書籍詳細
一目惚れ召喚! 時の魔道士は異世界乙女を逃がさない1
ISBNコード | 978-4-86669-076-6 |
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定価 | 1,320円(税込) |
発売日 | 2018/03/27 |
ジャンル | フェアリーキスピンク |
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電子配信書店
内容紹介
立ち読み
気づくと音羽は、ベッドに寝かされていた。
額が冷たくて心地よい。声が聞こえた方向に顔を向けると、乗せられていた布のようなものがぽとりと落ちた。それを音羽でない別の手が拾う。
「あ……」
「おはよう、オトハ。良かった。意識が戻ったみたいだね。心配したよ。少しは気分、マシになったかな?」
「……ディオ」
気遣うような声で話しかけてきたのはディオだった。音羽の顔を見たディオは、ホッとしたように小さく笑う。
「起きてくれて良かった。額に当てていた布、もうぬるくなっちゃったね。取り替えようか」
どうやらディオは、ベッドの横に椅子を持ってきていたらしい。彼は立ち上がると、音羽の額に己の手を当てる。ひんやりとした感覚が心地よかった。
「うん……大分下がったけど、やっぱり、まだ熱があるね」
「熱? 私……」
「覚えていないよね。オトハ。君は、倒れたんだよ」
「え」
サイドテーブルの上には小さなタライのようなものが置かれている。その中にディオは手に持った布を浸し、絞りながら言った。
「驚いたよ。朝食の時間になっても君がやってこないから気になって、メイドに様子を見に行かせたんだ。そうしたら、ベッドの脇で君が熱を出して倒れてるって……。うちにいる医師に診せたら原因は疲れじゃないかって」
「そう……」
起きようとしたところまでは覚えている。おそらくその直後に倒れたのだろう。
「ごめんね。気づかなくて。考えてみれば当たり前だよね。異世界から召喚された君に、強い精神負荷が掛かっていることなんて、考えなくても分かるはずだった」
「ディオ……」
申し訳なさそうに目を伏せるディオを、なんとも言えない気持ちで見つめる。
「君が倒れてしまったのは僕のせいみたいなものだ。君が何も言わないのをいいことに、僕は自分の気持ちを押しつけるだけだった。君の都合なんて何も気にしていなかったね」
「……」
黙っていると、額に綺麗に折り畳まれた布が置かれた。水に浸しただけだというのにまるで氷のように冷たくて心地よい。
「……気持ちいい」
ポソリと告げると、ディオはホッとしたように言った。
「魔法を使って水を冷やしたんだ。熱がある時は、冷たい方がいいかと思って」
「……ありがとう。あの、ちょっと喉が渇いたんだけど、お水とかあるかな」
自分でも今気づいたのだが、喉がカラカラだったのだ。喉の奥が引っかかるようにひりひりしている。
音羽の話を聞いたディオは、ハッとしたような顔をした。
「あ、ごめん。そうか、先に水を渡せば良かった。えーと、水がいい? 一応、冷たいレモン水を用意しているんだけど」
喉に気持ちよさそうなものを提示され、音羽はすぐに頷いた。
「レモン水? 飲みたい」
「分かった。じゃあ、もう一回額の布を取るよ。……起き上がれる? 手を貸そうか?」
「ん……多分大丈夫だと思う」
体力はかなり奪われているが、起きられないほどではない。手をついて上体を起こし、ヘッドボードに身体を預ける。
「飲める?」
差し出されたのは、木でできたコップ。中には透明の液体が半分ほど入っている。
礼を言って受け取り、コップの縁に口をつけた。体温が上がっているため、冷たいレモン水が喉に心地よかった。
「美味しい……」
「もう少し飲む?」
「うん」
おかわりをもらい、二杯目も綺麗に飲み干した。全身にレモン水が染み渡っていくようだ。空になったコップをディオに渡し息を吐くと、少し身体が楽になった気がした。
「ありがとう。少し、マシになった」
「それなら良かった。テーブルの上に置いておくからいつでも飲んで。あ、そうだ。後で薬を持ってくるから。飲めるよね?」
「大丈夫」
ディオと会話をしながら、ちらりと時計を確認する。気づけばもう午後の時間だった。かなり長い間倒れていたらしい。そうして、ディオが側にいてくれているという事実にようやく気が向いた。
