書籍詳細
転生伯爵令嬢は王子様から逃け゛出したい
ISBNコード | 978-4-908757-54-9 |
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定価 | 1,320円(税込) |
発売日 | 2016/12/27 |
ジャンル | フェアリーキスピンク |
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電子配信書店
内容紹介
立ち読み
長い時間を温室で過ごした後、レンブラントと二人並んで帰路を歩いていた。
まだまだ月の光は明るく、夜道を照らしてくれている。
レンブラントと出会った噴水まで戻ってきたので、後は一人でも大丈夫だと思い、立ち止まった。
「殿下、ここまでで結構です。後は一人で帰れますので。今夜は、ありがとうございました」
「ああ」
あれからずっと心ここにあらずだったレンブラントが、まるでたった今正気に返ったかのように目を瞬かせた。美しい青い瞳がようやく意思を持って私を見つめる。
「……夜も遅い。部屋の前まで送っていこう」
「平気です。すぐ近くですから」
遠慮したわけではなかった。本当に大丈夫だと思ったのだ。だからごく自然に断りの言葉を発した。考えてみれば、今夜は最初からそうだった。何故か妙に素直な気持ちになっていたのだ。
いや、私だけではない。レンブラントもいつものからかうような態度はなりを潜め、真摯に向き合ってくれているような気がしていた。
——花を見るなんて場面、小説ではなかったから。だから二人とも調子が狂っちゃったのかな。
まあ、そういう日もあるだろう。親衛隊もいないことだし、今夜くらいはいいか。
そう自らを納得させレンブラントから一歩離れた私は、なんとなく夜空を見上げた。
満天の星が美しい。まるで天の川がいくつも掛かっているかのようだ。その中でも特に存在感を放つのが今夜の月。それを見ながら、私は何気なく口を開いた。
「殿下、月が……綺麗ですね」
「ん?」
あ……。
次の瞬間、私は自分の放った言葉に気づき、反射的に口元を押さえた。
——今、私は何を言った? なんて言った?
自分が口走った言葉の意味を思い出し、思いきり横っ面を殴られたような気持ちになる。
『月が綺麗ですね』という文言は、前世では有名すぎるくらいに有名な言葉だったのだ。
昔の文豪が『愛している』という言葉を遠回しに言い換えたものだと伝えられている。実際は違うのだとか色々説はあるらしいが、それでも前世ではそういう意味に捉える人が多かったのは事実だ。それに対する王道的な返答に『死んでも良い』という言葉があるのだが……。
「……」
何故だろう、私は今決して言ってはいけない言葉を口にしてしまった気がしたのだ。
まるで私が彼のことを愛しているかのような——いや、そんなはずはない。
この言葉は前世特有のもので、今の世界とはなんの関係もない。通用しない言葉なのだ。
だから額面通りでしかない。月が綺麗だと言うのなら、そのままの意味でしかないのだ。
そのはずなのに、何故か気づけば必死で自分自身に言い訳をしていた。
違う、違うのだ。関係ない。レンブラントは関係ない——と。
自分の言動が理解できず混乱し続ける私に、レンブラントが静かに言葉を返してくる。
「……そうだな。今宵は特に美しい」
「……」
思わず顔を上げ、レンブラントを凝視した。返された答えは間違ってはいない。なのにやけにがっかりした自分に気がついてしまった。がっかりした? 何故? 私は何を期待して——。
「シェラ——」
混乱と動揺の渦中にいる私を、レンブラントは切なく瞳を潤ませたかと思うと、腕を伸ばして力
強く引き寄せた。
「あっ……」
完全に警戒心をなくしていた私はあっという間に彼の腕の中に捕らえられる。何をするのだと振り仰げば、熱を灯した青が至近距離まで近づき——。
「……キスをする時は、瞳を閉じるのがマナーだ」
唇を塞がれたのだと理解したのは、彼の顔が離れ、そう告げられた時だった。いつもとは違う少し甘い声が響き、目を瞬かせる。私は呆然としたまま、レンブラントを見つめた。
「な……にを……殿下」
