書籍詳細
人でなし神官長と棺の中の悪役令嬢
ISBNコード | 978-4-86669-674-4 |
---|---|
定価 | 1,430円(税込) |
発売日 | 2024/05/29 |
お取り扱い店
電子配信書店
内容紹介
立ち読み
「さて! 私は午後の参拝の準備でも!」
ぱちん、と手を打ってささっと中に入ろうとすれば、首根っこを摑まれ、くるりと身体を反転させられる。トン、と背中に扉が当たり、一瞬で壁に追いやられたことにエライザは驚いて顔を上げた。久しぶりの至近距離に、心臓が口から飛び出しそうなくらいドキドキする。
「――貴女は」
壁に手が置かれ、逃げ道を塞がれ、その近さにふわりと森の香りがして一層心臓が跳ねる。これは今や懐かしい壁ドン……と、思考が逃避しかけた。しかし。
「いつまで逃げるつもりですか」
アレクシスが発したとは思えない、掠れた小さな声に固まる。
(わぁあ! 急に来ないでぇ! 心の準備が!)
長い睫毛の奥の澄んだ瞳にじっと見つめられ、居た堪れなくなる。
しかし、先程までフードを被っていたことと近くに寄らなかったせいで気づかなかったけれど、下から見るとアレクシスの目元が赤く、顔色もどことなく冴えないように見えた。表情にも迷子の子犬のような心細さ――にも似た感情が浮かんでいた。
自然と引き寄せられるようにエライザは手を伸ばし、アレクシスの頰にそろそろと触れてみる。払いのけられるのも覚悟していたが、白皙の陶器のような肌は思っていた以上に冷たくて、少し驚いて指を浮かせると、逆に大きな手が伸び、しっかりとアレクシスの頰に手のひらが当たった。
「あ、あの、大丈夫、ですか……」
エライザが言うべきセリフではない気がするが、むしろそれしか思いつかなかった。
アレクシスは無言のまま少し屈み込むと、目を眇め顔を傾けた。まるでエライザの手のひらを堪能するように頰をすり寄せる。どこか熱っぽい伏せた焦げ茶色の瞳に、自分の驚いた顔が映っていて、見つめられていることが落ち着かない。かといって跳ねのけることも逃げることもできず、どうすればと、顔が熱いまま途方にくれたところで、アレクシスが一層距離を詰めてきた。
「……大丈夫ではありません」
耳元で低く囁かれて、その艶っぽい声に、ぞわりと肌が粟立つ。
きっと耳まで真っ赤になっているだろう。変な声が出そうになる。
アレクシスが小さく吐いた息がくすぐったい。するりと指先が名残を惜しむように髪を梳った。それもまた意味深でエライザが固まっていると、もの言いたげな視線が絡まり、アレクシスが何か言いかけたところで、突然、ノエルの弾んだ声が静かな廊下に響いた。
「アレクシス様! ご要望の特製サンドイッチですよ! 今日こそエライザ様とランチしましょう!」
じゃーん! と、大きなピクニックの籠を掲げたノエルのぴかぴかの笑顔に、高まっていた緊張は一気に緩み、エライザはあまりの温度差に笑っていいのか惜しめばいいのか、分からなくなってしまった。
――十分後、エライザは例の中庭で、赤と白のチェック模様の布の上に座って、サンドイッチを齧っていた。
物論、リスや小鳥、以前は少し警戒して最後に来ていたウサギの親子も、すぐにやってきて近くにたむろっている。まだかまだかとお裾分けを期待して、ぴょんぴょん跳ねている姿は、久しぶりに見たせいか頰が緩む圧倒的な可愛さだった。既に膝の上で「くれ!」とばかりに前足を伸ばし、今にもサンドイッチを取ろうとしている図々しいリスすら、今日は和やかにあしらうことができる。
馬鹿にしていたわけではないが、アニマルケアは偉大だ。混乱していたエライザの心も少しずつ落ち着いてくる。そう思うと、ノエル君曰くアレクシスが主導だというこの昼食会……とうとうストレスが意地と仕事を超えた末の開催なのだろうか。
そして冷静になれば、先程の出来事が脳裏に蘇ってくる。
(なんかさっきの……仲直りしようとしている感じじゃなくて、それを通り越した甘い雰囲気だったような……)
そう感じたのは恋する乙女の愚かさか。単純に小動物達と戯れたいが故に、逃がさないように捕まえた、と言われればそうかもという気もしてくるし、圧倒的な恋愛経験不足に頭を抱えてしまう。
「エライザ嬢、ちいさきかわゆいものたちばかり構っていないで、きちんと食事を取りなさい」
「っあ、はい!」
唐突に声をかけられ、びくっと飛び上がる。
(……ん? 今ちいさきかわゆいものたちよりも優先された?)
