書籍詳細
仮面伯爵は黒水晶の花嫁に恋をする3
ISBNコード | 978-4-86669-691-1 |
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定価 | 1,430円(税込) |
発売日 | 2024/07/29 |
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内容紹介
立ち読み
石畳の広場は仮面を被った人々で賑わっていた。
美味しそうな料理の匂いが漂う屋台や、バザーをしている広いテントもある。
募金箱を持って寄付を募る神学校の生徒らしき一団もいて、裕福な身なりの人達が寄付と共に労いの言葉をかけている。
祭りの期間であるため、チャリティーイベントはいっそう賑わっているようだった。
「イベント会場は警備もしっかりしているようですし、これなら安全そうですね」
各所に立っている祭りの警備兵を見て、クリスタがホッとしたように呟く。
ジェラルドと揃いの仮面をつけた彼女は、顔を半分隠していても凜とした佇まいと清楚な雰囲気が漂うせいか、チラチラと人目を引いていた。
「それでも用心するにこしたことはない。クリスタ、俺から離れないでくれ」
視線を投げかけてくる男たちを牽制するべく、ジェラルドはクリスタの肩を抱き寄せた。
「は、はい……っ」
クリスタがそっと身を寄せてくる。彼女の温もりと控えめな香水がふわりと香って、それだけで胸が高鳴った――が。
「ジェラルド様! 早く回りましょう!」
唐突にルナリアがクリスタとの間に割り込んで腕に抱き着き、ぐいぐいとジェラルドを引っ張り始めた。
ルビーニ侯爵は馬車を降りてすぐ知人に出くわしたらしく、会話に夢中で、ルナリアを頼むと言い残しどこかに行ってしまったのだ。
「っ!?」
遠慮の欠片もない行為に度肝を抜かれている間にも、ルナリアの引っ張る力はどんどん強くなるばかりだ。
「ル、ルナリア嬢、どうか落ち着いてください」
内心の苛立ちを必死に堪えて穏やかに諭しながら、何とかルナリアの腕を払い退ける。
すると、彼女が唇を尖らせて拗ねた顔でジェラルドを睨んできた。
「嫌ですわ。いつものようにルナと呼んでくださいな」
(誰が、いつ、そんな親し気に呼んだ!?)
「失礼ですが、そのように貴女を馴れ馴れしく呼んだ覚えは一切ございません。どなたかと勘違いなさっているのでしょう」
ピシャリとジェラルドは言い放ち、クリスタの手を取って彼女から離れる。
その様子を面白そうにニヤニヤしながら見ていたエルツが、唐突にポンと手を叩いた。
「あれ? もしかしたらそんな風に呼んでしまったのは僕だったかもしれませんね。はっきりとは覚えていませんが」
「は……?」
突拍子もない発言に、思わずジェラルドはエルツを凝視した。クリスタやディアンとラピスもポカンとした顔で彼を見ている。
「なんですって!? 貴方なんかのはずはありませんわ!」
ルナリアが怒ると、今度はディアンがニヤリと人の悪い笑みを浮かべて口を開いた。
「あ~、それでしたら俺も聞いたような……よく覚えていないけど」
「ディアン?」
驚いているラピスに、ディアンはパチリと片眼を瞑ってみせた。
「だってさ、ジェラルド様は何があっても奥様一筋だろう? どんな相手でも、他の女性に馴れ馴れしく呼びかけたりなんてしないじゃん」
「そ、そうね……ええ。そうだわ。私も何だか、ルナリア様に他の方がそう呼びかけていたような気がしてきました。よく覚えていませんけれど!」
「っ……あ、貴方達ねぇ!」
赤い顔で反論しようとするルナリアに、エルツが爽やかな笑顔を見せる。
「それはそうと、広場を案内して頂けませんか? ルナリア様以外は皆、ここに来るのは初めてなので、貴女が頼りなのですよ」
頼り、という言葉にルナリアは気を良くしたらしい。
「仕方がありませんわね。私についていらっしゃい」
そう言うと、意気揚々と彼女は先頭を歩き始める。
「機嫌を直してくださったようですね」
ハラハラした様子で成り行きを見守っていたクリスタが、ホッとしたように小声で囁いた。
「ああ。エルツのおかげだな。感謝する」
「どういたしまして。これくらいでベルヴェルク卿に恩を売れるならお安い御用ですよ」
「おいおい!?」
ふざけた口調でおどけるエルツに苦笑しつつ、ジェラルドは彼に続いて歩き始めた。
