書籍詳細

精霊王さま、憑依する先をお間違えです
ISBNコード | 978-4-86669-005-6 |
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定価 | 1,320円(税込) |
発売日 | 2017/06/27 |
ジャンル | フェアリーキスピュア |
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内容紹介
立ち読み
(いけない! お仕事に遅刻しちゃう)
慌ててベッドから出ようとしたロティは、シーツに足を取られベッドから転がり落ちた。
すかさず立ち上がろうとするが、足に力が入らない。
そして、体のあちこちがじくじくと痛むことに気付く。
転がり落ちた衝撃とは別に、全身にはだるさや痛みがあった。改めて全身を見下ろしてみると、その証拠のように膝や脛には丁寧に包帯が巻かれている。
(こんな怪我、いつの間にしたの?)
ロティは必死に記憶をたどったが、彼女の持つそれは、地下墓地から逃げようとしたところでふつりと途切れていた。
その時だ。
キイと音がして、部屋についていた両開きの扉が開いた。
来訪者は絨毯の上に這いつくばったロティを目にして、驚きの表情を浮かべた。
その理由を、こんな場違いなところに自分がいるからだと取ったロティは、慌てて頭を下げて縮こまった。
来訪者は顔見知りの神女だ。高位の神女たちを世話する部門の責任者である。
「も、申し訳ございません! 別に忍び込んだわけじゃなくて、気付いたらこちらの部屋にいて……っ」
ロティは必死に自分の無実を証明しようとしたが、同時に信じてもらえるとは思っていなかった。
前大神女のお気に入りであったロティを、よく思っていない神女は多い。
その中でも目の前の女性は、ロティを特に目の敵にしているうちの一人だった。
叱られないうちに慌てて逃げ出そうとするが、体が上手く動かない。
もともと大神女亡き後、悲しみのあまり満足に食べられない日が続いていた上、なぜか全身が滅多打ちにされたかのようにひどく痛む。
どうしようかとロティが困惑していると、信じられないことに白い繊手が差し出された。
「お立ちになって。あなたを叱ったり、危害を加えるつもりはありません」
その落ち着いた声音は、ロティの想像していた怒声とは全く違うものだった。
しかし不自然に怒りを押し殺しているとでもいうのか、静かな声の底には黒い何かが淀んでいる気がする。
おそるおそる見上げると、女は仮面でも貼りつけたかのように無表情だった。
その表情に怯えつつも、ロティは彼女の言葉に従いベッドへと戻ったのだった。
神女は一度部屋を出ると、すぐに数人の若い神女を連れて帰ってきた。
そしてあろうことかロティの身支度を手伝うようにと命じたので、とんでもないとロティは震えた。
「体を拭くだけです。大人しくなさってください」
「神女様方にそのようなことをしていただくわけにはいきません!」
訳も分からず、また何をされるのかという恐怖のあまり、ロティはシーツをかぶって丸くなった。
神女たちはすっかり困ってしまい、ベッドを取り囲んでどうしようかと途方に暮れる有り様だ。
そんなところに、今度は知らせを受けたシェスカが走り込んできた。
息を切らした神女長の登場に、神女たちやロティは驚きで動きが止まる。
「はあはあ……ロティ、姿を見せなさい!」
命じられ、ロティが逆らえるはずもない。
彼女は慌ててベッドから飛び出すと、柔らかい絨毯の上で膝を折り、畏(かしこ)まって小さくなった。
突然の動きに全身が悲鳴を上げたが、今はそれどころではない。
相手はロティを嫌っているシェスカ。
もたついていては、どんなお叱りを受けるか分からないのだ。
以前申し付けられた『食事を三日与えない』というお仕置きも、原因はシェスカに気付かずその進路を塞いでしまったというものだった。
よほど気が立っているのか、シェスカは息を荒らげたままその場に立ち尽くしている。
ロティにとってこの状況は恐怖でしかない。
過ぎ去るならば早く去ってほしい悪夢だ。