まさに青天の霹靂――そんな奇跡に、ばっとアレクシスの方を振り返れば、いつのまにか口元に小さく切られたサンドイッチがあった。餌付け……もとい唇に触れた柔らかいパンの感触に条件反射で口を開くと、前とは違う小さな欠片は食べやすくて、一口で口の中に入ってしまう。
(小さくて食べやすい……じゃなくて!)
口を押さえて慌てて飲み込もうとして、けほっと咳き込む。
そんな小さなことにも驚いたらしいアレクシスは、エライザの背中に手を当て羽で撫でるような力加減で撫でてきた。
「ゆっくりしっかり嚙んでください。せっかく小さく切ってもらった意味がないでしょう」
と、お小言めいた言葉が降ってきたので、エライザはそのままごくりと飲み込み、赤い顔のままアレクシスに反論した。
「ひ、人に食べさせてもらうの、意外と恥ずかしいものなんですよ!」
そう言ってエライザもバスケットからサンドイッチを取り出し、突きつけるように差し出す。
照れるなり怒って拒否なりすると思っていたのに、何故かアレクシスは一瞬驚いた顔をしたものの、にっこり笑って耳に髪をかけ、少し屈むようにして素直に口を開いた。驚いたのはエライザで、中途半端な距離で手が止まってしまう。
「おや、食べさせてくださるのでは?」
「え!? ……あ」
おそるおそる口に運ぶと、薄い唇がゆっくりとサンドイッチを嚙む。太い喉ぼとけが動く様子から目が離せずぼうっとしていると、アレクシスが真っ赤になったエライザの顔を見て、少し子供っぽくくしゃりと笑った。眉尻は困ったように下がって、目は眩しいものでも見るように細まっているものの、むしろ熱が籠っている。口角は僅かに上がったままだ。
「……確かに、案外恥ずかしいものですね。特に人前では」
付け足された言葉にはっとして反対方向を見れば、ノエルがにこにこと満面の笑みを浮かべてエライザ達を見ていた。
(ぎゃああ! 子供の前で何やってんの!)
思わず顔を覆い隠したものの、言葉とは違い満更でもなかったようでアレクシスはおもむろにエライザの頰に触れ「ああ、やっぱり口が小さいんですね。少しついていますよ」と、エライザの食べ残しを親指で拭う。そんな風に甘ったるい空気は続き、エライザを翻弄したところで、ふいにノエルが話を振った。
「アレクシス様、エライザ様に明日から外出することを話しておかないと」
「……え? どこかに行くんですか?」
思えばエライザが目覚めてから、アレクシスは外泊をしたことはない。神官長は常に神殿にいる決まりであるのだと思っていたのだが、そうではないらしい。
「特に話すつもりはなかったのですが……」
軽く睨まれたノエルは小さく肩を竦ませる。きっと意図的にエライザの前で、話を出したのだろう仕草にアレクシスは溜息をついた。
(いやいやいや、せっかく仲直り……じゃないけど、ギスギスした雰囲気じゃなくなったところなのに、急に何日も見かけなくなったら心配するから!)
「……」
エライザは少し迷って、外出の話にかこつけてずっと聞きたかったことを口にした。
「あの、神官長。そんなに私のこと信用できませんか?」
「……何を仰ってるんですか?」
「いやだって、この前だって、人を見る目がないって言ってたし、信用できないんだと……」
「そういう意味ではありません!」
珍しいアレクシスの大きな声に驚いた小鳥はノエルの肩から飛び立つ。アレクシスが言い淀むと空気をいち早く察したノエルが、ぱっと立ち上がった。止める間もなく「僕、午後の参拝の指示出しておきます。――早く仲直りしてくださいね!」と、言い放ち、駆け足で離れていく。
あ、と引き留めかけた手をアレクシスに摑まれた。
「待ってください。まずは貴女に謝罪を。先日は感情的に貴女を責めてしまいました。申し訳ありません」
「――え」
突然すぎる謝罪の言葉にエライザは驚きで固まる。
(あ、あの神官長が謝った……?)
美しい見た目通りの高い矜持を持つ神官長が、こんなに素直に謝るなんて想像もしていなかった。そもそもエライザの主張こそほぼ感情論で、アレクシスにしてみればミリアに関わるのは危険であることは間違いない。正論だからこそエライザも気まずくなって、三日も避けてしまっていたのだ。
「私も! すみませんでした!」
もう勢いよく謝ってしまう。こういうことは時間を置けば置くほど拗れるのは、この三日で学んだことだ。一瞬驚いたように目を瞬いたアレクシスだが、すぐに首を振った。
「いえ、貴女が謝ることはありません。私は――貴女が心配なんです。貴女が思っているよりもずっと。今回は逆に貴女に心の負担をかけると思って、黙って行こうと思いました。……私は貴女が心も体も傷つかず、いつも健やかに笑っていてほしい。――私の側で、ずっと」
最後にゆっくりと嚙み締めるように呟いた言葉に、エライザは一瞬にして固まる。
今、自分はとんでもないセリフを聞いてしまったのではないだろうか。
「……ちなみに小動物として見てるということは……」
「ありません。私は小動物にこんな面倒な感情は持ちえません。貴女だけです」
「……っ」
思わぬ告白に目の前が真っ赤になって、頭の中がぐるぐるする。思わず燃えそうなほど、熱い顔を両手で覆い俯き、告白の返事を考える。信用されていないわけではなかったし、アレクシスなりの理由があったのは分かった。
(……こ、これって両想いってこと……? っ私も! 好き、って、すき……って言わなきゃ……あ。あれ? でも、好きとは言われてない……?)
