書籍詳細
ひざまずく騎士に、彼女は冷たい
ISBNコード | 978-4-908757-61-7 |
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定価 | 1,320円(税込) |
発売日 | 2017/01/27 |
ジャンル | フェアリーキスピュア |
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電子配信書店
内容紹介
立ち読み
目が覚めると、知らない部屋で、見覚えのない男と二人きりだった。
というと、普通なら貞操が心配になるところだけど、全くそんな雰囲気じゃなかった。ベッドが二つあって、私たちは別々に横になっており、男は頭を包帯でぐるぐる巻きにされて動かなかったのだ。もちろん私は、高校の制服であるセーラー服を着たまんま。ローファーはベッドの脇に置かれている。
男が成人男性らしいのは、体つきでわかった。でも、包帯からは閉じられた目と半開きの口しか出ていないので、顔も年齢もよくわからない。身体には毛布が掛かっているけど、少しのぞいた肩にも包帯……あちこち怪我してるんだろうか。生気があまり感じられず、呼吸さえ弱々しい。
男を気にしつつも忍び足で扉に近寄り、レバーを下ろそうとしたけど、動かなかった。
外から、鍵? な、何でっ?
密室で意識不明の男と二人きりって、何か変に疑われたら嫌なんだけど。……え、この人の怪我、私がやったんじゃないよね? 寝ぼけて殴ったり蹴ったりとか……まさかね。
混乱しながらも、改めて部屋を見回す。壁も床も明るい茶色の石で、六畳くらいしかないのにベッドが二つあるから、ほとんど動けない。中世風ビジネスホテルなんてものがあるとしたら、こんな感じだろうか。一応トイレはあったけど水洗じゃないし、窓は石壁の高いところに小さいのが一つだけ。ベッドの間の台にはコップと水差しと吸い飲み、そして布のかかった籠(かご)が置かれていた。籠にはパンと、桃に似た果物が入っている。
「う……」
急に男がうめいて、私は一瞬飛び上がった。
び、びっくりした……!
ドキドキしながらおそるおそる近づき、顔をのぞき込んでみる。枕の上で、男の顔がほんの少し左右に揺れ、半開きの唇が震えた。目は閉じられたままだ。
「……ね。大丈夫?」
「……」
男はまた、静かになった。聞いてはみたものの、大丈夫じゃなさそうに見える。
そうだ、お医者さんは? この人に手当てをした人は、どこ行っちゃったの? ここはもしかしたら病院かもしれない、やっぱり誰かを呼んで、このままにしておいて大丈夫なのか聞かないと。
私は、扉をガタガタさせてみたり、窓に向かって「誰かいませんか」と声を上げてみたりしたけど、何も起こらない。あまり騒いで怪我人の具合に響いてもいけないと思うと、それ以上のことはできなかった。
お母さんたち、私がここにいるって知ってるのかな……と考えてみる。でも、脳裏に浮かぶ家族の顔さえどこか遠くて……その記憶はまるで、映画のスクリーンを二階席の一番奥から眺めているような感覚だ。
やがて日が暮れてきたらしく、明かりのない部屋はどんどん暗くなった。途方に暮れてベッドに腰かけている間に、とうとう真っ暗になる。男のいるあたりを見つめながら、私はセーラー服のまま横になった。暗闇の中、男の弱々しい呼吸が聞こえてくる……朝になったら死んでたりしないよね。
ひとりぼっちで閉じこめられていたら、誘拐されたと思ってパニックになっていただろう。でも、もう一人いてこんな状態なので、私は彼を心配する方に気を取られていた。
瞼(まぶた)の裏が明るくなって、目が覚める。はっ、と起き上がって隣のベッドを見ると、男の胸はわずかに上下していた。よかった、生きてる。
空腹に耐えかねた私はパンと果物を少し食べ、やることもなく男を見守った。
「……う……○○○……」
うなされているのか、男はかすれ声で何か言った。でも目は開けないし、日本語じゃないので何を言ってるのかわからない。外国人? そういえば、目の周りとか彫りが深い……
見ると、男の唇はすっかり乾いてしまっている。
「……仕方ないなぁ」
私は水差しを手にとって吸い飲みに水を入れると、おそるおそる男の頭に手を伸ばした。がっしりした首の後ろに左手を入れ、重い頭を何とか持ち上げる。……温かい。