「したかったからだ。他に理由がいるのか?」
しれっと答えるレンブラントは、全く悪いと思っていないようだった。
身体が震える。どうしてキスされたのかさっぱり分からなかった。
「……そんな目で見つめるな。もう一度したくなる」
「っ!」
再度レンブラントの顔が近づき、私は咄嗟に彼を振り払った。彼の腕の中から逃れてなんとか距離を取った私は、ぜいぜいと息を荒げた。そんな私を追うこともなく、レンブラントは静かに見つめている。
「ど……して? ……だって私のこと猫だって……」
「……」
レンブラントは答えない。代わりに私に向かって手を伸ばした。
「……いやっ!」
反射的にレンブラントから逃げるように駆け出した。貴族令嬢らしさなんて考えもしなかった。必死で自分に与えられた部屋まで駆け戻り、そのままベッドに倒れ込んだ。
「どうして?」
何故いきなりキスされたのだろう。
だってレンブラントはずっと私のことを懐かない黒猫だと言っていたのだ。彼の言葉にも態度にも恋愛じみたものは感じられなかった。だから安心していたのに。だから小説に関係のない場所でなら、少しくらい一緒にいてもいいかと思ったのに。
さっきのレンブラントはおかしかった。いつもとは違い焦がれるような目を私に向け、欲しいと言わんばかりに手を伸ばしてきた。
何がきっかけだったのか、想像もつかない。いきなり変わったとしか思えなかった。
そんなの要らない。そんなレンブラントなんて望んでないのに。
小説のイベントなど殆ど起こっていない。それなのにどうして距離が近づいてしまうのか。やはりこれこそが小説の強制力だとでもいうのだろうか。
好きだと告げられたわけじゃない。でもあんなに熱い目を向けられて、なんとも想われていないなんてお気楽に考えられるはずがなかった。
レンブラントはあの時、確かに私を見ていた。あの目は猫を見る目じゃない。紛れもなく彼は私を見ていたのだ。
「このままじゃ駄目。なんとか方法を考えないと。このままじゃ、あの未来に辿り着いてしまう」
何度も自分に言い聞かせる。
それでも、私の脳裏からレンブラントの熱を孕んだ青い瞳が消えてくれることはなかった。
◆◇◆
「シェラ——」
走って逃げてしまった愛おしい少女の背中に向かって手を伸ばす。
面白そうな黒猫を懐かせたいと思っていたのは本当だった。
それなのに、いつの間に変化していたのだろう。
——初めてシェラと話してからしばらくして。
妹が里帰りするとのことで、また夜会が開かれた。でも今回ばかりは億劫だとは思わなかった。
何故なら今度の夜会は妹と親友のルシウスの歓迎会のようなものだし、なんといってもシェラがやってくることが分かっていたから。
彼女が来るのなら、面倒な夜会も楽しいかもしれない。そう思っていた。
夜会当日、シェラを見つけた私は早速彼女のところへ構いに行った。案の定嫌そうな顔をされたが気にせず側にいると、気分が悪いからと言って私の元から離れてしまった。
手洗いに行きたいと言われればさすがに引き留めることもできない。上手く逃げ出す理由を探し出すものだと殆ど感心しながら彼女を見送った私は、すぐに親友のルシウスのところへ向かった。
プラチナブロンドの髪に紫の瞳という珍しい色合いをした、男の私から見ても美しい容姿を持つルシウスは、私と同じで昔から女にうんざりし続けていた。同じ悩みを抱える者同士、仲が良くなるのは早く、今では私が唯一無条件で信頼できる存在だ。そんな彼が妹と結婚したのはなんの因果かと思ったが、ルシウスなら妹を任せられる。結果的にこうなって良かったと思っていた。
「ルシウス、頼みがある」
開口一番そう告げれば、妹と一緒にいたルシウスは眉を顰めた。
「……お前、何か企んでいるだろう」
さすが親友。私のことなどお見通しだという顔をするルシウスに、肩を竦めてみせた。
「企むとは人聞きが悪いな、ルシウス。……彼女が何処に行くのか調べてくれ」
「彼女?」
まだ後ろ姿が見えているシェラを示す。優雅な仕草で会場から去ろうとしているのだろうが、警戒しているのがバレバレだ。小さな後ろ姿は本物の猫のように見えた。思わず笑みを零すと、ルシウスが驚いたような顔をして私を見ていた。
