書籍詳細

公爵令息と記憶をなくしたシンデレラ
ISBNコード | 978-486669- 004-9 |
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定価 | 1,320円(税込) |
発売日 | 2017/06/27 |
ジャンル | フェアリーキスピュア |
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電子配信書店
内容紹介
立ち読み
涙を堪えて部屋に戻ったアンナは、自分を落ち着かせるために、大きく息を吸った。
泣く必要なんてない。ただ当たり前の現実を見ただけだ。
公爵令息とその恋人の仲睦まじい様を見て、自分が動揺する必要なんてない。
アンナは奥歯を?みしめて、ひとしきり深呼吸を繰り返す。姿見の前まで移動し、鏡の中の自分を見返した。
メイクをして、綺麗なドレスで着飾られた、見た目だけは恵まれた自分がいる。
——人は見た目じゃない。
自分はどうして、こんなにも頑固にそう思い続けているのだろう。
外見を愛してくれている、コーディ。孤児と結婚しようというのだから、悪い人ではないのだ。彼は商人で、自分の利益を考えれば、いいところのご令嬢と結婚する未来だって選べた。
それなのにアンナとの結婚を望んでいる。懐深い人だ。
——でもどうして……?
アンナは鼻先で震える手のひらを合わせ、凍えた溜息を吐いた。涙目の自分を見て、にい、と笑った顔が恐ろしかった。アンナはかたかたと震える指先で、髪を結い上げていたリボンをほどく。柔らかな髪が肩口まで落ち、一緒に涙まで落ちそうだった。
——あの人とは、結婚したくない……。
『コーディさんとの結婚に乗り気じゃないなら、やめちゃったっていいのよ、って言っているの』
メアリの言葉がよみがえる。
結婚しない選択肢も、まだ残されているだろうか。
アンナはドレスを脱ぎ、一人でネグリジェに着替えながら、これからを考えた。
ジョアンナがそうしていたように、自分も一人で生きていく道を選ぶ。——それが一番いいのかもしれない。怖いと思う人と一緒になったって、相手も自分も、幸せにはなれない。コーディには、結婚は無理そうだと話して、理解してもらうのだ。
連れ去られていた理由はわからないけれど、コーディが以前言っていたように、運悪く人さらいにでもあったのだろう。きっと大した問題じゃない。婚約を破棄し、公爵家の庇護から離れ、今度こそ、しっかり一人で立つのだ。
リラックスしたネグリジェに着替えて体が安心したのか、お酒を飲んだせいか、眠気が強かった。
アンナは部屋の灯りを消して、柔らかなベッドに横になる。公爵邸の正面玄関を、いくつかの馬車が走り抜ける音が聞こえた。客人たちが帰路についている。眠気がきついから、すぐに眠れると思ったけれど、気持ちは安らがず、むやみに胸がきしんだ。
目を閉じると、アンナの目尻を、涙が零れていった。温かな公爵家から離れるのが恐ろしくて、涙が出ているのだろう。しくしくと痛む胸の痛みも、目に焼きついて離れない、アーサーとエリーゼの姿も、関係ない。アンナは唇を?んだ。
——心臓が苦しい。でもこの気持ちの理由は、知りたくない。
頭の中でずっと、あの二人の映像が繰り返し流されていた。
お酒を飲みすぎて、感情が上手くコントロールできない。泣いたって何も変わらないのに、涙がとまらない。息をひそめて嗚咽を堪えていると、静かな寝室に、かちゃりと扉が開く音が響いた。どきっと心臓が鳴り、アンナは目を閉じたまま、音に耳を澄ませる。
その人はゆっくりと部屋を横切り、ベッド脇に立った。しゅる、と天蓋をめくる音がして、アンナの顔を見下ろす気配がする。溜息が聞こえ、ぎし、と枕元に手をつく音がした。
薄く瞼を開けると、青地に銀糸の刺?が入る衣服が見えた。晩餐会の衣装のままのアーサーが、アンナの真上に身を乗り出す。心臓が、ドキドキと鼓動を速めた。彼は薄く唇を開けて溜息を吐くと、アンナの額に唇を寄せる。
ちゅ、と落とされた口づけは、とても優しくて、愛情さえこもっていそうだった。アンナは胸の苦しさに、思わず息を漏らす。
「……っ」
ぎゅっと目を閉じると、アーサーはすっと身を浮かした。アンナを間近で見下ろしたまま、彼は身動きをしない。先日の夜のように出て行ってくれず、アンナは瞼を開けてしまった。
アーサーは枕元に立って、アンナを見下ろしていた。濃紺の瞳が自分を切なそうに見下ろしていて、アンナは眉尻を下げる。瞳から、また涙が零れた。
——どうして、そんな顔をしているの?