「あの、ディオ? もしかして……ずっと側にいてくれたの? 私が倒れてからずっと?」
まさかと思いながらも尋ねると、ディオは気まずそうに頷いた。
「うん、ごめん。どうしても君が心配で。兄さんは、オトハは女性なんだからメイドに世話を任せた方が良いって言ったんだけど、君が苦しんでいるのに他の誰かになんて看病を任せたくなかったから……」
「ディオ……」
「疲れているだけだって聞いても、君が目を開けてくれるまで気が気でなかったよ。本当に目を覚ましてくれて良かった」
目を潤ませながら語るディオの表情には、心配と愛しさと、そして嬉しさといった色々な感情が浮かんでいた。そのどれもが音羽にとっては未知のもので、どう返答していいのか分からなくて困ってしまう。
「看病なんてしたことなかったから上手くできたか分からないけど……君が気分を害していないのなら嬉しい」
「害してなんて……そんなわけない」
慌てて首を横に振った。
つきっきりで看病なんて初めてされた。孤児院にいた時も、一人暮らしを始めてからも、病気の時はずっと一人で寝て、治してきたのだ。
孤独で寂しいと思いながら、それでも一人で踏ん張ってきたのだ。
それなのに、今の状況はなんだろう。今までとはまるで正反対だ。
目を開けたらディオがいて、声をかけてくれ、そうして慣れないながらも世話をしてくれた。自分を……気遣ってくれた。他でもない音羽だけのために。
そういうことをしてもらえる日がくるのを確かにずっと願っていたけれども、それがこんなに嬉しいことだったなんて知らなかった。
「あり……がと……」
「え? オトハ?」
勝手に涙が零れ落ちる。言葉にならない歓喜が身体中を満たし、どうしようもなかった。行き場のなくなった思いが涙となって溢れ出たのだ。
突然涙を流し始めた音羽を見てディオは動揺し、おろおろと視線を彷徨わせた。
「え? え? 僕、何かまずいこと、した?」
「違う、違うの……」
一度決壊してしまったものはなかなか止まらない。ぼろぼろと涙が零れるのを手の甲で拭い、音羽は泣き笑いの表情を浮かべた。そうしてなんとか伝える。こんなに嬉しいのに、誤解されるのは嫌だと思った。
「嬉しかったの。私、誰かにつきっきりで看病してもらったことなんて、生まれてこの方一度もなかったから」
「オトハ……」
「目が覚めて、自分を心配してくれる誰かが横にいるって、こんなに嬉しいことだったんだね。私、初めて知った」
言葉にすればするほど、涙はもっと溢れてくる。胸の奥が熱くて苦しい。だけど全然嫌な気持ちではなくて……自分の中にあった色々なモヤモヤした気持ちや不安、そんなものまで一緒に溶け出していくようだ。その気持ちを、なんとか伝えようと、音羽は微笑んだ。
「今、寂しくないのは、ディオのおかげ。側にいてくれてありがとう、ディオ」
心からの気持ちを告げると、ディオは?をほんのり赤くした。
「お礼を言われるほどのことはしていないよ。ただ、僕が君の側にいたかっただけだから。……あ、そうだ。それじゃあって言ったらなんだけど、一つお願いしてもいいかな?」
「お願い?」
鼻を啜りながら聞き返すと、ディオは音羽にハンカチを差し出しながら言った。
「実はさ、兄さんには僕がここにいることを言っていないんだ。さっきも言った通り、兄さんは僕が女性である君の部屋に入り浸ることを反対していたから。だからもし兄さんに聞かれたら、僕は来なかったって口裏を合わせてくれないかな? 知られたら、絶対に怒られると思うんだ」
「い、いいけど……」
音羽が協力するだけで、クロノスの怒りから逃れられるというのならそれくらいは構わない。悪戯がばれることを嫌がる子供のような表情をしていたディオは、「それともう一つ」と言った。
「君に無断で部屋に入ったことを許してくれると嬉しい」
そんなことかと音羽は目を瞬かせた。
ディオが側にいてくれたのはとても心強かったのだ。許すも何もない。だけど、この世界の常識では多分違う。そういうことなんだと、なんとなく理解できたから、音羽は頷いた。
「……分かった。いいよ、そんなの許すに決まってるじゃない」
「ありがとう。あ、そうだ! 薬! 忘れないうちに用意しとかないと。ちょっと研究室に戻って、調合してくるよ」
「調合? ディオ、薬も作れるの?」
聞き慣れない言葉に聞き返すと、もちろんとディオは首肯した。
「作れるよ。オトハの化粧品だって作ってあげたでしょう? こういうのは僕の得意分野だ」