アレクシスの言葉を反芻し、開きかけた口を閉じ、考え込む。
いやでも、と言葉選びが迷宮入りしたところで、アレクシスが小さく溜息をついたことに気づいた。呆れられたかと、びくりと肩が上がる。
「……貴女には酷い勘違いをさせましたし、余計なことを言って傷つけてしまいましたから、突然こんなことを言っても混乱させてしまったでしょう」
「えっ……!? あ……」
結果的に黙り込んでしまったエライザに、アレクシスは全て分かっているとでもいうような穏やかな声でそう言った。
「そうだ。先程言っていた外出先の話をしましょう。貴女を信用している証拠になるかは分かりませんが、内情をお伝えしておきます。貴女のご友人を通してセディーム辺境伯と手紙を交わしているのはご存じですよね」
急に話題を変えられてしまい、エライザは開きかけた口を閉じる。
(完全に返事をするタイミングを逃した……! しかも本格的に大事な話すぎて遮れない……!)
いや、きっとこういう浮ついた話は戻ってきてからの方がいいに違いない……と、結局そのまま黙って話を聞くことにした。
「前は話しませんでしたが、セディーム辺境伯から王太子の魔物討伐に人の手が加わった不審な点があると手紙に書かれてありました。ミリア嬢からも先日、地下で魔物を飼っているようだという話を聞いたでしょう。それで確信しました。ロベール伯爵が辺境伯の領地に現れた魔物を放った可能性があります。もしくはそれ以上……今王とも繫がっているかもしれません。私自ら出向いて、証拠品の確保と調査をしようと思います」
想像していた以上の内容に、エライザは思わず顔を上げてアレクシスを見た。
「あのっ! 危険はないんですか?」
「秘密裏に移動魔法で向かうので王家もセディーム家も感知できないでしょう。ノエルに変身魔法を使ってもらい、私のフリをさせる予定です」
アレクシスの予定を考えれば、なかなか慌ただしい。あと数日もすれば、エライザの意識も戻るので神殿の権威復興を知らしめるものとして、大々的に祝おうという案も出ている。
(だけど魔物討伐に不審な点、って……そんなのゲームにあった? イレギュラーなことばっかり起こるけど、これは私がゲームの内容を変えたから? 二回目の魔物出没は、また別の攻略者のイベントでロベール伯爵の名前なんて一切出てこなかったのに)
やっぱりミリアとゲームの時系列や起こった事件を、一つずつ確認しておくべきかもしれない。エライザが覚えていないこともあるだろう。ただそれに神官長の許可が下りるかどうかだが……。
「ミリアにはいつ伝えるんですか?」
次来る時を知っておきたいと尋ねれば、アレクシスは一瞬黙り込み、まるでエライザの表情を窺うように見てから、ゆっくりと首を振った。
「ミリア・ロベールには私が明日から辺境伯のもとへ行くことは伝えるつもりはありません。貴女も、内緒にしてください」
「え? ……ミリアをまだ信用してないってことですか?」
驚いてそう尋ねれば、アレクシスは否定も肯定もしないまま難しい顔をした。聖女になることを手伝おうとするくらいなのだから、すっかり誤解は解けたのだと思っていたのでかなり驚いてしまう。
けれどアレクシスのエライザを気にする態度から、悪いと思いつつも何か考えがあるのだ、と思うことができた。
(……納得はいかないけど、ミリアの聖女覚醒を手伝おうとしてくれてるんだし、……今まで何でも自分一人で解決してきたんだよね。それもなんか寂しいけど……)
エライザは以前よりも冷静にそう判断して、小さく溜息をつく。感情的に責めてまた気まずくなるのは嫌だ。それにミリアに話さないのは、神殿に残るエライザが危険な目に遭わない為の保険でもあるのだろう。
本当にアレクシスの優しさは分かりづらい。固くコーティングされたイヤミを剝がして、ようやく本音が見えるのだ。けれどその屈折した優しさが不器用で、愛しい、と思ってしまった。
この続きは「人でなし神官長と棺の中の悪役令嬢」でお楽しみください♪