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完璧主義の天才魔術師様が私の口説き方を私に聞いてくるのですが!?

犬咲 / 著
鶴 / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-682-9
定価 1,430円(税込)
発売日 2024/09/27

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内容紹介

天才魔術師が求婚したい相手は私???
恋愛指南をしていたら厄災級のヤンデレに開花してしまい!?
WEBで人気の執着ラブコメ、新規Rシーンも収録して書籍化♡
王国一の天才と名高い魔術師団長マレフィクスの補佐官になったミリー。効率厨でナチュラル高慢な彼に愛想笑いで対応していたが、ある日「求婚したいので口説く練習に付き合ってほしい」と頼まれる。あの団長が恋!? と驚くも、話を聞いて彼女は確信する――求婚相手って私のことでは?「これって告白ですか?」「違います」謎の意地を張る彼にほだされて引き受けたミリー。しかし恋愛指南をするうち、なぜか国を揺るがすヤンデレに育ってしまって!?
「この身が朽ちて消えるそのときまで、あなたは私の、私だけの妻です」

立ち読み

 広場の端のテーブルで向かいあい、遅いランチタイムが始まった。
 カサカサ、ビリリと揚げ菓子の紙袋の折り目を破り、皿代わりに広げる。
「……確か、ベニエというのですよね? 初めて食べますが、美味しいものなのですか?」
 興味深そうに黄金色のお菓子を覗きこむマレフィクスに、ミリーは元気よく答える。
「はい! 私は好きですよ、特に揚げたてが!」
 たっぷりと綿を詰めたクッションのようにふくらんだ揚げ菓子に、砂糖をまぶした単純なレシピだが、だからこそ美味しい。
 揚げたてとなれば格別だ。
「……そうですか。ならば熱いうちにいただくことにしましょう」
「そうですね!」
 いただきます、と手を伸ばし、あちち、と指を焦がしそうになりながら口に運ぶ。
 思いきって食らいつくと、カリッとした歯ごたえと舌を焼く熱さ、ザリリと上顎を撫でる砂糖に、小麦とバターの甘く香ばしい匂い。
 シンプルだが「これぞ揚げ菓子! 熱い! 甘い! 美味しい!」といった味わいが口いっぱいに広がる。
 熱さに目を白黒させながら、モグモグゴクンと呑みこんで、マレフィクスに目を向けると、一口食べおえたところで、手にした揚げ菓子をジッと見つめていた。
「……団長、どうしました?」
「いえ、美味しいことは美味しいのですが、口内を火傷したものですから……二口目は魔術で冷やしてから食べるべきか、火傷を治しながら食べるべきか迷っています」
 至極真面目な口調で告げられて、ミリーは思わず小さく噴きだしてしまう。
 それから、頰をゆるめて言葉を返した。
「確かに火傷しますよね。でも、魔術で冷やしちゃうのももったいないですし、ゆっくりお話ししながら食べましょう? それなら、火傷もしませんし」
「それは名案ですね。では、そうしましょう」
「はい!」
 ミリーが頷くと、マレフィクスは揚げ菓子を持った手を下ろして、フッと微笑んだ。
「それにしても、ミリー。あなたは何でも楽しむのが上手なのですね」
「え? そうですかね?」
「はい」
「まあ、楽しい方が好きなのは確かですけれど……」
 首を傾げつつ頷いて、「あ、でも!」と慌ててつけたす。
「無理して楽しくしているわけではありませんよ! 今日だって、ずっと本当に楽しいです!」
「そうですか……それは何よりです」
 マレフィクスが微かに笑みを深めるのに、つられてミリーも笑顔になる。
 本当に、今日はずっと楽しかった。
 ゲートをくぐる前から、今現在までずうっと。
 ――まあ、コースターは少し、怖かったけれど……。
 それさえも良い思い出になるだろうと思えるくらいに。
 ――団長も、楽しんでくれていた……よね?