大勢の人々が行き交う広場には、そこかしこで賑やかな音楽やざわめきが溢れている。
大きな都市がだいたいそうであるように、ウェネツィア王都にも複数の孤児院があり、今日はそこの子ども達が歌や劇を発表する場でもあった。
「ご覧ください。あちらに当家が支援する孤児院の子ども達がおりますわ」
ルナリアが得意そうに、広場の一角を指さす。
そこでは揃いのチュニックと紙細工の仮面を身につけた十数人の子どもと、彼等を引率するシスターが一人、ボランティアらしい男性が披露する紙芝居を観ていた。
「わかりました。クリスタ、行こうか」
ジェラルドは頷き、クリスタと腕を組んで紙芝居の方へと向かう。
紙芝居の台になっている折りたたまれた机の前には『シュタール山の魔法使い』と書かれた紙がピンで留められていた。
これが紙芝居のタイトルだろう。
「――さぁ、宝石が大好きで欲張りな魔法使いは、もっともっと宝石が欲しくてたまらない。どれだけ集めても、もっと欲しい。魔法使いは考えた。『そうだ。人間の子どもを攫って宝石に変えてしまおう!』そして魔法使いは秘密の隠れ家を出て、夜になっても寝ない悪い子どもがいる家の窓辺に行くと……」
子ども達は紙芝居を食い入るように見つめ、シスターや通りがかる大人は微笑ましそうに見守っている。
ところがルナリアはツカツカと子どもたちのところに行くと、自分のつけていた派手な仮面を毟り取り、紙芝居の声を遮るようにパンパンと大きく手を叩いて注目させた。
「はい! そこまでですわ!」
「えっ、ルナリア様!?」
子ども達は驚いて紙芝居からルナリアへと視線を移す。紙芝居の男性も驚きの表情で読み上げるのをやめた。
ジェラルド達もあまりの奇行に驚き、呆然と彼女を眺める。
「こんな紙芝居なんていつでも観られるでしょう? それよりも、今日はせっかくジェラルド様が……っ!?」
ジェラルドとクリスタは、慌ててルナリアの両手を引っ張って引き戻そうとした。
「な、何をなさいますの!? ジェラルド様はともかく、クリスタ様に気安く触られるいわれはありませんわ!」
何をするはこっちのセリフだと思いながら、ジェラルドはギャンギャン喚くルナリアをエルツに押し付けた。
「エルツ、ルナリア嬢を頼む。祭りで少し興奮しすぎているようだ」
「はいはい。ではルナリア様、少しだけあちらに行っていましょうね」
エルツがひょいとルナリアを抱きかかえ、スタスタ歩き出す。
「ちょっと! 馴れ馴れしくてよ! 降ろしなさい!」
「ええ~? ルナと呼んで欲しいと言ってくださった仲じゃないですか」
「あれは貴方ではなくて……っ!」
ルナリアが暴れているが、まるで赤ん坊でもあやすかのようにあしらわれ、手も足も出ないようだ。
そんな二人が無事に去って行くのを眺めてから、ジェラルドはポカンとしている紙芝居の男性と子ども達に頭を下げる。
「こちらの不手際で、素晴らしい時間を邪魔してしまって申し訳ない。俺たちも後ろで続きを聞かせてもらって良いだろうか?」
「は、はい! 貴族様に聞いて頂けるほど良いものか自信はありませんが、宜しければどうぞ」
男性が頷き、子ども達も歓声をあげる。
「ここで一緒に観よう!」
子ども達はラピスとディアンを見ると、隙間を開けて手招きした。
だが、ラピスがパッと嬉しそうな笑顔になったのに対し、なぜかディアンは浮かない顔だ。
「ルナリア様を怒らせる方が面倒そうだし、こんなお話をわざわざ観なくてもいいじゃないですか。今からでもあの人を迎えに行ってきましょうか?」
ボソボソと他には聞こえないように小声でそんなことを言い出したディアンに、ジェラルドは目を丸くした。
「で、でもね、子ども達は楽しんで観ていたようだし、エルツ様ならきっとルナリア様を上手く宥めてくれると思うわ」
クリスタが慌ててとりなす中、ラピスは心配そうに眉を下げた。
「ディアン……これは私たちの大好きだった絵本の話じゃない。紙芝居で聞くのは初めてだからとても楽しみなのだけれど……ディアンは観たくないの?」
「べ、別に、そうじゃないよ。もう何度も見て内容を知っていたから、つい……でも、ラピスが観たいのなら一緒に観る」
「じゃあ決まりね!」
ラピスが嬉しそうにディアンの腕を引いて、二人は子ども達の間に座った。
ジェラルドは思わずクリスタと顔を見合わせた。やはりディアンの様子はおかしい。
