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社畜令嬢は国王陛下のお気に入り2

十帖 / 著
春野薫久 / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-683-6
定価 1,430円(税込)
発売日 2024/06/27

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内容紹介

愛する夫は、絶対に私が守る!
愛するアレスと結婚し、晴れて王妃となったシアリエ。甘い新婚生活を送る一方で前世からの社畜根性を買われ、来る万国博覧会を取り仕切ることに。王妃として初の大仕事に向けて奔走していたが、視察を兼ねた新婚旅行先に突如謎の男が現れる。彼はエレミヤと名乗り、アレスと浅からぬ確執があること、そして彼への復讐を宣言してきて!? 自分と縁のある者たちが次々に襲われはじめ、「自分のせいだ」と苦しむアレス。そんな彼にシアリエは寄り添い、その傷を癒そうと決意するものの、やがてエレミヤの攻撃の矛先はシアリエに向けられて――。

立ち読み

「陛下、シアリエです。ナイトティーを持ってきたので、入ってもいいですか?」
 しかし、返事はない。扉の隙間から明かりが漏れているので、まだ眠ってはいないように思うが……。シアリエははしたないのを承知で扉に耳をつける。すると、バチャンッと水の跳ねる大きな音がした。
「え……? 陛下……?」
 けれど、それ以降何も音が聞こえない。衣擦れの音すらしないことに不安を煽られ、シアリエはドアノブに手をかけた。
「陛下? 何かありました? いらっしゃいますよね? ……開けますよ?」
 思いきって扉を開けると、アレスの私室は静かなものだった。暖炉の火さえ燃えていない。広々としたソファには誰も座っていないが、ローテーブルには酒瓶が転がっていた。
(まだ瓶の中に残っているのもあるけど……さっきの音はこれ? もしかして、お酒を飲んで寝たのかしら)
 寝酒の量にしては、ゴロゴロと転がる空瓶の数は可愛くないけれど。
 一旦、邪魔なのでローテーブルにティーセットを置きながらそんなことを思う。
 実はアレスとシアリエの部屋は、共有の寝室が真ん中にあり、互いの部屋から扉で繋がっている。試しにアレスの部屋から夫婦の寝室に続く扉を開けるものの、天蓋付きのベッドはもぬけの殻だった。では彼は一体どこに……。
 そこまで考えて、シアリエは青くなった。
(そうよ。水の音がしたじゃない……! まさか……!)
「陛下!? 溺れていませんか!?」
 アレスの部屋に戻ったシアリエは、浴室に続く扉をはね開ける。たちまち立ちこめる湯気と熱気を手で払うと、そこには猫脚のバスタブに身を沈めるアレスがいた。
 正確にはそれがアレスなのか、引き上げなければ確証が持てない。乳白色のお湯から飛びだした足の長さからして彼に間違いないだろうが、頭はお湯に沈んでしまっているからだ。
「陛下!!」
 シアリエは袖の広がったドレスが濡れるのも構わず、アレスの両脇に手をやって引き上げる。最悪の事態が頭に過り、熱気のこもった浴室で鼻先だけが冷えていった。
(まさか、泥酔したままお風呂に入って溺れたなんて……! 私のバカ! さっさと様子を見に行けばよかった……!)
 きっとエレミヤのことを考えていると苦しくなって、酒の力に頼ったのだろう。そして酔いが覚めないままお風呂に入って溺れたに違いない。こんなことなら一人にすべきじゃなかった!