彼はエリーゼと結婚する人だ。アンナの様子なんて、見に来る必要はない。泣き虫なアンナを慰める必要もない。
彼は辛そうに目を細めた。
「泣くな」
アンナは震える唇を動かし、首を振る。
「……もう、お優しくしないでください……」
両手で顔を覆い、拒絶を口にした。
「……どうぞ、私は気になさらないでください。アーサー様には、エリーゼ様がいらっしゃるのですから……っ」
彼は溜息を零す。
「……君には、コーディ殿がいるものな」
その忌々しそうな声音に、アンナは手のひらを下げ、アーサーを見た。彼は眉間に皺を寄せ、目を伏せている。
「……コーディさんとは……結婚しません」
アーサーは視線を上げた。アンナは、アーサーとは反対側の天蓋に目を向ける。
「……私、コーディさんとは、結婚できないと思います。やっぱり、怖く感じてしまうので……」
「そうか……」
「……ここも、出て行きます。孤児だったとわかりましたし、連れ去られていたという話も、偶然人さらいに捕まった程度の話だったのだろうと思います。身元がわかったのに、いつまでもお世話になるのはおかしいですから、遠からずお暇させていただきます……」
「——」
今しがた決意した今後を告げると、視界の端で、アーサーが拳を握るのが見えた。アンナの心臓が、どきっと小さく跳ね上がる。彼は揺れる声で、否定した。
「……それは、駄目だ。君は、ここにいなさい……」
アンナはアーサーを見上げる。真顔で自分を見ている彼に、小さく笑った。
「ありがとうございます。けれど、もういいのです。こんな贅沢な暮らし、私には不釣り合いです」
アーサーの眉尻が下がり、彼は苦悩するように沈黙する。そして、ぼそっと言った。
「それなら……俺の妻になってくれ」
「……え?」
彼は苦渋に満ちた顔で、自身の胸の上に手を置く。
「コーディ殿とは結婚しないのだろう? それなら俺と、結婚してくれ。そうすれば君は、ここにずっといられる」
アンナは唐突な話に目を丸くして、上半身を起こした。この人はどこまで、献身的なのだろう。
「いいえ、アーサー様……。結婚なんて、必要ありません。ご自分のこと、もっとお大事になさってください。エリーゼ様が、悲しみますよ……」
アーサーは眉をひそめた。
「……勘違いしているようだが、俺とエリーゼが結婚する予定はない。周囲はそうなるものと思っているようだが、当事者の俺たちはお互いを兄妹としてしか見ていないから、見当違いもいいところだ。それに自分を大事にしろと言うなら、これ以上の自己愛はないだろう。俺は君が欲しい。——出会った時から、君が好きだった」
「え」
アンナはぽかんとアーサーを見上げる。彼は眉根を寄せ、視線を床へ向ける。
「すまない。俺は不誠実にも、君を一目見て、恋に落ちた愚かな男だ。君が厭う、一目惚れだった。だが信じて欲しい。俺は断じて——君の外見だけに惚れているわけではない……!」
「えっと……」
——待って。頭が追いつかないから、待って。
アンナはアーサーをとめようと、軽く手を持ち上げる。酒が入っていて、頭が上手く回らないのだ。しかし彼は突如、その場に膝を折った。
「——」
「記憶がなくて不安だろうに、気丈に平気な顔ですごそうとする、君の強がりなところが好きだ。そのくせ、出会ったあの夜から毎夜泣いているか弱さには、どうしようもなく守りたい気持ちにさせられる。かと思えば俺に臆せず反抗的な態度を取るところも、可愛いと思えた。俺は君の全てが好きだ。君を手に入れ、そばで守り、共になりたいと、ずっと考えていた。主人面をして、こんな浅ましい想いを抱いていたことを、許して欲しい」
アーサーはアンナをまっすぐに見上げ、真剣な表情で言い放つ。
「周囲は反対するだろう。身分違いで、君も辛い思いをする。最悪、鳥籠の鳥のように、この屋敷ですごすばかりの日々になるかもしれない。しかし俺は君を幸福にするために、全力を尽くすと約束する。君が鳥籠の鳥を厭うなら、身分を捨ててもいい。だからどうかお願いだ——俺の妻になってくれ!」
「…………」
アンナは呆然とアーサーを見下ろした。怒濤の勢いで告白され、自分が何を考えるべきなのか、全くわからない。
アーサーはエリーゼと結婚する予定はない。ユリアンの牽制は、二人を結びつけたい彼の独断だったのだろうか。
それよりも、彼は身分を捨てるとか言わなかったか——?