吸い飲みを取って、唇に当てる。こんな世話をするのは初めてで、ちょっとこぼしたけれど、男の喉仏が動いて一口飲み下した。
ちょっとホッとして、私は吸い飲みを台に置くと、両手で男の頭を静かに枕の上に戻した。
「ふぅ。……ほんとに何なの? 私、この人の世話をするためにここにいるわけ?」
ぶつくさ言いつつも、それから私は時々、水を飲ませてやった。この人が回復すれば、事情を説明してくれるかもしれないし、何より具合が悪そうな人を放っておくわけにいかない。
その翌日には、男はぴくりと手を動かしたり、薄く目を開けようとしてまぶしそうにまた閉じたりという様子を見せた。じわじわと回復しつつあるらしい。瞼の隙間からは白目しか見えないので、瞳が何色なのかはわからない。
何度目かに水を飲ませようと、頭に触ろうとした時、毛布の横から男の腕が滑り落ちた。何かスポーツでもやってるのか、がっしりした腕がゆらりと動き——いきなり、私の左手を握った。
「うわ、ちょ」
びっくりして手を引こうとしたけど、男は手を離さないまま、目を閉じて寝息を立て始めてしまった。
家族以外の男の人に手を握られるなんて、初めてかも。大きくてごつごつしたその手には、私の手がすっぽり入ってしまっている。さすがにドキドキして、手が汗ばんできた。
な、何もしないなら、まあいいけど……。それにしても、こんな生活、何日続くんだろう。食べ物だってそろそろなくなりそうだし。
私は落ち着かない気分で、握られた手と男の顔を交互に見つめた。
早く、目を覚ましてくれないかな。
そのままやることもなく、男のベッド脇の床に座っているうちに、ウトウトしてきた。お風呂に入りたいな……
しばらくして、また男がうめいた。
「ん」
私も顔を上げると——
男が、目を開いていた。
太陽が傾きかけているらしく、窓から入ってくる光は黄色味を帯びている。ぼんやりと明るい部屋の中、男の瞳が澄んだ光を弾いた。
緑色……?
「……○○、○……」
低いかすれ声。何を言ってるんだろう。
「気がついた?」
静かに話しかけてみる。
「ねえ、私たち何でここにいるのか、わかる?」
答えはない。朦(もう)朧(ろう)とした視線が私をとらえようとしているけど、うまく行かないみたいで瞼がピクピクしている。
「ええと、あなたは誰? 私は、上原思苑。シオン。あなたの名前は?」
左手は男に握られたまま、右手で自分を指さし、シオン、と自分の名を繰り返す。次に相手を指さす。何度かやっていると、ようやく男の目の焦点が合った。
「聞こえる? 私は、シオン。あなたは?」
もう一度聞くと、男は口を開きはしたものの、軽く咳込んだ。
「あ、ごめん。しゃべるの、しんどそうだね」
私はあわてて、質問するのをやめる。そして、意識して何でもないような口調で、言った。
「ところで、あの……この手をちょっと、離してくれると助かるんだけど」
握られたままの左手を持ち上げ、軽くゆらゆらと振る。
男はようやく握力を弱め、彼の手がベッドの上に落ちた。私はこっそりとシーツの端で、手の汗をぬぐう。あぁ、恥ずかしかった……
頭を持ち上げて水を飲ませると、今度はしっかりと一口、二口と飲んだ。自分が何をしているのか、ちゃんとわかっている風な動きだ。
瀕死っぽく見える人と知らない部屋に閉じ込められて、自分の状況もわからないのにもう一人の心配もして、ずっと気を張っていたのかもしれない。強張っていた頬や口元が緩んで、
「よかったぁ……」
という言葉が自然に出た。枕に男の頭を戻す。
男は、そんな私の顔をじっと見つめた。あまりに見つめてくるので、しゃべるのがしんどいだろうと思いながらもつい、「何?」と聞いてしまう。
彼は、ほんの少し口の端を持ち上げ、目を細めた。微笑んだのかもしれない。緑の瞳が優しくきらめいて、また、すぅっと閉じた。
……包帯を取ったら、なかなかのイケメンなんじゃないかな。
この部屋に閉じこめられてから、初めていいことがあったような気分になった。アイコンタクトしかしていないようなものだけど、私とこの人の間に好意的なものが流れたのを感じる。
彼がちゃんと目を覚ませば、きっと事態はいい方へ向かうはず。
そして。
その翌朝、目が覚めてみたら、彼が私の方に顔を向けてじっと見つめていて——
私が起きたことに気づくと、唇を動かしたのだ。
「……シ、オ」
はっとして自分のベッドを下り、男のベッドの脇にしゃがみ込む。