 ずっとご機嫌そうには見えたが、アトラクション自体を楽しめていたかどうかは、少し疑問だ。
 冷静になって考えてみると、メリーゴーラウンドは同じところをゆっくりグルグル回るだけで、ローラーコースターも単なる巨大なすべり台のようなものだ。
 ウサギとのふれあいも楽しんでいるというよりも、「未知との遭遇」的なドキドキ体験感が大きかったように思える。
「……あの、団長も、ちょっとは楽しかったりしますか?」
 そうであってほしいと願望をこめて尋ねると、マレフィクスは迷わずに「はい」と頷いてくれた。
「ちょっとどころではなく、楽しんでいますよ」
「そうですか、よかったぁ!」
 胸を撫で下ろしたところで彼が呟く。
「ただ、いくつか疑問を感じる点もありましたが……」
「え……た、たとえば?」
 おそるおそるミリーが尋ねると、マレフィクスは広場の向こうに見えるメリーゴーラウンドに視線を向けて答えた。
「あの遊具ですが、実在の馬のように調教や世話の必要性がないので、管理が楽だという施設側の利点はわかります。ですが、利用者側としては……見た目の装飾は愛らしいものの、機能としては生身の馬には遠く及びません。同じところをグルグル回るだけの虚構の馬に乗る行為に、どうしてこれほど皆夢中になるのか、当初、理解しがたいものがありました」
「……まあ、確かにその通りですよね」
 あまりにも彼らしい言葉に、呆れを通りこして笑いがこみあげてきたところで、ふと気付いた。
「あれ、当初ということは今は違うんですか?」
「はい」
 小さく頷いて、マレフィクスは口元に笑みを浮かべた。
「楽しそうなあなたを見ていたら、楽しみ方がわかってきた気がします」
 そう言って広場をグルリと見渡し、目を細める。
「自分自身が楽しむだけでなく、同行者が楽しんでいる姿を見ることで楽しさは増幅される。お互いがそうであれば、映し鏡のように、その楽しさは無限に増えていくのでしょう……」
 ランチボックスを囲む親子連れや、寄りそってサンドウィッチにかぶりついて笑いあう恋人たち。
 彼らは互いに互いの楽しみを、幸せを増やしているのだ。
 そんな風なことを語り、マレフィクスはミリーに視線を戻した。
「一見意味がなくても、非効率でも、あなたと一緒にいるだけで楽しい。何かが満たされるような気がする……この食事もそうです」
 言いながら、手元の揚げ菓子に視線を向ける。
「あなたと食事をするまで、知りませんでした。食事というものは一緒に取る人によって味が変わるものなのだと……母や父との食事とはこれほど違うのかと……」
 含みを持った台詞に、ミリーは一瞬ためらう。
 ――聞いちゃっても、いいのかな……?
 マレフィクスがあの母親――おそらく父親も――との間に、何か確執のようなものを抱えていることはわかっている。
 けれど、ここで踏みこんでいいものだろうか。ただの他人のミリーが。
 ――でも……やっぱり、知っておきたい。
 それに、こんな風に話題に出すということは、聞いてほしいという気持ちもあるはずだ。
 そう思い、ミリーは少しだけ遠回しに尋ねてみることにした。
「……そういえば、団長のお母様は、あのレストランによく行かれるみたいですけれど、ご一緒なさったりしないんですか?」
 彼は一瞬黙りこんだ後、ポツリと答えた。
「しません。食べても味がしませんから」
 予想外の言葉に、え、とミリーが目をみひらくと、マレフィクスは視線を落として続けた。
「いつからか覚えていませんが、昔からそうなのです。家族で食事をするときは、いつも味が感じられなくて……」
 いつしか食事というものに楽しみを見出せなくなったのだ。そう、彼は語る。
「ですから、あなたからあの飴をいただいたとき、驚きました」
 味がします――そう、あのときマレフィクスは驚いたように言っていた。
 ミリーは思わず噴きだしてしまったが、あの言葉には深い意味がこめられていたのだ。
「……その後も、あなたと何かを口にするたびに新鮮な感動を覚えました。食事を共にする相手によって、味の感じ方というのはこれほど変わるのかと……」