「そ、そっか……ディオってすごいんだね」
言われてみればその通りだ。彼に作ってもらった化粧品は、音羽が日本で使っていたものよりよほど使いやすく肌に優しかった。
植物に精通している彼が薬に詳しいのも納得の話だ。
「薬の調合は久しぶりだけど、そういうことだから任せてよ。オトハ、あまり苦くない方が良いよね?」
「あ、うん。できれば……」
いわゆる薬草をごりごり煎じて……タイプの薬なら間違いなく飲むのを躊躇う苦さだろう。飲まないということはもちろんしないつもりだけれども、苦くないものができるというのなら是非お願いしたい。
「分かった。ちょっと待ってて。薬草の在庫は問題なかったはずだから、すぐに用意できると思う」
やはり『薬草』タイプらしい。どんなものが出てくるのかと想像して苦笑いをしていると、ふらりと身体が揺れた。
「あ……」
「オトハ! 大丈夫?」
倒れそうになったところをディオが己の腕で支えてくれた。その腕に縋りながら、誤魔化すように笑う。
「あ……ありがとう。ちょっと、眩暈がしただけ」
「やっぱりまだ寝てなきゃ駄目だね。ほら、横になって。……うん、ちょっと熱が上がってるな。ごめん……僕がはしゃぎすぎたからだね」
「ううん、私も嬉しかったから」
再度額に冷たい布を置かれる。心地よさに目を瞑ると、ディオが言った。
「少し寝ているといい。薬を作ったら僕も戻ってくるから。夕飯の時間に一度起こしてあげる。消化の良さそうなものを用意させるよ。あ、もちろん無理なら無理って言ってくれて構わないから」
「ううん。食べる。色々ありがとう」
「気にしないで。僕が好きでやっていることだから。それよりごめんね。薬を作る間、少しだけ君を一人にしてしまう。寂しいだろうけど、我慢してくれる? それともなんなら兄さんを呼ぼうか?」
先ほど、寂しいのは嫌だと音羽が言ったことを覚えていてくれたのだろう。気遣ってくれるのが嬉しかった。
「いつも一人だったし、短時間なら平気だから。それにクロノスさんを呼んだら、ディオが私の部屋にいることがばれてしまうじゃない」
少し目を開け、からかうように告げると、そこで初めてそのことに気づいたのか、ディオが「あ」と間の抜けた声を出した。
「そっか。でも、それで君が寂しくないっていうのなら怒られても構わないかな」
「ディオ……」
微笑みを浮かべながら言われ、音羽はまた泣きたくなってしまった。
ディオの優しさが、心に染み渡る。熱を出して、心が弱っている状態だから余計にそう感じるのだとは理解していたが、それでも急速に彼に惹かれていくのを止められない。
(ああ……駄目だ)
それでなくとも、ディオのことは意識していたというのに。
真摯な目で好きだと告げられ、翌日から一生懸命音羽のために勉強を教えてくれた。外に出られなくて鬱屈が溜まっていた音羽に夜会を再現して一緒に踊ってくれた。そんな彼のことを、どうして意識しないままでいられるだろう。
本当は、ずっとディオが気になっていた。
だけど、どうしても『選ぶ』という言葉が音羽の中に重くのしかかり、素直な気持ちを認められないでいたのだ。でも——。
(もう……いいのかな)
好き、というわけではまだない。だけど、確実に音羽はディオに惹かれていた。
それをもう、選ぶとか関係なく認めてもいいのではないかと音羽は思った。
(落としてみせる、なんて乱暴なことを言っていたけど……)
ディオの見せてくれた優しさが?ではないことを、音羽はちゃんと分かっている。
だって、口では色々言っていても、ディオは決して不用意に音羽に触れようとはしなかった。音羽の気持ちが追いつくのを、何も言わなくても、じっと待ってくれている。それが分かる。大切にされていると理解できる。
そうして、今日。自分の求めていたものを無条件に差し出されて——。
(うん、意識するなっていう方が無理)
「オトハ?」
「……ううん。なんでもない」
静かに首を横に振った。ディオは椅子から立ち上がり、「それじゃあ行ってくるね」と手を振りながら寝室を出て行く。
それを少しだけ寂しい気持ちになりながら見送った。
「はあ……」
扉の閉まる音が聞こえたのを確認し、音羽はリネンに深く潜り込んだ。途端、聞き覚えのある声が響く。
『オトハ様。大丈夫ですか?』
「ユウ……」
リネンから顔を出すと、ユウがベッドの上でふわふわと浮いていた。
その表情は分かりにくいが、音羽を心配しているようだ。