ともかく二人が大人しく紙芝居を観始めたので、ジェラルドは気持ちを切り替えて男性に向き直る。
「では続きを聞かせてもらっても良いだろうか?」
「は、はい。え~……魔法使いは夜になっても寝ない悪い子どもがいる家の窓辺に行くと、甘いお菓子をたくさんあげると言って隠れ家に誘い、宝石に変えたり、魔法をかけてうんと働かせたりしました」
男性が再び紙芝居を読み始めると、子ども達は楽しそうに聞き入り始めた。ディアンも最初は浮かない顔をしていたが、ラピスと一緒に大人しく聞いている。
ジェラルドもクリスタと並んでシスターの隣に立ち、男性の声に耳を澄ませた。
紙芝居の話に出てくる魔法使いは本当に極悪な人物で、しまいには悪い誘いに乗らなかった幼い兄妹を無理やりに攫うが、機転を利かせたその二人に成敗されてしまう。宝石に変えられていた子ども達も全て親元に戻り良い子になるという、教育的な話だった。
それでもあまりに悪い魔法使いのキャラクターが際立っていて、印象に残る。
以前、ディアンが自分の生い立ちがシュタール山の付近に関係あるかもしれないと知った時、『シュタール山の魔法使いは悪い奴』と言っていたのは、この話を絵本で読んでいたせいかと納得した。
やがて紙芝居が終わった頃、エルツがふくれっ面のルナリアを連れて戻って来た。
「ジェラルド様ったら、酷いですわ!」
「ルナリア嬢、落ち着いてください。子どもの前ですよ」
「っ……!」
ジェラルドがやんわりと窘めると、ルナリアは顔を真っ赤にして口を噤んだ。しばらく横を向いてスーハーと深呼吸をしてから笑顔に戻る。
「そ、そうですね。身寄りもない憐れな孤児に比べれば、私はとても恵まれた存在なのですもの。これくらいで怒ったりなどしませんわ」
「……」
女性を相手に、紳士としてあるまじきことだが、一瞬だけ本気でこの女をひっぱたきたいと思った。
自分が恵まれているのを自覚するのは大切だ。だが今の言動は、単に相手を貶めて自分が優越感に浸るだけの最低なものにしか聞こえない。
孤児院の子ども達の中には、幼すぎてルナリアの言った意味がいまいちピンときていない子もいるようだが、年長の子ども達は悲しそうに俯いたり唇を嚙んだりしている。
聞くところによれば、ルビーニ侯爵はこの孤児院に多額の寄付をしていて、社会に出る年頃になった子どもの就職のために紹介状を書いたりもしているそうだ。
だから、そういう事情をわかっている年長の子ども達は、ルビーニ侯爵家の愛娘であるルナリアに何を言われても、黙って耐えるしかできないのだろう。
先ほど子ども達がルナリアを見た時に顔を強張らせた反応からして、いつもこんなことをやっているのかと察せられる。
「と、ところで皆、合唱をやると聞いたのだけれど、歌が得意なのね」
クリスタがとりなすように声をかけたことで、子ども達の表情が一気に明るくなった。
「はい! これからここで歌うんです」
一番年長らしい女の子が、紙芝居の台を片付けている男性のいる場所を指さした。
「ええ。こんなつたない紙芝居を聞いてくださってありがとうございます。それでは私はこれで」
男性は帽子を軽く持ち上げて会釈をすると荷物を抱えて去って行き、代わりに子ども達がそこへ横二列に並び始めた。
「では、いつも通りで良いので固くならないでね。楽しく歌う姿を皆様に観て頂きましょう」
シスターが両手を挙げて指揮をとると、子ども達は高らかに歌い始めた。
伴奏もない古い民謡だが、息の合った歌声は素晴らしく響き、広場にいた人々がチラホラと集まり始める。
「あらあら、上手ねぇ」
「本当に。可愛い子ども達の歌声って、どうしてこんなに心に響くのかしら」
年配のご婦人方が微笑ましそうに目を細めているのを見て、ジェラルドはホッとする。
ラピスとディアンもニコニコしているし、クリスタも微笑んでいる。
やがて、いつのまにか増えていた観客からの盛大な拍手でもって子ども達の舞台は終わった。
ジェラルドとクリスタはもちろん、ラピスとディアンも夢中で拍手を送っている。
「とても上手で感動したわ」
クリスタが笑顔で褒めると、子ども達は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ありがとうございます!」
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