 心に強く負担がかかったとき、耳が聞こえなくなったり、味がわからなくなったりすることがあると聞いたことがある。
 幼い頃のマレフィクスにとって、家族との食事の時間はそれほど辛いものだったのだろう。
「あの……ご家族との食卓は、どんな感じだったんですか……テーブルマナーが厳しかったりとか、したんですかね……?」
 まっすぐに踏みこむのが怖くて遠回しに尋ねると、マレフィクスは唇の端を微かにつり上げた。
「マナーについては問題なかったと思います。問題があったとすれば会話でしょうか」
「会話? どんな会話だったんですか?」
 ミリーは反射のように尋ねてしまう。
 すると彼は一瞬唇を引き結び、そして、静かに答えた。
「……いつも、父が私を褒めるのです」
 それはいいことなのでは――そう思ったが、ミリーは口には出さずに次の言葉を待つ。
 そのときのことを思い出しているのだろう。
 マレフィクスはテーブルを睨むように見つめ、強ばった表情で続ける。
「私の魔力が強まり、新しい魔術を覚えて目覚ましい成果を出すたびに、毎日のように、あの人は私を褒めました。……『本当に素晴らしい才能だ。私の子供とは、とても思えない』と」
 淡々とマレフィクスが口にした言葉に、ミリーの頭に、彼と母親との会話がよぎった。
 いいじゃない。それくらいの権利はあるはずよ。あなたは私の自慢の息子ですもの――そう鼻で笑うように答えた後、彼女は確かに言っていた。
「……まあ、お父様にとっては、どうかわからないけれど?」と、皮肉げな口調で。
 父親は息子を自慢には思っていないという意味かと思っていた。
 けれど、マレフィクスは毎日のように褒められていたという。
 では、あの言葉にこめられた意味は何かと考えて、ミリーはみぞおちの辺りがひやりとする。
 ――「私の子供とは、とても思えない」って、まさか……。
 きっとミリーの表情は彼以上に、ひどく強ばってしまっていたのだろう。
 スッと目線を上げ、ミリーを目にしたマレフィクスは気まずそうに眉を寄せ、けれど、黙ることなく告白を続けた。
 このまま聞いてほしいと願うように、ミリーを見つめながら。
「……父がその言葉を口にすると、決まって母はグラスを床に叩きつけ、立ち上がって叫びました。『この子はあなたの子よ! 何度言えばわかってくださるの!?』と」
「っ、それは……」
「そこからは罵詈雑言の応酬です。互いのすべてを否定して、言葉が尽きた方がその場を去って、それでも、次の食事では懲りずに同じ卓に着く。何度繰り返せば、いくつグラスを割れば飽きるのかと、それこそ何度呆れたかわかりません」
 皮肉げに唇の端を歪めて、マレフィクスは言う。
「父も母も魔力に乏しい人間でしたから、産んだ母はまだしも、父は私のような才ある存在が自分の子供だと信じがたかったのでしょう……もっとも、私としても、敬うに値しない存在を親と慕う必要がないわけですから、ある意味幸いだったのかもしれませんがね」
 そう嗤いながらも、菫色の瞳には深い、やるせないような悲しみが滲んでいた。
「……そうだったんですか……それは……」
 大変でしたね、辛かったですね、お気の毒に――どの台詞も、しっくりこない気がして。
「確かに、美味しくごはんを食べるのには、向かなそうな感じですね……もったいないです」
 ミリーは、そんな意味のわからない言葉を口にしてしまう。
 けれど、それを聞いたマレフィクスは、パチリと目をみはった後、ふ、と頰をゆるめて頷いた。
「ええ、本当に……もったいなかったと思います。本当は美味しく食べられるものも、たくさんあったはずなのに……」
 ひとりごとめいた口調で呟くと、彼は冷めつつある揚げ菓子を持ち上げ、微笑んだ。
「……これは、美味しいです」
 そう言って一口かじり、味わうように嚙みしめ、コクンと呑みこんで、また微笑む。
「本当に、美味しいです」
 あなたと一緒だから――そう言葉に出さずに告げられたようで、ミリーは胸が締めつけられる。
「……そうですか、それは何よりです!」