 そこまで妄想して、深い後悔がシアリエを襲う。けれど――――引き上げたアレスから、
「シアリエ? どうしてここにいる?」
 とマイペースな質問をされたので、目を点にしてしまった。
(…………あら……?)
 湯船から顔を出したアレスは、目元がほんのり赤いので酔ってはいるだろうが苦しそうな様子はない。シアリエは困惑して口を開く。
「……陛下。酔って溺れたのでは……」
「いや、無心になりたくて湯船に潜ってた」
 切れ長の目を丸くして、アレスは答える。シアリエは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして繰り返した。
「無心」
「ああ」
 水も滴るいい男のアレスは、濡れて黒っぽくなった前髪を掻きあげて言う。シアリエは腰から下の力が一気に抜け、冷たいタイルの上にへたりこんだ。
(なんて物騒な勘違いをしてるのよ、私は……!)
「……穴があったら入りたい……。いえ、私がもう浴槽に沈みたいです……」
 早とちりして勝手に部屋に入った挙句、浴室にまで飛びこんでしまった。羞恥で頭を抱えるシアリエ。その頬に、アレスの濡れた手が触れた。
「何だ、俺が溺れたと思って心配してくれたのか?」
「あ……」
(あ、やっぱり元気ない?)
 普段のアレスなら、シアリエが勘違いを起こして浴室に飛びこんできたと知れば嬉々としてからかってきそうなものだが。
 微細な反応の違いを感じとり、シアリエは彼を注意深く観察することにした。その間に、アレスは水を吸ったドレスの袖を、タオルのように絞ってくれる。
「濡れちまってる。冷たくないか?」
「……大丈夫です。それより陛下、突然お邪魔して申し訳ありません。ですが飲酒後すぐにお風呂に入るのは危険ですよ」
 シアリエの小言を、アレスは素直に聞き入れる。
「そうだな。タオル取ってくれるか。二枚」
「二枚ですか?」
 シアリエは綿毛のようにフカフカのタオルを、戸棚から出して彼に渡す。
 やはりアレスの様子はおかしい気がする。このまま一緒に風呂に入ろうだとか、裸を見るなだとか、そんなからかいの言葉一つ寄越してこないのは、悪戯っぽい彼らしくなかった。
 太陽の匂いがするタオルを一枚手に取ったアレスは、シアリエの袖をそっと包みこんで水気を吸い取る。ポンポンと押さえつけるようにタオルを当てられながら、シアリエは慌てて言った。
「……っ陛下。私じゃなくて、ご自分の身体をお拭きください」
「後でな。……シアリエ、やっぱり着替えてこい。風邪を引くぞ」
(それはこっちの台詞なんですけど……)
 この世界には浴室暖房がないので、下半身は湯船に浸かったままとはいえ、むきだしの肩は冷えてきているはずだ。シアリエが彼の濡れた肩口に触れると、案の定氷のように冷たかった。
(……というか、さっきは気が動転していたから意識してなかったけど……)
 何というか、色気がすごい。アレスは着やせするタイプなので、彼が脱ぐ度に引き締まった筋肉質な肩や厚い胸板に毎度驚かされるのだが――――筋肉の筋に沿って流れる水が、色っぽさに拍車をかけている気がする。
 太い首筋に纏わりついた濡れ髪や伏せられた睫毛についた水滴すらも艶めかしいとは、どういう了見だ。
(って……何見惚れているのよ、私……! 今はそれどころじゃないでしょ。目的を忘れたの?)
 シアリエが己を戒めていると、アレスから不思議そうに名を呼ばれる。
「シアリエ?」
「あ……えっと、ナイトティーを用意したんです。お風呂から上がったら、酔い覚ましも兼ねて飲まれませんか?」
「いいな。すぐ着替えるから待っててくれ」
「はい。私も自室で着替えてきますね」