アステリ王国唯一の公爵家嫡男が、身分を捨てる。——駄目だと思う。
アンナはこめかみを押さえ、戸惑いがちに、アーサーに首を傾げた。
「えっと……多分、それは駄目ですよね……?」
とりあえず、情熱的な目で自分を見ている彼を、冷静にさせないといけない。自分も酒で頭がくらくらして、平静とは言えない気がするが、衝撃のおかげで涙は引いた。
「その……私とご結婚されると、貴賤結婚になりますから、アーサー様は大変なお立場になると思います。社交界で謗りを受けられるでしょう。それに、身分を捨てるなんて、一時の感情でしていい行為ではないです。公爵家の皆さんが、どれだけ大変な状況になるのか、お考えにならなくてはいけません」
アーサーは冷静なアンナの言葉を聞いて、目の色を落ち着かせる。不満そうにアンナに目を据えた。
「そんなことはわかっている。だが仕方ないだろう。俺は君と結婚したいんだ」
「……でも……その……やっぱり公爵家のご嫡男として、お立場をお考えにならないと……」
「立場はわかっている。君が公爵令息の俺と結婚してくれるなら、どんな謗りも甘んじて受けよう。だが公爵令息の俺を受け入れられないなら、身分を捨てるしかあるまい。俺は君が欲しいんだ」
「……」
——そこまで?
喉元まで迫り上がった言葉を、アンナはのみ込んだ。貴族という、何物にも代えがたい立場とアンナを天秤にかけ、あっさりアンナを選べるほど、彼は自分を求めている。それがいま一つ理解できず、アンナは途方に暮れた。
アーサーは黙り込んだアンナに、顔色を悪くする。
「やはり、一目惚れなど許せないか?」
「あ、そうでしたね。一目惚れ……」
とうとうと語られた自分への想いの内容が濃すぎて、きっかけを忘れていた。ここは彼のために、一目惚れなんて認めませんと言うべき場面だ。貴族が平民と結婚するなんて、社交界は絶対に受け入れない。彼のためにも、断りを入れなければいけなかった。
アンナは眉尻を下げ、アーサーに微笑んだ。
「お気持ちは嬉しいのですが、私……」
「——待て」
アンナの言葉を遮り、アーサーがぬうっと立ち上がる。アンナは背の高いアーサーが枕元にいることに、今更ぎくりとした。なぜかなんとも思っていなかったが、彼はアンナが苦手な男性の一人だ。
彼は暗い眼差しでアンナを見下ろし、低く尋ねる。
「俺の申し出を受けるかどうか答える前に、教えてくれ。君は俺が嫌いか?」
アンナの心臓がどきっと大きく跳ね上がった。
「そ……んなことは、ないです……」
アーサーの濃紺の瞳が、アンナの瞳をまっすぐに見つめ、感情を読み取ろうと動いている。
「……では、俺が怖いか?」
「いいえ……」
アーサーはコーディとは違って、怖くはなかった。ただこうしてそばにいると、心臓がドキドキして、落ち着かない。
彼は質問を続けた。
「俺が君の額に口づけた時、君は気を失わなかった。それは、多少は俺に警戒心がなくなっているという解釈でいいか?」
「えっと……はい、多分……」
これまでアーサーはわかりにくくも真摯な優しさを見せてくれ、アンナは彼を信頼していた。だから警戒心が薄れているのは、事実だ。
「エリーゼを慰めている姿を見た時、君が泣きそうな顔をしたのはなぜだ」
「——」
アンナはぴくっと肩を揺らし、口を閉じる。アーサーの瞳に再び熱がこもるのを見た気がした。
「晩餐会前に、俺を見て?を染めたのはなぜだ」
「……」
「君は、俺をどう思っている? 少しでも、俺を想っているのではないのか?」
アンナは?を染め、アーサーを見上げる。晩餐会前——自分は。
あの時の気持ちを思い出し、瞳が揺れた。