 笑いながら明るく答えたのに、目の奥がツンと熱くなってしまって。
 ミリーは潤む瞳をごまかすように、キュッと目をつむってひらいて、ニコリと笑うと、「これ、本当に美味しいですよね!」と勢いよく揚げ菓子に食らいついた。
 そのまま口いっぱいに頰張って、嚙みしめると同時に、テーブルの向こうで「はい」とマレフィクスが頷くのが見えて。
 ――うん。本当に……美味しい。
 仄かに温もりの残るそれは、どうしてか、先ほどよりも甘く、味わい深く感じられた。
 それから、しばらくの間、お互い黙って食べ進めて。
 ふと、ポツリと彼が呟いた。
「せっかくの楽しい時間なのに、無駄な思い出話を聞かせてしまいましたね……すみません」
 どこかスッキリしたような、気恥ずかしそうな顔で謝られて、ミリーは首を横に振る。
「無駄なんかじゃありませんよ。お互いのことを……今のことも、昔のことも、きちんと知りあうのは大切なことだと思います」
「そうですか……」
 ふわりと目を細めて頷いて、マレフィクスは言った。
「では、あなたのことも教えてください」
「……いいですよ! 田舎暮らしの楽しさと大変さを、たっぷり教えてさしあげます!」
 ふふ、と笑って、ミリーは思い出と一緒に、心をも分かちあうように話しはじめた。

 そうして、たっぷりと話しこんだ後。
 ゴールの観覧車に向かう前に「もう一回楽しみたいアトラクションはありますか?」とミリーがマレフィクスに尋ねると「ふれあいタイム」を所望された。
「先ほどは、よくわからないまま終わってしまったので……」と言って。
 ミリーは「なら、今度はしっかりふれあいましょう!」と答え、彼の手を引いて、ふれあい広場に戻った。
「ふわふわのマシュマロ」とのふれあいを楽しみおえたところで、ちょうどヤギの食事時間になり、大人のヤギへの餌やり体験をして、ミルクを飲む子ヤギの姿に目を細めたりして――。

 やがて、空が茜色に変わりゆく頃。
 心地好い疲労感に包まれて、ミリーは本日のゴールであり、元々の目的地でもある観覧車のゴンドラの中、マレフィクスと向きあっていた。
 風車が回るような音を遠くに聞きながら、ゆっくりとゴンドラが上がっていく。
 ミリーは室内を見渡してから、向かいの席に腰かけたマレフィクスに笑いかけた。
「思ったよりも広くて、立派な作りですね!」
 ゴンドラの中は遠くから見た印象よりも、ゆったりとしていた。
 向かいあわせに座席がある構造は、馬車の客車と似ている。
 けれど、側面だけでなく、前面にも後面にも広々とした窓があり、カーテンがないため、透明なガラスを通して周りの風景がよく見えた。
 天井の高さも、マレフィクスでは厳しいが、ミリーの背丈ならば、軽くかがむだけで立ったまま入れるほどのゆとりがある。
「……やっぱり不思議です。こんなに大きいものが動いてるなんて」
 人力では、とてもこの大きさのものは回せないだろう。
「それで、こちらには、どういった魔術が使われているんですか?」
 尋ねると、マレフィクスは観覧車の中心部分にチラリと視線を向けてから、サラリと答えた。
「解説するほどのものではありません。ただ、あの軸となる部分が回りつづけるような術式を組んでいるだけです」
「でも、ただ回しつづけるだけならともかく、とめたり動かしたりするからには、それなりに複雑な術式が必要になりますよね?」
 ゴンドラが下りてきたタイミングで乗客が入れ替わるが、ミリーたちの何人か前に足が不自由な客がいたらしく、ゴンドラがいったんとまっていた。
 だから、係員が任意で操作できるような仕組みになっているはずなのだ。
 そう思い、ミリーが重ねて問うと、マレフィクスは「いえ」と首を横に振った。
「そこまで複雑なものではありません。魔力を流している間は動き、流すのをやめたら停止する。そういった単純な仕組みになっています」
「……ということは、ここの係員は魔術師が担当してるんですか?」
「いいえ。魔力がある者が担当していますが、魔術師ではありません」
 返ってきた言葉に、ミリーは首を傾げる。