ああもうこんな大きなベッドはいらないから。食事も抜きでいいから、心安らかに彫刻でも磨いていたい。
この場から一刻も早く立ち去りたい。
そう強く願った時だった。
震えるロティの体が、突然意識をなくした。
絨毯に肩から突っ伏すように倒れ込んだ体を、神女たちが慌てて支える。
そして次の瞬間、目を開けたロティは全くの別人になっていた。
表情や雰囲気、全てにおいてそうとしか表現のしようがない。
部屋中の空気が変わり、強い感応力を持つ神女たちはそのことを肌で感じた。まるで嵐の中に立つような心細さに、座り込んでしまった者も幾人かいたほどだ。
「この依代はどうしてこんなにも気が弱いのだ。見ているだけで疲れる」
不機嫌そうにロティ――いや、その姿をした〝何者〟かは、無作法にも胡坐をかいて座り込んだ。周囲を気にせず振る舞うその姿は、先ほどまでと大違いだ。
別人のように顔つきすら変わってしまったロティを、シェスカは信じられないという顔で見下ろした。
「アルケイン様……でいらっしゃいますか?」
彼女の恐る恐るの問いに、相手は胸を張って答える。
「いかにも。先ほども言っただろう。人の子の願いを聞きに来た」
神女たちが、アルケインの強すぎる力にひれ伏す。
シェスカはその受け入れがたい現実を前に、ぎりりと歯を食いしばり立ち尽くした。
そこにシェスカに遅れて、ベールをかぶった他の高位の神女たちがやってくる。
その中には当然、エインズもいた。
「これはこれは、アルケイン様にあらせられますか?」
エインズの問いに、ロティが鷹揚に頷く。
高位の神女たちもその場にひれ伏し、立っているのはシェスカのみとなった。
「シェスカ。アルケイン様に敬意を」
静かな声で、エインズが窘める。
ロティの顔をしたアルケインは、シェスカのことを興味深そうに見上げていた。
「アルケイン様、憑依する先をお間違えです……っ」
◇◇◇◇◇
二階から即席の縄で下りるという安易な計画だったが、日々の掃除労働で力がついていたらしく、彼女の企みは思った以上に上手くいった。
窓のすぐ下が中庭で、なおかつ花壇になっていたのも成功の要因だろう。
最後に尻餅をついて服を汚してしまったが、想定の範囲内である。
ロティは喜び勇んで中庭を駆けた。
あとは自分の宿舎に行き、彫刻磨き専用の掃除用具を取ってくるだけだ。
物心つく前から神殿で暮らすロティにとって、神殿の敷地は全てが庭のようなもの。この時間帯に人目を避けて目的地に向かうためのルートも、最も見つかってはいけない神女長たちがこの時間に何をしているのかも、彼女はちゃんと熟知していた。
むしろその知識がなければ、こんな無茶なことは初めからやろうとも思わなかったかもしれない。
よく見知った場所だからという気軽さも、彼女を突き動かす要因の一つとなっていた。
注意深く建物の陰に身を隠しながら、人気(ひとけ)のない裏道を移動する。
ところがその途中で、ロティは思わぬ場面に遭遇することになってしまった。
場所は、高位の神女たちの宿舎。
昼間そこにいるのは専属の掃除婦ぐらいで、本来なら静まり返っているはずの場所だが、なぜだかひどく騒がしい。
どうやら誰かを捜しているらしい。
なんだろうかと、気を取られていたのがいけなかった。騒ぎの反対側からやってきた何者かと鉢合わせになり、あろうことか正面衝突してしまったのだ。
「も、申し訳ございません!」
相手を確認することもなく、ロティはその場に額ずいた。
とにかく謝ってやり過ごす。それが神殿で身に付けたロティの処世術だったからだ。
「あなた……ロティね?」
頭上からかけられる声を聞いて、ぞっと血の気が引いた。
髪の毛を引っ張られ、無理矢理に顔を上げさせられる。
そこにいたのは、美しい顔に狂気じみた笑みを浮かべたシェスカだった。
「あらロティ。お久しぶりね?」
言葉は穏やかだが、ロティは体の震えを押さえることができなかった。シェスカの目の奥には、見たこともないような凄まじい感情が宿っていると気付いたからだ。
「依代としての生活はどう? 神女たちに傅かれてさぞやいい気になってるんじゃない? たかが掃除婦に過ぎないあんたが!」
「いたっ」