「しゃべれるようになったの? そう、私、シオン」
男の手が持ち上がり、泳ぐように動いた。反射的にその手を捕まえると、男は力を抜いて目を細める。まるで安心したように。
この人から色々と情報を聞き出して、早く家に帰りたい、と思っていたけど、数日お世話していたせいか気持ちが変わりつつあった。用が済んだらさようなら、ではなくて、彼がちゃんと元気になるところを見届けたいと思うくらいに。
「あなたの名前は? 言える?」
もう一度、自分を指して「シオン」と言ってから、彼を指さす。
私を見つめたままの彼の口から、かすれた声が押し出された。
「……オ……セ……」
「何? オーセ? オルセ?」
聞き返した、その時。
いきなり、ガチャッ、と金属的な音がした。
鍵の回る音だ、と振り向いた瞬間、バン、と扉が開く。
部屋の中に真っ白な煙が入ってきて、その向こうで人影が動いた。
すーっと、気が遠くなる。怖くなって、男の手をしっかり握り直したつもりだったけど、うまく力が入らなくて手が離れた。
一瞬、彼の指が、私の手を離すまいと追ったような気がして——
後は何も、わからなくなった。
◇◇◇◇◇
「世界はいくつもの層になっていて、一番上が神の国である『天』。お前の暮らしていた層は天のすぐ下にあり、僕たちの層はさらにその下にあると言われている。お前のいる層から魔術で人間丸ごと一人をこっちの層に堕(お)とせば、天に昇ろうとしているオルセードの魂も、その人間の魂と絡まり合って一緒に堕ちる。理屈としてはそんな感じの魔術を行(おこな)った。お前はたまたまオルセードが昇っていく方面にいたんだろう。オルセードの魂は戻り、僕が解毒した彼の身体に入った」
「しかし、一度絡まった俺と君の魂は、一部繋がったままなんだそうだ」
オルセードは苦しげに、言葉を押し出すように続けた。
「そして俺の魂が安定するまでは……つまり、意識がはっきりと戻るまでは、君と俺を特に近くに居させる必要があった。そのため、意識不明の俺と、君が、あの狭い部屋で共に過ごすことになった」
するすると意味が頭に入ってくる。
そんな理由で、私はあの狭い部屋にこの人と二人でいたんだ。
試しに、日本語を口にした。
「なんで、その時に、それを私に説明しなかったわけ?」
すると、すぐにハルウェルが反応した。
「オルセードのそばに、どこの馬の骨ともしれない女なんか置けるもんか」
その目、その言葉には、刃(やいば)のような敵意があった。見つめられているだけで、痛い。
「下手にお前に事情を説明して、恩着せがましくまとわりつかれたら困るからな。おい女、住むところと金は世話してやるから、納得したらもう一度腕輪をつけてこの屋敷から出ていけよ」
「ハルウェル、やめろ!」
オルセードの凄(すご)みのある一喝に、ハルウェルはいったん口をつぐむ。
私はオルセードに視線を移し、じっと見つめた。
「大声を出してすまない、シオン」
彼は少し慌てたように声を落とした。でも、私が彼を見つめていたのは、大声が気になったからじゃない。
引き締まった、とても男性らしい顔。偉い人に相応(ふさわ)しい、高潔そうな顔。
「……あのとき、顔に包帯をぐるぐる巻いていたのに、何の傷跡もない……怪我じゃなくて、私に顔を覚えさせないためだったんだね」
そういうと、ハルウェルがちらりと私を見た。
図星らしい。髪の色さえわからないように巻いてあったもんな、包帯。
オルセードがはっきりと意識を取り戻し、自分自身のことを私に話してしまえば、私が彼に『恩着せがましくまとわりつく』とハルウェルは思ったのだろう。その前に引き離したのだ。彼と接触する可能性のない身分に落とし、遠い辺境の村へ。
そんなに私が厭(いと)わしいのに、ハルウェルは私を日本に帰していない。『もう一度腕輪をつけてこの屋敷から出ていけ』と言っていた。
私は、自分の腕を示しながら尋ねる。
「さっきの腕輪は、何?」
「君と俺を、遠くにいても結びつけるためのものだ。魂が定着した後も、俺が生き延びるためには君の『魂の力』が必要なんだ。腕輪は二つあり、魔石という石を半分に割ったものがそれぞれ仕込んであった」
ああ、さっきの、黒い半透明の石? どこにしまったのか、それはもう見当たらない。