久しぶりにアーサーの声が聞けた、と思ったのだ。アーサーも久しぶりにアンナと顔を合わせたと、嬉しそうに笑うから、どぎまぎした。落ち着かない自分が理解できず、動揺して涙ぐんだ。?を染めて俯いている間、アンナが感じていたのは——胸のときめき。
彼は真剣な面持ちで、じり、とアンナに身を寄せる。
「突然結婚してくれと言ってしまい、戸惑っていることだろう。だがすぐに結婚しようという話ではない。あくまで俺の真剣な気持ちを知って欲しかったんだ。結婚するしないは、君の気持ちを待ってもいい。だが少しでも俺を想ってくれているのなら、せめて恋人になってくれないか……?」
アンナはもう本当に、どうしたらいいのかわからず、じわ、と涙ぐんだ。
アーサーがぎくりとする。
アーサーはいつだって、優しかった。拾ったアンナを自分の家に運んで治療するだけでなく、侍女になりたいというわがままも聞いてくれた。常にアンナの体調を心配して、生意気に突っかかっても、絶対に本気では怒らない。アンナが泣きそうになった時も、泣くなと言って、額に口づけをくれた。寝ている間も、同じ行為をしていたと知った今朝、心臓がドキドキして、そわそわした。
——でも。
アンナは自分を引き留める。前世で、恋はしないと誓った。信じたって、裏切られる。平民と貴族令息なんて、不似合いだ。アーサーだって、その内現実に気づいて、アンナを捨てるだろう。
傷つくのは、もう嫌だ。
アンナは潤む瞳で、アーサーを見つめ返した。眉尻を下げ、?を染めて涙ぐむアンナを見つめ、アーサーは狂おしそうに顔を歪める。堪えられないような息を吐き、ぼそっと言った。
「——すまない」
「……っ?」
アンナは目を見開く。アーサーが謝罪をすると同時に、すっと顔を寄せ、唇を塞いだのだ。
わけがわからず、アンナはアーサーの胸に手をついた。抵抗をしようとしたのだが、力が入らず、意味はなかった。アーサーはそっとアンナの片腕をつかみ、もう一方の手を後頭部に回す。ぎくっと体が震えた。男性への恐怖がよみがえりそうだった。アーサーはアンナの怯えに気づき、軽く唇を離す。ほっと息を吐くと、彼はアンナの顔色を見てから、また唇を重ねた。
「んー!」
抗議の声を上げるも、アーサーは聞く耳はないようだ。息苦しくて唇を開くと、ぬる、と何かが口の中に入ってきて、アンナは身を震わせた。
目を見開いたが、濃紺の瞳と視線が合い、たまらず目を閉じてしまう。温かく濡れた感触のそれは、アンナの舌を探し当て、ぬるりと絡まった。
「んぅ……? んっ」
ぞくっと背筋が震える。唾液と合わせて搦められた感触に、アンナはやっと、アーサーの舌が入ってきているのだとわかった。アーサーはアンナの口内を蹂躙する。水音を立てて、ぬるぬると舌を搦められた。その内、喉から甘えた声が漏れ始め、アンナはアーサーの袖をつかんだ。こんなに密接に触れ合っちゃ駄目だと、罪悪感に襲われるも、残った酒と未知の快楽により、頭が朦朧とする。アンナはいつの間にかベッドの上に横たえられ、アーサーに更に甘く舌を搦められていた。
「ん、ん……っ」
息が乱れ、アンナは身をよじる。濃厚な口づけに、もう気を失いそうと思った頃、ようやくアーサーはアンナを解放した。
?を上気させ、涙目で震えるアンナを、彼は情欲に染まった瞳で見下ろす。そして溜息交じりに言った。
「……すまない。君が結婚すると言ってくれるまで、俺は諦めない。どうか君に一目惚れをした俺を許し——いつか、俺の妻になってくれ」
「——」
アンナは涙目で、唇を震わせる。アーサーに文句を言う余裕はなく、酸欠により、かくりと意識を手放した。酒に酔っていたおかげで、なんとか耐えられていたが、初心なアンナには刺激が強すぎる経験だった。
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