<中略>

 水分を含んだアッシュグレーの髪は、今はどちらかというと漆黒に近い。艶やかなそれを一束ごとポンポンとタオルで押さえながら、シアリエはアレスに話しかけた。
「後でカカオティーを淹れ直してきますね。少しお話ししませんか?」
「いや、これを飲む。お前が淹れてくれたのを捨てるのはもったいねぇ」
 アレスは目の前のローテーブルに置かれたティーカップを手に取る。すっかり冷えてしまったカカオティーを飲むなり、彼は「美味い」と頬の筋肉を緩めて呟いた。少しいつもの彼に戻りつつあるだろうか。
 常時見られる立場にあるせいか、人と接するうちにアレスは平静という鎧を纏うのかもしれないとシアリエは思った。きっと一人きりでぼんやりしていた姿が、今の彼の心情をそのまま表しているに違いない。
「待たせて悪かったな。話って?」
「そうですねぇ……何を話しましょうか」
 タオルで水気を拭きとり終えたシアリエは、自分の部屋から持ちこんでローテーブルに置いておいたティーツリーとローズマリーのヘアオイルの瓶の蓋を開ける。飲食中に他の匂いがするのはよくないかと一瞬躊躇したものの、アレスが気にする様子はないので、とろみのあるそれを手のひらで擦り合わせてから、彼の髪に指で梳くように塗った。
 ここまでされるがままのアレスに、やっぱり調子がよくないなと思いながら、同じく持ってきたヘアブラシを手に取る。
 ここで、彼はカカオティーをもう一口飲みながら片眉を上げた。
「何だよ。お前が話そうって言ったんだろ?」
「陛下の気が紛れるならと思って」
「――――は」
「本当は、何も話さなくてもいいです。でも、辛い時……さっきみたいに、お酒の力に頼ったり、一人ぼっちでグルグル考えたりして自分を追いこむんじゃなくて、私を呼んでくれませんか」
 シアリエはアレスの髪をヘアブラシで丁寧に梳きながら、極力柔らかい声を意識して言う。
「陛下が一人でじっくり考えて、傷ついた心を癒せるのならそれでもいいかと思いました。でも、違うなら……一人で心をすり減らしていくばかりなら、頼ってほしいです。相談してほしいです。たとえどんな些細なことでも」
「……普段から甘えさせてもらってるじゃねぇか」
「私の夫は甘え上手ですからね。ですが、弱音を吐くのは苦手みたいです」
 アレスの持つティーカップがわずかに揺れ、カカオティーが波紋を描く。チョコレート色の水面に映った彼の表情は、ひどく弱って見えた。
「陛下。意志が強く、皆を引っ張ってくれる陛下のことは大好きです。でも、弱音を吐く貴方だって、私は愛しいんですよ」
 仕上げに、こちらを向いたアレスの前髪を手櫛で梳く。安心させるように微笑みかければ、彼の唇がうっすらと開き、次の瞬間にはティーカップを置いた彼に抱き寄せられた。
 背の高いアレスに力いっぱい抱きしめられたシアリエの身体が傾ぐ。一瞬肘掛けに背中を強打するかと思ったが、それは彼の腕によって守られた。
 ヘアブラシをソファの座面に置き、シアリエはアレスの広い背中へ腕を回す。国を背負う大きな背中は、小さく震えている。シアリエはようやく、彼の心の柔らかい部分に辿りついた気がした。
 いつもは自信たっぷりなアレスの声が、今は小さい。それこそ、窓の外に光る星の瞬きのように、見逃してしまいそうなくらいに頼りなくて。だからポツリポツリと零される本音に、シアリエは精一杯耳を傾ける。
「……苦しい」
「はい」
「守りたかったんだ。エレミヤも、ハイネも」
「そうですね」
「でも何も守れてねぇ……。大切な親友が、知らないところで犯罪者になってたなんて、それを止められなかったなんて、何で、俺は」
「………」
「無力な自分が嫌になる。親友が、俺の一番大事な女を傷つけようとしたなんざ、どうしてこんな未来になった?」
 アレスの抱きしめる力が強まり、シアリエの息が詰まる。背骨が悲鳴を上げるのを感じながら、悲痛な夫の声に耳を澄ませた。
「どうしたらよかったんだ。どうしたら救えた?」
 アレスの小さな小さな本音は、抱きあっていないと聞きとれないくらいで。でもそれをしっかりと受けとめたシアリエは、胸の軋む思いがした。
 もしかしたら結婚式でアレスに、参列したエレミヤを親友だと紹介される未来があったのかもしれないと想像すると、そうならなかった現実が、息ができないくらい苦しい。
 あの無邪気なおさげ髪の青年が、騎士団の精鋭として剣を振るう未来があったのかもしれない。アレスの右腕として隣に立つ選択肢があったのかも。