「ハルウェルは腕輪の一つを君につけて遠くへやり、もう一つを俺に『護符』だと言って渡した。常につけているように、と。……俺は何も気づかないまま、遠く離れた場所にいる君の魂の力を、少しずつ受け止め続けて生きてこれたらしい。ごく近くに——同じ家にでも住んでいれば、石は必要なかったんだが」
オルセードはハルウェルをじろりと見てから、私に視線を戻す。
「王国軍の任務中にたまたま腕輪が壊れた時、中に魔石の片方が仕込んであったのに気づいて、ハルウェルを問い詰めた。これは何のためのもので、もう片方はどこだ、と」
「オルセード、お前、僕を差し置いて他の魔導士に石のありかを探させたろ!?」
いきなりハルウェルが口を開き、オルセードが言い返す。
「お前がしゃべらないんだから仕方ないだろう!」
「ねえ」
私は口を挟んだ。二人はぴたりと言葉を切る。
長老の家にいた頃は頭ごなしに命令されるばかりで、逆らえば鞭打ちだと思っていたから、人の話に口を挟むなんてもってのほかだった。
でも今、二人のやりとりを見ていて、思ったのだ。
うるさい、と。まだ私に対する説明が残ってるんだから、脱線するな、と。
「それで、私はどうなるの。もう一度腕輪をつけて、どこかへ追い出されるの?」
「そんな必要はない!」
オルセードが声を上げた。
「君を追い出すなど、あり得ない。それに腕輪は、シオンにとっては忌々(いま)しいだけのものだろう。自分の運命をねじ曲げて生き延びた男を、さらに助け続けるのだと思わせる品だからだ。そんなもの、着けなくていい!」
そして、我に返ったように声を落とす。
「……俺はこの二年、君との記憶は夢だと思っていた。再び目覚めた時には病院で寝かされていて、九死に一生を得たと説明された。君が連れ去られ、あの村でこき使われて暮らし始めたことも知らずに……」
唇を?むオルセード。その言葉の、『こき使われて』のところで『えっ』という顔をしたハルウェルが顔を上げ、さっと私を頭からつま先まで見て、また視線を逸らした。
……もしかして、私の境遇、知らなかったんだろうか。
オルセードは続ける。
「……せめて、償(つぐな)いをさせてほしい。この二年間に辛い思いをさせた。それに見合う償いなどあり得ないだろうが、俺にできることならシオンの望みを何でも叶える。そばにいれば魔石は必要ない、この屋敷で暮らしてくれ」
◇◇◇◇◇
「君を慰める立場になどないと、わかっているつもりだ。それなのに俺は……君に許されない気持ちを抱(いだ)いている」
はっ、と私は息を呑んだ。彼の腕が、まるで縋(すが)りつくかのように私を抱き直すのを、拒否できない。
オルセードの声が、堰(せき)を切ったように溢れた。
「さっきもだ。あの男たちは、君を利用して屋敷に侵入しようとしたんだろう? ……助けを求めることもできたのに、『扉を開けないで』と叫ぶ君から、この屋敷の人々に君が抱いている気持ちが、伝わった」
この人は、何を言おうとしてるの。
私は言葉で予防線を張る。
「当たり前だから。私なんかに、よくしてくれる人たちなんだから」
「それに君は、俺に『危ない』と言ってくれた」
「勘違いしないで。相手が誰でも反射的に言っちゃうようなことだし」
「死ねばいいと思っている相手にも? 君は俺が死なずに済むようにこの屋敷に戻り、そしてもう一度、俺のような人間を守ろうとしてくれた。そんな君に、俺は惹かれて」
「そういうのはいらないってば」
今度こそ力を込めて、私は腕を突っ張った。彼はすぐに私を離す——はずだった。
けれど、私を抱くオルセードの腕に、ぐっと力が入った。
いつもと違う。怖い。
彼に抱きしめられると、その身体に私はすっぽり隠れてしまう。身を委ねてしまえば、それこそ守られているような気持ちになれるだろう。でも逆に、私が逃げたい時でも、彼が本気を出せば逃げられないのだ。
彼の低い声が、耳元で熱く響く。
「君が、辛いことを何も考えられないように、いっそ全てを奪えたら」
一瞬、めまいがした。
そうしたら、楽になれる……?
でも、私は震える声で必死に言った。
「やめて」
今、心を奪われるかと思った。ただでさえ曖昧な日本の記憶から目を背けて、オルセードに甘えて溺れて、彼だけ見つめて生きる——日本での人生もこの世界での苦しみも含め、今までの自分そのものとも言える私の『心』を、この人に明け渡して。
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