「お前……今笑って……。え? いや待て。お前が女性を追うのか?」
「……悪いか」
大げさなほどに驚かれむっとすると、ルシウスの隣にいた妹がクスクスと笑っていた。
ルシウスが気を取り直したように言う。
「いや、悪くはない。良い傾向だと思うが……どうして僕がお前に協力しなければならないんだ」
「お前は私の義弟だろう? 義兄の頼みを快く聞いてくれても構わないのではないか?」
私の言葉に、ルシウスは気が進まないという顔をした。
「レン……。僕に間諜の真似事をしろというのか? しかも女性を追えだと? ふざけるな」
「それなら言わせてもらうが、今回お前がアリシアについてこられたのは誰のお蔭だと思っている。少しくらい私の頼みを聞いてくれてもいいのではないか?」
「……汚いぞ」
じろりとルシウスが睨みつけてくる。だが知るものか。
元々妹の一時帰国だけだったはずなのに、どうしても一緒に行きたいから協力しろと最初に頼んできたのはルシウスの方なのだ。
明らかに分が悪いと分かっているのだろう。
しばらく私を睨みつけた後、ルシウスは実にわざとらしく溜息を吐いた。
「……分かった。あの令嬢を追えばいいんだな? フレイヤ」
『おう』
ルシウスの呼び声に応じたのは彼が連れていた黒猫だった。尻尾の長い金色の目をした猫。一瞬シェラを思い出したが、彼女の方がもっと可愛いと思い直した。
夜会の会場に猫を連れてくるだなんてと普通なら思うかもしれないが、彼の連れている猫は単なる猫ではなくれっきとした召喚獣。正体はルシウスと契約している契約獣なのだ。
彼の国、エステバン王国は優秀な召喚士を多数抱える召喚魔法の大家。ルシウスはその中でも魔神と呼ばれる存在を従える国内トップクラスの召喚士だった。
猫に扮した魔神にシェラの行方を追うように告げたルシウスは、私を軽く睨んだ。
「で? 協力させるからには僕にも事情を話してくれるんだろうな?」
「事情という事情はない。単に懐かない黒猫を懐かせてみようと思い立っただけだ。逃げ足が速いのでな。何処へ逃げたのかすぐに分かるようにお前に頼んだ。それだけだ」
「……それだけ……ね。まあ随分と楽しそうな顔をして……」
含みのある言い方が気になったが、そんなことよりもシェラが何処に向かうのかを知ることの方が大切だ。やがてルシウスは彼女が回廊を抜けて中庭に出るつもりであることを教えてくれた。
なるほど。私を避けて、時間を潰すことにしたのか。よほど私とかかわり合いたくないと見える。
しかしこうも避けられると、逆にこちらとしては燃え上がってしまう。
今まで私の周りには自ら寄ってくるような女性しかいなかったのだ。全く違う反応を見せるシェラが気になっても仕方ないではないか。逃げられると追いたくなる。これは男の本能みたいなものだ。……かといって、どうでもいい女を追いたいとは思わないが。
ルシウスに礼を告げ、教えられた場所へ向かう。先回りし、彼女を捕まえた。
しかし、このままでは埒があかない。きっとまた彼女はあの手この手で逃げてしまうのだろう。同じことの繰り返しは避けたい。どうにか彼女と接点を持ち続けたいとそう考えた私は上手く話を誘導し、彼女を王宮に留めおくことに成功した。
私の管理下にある南翼棟の一室を客室としてシェラに与え、じっくりと囲い込む。せっかく可愛い黒猫を懐かせようとしているのだ。誰かに邪魔をされたくはなかった。
黒猫を怯えさせてはいけない。萎縮されて逃げ出されては困るから部屋には随分と気を遣った。
親衛隊の隊員達に相談し、小物類など女性が好むと教えられたものは全て用意した。きっと喜んでくれたに違いないと思い、当日部屋を早速訪ねてみれば、困ったように部屋の中央で立ち尽くす彼女が。その姿はまるで迷子の子猫のように思えた。
驚かせてはいけないと思ったからできるだけ普通の客室を用意したつもりだったのだが、それでも彼女を困惑させたようだ。しかしこれ以下となると……どのようなものならシェラは気に入ったのだろう。……猫を懐かせるのは大変だと改めて思った。
予定通り妹にも紹介した。幸いなことに、同じく南翼棟にルシウスと一緒に滞在している妹もシェラを気に入ったようだ。話し相手として連れては来たが、正直言ってここまで上手くいくとは思わなかった。二人はすぐに意気投合し、まるで昔からの友人であるかのように仲良くなった。