『驚きましたよ。話している最中にいきなり倒れるんですから。私は、あなた以外には認識されないし、本当にどうしようかと……』
「心配かけてごめん……」
倒れる直前、話していた相手はユウだ。突然音羽が倒れ、彼はさぞ焦っただろう。
助けも呼べない中、ずっと側にいてくれたに違いない。
音羽は再度身体を起こし、ユウと目を合わせた。
「ユウ、ありがとう」
『……いいえ。もう、大丈夫ですか?』
「まだ熱があるってディオは言ってたけどね。もらったレモン水が効いたのかな。少し楽になった」
『……そうですか。それなら良かったです』
先ほどのディオとのやりとりをユウは見ていたはずだ。それでも音羽に聞いたのは、本人に体調を直接確認したかったからなのだろう。ユウは至近距離まで音羽に近づき、じーっと彼女を見つめてくる。
「ユウ?」
『……確かに顔色が少し良くなりましたね。ディオ様がお薬を持ってきて下さるまで大人しく寝て下さい』
「うん、そうする」
ディオとは違うが、ユウもまた音羽のことを心配してくれている。
異世界にやってきてまだひと月も経っていないのに、こんなに親身になってくれる人が二人もいるなんて、音羽には信じられなかった。
(私、異世界に来て……良かったのかもしれない)
日本で過ごして、同じように熱を出しても、誰も見舞いになんて来てくれない。友人なら、助けて欲しいとSOSを出せば訪ねてくれるかもしれないが、それとはまた違うのだ。
音羽のことを大事に思ってくれる人がこの世界にはいる。それが彼女にはたまらないくらいに嬉しかった。
『オトハ様?』
「ううん。ちょっと考え事。……寝るね。お休み」
『はい、お休みなさい』
いつものユウなら、先ほどのディオとのやりとりを絶対にからかっただろう。体調を確認しただけで黙ってくれたのは、音羽に余計な負荷を掛けないようにとの気遣いからだ。
そういう細やかな気遣いがどうにも嬉しく、音羽はまたリネンの中に潜り込み、ユウに気づかれないよう、声を殺して少しだけ泣いた。
◇ ◇ ◇
カーテンから漏れる光が眩しい。リネンがふわふわと気持ち良かった。
何かが音羽を抱き締めている。
肌と肌が触れ合う独特の感触に、音羽は眉を寄せた。
(ん? 肌? ……あっ!)
今、自分が何をしていたのか、唐突に思い出した。
ユウを探して、音羽は正門を出たのだ。そこで急激な眩暈に襲われ……そして多分気を失った。
「えっ!?」
「もう……まだ身体がきついでしょう? ゆっくり寝ていればいいのに」
現状を理解し、飛び起きようとしたところで、自分を抱き締めていたものに引き留められた。慌てて視線を向けると——そこには甘い視線を送ってくるディオがいた。
「え……なんで、ディオが……それになんで……裸?」
ディオも音羽も、二人とも裸だった。
意味が分からない。
倒れて部屋に運ばれた——までは分かる。だが、裸で抱き締められていた。しかもまるで事後のようなディオの発言に、音羽の脳は完璧に容量オーバーだ。
ディオが蕩けるような声で囁きかけてくる。
「なんで、なんてひどいな。僕と君が結ばれた幸せな朝だっていうのに、まるでそのことを忘れてしまったみたいな言い方。さすがの僕も怒るよ?」
「え? え? え?」
どういうことだ。
音羽がディオと結ばれたのは、状況に鑑みても一昨日のはずだ。それなのに、まるで昨夜のことのように言うディオが分からないと思った。
「ディオ……何、言って」
「オトハ? まさか君、本当に僕と結ばれたことを忘れたとか言い出さないよね?」
ディオの顔がすっと怖いものに変わる。これはまずいと思った音羽は慌てて頷いた。
「も、もちろん。それはちゃんと覚えてる」
「それならいいんだけど……。もう、吃驚させないでよ」
音羽を抱き締めていた腕を解き、ディオが起き上がる。髪をかき上げる仕草が色っぽい。
その姿にうっかり見惚れそうになった音羽は、ぶんぶんと煩悩を吹き飛ばすように頭を振った。そんな音羽を見て、ディオがクスクスと笑う。
「なんか面白いことしてるなあ。オトハ、きっと寝ぼけているんだよ。なんだったらお風呂に入ってくるといい」
お風呂。その言葉に、ハッと今自分のいる場所を思い出した。ここは音羽の部屋ではない。ディオの部屋だ。
「う、ううん。わ、私恥ずかしいから部屋に帰る! お風呂は自分の部屋で入るから!」
ディオは若干不満そうな顔をしながらも頷いてくれた。
「……いいけど。じゃあ、朝食の席で」
「うん! じゃあね!」