ぎりぎりと髪を引っ張られ、ロティは思わず声を上げた。
「あらぁ、痛いの? 可哀想に、アルケイン様は守ってくださらないのね。そもそも、あんたなんかに偉大なる精霊王が憑依したなんて間違いじゃないかしら? 腹を空かせたあんたが、咄嗟についた嘘じゃないってどうして言えるの?」
シェスカはロティをいたぶるように髪を引っ張り、揃えて置かれた指先を踏みつけた。それはいつもより容赦のない踏み方で、このままでは指が潰されてしまうのではと怖くなったほどだ。
「お許しください! お許しくださいシェスカ様!」
「しらじらしいのよ! どうせみんなを騙してるんでしょう。私は騙されないわ。あなたなんか早く叩き出しておけばよかった!」
そう言って、シェスカが片方の足を引くのが見えた。
反動を付けられた足は、ロティの顔目がけて突き出される。
驚いたロティは衝撃を覚悟して目をつぶる。
◇◇◇◇◇
それからフロテアは、必ず砂時計がひっくり返った時、つまりロティが眠るべき時間帯にやってきては、彼女にモテ女の極意を伝授していくのだった。
「いい? そこでさりげなく胸元を見せるのよ。何よその胸! 谷どころか坂道にもなってないじゃない!」
生まれてこの方、精進潔斎してきたロティの体は薄っぺらい。
彼女は自分の胸元をのぞき込んでから、目の前にある女神のそれに目をやった。
違いは歴然。小川と深い峡谷ぐらい違いがある。
ロティはしょげかえった。
こんなところでつまずいていては、アルケインを夢中にさせるなど夢のまた夢だ。
「あーもー、そんな子犬みたいな顔でこっち見ないでよ。わかった。もしかしたらアルケインは貧乳の方が好みかもしれないわね。あんたを地上から連れてきたぐらいなんだから」
(そうだろうか?)
ロティは首を傾げる。
「とにかくっ、座る時は腰をかがめて自然な流れで胸元をチラ見せよ。わざとらしいのは逆に萎(な)えさせちゃうから要注意! アルケインが来る前に、あらかじめ胸元を少しだけ緩めておくのよ」
びしびしとフロテアの指示が飛ぶ。
ロティは基本真面目な性格なので、こくこくと頷いて彼女の言葉を脳裏に刻み付けた。
「それで隣に座ったら、こう! そっと寄り添って体を預けるの。いい、この時気を付けなきゃいけないのは、間違っても全体重を掛けちゃダメってことよ。そっーっと、羽のような軽さだと思わせるの!」
女神の言葉をロティは半分も理解できなかったが、それでも真面目に取り組んだ。
不真面目にやったらフロテアを怒らせるからではない。決して。
それはアルケインに見捨てられたくないからで、少しでも長く近くにいたいからだ。
見捨てられれば、もう行き場がない。
神殿で彫刻を磨く日々には、もう戻れない。
――アルケインと過ごす日々を、知ってしまった後では。
さりげなく胸を押し付けるという授業の途中で、砂時計がロティのところにやってきた。
朝が来る時間だ。
「ああ、もうそんな時間なのね」
フロテアは来た時と同じく、四角い窓から部屋の外に出ていく。入り口から帰るとアルケインに悟られるからだ。
「いい? アルケインのような男が相手の時は特に、油断は禁物よ。一瞬たりとも気を抜かないで!」
「はい!」
女神の厳しい指示に、ロティは握り拳を作って深く頷いた。
意外に体育会系の二人である。
フロテアもいい意気だと言わんばかりに頷いて、霧の向こうへと消えていった。
ロティはどぎまぎとしながら、アルケインの訪れを待つ。
気を抜くと眠ってしまいそうだったが、今寝てしまうとずっと寝こけてしまいそうだったので必死に我慢した。
今日のレクチャーの内容は特に実践的で、すぐにでもアルケインに試してみたかった。
美と愛欲の女神直々の恋愛指南だ。
これで上手くいかないはずがない。
* * *
アルケインがやってきたのは、砂時計の砂が半分落ちた頃だった。
「疲れた顔をしているな。何かあったか?」
ロティの顔を見るなり開口一番、アルケインはそう言った。
疲れを悟られてはいけないと、ロティは必死で首を横に振る。
ただ、今から自分がすることを考えると、思わず気が遠くなった。
(私に本当にそんなことができるの?)