互いを紹介したことを感謝され、悪くない気分だった。シェラが私に笑顔を見せてくれたからだ。黒猫は確実に警戒を解いてきている。確信した私はそれからも定期的に二人の元を訪れ、茶菓子を差し入れたり、時間が許す限り話に付き合ったりした。そうして少しずつ私に慣れたシェラは、やがて近づいても逃げることはなくなり、穏やかな態度で私に接してくれるようになった。懐くとはいかないまでも、私の当初の目的はほぼ達せられたわけだ。
だけど全く面白くなかった。理由は至極簡単。シェラは明らかに世話をしてやった私よりも、妹の方が好きなように見えたからだ。そのことをルシウスと一緒の時に話したのだが、彼は呆れたような声で言った。
「……アリシアの方にばかり懐かれて面白くない……ね。お前、もう少し自分の感情と向き合ってみればどうだ」
「可愛がっていた黒猫が、一生懸命世話をした自分よりも他の者に懐いているのだぞ。私がシェラの警戒を解くために一体どれだけ努力をしたと思っているのだ。お前なら腹が立たないのか」
「その黒猫はお前のものではないだろう? どうしてそこまで独占欲を発揮するんだ」
そう言われても嫌なものは嫌だ。
シェラが私以外の者に笑顔を向けるなど、想像するだけでも許せないと思った。
「……シェラは私だけに懐いていればいい」
「……お前」
ルシウスは信じられないという目で私を見て、それからぽんぽんと私の肩を叩いた。
「僕はその令嬢に心から同情するよ。面倒な男に執着されて可哀想に……」
「どうしてシェラに同情など……」
その時はルシウスの言った言葉の意味が分からなかったが、シェラと妹、ルシウスの三人と一緒に過ごす機会があった時にようやく理解した。
「それだけ執着しているくせに、未だ認めようとはしないのだから。確かに僕も人のことを言えた義理ではないが、それでもお前よりはましだったぞ。早く気づかないと手遅れになる。これは親友に対する僕からの忠告だ」
「これ以上は言わない。後はお前次第だ。アリシアの話を聞くに……まあ望みはあるんじゃないか? せいぜい頑張れよ」
そこまで言われ、やっとルシウスが何を言いたかったのかを理解した。
つまりルシウスは私が——シェラに惚れているのだと言いたいのだ。
——何を馬鹿な。そう言いたかったが、何故か言葉は出てこなかった。
むしろルシウスの言う『望みがある』という言葉の方に反応してしまった。そして、反応した自分に驚いてしまった。
——私はシェラに男として見られたいのか?
まさかそんな。シェラは私の可愛い黒猫だ。猫に男として見られたいなどあるはずがない。
混乱しながらも私はルシウスを連れ出した。廊下に出ると、ルシウスは呆れを隠さず、ずばり言った。
「どうした。ようやく僕の言った意味を理解したのか?」
「……私がシェラに好意を抱いていると……お前はそう言いたいのか」
唸るような声が出た。ルシウスを睨みつけると、彼はやれやれと肩を竦める。
「分かったのなら、もう僕を巻き込まないでくれ。せっかくアリシアと一緒に来たというのに……着いてみればお前は自覚のない初恋の真っ最中だし……」
「うるさい」
「ライバルがいない今のうちがチャンスだぞ。……僕はライバルが多くて苦労した」
ルシウスの言葉に、思いきり反応した。
「……ライバルなど許すものか」
シェラに私以外の男が寄る?
考えるだけでも虫唾が走る。シェラは私だけに懐いていればいいのだ。他の誰も彼女に近寄ることは許さない。
「……勝手にしてくれ。僕は知らない」
ルシウスが大きく溜息を吐いたが、私はそれどころではなかった。
今、彼女に向けて抱いているこの感情。暴風のように激しく荒れ狂う感情。腹の底から湧き上がってくる叫びたいような想い。
これが恋であるのかなんて分からない。だが、自分以外の誰にも彼女を渡したくないと思う気持ちがあるのだけは理解した。
その気持ちが何に由来するのか。急いで結論を出さなければならないとそれだけは分かっていた。
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