 これだけの大きさのものを、それも一瞬ではなく、長時間にわたって動かしつづけるのならば、それなりの魔力が必要なはずだ。
 魔術師ではない普通の人間に務まるものなのだろうか。
 そんなミリーの疑問を察したのだろう。
「……操作パネルにふれると、その人間の魔力が増幅されるようになっています」
「えっ、増幅ですか!?」
 それはまた難易度の高い魔術を――とミリーが驚いていると、マレフィクスは別の意味に取ったのか「もちろん、悪用できないような制限はかけています」とフォローを入れてきた。
「それに、それほど強力なものではありません。元々、最小限の魔力で回すことができるよう術式を組んでいますし、何時間かごとに交替すれば、凡庸な市民であっても、無理なく動かせるようになっています」
「そうなんですね……って、いやいや、解説するほどのものじゃないですか!」
 ミリーは、はあぁ、と呆れと感嘆まじりの溜め息をつく。
 ――本当に天才だなぁ……。
 そう思ったところで、フッと一抹の憂いがミリーの胸をよぎる。
 本当に素晴らしい才能だ。
 けれど、その才能のせいで、マレフィクスは普通の――凡庸な子供のようには育つことができなかった。
 彼は魔術師になるべくしてなった。なるほかなかったのだ。
 そう思うと、手放しに彼の才能を褒めたたえていいものかと疑問を覚えてしまう。
「……あの、団長」
「はい、何でしょうか」
「団長は魔術、お好きですか? 魔術師になってよかったなって、思うことはありますか?」
 感傷まじりにかけたミリーの問いに、マレフィクスはためらうことなく答えた。
「ええ、好きですし、毎日のように思っています」
「そ、そうなんですか?」
「はい。魔術は世界との対話です。どれほど学んでも飽きることのない、新鮮な驚きや喜びを日々もたらしてくれます。宮廷魔術師として働くことで研究と実践の機会に困りませんし、それに、外の世界と関わることもできますから……やりがいのある、良い仕事だと思っています」
「……そうなんですね……よかった!」
 つまり、マレフィクスにとって魔術は外の世界――凡庸な人間たちとの交流手段にもなっているということなのだろう。
 ふれあい広場で「寂しさを埋める方法は、ひとつではない」と言っていたが、魔術が彼の孤独を和らげてくれていたのなら何よりだ。
 ――才能に救われてもいた、ってことよね……。
 本当によかったと頰をゆるめたところで、マレフィクスが「あなたはどうなのですか?」と問い返してきた。
「え、私ですか?」
「はい。ミリー、あなたは魔術が好きですか? 魔術師に……」
 言いかけて、ふと口をつぐみ、一瞬の迷いを挟んでから、マレフィクスは少しだけひそめた声で尋ねる。
「……私の補佐官になって、よかったと思うことはありますか?」
 ミリーはパチリと目をみはり、すぐに、くしゃりと細めて頷いた。
「はい! 魔術は好きですし、団長の補佐官になれて毎日充実しています!」
「……そうですか。それは、何よりです」
 マレフィクスは嚙みしめるように頷いて、それから、ちょっぴり眉を寄せて呟いた。
「魔術は、好き……ですか」
 その声がいかにも残念そうな響きを帯びているのに、ついつい、クスリと笑ったところで、ゴンドラに伝わる振動が変わって、ミリーは窓の外へと顔を向ける。
 どうやら頂上に着いたようだ。
 右を見ても左を見ても空、遮るものはなく、いつもの暮らしの風景は遥か遠くに広がっている。
 ――ああ、いいなぁ。
 夕映えの空の上、切りとられた二人だけの世界の中。
 やわらかな茜色の光を浴び、ふんわりと胸にこみあげる温かな感情に目を細めながら、気付けば、ポツリとこぼしていた。
「早く、告白されたいな……」
 それはゴンドラの揺れる軋みに紛れてしまうくらい、音になるかならないかという小さな小さな呟きで、え、と目をみはったのはマレフィクスではなく、ミリー自身だった。
「ミリー、すみません。今何か……?」
 向かいの席までは聞こえなかったようで、怪訝そうに――いや、聞きとれなかったことを惜しむように問われ、ミリーは慌てて首を横に振る。