音羽は急いで着替え、自分の部屋へと駆け戻った。とにかく一人で考える時間が欲しかった。自分の部屋にある浴室に飛び込み、浴槽に湯をため、浸かりながら、今自分の身に起こっていることを冷静に考えてみた。
(私はユウを探して、正門を出ようとした。そうしたら変な眩暈が起こって……気づいたら朝で、何故かディオがいた)
そして、昨夜結ばれたばかりなのだと言い放った。
「どういうことだろう……」
だが、ディオが?を言っているようにも見えなかった。となると導き出される推論は一つしかないのだが——そんなことあるわけがないというのが音羽の意見だ。
だが、それ以外に考えられないし、とにかく確かめてみるべきだと思った音羽は、風呂から上がり、着替えてからメイドを呼んだ。
「オトハ様。どうかなさいましたか?」
「あの……今日は何日だったかな? 教えて欲しいんだけど」
妙なことを聞く音羽に、呼び出されたメイドは不審な顔をしつつも答えてくれた。
「はあ、本日は——ですが」
「……あの、その日付に間違いはない?」
「もちろんです。お疑いなら、他の者も呼びますが」
「あ、うん。ごめん。聞いてみただけ。ありがとう」
何を聞いてきたのかと不思議そうな顔をしたメイドは、首を傾げながらも部屋を出て行った。だが、音羽はそれどころではない。近くにあったソファに腰掛け、額を押さえた。
「……今、聞いた日付が?じゃないなら……時間が戻ってる? 冗談でしょ……」
推論が的中してしまった。だけどあまりに馬鹿げすぎている。出した声は誰が聞いても分かるくらいに震えていた。
メイドの告げた日付。それは昨日のものだった。信じられないけれど、時が戻っていると考えるのなら、辻褄は合う。
ディオとベッドの中に裸でいたのも——そして彼が言った昨夜結ばれたという話も?ではないということになるのだ。
「え……でも、そんなこと、起こり得るものなの?」
少なくとも、音羽の常識ではあり得ない。だがここは、魔法世界だ。常識は通用しないし、音羽の恋人のディオなど『時の魔道士』などという大層な名前で呼ばれているではないか。
「時の魔道士……もしかして、ディオが何かした?」
言葉にし、それはないとすぐに否定した。
だってディオは時が戻っていることを理解していないようだった。慌てていたのは音羽だけ。ということは、何か別の力が働いたということになるのだが——。
「……」
分からない。
だけど、とにかくまずは昨日と同じ行動を取ってみよう。
朝食を食べに、食堂へ行く。そこからだ。
「……ユウ」
不安が胸に広がる。
呼びかけた声に反応する者はいなかった。
◇◇◇
食堂では、昨日と同じやりとりが繰り返された。クロノスがいないこと、そして、ディオがクロノスと話し合いをする旨が告げられ、一人になる。
知っている会話を繰り返すのは、思いの外ストレスだと思った。
「辛い……。どうしてこんなことになったんだろう」
ディオの態度におかしなところはない。昨日と全く一緒だ。給仕をしてくれたメイドや執事たちの様子にも変わったところはなく、この異変を感じているのは音羽だけのようだった。
それがひどく辛い。もしかして、時が戻っているというのは気のせいで、本当は音羽が勝手に混乱しているだけなのかもとすら考え始めてしまう。
「頭がおかしくなりそう……」
昨日は、ユウを探すために邸を回ったが、今日は最初から正門へ向かう。
何かあるとしたらここしかないと思っていた。
「……やっぱり誰もいない」
正門だというのに不自然なくらい、誰も通らない。訪ねてくる人もいなければ、出て行く人もいない。守衛さえいなかった。
正門の前に立ち、ゴクリと唾を呑み込む。
「確かめてみなくちゃ……分からないし」
もしかしたら何もないかもしれない。だけどこの異変は正門をくぐったことにより起こった。そうとしか思えない。それなら、もう一度同じ行動を起こしてみるしかないのだ。
(何もないかもしれないし)
気のせいだということもあり得る。
「よしっ!」
足を一歩外へと踏み出す。その瞬間——。
(あ……やっぱり……)
正気を保っていられないほどの眩暈に襲われる。強引に意識が刈り取られる感覚に酔いそうになる。
——ブラックアウト。
そうして彼女が次に目覚めた時——やはり裸で、恋人の腕の中に収まっていた。
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