 そしたらどれほど心強かっただろうか。どれほど明るい未来だっただろうか。
 でも実際は、エレミヤはアレスと袂を分かち、犯罪者に身を落としてしまった。そして今、アレスの敵に回り、彼の身近な人々を恐怖に陥れている。
(それでも、勘違いで憎しみの目を向けられたことに対しては嘆かないなんて……陛下はどこまで優しいの)
 アレスは自分が傷つけられることは気にしていなくて、ただただ大切な人たちが痛めつけられることを、親友が手を汚すことを恐れている。そんな優しさが、シアリエは胸に刺さって痛い。
「……陛下と別の道を選んだのは、エレミヤ自身です」
 シアリエはアレスの肩に頬を預けながら、静かに囁いた。広い肩口が大きく揺れるのを振動で感じとる。
「陛下はご自分を責めてらっしゃいますが、誰もが皆、自ら選んでその場所に立っているんですよ。そこにはそれぞれの責任が伴いますから、貴方一人が責任を感じることはありません」
 とはいえ、他人の人生まで救いたいと思うのがアレスの性格だと、シアリエは熟知している。他人のことでも、自分にも何か非があったと考えるはずだと。
 案の定、アレスはシアリエのつむじに顔を埋め、くぐもった声で言った。
「だからって、俺に責任がないわけじゃない。そもそも、俺がハイネを斬りつけなければ、エレミヤが勘違いすることもなかった」
「ですが、それでは貴方が殺されていたでしょう。そしたら私は今、心が死んでいたでしょうね。陛下に会えなければ、私は婚約者に捨てられ、仕事のしすぎで過労死していたかもしれません」
 シアリエはアレスの背を宥めるように撫でながら囁いた。
「……私だけじゃありません。貴方が十年前に殺されていれば、キースリーさんも、ロロも秘書課でのびのびと働けていなかったでしょうし、移民問題も解決の糸口が見出せなかった。貴方は世界中に影響を与えている、あの時死んではいけなかった存在なんですよ」
 アレスは答えない。ただシアリエのつむじに彼が頬を擦り寄せたことで、シルバーのピアスがチャリ、と音を立てた。
「優しすぎます、陛下は」
 時に悲しくなるくらいに。
 そもそも、ハイネが悪事に加担したことが事の始まりなのだ。いや、もっと原因を追及するなら、彼をそそのかした権力者や、貧困という環境も悪い。だからだろうか、アレスは決してハイネを責めない。優しい彼は、自分ばかり責めている。
 そんな優しいところに自分は惹かれたのだけれど、とシアリエは内心苦笑した。傷ついたアレスを抱きしめたまま、そっと囁く。
「貴方が暗殺未遂の件でハイネさんを庇う嘘をつかなければ、エレミヤはきっと先王陛下によって処罰を免れなかったでしょう。未来の王を暗殺しようとするのは言うまでもなく重罪……場合によってはハイネさんの弟であるエレミヤまで処刑になるかもしれない。そう考えたから、庇ったんですよね? 貴方はエレミヤを生かした。その選択に、迷いはありますか?」
「ねえよ」
 即答だった。シアリエは言い切った彼に柔らかく微笑む。
「そうでしょう? その選択でエレミヤは生き残ることができたんです。そして彼は今、貴方の元を離れて人々を傷つけていますが、それは彼が自ら選択したことです。貴方のせいじゃない」
 不幸な要因が重なった結果だ。
「私も、秘書課の皆さんも、陛下に救われたんです。どうか貴方の選択と行動で、守れたものも沢山あることを忘れないで」
 シアリエの頭上で、アレスが息を呑む気配がする。強張っていた彼の身体から力が抜けていくのを感じつつ、シアリエは呟く。
「でも、そうですね……」
「……何だ?」
「絶対に止めましょうね。エレミヤのこと」
 神妙な顔つきでシアリエが言う。すると視界の端でアレスがもぞもぞと動き、顔を上げる気配がした。
 目元がうっすらと赤いものの、泣いてはいない彼と目を合わせる。大真面目に言ったシアリエに、アレスはようやく笑顔を見せた。
「お前って本当にいい女だな」
「そうですか?」
「俺には持て余すくらいいい女だ。手放す気なんてサラサラねぇけど」
 視界いっぱいにアレスの愛おしげな表情が広がり、口付けられる。しばらく角度を変えて重なる唇を受け入れていると、縋るような色を秘めた紅蓮の瞳がこちらを見つめていることにシアリエは気付いた。


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