「いえ……別に。夕陽、きれいだなって……!」
 ごまかすように笑って答えて、それから、そっと息をつく。
 そうして驚きが静まって、後に残ったのは穏やかで、けれど確かな気付き。
 ――ああ、そっか……私、団長のことが、好きなんだわ。
 そっと押さえた胸の中、見つけたのは、いつの間にか芽吹き育っていたやわらかな気持ち。
 それは同情よりも甘く、温度の高い感情だ。
 胸を焦がすほどの熱さはまだないが、確かに根づき、じんわりと心を温めて揺れている。
 ――ちょっと早すぎるかなって気もするけれど……。
 最初から魔術師としての敬意はあったとはいえ、出会ってから三カ月半、練習を打診されてから数えたら、たったの一カ月と半分しか経っていない。それなのに。
 ――恋に落ちるときは落ちるものなのね。
 とはいえ、思い返せば、短い時間だったが密度は濃かったようにも思う。
 このひと月半の間で、マレフィクスの持つやさしさや純粋さ、意外と強がりなところや、可愛いところ、ちょっと不器用というのか融通がきかないところまで。
 ――たくさん知って、いつの間にか好きになっちゃったんだわ。
 ああ、そうか、とミリーは先日のウォルターとのやりとりを思い出す。
 あのとき、喜びと共に感じたのは嫉妬だったのだ。
 ――きっとそう。誰かに取られたくないくらい、私、団長のことが好きになっていたんだ。
 好きになったのなら、幸せにしてあげたい。一生かけて、一番近くで。
 彼との「練習」が終わって、愛の言葉を告げてもらったら、迷わずに頷こう。
 ――それで、家族になって……団長のこと幸せにする。
 そう心を決めてマレフィクスに向き直り、ミリーはトクリと高鳴る鼓動を感じながら、そっと微笑み呼びかけた。囁きに近いけれど、きちんと彼の耳に届くような声で。
「……団長」
「はい、何でしょうか」
「私、告白されるなら、こういう雰囲気のときがいいです」
 恥じらいで視線をそらしたくなるのを堪え、気付きたての想いを滲ませるように、誘いをかけるように、まっすぐに目を合わせて告げると、彼は菫色の瞳をみひらいて。
「ミリー、私は――っ」
 伸ばした手でミリーの肩をつかみ、勢いこんで何かを言いかけ、グッと呑みこんだ。
「……私は、何ですか? ねえ、団長?」
「いえ……」
「何か言いたいことがあるのなら、どうぞ」
 どうか告げてほしい。期待をこめて促すが、マレフィクスは「いえ」と首を横に振る。
「言いたいことは別段ありません」
 きっと「勢いで告白する」などという無計画な行動は、彼の信条に反するのだろう。
 ――この雰囲気で、断られるはずないのにね……。
 早く想いを確かめあってしまいたいのに。もどかしいような気持ちで、ミリーは、ほんの少し身を乗りだす。
「そうですか、なら、したいことでもいいですよ」
「……したいこと?」
 はい。告白とか、どうですか――とさらに促そうとしたところで、マレフィクスの手がミリーの肩から頰へと移った。
「……したいことの前に、確認したいことがあります」
「何ですか?」
「こういう雰囲気ならば、口付けてもいいものですか?」
 両手でミリーの頰を包みこむようにして、瞳を覗きこみながらかけられた問い、いや、誘いに、ミリーはパチリと目をみはる。
 それから、ジワジワと頰が熱くなるのを感じた。
 ――こ、告白はしないのに、そんなおねだりはしちゃうんですね……!
 ハッキリ言って、もう告白しているも同然ではないか。
 それなのに「好きです」の一言は、まだ言えないだなんて、本当に天才の考えることは凡人には理解しがたい。
 ――もう、仕方ないなぁ……そういうところも、好きだもの。
 ふふ、とミリーは頰をゆるめ、「はい」と笑って頷いた。
「悪くないタイミングだと思います!」
 恋愛指南ぶった言葉を返すと、マレフィクスが背をかがめ、二人の距離がいっそう近くなる。
 互いの吐息が唇にかかるほどに。
「……では、してもかまいませんね?」


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