ぐるぐると、不安が頭を回る。
それでも、先ほどフロテアにかけられた言葉を思い出し、アルケインに隠れて拳を握った。
「あ、アルケイン様!」
直立不動。明らかに緊張しているとわかる態度で、ロティは呼びかける。
常にないロティの態度に、アルケインも狼狽気味だ。
「な、なんだ?」
「そっ、その! カウチに座ってはいかがでしょう? いっ、いっ、一緒にお茶を飲みたいです!」
「あ、ああ……」
アルケインにしては珍しく、気圧されるようにカウチに座った。
細い猫脚が軋んで音を立てる。
そしてロティの言葉を聞きつけたかのように、入り口からはふよふよとお茶セットがやってきた。
素焼きのティーポットに、二客のカップ。
あとは湯気を立てたお湯の容器と小さな缶に入った茶葉だ。
ロティはその缶を手に取ると、全てを見えない何者かに任せず、自分でお茶を淹れた。
大神女の世話役をしていたので、これくらいはお手の物だ。
「おい、精霊の仕事を奪うな」
「こっ、こうしていた方が落ち着くので……」
ぎこちなく本音を吐露しながら、ロティはアルケインの前にカップを滑らせた。
ずっと訝しげな表情をしていたアルケインが、何かを思いついたように人差し指をくるくると回した。
するとそれに呼応するように、湯気が楽しそうに踊り出す。
アルケインの言う精霊が手を加えているのだろう。
しばらく見ているとその湯気は、花の形になったり蝶の形になったりした。
「わあ」
緊張を忘れて、ロティが小さな歓声を零す。
強張っていた彼女の表情が、思わず綻んだ。
「やっと笑ったな」
その言葉に、ロティははっとアルケインの顔を見つめた。その顔には、いつもの無表情にうっすらと、してやったりと言いたげな笑みが浮かんでいた。
「何を緊張している? 何か困ったことでもあったか?」
鷹揚なアルケインの問いに、ロティは恥ずかしくなった。
まさかあなたを虜にしようとしていたなんて、正直に言えるはずもない。
(ええい!)
進退窮(きわ)まったロティは、最早破れかぶれでアルケインの隣、カウチの余ったスペースに飛び込んだ。
そしてぎゅっと、アルケインの腕にしがみつく。
ささやかな胸を押し付ける格好だ。
フロテアの教えは、突き詰めるとこんな感じだったと思う。
固く目をつぶり、ロティはアルケインの反応を待つ。
触れた肌がぴしりと強張ったような気もしたが、アルケインは何も言わなかった。
二人は身じろぎもしないまま、長いような短いような時間が過ぎた。
「で、どうしたんだ?」
頭上から、アルケインの素っ気ない問いが降ってくる。
はっとして、ロティは目を開けて精霊王の顔を見上げた。
その顔は驚いたように目が見開かれているだけで、照れたり悩殺されているようにはどうしても見えない。
その顔を見ただけでロティの気恥ずかしさは限界を超え、思わずカウチから飛びすさってしまった。
「なっ、なんでもないんです!」
ロティは泣きたくなりながらも、必死に言葉を絞り出した。
アルケインは不思議そうに彼女を見上げるばかりだ。
居たたまれなくて今すぐどこかに逃げ出してしまいたいが、ロティはこの部屋から出ることができない。
(逃げ場所が、ないっ)
涙目になるロティに、アルケインは溜息をついて俯く。
彼はしばらく手のひらで顔を覆った後、疲れたように立ち上がった。
「疲れているんだろう。お前は少し休め。俺は出ていくから」
「でもあの!」
「ちょうど残した仕事を思い出した。またな」
そう言うが早いか、アルケインは足早に部屋を出ていってしまった。
その背中は、すぐに霧の中に消える。
ロティはその背中を見送って、へにゃへにゃとその場に座り込んでしまった。
「やっぱり……私には無理だったみたいですフロテア様……」
今すぐに、どうかアルケインがさっきのことを忘れてくれますようにと、ロティは手を合わせて至上神である創造主に願った。
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