車をお借りせずとも、一人で歩いて帰れます」
「帰路で倒れぬ自信があるのか? 君が倒れ、死に至ったら、君を一人で帰らせた僕の責任になるのだ。君は僕の人生の汚点になりたいのか」
「いいえ。あの……ならお言葉に甘えて、馬車で帰らせて……いただきます」
ソフィアはベッドから立ち上がる。一瞬頭がくらりとしたが、すぐに治まる。
歩き出そうとし、目の前に骨張った手が差し出されているのに気づいた。
彼の意図がわからず見上げると、アイスブルーの瞳がソフィアを冷たげに見下ろしていた。
「一人で、歩けるのか?」
どうやら手を貸してくれるつもりのようだ。
「大丈夫です。一人で歩けますので……」
ジェラルドが手を下ろし歩き始めたので、ソフィアは彼のあとをついていく。
医務室を出る前、足を止め、ソフィアは頭を下げた。
「お世話になりました。また改めてお礼に来ます」
医務室には書庫に駆けつけてくれた医務官と、女性の医務官がいた。
「お大事に」
口々にそう返してくる彼らは、興味津々とばかりに目を輝かせていた。
(あの目は……団長のせいかしら……)
ジェラルドはあくまで上官としての責任感から、ソフィアを医務室まで迎えに来たのだ。
おかしな誤解をしていなければよいけれど……とソフィアは憂鬱な気持ちになりながら、前を歩くジェラルドを見る。
(――私に合わせて……ゆっくり歩いてくれているのかしら)
ジェラルドは、奇妙なほどにゆっくりとした速度で歩いていた。
そういえば先日家まで送ってくれたときも、ソフィアの歩幅に合わせてくれていたような気がする。
ジェラルドは冷たく、傲慢だ。けれど――自分勝手なだけな人ではない。たぶん。
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